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2017年7月20日木曜日

完全に終わる日銀の旧体制 経済の状況認識読み違えた時代錯誤な提案なくなるか―【私の論評】反アベノミクス的な経済政策が実施されれば『失われた20年』の再来に(゚д゚)!

完全に終わる日銀の旧体制 経済の状況認識読み違えた時代錯誤な提案なくなるか

佐藤健裕氏(左)と木内登英氏(右)
 19、20日の日銀金融政策決定会合で、木内登英、佐藤健裕両審議委員の最後の会合となる。

 特に木内氏は、現在の黒田東彦(はるひこ)総裁体制で反対票を投じてきたことで知られている。

 速水優総裁時代に審議委員を務めた中原伸之氏も、やはり反対意見を出していたが、それは量的緩和など、当時の日銀が採用していなかった政策を主張し、時代を先取りしていたもので、意義あるものだった。

 木内氏は、現在の日銀が実施している金融政策では副作用が大きいとして、年間80兆円程度のマネタリーベース増加額を45兆円程度へ減額すべきだと主張してきた。

 月刊資本市場2016年1月号の「『量的・質的金融緩和』再考」によれば、その前提として、「需給ギャップが2013年末頃にほぼ解消され、その後も概ね中立的な状態が維持されていること」をあげ、「金融機関の収益悪化が金融システムの不安定性に繋がりうるリスク」「金融政策の正常化の過程での金利上昇リスク」「財政ファイナンスとの認識が高まる可能性」「金利による財政規律メカニズムが損なわれるリスク」「国債購入の持続性と金利の安定性のリスク」を副作用としている。

 まず需給ギャップ(実際の国内総生産=GDP=から完全雇用状態の潜在GDPを引いたもの)の状況認識が間違っている。需給ギャップがほぼ解消されたように見えたのは、14年4月からの消費増税で需要が減少したからで、木内氏は需給ギャップを過大評価した。実際、インフレ率は14年5月に見かけ上の消費増税効果を除き1・6%となったのをピークとして、その後急速に低下した。

 なお、需給ギャップは、自然利子率(完全雇用のもとで貯蓄と投資をバランスさせる実質金利水準)や構造失業率(これ以上下げられない完全雇用水準)と密接な関係がある。需給ギャップを過大評価すると、自然利子率は過小評価、構造失業率は過大評価となる。いずれの場合でも、まだ金融緩和すべき時に引き締めるべきだと間違ってしまう。その結果、誤った金融引き締めを提言し続けたわけだ。

 佐藤氏も木内氏と似ている。日本経済の潜在成長率から考えても2%のインフレ目標は高すぎるとした。これも潜在GDPを間違って捉えたもので、木内氏の需給ギャップに関する認識の誤りと同じである。この誤った認識から、インフレ目標2%は無理だと主張していた。

 日銀は安倍晋三政権とインフレ目標2%を約束した。佐藤氏を任命した民主党政権との関係からいえば問題なしであっても、安倍政権になってからも本当に無理だと思うのなら、その時点で審議委員を辞めてもよかったのではないか。

 木内氏と佐藤氏が退任すれば、民主党政権時代に任命された人はいなくなる。その時代に任命された人はこれまで、需給ギャップの過大評価、自然利子率の過小評価、構造失業率の過大評価などで現実と違っていた。しかし、これからの日銀はこれらに染まっていない人たちになる。時代を先取りする提案はあっても、時代錯誤な提案はないはずである。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】反アベノミクス的な経済政策が実施されれば『失われた20年』の再来に(゚д゚)!

確かに、木内登英、佐藤健裕両審議委員が日銀審議委員から姿を消せば、上の記事で、経済の状況認識読み違えた時代錯誤な提案なくなるかもしれません。

この両者に関しては、上の記事で高橋洋一氏が指摘するように、いつも時代錯誤というか、頓珍漢な主張を繰り返してきました。

その最たるものは、2014年10月31日に日銀が発表したハロウィーン緩和と呼ばれる、追加金融緩和です。以下にこの時の産経新聞の号外の紙面を掲載します。


これは、当然のことです。2014年4月から、あの悪しき、今では完璧に大失敗だったと誰もが認める8%増税が行われました。そうして、増税推進派が主張していたように、日本経済への影響は軽微という、予測とは裏腹に、導入当初から日本経済は低迷しました。このような状況に対応するため、日銀が追加金融緩和をするのは当然といえば当然でした。

しかし、日銀の審議会がこれを決定するにおいては、4名の反対者がいました。ちなみに、審議会の正式名称は、政策委員会であり、これは総裁、副総裁(2人)および審議委員(6人)で構成されます。これら9人のメンバー(政策委員会委員)は、いずれも国会の衆議院および参議院の同意を得て、内閣が任命します。

4名の反対派は以下の4人です。これらは、全員が民進党政権時代に審議員に任命された人々です。


この委員会において、4人が反対したのですから、委員会のメンバーは9人ですから、あと一人が反対していたら、真っ二つに割れたわけで、この追加金融緩和は危ういところで決まったということです。

もしこのハロウィーン緩和が見送られたとしたら、どうなっていたかといえば、これは当初から予想されたことですが、当然のことながら、現在のかつてないほどの雇用状況の良さは実現されおらず、かなり雇用状況が悪化しており、アベノミクスの金融緩和は完璧に頓挫していてとんでもない状況になっていたことでしょう。

増税による経済への悪影響もさらに大きなものになっており、おそらく日本は完璧に再度デフレに突入していたことでしょう。

市場はこの状況に失望し、2015年の安保法制審議のときには、安倍政権はかなり支持を落としていたことでしょう。

これに関しては、一昨日のブログにも、この追加金融緩和によって、安倍政権は2015年にあれほどのネガティブキャンペーンにあいながらも、支持率をさほど落とさなくてもすんだ可能性があるということを示唆しました。

以下に昨日の記事のリンクを掲載します。
加計問題を追及し続けるマスコミの「本当の狙い」を邪推してみた―【私の論評】安倍政権支持率低下の原因はネガティブキャンペーンだけではない(゚д゚)!
2014年10月31日の「ハロウィーン緩和」を発表する日銀黒田総裁
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では市場は安倍総理は本当に、景気を回復できるのか疑心暗鬼になっており、最近の安倍政権の支持率の低下はこれも大きな要因の一つになっていることを掲載しました。以下、その部分を中心に以下に一部を引用します。
実際に、消費増税が行われた14年以降においては、政府が実施してきた中で、消費増税の先送りや毎年の最低賃金引き上げ、そして昨年度末の補正予算ぐらいが「意欲的」な政策姿勢だったという厳しい評価もできます。2%のインフレ目標の早期実現を強く日銀に要請することはいつでもできたはずです。ある意味で、雇用の改善が安倍首相の経済政策スタンスの慢心をもたらした、ともいえます。
さらに、自民党内には、安倍首相と同じリフレ政策の支持者は、菅義偉官房長官はじめ、自民党内にはわずかしかいません。ただし、二階派は、プライマリーバランスは先送り、景気が先としています。しかし、石破氏はもとより他の派閥は全部増税派です。 
そうして、次の日銀の正副総裁人事が来年の3月に行われるはずですが、そのときに最低1人のリフレ政策支持者、できれば2人を任命しないと、リフレ政策すなわちアベノミクスの維持可能性に赤信号が点灯することになります。 
このリフレ政策を支持する人事を行えるのは、安倍首相しかいないのです。それが安倍政権の終わりがリフレ政策のほぼ終わりを意味するということです。 
もちろん日銀人事だけの問題ではありません。仮に日銀人事をリフレ政策寄りにできたとしても、政府が日銀と協調した財政政策のスタンスをとらないと意味はありません。デフレを完全に脱却するまでは、緊縮政策(14年の消費増税と同様のインパクト)は絶対に避ける必要があります。デフレ脱却には、金融政策と財政政策の協調、両輪が必要なのです。 
ここにきて、直近では財務省人事や産業経済省の人事などで、増税派が順調に出世したことなどから、市場関係者には安倍政権は経済を立て直しができないかもしれないという、ある種の失望感が生まれるようなっていたのだと思います。
この記事では、「次の日銀の正副総裁人事が来年の3月に行われるはずですが、そのときに最低1人のリフレ政策支持者、できれば2人を任命しないと、リフレ政策すなわちアベノミクスの維持可能性に赤信号が点灯することになります」と掲載しました。


日銀は来年4月にかけて、黒田東彦総裁ら5人の政策委員が相次いで任期切れを迎えます。現状の新議員がすべてまともだったにせよ、5人もの委員が入れ替わるのですから、確かに1人のリフレ政策支持者で、既存の4人とあわせて何とかリフレ派が多数派ですが、中には中立的立場の人も1人(中曽根氏)いるのでこれでも安心できません。やはり、少なくとも2名が金融緩和に肯定的な人である必要があります。
こう考えると、確かに来年の4月までは、「完全に終わる日銀の旧体制」ということはできるとは思いますが、4月以降に金融緩和に否定的な人々が日銀の審議委員の多数派になれば、これは崩れるわけです。ただし、安倍政権が崩れない限り、安倍政権は金融緩和を支持する人事を行うことになるので、これは何とかなるものと思います。

そうして、現在安倍政権がおこなわなけばならないのは、財務省とのガチンコ対決に勝利を収めることです。

安倍政権では、経産官僚が力を持ち、かつて「最強官庁」と呼ばれた財務省は冷遇されてきました。安倍首相や菅義偉官房長官は消費税増税に消極的ですが、財務省は麻生太郎副総理兼財務相とともに抵抗してきました。現在の安倍政権の支持率が低下している状況は、財務省にとっては主導権奪還の好機です。

そうして、石破氏を含めポスト安倍の面々は、いずれも財務省を筆頭とする官僚依存の傾向が強いです。2度の増税延期で財務省と闘ってきた安倍首相との違いは大きいです。

安倍政権としては今後、支持率下落を受けて「経済重視に回帰する」とみられます。ただ、経済政策は今後の政治スケジュールとも密接にかかわってきます。

秋の臨時国会では、経済政策の強化のために補正予算が打ち出されることになるでしょう。

現状では、有効求人倍率や失業率、企業業績は改善していますが、14年4月の消費税率8%への引き上げ後の消費低迷の悪影響が尾を引き、デフレの完全脱却や2%のインフレ目標実現にはほど遠い状況です。日銀の量的緩和継続とともに、財政面での手当ても必要になります。

安倍政権の『20年の憲法改正』という目標から逆算すると、憲法改正の是非を問う国民投票は、18年後半に衆院選とのダブルで実施される可能性が高いです。19年10月に予定されている消費税率10%へ増税の是非も争点となります。

最善の手は「消費税の増税に対して消費税の減税を行なうこと」です。次善の手は「増税によって税収が入ったら、そのお金をすべて国民に撒くこと」です。冗談だと思う人もいるかもしれないが、ロジックでいえば当然で、増税しなかったのと同じ効果を与えるからです。

もちろん増収分を国民に撒くといっても、財政支出一辺倒だと供給制約が発生してしまいます。公共事業に予算をつけても、事業を行なう技能をもった人や組織には限りがあるからです。さらに減税や追加の大幅金融緩和に踏み切るなど、ダメージを緩和するための第三、第四のサブシナリオを考えることもできます。

石橋と小泉進次郎氏
これからも増税をめぐり、安倍政権の周囲でさまざまな画策が生じるはずです。財務省としては、石破氏や小泉進次郎氏のように、さらに自分の思いどおりになる与党議員を探して懐柔することでしょう。地方議員には「もし増税が潰れたら予算づくりもやり直しになってしまう。あなたの地元の要望も通らない」と脅しをかけ、経団連には「消費税増税なくして法人税減税なし」ということでしょう。

しかし、そもそも、税率と支出が結び付いて予算が青天井になる現行の仕組みは異常です。法人税は個人の所得税と重複する「二重課税」ですから、もともと無駄な税金です。マイナンバーなどで個人の所得をきっちり捕捉して増収を図るのが王道のはずです。

いずれにせよ、こうした動きを誰より注意深く見ているのは安倍総理自身です。マスコミは財務省のプロパガンダやとんでもエコノミストの観測気球ばかり流さず、ロジックとファクトに基づく報道をすべきでしょう。

18年9月には自民党総裁の2度目の任期満了を迎えます。『反安倍勢力が総裁選で勝つ』『衆院選で与党が敗れる』『国民投票で過半数に届かない』のいずれかになれば、10%への消費税増税が実施されることになるでしょう。これまで2度増税が延期されている財務省側にとっては好都合なことです。

反アベノミクス的な経済政策が実施された場合も、日本経済は、再び深刻なデフレに転落し、『失われた20年』の再来となるでしょう。歴代政権でも最高レベルになっている雇用環境も次第に悪化していくようになります。失業率が上昇すれば、自殺率が上昇し、強盗などの犯罪も増えるという統計もあり、社会不安が高まるのは避けられないことになります。

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2016年5月19日木曜日

「自衛隊は要らない」という「9条信者」が忌み嫌う『カエルの楽園』―【私の論評】護憲派だけでなく保守ですら錯誤している憲法9条!宅配ピザは違憲ではない(゚д゚)!


カエルの楽園


■自衛隊は違憲だ

5月3日の憲法記念日に合わせて、新聞やテレビなどでは憲法9条や改憲に関する話題が多く扱われた。NHKの「日曜討論」には各政党の党首、幹部が出席して議論を繰り広げていたが、中でも異彩を放っていたのは日本共産党だろう。

「自衛隊を違憲と考えるのか」という問いに対し、志位和夫委員長は従来からの自説、すなわち、同党が以前より唱えている「段階的解消」論を述べた。

これは、ごく簡単にいえば、自衛隊を「当面は維持」するが、そもそも自衛隊は「憲法9条違反」の存在なのだから、軍縮を進めて、段階的に解消する、という方針のことである。

「それで国の安全は守れるの?」という素朴な疑問に対しては、すべてのことを話し合いで解決できるような状況を外交的努力によって実現すれば、自衛隊は不要であるし、政治の力でそういう状況を作ることはできる、というのが志位氏らの主張だ。

このスタンスはかなり極端だとしても、「憲法9条のおかげで日本は平和だったが、集団的自衛権の行使容認によってリスクが高まった」という主張をする政党、識者は多い。一方で、こうした立場に対して「9条信者」と揶揄する人も少なくはない。この古典的な対立の構図はいまだ健在で、「日曜討論」でも、お馴染みの言い合いが繰り広げられていたのである。

■争うための力は不要?

こうした議論に関して、「あの小説にそっくり」という声が一部で上がっている。百田尚樹氏の新作『カエルの楽園』だ。

百田尚樹氏

同書の主な舞台は「ナパージュ」というカエルたちの国。そこには「三戒」という教えが存在していて、国民(カエル)たちは皆、それを信じている。「三戒」とは、「カエルを信じろ」「カエルと争うな」「争うための力を持つな」というもの。

ナパージュのカエルの多くは、「自分たちが平和に暮らせているのは、『三戒』のおかげだ」と信じている。

しかし、外の世界から来たカエルには、到底信じられない話なので、あれこれ聞いてみるのだが、ナパージュのカエルたちの「信念」は揺るがない。その問答の一部を、同書から引用してみよう。

「もし(他の国から)襲われたら、どうするの?」

「襲われたって争いにはなりません」

「どうして?」

「ぼくらが争わなければ、争いにはならないからです」

「たしかに争わなければ争いにはならないだろうけど、襲われたら、どうやって身を守るんだい?」

「襲われないんですから、そんな話をしてもしかたがないでしょう。この国は三戒が誕生してから、一度だって他のカエルに襲われていないんですから」

「それって、たまたまじゃないのか」

「あなたはたまたまで平和が長く続くと思いますか? いいですか、この平和はぼくらの三戒の教えのおかげなんです。それ以外にはないんです」

徹底して、ある種の「カエル」たちを戯画化した同作は、これまでの百田作品以上に賛否両論を巻き起こしている。福岡県在住の共産党の町議会議員は「立ち読み」をしたうえで、「ひどいの一言」という感想をツイッターで述べたほどである(それに対し、そもそも丸ごと「立ち読み」というのはいかがなものか、という批判も出た)。ナパージュが迎える衝撃の結末が、癇に障ったのだろうか。

一方で「これからの日本を考えさせるために、子どもに読ませておきたい」といった感想も多く寄せられており、同作は寓話ながらも、これから憲法を考える上で、一つの入り口となっていくのかもしれない。

【私の論評】護憲派だけでなく保守ですら錯誤している憲法9条!宅配ピザは違憲ではない(゚д゚)!

この小説『カエルの楽園』は、私も読みました。非常に読みやすいので、半日もあればゆっくりと読んでも、十分読めます。非常に寓意に満ちた書籍です。この書籍を読めば、現在の日本の状況はまさに「カエルの楽園」であり、いかに危険なのかが理解できます。

そうして、当然のことながら、いわゆる多くの護憲派の憲法9条の解釈がいかに危険なものであるのか、良く理解できます。ここで、わざわざ「護憲派の憲法九条の解釈」と掲載したのにはわけがあります。

とにかく、護憲派は憲法九条に書いてあるから、日本はそもそも武装はできないし、どのような場合にもそれを行使してはならないと主張します。そうして、憲法9条にそう書かれているのだから、自衛隊は違憲であると主張します。

しかしながら、私はここにはっきりと言いたいのですが、これはいくつかある憲法9条の解釈のうちの一解釈に過ぎないです。

私は、常々驚いているのですが、百田尚樹氏も憲法九条について、このような解釈しかないと考えておられるようで、ある動画では「確かに憲法九条を読めば、日本は武装はできないし、自衛隊も意見なのです」という趣旨のことを語っておられました。

これについては、ご本人に直接確かめたことはないので、いずれ確かめてみようと思っています。ただし、私の周りの改憲派の人に聞いてみたところでは、全員が「憲法9条により、日本はいかなる武力も持てないし、いかなるときも武力を行使してはならない」と解釈していました。おそらく、他の改憲派の方々も同じように考えていらっしゃるのだと思います。

『かえるの楽園』にでてくる挿絵

なぜか、日本では、護憲派はもとより、改憲派や保守派の人々の多くまでが、憲法九条の解釈は一つしかないと考えておられるようです。

しかし、これは間違いです。たとえば、Wikipediaで憲法九条と検索してみてください。Wikipediaの憲法9条の中に、第9条の解釈上の問題という項目があります。

これをご覧いただければ、憲法9条の解釈は一つだけではなく、複数あることがおわかりになると思います。

詳細は、これをご覧いただくものとして、この憲法解釈の中に、佐々木惣一氏による解釈が以下のように掲載されています。

  • 戦力限定不保持説(自衛戦力肯定説)
憲法第9条第2項は自衛のための「戦力」まで禁ずるものではないとする説。
佐々木惣一氏は、憲法学会の中でも、京都学派といわれる学派の重鎮です。残念ながら、Wikipedia にはこの一行しか掲載されていません。"・戦力全面不保持説"については、いくつか掲載されていて、若干の説明もあるのですが、"・戦力限定不保持説(自衛戦力肯定説)"については、これしか触れられていません。
これ一つとっても、日本では"・戦力全面不保持説"が圧倒的に主流であり、自衛戦力肯定説は少数派であることがわかります。確かに、自衛戦力肯定説については、ここ20年くらいは全く影を潜めて、まるでなきがごときです。
しかし、この自衛戦力肯定説は、今から30年くらいまでは、新聞やテレビ報道でも紹介されていたものです。そのため、一般の人でもこれを理解している人も存在していました。しかし、いつの間にか完璧に消えてしまいました。
この説明だけでは何を意味する説なのか、あまりにも簡素な説明で、理解不能であると思います。
これについては、以前このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
佐々木惣一の「憲法第九条と自衛権」―【私の論評】安保法制=戦争法案としてデモをする人々は、まるで抗日70周年記念軍事パレードをする人民解放軍の若者と同じか?
佐々木惣一氏
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に、元記事の田中秀臣氏の記事から一部分を引用します。
佐々木の「憲法第九条と自衛権」をめぐる主張は、まずは純法理論的に行われている。この憲法第九条と自衛権の関係については、佐々木の『憲法学論文選(三)』(有斐閣)を中心に収録されている。ここでは、以下の著作から引用しておく。 
「国際関係複雑を極め,諸国間の対立激甚を極める今日,いかなる場合にも,いかなる国家よりも,侵略をうけることがないとは限らぬ。そういう場合に,国家としては,自己の存在を防衛するの態度をとるの必要を思うことがあろう。これに備えるものとして戦力を保持することは,国際紛争を解決するの手段として戦力を保持することではないから,憲法はこれを禁じていない。このことは,わが国が世界平和を念願としている,ということと何ら矛盾するものではない。これは,今日いずれの国家も世界平和を希求していること,何人も疑わないにもかかわらず,戦力を保持しているのと同じである。」(佐々木惣一『改定 日本国憲法論』)。
これらの佐々木惣一の解釈をもとに、憲法9条を読みなおしてみると、確かに、憲法9条は国際紛争を解決する手段として、戦力を保持することははっきりと認めていませんが、集団的、個別的を問わず、自国の防衛をすることまでは、はっきりとは否定していません。

皆さんも、もう一度憲法9条を読みなおして見てください。憲法9条には、自国の防衛のための軍備もするなとか、自国の防衛のために武力を行使できないと、はっきりと明示はされていません。

ということは、自衛のための軍備はしても、行使をしても良いという解釈は成り立つものと思います。

しかし、これは今の日本の東大を頂点とする日本の主流の憲法学会の憲法解釈とは明らかに違います。

そうして、この解釈は、佐々木惣一氏自身が述べているように、どんなに憲法解釈が純法理的にすばらしくても、現実に平和が維持されないでは意味をなさないのです。そこに佐々木の平和主義的な立場が濃厚に表れています。現在の安保法制議論でも単なる憲法学者の「違憲」表明だけで法案の現実政策的側面が忘却されがちですが、その点を合わせて考えると、佐々木氏の視点はいまも鋭いです。

いずれにせよ、以下に少数派ではあれ、憲法9条の解釈は唯一無二でないことだけは確かです。

自衛隊は合憲であるという憲法解釈も存在する
そうして、多くの人々は、あまりにも"・戦力全面不保持説"を刷り込まれてしまっていると思われるので、以前も掲載したことなのですが、以下に再度"戦力限定不保持説(自衛戦力肯定説)"も憲法解釈として十分成り立ち得ることを示す事実をいくつかあげておきます。

まず、自衛に関しては、国際連合の憲章にも、独立国に認められる当然の権利であることが掲載されています。

さらに、ほとんどの国々の憲法典(文章化された憲法)には、自衛に関しては集団的自衛権、個別自衛権にかかわらず、当然の権利であるとして、わざわざ憲法典に盛り込んでいません。憲法に書かれていないのですが、当然の権利として、行使できるものとしています。

さらに、日本の護憲派は、集団的自衛権については、これを認めると戦争になると主張しますが、これも本当に正しい見方であるのか、はなはだ疑問です。なぜなら、たとえばドイツには個別自衛権が認められていません。あくまで、NATOの管轄下での集団的自衛権しか認められていません。なぜかといえば、ドイツの個別自衛権を認めてしまえば、ドイツ一国で戦争を始めることができるという理由からです。

こんなことを掲載すると、護憲派の方々の中には、憲法9条に書かれていない、自衛権など行使できるはずはないと反論されるかもしれません。

しかし、そんな反論に対しては、以下のような反論をさせていただきます。

上記のような主張をする人は、「憲法典にはピザのことが書かれていない、よって宅配ピザの注文は違憲である」と主張しているのと何も変わりありません。全く非合理的です。もし、憲法に書いていないことを実行すれば、すべて違憲というのであれば、私たちは、そもそも憲法にしたがって生活することはできません。

宅配ピザを注文するのは違憲?


憲法9条の解釈は、このように"戦力全面不保持説"だけではなく、"戦力限定不保持説(自衛戦力肯定説)"も存在しているのであり、この解釈も十分に成り立つものです。

この解釈に従えば、そもそも自衛隊は違憲ではないし、自衛に限るならば、自衛隊が武力を行使することも違憲ではありません。そうして、集団的自衛権の行使も無論のこと、違憲ではありません。

この解釈をもっと多くの人々に広めるべきと思います。

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