- ベルリンの壁崩壊から37年。欧州では「国境のない」域内の検査が長期化し、外側の国境では顔画像と指紋による記録が始まった。
- 変化は三層で同時に進む。内側の検査、外側の生体情報、そして庇護の審査と送還の制度である。
- 欧州の作り直しは、入口の管理を後回しにした移民政策の失敗の代償でもある。日本が学ぶべきは、水際の管理を先に固めることだ。
1989年11月9日、ベルリンの壁の検問所が開かれた。人々が国境を越えて流れ合う映像は、欧州の分断が終わりに向かう象徴となった。
37年後の欧州では、域内の国境検査が続き、域外から訪れる人の顔画像や指紋が記録され、庇護と送還の仕組みも組み替えられている。では「壁が戻った」のか。そうとは言い切れない。東側の住民の移動を阻んだベルリンの壁と現在の制度とでは、目的も対象も異なる。
自由に移動できるはずの欧州で、国境はいま、どのような姿に変わっているのか。本稿は事件や賛否ではなく、人の移動を管理する制度の組み替えを追う。
1️⃣内側の国境――「一時的な検査」は、なぜ長期化したのか
まず、シェンゲンという言葉から説明する。シェンゲンとは、欧州の国々が域内の国境検査をなくし、人が国境を意識せず移動できるようにした取り決めの名前である。1985年にルクセンブルクのシェンゲンという村で協定が結ばれたことに由来し、参加国は29か国に広がった。域内の検査をなくす代わり、外側の国境には共通の管理基準が課される。それがこの仕組みの表裏である。
この仕組みがなくしたのは、国境そのものではない。域内の国境で行われていた人の移動への検査を、原則としてなくしたのである。加盟国の間を移動する「内側の国境」と、圏外から入る際の「外側の国境」とでは、ルールが違う。参加国にはEU非加盟のノルウェーやスイスがある一方、加わらないEU加盟国のアイルランドもあり、EUとシェンゲン圏は完全には重ならない。
域内検査の再導入は、シェンゲン国境法典で「最後の手段」と位置づけられる、期間の限られた例外的措置である。ところが現実には、欧州委員会への通知に基づき、現在8か国が検査を実施し、うち7か国では2027年に及ぶ期間が示されている。欧州委員会の通知一覧
| 国 | 主な対象 | 現在の通知期限 |
|---|---|---|
| ドイツ | 隣接する9か国すべてとの陸国境 | 2027年3月15日 |
| フランス | ベルギー、ドイツ、ルクセンブルク、スイス、スペイン、イタリアとの全ての域内国境 | 2027年4月30日 |
| オーストリア | スロバキア、チェコ、ハンガリー、スロベニアとの国境 | 2027年3月15日 |
| ポーランド | ドイツ、リトアニアとの陸国境 | 2027年3月30日 |
| デンマーク | ドイツとの陸・海国境 | 2027年5月11日 |
| スウェーデン | 全ての域内国境ほか | 2027年5月11日 |
| ノルウェー | シェンゲン圏行きフェリーの港 | 2027年5月11日 |
| イタリア | スロベニアとの陸国境のみ | 2026年12月18日 |
この長期化には、はっきりした起点がある。2015年、シリア内戦などを逃れて地中海を渡り、欧州に到着した人は100万人を超えた。庇護の審査は原則として最初に到着した国が担う決まり(ダブリン規則)であったため、ギリシャやイタリアに負担が集中し、体制は事実上崩れた。人々は審査を受けないまま域内を北へ移動し、各国は域内検査の再導入で応じた。フランスの検査は、2015年11月のパリ同時多発テロ以降、理由を更新しながら切れ目なく続いている。域内検査の長期化とは、この危機の後始末が10年以上続いている姿にほかならない。
欧州委員会は2026年6月、関係国に検査の段階的な終了を働きかけた。しかし、検査を続けるかどうかを決めるのは各国であり、委員会にそれを止める権限はない。例外として認められたはずの措置が、各国の判断で常態として続いている。
2️⃣外側の国境――パスポートのスタンプから、生体情報の記録へ
外側の国境では、別の変化が進んだ。出入国システム(EES)である。欧州委員会が2016年に提案し、2025年10月に段階的運用が始まって、2026年4月10日に全面運用へ入り、パスポートへの出入国スタンプは置き換えられた。欧州委員会の制度解説
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| 空港の自動化ゲートで顔認証と指紋の登録を受ける旅行者(イメージ、AI生成画像) |
これは移民だけの話ではない。日本から観光や出張で欧州を訪れる人も、同じ記録の対象になる。域内検査の再導入とは別の仕組みである。
ここで変わったのは検査の有無だけではない。国境管理の中心が、検問所で一人ひとりを止める「点」の管理から、誰がいつ出入りしたかを記録し続ける「データ」の管理へと広がった。もっとも、全面運用は制度上の到達点であり、現場への定着は別の問題である。
3️⃣入口と出口の制度――庇護パクトと、第三国の「送還拠点」構想
人の流れの入口と出口では、制度そのものの組み替えが進んでいる。2015年の危機が突き付けたのは、入口での審査が国ごとにばらばらで、負担の分担も決まっていないことであった。その制度的な回答として作られたのが、移民・庇護パクト(協定)である。2024年5月に採択され、2026年6月12日から適用が始まった。EU理事会の概要
入口側の柱は2つある。1つは手続きの統一と迅速化で、到着した人へのスクリーニングや、一定の申請者を国境にとどめたまま進める迅速な庇護手続きが導入された。もう1つは、受け入れの負担が一部の国に偏らないよう、加盟国が受け入れや財政支援などで分担する連帯の仕組みである。迅速化には行政上の狙いがある一方、個別の事情を審査できるのか、法的支援や不服申立ての機会が確保されるのかは、運用の中で検証が続く。制度が始まったことと、現場で機能していることは分けて見なければならない。出口側では、パクトを補完する送還規則が整った。2026年6月にEU理事会と欧州議会が暫定合意し、同年10月1日に理事会が正式に採択した。規則は同月に発効した。EU理事会の発表 滞在資格のない人に当局への協力義務を課し、加盟国が他国の送還決定を認識しやすくする「欧州送還命令」も設けられた。相互の承認は段階的に義務化される。
この規則の焦点の1つが、EUの外にある第三国に「送還拠点」を設ける道を開いたことである。対象は庇護申請を審査されている人ではなく、退去が決まった人であり、拠点は最終的な送り先になる場合と、出身国などへの移送の経由地になる場合がある。協定は、人権基準を守り、迫害の恐れのある場所へ人を送り返さない原則(ノン・ルフールマン)を尊重する国とだけ結べるとされ、同伴者のいない未成年は対象から外された。送還拠点の規定は発効と同時に適用が始まったが、大部分の規定の適用は2027年10月からである。もっとも、候補地としてルワンダの名前が報じられる段階にとどまり、実際に拠点が稼働した例はまだない。合意、発効、稼働は、厳密に区別しなければならない。
欧州の外へ人を移す制度が広がるとき、移送された人の権利に対する責任は、送り出す国と受け入れる国のどちらが、どこまで負うのか。
結び――自由な移動を、誰に、どの条件で保障するのか
日本から欧州を見る視点も同じである。まず、正規の滞在者、短期の旅行者、庇護を求める人、退去が決まった人を一括りにしないこと。次に、人数ではなく、入国、滞在、審査、送還の段階ごとに何が変わったかを見ること。そして、管理の強化を評価するときは、効果だけでなく、行政の負担と権利の保護が保たれているかを確認することである。在留外国人428万人の時代を迎えた我が国にとっても、問われているのは人数への対応ではなく、段階ごとの制度の設計である。
欧州の経験が示す教訓は明確である。欧州が国境管理の作り直しに追われている背景には、入口の管理が不十分なまま大規模な受け入れを続けた、移民政策の失敗がある。入れてしまった後で管理を固めるのでは、行政の負担も社会の摩擦も、比べものにならないほど大きい。域内検査の長期化も、生体情報の記録も、第三国の送還拠点の構想も、後から付け足された対処にほかならない。
我が国はこれから、外国人の受け入れをめぐる制度設計が本格化する。そこで決定的に重要になるのが、水際、すなわち入国の段階での管理である。誰が、どの資格で、どれだけの期間入るのか。入口の設計と審査を先に固めておかなければならない。欧州の二の舞を避けるとは、受け入れへの賛否の感情論ではなく、入口の制度を後回しにしないという、順序の問題である。
ベルリンの壁崩壊が象徴したのは、分断を越えて移動できることへの希望だった。「国境があるか、ないか」だけでは、この変化は捉えきれない。
最後に残る問いは、こうである。誰が、どの条件で国境を越えられるのか。その判断を誰が行い、どう検証するのか。
その判断は、各国の政府の統治によるべきものである。誰を受け入れるかを決めることは、統治そのものだからだ。判断を曖昧にしたまま受け入れだけが進めば、傷つくのは統治への信頼である。我が国は、入口の判断を政府の責任として引き受け、その根拠を国民に示し続けなければならない。
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