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2015年4月9日木曜日

「国立大で国旗、国歌を」首相、入学式などで―【私の論評】「筋」を通し、「けじめ」をつける社会にするためには、まずは国立大学から国旗・国歌を(゚д゚)!


予算案が可決、成立し、一礼する安倍首相=9日午後
安倍晋三首相は9日の参院予算委員会で、国立大の入学式や卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱に関し「税金によって(運営が)賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって、正しく実施されるべきではないか」との認識を示した。同時に「学習指導要領がある中学、高校ではしっかり実施されている」と強調した。

次世代の党の松沢成文氏が、国立大での実践例がほとんどないと指摘したのに対し答弁した。

松沢氏は「各国立大に実施するよう指導すべきだ」と下村博文文部科学相に要求。下村氏は「各大学で、適切な対応が取られるよう要請していきたい」と述べた。

【私の論評】「筋」を通し、「けじめ」をつける社会を復興するため、まずは国立大学から国旗・国歌を(゚д゚)!

ここ数日、マスコミを賑わせた例の上西議員について、このブログでも掲載して、「筋」を通して「けじめ」をつけることのできない国会議員がでてきたことについて、いろいろと掲載してきました。

このようなことは、2年ほど前にもありました。2013年3月22日の参院予算委員会で、安倍晋三首相が、ヤジを続けていた民主党の小西洋之氏に対し「うるさいから黙ってもらえますか。 小西さん。子供みたいですよ」と指を指して自粛を求める一幕がありました。

小西氏のヤジは、自民党の憲法改正草案の条文解釈をめぐって議論がヒートアップしていた最中でした。

首相は「指を指さないと分からなかった」と説明。議事を進行する石井一予算委員長が「委員会の気分が緩んでいる。 閣僚席も委員席も私語はやめてください」と一喝すると、騒然としていた議場は静まり返りました。

首相は3月29日の予算委で、憲法の条文に関して細かい質問を続けた小西氏に対して
「クイズのような質問は生産的ではない」とたしなめた経緯がありました。



三馬鹿元首相もこのようなことができないのですから、このような首相を許容した社会にも問題があり、とうとう小西議員や上西議員のような国会議員が出てきてしまったのです。

その背景として、戦後のGHQのWGIPにより、日本人が洗脳されてしまい、日本は悪、欧米の戦勝国は善という刷り込みを受けたなかで、戦前からある価値観がことごとく破壊されてきたということが大きかったと断じました。

「筋」を通し、「けじめ」をつけるということは、社会人として、当然のことであり、これは戦前であろうが、戦中であろうが、戦後であろうが、当たり前のことです。しかし、この当たり前のことができない人が、巷に溢れ、挙句の果てに国会議員や、元総理大臣のなかにもそのような人がいることは実になげかわしいことです。

ここで、もう一度日常生活でも、職場でも、不可欠な「けじめ」と「筋を通す」ことについて考えてみましょう。こんなことは、本来このブログにも何やら上から目線のようでもあり、それに本来はこんなことは学生や新社会人に言うべきことなのですが、敢えて以下に述べてみます。

社会で生きていく上は勿論のこと、日常生活でも、仕事をする上でも「けじめ」は、なくてはならない大切なことです。それは、人としての「礼・義」を示すことであり、「筋を通す」、「誠実さ」を表すことでもあります。

これは、人から愛されたり、尊敬されたり、親しまれるために、私生活で信用、信頼され、職場では、キチンと円滑に業務を行い信頼され期待される人となるために必要です。

自らの立場を弁え(わきまえ)、人として確り(しっかり)とした「精神の指標」(=筋)を弁えた上で「言うべき時か、否か」や「正しい・良し悪し」の判断をし、「言うべきことは言う」、「言うべき時には言う」
をすることが「けじめ」であり人として「筋を通す」ことです。

それには、先ず、社会や職場の ルールをキチンと守ること。また「良いことは良い、悪いことは悪い」と判断し、「出来ない時は出来ない、出来る時には出来る」などの、「けじめ」や「筋を通す」ことを心掛けることです。

そうして行く中で、何が良いのか、何が悪いのかが、少しずつ理解出来て来ます。そうして同時に、正しい判断の仕方や決断力が身に付くようになります。

大切な人に接する時の心構えに、「けじめ」と「筋を通す」ことが有ります。「けじめ」とは、“今は、何をする時か?”をよく考えてすることを指しています。たとえば、お葬式のときに、「ニタニタ」してはいけないなどは、その典型的な例です。「筋を通す」とは、“道理にかなうようにする。物事の首尾を一貫させる。”ことです。

人は、「和」を大切にする余り、「けじめ」を忘れたり、人として「筋を通す」ことをから逃避してしまう場合もあります。よほど悟った人でない限り、人間は放っておくと、楽で安易な方に流れてしまいます。中途半端な考えから「和」を実践しようとすると、人間関係が乱れてしまいます。

必要特定の人に対し、大局から見て「けじめ」をつけること、人としての「筋を通す」ことは、長い時間の流れから見て、人間が性善であることの表れと言えます。

先にあげた、お葬式の時に、「ニタニタ」してはいけないなどということは、当たり前のど真ん中のように思われるでしょうが、これは非常にわかりやすい例です。

しかし、国の教育機関である、国立大学などが、入学式で国旗掲揚、国歌斉唱が執り行われていないという事実があります。これは、そもそ国立大学が、国立であることを考えれば、国の教育機関としては、落第です。

これを国が義務化したとすれば、国立大学として、義務とし実行すべきです。そうして、国旗掲揚や、国歌を斉唱することに忌避感を持つ方々は、間違いなく、自虐的歴史観の呪縛にとらわれています。



日本国の教育機関である国立大学がこの有り様ではとんでもないことが起こってしまうのも無理はありませんでした。その顕著な例として、忘れもしない、民主党が政権交代をして、鳩山総理が、新しい内閣を組閣したとき、各大臣が記者会見したときに、会見場に設置してあった日章旗に鳩山首相などほんの数名だけが、登壇の際に挨拶をして敬意を示ていましたが、他のほとんどの閣僚がそれをしませんでした。

この記者会見、私はテレビで見ていましたたが、あの様は異様であり、民主党政権とはこんなものかと思いました。そうして、これは大変なことになったと思いました。ある自衛隊の元幹部の人は、あれを見て、「こんな奴らのために、国を守るのかと思うと情けない」と言い放っていました。

日の丸を背負って戦った澤穂希
そうして、案の定民主党政権の三年間は、何もできず、何も決められず漂流していたというような有り様でした。しかし、これは私の予想通りでした。というのも、私は会社でキチンと挨拶のできる新人は、その後期待通りの活躍をしてくれるのですが、そうではない新人はほんどが挫折することを経験的に知っていたからです。

無論、きちんと挨拶ができる新人が、入社十年後、二十年後までも全員がキチンと仕事ができるなどとはいいません、そこに至っては、挨拶以上のものもあるからです。しかし、入社して数年間では、挨拶がキチンとできる新人は即戦力になるという傾向が強く、そうではない新人は、挫折するか、即戦力になるまで相当苦労するというのは事実です。

これは、やはり挨拶がコミュニケーションの第一歩であるということがあるのだと思います。そうして、挨拶にも様々な段階があります。最初は、当たり前の挨拶を元気にできるだけでも良いのですが、その時々で間のとり方や、表情、態度などで、挨拶によってかなりのことを相手に伝えることがてきます。ここまでできるようになるには、意図して意識して練習して場数を踏んでようやっとできるようになります。

ここまでくると、普通の組織では、管理職はもとより、それ以上も目指すことができるようになっているものです。挨拶を馬鹿にする人には、そのような機会は訪れません。

新人の挨拶

記者会見などで、登壇する際に、壇上に国旗が配置してある場合、これは組閣記者会見などでなくても、国旗に会釈して敬意を示すのでは日本では当たり前のこととされています。国旗を掲揚するとか、国歌を斉唱する、国旗に敬意を表するという行為は、それ自体がコミュニケーショでもあるのです。

コミニケーションに問題のある人は、当然仕事も支障がでるはずです。それは、新人でも、議員でも、閣僚、総理大臣いや、社会人にはあてはまる現実です。

荒川静香さんはなぜ最後のオリンピックのウィニングランで日章旗を手にしたのか

しかし、これができない閣僚が多数存在したというのは、本当にショックでした。こういう人たちが、海外に行ったら他国の国旗や、権威の象徴などにどのような態度をとるのだろうと思い、忸怩たる思いがしました。

閣僚や国会議員なども、国旗に敬意を表することもできない人たちは、新人がまともな挨拶ができないのと同じようなもので、やはりまともに仕事はできないのだとつくづく思いました。

今後、こういう馬鹿な閣僚や、その他にも「筋」を通して、「けじめ」をつけられない、首相や議員をこれ以上出さないように、またそのような閣僚や、議員を許容する社会を醸成しないためにも、まずは国立大学から、国旗掲揚、国歌斉唱などを実行するようにしていくべきです。それも、ただ掲揚する斉唱するというだけではなく、その意味を新入生認識させながら実施するということが肝要です。

天皇皇后両陛下は、本日パラオ・ペリリュー島をご訪問され、献花をされました。戦後七十年の節目にあたって、素晴らしい「筋」の通し方と、「けじめ」のつけ方だと思います。

「筋」を通して、「けじめ」をつけるということが希薄となってしまった今の社会、これはそのまま放置できません。それこそ、どこかで「筋」を通して「けじめ」をつけて、まともな社会に復興していかなければなりません。これは、東日本大震災からの復興にならんで、今の日本では重要な事柄であると思います。

私は、そう思います。皆さんはどう思われますか?

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2015年4月7日火曜日

上西氏「エモーショナルな処分」と除名の維新を批判 騒動後初の本会議出席 議員続行を強調―【私の論評】三馬鹿元首相のいる日本では、上西議員のように筋を通して、けじめをつけらない人が出るのは必然か!これを阻止するため歴史を語り継いでいこう(゚д゚)!


衆院本会議を終え、記者団の質問に答える無所属の上西小百合氏=7日午後

国会病欠前後の行動などに問題があったとして維新の党を除名された上西小百合衆院議員(比例近畿)は7日、「エモーショナル(感情的)な感じで処分となったことは残念だ」と述べ、維新の対応を批判した。除名後、無所属として初めて出席した衆院本会議後に、国会内で記者団に答えた。

上西氏は「事実と異なる報道が連日なされていた。(3日夜の)3時間の記者会見でできる限り誤解を解くように努めたが、かなわなかった」と述べた。維新が求める議員辞職については「法律で議員を継続することが認められている以上、国民の声を国政に届けると選挙時に約束したことを貫いていきたい」と議員活動の続行に重ねて意欲を示した。

ただ、記者団に「維新の比例で復活当選したが、維新の議員でなくなったのに議員でいる正当性はどこにあるのか」と問われ、答えに窮する場面もあった。

【私の論評】三馬鹿元首相のいる日本では、上西議員のように筋を通し、けじめをつけない人が出るのは必然!歴史を語り継ぎこれを阻止しよう(゚д゚)!

上の記事の「エモーショナル」という言葉遣いには、驚かされました。日本語でいえば、「感情的」ということですが、今回の処分は、「感情的」なものではないと思います。私自身は、社会一般通年に照らして、国会議員の規範から照らして、非常によろしくない行いをしたということであり、国会議員としての「筋を通さなかった」あるいは、「けじめのなさ」ということが、問題視されたのであり、決して「感情的」なものではないと思います。

このことについては、すでに以前このブログでも掲載しました。その記事のURLを以下に掲載します。
上西議員を除名処分、大阪維新の会 「あんな議員につきあって1時まで…」橋下氏陳謝―【私の論評】国立大が入学式に国旗掲揚も国歌斉唱もしないという「けじめ」の欠如した社会が、「モンスター」を生み出した?

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、石橋湛山氏が総理大臣だったとき、予算の審議にどうしても出席できなかったため、総理大臣を辞職したことを例にあげました。そうして、予算の審議はそれだけ重要な事であること、この重要な会議にどうしても出席できなかった石橋湛山氏が、首相の座を辞するということで、筋を通してけじめをつけたことを掲載しました。

しかし、現在の社会は、たとえば国立大学であるにもかかわらず、入学式に国旗を掲揚しないとか、国歌を斉唱しないという、「けじめ」なく、「筋」も通さないという風潮があり、こうした社会の有り様が、国会議員でありながらそれが欠如した上西議員のような「モンスター」を生み出しているのだかもしれないということを掲載しました。そうして、まさに、上西議員は、私達の社会をうつしだしている鏡なのかもしれないということを掲載しました。



社会や、組織には、序列や規範が存在します。これらは、昔と比較すると、緩くはなっていますが、厳然として存在します。特に、社会や組織には、やってはいけないこと、すなわち「禁忌」というものが、あります。

国会議員は、今では芸能人がなったりするので、多くの人があまり意識しなくなりましたが、当選序列としては高い地位にありますし、それだけ規範も一般の人よりも高いところまで要求され、そうして厳しいです。

上西氏は、これをはっきりと破ってしまったわけです。ことの重大性に上西氏は全く気づいていないのです。そもそも、政治家としての、「筋」を通したり、「けじめ」をつけることができなかった場合、それなりの償いを自らできれば、今回のような処分はなかったかもしれません。

というより、そもそも、最初から「筋」を通して、「けじめ」をつけて、予算審議に無理をしてでも出るべきでした。そうすれば、後は旅行に行こうが、何をしようが、許容されたのです。

上西氏とその秘書については、「筋を通す」とか、「けじめ」ということに関しては、もともとかなり全く無頓着であると思います。以下の動画をご覧下さい。


この記者会見で、小西氏の秘書は、上の動画でもわかるように、まるでゲームをしているかのように、スマホをいじくりまわしています。何やら、信じられない光景です。たとえ、ゲームをしていなかったにしても、これは不味いでしょう。全く礼儀を欠いています。通常、記者会見のときにこのような馬鹿真似はすべきではありません。

当たり前のことですが、橋下氏はもとより、集まった取材陣に対しても、礼儀としてスマホをいじくりまわすなどということはすべきではありません。普通は、このようなことはしません。このような振る舞いをすべきでないことは、普通の大人なら誰もが理解できることと思います。

どうしても必要なら、会見が終わってからにしても、特段問題はないはずです。にもかかわらず、この秘書は他の人々の目も氣にすることもなく、臆することもなく、堂々とスマホをいじくり回し、この行動に関して、小西氏も気づいているようなのですが、注意するでもなしで、本当に見苦しいものだったと思います。

このような会見で、スマホをいじくり回すような人は、政治家の秘書として、そもそも不適切です。本来、政治家として議員に対して「筋を通す」とか「けじめ」についてアドバイスできるくらいの人でなければ、勤まらないと思います。


それにしても、先に述べたように、国立大学でありながら、入学式に国旗も掲揚しない、国歌も斉唱しないということもあり、こうした風潮が上西議員のような振る舞いをする議員を生み出している土壌にもなっているのだと思います。

そうして、このような風潮は以下の事例でますますはっきりすると思います。
「首相の肩書なくてもよかった。たまたまなったからつきまとっている」…村山・鳩山・菅…困った元首相トリオのおかげで日本中が混乱?
村山、鳩山、菅の三元首相

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に要約を掲載しておきます。
 村山富市、鳩山由紀夫、菅直人の3元首相が、メディアやブログを通じて自由な言動を繰り広げている。3人に共通するのは、安倍晋三政権は「許せない」ということだが、日本国内が混乱している印象を国外に与えかねないものばかりで、元首相の肩書を外したいという者まで出るありさまだ。 
 村山氏は、香港フェニックステレビが3日までに行ったインタビューで、9月3日に北京で行われる中国の「抗日戦争勝利70周年」記念式典に出席する意向を示した。 
 鳩山氏は、政府の沖縄政策の最大の障壁となっている米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設をめぐり、3月28日の東京・MXテレビ番組で「最低でも県外と言ったが、県外でなくて国外に求めるしか回答はない」と述べ、とうとう「県外」さえも否定した。別のインタビューではは「私が動くと何でも国益に反するとなる。首相なんていう肩書は、もともとなくてもよかった。たまたまなってしまったから肩書がつきまとっている。もっと自由に動きたい」とも語っていた。 
 菅直人氏は、安倍首相に近い中西輝政京都大名誉教授の論文にかみついた。
中西氏は月刊誌「Voice」(PHP)4月号に掲載した論文で「反原発」運動について「人びとの不安に乗じて原発アレルギーを高める半面、わが国が置かれた深刻なエネルギー・電力不足の危機には目をつぶる、これはまさに『反日本』運動といってよい」と批判した。 
 菅氏は3月12日付のブログでこう反論した。 
 「原発ゼロを実現しようとしているドイツのメルケル首相は『反ドイツ』ということになるのか。あまりにも非論理的で、学者の論文とも思えない」 
 今月3日付のブログは「安倍体制翼賛政治」との題で安倍政権を批判した。

ちなみに菅氏は、副総理時代の22年3月の国会答弁で「議会制民主主義とは期限を区切ったあるレベルの独裁を認めることだ」と述べ、衆院選後に首相指名された人物に次の衆院選まで「独裁」を認めるという内容の発言をしていた。
このようなどうしようもな、元総理大臣が三人もいるわけです。この三人はいずれも、石橋湛山氏のように、「筋」を通して、「けじめ」をつけるということとは、無縁のようです。

今の日本社会は、ともかく、このような元首相トリオを誕生させてしまったような社会です。こんな社会では、上西氏のような議員が出てくるのは、必然と行っても良いのかもしれません。


しかし、私はここではっきりといいたいです。右や左、上や下などどうでも良いから、とにかく自分の立場に応じて「筋」を通して、「けじめ」をつけるような人になるべきであると。

どうしても、「筋」を通して「けじめ」をつけられないなら、高い地位につくことはあきらめて、一生人に命令されて作業員でもやっているべきです。

しかし、作業員であったとしても、「筋」を通して「けじめ」をつける人は存在するわけで、そういう人は、多くの人から尊敬されることはあれ、馬鹿にされることはありません。

しかし、高い地位にありながら、「筋」を通して、「けじめ」をつけられない人は、多くの人から馬鹿にされることはあれ、尊敬されることはありません。

それにしても、「筋」を通して、「けじめ」をつけなかった、上西氏を除籍処分にした、維新の党は、何とか「筋」を通して「けじめ」をつけられたと思います。ここで甘い処分をしてしまえば、とんでもないことになったかもしれません。国会議員の規範が一気に緩んでしまったかもしれません。

それにしても、「筋」を通して、「けじめ」をつけられない、三馬鹿首相には誰も処分は下さないのでしょうか?

いや、私達が下そうではありませんか。私達が、歴史の証人となって、次の世代に向かって、「筋」を通して、「けじめ」をつけられない、元首相の存在を後世に語り継いでいこうではありませんか。

実は、日本ではこうしたことがあまり行われていません。過去の歴史が伝えられておらず、先に述べたような、石橋湛山のような素晴らしい首相の行動についても語られませんが、どうしようもなく愚かだった首相や、軍人や、官僚のことなどが語り継がれていません。

このようなことは、歴史の生き証人が語り継がなければ忘れられてしまうのです。後世の人々のために、現在の記憶を忘れることなく、正しく後世の人に伝えていくべきです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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