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2020年5月7日木曜日

西村担当相vs吉村大阪知事、コロナで対立も解消「絆深まった」―【私の論評】今後、様々な政治家や、都道府県知事の本質・地金がコロナであぶり出されることになる(゚д゚)!


新型コロナ緊急事態宣言

記者会見する西村経済再生相=6日午後、内閣府

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のための政府の緊急事態宣言をめぐり、西村康稔経済再生担当相と大阪府の吉村洋文知事が一時対立したが、解消した。

 吉村氏は5日、外出自粛や休業要請を解除する独自の基準「大阪モデル」を公表し、「本来ならば国に示してほしかった」と批判した。西村氏は6日の記者会見で「勘違いしているのではないか。強い違和感を覚える。解除は知事の権限だ」と述べていた。

 緊急事態宣言の根拠となる改正新型インフルエンザ等対策特別措置法では、都道府県知事が外出自粛要請や店舗を含む施設の使用制限の要請、指示、公表ができる。解除の判断も知事の裁量だ。

 西村氏は7日の記者会見で、6日に吉村氏と電話で協議したことを明らかにした上で「お互いのちょっとした言葉のあやというか誤解があったので、解いた」と説明した。「府知事として指標を考えるのは、説明責任を果たすということで非常によいことだ」と述べた。

 一方で、緊急事態宣言の解除の基準に関しては「国全体として対象地域をどう考えるかというのは国の責任なので、私が説明責任を負う。しっかり示したい」と語った。吉村氏との「わだかまり」の有無を問われると「むしろこれで絆が深まったと思う。連携して収束に向けて全力で取り組んでいきたい」と強調した。

【私の論評】今後、様々な政治家や、都道府県知事の本質・地金がコロナであぶり出されることになる(゚д゚)!

大阪府の吉村知事が、5日外出自粛や休業要請を解除する独自の基準「大阪モデル」を発表しましたが、これは一体どういうものなのでしょうか。以下に大阪モデルの概要を掲載します。


大阪モデルは、「客観的なモニタリング指標の設定」「指標の見える化により府民の行動変容を促す」「基準に基づく自粛要請・解除などの対策を段階的に実施」「陽性者数等を踏まえた必要な感染拡大防止策の実施」を柱にするもので、自粛を解除する指針をが具体的に示したものです。


感染拡大状況を判断するため、府独自に指標を設定し、日々モニタリング・見える化した事が最大の特徴。各指標について、「感染爆発の兆候」と「感染の収束状況」を判断するための警戒基準を設定した。今月、中旬に国で検討される判断基準を踏まえて最終決定する。

モニタリングの分析事項は、「市中での感染拡大状況」「新規陽性患者の発生状況、検査体制のひっ迫状況」「病床のひっ迫状況」の3つ。

新規陽性者におけるリンク不明者数が10人未満、確定診断検査における陽性率が7%未満、患者受入重症病床使用率60%未満を7日間連続達成すれば、自粛を段階的に解除するとしている。


特に、基準が示されていということは、良いことです。これだと、誰もがこの基準に照らして、現状を把握して、これは基準に合致している、合致していないということが確かめられます。

これによって、「自粛要請が遅すぎる」とか「自粛要請がはやすぎる」などの無駄な論議を避けることができます。

大阪府が前もってこのような基準を発表しておけば、これに反対の人はその根拠を示してそれに反対すればよいわけです。それが妥当なものであれば、大阪府は基準を変える可能性もあります。

基準が一度定まってしまえば、それに向けて各方面が努力すれば良いので、無駄な議論もさけることができます。

このようなことは、コロナ感染対策でなくても、あらゆる組織のマネジメントにいえることです。特に優先順位をつけるという事が重要です。

経営学の大家であるドラッカー氏は、優先順位と劣後順位について以下のようなものを述べています。

「いかに単純化し組織化しても、なすべきことは利用しうる資源よりも多く残る。機会は実現のための手段よりも多い。したがって優先順位を決定しなければ何事も行えない」(『創造する経営者』)

誰にとっても優先順位の決定は難しくないです。難しいのは劣後順位の決定です。つまり、なすべきでないことの決定です。一度延期したものを復活させることは、いかにそれが望ましく見えても失敗というべきでなのです。このことが劣後順位の決定をためらわせるのです。

優先順位の分析については多くのことがいえます。しかしドラッカーは、優先順位と劣後順位に関して重要なことは、分析ではなく勇気だといいます。彼は優先順位の決定についていくつかの原則を挙げています。そしてそのいずれもが、分析ではなく勇気にかかわる原則です。

 第一が、「過去ではなく未来を選ぶこと」である。 

 第二が、「問題ではなく機会に焦点を合わせること」である。

 第三が、「横並びでなく独自性を持つこと」である。

 第四が、「無難なものではなく変革をもたらすものに照準を当てること」である。

「容易に成功しそうなものを選ぶようでは大きな成果はあげられない。膨大な注釈の集まりは生み出せるだろうが、自らの名を冠した法則や思想を生み出すことはできない。大きな業績をあげる者は、機会を中心に優先順位を決め、他の要素は決定要因ではなく制約要因にすぎないと見る」(『経営者の条件』)

大阪モデルでも、警戒基準からみて、優先順位はやはり(1)市中の感染拡大を少なくする、(2)新規陽性患者の発生を少なくすること、(3)病状の逼迫状況を少なくすること、なのでしょう。

これは、非常に納得しやすい、事項です。他にもPCR検査がどうのとか、ガウン、マスクがどうのこうのという細かなこともありますが、これは目的を達成するための手段であり、PCR検査をすること自体や、医療器具・機器など自体を増やす事自体が大問題であるわけではありません。

無論、検査体制や機器がなければ、基準を達成することはできないですが、これは基準を満たすための制約要因であって、それ自体が目標ではないわけです。このようなことは、言われればわかることですが、優先順位をつけたり、基準を設けなければ、混乱してしまうことが多いものです。

ドラッカー氏は、大阪府や政府、省庁などの公的機関には、6つの規律が重要だとしています。

「あらゆる公的機関が、六つの規律を自らに課す必要がある。事業の定義、目標の設定、活動の優先順位、成果の尺度、成果の評価、活動の廃棄である」(ドラッカー名著集(13)『マネジメント──課題、責任、実践』[上])

今ようやく日本でも、公的機関の見直しが急ピッチで進められています。しかしドラッカーは、すでに3分の1世紀前に、公的機関に成果を上げさせるための規律を明らかにしています。
第一に、自らの事業を定義することである。「事業は何か」「何であるべきか」を定義する。ありうる定義をすべて公にし、それらを徹底的に検討する。 
第二に、その定義に従い、明確な目標を設定することである。成果を上げるには、活動に直結する目標が必要である。目標がなければ活動のしようがない。 
第三に、活動に優先順位をつけることである。同時に、期限を明らかにし、担当する部署を決めることである。 
第四に、成果の尺度を明らかにすることである。尺度がなくては、せっかくの事業の定義や目標も、絵空事に終わる。 
第五に、その尺度を使って成果のフィードバックを行なうことである。全組織が成果による自己目標管理を行なわなければならない。 
第六に、事業の定義に合わなくなった目標、無効になった優先順位、意味の失われた尺度を廃棄することである。不十分な成果に資金とエネルギーを投入し続けることのないよう、非生産的なものすべてを廃棄するシステムを持つ。
これらのステップのうち最も重要なものは、事業の定義だと誰もが思います。ところがドラッカーは、最も重要なものは、第六のステップだといいます。企業には、非生産的な活動を廃棄しなければ倒産するというメカニズムが組み込まれている。ところが、公的機関にはそのようなメカニズムがありません。

公的機関が必要としているのは、人の入れ替えの類いではないというてのです。わずか六つの規律を守ることだというのです。

「公的機関に必要なことは、企業のまねではない。成果をあげることである。病院は病院として、大学は大学として、行政機関は行政機関として成果をあげることである。つまり、自らに特有の目的、ミッション、機能を徹底的に検討して、求められる成果をあげることである」(『マネジメント』)

大阪府は、現在当面している最も重要な問題である、自粛や休業要請の解除に関して、明確な基準を打ち出しました。これは、大阪府が上の6つの規律のうちのいくつかを確実に実行していることを示しています。

対して政府は、基準や目標を定めずに、自粛の延長を決めてしまったわけで、これは明らかにドラッカーの示す、6つの規律に反していると思います。

本来であれば、国もこのような基準を示し、各都道府県はその基準を参考にしつつも、さらに各都道府県の特性にあわせて独自の細かい基準を策定するというのが筋だと思います。

そうして、こうした国の基準をクリアした都道府県から最初に、自粛を段階的に解除していくという方式が望ましかったと思います。

“大阪モデル”の発表に際して吉村知事は「大事なのはまず数値で示すということなので、まず数値で出口戦略をする」「本来は国で示して頂きたかったが、それが示されないということになったので、府としてのモデルを決定したいと思う」と説明していました。

大阪府の吉村洋文知事

この件に関する受け止めを聞かれた西村大臣は「報道で承知している」とした上で、「何か勘違いをされているのではないかと、強い違和感を覚える。各都道府県の裁量で休業要請なり解除なりを行っていただくわけなので、その説明責任を果たすのは当然。都道府県の知事の権限・裁量を増やしてほしいと要請や主張をされながら、『休業要請を解除する要件の基準は国が示してくれないから』というのは大きな矛盾だと思う」と反論していました。

それを踏まえ、国の考えとして「緊急事態宣言の対象区域、解除の基準をどう考えていくか。先般少し指標についてお示ししたように、今後の出口について責任をもって数値・基準をお示したいと考えている」と述べました。

西村大臣の言っていることは形式的には間違いでないようにもみえますが、霞ヶ関の官僚がいうような縄張り争いのようであり、政治家の発言としては器の小さなものだと思います。それを批判されたので、

吉村大阪府知事は、大阪府下の経済状況を把握した上で、どのように被害を最小限に留めるべきなのか、考察をし続けているのでしょう。

実は新型コロナウイルス感染拡大で発生する死者よりも、その影響による経済的な死者の方がはるかに上回るのではないかと、私は考えています。その根拠として、このブログでも年間自殺者数が、平成時代(この機関はほぼデフレ)には3万人台を超えていました。昨年は2万人を切ったことを掲載したことがあります。

西村経済再生相と吉村大阪府知事を単純比較はできないですが、明らかに当事者の立場に近いのは吉村大阪府知事です。

緊急事態宣言が延長されて経済活動が止まり続ければ、自殺者が多く出ることは誰でも理解できる状況です。

経済活動を止め続けることで死者が出ることに対し、政治家は真摯に責任を持たなければならないはずです。

これ以上の経済危機による死者、生活困窮者がでないように、政府は真摯に地方経済を把握している首長の発言、提案くらい最初から真摯に耳を傾ける度量くらい持つべきでしょう。

以前このブログで、コロナ感染拡大の危急存亡のときには、人や組織の本質や地金がみえてくると主張しましたが、今回もそれがはっきりしたと思います。

西村経済再生相は、政治家としては器が小さいです。吉村大阪府知事は、真摯に府政に向き合っているようです。

これは、大阪モデル発表と同時期に記者会見を行った東京都の小池知事にいえます。小池知事の会見は、吉村知事とは対照的であり、自粛解除の基準も示さず、それを示さなかった政府に対して苦言を呈するでもなく、終始精神論ばかりを語っていました。

今後、様々な政治家や、都道府県知事の本質・地金がでてくるでしょう。本質・地金を見るにつけても、感情論に流されたり、非論理的な見方をすれば、正しい見方はできないと思います。

そのようなときにこそ、ドラッカー氏のいう優先順位、劣後順位に関する主張や、公的機関の守るべき6つの規律などを参照するべきものと思います。

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