田中秀臣
上武大学教授田中秀臣氏 |
非常に驚く記事を読んだ。ニューズウィーク日本版ウェブに6月28日に掲載された、ロイターの伊藤純夫(編集 田巻一彦)による"日銀の原田審議委員「ヒトラーが正しい財政・金融政策をして悲劇起きた」" と題された記事だ。
深刻な誤解を世界の読者に与えた
この題名しか読まない人は、あたかも原田泰審議委員が、ヒトラーの政策を「正しい」ものとして肯定したかのような印象をうけとったのではないか。実際にこの記事へのコメントには、少数ながらそのような反応がある。さらに深刻なのはこの記事の海外版の見出しであり、Bank of Japan policymaker Yutaka Harada praises Hitler's economic policiesとある。つまり「原田泰日銀政策委員がヒトラーの経済政策を賞賛した」というものとして掲示されている。これは深刻な誤解を世界の読者に与えたであろう。
もし原田審議委員のヒトラーに対する評価を肯定的なものと解釈するならば、それは解釈する側の無理解か、または悪意による歪曲か、そのいずれかでしかない。原田審議委員は従前から、ヒトラーの悪行の数々を痛烈に批判し、ヒトラー政権のような存在が二度とこの世に現れないために、いままでもいくつかの著作・書籍を書いてきた。それらは公知のものであり、ロイターの記者らも簡単に入手でき、原田審議委員の発言の趣旨を確認できたはずだ。それをしないのであれば、私見では深刻な問題であろう。また少なくともヒトラー政権を肯定的にみなしていると誤解を与えないような記事内容、また見出しの工夫が必要だったろう。
原田審議委員の趣旨は
以下では、原田泰審議委員のヒトラー政権の評価、そしてヒトラーの経済政策の問題性を、彼の著作『反資本主義の亡霊』(日経プレミアムシリーズ)を参照に解説したい。なるべく原田審議委員の趣旨を伝えたいので、文章も彼のものをできるだけ拝借したことを、著者と読者の方々にお断りしたい。
原田泰審議委員 写真はブログ管理人挿入 以下同じ |
「第一次世界大戦後の混乱の中で、ドイツは物価水準が一兆倍にもなるハイパーインフレ―ションに襲われた。その混乱の中でナチスが権力を握り、ヨーロッパを戦乱に陥れ、ユダヤ人の大虐殺を行った。世界を征服しようというナチスの勢いを見て、日本の軍部は日独同盟を結び、アジア征服に乗り出した。その結果が、大惨事である。だから、インフレを起こしてはいけないと議論されることが多い」(同書。187頁)。
このハイパーインフレ(高いインフレ)がドイツ社会を破壊し、それがナチスの台頭を招いたというのは誤解であると、原田審議委員は説いている。ハイパーインフレや高いインフレではなく、デフレの蔓延こそがナチスの台頭を招き、後の大惨事につながったというのが原田審議委員の主張だ。
このハイパーインフレ(高いインフレ)がドイツ社会を破壊し、それがナチスの台頭を招いたというのは誤解であると、原田審議委員は説いている。ハイパーインフレや高いインフレではなく、デフレの蔓延こそがナチスの台頭を招き、後の大惨事につながったというのが原田審議委員の主張だ。
ドイツのハイパー・インフレ時に紙くずになった札束をゴミ箱に捨てる人たち |
そもそもドイツでハイパーインフレが起きたのは1910年代の末であり、ナチスが政権を奪取したのは1934年であり、ハイパーインフレから15年も時間が経過している。1920年代はワイマール共和国の時代であり、なんとか平和が維持されていた、それが崩れたのは1930年代の大恐慌というデフレと失業の時代ゆえであった、というのが原田審議委員の着眼点だ。インフレではなく、デフレこそナチス台頭の経済的原因であったということだ。
「ヒトラーは、インフレの中では(ミュンヘン一揆の失敗など)権力が握れず、デフレになって初めて権力を得たのである。この単純な事実から、インフレもデフレも悪いが、デフレの方がより悪いと結論を下すのが当然と思うのだが、なぜ逆の結論になって、その結論を多くの人が信じているのだろうか」(カッコ内は田中の補遺、同書188頁)。
1930年代のドイツでは、デフレの進行と30%を超える極度に高い失業率が出現した。ナチスはこの経済的混乱を利用して、「人々の敵愾心をあおり、政権を奪ったのである」(同書、189頁)。
「政権を奪った後に何をしたか。金融緩和政策でデフレから脱却し、景気を回復させ、アウトバーンという高速道路を建設し、フォルクスワーゲン(国民車)を造るという産業政策も行った。(略)すべては大成功だった。国民はこの大成功を見て、ナチスの対外政策、ヨーロッパ征服も正しいのではないかと思ってしまった。日本の軍部もそう思ったのである」(同書、189頁)。
ナチスの経済政策の「大成功」をほめたたえているのではない
「ヒトラーは、インフレの中では(ミュンヘン一揆の失敗など)権力が握れず、デフレになって初めて権力を得たのである。この単純な事実から、インフレもデフレも悪いが、デフレの方がより悪いと結論を下すのが当然と思うのだが、なぜ逆の結論になって、その結論を多くの人が信じているのだろうか」(カッコ内は田中の補遺、同書188頁)。
1930年代のドイツでは、デフレの進行と30%を超える極度に高い失業率が出現した。ナチスはこの経済的混乱を利用して、「人々の敵愾心をあおり、政権を奪ったのである」(同書、189頁)。
「政権を奪った後に何をしたか。金融緩和政策でデフレから脱却し、景気を回復させ、アウトバーンという高速道路を建設し、フォルクスワーゲン(国民車)を造るという産業政策も行った。(略)すべては大成功だった。国民はこの大成功を見て、ナチスの対外政策、ヨーロッパ征服も正しいのではないかと思ってしまった。日本の軍部もそう思ったのである」(同書、189頁)。
ナチスの経済政策の「大成功」をほめたたえているのではない
だが、これはナチスの経済政策の「大成功」をほめたたえているのではない。経済政策は「大成功」したが、それによってもたらされたのは、ナチス政権による「人種差別や世界征服」などの「大惨事」であった。ナチスの経済政策の「大成功」という皮相な評価にドイツ国民や日本の軍部が目を奪われないで済んだ可能性の方に、原田審議委員は注目すべきだと説いているのだ。ここを間違えてはいけない。ロイターの記事のように間違えてはいけないのだ。
「そもそも、ヒトラーの前の政権が、金融を緩和し、デフレから脱却すればよかっただけの話である。そうすれば、失業率は低下し、人々は理性を取り戻し、人種差別や世界征服を呼号するナチスに投票などしなかっただろう。ヒトラーは政権に就くことができず、第二次世界大戦は起こらなかった」(同書、189-190頁)。
この一文を読めば、原田審議委員の趣旨は明瞭であろう。彼ほど世界の人々の自由を愛しその可能性を推し進めようというエコノミストは、ほとんど私のまわりにいなかった。その発言の一部だけを切り取り、自由と人権とそして人々の生命を奪ったヒトラーの政策、そして経済政策を「賞賛」することほど、原田の趣旨に遠いものはない。
【私の論評】経済史を理解しないと馬鹿になる(゚д゚)!
ナチスを台頭させたのは、ハイパーインフレであると思い込んでいる人は結構多いようです。しかし、これは真実ではありません。ナチスを台頭させたのは、デフレです。
この歴史的事実を把握している人は、原田審議員の主張を間違えて受け取ることはなかったでしょう。
原田氏は、誤解を招いたことに関しては、謝罪をしています。以下にそれに関する記事のリンクを掲載します。
ヒトラーの政策を正当化する意図ない=原田日銀委員が謝罪
日銀の原田泰審議委員は30日、都内で29日に行った講演で、ナチス・ドイツ総統だったヒトラーが「正しい財政・金融政策をしてしまったことで、かえって世界が悪くなった」などと発言したことについて、誤解を招く表現があったことを心よりお詫び申し上げたいと謝罪した。ロイターに対してコメントした。
原田委員は一連の発言について「早期に適切な政策運営を行うことの重要性を述べたものであり、ヒトラーの政策を正当化する意図は全くない」と述べ、「実際、発言の中において、ヒトラーの政策が悲劇をもたらしたことは明確に指摘している」とした。
ただ、「一部に誤解を招くような表現があったことについては、心よりお詫び申し上げたい」と謝罪した。
原田委員の発言について日銀では「日本銀行としても、審議委員の発言に誤解を招くような表現があったことについては遺憾に思っており、こうしたことがないよう、今後とも注意してまいりたい」とコメントした。
原田委員は29日の講演で、1929年の世界大恐慌後の欧米の財政・金融政策に言及し、「ケインズは財政・金融両面の政策が必要と言った。1930年代からそう述べていたが、景気刺激策が実際、取られたのは遅かった」と述べた。
さらに欧米各国を比較すると、英国は相対的に早めに財政・金融措置を講じたが、ドイツ、米国は遅く、フランスは最も遅くなったと分析。
そのうえで「ヒトラーが正しい財政・金融政策をやらなければ、一時的に政権を取ったかもしれないが、国民はヒトラーの言うことをそれ以上、聞かなかっただろう。彼が正しい財政・金融政策をしてしまったことによって、なおさら悲劇が起きた。ヒトラーより前の人が、正しい政策を取るべきだった」と語った。
合わせてナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺と第2次世界大戦によって、数千万人の人々が死んだとも述べた。この謝罪の内容からみて、ブログ冒頭の田中秀臣氏の論評は筋の通ったものであることがわかります。
さて、ドイツのハイパーインフレに関してさらに付け加えさせていただきます。
1922年から1923年に起きたドイツのハイパーインフレ Hyper Inflation は、西側諸国の教科書では「政府の通貨システム支配の失敗による典型的な人災」として紹介されています。
銀行家が通貨発行権を支配するということは「責任を課せられ」、「安全を保障する」ことです。しかしその実、銀行家と彼らが支配する中央銀行は、ドイツにハイパーインフレを起こした黒幕でした。
ドイツ帝国銀行 Reichsbank(1876~1948年)は、1876年に創設された民間所有のドイツの中央銀行ではありましたが、ドイツ皇帝 Deutscher Kaiser と時の政府の意向を大きく受けていました。帝国銀行の総裁と理事は全て政府の要職が担当し、皇帝が直接に任命する終身制でした。中央銀行の収益は民間株主と政府に配当されましたが、株主は中央銀行の政策決定権を有していませんでした。
これはイングランド銀行 Bank of England(1694年~)や、フランス銀行 Banque de France(1800年~)、アメリカ連邦準備銀行と明らかに異なり、ドイツ特有の中央銀行制度であり、通貨発行権は最高統治者のドイツ皇帝にしっかりと握られていました。ドイツ帝国銀行創設後のマルク Deutsche Mark は非常に安定し、ドイツの経済成長を大いに促進し、金融制度の立ち遅れた国家が先進国を追い越す成功事例となりました。
ドイツ敗戦後の1918年から1922年の間も、マルクの購買力は依然として堅調であり、インフレは英米仏などの戦勝国と比べてもあまり差はありませんでした。焦土と化した敗戦国でありながら、ドイツ帝国銀行の通貨政策がこれだけのレベル Level〔※水準〕で維持され、効果を上げたことは称賛されるべきことでした。
敗戦後、戦勝国はドイツの中央銀行に対するドイツ政府の支配権を完全に剥奪しました。1922年5月26日、ドイツ帝国銀行の「独立性」を確保する法律が制定され、中央銀行はドイツ政府の支配から抜け出し、政府の通貨政策支配権も完全に廃止されました。ドイツの通貨発行権は、ウォーバーグ Warburg Family などの国際銀行家を含む個人銀行家に移譲されたのです。
そうして、ドイツのハイパーインフレの直接のきっかけは、第一次大戦後のヴェルサイユ講話条約により、戦勝国がドイツに支払い不可能な天文学的な数字の賠償金を課したことによります。ドイツ政府はそこで賠償金の資金を調達するため、当時のドイツ帝国銀行に国債を引き受けさせた結果、ドイツ帝国銀行は、大量の紙幣を新規発行したため通貨価値が急激に下がりハイパーインフレが起こったのです。
ウィリアム・オルペン画『1919年6月28日、ベルサイユ宮殿、鏡の間での講和条約の調印』 |
そうして、それを可能にしたのが、当時のドイツ帝国銀行の独立性です。先にも掲載したように、ドイツ帝国銀行は、ドイツ政府の支配から抜け出し、政府の通貨政策支配権も完全に廃止されました。これは、ドイツ帝国の金融政策を政府はなく、ドイツ帝国銀行が決めることができるということです。
これが、ハイパーインフレを招いた根本にあります。ドイツ帝国銀行としては、天文学的な国債を引き受けるためには、ドイツ帝国の金融政策などおかまいなしで、大量のマルクを刷り増すしか方法がなかったのでしょう。
このドイツのハイパーインフレの惨禍の反省にたち、現在世界各国の中央銀行は、国の金融政策を自ら決定することはなくなりました。国の金融政策の目標はあくまで、政府が定め、中央銀行は、その目標に従い、専門家的立場からその目標を達成するための手段を自由に選べるというのが、今日世界中の中央銀行の独立性のスタンダードとなっています。
しかし、現在そうではない国があります。そうです。それは、日本です。日本もかつては、日本国の金融政策の目標を政府が定めることができたのですが、1997年に日銀法が改悪され、日本国の金融政策は日銀が定めることになったのです。
これでは、あたかも日銀が、1922年当時のドイツ帝国銀行のようになってしまったようです。そうして、これはドイツの惨禍とは全く異なる形で、惨禍をもたらしました。そうです。何が何でも金融引締めということで、デフレをもたらし、その結果として超円高となり日本経済が長い間デフレ・スパイラルの泥沼にしずみこんでしまいました。
しかし、2013年より金融緩和を標榜する安倍政権が登場し、日銀の総裁も白川総裁から、黒田総裁に変わり、金融緩和を実施するようになりました。その後、量的緩和が十分ではない部分もありますが、緩和策が実行され続け、雇用状況は劇的に改善されました。
しかし、日銀法は改悪されたままであり、日本国の金融政策の目標は日銀の審議会で定められています。そうして、現状ではこの新議員の多数派、金融緩和派で占められているので、不十分とはいながら、緩和政策が続けられています。
しかし、日本国の金融政策は日銀の審議会で決定されるわけですから、今後緩和に反対する審議員が多数派になれば、日本政府の意図とは関係なしに、引き締めに転じてしまうということも十分にあり得るのです。
こんな馬鹿なことがつづけられているのが、日本国の金融なのです。しかし、上記のようにドイツ帝国銀行の「独立性」がハイパーインフレの原因の一つであったことが多くの人々に認知されれば、現行の日銀法は改正して、再度日本の金融政策の目標は政府が定めるようにすべきであるという認識が広まると思います。
それと、経済史的な観点からもう一つ付け加えると、世界金融恐慌の原因は、1990年代の研究でデフレであったことがわかっています。
そうして、この世界恐慌から一番最初に抜け出したのは、実はドイツではないのです。それは、日本です。当時の高橋是清大蔵大臣が、今日でいうところの、リフレ政策すなわち、金融緩和策、積極財政を実行していち早く脱却しています。
これについては、このブログでも以前何度か掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
ポール・クルーグマンの新著『さっさと不況を終わらせろ』−【私の論評】まったくその通り!!
詳細は、この記事をご覧下さい。この記事には、「宝永の改鋳」という江戸時代の、金融緩和策と、高橋是清の政策についても掲載しています。
いずれにせよ、このような経済史を知れば、どういうタイミングで、金融緩和や積極財政を実施すれば良いのか理解できるはずです。
現在のメディア関係者や、政治家などこのような知見を欠いている人が多いです。このようなひとたちが、8%増税を強力に推進したり、景気や雇用が悪い時に、金融引締めを推進するという馬鹿なことをしてしまうのです。
心ある人、特に若い人は、是非経済史を振り返っていただきたいです。そうすることにより、日本国の経済に関して、正しい認識を持てるようになります。
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