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2014年5月23日金曜日

青春18きっぷは今?―【私の論評】クロニクルにしてみてわかる、18きっぷのポスターから見えてくるもの!もうやめませんか、青春を残酷な物語にするデフレを(゚д゚)!



日本国有鉄道(国鉄)旅客局が、増収策の一環として企画し、1982年3月1日に「青春18のびのびきっぷ」として発売を開始。1983年春季発売分から現名称に改称したものです。

主に学生などの春季・夏季・冬季休暇期間を利用期間として発売され、原則として新幹線・特急・急行を除く旅客鉄道会社全線の普通列車・快速列車など、運賃のみで乗車できる列車に乗車することができる。

販売価格は5回(人)分で11,500円。第1回発売時のみ8,000円で、のち10,000円に変更。1986年冬季に11,000円に値上げされた後、1989年春季に消費税が導入されたことで11,300円に値上げされ、1997年夏季以降は税率引き上げを価格に反映して11,500円となりました。主として学生向けの商品として企画されたましたが、利用者の年齢制限はなく、小児料金の設定もありません。

JRホテルグループの予約センターに宿泊を申し込み、当日現地で青春18きっぷを提示すると宿泊料金の割引等が受けられるなどの特典が一部に設けられています。

「青春18きっぷ」の名称の由来については、当時旅客局長だった須田寛により青少年・学生をイメージした「青春」と、その象徴的な年齢で「末広がりの8」にも通じる「18」を組み合わせた、と後年に須田が説明しています。分割民営化後、旅客鉄道各社を代表してJR東日本が1994年に商標登録(商標登録番号第3007644号)を行いました。

本日、ネット見ていると、青春18きっぷのポスターが話題になっていました。特に1995年の、「「列車を降りると、かならず誰かのおなかがなった」というキャチコピーのものが話題となっていました。

私自身は、この切符使ったことがないのですが、毎年ポスターが貼られているので、そのポスターにはいくつか記憶に残っているものもあり、また若い時に友達や自分一人で、旅にでたことなどを久しぶりに思い出し懐かしかったので、以下に年代別にそのポスターを掲載し、クロニクル風にしてみました。

【私の論評】クロニクルにしてみてわかる、青春18きっぷのポスターから見えてくるもの!もうやめませんか、青春を残酷な物語にするデフレを(゚д゚)!


no title
2014年春
「ずっと友達だよ」と
言うかわりに
みんなで旅に出た。
no title
2013年冬
僕らが降りた終着駅は、
誰かの始発駅てもある。
no title
2013年夏
それぞれの青春をのせて

no title
2014年冬 
おみやげに持って帰れないものがありました。この景色です。

no title
2010年夏
「ゆっくり行きましょう」と列車に言われた夏でした。

no title
2008年春
出会いに、年齢制限はありません。

2007年冬
冒険に、年齢制限はありません。

no title
2007年夏
初めてに、年齢制限はありません。
no title
2005年夏
あの海の青を探して。
no title
2002年夏
自分の部屋で、人生なんて考えられるか!
no title
2001年冬
 なんでだろう。涙がでた。
no title
2001年夏
 夏休みは、寝坊が一番もったいない
2001年春
たまには道草ばっかりしてみる。
2000年冬
前略、僕は日本のどこかにいます。
no title
2000年夏
「早く着くこと」よりも大切にしたいことがある人に。

no title
2000年春
通過しない。立ち止まって記憶する。そんな旅です。 
no title
1999年冬
思わず降りてしまう、という経験を
したことがありますか。

no title
1999夏
 ああ、ここだ、と思う駅がきっとある。

no title
1998年冬
駅についた列車から、 
高校生の私が降りてきた。

1999春
学校を卒業すると、
春は黙って行ってしまうようになる。


no title
1998年春
もうひとつ先の駅が見たい。
1997年冬
どうして旅をするのかな・・・
1995年冬
「決められたレール」は、 
無いほうがいい。
1995年春
列車を降りると
かならず誰かの
おなかが鳴った。

no title
1994年冬
おしゃべりはつづくよどこまでも。
1992年春
ちがうにおいのする町。

1991年冬
この街とヒミツをつくる。
no title
1991夏
誰も私を知らない。
no title
1990年夏
いつかは、いそがなければいけない日がくる。

1998年夏
夏、捕物帖。
1987年夏
何かを待つづけていた18の夏。

上のポスター、すべてを網羅したわけではありません。かなり網羅しているサイトを見つけました。そのURLを以下に掲載しておきますので、さらに詳しくご覧になりたい方は、是非このサイトをご覧になってください。
青春18きっぷ・ギャラリー
これらのポスターを観ていて、皆さん何か気付きませんでしたか。私も、ズラ~~と並べて見るまでは、はっきりとは気づかなかったのですが。

これだけ並べてみると、明らかに気付くことがありました。

それは、1999年を境に、キャッチコピーの文字がかなり小さくなったことです。それに、青をメインとした大人しい色使いになっていることも目をひきます。

これは、明らかに何かが変わったということだと思います。

一番最後に掲載した、1987年のポスターのキャッチコピー「何かを待つづけていた18の夏。」の文字はかなり大きいです。この頃は、まだ日本はかなり景気が良く、バブルも崩壊していませんでした。

何が変わったのだろうと考えてみました。最初はなかなかわからなかったのですが、これはひよっとして、デフレの影響があるかもしれないと思い至りました。

バブルが崩壊してからも、日本はしばらく間は、デフレではありませんでした。日本がデフレに突入するのが徹底的になったのが、1997年です。この年に、大手証券会社の山一證券が倒産したり、都市銀行の北海道拓殖銀行が倒産しました。この年には、日銀法が改悪され、中央銀行の独立性とは日本国の金融政策は日銀が決定するというとんでもないことが実施された年です。

中央銀行の独立性の本当の意味は、国の金融政策は政府が定め、中央銀行はその方針に従い専門家的な立場から、実行方法を自由に選ぶことができるということです。

しかし、日本では日銀法が改悪され、何と国の金融政策を政府ではなく日銀が決められることになっのです。これを境に日銀は、本来金融緩和をすべきときでも、頑なに金融引締めを継続し、日本はデフレ・スパイラルの泥沼に沈むことになりました。

ただし、上のポスターでは、1999年よりポスターのキャッチコピーの文字が小さくなっています。だから、私は最初は、デフレとは関係ないかもしれないと思いました。

しかし、消費者マインドとはすぐに変わるものではありません。たとえば、あのバブルの申し子のように言われているジュリアナ東京は、バブル崩壊後に設立されています。実際にバブルが崩壊してから、それが多くの人々に認知されるまでにはラグ・タイムがあるということです。

バブルが崩壊した直後には、株や土地で大損した人や、一部の経済通などの人がその意味をすぐにわかりますが、一般の人はそうではありません。これを一時的なものと捉えたり、そもそも、まだ本格的に実体経済が悪くならないので、しばらくは気がつかないのです。

しかし、ある一定期間を過ぎると、不景気になりはっきりと認識します。

だから、ポスターの字の大きさも、一定のタイムラグを経てから小さくなったのだと思います。

デフレになってから、それまで自殺者の数が2万人台だったものが、デフレに突入してから3万人台に増えています。これも、1997年から自殺者は増えておらず、3万人台になったのは1998年からです。やはり、景気が悪くなっても、しばらくは持ちこたえたのでしょうが、1年くらたって、どうにもならなくなって自殺するという人が増えたのだと思います。

だから、青春18きっぷのキャッチの文字もデフレ突入から少し遅れて、1999年から小さくなったのかもしれません。

この理由はいろいろ考えられますが、まずはデフレになっていらい自己主張の強すぎるポスターは嫌われるようになったのかもしれません。

これを別の角度がみれば、景気の良いときには、様々なサービスがあるなか多くの人々が自分にあうものをみつけようとしているので、価値観を強めに訴える必要があるので、それを強調するためにキャッチコピーの文字を際立たせる必要があるため、大きくして目立つようにするのだと思います。

景気の悪い時には、単純明快にサービスの内容や、価格安さを訴えるほうが効果があります。ただし、青春18きっぷのサービスのような場合は、青春18きっぷの文字をドカーンと大きくしたり、価格を全面に打ち出すのはなかなか難しいです。だから、キャッチの文字を小さくして、青春18きっぷを目立たせるようにしたのだと思います。

このポスターのデザイナーはそこまで意識しているかどうかは、わかりませんが、ここしばらくは、ポスターのキャッチはあまり大きなものは流行らないのだと思います。そうして、それはいうまでもなく、デフレの影響だと思います。

以下にその査証ともなるような、景気の良かった時代のポスターの数々を掲載します。


イメージ 4


イメージ 3


イメージ 2

イメージ 2

イメージ 4

イメージ 3

とにかく、ポスター自体が目立つようにしていますし、キャッチもかなり目立つようにしています。ちらってみると、何の製品のポスターがわからないものもあるほどです。

これを見ていると、なにやらダサい感じもしますが、それは裏返すと私たちが、デフレ脳になっているからかもしれません。

これから、サービスの価値観を徹底的に訴える大きめの文字のキャッチが掲載されたポスターがでてくると景気が良くなるかもしれません。

それにしても、青春18きっぷの時代時代のポスター類を見ていると、その時代のことが思い出されて、懐かしいとともに、ある感慨が浮かんできます。

それは、やはりデフレはすぐにでも収束させるべきだということです。多感な青春時代がデフレであっては、先に夢も希望も持つことはできません。

今の若い人たちは、自分の無限の可能性を感じることができず、早々と自分たちを規定してしまっている人が多いです。なかなか就職できない若者は典型的ですが、いわゆるエリート街道を歩むような人でも、先に多きな夢など描いていません。あくまで、安定・安全志向です。

しかし、このような若者が多くなったのは、かなりの部分はデフレのためです。デフレであれば、雇用環境が悪化するのはあたり前のことです。

青春というと、昔は素晴らしいものと意識されました。最近は、違います。多くの若者にとって、今や青春は残酷な物語の始まりです。

だから、草食系の男子が増えたり、車も購入せず、飲みにもいかず、だだおとなしく貯蓄に励むような年寄りのような若者が増えてきました。

しかし、このデフレの時代には、こうした若者の行動は、正しいのかもしれません。

こんなデフレは、すぐにでも収束させるべきです。デフレの最中に増税を決めて、デフレを長引かせるようなことを平気でする自民党議員の大部分はこうしたことを理解できない白痴議員です。

デフレは、上下左右関係なしに、最近の日本の問題では、とにかく一番先に解決しなけばならない重要な問題のはずです。それすら理解できないような国会議員は白痴と言われても仕方ないと思います。

しっかり勉強して、一日でも早くまともになっていただきたいです。それができないというのなら、一日も早く政界を去っていだたきたいものです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2012年4月15日日曜日

鳩山氏、地元でも総スカン イラン訪問・引退撤回巡り−【私の論評】ミニ鳩山と同レベルでいっぱいの民主党、鳩山由紀夫クロニクルをご覧あれ!!

鳩山氏、地元でも総スカン イラン訪問・引退撤回巡り


鳩山由紀夫元首相が14日、地元の北海道苫小牧市で民主党総支部の大会に出席し、支持者から厳しい批判にさらされた。

鳩山氏は先週のイラン訪問について「総理を務めた人間として、世界平和への貢献を考えた」と理解を求めた。だが、支持者の一人は「総理経験者という気負いは自重してもらったほうがいい。イランに行くのではなく、地元に来る方が大事だった」と指摘。別の支持者は首相辞任後の「政界引退」宣言の撤回について「軽々しい」と語った。

連合北海道胆振地域協議会の井野斎会長は次の衆院選について「有権者の『鳩山離れ』を実感してほしい。鳩山さん本人が有権者の理解を得る努力をしなければ難しい」と苦言を呈した。

【私の論評】ミニ鳩山と同レベルでいっぱいの民主党、鳩山由紀夫クロニクルをご覧あれ!!

鳩山さん、さすがに地元でも、総スカンというのも当然のことだと思います。しかし、地元には、鳩山さんを国会議員として、選出してしまったという結果責任があると思います。政治家がバカでは、国はもたぬという大原則があります。それにしても、野党からだけではなく、与党からも、批判があいつぐなか、イラン訪問とは、一体どういう了見なのかさっぱりみえません。こんなところから、本日は、鳩山さんの過去を振り返ってクロニクル風にまとめてみたいと思います。


与党もとめたということですが、それにしても、民主党は2月7日、計11人いる党最高顧問・副代表に特定分野の政策を担当させる方針を固め。最高顧問の鳩山由紀夫元首相は外交、菅直人前首相は 新エネルギー政策を担当し、幹事長室に提言する。輿石東幹事長が発案し、両氏も了承したということです。この二人、普通の感覚からすれば、もっともふさわしくない部門を担当させたということになります。今のところ、鳩山さんの不祥事だけですんでいますが、菅さんも、原発問題で訴訟もあるそうですから、これも、大不祥事になる可能性もあります。


イランを訪問した鳩山由紀夫元首相は結局、騒ぎを起こしました。

イラン大統領室は8日(現地時間)、アフマディネジャド・イラン大統領と鳩山元首相の会談直後、「鳩山元首相が『国際原子力機関(IAEA)はイランを含む一部の国に二重基準を適用していて、これは不公平だ』と批判した」と発表しました。これは、イランを激しく非難しながらも、イスラエルの核兵器保有は黙認するIAEAは不公平だという意味として解釈されました。 

9日に日本に到着した後、これを知った鳩山元首相は記者会見を行い、「ねつ造された発表だ。私はそういう話をしたことはない」と強く否定しました。

 しかし鳩山元首相は「会談で『核拡散防止条約(NPT)に入らず核保有国になっている国にとって有利になっていることは知っているが、非核の世界をつくるためにも国際社会との協力が必要だ』という話はした」と述べました。この発言が「IAEAの二重の基準」に変わったことを示唆したのです。

しかし、日本政界は与野党ともに「引き止めにもかかわらず問題を起こしてきた」とし、鳩山元首相を激しく非難しています。玄葉光一郎外相は10日、「昨夜(9日)鳩山氏に電話で『元首相ということで外から見られる。そのことについてよく思いをいたしてほしい』と伝えた」と明らかにしました。

藤村修官房長官もこの日、「発表がねつ造されたのなら本人が抗議して解決するべき」と不快感を表した。

しかし、公ではなくても、非公式に、鳩山さんに因果を含める人はいなかったのでしょうか?だれでも、良いから、「そんなことをすれば、党籍を剥奪する」くらいのことは言えなかったのでしょうか?



過去に繰り返してきた、不祥事の数々から、鳩山さんの頭は、普通ではなく、「お花畑」が咲いているということは誰にでもわかっていたことと思います。まず最初、このブログでも、掲載したように、首相直前にわざわざ、外国のサイトに「東アジア共同体」なる、カルト的幻想を投稿しています。要するに、中国の傘下に下りたいと自ら言っていたようなものです。



さて、鳩山さんが、日本国の首相になったため、鳩山さんに関するさまざな書籍が出版されました。以下にその一部を振り返っておきます。

まず、下のような書籍もいろいろ出版されましたが、鳩山さんのリーダーシップは完全に破綻していたことが、明らかになっています。こんな本まともに読んだ人はいるのでしょうか。



すでに以下の書籍の主題となっている鳩山さんは辞任し、次の次の首相でさえいつ退陣するんだとささやかれる窮状です。そして今後は、「震災」や「原発」という関数が追加されました。本書が解説する内容は、完全に「賞味期限切れ」しているようにさえ思えます。しかし、実はそうでもないです。おそらく高橋氏にいわせれば、どの時代のどの内閣にだって目的(関数)と支持母体があり、そのために乗り越えるための制約条件があるのです。この至極シンプルでいてロジカルな思考法は、今までの、そしてこれからの政治動向をチェックするうえでも、極めて有用になるでしょう。これは、鳩山本としては、かなりまともな書籍です。
以下の書籍は、20世紀少年の友民党を解説しているような今から見ると、本当に幼稚な書籍だと思います。



鳩山由紀夫自身の書籍は、以下のNAVERのまとめ記事をご覧になってください。私のブログでは、直接紹介したくないです。


鳩山さんの発言、今となっては、以下の画像のとおりであることが、誰にでも理解できると思います。そんな人が書いた書籍を読んでも仕方ありません。



さて、そんな鳩山さん過去には、イメージづくりを一所懸命にやっていた時期があります。下の写真は、2000年の選挙のときの、写真です。場所は、登別市です。このころから、政権交代を標榜していたことがわかります。

2000年の衆議院選挙 登別市で

下の写真も、2000年のものです。ダライラマとの面談の写真です。このような形で、イメージを形成していったのだと思います。今はこのように選挙カーから、身を乗り出すことは、規制されているので、あまり見かけなくなった風景です。鳩山さん、これは、かなり熱心にやっていました。私も一二度、見かけたことがあります。

2000年 ダライダマとの会談

そんなイメージも、度重なる、不祥事ですぐに、メッキがはげてしまいました。下は、オバマ大統領との、会談です。このときに、普天間問題をなんとかするから、信頼してくれということをオバマ大統領に伝えています。


結局、鳩山さんは、オバマ大統領との約束も守れず、普天間問題を解消できず、以下のような発言をしていました。


オバマ大統領との会談のときに、語った"Trust me."は、かなり有名なフレーズになってしまいました。上に掲載したイラン大統領との会談のときに、イラン大統領は、「私たちは、核を開発しているのではなく、あくまで原子力の平和利用を促進しています。Trust me.」と発言したそうです。これをブーメランと言わずして、何をブーメランと呼べば良いのでしょうか? 鳩山さんには、この種の大ブーメランがかなり多いです。

総理大臣に就任したばかりのときには、国連でいきなり以下のような発言をしていました。


これは、鳩山さん一人の思いつきの発言であることが、明らかになりました。以下の写真は、それを伝える雑誌の紙面です。


鳩山さんは、結構前から、ツイッターで、ツイートしており、一時は、フォロワー数がかなり増え、ガチャピンのフォロワーよりも多くなったことは、このブログでも掲載しました。そのツイッターで、総理大臣辞任後、以下のような意味不明なツイートを行っています。


こんな鳩山さんです。地元で、総スカンをくったというのも良く理解できます。それから、一つわすれていたことがあります。あの例の、「友起夫」と改名するという発言は、一体どうなったのでしょうか。未だに改名していません。これも、単なる思いつきなのでしょうか?その他にも、いろいろ、思い出したことがあるのですが、もう、疲れてきました。ここで、掲載を打ち切ります。こんなんで、十分でしょう。

最後に一言だけ、有権者の皆々がた、冒頭の写真で示したように、「政治家がバカでは、国がもたぬ」ということですから、次の選挙では、鳩山さんを当選させないように、くれぐれもお願いします。それから、他の有権者の皆々様がたも、民主党には、ミニ鳩山あるいは同列のものが、たくさんいます。これらのバカどもも、当選させないようにお願い申し上げたてまつりまする!!





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