「目に見えなくてもサンタクロースはいるのです。」100年以上も語り継がれる、8歳の少女の問いに答えたニューヨーク・サン新聞の有名な社説です。今日、12月24日は「クリスマス・イヴ」です。
明日のクリスマス当日よりもなぜか盛り上がるイエス・キリストの降誕前夜祭の日です。キリスト教圏では、クリスマスは主に家族で過ごし、クリスマスツリーの下にプレゼントを置いて互いに贈りあう日です。キリスト教徒の割合が少ない日本では、宗教的なことは抜きにして、家族や恋人、友人などとパーティをし、プレゼント交換をする年中行事として定着しています。
意外にもこのクリスマスを祝う習慣は、明治時代から徐々に広まり、戦前の昭和初期にはすでに日本に定着していたようです。バブルの頃と前後して恋人たちのイベントになり、クリスマスに恋人がいないことが、まるでこの世の終わりのように絶望的な雰囲気になっていたこともありましたが、最近では家族と過ごすという人が増えているようです。
クリスマスを巡るお話は世の中にたくさんありますが
「誰もサンタクロースを見たことがないことは、サンタクロースがいないことの証明にはならない」ほんとうに、サンタクロースや目に見えないモノすべてが“いない”と信じる世界は、とてもさびしいものです。現実に押しつぶされそうになっている方も、目に見えないもの、人のあたたかい心を、せめて今日くらいは信じてみませんか。
最後に、INSIGHTNOW!に毎年この時期投稿されている純丘教授のクリスマス・コラムをいくつかご紹介しておきます。2015年 「クリスマスの夜、サービスエリアで」 、2014年 「なぜサンタは太っているのか」 、2013年 「最後のクリスマスプレゼント」 、2012年 「サンタはきっとどこかにいると思うんだ」 どれもクリスマス・イヴにぴったりの心やさしいお話です。
【私の論評】日本人の独自の精神世界に感謝し、目に見えないものの存在も信じる寛容さを持とう(゚д゚)!
キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、およびこれらを引き継いだ教会暦では日没を一日の境目としているので、クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、教会暦上はクリスマスと同じ日に数えられます。
一般的年中行事としても楽しまれます。ジングルベルなどのクリスマスソングは多くの人に親しまれています。
日本では、クリスマスや、ハロウィーンなど外国習慣などを容易に受け入れて、自分たちのものにしてしまう習慣が昔からあります。これによって、私たちの生活が豊かで、彩りのあるものになるのなら、それはそれで良いことだと思います。
最近では、日本でもかなり盛んになったハロウィーンだってそうです。
特にアメリカのハロウィーンは、日本と同じく、宗教的な意味あいは全くありません。
カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがあります。
キリスト教の祭ではない。ハロウィンに対してはキリスト教からは容認から批判まで様々な見解があります。とは、いいながら、アメリカで多くの人達は、ハロウィーンを楽しみにしています。
キリスト教の祭ではない。ハロウィンに対してはキリスト教からは容認から批判まで様々な見解があります。とは、いいながら、アメリカで多くの人達は、ハロウィーンを楽しみにしています。
ジャック・オー・ランタン |
ハロウィーンに関しては、行き過ぎもあり、ハロウィーンの仮装行列で人々がねり歩いた後がゴミだらけなどという負の側面もありましたが、このような人に迷惑をかけるような行為をしなければ、やりたい人がやるのは、あまりとやかくいう必要もないと思います。
そうして、ブログ冒頭の記事のように、私も「目に見えないもの、人のあたたかい心を、せめて今日くらいは信じてみませんか」と言いたいです。
こちらは、札幌ですが、最近以下のようなことがありました。
札幌市児相に「伊達直人」 ランドセル4個届ける
札幌市は24日、漫画タイガーマスクの主人公「伊達直人」を名乗る匿名の男性が市児童相談所を訪れ、ランドセル4個を寄付したと発表した。
市によると、男性は21日夜に訪れ、警備員に黒、ピンク、水色、茶色のランドセルを渡した。「いっぱいあそんで、いっぱいべんきょうしてください」と書いた手紙も添えられていた。市は児童養護施設などで、来春小学校に入学する子どもに贈る予定。
男性は、40代後半に見えたという。札幌市へのランドセルの寄付は2010年から6年連続という。このニュース以外にも、「伊達直人」と名のる人が、登別観光協会にあらわて、神楽鈴の贈り物をしたという話もありました。
伊達直人から贈られた神楽鈴をPRする湯鬼神 |
それに、クリスマスケーキを買ったとか、クリスマスパーティーをしたとか、そういう人も多いと思います。とにかく、外国の習慣を取り入れて、贈り物とか、様々なイベントが日本国内で繰り広げられているわけです。
そうして、この日は、目に見えなものの存在を素直に信じても良いのでないかと思います。目に見えないものでも信じるということは素晴らしいことです。そうして、私達日本人は、外国の習慣まで取り入れて、目に見えないものをテーマにして、イベントにしてしまっています。
そうして、このようなことは、根本的には、日本人の豊かな精神世界にもその背景があるのではないかと思います。
このブログでは、以前日本人の豊かな精神世界について、掲載したことがあります。
その記事のリンクを以下に掲載します。
「中韓」とは異質な日本人の「精神世界」…仏作家は「21世紀は霊性の時代。日本は神話が生きる唯一の国」と予言した―【私の論評】日本は特異な国だが、その特異さが本当に世界の人々に認められ理解されたとき世界は変る。いや、変わらざるをえない(゚д゚)!
式年遷宮「遷御の儀」で現正殿から新正殿に向かう渡御行列。 伊勢神宮は日本人と心のふるさと、未来への道しるべだ =平成25年10月2日夜、三重県伊勢市の伊勢神宮 |
詳細は、この記事をご覧いただくものして、私たちの国は、今なお霊を重んじる精神を失っていません。日本は、未だに霊性の国なのです。
考えてみると、霊とは、人種はもとより、宗教違いも乗り越えるものです。それどころか、山や石や、木や川にまで、霊が宿るとするのが私達日本人です。
そうして、霊とはめに見えないものです。しかし、私達日本人は、それがあらゆるものに宿るとしてきたのです。
そんな私たちですから、大昔から他の宗教に敵対するというのではなく、八百万の神を受け入れてきました。
そんな私達が、クリマスやハロウィーンを自分流に受け入れることは容易なことです。
霊という「目に見えないもの」を信じる私達の精神文化は、他の国でも昔は残っていたのですが、今や宗教にとって変わられ、霊性を失ってしまいました。ただし、多くの民俗学者などか、文明から取り残された少数民族を研究して、アニミズムとかシャーマニズムという形で残っていることを確かめています。
そうして、世界中の国々で、今ではキリスト教、イスラム教、仏教、その他の宗教を信奉する前の人類は、アニミズム、シャーマニズムなどで、霊性の世界を信奉していたと考えられています。
ところが、日本だけが、この霊性の世界を現在まで、維持、継続、発展させて、現在の神道という形式にまで昇華させてしまいました。
この記事を読んでいいただけると、おわかりになるように、フランスの文学者マルローや、ドイツの心理学者ユングなどは、21世紀は霊性の時代になるであろうことを予言しています。
確かに、今の世界をみていると、宗教の時代には限界があるかもしれません。しかし、私達日本人は生まれながらに、目に見えない霊性を尊ぶ習慣があります。そうして、そもそも霊には、国も習慣も、人種や、考え方どころか、人と動物、自然との差異すらないことを思い起こすべきです。
根底にこのような霊性を重んじる、精神があるからこそ、私たちはクリマスなど、外国の宗教に関係する習慣でも容易に受け入れて、自分たちの生活習慣に取り入れることができるのです。この寛容さを私達は、当たり前と思ってはならないと思います。
私たちは、この豊かな精神世界を持つことができたことに感謝して、クリスマスを楽しく過ごそうではありませんか。クリマスなど外国の宗教儀式に過ぎないなどと、いわず渡したちの生活を彩る、習慣としてこれからも受け入れていくべきものと思いますし、将来的にもそのように多くの日本人に受け止められるでしょう。
私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
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