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2017年9月9日土曜日

北朝鮮が教えてくれた「9条改正」の必要性―【私の論評】日本も安全保障面での変化の担い手になることを目指せ(゚д゚)!

北朝鮮が教えてくれた「9条改正」の必要性

スイスより60年遅れで、あたふたする日本

水爆の容器される装置を視察する金正恩朝鮮労働党委員長。
国営朝鮮中央通信(KCNA)配信(撮影日不明、2017年9月3日配信)
8月下旬、市内の広場で日本共産党が街頭演説を行っていた。

 7月の都議選以来、久々の街頭演説で、当然のことながら北朝鮮の核実験や日本上空を通過したミサイル発射に対する抗議かと思いきや、何と加計学園問題の徹底究明の訴えであった。問題意識の錯誤で国民誤導もいいところだ。

 共産党は国民の賛同を得て、政府をつつき政局にできるとみてのことであろうが、国民の生命・財産を蔑にするのもいい加減にせよと言いたい。いま喫緊の課題は、北朝鮮の核・ミサイルおよび炭疽菌などの生物兵器やサリン・VXなどの化学兵器の防御と対処である。

 国民保護法はあるが国民のほとんどは無関心で、普及も訓練もほとんど行われていない。安保法案審議を戦争法案と喧伝し、実のある論戦をしなかったからである。

 スイスよりも60年遅れの日本

 スイスは中立国で民主主義を基調とするが、国民皆兵で軍の民主化を排斥し、命令指揮は軍にとっての必須の要件であるとし軍規の厳正を要求している。

 特に国会議員には将校出身者が多く、中でも軍事委員会は世界のどの国の国会議員よりも軍事のエキスパートであると自認し、政治優先を実行している(杉田一次・藤原岩市共著『スイスの国防と日本』)。

 そのスイスは1956年のハンガリー動乱でソ連の行動に深刻な衝撃を受け、翌57年の人工衛星スプートニク打ち上げで、核攻撃が現実的になったとして核武装も念頭に国防強化の必要性を痛感し再検討を始める。

 そして、1959年に国民そして兵士として、国家を守るため準拠すべきことを細説した384ページの『兵士読本』を公刊し、各家庭に配布した。

 『兵士読本』は、憲法の骨子となる10か条(①スイス人は法の前に平等 ②スイス人は防衛の義務がある ③信仰と良心と自由は侵されない ④新聞の自由は保証される ⑤憲法はいつでも全部または一部を改正できるなど)とともに、原子兵器による戦争、化学兵器による戦争、生物兵器による戦争を写真や図解で分かりやすく説明したものであった。

 10年後の1969年には、ソ連のチェコ侵攻に刺激され、『民間防衛解説書』を発刊して全家庭に配布する。

 「読本」は大量破壊兵器の危険性を解説するものであったが、「解説書」は大量破壊兵器が使用されることを前提に、シェルターの建設基準や教育・訓練について具体的に示したものである。

 非核3原則を堅持する日本は、領土内で核が使用されることはないと思い込んできたが、戦争やテロ行為などには想定外はつきものであるという視点が欠落している。日本がいくら非核3原則を呼号しても、相手がその意を汲んで核(や生物・化学)兵器を使用しないという保証はない。

 いま、北朝鮮の核・ミサイル兵器の脅威に直面して避難訓練などが始まった。核爆発の場合は閃光や火球を見ないことが大切だし、シェルターや窓なしビルなどに少なくも24時間いることが必要としている(グアムの訓練状況から)。

 しかし、日本にシェルターはないし、窓なしビルなども容易に見つかるわけではない。放射能残留などに対処するためには、24時間どころか、数日や数週間、さらには数か月単位での避難さえ必要であろうが、政治家をはじめ、国民の誰一人としてそうした考慮をもって行動した人はいないであろう。

 日本には憲法9条があり、戦争とは無関係な特殊な国といった思いから学校教育などで「戦争=悪」として、戦争や武力行使について考えることを排除してきた。国際社会の現実に目を向けない最大の欠陥が「日本国憲法」に由来していることは言うまでもない。

 福島議員や共産党の出番では?

 安保法案の審議で、政府は特定の国名こそ挙げていなかったが、シーレーンや尖閣諸島防衛、さらには近隣諸国の核を含む大量破壊兵器やミサイルの脅威などを前提にして、法制の不備を改定しようとしていた。

 しかし、野党委員がそうした問題意識をもった質問を一向にしないため、政府は答弁することができない。与党も国民も、「3対7」の比率で多く割り当てられた野党の時間的優勢による違憲論戦に気圧されて、現実的な脅威を見据えた議論が放擲され、憲法の神学論争という不毛に終わった。

 中でも記憶に残るのが社民党前党首、福島瑞穂議員の発言である。

 氏は折に触れ9条に関して、「9条がなければ戦争ができる国になっていた。韓国の若者がベトナムに従事したように日本も戦争に若者を送ったはずだ。韓国軍はベトナムで憎まれている。戦後の日本が戦争で人を殺さなかったことは誇っていい。日本が今後、米国の利害に引っ張られて戦争への加担を強いられた時に、〝No″と断れるのが9条の効用だ」と述べている。

 また、「他国からの攻撃にはどう対応するのか」という問いに対しては、「9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるとは思えない。攻撃する国があれば世界中から非難される」と語っている。

 北朝鮮が脅威であることに変わりないが、シーレーンや領土、ガス田開発など多面的な問題を抱えている中国が日本にとってより大きな脅威である。ただ、眼前の差し迫った脅威が北朝鮮であるので、取り敢えず焦点が北朝鮮に向くのは当然である。

 日本は北朝鮮を食料などで支援こそすれ、何ら敵対行動をとったことはなかった。

 しかし、無辜の若者数百人を拉致し、今また核やミサイルで日本に脅威を与えている。福島議員が政治家として信念と責任感を持っているならば、9条を有する日本を窮地に陥れる北朝鮮を諫めてほしい。

 共産党の志位和夫委員長は安保法制成立後の2015年11月、テレビ東京の番組で「北朝鮮、中国にリアルの危険があるのではなく、実際の危険は中東・アフリカにまで自衛隊が出て行き一緒に戦争をやることだ」と述べていた。

 その後、北朝鮮が核実験を行うと、「核実験の強行は地域と世界の平和と安定に対する極めて重大な逆行だ。暴挙であり、厳しく糾弾する」との談話を出すが、安保法案審議時の国際情勢に対する認識が間違っていた証左である。場当たり的な談話は、加計問題の街頭演説にまで通底している。

 イージス・アショアは数年前に検討

 共産党は日米安全保障条約を国民感情から破棄するという。しかし内閣府の世論調査では8割以上が日米安保は日本の安全保障のために有益な条約と考えている。共産党の主張は欺瞞である(「産経新聞」平成28年11月11日付、岩田温氏「iRONNA」)。

 国民の権利や人権を守るためには、行政府の暴走を食い止めなければならない。そのために人類が考案した1つの偉大な防御策が、憲法によって行政府の暴走を食い止めようとする立憲主義である。

 共産党は違憲とみる自衛隊を国民が必要と認めているという理由から、存在を認めるという矛盾を包容している。岩田氏はこれこそが立憲主義を否定するもので許すことはできないという。

 社民党の空想的平和主義や共産党の欺瞞と矛盾で、長年日本の安全保障が損なわれてきた。自民党などにも、社民党や共産党を隠れ蓑に、9条問題や軍事問題、中でも核兵器に対する議論(非核3原則から保有の是非論まで)を避けてきた節がある。2年前の安保法案審議では論議の入り口にも至らなかったと言わざるを得ない。

 核・ミサイル対処や敵地攻撃能力問題など議論にも上がらなかった。8月17日、ワシントンで行われた日米外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2+2)ではイージス・アショアの導入を検討することになったが、これは既に数年も前にも話題になっていたものである。

 当時決着し、国民保護法に基づく訓練なども徹底して実施していれば、今回見るような国民の不安も相当に軽減されたのではないだろうか。問題が先鋭化してからしか行動しないようでは抑止力にならない。

 「ローマは一日にして成らず」の諺通り、防衛体制の確立は一朝にできるものではない。安保法制に反対した政党や国民は、今こそ反省すべきではないだろうか。懸案が起きて防護用の装備を買いつけるという対処は経費的にも高価につくし、防衛計画に立脚する資源の有効活用の視点からも相応しくない。

 少数野党に譲歩するのは美徳の場合もあろうが、こと安全保障に関しては9条が機能しないことが明確になった。また、自衛隊が軍隊でない故に日本の安全のために持てる力を存分に発揮できない。

 国民の安全や日本の防衛のために行動したことが、場合によっては殺人行為や殺人犯などとして扱われかねない現実は早急な改善が必要であろう。

 「想定外」が当たり前

 北朝鮮は、7月4日のICBM発射後、次は島根・広島・高知県上空を通過してグアム島周辺を狙うと発表した。日本は急遽「PAC-3」を上記3県と愛媛県に配備した。しかし、同月28日の発射は4日同様にロフテッド軌道で日本海への落下であった。

 ところが、8月29日早朝には襟裳岬上空を通過して東方1180キロの太平洋上に落下するミサイルを発射した。また、9月3日には、強化原爆(水爆?)と思われる核実験を行った。

 そもそも、兵器が脅威であるためには、どこに落下するか分からない想定外の奇襲性が重要である。従来の予告発射はミサイルが計画通りに飛翔可能であるという示威であり、また日本の防衛体制や国民感情などを注意深く見守っていたということでもあろう。

 日本も、北朝鮮の事前予告をあてにするかのように、PAC-3を沖縄や中国・四国地方に移動配備することができた。軍事の常道にあるまじき状況に安穏としてきた日本であったのだ。

 従って、29日の予告なし(時間や経路)の不意急襲的発射は、日本中を混乱させた。そして9月3日の核実験は、「想定外」が軍事の常識であるということを改めて認識させた。

 PKO派遣などでは想定内での任務付与でしかなかった。手綱を緩めると、自衛隊は何をするか分からないという危惧を政府や防衛省内局が有していたからであろう。シビリアン・コントロールを自ら信じない撞着であったということであろうか。

 想定外を考えようとしないで、「これだけをやりなさい」(ポジティブ・リスト)という任務で外国に派遣された部隊は、時間や能力などあらゆる面から現地の要望に対応可能であるが、任務にない(行えば命令違反)ということで相手国などを失望させてきた。

 いま、国内において想定外を目の当たりにしている以上に、外国に派遣された部隊には「想定外」が頻出することは容易に想像がつく。そこで、外国の軍隊では現地指揮官が柔軟に対応できるように、「絶対やってはいけないこと」(ネガティブ・リスト)を示すようにしている。

 自衛隊はこれまでの経験で証明されているように、外国軍隊以上に規律正しい。幹部はもちろん、一般隊員に至るまでシビリアン・コントロール下の自衛隊であることを理解している。

 そこで、効果的に任務を完遂し、かつ国際社会の理解と評価を高めるためにも、派遣部隊にはネガティブ・リストでの任務付与が望ましいのではないだろうか。

 おわりに

 日本のあちこちで見かける「非核平和都市宣言」の文言に筆者は疑問を抱いてきた。国家レベルのこの種宣言の意義についても大いに議論すべきであると思っているのに、一地方都市が非核平和宣言をしてどういう意味があるというのだろうか。

 地方都市が掲げるべきことは、核や生物・化学兵器などの大量破壊兵器に対して国民保護法などに基づく対策をしっかりやっているという意味での「防護都市宣言」くらいではないだろうか。

 その場合、当然のことながら、住民の半分くらいは収容できるシェルターなどを整え、数週間から数か月の生活物資を完備している必要があることは言うまでもない。こうした準備がほとんどされない非核平和都市では、住民を何ら守ることはできないであろう。

 憲法9条があるから日本を攻める国などないという空理空論から脱却して、今こそ、主権・領土・国民を守るため、現実に根を張った議論をすべき時である。

 9月1日は「防災の日」であるが、天災に備えるだけではなく、拡大して外国の脅威への備えも必要になってきた。そのために、例えば「国民保護の日」として、施設の整備や訓練内容の拡充などを図ってはいかがであろうか。

【私の論評】日本も安全保障面での変化の担い手になることを目指せ(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事にもあったように、確かに安全保障に関してスイスに見習うべき点は、多いです。第二次大戦当時、中立国宣言した国で侵略を免れたのはスイスだけです。中立宣言したベルギー・オランダ・ルクセンブルグ・デンマークすべてナチスに侵略されました。これは、中立国宣言など侵略者の前には役にも立たないという事例です。安全保障の基本は、国民の国防意識と軍事力です。

2013年 外務省のHPより

永世中立国として知られるスイス連邦は、ヨーロッパにある連邦共和制国家です。首都はベルンで、国内には様々な国際機関の本部が置かれています。地図を見ても分かるように周りを多くの国に囲まれ、歴史上、様々な戦いを繰り返してきました。

そんなスイスが永世中立国として、世界に認められたのは、1815年のウィーン会議においてでした。スイスは現在、どの国とも軍事同盟を結んでおらず、1815年以降1回の短期的な内戦を除いては、戦争に参加していません。日本では、非武装中立国と思われることも多いスイスですが、武装独立、徴兵制を国防戦略の基本にしています。

スイスは、職業軍人と予備役からなる国軍を有しており、有事の際には、焦土作戦も辞さないという意思を表明しています。国防の為に、徴兵制を導入しており、20-30歳の成人男子に徴兵の義務が課せられ、女子は任意になっています。

そのため、多くのスイス国民は予備役として各家庭に自動小銃が貸与されています。2007年からは、自動小銃の弾薬は軍で一括管理されているが、依然として銃が簡単に手に入りやすい社会になっています。

2013年には、「徴兵制の廃止」についての国民投票が行われましたが、反対多数で否決されました。一部では、徴兵制の廃止を求める声があるものの、国民の多数が徴兵制を支持しています。

スイスと日本で大きく違う点は、自国の防衛能力だけで国民を守れるかという点です。スイスはどの国とも軍事同盟を結んでない一方で、徴兵制を採用し、自衛の為の軍事力を保持しています。

国民は、その大多数が国防の為に自ら軍人や予備役になることを望んでおり、国民1人1人の国防に対する意識の高さが伺えます。また、スイスは、国内に多くの国際機関の本部が置かれていることが、戦争に巻き込まれるリスクを回避していると考えらています。

日本では軍事力を持つことを憲法で禁止されており、自衛隊を自衛の為の最小限度の力として保持しています。米国と安全保障条約を結び、国の安全を米国と協力して守ろうというスタンスです。

軍事力の放棄で、世界に平和が訪れることが一番の理想であることは言うまでもないのですが、現実を見ればそうはいきません。

スイス軍の女性兵士
このスイスは、ご存知のように核武装をしていません。しかし、過去においては熱心に核武装をすすめていたことがありました。

広島・長崎に投下された原爆の驚異的破壊力に驚いたスイス政府は1946年核エネルギー研究委員会を設置しました。

表向きは核の平和利用ですが、真の目的は核武装でした。スイスはチェコからウランを買おうとしますが、同国の共産化で不可能になります。(1946年)次に国民党政権下の中国とウランの採掘を始めますが同国の共産化でこれも不可能になりました。

1950年には西ドイツから100kgのウランを買います。(キロ当たり三万ドルとかなり高額な取引だった)。次に英国と交渉し1955年までに精製されたウラン10tを買います。

フランスからはミラージュ戦闘機を買うという名目でウランを買おうとしたために疑獄事件にまで発展しました。

1956年のハンガリー動乱でWP(ワルシャワ条約機構)の脅威に怯えたスイスは核兵器開発に本腰を入れ始め、1962年のキューバ危機で拍車が掛かりました。

1962年、スイス国民は「スイスへの核配備禁止」の国民投票を否決します。

このあたりの対応は、日本とは全く異なります。

この他にスイス政府は自主開発よりももっと手っ取り早い方法である、外国との共同開発や核兵器の購入も模索しました。

当時同様に核兵器開発を進めていたスウェーデンと接触し共同開発を持ちかけています。
スウェーデンは1940年代後半から核武装計画を始めていて、結局冷戦の終結によってその計画を放棄するまでに原子炉や核爆弾まで秘密裏に作ったり、核実験場所を決めていたりしてはいたようですが、それ以外は実験段階だったようです。

スイス政府はこれらの他に仮想敵国であるソ連から核爆弾を買えないかという検討までしていました。これは、荒唐無稽なようですがスイス政府はなりふり構っていられなかったのでしょう。

スイス政府と参謀本部は64~67年にかけて青写真を描き、科学者も実績を重ねていきました。

最初の計画では投下用の核爆弾(50~100Kt)を50発を製造し、核実験についてはスイス国内で半径2~3kmの地域を封鎖して地下核実験する予定だったようです。

68年には5ヵ年計画として纏められ、それは以下の要領でした。

最初の5年間 50Kt核爆弾100個 10Kt誘導ミサイル50基

次の5年間 20Kt核爆弾80個 20Kt誘導ミサイル25基
1~2Kt核砲弾25個

最後の5年間 200Kt爆弾20個 5Kt~20Kt誘導ミサイルを50基と25基
1~2Kt核砲弾25個

核爆弾と核砲弾は爆撃機と砲兵隊に配備する。誘導ミサイルはその部隊8隊を創設する
調達期間は15年 ウランを使った場合は年間1億~1億7千500万スイスフラン、プルトニウムを使った場合は1億8千万~3億8千万スイスフランの予算でした。

NATOがソ連に対抗して西ドイツ国内に配備した巡航ミサイルが464基でしたから、スイス独自で150基のミサイルを配備しようとした計画は大規模なものてであったといえます。

使用する状況としては、ソ連軍がもしもスイスを占領した場合、フランスはスイス国内のソ連軍に核攻撃を加えるだろう。それを阻止する為にはソ連軍がスイス国境を越える前にソ連軍を核攻撃して覆滅するしかないというシナリオでした。

つまりはオーストリア方面で使うことを想定していたようです。プルトニウムは重水炉から抽出する予定で、重水炉は既に稼動していました。

スイスは核攻撃にあっても全国民が避難するのに十分な数の核シェルターを保持しています。
なお、世界で最も大きな核シェルターはSonnenbergトンネル(写真)とのことです。
77年には中性子爆弾の研究を始めます。中性子爆弾とは小型の水爆で、爆発力を小さくしつつ放射線を強化した爆弾です。破壊を最小限に留め、生物だけを殺す事に最も適した爆弾といわれています。このようにスイスは着々と計画を進めました。

1968年に問題が持ち上がりました。NPT(核拡散防止条約)の問題です。スイス政府は国防省の反対を押し切り、77年に同条約を批准しました。

しかし政府は隠れて核兵器開発を進めました。名目にされたのが西ドイツです。スイスは「何時か西ドイツは核武装するだろう、そのときはスイスも核武装する」として何時でもそれが可能なように研究を続けました。

ドイツを出汁にして研究を続けますが仮想的はソ連です。85年にはその事実が西ドイツに漏洩して外交的に一悶着ありました。

スイスが核武装を正式に諦めたのは冷戦終結によって敵が居なくなってしまったからです。87年「スイスは核武装を行わない」宣言を出し、88年に正式に核計画の廃棄に至ります。スイス政府は核兵器計画の文書を95年に公表しました。

しかし、スイスは今でも准核保有国と見て間違いないでしょう。かつてのソ連のような軍事独裁国が欧州に出現した場合には、再び核開発が再開されて核実験・核武装を実現することでしよう。

日本のように、すぐ近くに核保有国ができた場合は、ためらわずすぐに核武装することでしょう。

昨日を捨てることなくして、明日をつくることはできません。しかも昨日を守ることは、難しく、手間がかかります。組織の中でも貴重な資源、特に優れた人材を縛りつけられます。

1980年代半ば以降、少なくとも企業の世界では、変化への抵抗という問題はなくなったようではあります。内部に変化への抵抗があったのでは、組織そのものが立ち枯れになるしかありません。こうして、変化できなければつぶれるしかないことは、ようやく理解されたようです。これは、今や日本でも当然のこととして受け入れられるようになったようです。

しかし、変化が不可避といっても、それだけでは死や税のように避けることができないというにすぎないです。できるだけ延ばすべきものであり、なければないに越したことはないというにとどまります。

変化が不可避であるのならば、自ら変化しなければならないのです。変化の先頭に立たなければならないのです。変化をコントロールできるのは、自らがその変化の先頭に立ったときだけです。特に、急激な変化の時代に生き残れるのは、変化の担い手となる者だけです。

当然、変化の担い手たるための条件が古いものの廃棄です。成果が上がらなくなったものや貢献できなくなったものに投下している資源を引き揚げなければなりません。

変化の担い手たるためには、あらゆる製品、サービス、プロセス、市場、流通チャネル、顧客、最終用途を点検する必要があるのです。しかも、常時点検し、次々に廃棄していかなければならないのです。

イノベーションはもちろん、新しいものはすべて、予期せぬ困難にぶつかります。そのとき、能力ある人材のリーダーシップを必要とします。すぐれた人材を昨日に縛りつけていたのでは、彼らに活躍させることはできません。

これは、企業の世界の話ですが、国レベルでも同じことです。

上記で述べたように、スイスは変化の担い手として、核兵器の開発に取り組みました。しかし、ソ連という現実的な敵がいなくなった途端、核兵器の中止に踏み切りました。しかし、先にあげたように、スイスはかつてのようにソ連のような敵が現れたら、いや、現れそうになったらすぐに核兵器の開発を始め、核武装をすることでしょう。

日本とスイスを比較して、いずれが安全保障において、変化の担い手であるかといえば、無論スイスです。日本は、今のままでは変化の担い手になることはできず、そのために現在重大な危機に直面しています。平和は憲法9条によってもたらされるのではありません。スイスのように変化の担い手になることによってのみもたらされるのです。

日本も、そろそろ安全保障面での変化の担い手になることを目指すべきです。

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