【書籍】政治家がなくなる日-経済評論家が考えた政治の結論
今回は、この書籍にの書評を掲載したいと思います。筆者の平野和之さんは、ツイッター上ておつきあいをしていただいている方です。
アマゾンドットコムでの商品説明
議員の数を減らすことが政治改革になるという声が大きいが、現職議員はこの議論をしたがらない。なぜなら、政治を職業としているからである。新進気鋭の経済評論家が数字で解き明かし、日本の政治を変えるキッカケをくれる。
国会議員が半減化されたら政治はどう変わるのだろうか?メリットは?デメリットは?この日本に、本当に35000人以上の議員が必要なのか?年収はいくらか?妥当な報酬はいくらか?現在、議員の数、報酬を減らすことが政治改革になるという声がある。しかし、現職議員は議論すらしたがらない。なぜなら、政治を職業としているからである。しかし、議員数が半減、報酬も半減化されると、既存の政治を職業としていた人は、それ自身では生活できなくなる。“議員仕分け”の議論が生まれると政治不信を打破してくれる政治家が誕生する。大阪の橋下知事なども1つの例である。日本の政治をみんなで変えるキッカケになる1冊になるはず。まずは、このかたの略歴など掲載します。
平野和之氏 |
大卒新入社員1年でⅠ部上場企業、株式会社光通信本社事業開発部課長に最速で昇進。
移動体ディーラーのM&Aを多数。その後、買収先専務取締役兼務。
1998年、本社インターネット投資部を設立し、次長、総責任者に昇進。
2000年に同社退社後は、株式会社グローバルマーケティングを設立。
最先端ファイナンス戦略を絡めた、マーケティング業務、投資分析、インキュベーター事業を行う。
現在は、経済評論家として活躍の場を広げている。
シンプルな解説、独自の斬新な予測、政策が支持され、経済、経営論を主軸にコメンテーターとして活躍。また、エコライフの提唱を行い、エコカー、エコ時計に変え、地産地消、自給自足ライフを実践中。講演活動も積極的に行っている。
【書評ならびに私の論評】日本は変わらなければならない!!そのためには政治改革が必須であり、議員定数削減がそのきっかけになる!!
経済評論家の方が書いた政治に関する書籍ということで、どのような内容なのかと思いましたが、まずは、政治改革について、経済的なはっきりした裏付けを掲載されているので、非常に好感がもてました。政治評論家の方が、政治改革について書くと、このへんの裏付けがないことが多いので、本当にできるのかと疑ってしまうとろがありますが、この著者はそのようなことはありません。
たとえば、この本の帯には、「日本は必ず倒産」と書かれてありますが、この著者は多くのマスコミが報道しているように、プライマリーバランスが崩れて、日本が破綻などという単純で無責任なことを書いているわけではありません。
それに、最初の出だしが、逗子市の市議選から始まっていて、筆者がそれに直接かかわってい、実体験から入っているところもかなり好感を持てました。評論家の中には、実体験に乏しく、その発言に根拠が明確でない人も多いですが、この筆者はそんなことはありません。自ら、直接体験して、肌で感じたことを記述しています。
消費税増税の無意味さについても、やはり、経済評論家としての経験が生きていて、納得のいく説明がなされています。筆者は、消費税減税のことまで、述べていて、まさにこのデフレの時期に我が意を得たりという感じです。
また、最後ではボランティア政治を義務化しようというタイトルで、新しい公共に関しても述べていて、地域のNPOのことも書いてあり、これに関しても、私のブログで再三にわたって書いてきたことなので、自らの考えをさらに強く確信できる内容となっていました。
最後に、地方主権という言葉使われていて、私自身は、この言葉自体には、多少違和感を覚えるのですが、やはり、私自身も地方分権に関しては、歴史的背景からみても、絶対に必要だと思っています。おそらく、平野氏と私の考えは、言葉の違いだけでほとんど同じなのだと思います。
さて、この書籍に関して、これ以上書いてしまうと、これから読まれる人の楽しみを奪ってしまうことになるので、このへんにします。しかし、この書籍是非読んでみる価値があります。
現在の政局について、いろいろいう評論家の方はいますが、そうではなくて、現代の政治改革そのものについて、これだけコンパクトに情報がまとまっていて、政治改革の考え方をわかりやすく主張していて、しかも、経済的な裏付けまでしっかりしているものは他にはないと思います。そうした意味でも、是非ご一読ください。
さて、この平野氏が書かれている、政治改革に関することですが、平野氏もおそらく、当然のこととして、書かれてはいないことがあります。それは、歴史的な背景も踏まえて、なぜ今政治改革が必要なのかということです。
全く関係のない話なりますが、昨日は、アップルTVを購入したので、レンタルビデオで何を見ようかといろいろ探しているうちに、『二百三高地』という映画にいきあたったので、これを見ました。
この映画は、日露戦争最大の激戦となった二〇三高地の戦いをモチーフに、そこに関わった軍人や兵士、そして民間人とあらゆる階層の激しくも苛酷な人間模様を、舛田利雄監督が堂々3時間の流れの中で一気に描ききっていく戦争映画超大作です。
この映画は、まだ、明治維新から間もない、日本を描いており、その当時の日本の戦争遂行の目的を「大国の狼に怯える羊から、大国に噛み付く狼に変貌することである」としていました。いいえて妙だと思います。
まさしく、明治維新の目的は、こういう事だったと思います。その当時の世界の状況をみていれば、そうしなければ、日本は他国の植民地になっていたに違いありません。
本日、アゴラというブログをみていたら、明治維新について、矢澤豊さんが、「明治維新が二度と起らない理由」 というタイトルで明治維新について書かれていました。
矢澤豊さんは、海音寺潮五郎さんの「明治維新史管見」という小文を引用されていました。それを下にコピペします。
明治維新とは、日本という国が、幕藩体制という中・近世的封建制度の政体から、中央集権の民族国家となるにいたる過程であり、これは別に当時の日本だけに限られた局地的、特殊な動きではなく、世界規模における当時の風潮だった。ただし、私は、矢澤豊さんと、海音寺潮五郎さんも、以下の点を見落としていると思います。まずは、確かに、中・近世的封建制度の政体から、中央集権の民族国家となるにいたる過程は、多くの先進国でなされた、当たり前といえば、当たり前のことですが、ことアジアに限っていえば、これを当時に成し得たのは、日本だけだったということです。
それと、当時の日本など、随分遅れた、中・近世的封建制度の分裂国家であり、各々の藩が軍隊を持っており、さらには、各々の藩が、貨幣や藩札などを発行できる独立した存在であったものを、あっという間に中央集権国家に変えてしまいました。それも、他の先進国から比較すれば、ほとんど無血革命に近い方法で実施しました。
これに関して、あの経営学の大家である、ドラッカー氏が、日本人は、一度コンセンサスが国内できてしまえば、一夜にして体制を変えてしまうと賞賛しています。そうして、明治維新の持つ意味に関して、セポイの乱ともあわせて、それまで、西洋史と、東洋史に分けられていた、歴史を世界史へと変貌させたと評価しています。
私は、明治維新は、確かに歴史の必然性もあったと思います。もし、あの頃に、日本が強力な中央集権の西欧タイプの国民国家をつくりえなかったら、日本は他国の植民地になっていたと思います。だから、明治維新にはそれなりの大きな意義があったということです。
しかし、それから時が経ち、現在はその逆機能がでてきているということです。太平洋戦争を経て、日本が戦争に負けた後でも、その逆機能は温存されてしまいました。
その逆機能とは、中央集権的な国家体制ということです。日本では、地方自治とか、地方の時代といわれながら、結局は中央集権的な機能が温存されたままになっています。その最たるものは、国の特別予算です。それと、日本の中央集権的官僚機構です。これに関しては、あのドラッカー氏も、日本の国家体制は、19世紀の西欧国家体制のままであると評しています。
この特別予算は、何と明治時代に確立されたものであり、それが連綿と今に至るまだ、続いています。明治時代~高度成長期においては、この特別予算もおおいに意味があったものと思います。とにかく、当時の西欧列強とまともにわたりあうためには、国民に対する福祉がどうこう言う前に、巨大な軍事予算が必要だったからです。
私は、過去のこのブログにおいて、明治時代に日本が西欧から導入し忘れたものとして、西欧型のNPOについてあげたことがあります。その時には、気付かなかったのですが、良く考えてみれば、当時はそのようなもの入れる必要はなかったのです。というより、地方で根付く、NPOなど、中央集権的な国家などをつくるためには、これは邪魔だったといえる位だと思います。ちなみに、鳩山さんが最近語りはじめた、「新しい公共」とは何も新しいものではなく、西欧では当時から行われていたことです。当時の経済的に恵まれていなかった日本とは異なり、当時のヨーロッパは、経済的に日本と比べれば、恵まれており、社会福祉的なことは、ほとんどすべてNPOが行っていました。
日本では、今でも、古い国家体制が温存されてしまったため、寄付金の文化も根付かず、そのため、有能なNPOも育つことない状況にあるのです。そうして、その根本原因は、NPOに大量の資金が流れることは、財務官僚などによる、財政民主主義という立場からはまずいとする考え方であったということです。それに、私たちは、エリザベス朝時代のイギリス大蔵省の人員構成を知っておく必要があります。なんと官僚まで含めて、10数名くらいしかいなかったのです。
当時の彼らは、社会福祉やその他、こまごました、本来PO(営利企業)や、NPO(非営利企業)が実施すべきことは、彼らにまかせ、本当に国家の重要な基盤(インフラ)に関する意思決定に関してのみ特化して行動して、あの輝かしいエリザベス朝の財政を支えたのです。そうして、そのインフラで動くのは、政府ではなく、NPO、POであったのです。無論現代では、世の中が複雑になり、情報量も飛躍的に増えてきていますから、この人数では到底無理ですが、このような考えかたにたてば、議員や、官僚の人員数を減らすことは決して無理ではないということが理解できます。
一方日本では、他国のようにまともな国家予算であっては、「大国の狼に怯える羊から、大国に噛み付く狼に変貌する」ことはできず、特別予算なども当然のことでもありました。さらに、太平洋戦争後においても、国を復興させるためや、さらに、世界で他国と伍していくためにはどうしても必要だったのです。だからこそ、いつでも、戦費を拠出するため、あのような世界にも類を見ない、特別予算が組まれるようになったのです。しかし、今の日本は、経済的にも発展して、昔のような貧乏な国ではありません。こんな国で、昔のまま、大きな特別予算を抱えた昔のままの中央集権的官僚主義体制が維持され続けるようなことは不可能です。
あれから、時をへて、これが逆機能を及ぼすようになってきたのです。もちろん、日本は、かつての独立した藩がたくさんある集合体にもどるべきではないと思います。しかし、このまま、強力な中央主権を保持していても、ますます、経済的にも疲弊していくばかりです。特に、地方は。また、閉塞感も打ち破るきっかけもつかめないと思います。中央と、地方のバランスをはかりながら、地方分権を進めていく必要があります。
やはりいまこそ、上の書籍の著者が主張してるような政治改革が必要なのです。そうして、それには、明治維新の真逆である中央集権の国家を完全に分裂させることではなく、中央でやるべきことは、中央で中央集権的にやり、地方では地方がやるべきことをやる体制にもっていくというバランス感覚が必要なのです。そうして、この政治改革には、明治維新のように、柔軟でしなやかに、一夜にして成し遂げるべきです。そうして、明治維新は、日本が西欧列強を手本として、成し遂げたものでしたが、今度は、日本が世界の手本となるような改革を断行すべきです。
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