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2020年6月21日日曜日

自殺者の大幅減は、ウィズコロナ社会の希望だ!―【私の論評】コロナ後の社会は、意識高い系の人々の予測とは異なるものになる!(◎_◎;)

自殺者の大幅減は、ウィズコロナ社会の希望だ!

逆張りで「コロナはチャンス」と主張する人たち


コロナ禍の自粛ムードの中、どうにも気が滅入ったのは、この非常事態の中でもなお、力強くビジネスチャンスについて語る一部の人たちの存在だった。

「この危機をどう乗り越え、どうビジネスチャンスに変えるか。今はピンチだからこそ、逆にチャンスなのです!」

この人は本気で言っているんだろうか……。しばし、めまいに襲われた。

おそらくビジネスマンとして成功している人なのだろう、プロフィールには転社や起業の経歴がカタカナ満載で記されている。

世界中の人たちが自粛を余儀なくされ、それぞれの生き方や、働く意味について見つめ直しているであろうご時世においても、めざとくチャンスを探し、生き馬の目を抜くがごとく行動する、そんな人がきっとビジネスの分野では成功する。

その志向性を否定しようとは思わない。ただ、個人的には絶対に友達になれそうもないし、めまいとともに吐き気がする。

世の中には、頑張って生きたい人と、できれば頑張らずに生きたい人がいる。ひとりの人生の中にも、頑張りたい時期があれば、頑張りたくない時期もある。

メディアに出てくるタイプの人には、頑張って生きることを正しさと疑わない人が多い。だから、声も大きく響く。

でも、できれば頑張らずに生きていきたい人は、メディアに登場せず、声もほとんど聞こえない。だから注目もされず、時に社会の足を引っ張る害悪のような扱いさえ受ける。

「自殺者減少」が示唆するもの

自殺のニュースに目を向けたい。
<厚生労働省自殺対策推進室は5月12日、毎月発表している自殺者統計の4月末結果を発表した。自殺者は1455人と前年同期比で19.8%減少した。過去5年間では最も大きな減少幅だった。>
[Sustainable Japan/5月14日 https://sustainablejapan.jp/2020/05/14/japan-suicide/49463]
先日、今年4月の自殺者数が前年比で約20パーセントも減少したという、厚生労働省の発表が大きな話題になった。前年同月より359人少ない1455人だったという。

減少の理由は簡単に結論を出せるものではなく、1ヶ月のデータで語るのも危険だろうが、メディアには「テレワークや休校によって、出社や登校の人間関係のストレスが減ったことが原因ではないか」とする専門家の意見が多く掲載されている。

このニュースは、もっともっと、大きく論じられるべきだと思う。

たった1ヶ月で自殺者が359人も減った。大変な数である。まだしばらく統計を注視しないと議論しにくいのは確かだろうし、すぐに前年並みに戻る可能性もある。減った分だけ命が救われたわけではなく、自殺という行為が先延ばしになっただけかも知れない。

それでも現実に、多くの会社で出社を命じられなくなり、多くの学校で登校の必要がなくなったら、命を絶つ人間が大幅に減った。これは新型コロナの特効薬が見つかったのと同じくらい、希望のあふれるビッグニュースのはずだ。もし今後、自殺者数が戻ったとしても、なかったことにできるトピックではない。明るいニュースなのだ、これは。

ぼく自身、対人ストレスのつらさはわかっているつもりの側であり、だから、おひとり達人をめざしている。フリーライターをやっているのも、なるべく人と接しないで生きていくため。生涯独身なのも、ひとりぼっちの時間を守るためだ。

外出自粛令のおかげで何百人が自殺をせずに済んだのだとしたら、その表に出ない喜びや安堵の声を少しでも拡大してあげたい。

自殺者の多さは日本という国の闇である。2010年以降は減少傾向にあるとはいえ、2019年の自殺者は2万169人。新型コロナで亡くなった人より、まだ何十倍も多い。

コロナ対策が結果的に自殺対策として功を奏したのだとしたら、これほど喜ばしい副次効果はない。

しかし、世の中の流れを見ていると、この画期的な特効薬発見を重く受け止め、活かそうとしているようには思えない。

出社、登校。したくない人はしなくていい

テレワークを推し進めた会社がある一方、以前と変わらぬ出勤体制を課す会社は多い。学校もやがて平常スタイルに戻ってしまうだろう。

なぜ、今ここで「会社へ来るのがストレスの人は名乗り出てください。なるべく出社しないで済むようにするから」とか、「学校へ来るのがつらかったら休んでいいよ。来なくても勉強できるように授業のスタイルを変えるから」という動きが、この機会にもっと見えてこないのか。

たくさんの命が救われるかも知れないという希望の光がせっかく差したのに、なぜ急いで元に戻そうとするのか。経済を動かすか、社会不適合者の命を守るかの二択の話をしているわけではない。どっちも両立できる道だ。

対人ストレスの小さい人は以前同様、会社や学校の枠の中で人と接しながら頑張ればいい。

対人ストレスの大きい人はこの機会に、会社や学校の通常枠から外れても生きていけるような、社会の仕組みの再構築を訴えればいい。そんな生き方を認めてもらえばいい。

ある種の人間にとって、毎日の出社や登校は目の前でマスク無しで咳をされる以上の苦痛であり、それが死を選ぶ理由にもなるのだという現実を、もっと社会全体が受け止めて欲しい。


「会社に来たくなかったら、来なくていいよ」
「学校に行きたくなかったら、行かなくていいよ」
「頑張って生きるのがつらかったら、頑張らずに生きてもいいんだよ」

そう言ってあげるだけで救われる命が1ヶ月に300以上もあるのだとしたら、それを無視して以前と同じ業務形態や登校義務を課すのは、ただのヒトデナシのやることだと思う。ビジネスチャンスに目をギラつかせる人間を、誰もが崇拝しているわけではないのだから。

【私の論評】コロナ後の社会は、意識高い系の人々の予測とは異なるものになる!(◎_◎;)

自殺者数については、このブログでも度々掲載してきました。自殺者は、特に平成年間は3万人台を超えていました。しかし、安倍政権が誕生してから低下傾向にありました。低下傾向は、最近も続いていて、昨年はとうとう2万人台を切りました。

このブログでは、増税や金融引き締めなどの経済政策のまずさがその根底にあることを主張してしてきました。安倍政権では、二度も消費税増税がなされため、財政的には平成時代と同じく、緊縮財政が実施され、財政的には大失敗でした。ただし、金融緩和政策だけは、継続してされました。日本ではあまり理解しない人が多いですが、金融緩和政策は、雇用を改善します。

そのため、安倍政権においては、雇用は改善され続け、人手不足の状況になっていたことは事実です。これが、自殺者を減らず大きな一因になってきたことは事実です。ただ、それだけではないことも事実だと思います。

上の記事にも掲載されていたように、実際4月の統計では、前年同期比で19.8%減少しています。私自身は、昨年10月の消費税増税があり、個人消費が落ちみ、1月〜3月のGDPも落ち込み、それに加えコロナ禍もあったことから、自殺者が増える可能性もあるのではとの懸念を抱いていました。

しかし、その懸念は見事に払拭されました。これは、マクロ的には金融緩和政策が継続されてきたことにもよるでしょうが、そのほかにミクロ的には、テレワークや休校によって、出社や登校の人間関係のストレスが減ったことによるものかもしれません。

だとしたら素晴らしいことだと思います。これは、今後も分析してみないとはっきりはしませんが、それにしてもコロナ後の社会のあり方に大きなヒントを提供しているように思えます。

個人的には、あることを思い出してしまいました。それは、ある図書館司書の方のツイートです。

「学校が死ぬほどつらい子は図書館へいらっしゃい」。夏休みが明けるころに子どもの自殺が増える傾向があることから、神奈川県鎌倉市立の図書館の公式ツイッターが26日、こうつぶやいたのです。

つぶやいたのは、市中央図書館司書の河合真帆さん(44)。9月1日に子どもの自殺が突出して多いとの報道を読み、図書館学を学ぶ中で知ったことを思い出したそうです。

「自殺したくなったら図書館へ」。米国の図書館に貼られていたというポスターの文言です。図書館には問題解決のヒントや人生を支える何かがある。そんなメッセージでした。

利用者の秘密を守るのも、図書館の大事な原則です。子どもは学校に通報されると心配しているかもしれない。だから、「一日いても誰も何も言わないよ」と書き添えました。「一日だらだらしていても、誰も何も言わないから気軽においで。ただぼーっとするだけでもいいと伝えたい」

ツイッターは職員が誰でも書き込むことができ、河合さんは郷土史や観光の話題をこまめにつぶやくようにしているといいます。このつぶやきには、「あの頃の私に聞かせてあげたい」「感動した」などと、多くのコメントが寄せらました。

当時のこのツイートを読んだ私は、感動して「何と慈愛に満ちたツイートなのだろう」というコメントとともに、これをリツイートしたのを覚えています。

確かに、どうしても学校や、会社に行きたくない人が、行かなくても勉強できたら、仕事ができれば、素晴らしいことです。

コロナ後の社会は、意外とこのような変化をするかもしれません。ビジネスチャンスに目をギラつかせる人間が、社会の変化を正しく捉えているとは限りません。実際、中国からのインバウンドに目をぎらつかせいた人間の大失敗は、この度のコロナ禍により失敗出会ったことが明らかになったと思います。

私自身は、中国のインバウンドにばかり頼ることの危険性を従来から指摘してきました。中国はコロナ禍に限らず、元々カントリーリスクの高い国でしたし、昨年あたりでも、インバウンドよりも、日本国内では日本人の旅行客のほうがインバウドよりも、日本人旅行者のほうがはるかに多く消費をしていたという事実があります。

日本の観光地を良くしたいなら、まずは日本人の観光客を満足させるようにすべきであるというのが私の持論です。日本人の旅行客が大満足し、何度も訪れるようにすることが、日本の観光地の使命だと思います。その上で、外国の方々が多くいらしていただけるのであれば、それはありがたく受け入れれば良いのです。

それにして、コロナ禍でも、目をぎらつかせて、ビジネスを語る方々のいうように、コロナ後にパラダイムシフトは起こらないと思います。

それについては、以前もこのブログに掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
コロナ後の世界、「スペインかぜ」後に酷似する予感―【私の論評】社会は緩慢に変わるが、今こそ真の意味でのリーダーシップが必要とされる時代に(゚д゚)!

         1918年、ワシントンD.C.のウォルター・リード病院で
         インフルエンザ患者の脈を取る看護婦

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部を引用します。
コロナの後に世界は変わるのでしょうか。結論から言うと、劇的に社会が変わっていく、いわゆるパラダイムシフトは私は、起こらないと思います。

それどころか、人々が思ったいいる以上に元の社会に戻ろうとすると私は考えています。

それはなぜかというと、それが多くの人々のとって一番ラクだからです。社会は変化を求めているようですが、実際に、自分自身を変えていこうと思っている人がどれくらいいるでしょうか。

何か新しい取り組みを始めようと思っている人はそんなに多くはないのではないかと思います。変化を強要されているところは、致し方なく取り組んでいるのが現状だと思います。

コロナの終息後でも私自身も含めて多くの一般的な人たちの考え方は変わらないでしょう。

これを変えようと思う人はかなり意識が高いと思います。意識が高いという言い方は褒めているわけではなく、流行りにのっている部分もかなりあると思うのです。そういう意味です。これは、いわゆる意識高い系の方々には耳が痛いのではないかと思います。ただし、意識高い系とは、本当に意識が高い人という意味ではありません。そうではなく、意識が高いふりをしている人と言ってもよいかもしれません。

つまり、ほとんどの人にとってソーシャルディスタンスを継続させていったり、テレワークなどのデジタルな暮らし方にシフトしていくことは大変なことだと思います。何しろ、今でも家庭でのWIFI普及率は、思いの他低いことをある調査で知り、驚いたばかりです。あるいは、携帯電話は使用しているものの、パソコンの使用率も思いの他低いです。そのため、急激に社会が変化していくパラダイムシフトはおこらないと思います。

では、社会は元どおりになっていくのでしょうか。私自身は、変わらないところがあるように、変わるところがあるとも思っています。それはどこかと言うと、苦しんでも変えざると得ないという人たち。つまり主に経営者達の考え方です。私は、どちらかというとこちらに属しているのでよく分かります。
この内容、少し矛盾していると思われる方もいるかもしれません。しかし、矛盾しているわけではありません。私自身も含めて、多くの人は元の社会に戻るのが楽なのですが、経営者いうか、リーダー的立場の人は、自ら属する組織を変える責務を持つということです。

そうして、リーダーとはいっても、カリスマ性や部署間の調整をすることなどではなく真のリーダージップを発揮しなくてはないらなということです。そうして、リーダーシップの本質をこの記事では掲載しました。関心のある方は、この部分も是非読んでください。

そうして、この傾向はさらに続くということもこのブログで主張しました。その記事のリンクを掲載します。
自給自足型経済で“V字回復”日本の黄金時代到来へ! 高い衛生観念でコロナ感染・死者数抑え込みにも成功―【私の論評】今後も続く人手不足が、日本を根底から変える。普通の人が普通に努力すれば応分に報いられる時代がやってくる(゚д゚)!
     日本は強制力のない自粛要請でも感染拡大を
     抑え込んだ=5月9日、東京・原宿の竹下通り
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、中国で製造していたものを、ある程度日本で製造するようにすれば、過去の日本が自給自足型の経済で成功していように、令和日本は黄金期を迎えることを主張しました。

コロナ禍以前には、人手不足状況だったわけですから、今後日本の経済が回復し、中国で製造していたものを日本でも製造するようになれば、当然の事ながら、さらに人手不足となり、日本は経済的に発展するだけではなく、社会構造も良い方に変わっていくであろうと予測したわけです。

このような変化に気づかず、既存の路線で単にIT化が進んだり、社会的距離を重視する社会になると思うような人には、次の社会など予想できないでしょう。

今後の社会は人手不足があたり前になるのですから、人を単なる人と見るのではなく、個性のある個々人であることに想いが至らないような人は、社会の変化を見通すことなどできないでしょう。

今後の社会は、パラダイムシフトが起こるではなく、やれば良いに決まっているし、既にできることで、できていないことなどがどんどん実施されるようになっていくと思います。

その良い事例が、テレワークやオンライン授業です。さらに、いわゆる「いじめ」もなくす努力がなされていくでしょう。

EUの人々に日米でいう「いじめ,Bullying」とは何なのだと質問を受ける事がよくあります。いろいろ説明するのですが、なかなか理解してもらえません。

国が違っても、彼らのほとんどは「それは犯罪です」と言います。確かに、「いじめ」とは、学校や職場という閉鎖空間で行われているだけであって、その本質は軽い重いはあっても、全て「犯罪」です。

「犯罪」には犯罪に対する対処法が適用されて当然です。ドイツは、日本と全く異なる対象がなされています。例えば、高校の教師は、学校の外、例えば、町の通りで自分の教え子がタバコを吸っていたとしても、それを注意する必要はないそうです。学校の外では親が子供に対する責任を持っているからです。

また、「いじめ」などを執拗に繰り返す子供には、校長が家庭に向けて注意をうながす手紙を書くそうです。その手紙が三通になった場合は、その対象となった子供は自動的に退学になるそうです。

非常にシンプルです。何回も退学になるような子供は終いには、いずれの学校にも行けなくなるそうです。

日本では、学校や職場が場合によっては、まるで治外法権のようになっている場合もあるあります。これは早急に是正しなければならないです。また、米国では暴力が異常なレベルにまでなっています。

日米共に、もっとシンプルな方法で「いじめ」を根絶する必要がありますが、これも今後進めやすくなると思います。

これらのことは、基本的に人手不足であるほうが、変えやすくなります。そもそも、人を大事に扱おうとしない学校や職場には人が集まらなくなります。

こういうことを言うと、「いやAIが出てきて、人を駆逐するようになる」と言う人も居るかもしれません。いわゆるシンギュラリティーが起こって、機械が全部人にとって変わるなどと・・・・・。

そんなことはないことがラッダイト運動でもう私たちは、学んだのではありませんか。そうして、シンギュラリティー信奉者には、こう言いたいです。

「あなたは実際にAIのプログラムを書いたことがありますか?」と。少なくとも私は書いたことがあります。ただし、大昔のことですから、その当時は、今ではあまり使われてない言語で、ほんの初歩的なものでした。人で言えば、赤ちゃんが呟くようなものですが、それでもプログラムはプログラムです。今でも、原理的には変わりません。

ラッダイト運動で機械を打ち壊した労働者たちは、機械が発達した社会は、自分たちの時代の社会とあまり変わりないと考えていました。

しかし、機械やコンピューターが発展した現代は、その頃の社会とは全く異なります。

これからの社会は、中国などの特殊な社会は除き、今とは全く異なる社会となるでしょう。そこでは、今よりも、はるかに個々人のニーズやウォンツが満たされる社会となるでしょう。

そのような社会においては、無限の様々な新しいニーズが生じてくるはずです。その新しい新しいニーズに応えるためには、人間の思考は欠かせません。無論、その模索にもAIは大活躍することになるでしょうが、それにしても肝心要のところは人間が考えます。AIはその補佐をするにすぎません。

既存のニーズには、AIが最適な解を出すでしょう。しかし、新たなニーズに対する解は、人間が模索するしかないのです。模索して、プログラミング化できれば、後は、コンピュータと機械がそれを迅速に満たすことになるでしょう。

そうして、新しいニーズはその時代でもいくらでも出てくるのです。その時代には、自殺者の大幅減は、ウィズコロナ社会の希望かもしれないと気がつくような感性を持った人が、様々な分野で活躍するようになっていると思います。

コロナ禍で目をギラつかせて、「ビジネス、ビジネス」というような人は時代遅れになっているでしょう。本当に心の底から人のために役に立ちたい、人々の暮らしを良い方向に導いていきたいと考える人の時代になるでしょう。

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