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2014年9月14日日曜日

韓国社会 親日派は裏切り者としてあらゆる手段で社会的制裁―【私の論評】韓国は、日本に対する“恨”の感情に拘泥され続けている!こんな国は、捨て置け、関わるな(゚д゚)!

韓国社会 親日派は裏切り者としてあらゆる手段で社会的制裁

韓国にも親日派、知日派は存在する〈写真はブログ管理人挿入以下同じ〉

韓国には「これを言ったら殺される」という言葉がある。「殺される」というのは社会的抹殺の意味だが、時には実際に生命の危機に瀕することもある。

今年8月、産経新聞ソウル支局長の加藤達也氏が記事で「朴槿恵大統領を侮辱した」としてソウル地検から出頭要請を受けた。加藤氏は出国禁止処分を受け、同月18日に10時間に及ぶ検察の事情聴取を受けた。捜査の続く限り出国禁止の状態が続くと見られている。前代未聞の異常事態だ。

しかし、韓国人ならばそれでは済まされない。韓国社会で最大のタブーは「親日」だ。ひとたび親日派のレッテルを貼られた者は民族の裏切り者として、あらゆる手段で社会的制裁が加えられる。「知日」という不自然な言葉が韓国で流通しているのはそのためだ。

親日的発言といっても、それは政治家や政府によるものに限られない。客観的な根拠に基づいた研究者による発言などにも、その刃が向けられる。たとえば2004年に「慰安婦の強制連行」を否定したソウル大学経済学部の李栄薫教授は、社会的な非難を受け、慰安婦達の前で土下座させられた。さらにその2年後、これまでの歴史観に囚われない新しい歴史教科書を作ろうと開催されたフォーラムで、それに反対する暴力勢力から殴る蹴るの暴行を受けた。

「慰安婦発言」 李栄薫教授がナヌムの家を謝罪訪問 土下座しているのか教授


李教授の発表は、朝鮮時代末期から植民地時代までを経済史的観点から再検討したもので、日本による土地と食糧の収奪を誇張する従来の歴史教育を否定するものだった。

李教授は、植民地時代の歴史に関する韓国の学校教育に対し、『大韓民国の物語』(2007年)の中ではっきりと疑問を唱えている。

「韓国の歴史教科書の内容は事実ではない。内容が誇張されていたり、誤って解釈されたものが大部分だ。そのような話はすべて、教科書を書いた歴史学者の作り出した物語である」

極めて真っ当な意見だが、韓国社会では、暴力によってその発言は封じ込められる。

植民地時代の朝鮮半島で、金融、財政、司法制度など多岐に亘る分野において日本による近代化を積極的に評価する安秉直・ソウル大学名誉教授も批判の矢面に立たされてきた。

韓国近現代史対案教科書に対する公聴会席煮て殴られる安秉直・ソウル大学名誉教授


昨年、韓国では保守系の執筆陣による歴史教科書が登場し物議を醸したが、それを採択したのは、全国に2千数百ある高校の中でわずか1校に過ぎなかった。採択を決めた高校には連日、脅迫電話が鳴り響き、反対派の市民団体や父母、同窓生が抗議に押し寄せた。執筆陣にも「早く辞めろ」「殺してやる」といった脅迫が相次いだ。朝鮮日報の報道によれば、版元である教学社の社長も殺害の脅迫を受けている。まさに命がけだ。

※SAPIO2014年10月号

【私の論評】韓国は、日本に対する“恨”の感情に拘泥され続けている!こんな国は、捨て置け、関わるな(゚д゚)!

上の記事では、いわゆる大学教授という社会的にも地位の高い親日派の人々に対する韓国人の仕打ちですが、このようなことは、一般の人々にも見られることです。


上の画像では、95歳の老人が、「日本の植民支配はよかった」と発言して、杖で殴られたという事件に関するテレビ報道のキャプチャ画面です。

韓国内では、すべての人が反日というわけではなく、とりたてて、反日派ではない人もいるのですが、政府主導の反日政策にのった形で、ありもしない事実にもとづき、恨みの感情が醸成され、このような事件があとをたちません。

この“恨”の感情は、日本人には理解できない、朝鮮民族独特のものがあるようです。理屈ではありません、感情です。

これについては、呉 善花さんが、大阪「正論」懇話会における講演の要旨の記事がありますので、そのURLを以下に掲載します。
「なぜ日韓は和解しえないのか」 呉善花氏講演要旨 大阪「正論」懇話会

呉善花氏


さて、詳細はこの記事をご覧いただくものとして、この記事で、呉善花氏は講演の末尾で以下の様に締めくくっているようです。
 日本人は困難に直面すればあきらめてゼロから再出発する潔さがあるが、韓国人はなぜ自分が不幸なのかと過去をみて、現在を考える。延々と恨み続ける「恨(ハン)」がいいことだととらえている。こうした価値観の違いを互いがすぐに理解するのは難しい。日韓はしばらく「間」を取った方がいいと思うのだ。
私も、まさにそう思います。日本の統治時代は客観的にどうだったかといえば、この講演で、呉善花が述べているように、「実際はコメの収穫量や人口は終戦までに2倍になり、約100しかなかった小学校は小さな村落にまで建てられ、約5690になった。識字率は6%から二十数%まで上がった」のです。

これは、まさしく、それ以前の朝鮮王朝による統治は、失敗であり、日本の統治は大成功だったことを物語っています。貧困からの脱却という意味では、大成功だったはずです。

ただし、数字だけでは見えない部分もありますし、世界中のどの国でも、大多数の人にとって良い統治というのはありますが、すべての人にとって良い統治とは限らず、小数の人にとっては、良くない場合もあります。

しかし、その小数ににのみ焦点をあてて、いつまでも“恨”の感情を抱いていれば、進歩・発展というものはありません。

日本人だって、アメリカに対する“恨”の感情は今でもあります。私自身は、以前このブログにも掲載したように、アメリカは日本に対しては、原爆を8個落とされるくらいの借りがあると掲載したことがあるくらいであり、“恨”の感情がないとはいいません。

これについては、以前のブログも掲載したことがありますので、そのURLを以下に掲載します。
【変わるか日本 参院選 教育改革】自虐史観脱却、教育委制度是非、費用負担減…多様な焦点―【私の論評】日本人なら、アメリカには広島型原爆8個を落とされるくらいの借しがあると腹の中で思うくらいが妥当だ(゚д゚)!
広島に投下された原爆
詳細は、このブログをご覧いただくものとして、非道に対処するのは、無論倍返しというのが原則であるから、アメリカは2個の原爆を日本投下したわけですから、アメリカは4個の原爆を落とされるだけの借りがあるということです。これは、日下公人先生も指摘しておられます。

さらに、人口をみてみると、当時からアメリカの人口は日本倍以上あることから、比例原則からいって、アメリカは日本に原爆は、四個✕2=八個落とされるだけの借りがあるということです。

無論、日本がアメリカに8個の原爆を、投下せよなどということを主張しているわけではありません。アメリカには日本に対して、それだけの負い目があるということを主張したいだけです。

しかし、それは、それとして、私はは、その恨みの感情の赴くままに、アメリカと敵対せよと、主張したり、アメリカに対して、倍賞の運動をするなどのことはしていません。ただ、アメリカはそれだけのことを日本にしたのであり、そのことは忘れてもらいたくないということで、ブログに掲載したり、直接会ったアメリカ人にそのような話をしているだけです。しかしながら、アメリカ人に直接謝罪を促したりはせず、それは、それとして、日々の生活はそれとは関係なく過ごしています。

大方の日本人は、そうだと思います。それに、終戦直後の日本人もそうでした。今でも恨みの感情をいだいてそこから一歩も進めないともなれば、自分たちはもとより、家族や、子どもたちが大変になるということで、まずは日々の生計を立てるために奔走しました。

そのため、いち早く戦争の惨禍から立ち上がることができました。挙句の果てに、後には世界第二の経済大国になりました。

韓国はそうではないようです。いつまでも、“恨”の感情から抜け出ることができず、今でも、日本に対する虚構の“恨”の感情から抜け出ることができず、呪縛されています。

日本が、韓国に原爆を落とすなどの残虐行為をしたわけでもなく、無論侵略戦争をしたこともなく、その当時の国際情勢から、当時の朝鮮政府も日本の統治を受け入れて、日本が朝鮮を統治することになったという事実を根拠として、韓国は、日本に“恨”の感情を持ち、それに拘泥され続けています。

このような韓国には、日本はしばらく距離を置くのが最も正しい選択だと思います。

無論、従軍慰安婦問題などに関しては、事実と異なる主張をすれば、それに反論しつつ、距離をおいて、冠婚葬祭程度のつきあいにとどめておき、もし“恨”の感情の拘泥から覚醒でもするようなことがあれば、そこからつきあいをはじめていくという考えがベストと思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2012年4月9日月曜日

“萌え”のルーツは「源氏物語」にあり!?― 【私の論評】"かわいい"のルーツは、「枕草子」にあり!?私たちは、未だに日本人の古(いにしえ)の情念を受け継いでいる存在!?

“萌え”のルーツは「源氏物語」にあり!?

http://journal.mycom.co.jp/c_cobs/jijinews/trend/2012/04/0810pt1.html



【私の論評】"かわいい"のルーツは、「枕草子」にあり!?私たちは、未だに日本人の古(いにしえ)の情念を受け継いでいる存在!?

上記の記事では、萌えに関する、核心部分は、以下のようなものだと思います。

「『萌え』というのは、一言でいうと未熟なものを愛でる気持ちのことです。本来、『萌える』というのは草木の芽が出る様を指す言葉であり、今はまだ未熟な状態を指しています。人はこれから大きく育っていくものに、心ひかれるのだと思います。アホ毛やツインテールが「萌え」の対象になるのは、子どもっぽい女の子の象徴だからではないでしょうか。そうした子どもっぽい女の子を見ると、男性は自分が守ってあげたいという気持ちになるのです。そうした気持ちは、あの『源氏物語』にも描かれています。主人公・光源氏が18歳ぐらいのとき、10歳ほどに見える幼い紫の上を見初めたのも、そうした『自分が育ててあげたい』という気持ちから。考えてみると『萌え』のルーツは『源氏物語』にあったのかもしれませんね」(内藤先生)(写真上は、いわゆる、アホ毛、下は、ツインテール)

"萌え"に関しては、多くの人々が知っているとおもいますが、その本来正しい定義とか、いつからいまのように盛んに遣われるようになったかは、知らない人もいると思いますので、以下に掲載しておきます。
萌え(もえ)とは本来の日本語では、草木の芽が出る(伸びる)様を言う。
  1. 一方でオタク文化におけるスラングとしては、主にアニメ・漫画・ゲームソフトなどにおける、登場キャラクターなどへのある種の強い好意などの感情を表す言葉として使用されている。また、そこから転じた若者言葉では、同様のニュアンスがより広い対象に対して用いられる。
  2. スラングとしての萌え(もえ)とは、一部文化において、アニメ・漫画・ゲームソフト等様々な媒体における、対象(主として登場キャラクター)への好意・恋慕・傾倒・執着・興奮等のある種の感情を表す言葉である。「対象物に対する狭くて深い感情」という意味を含み、それよりは浅くて広い同種の感情を表す「好き」という言葉を使うのにふさわしくない場合に用いられる。最大公約数的には架空の人物、アイドル、無機物といった現実的には恋愛対象になりえない対象に対する、自覚的な「擬似恋愛」といった定義でくくることもできるが、必ずしも恋愛感情とは同一視されない。
  3. 原初は異性・小動物等の愛玩的対象に対して熱烈にのめり込み、恋愛感情や性的欲求に近い感情が「燃え上がる」という意味のスラングから来たものであるとみられている。元はパソコンでの「燃える」の誤変換から発生したと見られる。また、愛玩的対象に対して、恋愛感情ではない何かが感情として現れることを、萌え元来の意味である芽が出ることから何かに芽生えるという意味の俗語として使われていったとされる。「心に春を感じる」といった語感で用いられる。
  4. 日本にて1980年代後半から1990年代初頭頃に成立した説が有力だが、その成立の経緯は不明な点が多い。また現在は様々な分野で使用されているが、元々がそれまで適切な表現のなかった、興味の対象によって喚起される様々な感情を一括りにした表現であるために、使用法や解釈を巡る議論は絶えない。当初は専らフィクションの美少女キャラクターを形容する表現として使われたが、後年になって当初の定義を離れて対象が多様化している。幅広い概念を含むゆえに共通言語として多用されている面もある。
  5. 当初はおたくの間で使われる俗語であったが、2000年頃からおたく用語としてマスメディアを中心に取り上げられるようになる。認知度が上がったことにより大衆に浸透するようになり、やがて日本語本来の「萌え」の用法よりも一般的となっていく。2005年にはユーキャン流行語大賞に選出された。若者言葉として定義される場合もある。

このような、"萌え"について、内藤先生は、源氏物語に源流があるとしているわけです。源氏物語の価値観など、やはり日本人の潜在意識に深く刻み込まれています。この萌え、最近では、海外でも真似されているようではありますが、まだまだ、珍しいと思います。日本でも従来はおたく系のものだったと思いますが、最近でしっかりと市民権を得たようで、あまり珍奇な現象とは受けとられなくなっています。だから、源氏物語が源流とう見方は正しいのかもしれません。

それれから、いわゆる「かわいい系」のフアッションは、いまだに日本に根付いています。これは、上の記事でも『萌え文化が日本で花開いた理由には、そんな文化的な背景があったんですね。大人になってもリボンやピンク、フリルの洋服を好む女性が多いのも、自分の中に失いかけた「子どもらしさ」をどこかで追い求めているのかもしれませんね』としています。私は、このブログでは、"萌え"については、掲載したことがないのですが、「かわいい」については、掲載したことがあります。詳細は、当該記事をみていただくものとして、下にその核心部分のみを掲載しておきます。

・・・・・・・・・・ でも、この「かわいい」という表現、それもありとあらゆるシーンで、「かわわいい」と遣うということ、何かを思い出しませんか?

そうです。あの清少納言による古典「枕草子」にでてくる、「をかし」とか、「いとをかし」の表現です。
春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは 少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。螢の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は、夕暮。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などの列ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。
冬は、つとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎ熾して、炭もて渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。(下の写真は、枕草子原本)


(現代語訳)
春は、あけぼのの頃がよい。だんだんに白くなっていく山際が、少し明るくなり、紫がかった雲が細くたなびいているのがよい。
夏は、夜がよい。満月の時期はなおさらだ。闇夜もなおよい。蛍が多く飛びかっているのがよい。一方、ただひとつふたつなどと、かすかに光ながら蛍が飛んでいくのも面白い。雨など降るのも趣がある。
秋は、夕暮れの時刻がよい。夕日が差して、山の端がとても近く見えているところに、からすが寝どころへ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽などと、飛び急ぐ様子さえしみじみとものを感じさせる。ましてや雁などが連なって飛んでいるのが小さく見えている様は、とても趣深い。日が沈みきって、風の音、虫の音など、聞こえてくるさまは、またいいようがない。
冬は、朝早い頃がよい。雪の降ったのはいうまでもない。霜のとても白いのも、またそうでなくても、とても寒いのに、火を急いでつけて、炭をもって通っていくのも、とても似つかわしい。昼になって、寒いのがゆるくなってくる頃には、火桶の火も、白く灰が多くなってしまい、よい感じがしない。

枕草子には、この「をかし」「いとをかし」が、これでもか、これでもかという勢いで連発されます。
この「をかし」だって、特に限定された言葉ではなく、いろいろな場面で使われおり。とにかく「よいこと」の意味程度で用いられています。そうして、この「をかし」は、随筆「枕草子」のなかでは清少納言自身の多様な価値観を表した言葉だと思います。

最近の女の子たちや女性が用いる「かわいい」も同じことで、現代女性の価値観を現す言葉として
用いられているのだと思います。本質は、あの古典の「枕草子」とちっとも変わりません。まさに、「かわいい」は、現代版「をかし」「いとおかし」なのだと思います。それに、清少納言が「枕草子」を書いたのは、30歳台だあったと推定されています。だから、清少納言もアラサーだったということであり、本日の話題にピッタリだと思います。
こうして、考えてみると、「かわいい」は、「萌え」と不可分ではないということです。そうして、このブログ記事にでも書いていたように、「やはり私たち日本人は、清少納言から連綿と続く"言霊"の威力が精神に刻まれているのだと思います。だからこそ、別に宗教心がないと思わる人も、初詣をしたり、ゲンかつぎをしたり、お正月には晴れ着を着たりするのだと思います」ということなのだと思います。(下の写真は、TokyoかわいいTVに出演した、田井中茉莉亜さんのブログに掲載されている写真。ブログはこちらから!)

多くの現代人は、源氏物語や、枕草子などの古典と現代とは、全く関係ないと思っているようですが、潜在意識には、この日本の文化がしっかりと刻み込まれているということなのだと思います。これは、なぜかといえば、学問や、産業などの世界では、技術革新などがあって、それが、知識として受け継がれ、それに伴ういわゆる、日々のライフスタイルなどは、数百年も昔と現在では、考え方やあり様が全く異なるのですが、恋愛とか、親子の情とか、恨みや、憎しみの情とか、根底での価値観など、いわゆる理屈ではない、情念の世界は、人の寿命は、限られているため、年を経て蓄積されていくものではなく、自分生きている間に感じ取らなければならないということで、時代が変わってもあまり変わらないのだと思います。

実際、源氏物語の世界や、枕草子の世界でも、情念の世界ということでは、本当に理解しやすいです。いろいろ、時代背景が変わっていても、人を思う気持ちなど変わりないことが良く理解できます。これは、本当にそう思います。なにもこれらの古典でなくても、たとえば、鴨長明の「方丈記」、など読めば、吉田兼好の「徒然草」など読むと情念では良く理解できます。これらと、枕草子は、日本三代随筆ともいわれるもので、日本人の心が良く描かれています。これら、随筆に限らず、たとば、万葉集の防人の歌など、読むと、情念の世界では、時代をのりこえて、様々な人間の心、情感が良く理解できます。(下の写真は、"おとなかわいい"がテーマである雑誌『Sweet』の表紙)


まさに、私たちは、未だに日本人の古(いにしえ)の情念を受け継いでいる存在であり、根底では、このような情念でつながっており、過去からこれを受け継ぎ、未来にこれを引き継いでいく存在なのだと思います。なにがあっても、この世界は、潰すことなど、できないのだと思います。若い人たちの萌えの心も、現代のライフスタイルにあわせてはいるものの、情念の世界では同じなのだと思います。



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