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2018年4月4日水曜日

不倫疑惑再燃で「デメリットばかり」と総スカン 山尾氏は立憲民主党の「お荷物」に―【私の論評】山尾を一時でも支持したり、賞賛したりした人は人を見る目がないと厳しく反省すべき(゚д゚)!

不倫疑惑再燃で「デメリットばかり」と総スカン 山尾氏は立憲民主党の「お荷物」に


立憲民主党の山尾志桜里衆院議員(43)が同党の「お荷物」になりつつある。昨年末の入党後、安倍晋三政権追及の急先鋒(せんぽう)となることを期待されたが、政策顧問の倉持麟太郎弁護士(35)との不倫疑惑が再燃し、「山尾氏を抱えることにデメリットしかない」と総スカンを食らっているのだ。倉持氏の元妻は、山尾氏への慰謝料請求訴訟の準備を進めており、展開次第で離党の可能性を指摘する識者もいる。

「山尾氏は、もう『賞味期限切れ』だろう。なぜ執行部は、疑惑がくすぶっている段階で迎え入れたのか。今では党の大半の議員が、山尾氏に近づこうともしない」

立憲民主党関係者は、夕刊フジの取材に、あきれた様子でこう答えた。

山尾氏は昨年9月、週刊文春に倉持氏との密会を報じられ、「男女の関係」を否定しながらも民進党を離党した。同年10月の衆院選に無所属で当選後、立憲民主党の衆院会派に入り、同年12月下旬に入党を認められた。

不倫疑惑は先週、倉持氏の元妻、A子さんが週刊文春に《山尾さんのせいで、全てを失った》との手記を寄せ、再燃したが、山尾氏の党内での立場はすでに孤立化に向かっていたという。

原因の1つは、山尾氏が1月ごろからアピールしていた「立憲的改憲」というスタンスだ。前出の党関係者が言う。

「立憲的改憲は、日本が行使できる自衛権を『個別的自衛権』に限定する方向で、憲法を変えるという主張だ。枝野幸男代表は、安全保障法制を維持したままの改憲に否定的だ。漫画家の小林よしのり氏や、倉持氏と一緒に(立憲的改憲に)前のめりな姿も不評だった。山尾氏は執行部から注意され、持論を封印せざるを得なくなった」

さらに、テレビ中継された2月22日の衆院予算委員会での質問も、あつれきを生んだという。

「希望者が殺到するなか、山尾氏に30分も与えた執行部への不満が噴出し、辻元清美国対委員長が『結果を出させる』と収拾に走らされた。ところが、山尾氏は待機児童問題や憲法改正ばかり質問し、旬の議題だった裁量労働制は不発だった」

今回のA子さんの手記から、山尾氏が、倉持氏の家庭を壊す一因となったことは間違いなさそうだ。党関係者は「もはや、子育て政策も説得力を持たない。存在意義が問われる」と手厳しい。

A子さんが訴訟に踏み切れば、党のイメージダウンや政党支持率の低下に直結する。山尾氏は、A子さんの告発に、沈黙を続けているが、今後の展開をどうみるか。

政治評論家の伊藤達美氏は「これまで世論の関心は、財務省の決裁文書改竄(かいざん)問題にあった。一段落して、山尾氏の不倫疑惑への批判が高まれば、党員資格停止や離党に追い込まれる可能性もある」と話している。

【私の論評】一時でも山尾を支持したり、賞賛したりした人は人を見る目がないと厳しく反省すべき(゚д゚)!

山尾志桜里氏の国会での発言も、多くの人々から反発をかっています。たとえば、以下のような発言には私自身も怒りを覚えました。

「子供が犯罪の被害者になった時に繰り返し被害状況を話すことが子供の心理的負担になってる!」

 倉持の元奥さん、上の記事ではA子さんから子供を奪った原因をつくりだした山尾が国会で子供の味方みたいな発言を繰り返しています。 山尾は自分自身のせいで母親と引き離された2歳の子供がいることを忘れているようです。
そうして、倉持氏も鬼畜のような手紙を元奥さんのA子さんに送っていたことが明らかになっています。

山尾志桜里議員の政策顧問を務める倉持倫太郎弁護士

山尾志桜里衆院議員(43)の政策顧問を務める倉持麟太郎弁護士(35)は、3月30日、元妻A子さんに対し、メディアの取材に応じないよう圧力とも取れる内容の通知書を送付していたことが明らかになっています。

 A4用紙3枚の通知書には、〈第三者への口外禁止を書面にて確約していただくことが必要です〉、〈(確約がなければ長男との)面会交流を見合わせざるを得ません〉などと記されていました。そのコピーの一部が以下です。


A子さんは、文藝春秋3月22日発売号で「山尾志桜里さん、夫と息子を返して」という手記を発表。山尾氏が夫婦の寝室に足を踏み入れたことなどを明かし、不倫発覚後に倉持氏から離婚を突きつけられ、親権を失った現状を赤裸々に綴っていました。文春ではA子さんが以下のように語ったとしています。

「手記発表後、倉持に面会を拒否され、2週間も子供に会えていません。今回の文書は、まるで子供を人質に取り、脅すような内容でした。私がメディアの取材に応じたことを理由に、長男への面会を拒否するなんて許されるのでしょうか。また山尾さんは子を持つ親として、私の気持ちが分からないのでしょうか」

文春はね倉持氏に見解を尋ねたそうですが、期日までに回答はなかったといいます。

それにしても、山尾志桜里の神経を疑います。倉持の子供だけでなく、自分の子供も被害者にしておいて、子どもの味方であるような発言を平然としています。山尾志桜里には、今後一切、子供に関することと女性活躍に関することを言ってもらいたくないです。山尾を見ていると、ただただ不愉快になります。これが、ワイドショー民の一般的な見方ではないかと思います。

山尾志桜里に関しては、あの「日本死ね」というブログを国会で公開したときから、どこか狂っていると思っていました。それについては、以前もこのブログに掲載しています。

その記事のリンクを以下に掲載します。
山尾氏、今度は衆院選直前に不可解な「500万円の移動」 週刊新潮報道 ―【私の論評】献金問題と同じく匿名ブログに基づく議論も指弾されるべきだ(゚д゚)!
山尾志桜里

この記事は、2016年4月14日のものです。詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部を引用します。
国会で匿名のブログをもとに、審議をするなどということは、考え及びもつかないことです。匿名のブログなど何の責任も伴わないものですから、そこに書かれていることなど、信ぴょう性も何もありません。疑問に思っても、書いた人間に質問することすらできません。そのようなものを元に、公の場で議論などすべきではありません。まともな会社の取締役会で、匿名のブログなどに基づいて議論をすすめる役員がいたら、愚か者と言われることでしょう。
これは、ネット社会における最低限のエチケット(ネチケット)であると思います。そのようなことを、認識できない山尾志桜里氏が、検事であったという事自体も信じられません。検事なら、何事に関しても、物的な証拠などを重視するのが普通だと思います。それに、マスコミが献金問題と同じようにその点を追求しないのも本当に奇異なことです。
このようなネチケットが守れない国会議員が何の指弾も受けない、それを褒めそやす党代表が存在したり、それを批判もしないメディが存在するということ自体が、現代の陰湿なネットいじめなどを助長していると思います。
ネットいじめの温床は何か?
匿名のブログはエビデンス(証拠・根拠、証言、形跡)ではありません。新聞の報道はエビデンスであることが求められます。だから、まともな新聞記者は、情報の出処を裏取りして、正しい情報に基づいて報道します。国会での審議であれば、当然新聞社などより、さらこの点において厳格であらねばならないはずです。

このようなことがなおざりにされても、何の問題にもならない社会は病んでいるとしか言いようがありません。これでは、ますますネットいじめなどをさらに助長するだけです。
このあたりには、山尾志桜里は、マスコミにとりあげられ、脚光を浴びましたが、私はどうしても山尾の行動については、胡散臭さを禁じえませんでした。 そうして、今日その胡散臭さは正しかったことが明るみにでたと思います。

山尾を一時でも支持したり、ましてや賞賛したりした人は、自分には人を見る目がないと厳しく反省すべきでしょう。ということは、反対をおしきって山尾を立憲民主党に入れた枝野氏にも人を見る目がないということかもしれません。

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2017年6月30日金曜日

日銀の原田泰審議委員はヒトラーを賞賛してはいない。ロイターの記事は誤解を招く―【私の論評】経済史を理解しないと馬鹿になる(゚д゚)!

日銀の原田泰審議委員はヒトラーを賞賛してはいない。ロイターの記事は誤解を招く

田中秀臣


上武大学教授田中秀臣氏

非常に驚く記事を読んだ。ニューズウィーク日本版ウェブに6月28日に掲載された、ロイターの伊藤純夫(編集 田巻一彦)による"日銀の原田審議委員「ヒトラーが正しい財政・金融政策をして悲劇起きた」" と題された記事だ。

 深刻な誤解を世界の読者に与えた

この題名しか読まない人は、あたかも原田泰審議委員が、ヒトラーの政策を「正しい」ものとして肯定したかのような印象をうけとったのではないか。実際にこの記事へのコメントには、少数ながらそのような反応がある。さらに深刻なのはこの記事の海外版の見出しであり、Bank of Japan policymaker Yutaka Harada praises Hitler's economic policiesとある。つまり「原田泰日銀政策委員がヒトラーの経済政策を賞賛した」というものとして掲示されている。これは深刻な誤解を世界の読者に与えたであろう。

もし原田審議委員のヒトラーに対する評価を肯定的なものと解釈するならば、それは解釈する側の無理解か、または悪意による歪曲か、そのいずれかでしかない。原田審議委員は従前から、ヒトラーの悪行の数々を痛烈に批判し、ヒトラー政権のような存在が二度とこの世に現れないために、いままでもいくつかの著作・書籍を書いてきた。それらは公知のものであり、ロイターの記者らも簡単に入手でき、原田審議委員の発言の趣旨を確認できたはずだ。それをしないのであれば、私見では深刻な問題であろう。また少なくともヒトラー政権を肯定的にみなしていると誤解を与えないような記事内容、また見出しの工夫が必要だったろう。

 原田審議委員の趣旨は

以下では、原田泰審議委員のヒトラー政権の評価、そしてヒトラーの経済政策の問題性を、彼の著作『反資本主義の亡霊』(日経プレミアムシリーズ)を参照に解説したい。なるべく原田審議委員の趣旨を伝えたいので、文章も彼のものをできるだけ拝借したことを、著者と読者の方々にお断りしたい。

原田泰審議委員 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
「第一次世界大戦後の混乱の中で、ドイツは物価水準が一兆倍にもなるハイパーインフレ―ションに襲われた。その混乱の中でナチスが権力を握り、ヨーロッパを戦乱に陥れ、ユダヤ人の大虐殺を行った。世界を征服しようというナチスの勢いを見て、日本の軍部は日独同盟を結び、アジア征服に乗り出した。その結果が、大惨事である。だから、インフレを起こしてはいけないと議論されることが多い」(同書。187頁)。

このハイパーインフレ(高いインフレ)がドイツ社会を破壊し、それがナチスの台頭を招いたというのは誤解であると、原田審議委員は説いている。ハイパーインフレや高いインフレではなく、デフレの蔓延こそがナチスの台頭を招き、後の大惨事につながったというのが原田審議委員の主張だ。

ドイツのハイパー・インフレ時に紙くずになった札束をゴミ箱に捨てる人たち
そもそもドイツでハイパーインフレが起きたのは1910年代の末であり、ナチスが政権を奪取したのは1934年であり、ハイパーインフレから15年も時間が経過している。1920年代はワイマール共和国の時代であり、なんとか平和が維持されていた、それが崩れたのは1930年代の大恐慌というデフレと失業の時代ゆえであった、というのが原田審議委員の着眼点だ。インフレではなく、デフレこそナチス台頭の経済的原因であったということだ。

「ヒトラーは、インフレの中では(ミュンヘン一揆の失敗など)権力が握れず、デフレになって初めて権力を得たのである。この単純な事実から、インフレもデフレも悪いが、デフレの方がより悪いと結論を下すのが当然と思うのだが、なぜ逆の結論になって、その結論を多くの人が信じているのだろうか」(カッコ内は田中の補遺、同書188頁)。

1930年代のドイツでは、デフレの進行と30%を超える極度に高い失業率が出現した。ナチスはこの経済的混乱を利用して、「人々の敵愾心をあおり、政権を奪ったのである」(同書、189頁)。

「政権を奪った後に何をしたか。金融緩和政策でデフレから脱却し、景気を回復させ、アウトバーンという高速道路を建設し、フォルクスワーゲン(国民車)を造るという産業政策も行った。(略)すべては大成功だった。国民はこの大成功を見て、ナチスの対外政策、ヨーロッパ征服も正しいのではないかと思ってしまった。日本の軍部もそう思ったのである」(同書、189頁)。

 ナチスの経済政策の「大成功」をほめたたえているのではない

だが、これはナチスの経済政策の「大成功」をほめたたえているのではない。経済政策は「大成功」したが、それによってもたらされたのは、ナチス政権による「人種差別や世界征服」などの「大惨事」であった。ナチスの経済政策の「大成功」という皮相な評価にドイツ国民や日本の軍部が目を奪われないで済んだ可能性の方に、原田審議委員は注目すべきだと説いているのだ。ここを間違えてはいけない。ロイターの記事のように間違えてはいけないのだ。

「そもそも、ヒトラーの前の政権が、金融を緩和し、デフレから脱却すればよかっただけの話である。そうすれば、失業率は低下し、人々は理性を取り戻し、人種差別や世界征服を呼号するナチスに投票などしなかっただろう。ヒトラーは政権に就くことができず、第二次世界大戦は起こらなかった」(同書、189-190頁)。

この一文を読めば、原田審議委員の趣旨は明瞭であろう。彼ほど世界の人々の自由を愛しその可能性を推し進めようというエコノミストは、ほとんど私のまわりにいなかった。その発言の一部だけを切り取り、自由と人権とそして人々の生命を奪ったヒトラーの政策、そして経済政策を「賞賛」することほど、原田の趣旨に遠いものはない。

【私の論評】経済史を理解しないと馬鹿になる(゚д゚)!

ナチスを台頭させたのは、ハイパーインフレであると思い込んでいる人は結構多いようです。しかし、これは真実ではありません。ナチスを台頭させたのは、デフレです。

この歴史的事実を把握している人は、原田審議員の主張を間違えて受け取ることはなかったでしょう。

原田氏は、誤解を招いたことに関しては、謝罪をしています。以下にそれに関する記事のリンクを掲載します。
ヒトラーの政策を正当化する意図ない=原田日銀委員が謝罪


日銀の原田泰審議委員は30日、都内で29日に行った講演で、ナチス・ドイツ総統だったヒトラーが「正しい財政・金融政策をしてしまったことで、かえって世界が悪くなった」などと発言したことについて、誤解を招く表現があったことを心よりお詫び申し上げたいと謝罪した。ロイターに対してコメントした。 
原田委員は一連の発言について「早期に適切な政策運営を行うことの重要性を述べたものであり、ヒトラーの政策を正当化する意図は全くない」と述べ、「実際、発言の中において、ヒトラーの政策が悲劇をもたらしたことは明確に指摘している」とした。 
ただ、「一部に誤解を招くような表現があったことについては、心よりお詫び申し上げたい」と謝罪した。 
原田委員の発言について日銀では「日本銀行としても、審議委員の発言に誤解を招くような表現があったことについては遺憾に思っており、こうしたことがないよう、今後とも注意してまいりたい」とコメントした。 
原田委員は29日の講演で、1929年の世界大恐慌後の欧米の財政・金融政策に言及し、「ケインズは財政・金融両面の政策が必要と言った。1930年代からそう述べていたが、景気刺激策が実際、取られたのは遅かった」と述べた。 
さらに欧米各国を比較すると、英国は相対的に早めに財政・金融措置を講じたが、ドイツ、米国は遅く、フランスは最も遅くなったと分析。 
そのうえで「ヒトラーが正しい財政・金融政策をやらなければ、一時的に政権を取ったかもしれないが、国民はヒトラーの言うことをそれ以上、聞かなかっただろう。彼が正しい財政・金融政策をしてしまったことによって、なおさら悲劇が起きた。ヒトラーより前の人が、正しい政策を取るべきだった」と語った。 
合わせてナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺と第2次世界大戦によって、数千万人の人々が死んだとも述べた。
この謝罪の内容からみて、ブログ冒頭の田中秀臣氏の論評は筋の通ったものであることがわかります。

さて、ドイツのハイパーインフレに関してさらに付け加えさせていただきます。

1922年から1923年に起きたドイツのハイパーインフレ Hyper Inflation は、西側諸国の教科書では「政府の通貨システム支配の失敗による典型的な人災」として紹介されています。

銀行家が通貨発行権を支配するということは「責任を課せられ」、「安全を保障する」ことです。しかしその実、銀行家と彼らが支配する中央銀行は、ドイツにハイパーインフレを起こした黒幕でした。

ドイツ帝国銀行 Reichsbank(1876~1948年)は、1876年に創設された民間所有のドイツの中央銀行ではありましたが、ドイツ皇帝 Deutscher Kaiser と時の政府の意向を大きく受けていました。帝国銀行の総裁と理事は全て政府の要職が担当し、皇帝が直接に任命する終身制でした。中央銀行の収益は民間株主と政府に配当されましたが、株主は中央銀行の政策決定権を有していませんでした。

これはイングランド銀行 Bank of England(1694年~)や、フランス銀行 Banque de France(1800年~)、アメリカ連邦準備銀行と明らかに異なり、ドイツ特有の中央銀行制度であり、通貨発行権は最高統治者のドイツ皇帝にしっかりと握られていました。ドイツ帝国銀行創設後のマルク Deutsche Mark は非常に安定し、ドイツの経済成長を大いに促進し、金融制度の立ち遅れた国家が先進国を追い越す成功事例となりました。

ドイツ敗戦後の1918年から1922年の間も、マルクの購買力は依然として堅調であり、インフレは英米仏などの戦勝国と比べてもあまり差はありませんでした。焦土と化した敗戦国でありながら、ドイツ帝国銀行の通貨政策がこれだけのレベル Level〔※水準〕で維持され、効果を上げたことは称賛されるべきことでした。

敗戦後、戦勝国はドイツの中央銀行に対するドイツ政府の支配権を完全に剥奪しました。1922年5月26日、ドイツ帝国銀行の「独立性」を確保する法律が制定され、中央銀行はドイツ政府の支配から抜け出し、政府の通貨政策支配権も完全に廃止されました。ドイツの通貨発行権は、ウォーバーグ Warburg Family などの国際銀行家を含む個人銀行家に移譲されたのです。

そうして、ドイツのハイパーインフレの直接のきっかけは、第一次大戦後のヴェルサイユ講話条約により、戦勝国がドイツに支払い不可能な天文学的な数字の賠償金を課したことによります。ドイツ政府はそこで賠償金の資金を調達するため、当時のドイツ帝国銀行に国債を引き受けさせた結果、ドイツ帝国銀行は、大量の紙幣を新規発行したため通貨価値が急激に下がりハイパーインフレが起こったのです。

ウィリアム・オルペン画『1919年6月28日、ベルサイユ宮殿、鏡の間での講和条約の調印』
そうして、それを可能にしたのが、当時のドイツ帝国銀行の独立性です。先にも掲載したように、ドイツ帝国銀行は、ドイツ政府の支配から抜け出し、政府の通貨政策支配権も完全に廃止されました。これは、ドイツ帝国の金融政策を政府はなく、ドイツ帝国銀行が決めることができるということです。

これが、ハイパーインフレを招いた根本にあります。ドイツ帝国銀行としては、天文学的な国債を引き受けるためには、ドイツ帝国の金融政策などおかまいなしで、大量のマルクを刷り増すしか方法がなかったのでしょう。

このドイツのハイパーインフレの惨禍の反省にたち、現在世界各国の中央銀行は、国の金融政策を自ら決定することはなくなりました。国の金融政策の目標はあくまで、政府が定め、中央銀行は、その目標に従い、専門家的立場からその目標を達成するための手段を自由に選べるというのが、今日世界中の中央銀行の独立性のスタンダードとなっています。

しかし、現在そうではない国があります。そうです。それは、日本です。日本もかつては、日本国の金融政策の目標を政府が定めることができたのですが、1997年に日銀法が改悪され、日本国の金融政策は日銀が定めることになったのです。

これでは、あたかも日銀が、1922年当時のドイツ帝国銀行のようになってしまったようです。そうして、これはドイツの惨禍とは全く異なる形で、惨禍をもたらしました。そうです。何が何でも金融引締めということで、デフレをもたらし、その結果として超円高となり日本経済が長い間デフレ・スパイラルの泥沼にしずみこんでしまいました。

しかし、2013年より金融緩和を標榜する安倍政権が登場し、日銀の総裁も白川総裁から、黒田総裁に変わり、金融緩和を実施するようになりました。その後、量的緩和が十分ではない部分もありますが、緩和策が実行され続け、雇用状況は劇的に改善されました。

しかし、日銀法は改悪されたままであり、日本国の金融政策の目標は日銀の審議会で定められています。そうして、現状ではこの新議員の多数派、金融緩和派で占められているので、不十分とはいながら、緩和政策が続けられています。

しかし、日本国の金融政策は日銀の審議会で決定されるわけですから、今後緩和に反対する審議員が多数派になれば、日本政府の意図とは関係なしに、引き締めに転じてしまうということも十分にあり得るのです。

こんな馬鹿なことがつづけられているのが、日本国の金融なのです。しかし、上記のようにドイツ帝国銀行の「独立性」がハイパーインフレの原因の一つであったことが多くの人々に認知されれば、現行の日銀法は改正して、再度日本の金融政策の目標は政府が定めるようにすべきであるという認識が広まると思います。

それと、経済史的な観点からもう一つ付け加えると、世界金融恐慌の原因は、1990年代の研究でデフレであったことがわかっています。

そうして、この世界恐慌から一番最初に抜け出したのは、実はドイツではないのです。それは、日本です。当時の高橋是清大蔵大臣が、今日でいうところの、リフレ政策すなわち、金融緩和策、積極財政を実行していち早く脱却しています。

これについては、このブログでも以前何度か掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
ポール・クルーグマンの新著『さっさと不況を終わらせろ』−【私の論評】まったくその通り!!

 

詳細は、この記事をご覧下さい。この記事には、「宝永の改鋳」という江戸時代の、金融緩和策と、高橋是清の政策についても掲載しています。

いずれにせよ、このような経済史を知れば、どういうタイミングで、金融緩和や積極財政を実施すれば良いのか理解できるはずです。

しかし、経済史を知らなければ、原田泰審議委員の講演はヒトラーを賞賛したものと思い込んだり、デフレであるにもかかわらず、金融引締めをしたり、増税などの緊縮財政を正しいと思い込んでしまうような、頓珍漢なことをしても何もおかしいとは思わないということにもなりかねません。

現在のメディア関係者や、政治家などこのような知見を欠いている人が多いです。このようなひとたちが、8%増税を強力に推進したり、景気や雇用が悪い時に、金融引締めを推進するという馬鹿なことをしてしまうのです。

心ある人、特に若い人は、是非経済史を振り返っていただきたいです。そうすることにより、日本国の経済に関して、正しい認識を持てるようになります。

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2015年5月31日日曜日

タマキ フジエが東京都観光ボランティアのユニフォームをデザイン―【私の論評】未来の日本人のライフ・スタイルを予感させ、海外からも賞賛され、共感を得られる野心的なものにして欲しい(゚д゚)!



タマキ フジエ(TAMAKI FUJIE)」のデザイナー藤江珠希が、東京都観光ボランティアのユニフォームをデザインした。今日東京都庁で行われた「舛添知事 定例記者会見」で「おもてなし東京」というロゴが入ったメンズ、ウィメンズの2種類を初披露。外国語で観光案内等を行う「街なか観光案内」のボランティアスタッフが着用する。

東京都は、2020年東京オリンピック・パラリンピック大会に向け、観光ボランティア活動を通じて外国人旅行者に東京の魅力を紹介する「街なか観光案内」をスタート。2020年までに新宿、浅草等10地域で展開される予定で、今回の会見では藤江珠希がデザインした観光ボランティアスタッフのユニフォームが発表された。舛添知事は「色々なデザインを出してもらい、分かりやすいということからこのユニフォームを選びました。ユニフォームを活用して、観光客の方に向けたサービスを展開していきたい」とコメントしている。

タマキ フジエは、立教大学卒業後、アントワープ王立芸術アカデミーを経て、セントラルセントマーティンズ美術大学ファッションプリント科に入学した藤江珠希が手がけるブランド。2014年には「Tokyo 新人デザイナーファッション大賞」のアマチュア部門最終審査会とプロ部門のジョイントショーで、自身初のファッションショーを行ない注目を集めた。

【私の論評】未来の日本人のライフ・スタイルを予感させ、海外からも賞賛され、共感を得られる野心的なものにして欲しい(゚д゚)!

それにしても、このユニフォームはあまりにダサすぎるのではないかと思います。とてもじゃないですが、一流デザイナーがデザインしたものとは思えません。

気になったので、まずは「街なか観光案内」の内容を調べてみました。東京都のサイトに説明に掲載されていたので、それをそのまま以下に掲載します。

「おもてなし東京」が始動!街なか観光案内を新宿、上野で開始します
-東京都観光ボランティアのチーム名・ユニフォーム決定!-
平成27年5月29日 
産業労働局
観光ボランティアが街なかで外国人旅行者に積極的に声を掛け、外国語で観光案内等を行う「街なか観光案内」を6月19日から新宿、上野を皮切りに実施します。今後、外国人旅行者が多く訪れる地域で順次展開していきます。 
 また、これにあわせて、観光ボランティアがチームとして一体感を感じられるよう、チーム名及びユニフォームを決定しましたので、お知らせします。今後の観光ボランティアの活躍にご期待ください。 
1 街なか観光案内
(1) 活動開始日
平成27年6月19日(金曜)より
(2) 活動日
毎週金曜日・土曜日・日曜日(週3日)
(3) 活動時間
11時00分~17時00分
※開始日はイベントを開催予定のため、活動時間は異なる。
(4) 実施場所
新宿駅西口周辺、上野駅周辺(27年度)
※28年度以降、外国人旅行者が多く訪れる地域で順次展開予定
(5) 活動内容
ボランティアが2人1組となり、街なかを巡りながら外国人旅行者に声をかけ、観光案内や道案内を行うほか、各種情報を多言語で提供。
2 チーム名及びユニフォーム
(1) チーム名
「おもてなし東京(OMOTENASHI TOKYO)」
一般応募の中から決定(応募総数882件)
(2) ユニフォーム
都がビジネスを支援している有望な若手デザイナーの中からコンペにより選ばれた藤江珠希氏がポロシャツ、帽子、カバンをデザイン
画像
<ユニフォーム>

画像
<チーム名のロゴマーク>

  
それから、このユニフォームをデザインしたデザイナーの写真を以下掲載します。

藤江珠希さん
今年のFashionsnap.comの1月3日の記事に、『2015年に注目したい期待の若手国内ブランドベスト9』という記事が掲載されており、藤江玉希さんは、6位になっていましたので、その部分のみ以下に掲載させていただきます。

"6番・ライト:「タマキ フジエ(TAMAKI FUJIE)

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初のショー開催、アレキサンダー・マックイーンの下で経験を積んだ実力者

立教大学卒業後、アントワープ王立芸術アカデミーを経て、セントラルセントマーティンズ美術大学ファッションプリント科に入学したデザイナーの藤江珠希氏。在学中にアレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)の下で研修し、2013年春夏からタマキ フジエを展開しています。色の置き方や異素材を組み合わせた服作りに定評があり、「2014 Tokyo 新人デザイナーファッション大賞」のアマチュア部門最終審査会とプロ部門のジョイントショーで初めてランウェイショーを経験。ショー後には「ショーはもういいかなと思いましたね(笑)」と語った藤江氏。そんな同氏の控えめなところから6番・ライトにしました。
"


なにやら、新進気鋭のすごいデザイナーのようですが、それにしては、ブログ冒頭のデザインはあまりにいただけないと思うのですが、それにはわけがありそうです。Twitterでみているとそれを匂わせるような記事も掲載されていましたので、そのTweetを以下に引用させていただきます。
確かに、ユニフォームのデザインとグラフィックのデザインとは異なる人の手によるということで、その面のチグハグ感もあります。

そのあたりについては、以下のようなTweetもあります。
このような見方もありますが、そもそも、制服のデザインそのものがダサいし、何やらこの色使いなどみると、何やら想起されるものがあります。それは、何かといえば大韓民国の国旗太極旗の色使いです。

このような感覚は、私だけなのかと思ったら、ジャーナリストの西村幸祐氏も似たような感覚を持たれているようで、以下のようなTweetをされています。
このTweetを見ていて、「まるで半島デザイン」というのは、最初は言い過ぎのような感覚を持ちましたが、色づかいはまさしく太極旗を想起させるものであることと、さらに関連するTweetをみていると、以下のようなものを発見し、そういう感覚を持つ人もけっこういるということに共感を覚えました。

それに、以下のような舛添知事の発言も発見しました。
【舛添知事定例会見録】観光ボランティア「ソウルと同じようなことやりたい」赤いユニホームに対抗?、東京はブルーに
ソウルの観光ボランティアに説明を受ける舛添知事
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部分のみ引用させていただきます。
 「最後の報告ですが、このたび、観光ボランティアによる『街なか観光案内』を新たに開始しますので、お知らせします。ソウルに行ったときに、『動く観光案内所』ということで、赤いユニホームのボランティアが、例えば私が歩いていると、『日本人の方ですね。何か困ったことはありますか』と日本語でしゃべって、いろいろ案内してくれる。 
 こういうことをやろうということで、これまで東京都を訪ねる外国人旅行者に対し、観光ボランティアによる都庁案内ツアーとか、観光スポットをめぐるガイドサービスを提供してきました」 
 「これに加えて、6月19日から新たに、街の中で『韓国の方ですか』『中国の方ですか』『アメリカの方ですか』と声をかけて外国語で案内を行う『街なか観光案内』を、まず新宿駅、上野駅を皮切りに開始します」 
 「そこで、チーム名とユニホームを決定しました。まずチームの名前は『おもてなし東京』。
ユニホームは、都がビジネスを支援している有望な若手デザイナーの藤江珠希さんにデザインしていただきました。 
(ボランティアには)今回、作成したユニホームを着用してもらい、
『これはおもてなし東京チームだな』とすぐに分かるようにしたい」
このような、舛添知事の発言をみると、やはり韓国風デザインは舛添知事からででいるような気がします。そもそも、最初からデザイナーに、韓国の観光ボランティアの制服など見せていて、そこからデザインを依頼したということも考えられます。

それにしても、このデザインでは、以下の比較写真をみてもわかるように、李朝朝鮮の衛兵の衣装を彷彿させるし、そもそもダサいということで、観光ボランティアをやろうという人もこれを着用しなけばならないということになれば、意欲がそがれる人も多くなるのではないかと思います。

左が李朝朝鮮の衛兵の衣装、右が東京の観光ボランティアの衣装

たかが、制服と言う方もいらっしゃるかもしれませんが、制服がかわいいということで、入学者が増加した女子校などもあります。決して馬鹿にはできません。

制服の着こなしの良い女子高生。これは制服というよりは、マフラーで女子力アップ?
かわいさ2割増し!?いや、もっと?しかし、観光ボランティアの制服では・・・・・
優れたファションとは、人々のスタイルを表現するものです。フランスの有名な、ココ・シャネルは、女性ファションの大改革を行い、女性の新しいライフスタイルを確立しました。それまで、女性とはかくあるものという、スタイルに基づいて創作されていた、窮屈な女性ファションをことごとく破壊し、今では普通になっている新しい女性のライフ・スタイルを確立しました。

ココ・シャネル

東京オリンピックまでには、まだ間があります。着用する人の年齢や、好みや、新しい日本人のライフスタイルも考慮にいれて、これから新たなデザインのものを複数作成するとか、経費を抑えたいなら、服装はボランティアに任せて、そのかわり服装の規定を定めるというような方向性も考えられると思います。

もし、服装をボランティアにまかせたとしても、選考要件として、ファションセンスの良さを入れて、服装は「東京オリンピック後の新しい日本人のライフスタイルを想起させるもの」という規定を設けてはいかがでしょうか。百花繚乱となるでしょうが、その中でも方向性が見えてきた興味深いものになるかもしれません。

ココ・シャネルは「失敗しなくちゃ成功はしないわよ」と語っています。あのダサさは、失敗の域にあると思います。

とにかく、あまりにダサい半島風デザインはいただけないです。これを強制着用ということにでもなれば、ボランティアの数が減るかもしれませんし、それに人権問題にもなるのではないでしょうか。国旗ゃ校歌斉唱を問題にする、左翼の方々がこれを問題にしないのも不思議です(笑)。

東京の観光ボランティアのユニフォームが、もし単なる半島からの移入ということであれば、あまりに志が低すぎます。未来の日本人のライフ・スタイルを予感させ、海外からも賞賛され、共感を得られるものでありながら実用的な野心的なものにして欲しいものです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?



【関連図書】

ファッションは、その時代の人々のライフ・スタイルも表現するものです。かの有名な、ココ・シャネルは、「私は流行をつくっているのではない。スタイルをつくっているの」という名言を残しています。

ココ・シャネルにより、世界の女性のスタイルは様変わりしました。ファションを見れば、それを着用している人のスタイルがわかります。以下の書籍は、写真集であり、多くの人々のスタイルを表すファションもビジュアルで見ることができます。

そのスタイルから見ても、戦前の日本や、大正・昭和初期の日本が、暗黒ではないことが理解でき、「戦前暗黒史観」などは誤りであることが良く理解できます。それは、日本だけではなく、日本統治下の朝鮮も同じことです。そういう見方をすると、なぜ日本の戦後教育ではこれらの真実を封印してきたのか、憤りを覚えます。

スタイルを見れば、一目瞭然です。是非ご覧になって下さい。

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