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昔の友人を探したり共通の趣味を持つ者同士が集まったりと、Facebookの活用方法はいろいろあるが、二度と会えないだろうと互いに思っていた親子の再会の場にもなるようだ。
イギリス人のダニエルさん(22)は生まれてすぐに養子として引き取られた。自分が養子であることは知っていたが、生みの親の顔を覚えているはずもなく、再会することなど不可能だと諦めていたという。
そんな彼がある日、ちょっとした怪我を負い病院に行くと、彼の出生に立ち会ったという看護師に出会った。当時彼女は研修生で、赤ん坊が養子として引き取られていく場面に立ち会ったのも初めてだったため、その時のことを鮮明に覚えており彼の名前も記憶に残っていたそうだ。
ダニエルさんの母親は本当は彼を養子に出したくないと思っていたこと、しかし当時18歳ですでに子どもが一人いたため、二人目のダニエルさんをちゃんと育てていくことができないと判断したことなどを看護師から聞き、彼の母に会いたいという気持ちは募っていった。
さらに看護師は彼が生まれた病院の名前なども教えてくれ、それらの情報から母親の名前を知ったダニエルさんがFacebookでその名前を検索してみると、たった一人だけ該当者がいたそうだ。彼はすぐにその女性にメッセージを送ってみた。
「突然で申し訳ございませんが、あなたは私の母ではないでしょうか。私を覚えていますか」。
三日後、女性からの返信が届いたとき、彼は涙が止まらなかったという。
「あなたは私の愛する息子よ」
翌日、二人は22年ぶりの再会を果たし、ダニエルさんは実の兄にも会うことができた。彼らはFacebookにとても感謝しているという。
(ロケットニュースより)
【私の論評】実名だからこそのこんな奇跡がある!日本のネット社会の完全匿名性は何をもたらすのか?
上の記事本当に感動的です。私も、これほどではないですが、以前当社に勤務していた人と、facebookで数年ぶりで連絡がついたということがあります。このかたは、海外に行っていることが多いようで、消息がわかったときも、デンマークにおられて、しかも、その2週間後には、台湾に行かれるというような、大忙しでした。
こんなに忙しいかたなのに、試しに、言ってみたところ、当社の商品など買っていただくことができました。こういう方だと、普通ではなかなか連絡などつかないものですが、やはり、実名のFacebookです。今後も、音信が絶えることはないでしょう。
このようなことは、facebookでは、よくあることのようです。facebookでも、そのことは良くアナウンスされています。こういう特性があるからでしょうか、企業が用いるSNSは圧倒的にfacebookが多いようです。
それは、当然のことだと思います。いろいろな告知などのサービスを行ったとしても、その相手がはっきりしなければどうしようもありません。中には、性別、年齢まで偽ってソーシャルサービスを使っている人もいるそうですから、本当にあてになりません。
それに、もっと重要なことは、facebookの中を流れる情報は、素性の明らかな情報というだけではなく、個々人の身の丈にあった情報であるということです。身の丈にあった情報の意味は、以前にこのブログに掲載したことがあります。そこから、下にその部分を抜粋してコピペしておきます。
私自身は、極度の匿名性のネット社会は、ただの時間つぶしであり、ほとんど益もないと思っています。しいて、あげれば、誰でも手に入るような情報を得ることと、時間つぶしです。ソーシャル・メディア以外のメディアだけで有益な情報やましてや知識が入ってくることはまずありません。
本当に有益な情報や、知識は、人を介して入ってくるものです。ソーシャルな機能を排除した、ネットから入ってくるのは、情報でも、知識でもなく、単なるデータにすぎないと思います。これをただ眺めている限りは何もおきません。
ちなみに、ここでいう知識とは、仕事に適用できる情報という意味です。從來、知識という言葉は、情報と同じように受け取られていた時期があります。しかし、現在では知識の意味が変わってきました。現在では、知識は、実務的に仕事に適用できる情報という意味に変わってきています。從來の、本に書かれてあるような内容は、情報といいます。いわゆる、物知りの物の意味です。
データに関しては、いくら集まっても、結局は、それを分析・整理・統合しなければ、情報や知識とは成り得ません。これから、ネットの世界で、匿名を頑なに守り続ける人にとっては、有益な情報や知識を自分の身の丈に入ってくるチャンスをみすみす、逸することになります。
この身の丈というところが重要です。たとえば、大学院レベルの生物学を学ばなかった人にとって、生物学のテキストそのものは何の意味ももたないかもしれませんが、特定の生物の分野の持つ意味が、特定の人にとっての意味などは、ソーシャル・メディアなどからもたらされる情報から入ってくる可能性は高いです。そうして、その持つ意味が、あなたの仕事に決定的な大きな影響を及ぼす可能性もあります。
いまや、いわゆる業界の知識は、業界内からもたらされるのではなく、他の分野からもたらされることがほとんどです。たとえば、ITの世界でも、IBMは、DNAの自己増殖機能を活用した、電子回路の開発を手がけていますが、これは、従来の電子工学などの分野からではなく、生物学の分野からもたらされた、知見にもとづき、開発しています。現在では、このようなことは当たり前のことになっています。自分の属している業界の情報や、知識だけでは、もはや、新たな展開は期待できないのです。私たちは、検索エンジンなどで、いろいろな情報を検索しますが、それだけだとなかなか自分の身の丈にあった情報が得られないことは皆さん良く経験されていると思います。やさしすぎたり、難しすぎたり、あるいは、自分の求めているものとは観点が違ったりします。上の事例には、出てきませんが、たとえば、経済の話一つとっても、マクロ経済学をある程度わかる人が、マクロ経済学を全く理解しない人と話をしてもおそらく、何も新たな知見は、得られません。とはいいながら、マクロ経済学の専門家と話をして、そこで、いきなり、数理経済学の微分方程式の話などだされても、困るわけです。
それに、自分の探していた情報にあたったにしても、やたらと情報量が多くて、骨子が見えないとか。これは、みんな、その情報が「身の丈にあった情報」ではないからです。しかし、facebookの情報は、人を介してはいってくるので、ある意味では、直接会って話をしているのと近い情報交換ができます。いろいろな人と直接会えれば、良いのですが、普通の人は時間が限られていますから、大勢の人と、直接会う機会などあまりありません。普段は、せいぜい会社の人や家族や身の回りの人ということになりす。
しかし、facebookなどのような実名のソーシャルメディアはそれを乗り越えて、「身の丈にあった情報」を私達にもたらしてくれるというわけです。人は、基本的に会話のやり取りをします。そのやり取りのためには、相手を良く知らなければなりません。相手を知れば、相手の知りたがっていことで、自分の知っていることは話し、相手の興味のないこと、あるいは、相手がその話を理解するための前提知識などを持っていないことなどは、あまり話さないのが普通です。これと似たようなことが、facebookなどでは期待できます。しかも、ネットであることから、時間や距離の制約を超えて、より多くの人と情報を交換できる可能性が高まります。
上の親子の事例も、まさに、facebookで、本当にこの親子にピタリと「身の丈にあった情報」が交換できた事例、それも、これほどまでに、「身の丈」にあったものは他にはないのではないかと思われるほどの事例だと思います。
さて、Google+は、どうなるのでしょうか?私自身は、まだ、これを使えていませんが、なかなか興味深い機能が満載のようです。私が、推測するに、これは、私のいうところの「身の丈にあった情報」を得やすいのではないかと期待しています。
それにしても、こうしたソーシャル・メディアが台頭していくなかで、日本のように完全匿名性が当たり前になている社会は、いかがなものかと思います。facebookのような完全実名が前提となっていれば、素性がバレバレで犯罪者も活動しにくいでしょうし、上記のように本当に「身の丈にあった情報」がときには、上記のような感動的な出来事を起すこともありえますが、完全匿名の世界は、単なる時間つぶし以外の何ものでもないと思います。
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