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2014年7月8日火曜日

30年以上前、現代に警鐘を鳴らした男がいた。その人の名は……【私の論評】糸井重里氏をはじめとするコピーライターはもとより、変化を厭う、変化したくないというのなら、誰もが第一線から退くべきだ(゚д゚)!

30年以上前、現代に警鐘を鳴らした男がいた。その人の名は……

今、30年以上前に作られたキャッチコピーがTwitterやネット上で話題になっています。どうして今頃になって? と不思議に思われるかもしれません。その理由は、キャッチコピーをご覧になればすぐにお分かり頂けるでしょう。



これは、雑誌『広告批評』1982年6月号に収録された作品。作者はあの有名なコピーライター、糸井重里さんです。確かにこの内容、集団的自衛権の閣議決定などが物議をかもしている最近の世相にあったものと言えます。

昔の王様は戦争の際、最前線に立って指揮を執ったり、戦ったりするのが当たり前でした。だからこそ一介の兵士の痛みが分かり、だからこそ兵たちは王を信じて付いていけたのです。命の重みというのは、自らが命を危険に晒している者にだけ理解できるものでしょう。エアコンの効いた安全な部屋では、決して命の重さは分かりません。

『まず、総理から前線へ。』  このキャッチコピーを読んで、あなたはなにを考えますか?

【私の論評】糸井重里氏をはじめとするコピーライターはもとより、変化を厭う、変化したくないというのなら、誰もが第一線から退くべきだ(゚д゚)!

上のキャッチコピーを見ていると、隔世の感がします。当時といえば、まだ冷戦時代で、米ソともに超大国で、ある意味では世界秩序は単純でした。しかし、この世界秩序も長続きはしませんでした。ソ連崩壊とともに、この秩序は崩れ、現在の世界は新たな秩序を求めて模索している段階です。

糸井重里氏

糸井氏も現在なら、このようなコピーは世には出さないでしょう。キャッチコピーは、多くの人々の耳目を寄せ付けなければなりませんが、多くの人々の反感をかってはいけないからです。現在なら、まず間違いなく反感をかってしまうことでしょう。

上のキャッチは、30年前には日本国内では、物議を醸し多くの人々の耳目を寄せ付けたにしても当然と受け止められていたと思います。ツイッターでは、上のキャッチをもじって、以下の様なキャッチが流布されています。私も、このキャッチをリツイートしました。



糸井氏のあのキャッチから30年経過した現在、特にこの5年ほどで、随分日本も変化しました。

そもそも、集団的自衛権の行使など、いくら導入したくてもできなかったのが30年前であり、この状況はこれからもずっと続くと思われていました。

それに、当時はソ連など永遠に崩壊することなどはないと考えられていたと思います。私が大学を卒業した直後にソ連は崩壊しました。大学の卒業式の時に、卒業後はJICA(国際協力機構)のボランティアをすることが決まっていた友人となぜかソ連の話になり、私が「ソ連は近いうちに崩壊する」という話をしたところ、その友人は「そんなことは絶対にあり得ない」と語っていました。

その友人は、ソ連不滅を頑なに信じていたので、私はこの話をしても無理だと思ったので、適当にお茶を濁して話題を変えました。ソ連崩壊に関しては、当時様々な情報が飛び交っており、その頃あまりものを知らなかった私でさえ、少なくとも20世紀中には崩壊すると思っていました。

この友人以外にも周りの人に話を聴いてみても、ソ連崩壊を本気で考えていた人はあまりいませんでした。

ソ連崩壊にともない撤去されたレーニン像に向かい語りかける人

しかし、現実のほうがはやく、すぐにソ連は崩壊してしまいました。

しかし、ソ連崩壊などあり得ないと大多数の人が思っていたまさにその時に崩壊したという事実を忘れるべきではありません。

いわゆる戦後体制(戦後レジーム)もあれから随分時が経っています。ソ連が崩壊し、世界秩序は随分と塗り替えられました。東欧諸国の共産主義体制もすべて崩れました。

しかし、ソ連崩壊後において結果として日本は何もしなかったためというかできなかったため、アジア地域の冷戦体制はそのまま温存されてしまいました。中国、北朝鮮の体制は何も変わらず、アジア地域の不安定要因になっています。

日本は、戦後70年もたっているというのに、未だに戦後体制(それも第二次世界大戦の戦後体制)にがっちりと組み込まれていて身動きができない状態にあるように見えます。

30年前であれば、集団的自衛権の許容などということを言い出した総理大臣は国民からも糾弾され、アメリカなどを含む第二次世界大戦戦勝国からもかなり糾弾されたと思います。しかし、もうそうではありません。

この変化を見逃すべきではありません。

いわゆる戦後体制もソ連のように、崩壊しはじめたら、意外にその完全崩壊はやくなる可能性が大です。

その、条件は揃いつつあります。まずは、ソ連は崩壊して、現在では小国になってしまったこと、アメリカもアメリカ一極体制を目論見大失敗しており、巨大な軍事費に悩まされるようになってきました。

ソ連崩壊により、ソ連の脅威がなくなった中国は、海洋に進出しつつあり、それが東シナ海や、南シナ海での衝突につながっています。

現状では、中国では、経済が破綻しかけていますし、暴動が毎年平均10万件も発生すると推定する専門家もいるくらいで、このままの状態が続けは、中国も旧ソ連と同じように崩壊すると思います。

中国の海洋進出

日本には、中国幻想によった人々が大勢いますから、これからも、ますます経済や軍事力を拡大し続けると信じて疑わない人々が大勢います。そうして、中国が崩壊したら日本もとんでもないことになると考える人も大勢いまなす。

しかし、そんなことありません。ソ連が崩壊したときを思い出して下さい。ソ連崩壊後の日本はどうだったでしょうか。ソ連に対して過大な投資をしていたなど、ごく一部の人や企業を除いてほとんど影響はなかったです。これは、ソ連崩壊をリアルタイムで経験した人は誰もが納得する事実だと思います。

ソ連が崩壊したから、経済的に困窮したとか、株で大損したとか、直接投資でとんでもないことになったなどという人はごくわずかで、大多数の人はほとんど関係はありませんでした。

ソ連がなくなって、体制が変わっても、そこには相変わらず人が住んでおり、経済活動や社会活動を続けます。体制が激変しても、人々はそれに順応し、働いて生計を立てていかなければなりません。国家体制が崩壊しても、その後に新たな国家が生まれて、新たな秩序をうみだすか、アフリカ諸地域に見られるような内戦が継続する不安定な地域になるかのいずれかです。

元々、ソ連は徐々に経済が落ち込み、崩壊直前には外部には情報閉鎖をしていたため、多くの人が知りませんでしたが、実は経済は崩壊状況になっていました。崩壊状況になっていたからこそ、国も崩壊しました。しかし、ソ連が崩壊する前から、経済は実質上崩壊していたので、その影響はあまり大きくはなかったということです。

内戦の続く国ですら、そこに暮らす人々は、窮乏するものの、それでも何らかの形で生計をたてて、地域を維持し生活を維持していかざるを得ません。確かに、その地域の人々お気の毒ですが、だからといって、日本など他の主権国家がこれに甚大な影響を被るかといえばそうではありません。

ただし、特に日本に関しては、それには二つ条件があります。それは、まず第一に旧秩序、新秩序にかかわりなく、国家主権を維持することです。第二に国民国家を維持することです。そうして、秩序を維持することです。

そのためには、今の日本は、先日もこのブログに掲載したように、短期的には、集団的自衛権行使の容認、長期的には中国に隣接する国々のランドパワー増すことです。

これについては、昨日このブログに掲載しましたので、以下のそのURLを以下に掲載します。
北朝鮮の崩壊シナリオ、米中と「二股」かける韓国…アジアの安全保障を考えれば集団的自衛権は当然だ―【私の論評】日本の安全保障は、長期的観点である中国周辺国のランドパワーの拡張と、短期的観点である正当防衛を確実にできるようにするすることが正しい選択肢である(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、マスコミがこれらのことをほとんど報道しない中、安倍政権は着々と、短期的観点である正当防衛を確実にする集団的自衛権の確保と、長期的観点である中国周辺国のランドパワーの拡張を実行しつつあります。

日本は、今のところ安全保障について正しい選択をしました。将来この選択が維持・発展されることになれば、中国が崩壊しても、日本にとっては旧ソ連の崩壊と同程度の軽微な影響しかありません。

しかし、そうでなければ、どうなるかはわかりません。それこそ、紛争の絶えないアフリカの地域のようになる可能性も十分あります。

ソ連崩壊のときは、アメリカは世界唯一の超大国であり、戦後体制は強固でしたから、日本はソ連が崩壊してもさほどの影響はありませんでした。しかし、今日では、世の中は変わり、アメリカは弱体化し、戦後体制も強固ではありません。

どちらの道を選ぶかといえば、選択の余地はないと思います。

それにしても、30年前のキャッコピーの時代とは、世界情勢も日本も随分変わったということです。しかし、日本にはまだまだ、30年前の頭から変わらない人が大勢います。

30年前から頭が変わらない人?

変化を厭う、変化したくないというのなら、第一線から退くべきです。いつまでも、若い時代の気分で、政治活動やその他の活動を続けるべきではありません。左翼であっても、右翼であっても、中間派であっても、あるいは年齢がどうであれ、30年前の頭であってはいけないはずです。時代が変わっているのですから、新たな道を模索すべきです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2014年5月23日金曜日

青春18きっぷは今?―【私の論評】クロニクルにしてみてわかる、18きっぷのポスターから見えてくるもの!もうやめませんか、青春を残酷な物語にするデフレを(゚д゚)!



日本国有鉄道(国鉄)旅客局が、増収策の一環として企画し、1982年3月1日に「青春18のびのびきっぷ」として発売を開始。1983年春季発売分から現名称に改称したものです。

主に学生などの春季・夏季・冬季休暇期間を利用期間として発売され、原則として新幹線・特急・急行を除く旅客鉄道会社全線の普通列車・快速列車など、運賃のみで乗車できる列車に乗車することができる。

販売価格は5回(人)分で11,500円。第1回発売時のみ8,000円で、のち10,000円に変更。1986年冬季に11,000円に値上げされた後、1989年春季に消費税が導入されたことで11,300円に値上げされ、1997年夏季以降は税率引き上げを価格に反映して11,500円となりました。主として学生向けの商品として企画されたましたが、利用者の年齢制限はなく、小児料金の設定もありません。

JRホテルグループの予約センターに宿泊を申し込み、当日現地で青春18きっぷを提示すると宿泊料金の割引等が受けられるなどの特典が一部に設けられています。

「青春18きっぷ」の名称の由来については、当時旅客局長だった須田寛により青少年・学生をイメージした「青春」と、その象徴的な年齢で「末広がりの8」にも通じる「18」を組み合わせた、と後年に須田が説明しています。分割民営化後、旅客鉄道各社を代表してJR東日本が1994年に商標登録(商標登録番号第3007644号)を行いました。

本日、ネット見ていると、青春18きっぷのポスターが話題になっていました。特に1995年の、「「列車を降りると、かならず誰かのおなかがなった」というキャチコピーのものが話題となっていました。

私自身は、この切符使ったことがないのですが、毎年ポスターが貼られているので、そのポスターにはいくつか記憶に残っているものもあり、また若い時に友達や自分一人で、旅にでたことなどを久しぶりに思い出し懐かしかったので、以下に年代別にそのポスターを掲載し、クロニクル風にしてみました。

【私の論評】クロニクルにしてみてわかる、青春18きっぷのポスターから見えてくるもの!もうやめませんか、青春を残酷な物語にするデフレを(゚д゚)!


no title
2014年春
「ずっと友達だよ」と
言うかわりに
みんなで旅に出た。
no title
2013年冬
僕らが降りた終着駅は、
誰かの始発駅てもある。
no title
2013年夏
それぞれの青春をのせて

no title
2014年冬 
おみやげに持って帰れないものがありました。この景色です。

no title
2010年夏
「ゆっくり行きましょう」と列車に言われた夏でした。

no title
2008年春
出会いに、年齢制限はありません。

2007年冬
冒険に、年齢制限はありません。

no title
2007年夏
初めてに、年齢制限はありません。
no title
2005年夏
あの海の青を探して。
no title
2002年夏
自分の部屋で、人生なんて考えられるか!
no title
2001年冬
 なんでだろう。涙がでた。
no title
2001年夏
 夏休みは、寝坊が一番もったいない
2001年春
たまには道草ばっかりしてみる。
2000年冬
前略、僕は日本のどこかにいます。
no title
2000年夏
「早く着くこと」よりも大切にしたいことがある人に。

no title
2000年春
通過しない。立ち止まって記憶する。そんな旅です。 
no title
1999年冬
思わず降りてしまう、という経験を
したことがありますか。

no title
1999夏
 ああ、ここだ、と思う駅がきっとある。

no title
1998年冬
駅についた列車から、 
高校生の私が降りてきた。

1999春
学校を卒業すると、
春は黙って行ってしまうようになる。


no title
1998年春
もうひとつ先の駅が見たい。
1997年冬
どうして旅をするのかな・・・
1995年冬
「決められたレール」は、 
無いほうがいい。
1995年春
列車を降りると
かならず誰かの
おなかが鳴った。

no title
1994年冬
おしゃべりはつづくよどこまでも。
1992年春
ちがうにおいのする町。

1991年冬
この街とヒミツをつくる。
no title
1991夏
誰も私を知らない。
no title
1990年夏
いつかは、いそがなければいけない日がくる。

1998年夏
夏、捕物帖。
1987年夏
何かを待つづけていた18の夏。

上のポスター、すべてを網羅したわけではありません。かなり網羅しているサイトを見つけました。そのURLを以下に掲載しておきますので、さらに詳しくご覧になりたい方は、是非このサイトをご覧になってください。
青春18きっぷ・ギャラリー
これらのポスターを観ていて、皆さん何か気付きませんでしたか。私も、ズラ~~と並べて見るまでは、はっきりとは気づかなかったのですが。

これだけ並べてみると、明らかに気付くことがありました。

それは、1999年を境に、キャッチコピーの文字がかなり小さくなったことです。それに、青をメインとした大人しい色使いになっていることも目をひきます。

これは、明らかに何かが変わったということだと思います。

一番最後に掲載した、1987年のポスターのキャッチコピー「何かを待つづけていた18の夏。」の文字はかなり大きいです。この頃は、まだ日本はかなり景気が良く、バブルも崩壊していませんでした。

何が変わったのだろうと考えてみました。最初はなかなかわからなかったのですが、これはひよっとして、デフレの影響があるかもしれないと思い至りました。

バブルが崩壊してからも、日本はしばらく間は、デフレではありませんでした。日本がデフレに突入するのが徹底的になったのが、1997年です。この年に、大手証券会社の山一證券が倒産したり、都市銀行の北海道拓殖銀行が倒産しました。この年には、日銀法が改悪され、中央銀行の独立性とは日本国の金融政策は日銀が決定するというとんでもないことが実施された年です。

中央銀行の独立性の本当の意味は、国の金融政策は政府が定め、中央銀行はその方針に従い専門家的な立場から、実行方法を自由に選ぶことができるということです。

しかし、日本では日銀法が改悪され、何と国の金融政策を政府ではなく日銀が決められることになっのです。これを境に日銀は、本来金融緩和をすべきときでも、頑なに金融引締めを継続し、日本はデフレ・スパイラルの泥沼に沈むことになりました。

ただし、上のポスターでは、1999年よりポスターのキャッチコピーの文字が小さくなっています。だから、私は最初は、デフレとは関係ないかもしれないと思いました。

しかし、消費者マインドとはすぐに変わるものではありません。たとえば、あのバブルの申し子のように言われているジュリアナ東京は、バブル崩壊後に設立されています。実際にバブルが崩壊してから、それが多くの人々に認知されるまでにはラグ・タイムがあるということです。

バブルが崩壊した直後には、株や土地で大損した人や、一部の経済通などの人がその意味をすぐにわかりますが、一般の人はそうではありません。これを一時的なものと捉えたり、そもそも、まだ本格的に実体経済が悪くならないので、しばらくは気がつかないのです。

しかし、ある一定期間を過ぎると、不景気になりはっきりと認識します。

だから、ポスターの字の大きさも、一定のタイムラグを経てから小さくなったのだと思います。

デフレになってから、それまで自殺者の数が2万人台だったものが、デフレに突入してから3万人台に増えています。これも、1997年から自殺者は増えておらず、3万人台になったのは1998年からです。やはり、景気が悪くなっても、しばらくは持ちこたえたのでしょうが、1年くらたって、どうにもならなくなって自殺するという人が増えたのだと思います。

だから、青春18きっぷのキャッチの文字もデフレ突入から少し遅れて、1999年から小さくなったのかもしれません。

この理由はいろいろ考えられますが、まずはデフレになっていらい自己主張の強すぎるポスターは嫌われるようになったのかもしれません。

これを別の角度がみれば、景気の良いときには、様々なサービスがあるなか多くの人々が自分にあうものをみつけようとしているので、価値観を強めに訴える必要があるので、それを強調するためにキャッチコピーの文字を際立たせる必要があるため、大きくして目立つようにするのだと思います。

景気の悪い時には、単純明快にサービスの内容や、価格安さを訴えるほうが効果があります。ただし、青春18きっぷのサービスのような場合は、青春18きっぷの文字をドカーンと大きくしたり、価格を全面に打ち出すのはなかなか難しいです。だから、キャッチの文字を小さくして、青春18きっぷを目立たせるようにしたのだと思います。

このポスターのデザイナーはそこまで意識しているかどうかは、わかりませんが、ここしばらくは、ポスターのキャッチはあまり大きなものは流行らないのだと思います。そうして、それはいうまでもなく、デフレの影響だと思います。

以下にその査証ともなるような、景気の良かった時代のポスターの数々を掲載します。


イメージ 4


イメージ 3


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イメージ 3

とにかく、ポスター自体が目立つようにしていますし、キャッチもかなり目立つようにしています。ちらってみると、何の製品のポスターがわからないものもあるほどです。

これを見ていると、なにやらダサい感じもしますが、それは裏返すと私たちが、デフレ脳になっているからかもしれません。

これから、サービスの価値観を徹底的に訴える大きめの文字のキャッチが掲載されたポスターがでてくると景気が良くなるかもしれません。

それにしても、青春18きっぷの時代時代のポスター類を見ていると、その時代のことが思い出されて、懐かしいとともに、ある感慨が浮かんできます。

それは、やはりデフレはすぐにでも収束させるべきだということです。多感な青春時代がデフレであっては、先に夢も希望も持つことはできません。

今の若い人たちは、自分の無限の可能性を感じることができず、早々と自分たちを規定してしまっている人が多いです。なかなか就職できない若者は典型的ですが、いわゆるエリート街道を歩むような人でも、先に多きな夢など描いていません。あくまで、安定・安全志向です。

しかし、このような若者が多くなったのは、かなりの部分はデフレのためです。デフレであれば、雇用環境が悪化するのはあたり前のことです。

青春というと、昔は素晴らしいものと意識されました。最近は、違います。多くの若者にとって、今や青春は残酷な物語の始まりです。

だから、草食系の男子が増えたり、車も購入せず、飲みにもいかず、だだおとなしく貯蓄に励むような年寄りのような若者が増えてきました。

しかし、このデフレの時代には、こうした若者の行動は、正しいのかもしれません。

こんなデフレは、すぐにでも収束させるべきです。デフレの最中に増税を決めて、デフレを長引かせるようなことを平気でする自民党議員の大部分はこうしたことを理解できない白痴議員です。

デフレは、上下左右関係なしに、最近の日本の問題では、とにかく一番先に解決しなけばならない重要な問題のはずです。それすら理解できないような国会議員は白痴と言われても仕方ないと思います。

しっかり勉強して、一日でも早くまともになっていただきたいです。それができないというのなら、一日も早く政界を去っていだたきたいものです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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