まとめ
今回浮上しているのは、物価連動国債の買入消却額を、2026年1〜3月の毎月200億円から、4月と6月は各150億円へ減らす案である。一方で、5月の発行額は2,500億円程度で維持する見通しだという。これは政府が正式決定として公表した話ではない。3月23日にReutersが、非公開協議を知る関係者の話として報じたものであり、財務省は市場参加者の意見を聴いたうえで、月内に最終判断する見通しとされた。つまり、今は決まった後に嘆く段階ではない。決まる前に止める段階である。 (Reuters)
しかも、この案が出てきたタイミングが悪い。Reutersによれば、1月末には市場ベースの期待インフレ率を示すブレークイーブン・インフレ率が1.9%を超え、物価連動国債への需要が強まっていた。市場がようやく「日本にも本物のインフレがある」と織り込み始めた、その局面で市場支援を細らせようとしているのである。数字だけ見れば小さい。だが、方向は小さくない。むしろ、こういう小さな一手にこそ、財務省の本音は出る。 (Reuters)
- 50億円の減額は小さく見える。だが、財務省はこうした小さな変更を積み上げて、いつの間にか我が国を緊縮へ追い込んできた。その危うさを暴く。
- 日銀は基調インフレの持続を認識しながら動かず、財務省はインフレを映す市場の厚みを削ろうとしている。政策当局の鈍さが二重に重なっている実態を示す。
- これは単なる債券市場の話ではない。物価、家計、景気、そして我が国の経済運営そのものにかかわる問題であり、今ここで止めなければならない理由が分かる。
しかも、この案が出てきたタイミングが悪い。Reutersによれば、1月末には市場ベースの期待インフレ率を示すブレークイーブン・インフレ率が1.9%を超え、物価連動国債への需要が強まっていた。市場がようやく「日本にも本物のインフレがある」と織り込み始めた、その局面で市場支援を細らせようとしているのである。数字だけ見れば小さい。だが、方向は小さくない。むしろ、こういう小さな一手にこそ、財務省の本音は出る。 (Reuters)
1️⃣インフレを見る市場を、自ら痩せさせる
世界標準のマクロ経済学と中央銀行実務では、期待インフレを見るとき、市場ベースの指標を重視するのが常識である。BISは、各国中銀が市場ベースの期待インフレ指標として、インフレ連動国債を使っていることを整理している。英中銀の研究でも、名目国債と物価連動国債の利回り差、すなわちブレークイーブン・インフレ率は、インフレ見通しの重要な指標であり、金融政策委員会が定期的に監視していると明記されている。さらにECBの資料も、ブレークイーブン・インフレ率は期待インフレの手掛かりになるが、同時にインフレ・リスク・プレミアムや流動性プレミアムを含むため、慎重な解釈が必要だと説明している。 (国際決済銀行)
ここが大事なのである。ブレークイーブン・インフレ率は万能ではない。だからこそ、市場は厚く、流動性は安定し、継続して観察できなければならない。市場が痩せれば、価格シグナルはかえって歪む。流動性プレミアムが入りやすくなり、「市場がどう見ているか」が見えにくくなる。世界標準の発想は、ノイズがあるから市場を細らせる、ではない。ノイズがあるからこそ、市場を厚く保ち、そこから情報を丁寧に読み取る、である。財務省の今回の案は、その逆をやっている。温度を正確に測りたいと言いながら、温度計を削るようなものだ。 (DMO)
しかも、日本の物価連動国債市場は、放っておいて自然に育った市場ではない。Reutersによれば、日本は2004年に物価連動国債を導入し、2008年にはデフレ下で発行を止め、2013年に再開した。その後は元本保証や買入消却を通じて、政府自身が時間をかけて市場を育ててきた。財務省の2025年債務管理リポートでも、「物価連動国債市場の育成はJGB管理政策上の重要課題」であり、「多くの市場参加者が買入消却の継続を望んでいる」と明記されている。そうであるなら、需要が戻り始めた今こそ、市場の厚みを守るのが筋である。ここで縮小に回るのは、自分で育てた市場を自分で痩せさせる倒錯である。 (Reuters)
2️⃣3月19日の日銀据え置きと並べると、政策の鈍さが二重になる
日銀は3月19日、政策金利を0.75%に据え置いた。だが、その声明では、コアCPIは政府の物価対策で一時的に2%を下回っても、その後は原油高の影響で上向き圧力を受けるとし、賃金と物価が相互に上がるメカニズムは維持され、中長期のインフレ期待は上がり、基調的なCPI上昇率は徐々に高まると明記している。しかも、原油価格上昇が基調インフレ見通しに与える影響にも注意が必要だと書いている。つまり日銀は、見かけの数字の裏で、インフレの火がまだ消えていないことを十分に認識していたのである。
その認識は、3月24日の植田総裁発言でも変わっていない。植田総裁は、食料品減税のような一時的措置があっても、中長期のインフレ期待への影響は限定的であり、雇用逼迫と企業の価格設定行動の変化を背景に、基調インフレは徐々に加速するとの見方を示した。Reutersはさらに、日銀が今夏までに補助金などの一時要因を除く新たな物価指標を示し、基調インフレをより重視する説明へ軸足を移しつつあると報じている。要するに日銀自身が、「本当のインフレ」を見にいく必要を認めているのである。 (Reuters)
それでも、3月19日には動かなかった。私は昨日、その点を世界標準の考え方から批判した。中銀が持続的なインフレ圧力を認識しているなら、不確実性を理由に先送りするのではなく、期待インフレの固定化を警戒し、必要なら機動的に動くべきだからである。実際、英中銀のチーフエコノミスト、ヒュー・ピルは3月24日、不確実性はインフレへの不作為の言い訳にはならないと述べた。これが世界標準の感覚である。そこへ今度は財務省が、インフレを映す市場の厚みを削ろうとする。片方は基調インフレを見たいと言い、もう片方はそれを映す市場を細らせる。これでは、政策当局が同じ現実を見ているとは言えない。 (DMO)
実際、2月のコアCPIは1.6%まで鈍化したが、その主因は政府の物価対策である。Reutersによれば、生鮮食品と燃料を除く指数は2.5%上昇していた。つまり、見かけの数字だけ見て安心するのは危険なのである。だからこそ、基調インフレと市場シグナルの両方を丁寧に見なければならない。その時に財務省が逆向きに手を入れる。これは日銀の遅れに、さらに泥を塗るものだ。 (Reuters)
3️⃣今回の案は単発ではなく、最近の財務省の姿勢と一直線につながっている
今回の50億円減額だけを見て、「たまたま市場環境を見て微調整しただけだ」と考えるのは甘い。最近の財務省とその周辺の動きを見ると、景気や投資より先に、財政規律と市場の信認を置く癖が、繰り返し顔を出している。たとえば財政制度等審議会は、2025年12月の建議で、金利の安定や円滑な国債発行のためには市場からの信認を確実なものとすることがますます重要であり、「これまでの歳出・歳入改革の努力を後退させることなく」、債券市場の消化能力にも留意しながら財政運営を進めるべきだと明記している。言い換えれば、日銀の買い支えが薄れ、市場金利が上がるなら、まず財政を締めよ、という発想である。今回の買入消却縮小案は、その延長線上で読むべきだ。 (財務省)
今回の50億円減額だけを見て、「たまたま市場環境を見て微調整しただけだ」と考えるのは甘い。最近の財務省とその周辺の動きを見ると、景気や投資より先に、財政規律と市場の信認を置く癖が、繰り返し顔を出している。たとえば財政制度等審議会は、2025年12月の建議で、金利の安定や円滑な国債発行のためには市場からの信認を確実なものとすることがますます重要であり、「これまでの歳出・歳入改革の努力を後退させることなく」、債券市場の消化能力にも留意しながら財政運営を進めるべきだと明記している。言い換えれば、日銀の買い支えが薄れ、市場金利が上がるなら、まず財政を締めよ、という発想である。今回の買入消却縮小案は、その延長線上で読むべきだ。 (財務省)
実際、その考え方は予算の組み方にも出ている。Reutersによれば、2026年度予算案では新規国債発行額が29.6兆円と、2年連続で30兆円を下回り、予算に占める新規国債依存度は約30年ぶりの低水準となった。2月のReuters分析でも、2025年の基礎的財政赤字はコロナ前の2019年より小さく、IMFはその背景の一つに歳出抑制を挙げている。つまり、表向きにどんな言葉を並べても、実際の財政運営は「まず国債発行を抑える」「まず支出を抑える」という方向に寄っているのである。 (Reuters)
その癖は、減税財源の議論にも表れている。2月10日、片山さつき財務相は、食料品減税の財源として、1.4兆ドル規模の外貨準備の剰余金活用が議論の対象になり得ると述べた。しかも、毎年の剰余金の少なくとも30%を準備勘定に残すというルールを緩めるかどうかについてはコメントを避けた。ここでも先に立つのは、景気や家計をどう支えるかではなく、「財源をどこからひねり出すか」である。危機対応より先に帳尻合わせが立つ。この発想が、今回の物価連動国債市場への冷や水ともつながっている。 (Reuters)
4️⃣小さな変更を積み上げるやり方そのものが危険
今回の減額案は、量だけ見れば小さい。だが、小さいからこそ危ない。ここで思い出すべきは、中国のサラミスライス戦術である。Reutersは、フィリピンやウクライナをめぐる分析の中で、サラミ戦術とは、相手が全面的に反応しない小さな一歩を積み重ね、時間を味方にして既成事実を広げるやり方だと説明している。Brookingsも、中国が南シナ海や東シナ海で、あからさまな戦争には至らない小さな行動を重ねながら、少しずつ現状を塗り替えていく手法を「salami-slicing tactics」と呼んでいる。 (Reuters)
財務省のやり方も、これとよく似ている。いきなり「物価連動国債市場はもう要らない」とは言わない。まず買入消却を少し減らす。誰も怒らなければ、それが前例になる。次に「需要は十分だ」「市場育成は一巡した」「効率化だ」と理屈を足して、さらに一段縮小する。そうして小さな後退を積み上げ、最後には市場の厚みも価格発見機能も失われる。問題は150億円という額そのものではない。ここで「この程度なら」と見逃すことが、次の縮小、その次の縮小を呼び込むことなのだ。中国のサラミスライスが怖いのは、一枚一枚が小さいからである。財務省の今回の案も、怖さはそこにある。 (Reuters)
しかも今は、原油高と輸入物価圧力が重なっている局面である。日銀の3月19日声明も、3月24日の植田総裁発言も、その現実を認めている。こういう時に必要なのは、インフレを見えにくくすることではない。むしろ、見えるようにすることだ。物価連動国債市場を厚くし、価格シグナルを丁寧に読むべき時に、その支えを削る。これを放置してはならない。心ある政治家は、今この段階で批判すべきである。大火事になってから叫ぶのでは遅い。火種のうちに踏み消す。それが政治の役目である。
結語
今回の物価連動国債買入消却縮小案は、金額だけ見れば小さい。だが、政策としては小さくない。第一に、期待インフレが高まり始めた時に、その市場を薄くすること自体が間違っている。第二に、3月19日の日銀据え置きと並べれば、その間違いは二重になる。第三に、最近の財務省とその周辺の動きを見れば、これは単発ではなく、財政規律と市場の信認を先に立てる一つの癖の表れである。第四に、こういう小変更は前例となり、やがてより大きな緊縮へ積み上がっていく。
だから私は、今回の案を「たかが50億円の違い」とは見ない。むしろ、ここにこそ財務省の癖と本音が出ていると思う。小さな一歩を止められない国は、やがて大きな後退も止められない。いま止めるべきである。
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