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経済産業省は24日、民主党政権の公務員制度改革を批判してきた同省の古賀茂明氏(55)=大臣官房付=を退職させる方針を固め、同日午後、本人に打診した。古賀氏は東京電力福島第1原発事故を受け、電力会社が猛反発する「発送電分離」などの電力改革を唱えたほか、5月20日に出版した著書で、事故を巡る政府の対応を批判しており、現職官僚による「内部告発」が引き金となった可能性が濃厚だ。
関係者によると、松永和夫経産事務次官が同日、古賀氏に7月15日付の退職を打診した。古賀氏は「あまりに性急だ」と回答を留保しているという。
古賀氏は1980年、通商産業省(現経産省)に入省。経済産業政策課長などを歴任。政権交代前には国家公務員制度改革推進本部事務局の審議官として「天下り規制の強化」「事務次官廃止」などを提案したが、霞が関の猛反発で退けられ、2009年12月に待機ポストの現職に就いた。
【私の論評】日本の政治システム改革への道のりがさらに遠くなった象徴的出来事とみなすべき!!
民主党は、かつて、政治主導ということをいっていました。要するに、官僚主義を廃して、政治家が政治を主導しようということだったはずです。松永氏は、まさに、国民のために、官僚機構を変えようと主張しています。官僚側からそのようなことを言っているのですから、これを重用せずに、くびにしてしまうとは、民主党も焼きがまわりました。
私としては、政府批判をしたということもあり、立場上、いっときは、閑職にまわして、その後で相応しい部署にまわすくらいのことはあるかもしれないと思っていましたが、クビにするとは、どうしようもないです。
今の民主党はっきりいって、隅から隅まで、財務省の言いなりで、菅さんをはじめとして、特に与謝野さん、その他の多くの閣僚が結局は、財務省の掌でコロコロ踊らされているだけです。
それだけ、官僚組織は強固だということです。だから、こうした官僚組織を相手にするのに、古賀氏のような人は、切り札として使えば、いろいろと役にたったはずです。もうこれで、民主党は、財務高級官僚の飼い犬になったも同然だと思います。
私自身は、このブログにも以前掲載したように、本格的な政治主導を目指すなら、アメリカ型の政策を立案できるシンクタンクの設立が不可欠であると思っています。なぜなら、アメリカはまごうかたなく、政治主導の政治を実践してきていますし、アメリカで官僚といえば、本当に公僕であり、それ以上でも、それ以下の存在ではないからです。アメリカには、日本やフランスでいうところの、エリートとしての官僚は存在しません。
そういう手本があるのに、民主党は、全くそのことを勉強せずに、ただ、政治主導とスローガンを掲げ結局何もできませんでした。あの、国家戦略局なるものはどうなったのでしょうか。
結局は人材がいないので、何も出来なかったということです。そりゃそうです、会社で企画を立案したり、戦略を立案することだって、難しいというのに、政策立案などさらに難しく、政局ばかり追いかけてきた政治屋にそんなことができるはずはありません。
それに、アメリカだって、政策案を作成するのは、政治家ではありません。それこそ、シンクタンクが行っています。ただし、どの案を採択するかは、政治家の責任です。
文明国の、しかも、経済、社会が肥大化した先進国では、政策立案など並大抵のことではできません。そんなことを無視して、案の定何もできなかった民主党です。
私自身は、從來から、政策立案を実際に行ってきた、官僚の力を侮るべきではない思っています。官僚の中にも、様々なタイプの人がいて、それこそ、自分のことや省益しか考えない人いますが、数は少ないでしょうが、本当に国民のこと、特に社会のことを考える官僚はいるはずです。
かつて、ドラッカー氏は、「ネクスト・ソサエティー」という書籍で、日本の官僚に対する異説ということで以下のように記載しています。
1.官僚の優位性はほとんどあらゆる先進国で見られるとの仮説である。アメリカといくつかのあまり人口の多くない英語圏の国、すなわちオーストラリア、ニュージーランド、カナダのほうが例外である。日本の官僚の優位性は、他の先進国、特に他のフランスにくらべるならばまたまだ劣っている。
2.日本の官僚は、われわれが考えるよりもはるかに耐久性があるというものである。日本の官僚は、長年の不祥事と無能の暴露にもかかわらず権力を維持してきた。
3.先進国では、アメリカを別として、社会の維持にはエリートの指導力が必要されているというものである。後を継ぐものが現れない限り、既存の指導層に頼らざるを得ない。今日の日本には、官僚の後をつぐものは現れそうにない。
4.日本では、先送りが有効であるというものである。日本はこの40年間(現時点では50年間)、解決不能さされていた社会問題を、問題の解決ではなくむしろ先送りによって二度までも解決してきた。もちろん、今日の金融システムにおける構造上の脆弱さと資金的な余力を考えれば、今度ばかりは先送り戦略もうまくいかない。しかし経験的には、日本の先送り戦略には一概に不合理とはいえないものがある。
5.日本の政治家、官僚、経済界などの政策形成者にとっては、大事なのは経済よりも社会であって、先送りこそ合理的な戦略というものである。成功した二つの先送り戦略とは、「農村部の非生産的な人口を何もしないことにより解決したこと」すなわち、都市部への農村部からの大移動です。
次に「非生産的な小売業の革新。小売業の革新に関しては、結局検討はしたが何もせずに、解決している。50年前と比較すると今日、流通業の問題は社会的にも経済的にもほぼ解消している」。非生産的だった家族経営の商店は、今でも残っていますが、特に都市部では、そのほとんどが小売チェーンのフランチャイズ店になっています。今や、日本の小売業は、世界で最も効率的な流通システムになっています。そうして、かなり利益もあげるようになっています。
逆に失敗は、しなくても良いことをして失敗していることがほんどです。
たとえば、1980年代において、他国なら不況とはみなされないような程度の景気と雇用の減速を経験したとき、そこに変動相場制移行によるドルの下落が重なり、輸出依存度の高い産業がパニックに陥りました。官僚は圧力に抗しきれず、欧米流の行動をとりました。景気回復のために予算を投入しました。しかし、結果は、惨憺たるものでした。先進国では最大規模の財政赤字を出しました。株式市場は高騰しました。都市部の地価はさらに上昇しました。借り手不足の銀行は憑かれたように投機家に融資をしました。そうして、ご存知のように、バブルははじけ、こうして金融危機がはじまりました。
詳細は、ここでは、省きます。興味のある方是非「ネクスト・ソサエティー」を読んでください。結びとして、ドラッカー氏は次のように述べています。
「日本の社会が強固か脆弱かは別の問題である。重要なことは、日本が社会を最重要視することを当然としていることにある。したがって、もしアメリカが、特に苦境にある日本との関係においてこのことを理解するならば、日本の官僚は無用であるとの観念に今日ほど固執する必要もないのではないかと思われる。
もちろん、官僚の擁護などは異説である。しかし、異説というものは、通説よりも真実に近いことが少なくないのである」
ドラッカーがいっていた日本の官僚の良い部分を体現するような人が、まさしく、古賀氏であると思います。民主党の勉強不足がまた、露呈したと思います。このような人をやめさせる民主党は、もう先がみえています。
さらに、ドラッカー氏は、「組織において頻々として同じような問題がおこる場合は、それは最早人の問題ではない。システムを変えるべき」としています。私も、そう思います。日本の政治システは、完全に制度疲労を起こしているのです。選挙の仕方から、国会のありかたから、政府のあり方から、政治資金規正法などを含む法律など本来は何から何までかえなければならないのです。
もう時代にそぐわなくなっているのです。この改革なしに、人を変えても、何も変らないことは、今回の政権交代で、白日のもとに晒されたと思います。今のままでは、これからも、総理大臣がコロコロかわり、政権も長持ちしないでしょう。誰がなっても、何も変わりません!!企業だって、50年前と同じことを継承しているような企業は、もうとっくに姿を消しています。
私自身は、アメリカ型の政策立案ができるシンクタンクを日本にもつくるべきと提唱していますが、そのようなシンクタンクは、一夜にしてできあがるわけではありません。残念ながら、今は、民間のシンクタンクでもそのような力があるところはありません。さらに、自民党や、民主党にもシンクタンクがありますが、以前のこのブロク゛に掲載したように、やっていることといえば、おきまりの、研修、パネルディスカッション、シンポジュウムでお茶を濁しているばかりで、これでは、まともに仕事ができない、三流コンサルタントのようなものです。
この状況から、まともに機能するシンクタンクをつくるとすれば、短くても、10年、長ければ20年もかかってしまいます。その間、日本の政治をそのままほったらかしにしておくわけには、いきません。しかし、日本でも、それなりに実施する方法はあります。それは、官僚を力を活かすことです。
過去においては、官僚の実施したことが成功しています。日本が経済大国になる過程において、その力を発揮したことは間違いありません。ただし、現在では、もう、官僚組織が制度疲労をおこして、長所より、短所ばかりが目につくようになったということです。それは、人の問題ではなく、制度・システムの問題です。だから、優秀な人も当然存在するわけです。たとえば、古賀氏です。
であれば、日本版政策立案可能なシンクタンクをつくるとすれば、官僚おらび、民間などの優秀な頭を集めて、既存の官僚機構とは全く別につくれば、十分機能すると思います。これを土台として、いずれアメリカのようなNPOのシンクタンクをつくれば十分にできるはずです。
このようなことは、日本のお家芸だと思います。日本が明治維新のときに、官製工場などたくさんつくり、それを後から民間企業に払い下げて、驚くべき短期間に民間企業を多数養成しました。だから、最初は半官製であってもかまわないので、いずれアメリカのようにNPOにするということで、実施すれば良いのです。
NPOとはいっても、日本のような弱小なものを思い浮かべてもらっては困ります。あくまで、中身は、日本的でありながらも、アメリカ型のNPOということです。実際に機能するNPOということです。たとえば、アメリカの都市には普通に見られる、それこそ、サブプライム・ローンなど出てくるずっと前から低所得者向け住宅を包括的パッケージとして提供し続け大成功を収めて続けているNPOをイメージしていただけると良く理解できると思います。
このこと一つとっても、民主党のいわゆる「新しい公共」も所詮浅薄な考えであり、実現しそうにもありません。
(これらに関しては、本日の本題ではないので、また、後日詳細を掲載します)
しかし、今回の古賀氏の件で、このような試みは、今までも程遠かったのに、さらに、遠のいたと思います。古賀氏を解雇する勉強不足の民主党、それが、何を意味するのか、理解していません。現在、民主党で、シンクタンク的役割をになているとすれば、社会党から内閣府の事務方に横滑りで入った連中です。
社会党から横滑りした連中に何ができますか?社会党は、もう制度疲労をおこして、消滅した組織です。そこの、事務方がまともな政策立案などできるはずがありません。やるとすれば、彼らが良かれと思って、実施する、日本国解体であり、社会不安だけです。何しろ、彼らは、世界の中では、もうとっくに消滅して、ロシア、中国でも顧みれなくなくなった、共産主義を信奉している連中なのですから。
民主党がそのことに気がつき、なんとかすれば良いでしょうが、今回の古賀氏に対する、処遇をみれば、明らかです。このまま変わることは永遠にないでしょう。であれば、民主党には、政権の座をおりてもらい、本気で日本の政治システムの制度疲労を変える政権についてもらわなければなりません。それは、今のままの自民党でもできないでしょう。はやく、政治家も国民もそのことに気づいてもらいたいものです。いつまでも、どこの党が悪い、あいつが悪い、こいつが悪いと人のせいにしているようでは、何も変わりません。
古賀氏の問題は、単なる、一官僚の処遇の問題ではありません、日本の政治システム改革への道のりがさらに遠くなったことを示す、象徴的出来事であるとみるべきです。そのことに、民主党は土台無理であっても、少なくとも、野党はそのことに気付いて欲しいものです。
残念ながら、古賀氏は、いずれ辞めることになると思いますが、今のままよりかえって、良いかもしれません。これから、官僚という立場では、できなかったことを自由に行える可能性が大です。いずれかの、組織に属して、これから、大きな働きができるようにしてあげて欲しいものです。そのような、懐の深い組織が迎え入れてあげて欲しいです。私が、大企業のトップであれば、迎え入れたい人物です。そうして、何をしていただくかといえば、無論、どこの組織にでも必要な、組織改革です。それも、組織図に表現されているような組織の改革ではなく、構成員の思惑や、欲望のうずまく、生身の人間の組織としての組織の改革です!!
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