国家主席の任期制限(2期10年)を廃止してまで、皇帝のごとき絶対権力者の座を手に入れようとする中国の習近平国家主席。長く独裁を続けた毛沢東や改革開放経済の道を開いたトウ小平に比肩する実績も、カリスマ性もない習氏がなぜやすやすと“独裁体制”を築けたのか?
著者は、中国民衆の中に「皇帝を求める」エートス(社会通念)や伝統があるからだと断じる。中華思想では、天から命じられた天子(皇帝)は中国だけでなく全世界唯一の統治者。中華秩序を失えば王朝も崩壊するという歴史を民衆は身に染みて知っているのだ。(KADOKAWA・1400円+税)
【私の論評】なぜシンガポールは中国に先駆けて皇帝を擁立できたのか(゚д゚)!
この書籍を読む前から、私がこの書籍のタイトルや書評などから、思い浮かべたのはあのシンガポールの独裁体制と、リー・クアンユーの「アジアで独裁は当たり前」という発言でした。
リー・クアンユー(英語: Lee Kuan Yew, 繁体字: 李光耀、日本語読み:り こうよう、 1923年9月16日(旧暦8月6日) - 2015年3月23日)は、シンガポールの政治家、初代首相です。首相退任後、上級相、内閣顧問を歴任しました。
初代首相就任以降、長期にわたり権威主義的政治体制、いわゆる「開発独裁」を体現し、独裁政権下ながらシンガポールの経済的繁栄を実現しました。
それについては、このブログでも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【野口裕之の軍事情勢】中国の代弁者に堕ちたシンガポール ―【私の論評】リー・クアンユー氏が語ったように「日本はゆっくりと凡庸になる」ことはやめ、アジアで独裁は当たり前という概念を根底から覆すべき(゚д゚)!
リー・クアンユー |
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事よりリー・クアンユー氏の 「アジアで独裁は当たり前」という発言の趣旨などが含まれている部分を少し長いですが、下に引用します。
リーは資本主義と強権政治とを結び付けた政治家の嚆矢(こうし:物事のはじめという意味)でした。彼の人民行動党は、中国共産党に比べればまったくもって暴力的ではないとはいえ、事実上の独裁政党として国を統治してきました。
シンガポールの活発な経済、物質的豊かさ、効率のよさという面に目を向けると、独裁主義は資本主義よりもうまく機能する、世界にはそうした地域が存在するのだ、という多くの人の考えを裏打ちするかのように見えます。
しかしリー政権は、民主主義を形だけ維持するために選挙を実施しておきながら、反体制派については脅しや財政的な破綻で対処する選択をしました。リーに立ち向かった勇気ある男女は、膨大な額の賠償を請求されて破産に追い込まれました。
しかし、リーは決して、西洋の自由民主主義が誤りだとは主張しませんでした。ただ「アジア人」には向いていないとは述べていました。アジア人は、個人の利益よりも集団の利益を上に置く考え方に慣れていると主張しました。生来、権力者に対して従順で、こうした傾向はアジアの歴史に深く根差す「アジア的価値観」なのだと主張していました。
しかし、シンガポールが民主化を進めていたら、今よりも効率を欠き、繁栄を欠き、平和でもない社会となっていたでしょうか。韓国と台湾は1980年代に不十分とはいいなが民主化され、それぞれの独裁的資本主義に終止符を打ちました。それ以降、両国は非常に繁栄しています。ご承知のように、民主主義が日本経済に悪影響を及ぼしたということも全くありません。
リーは終始一貫して、シンガポールのような多民族社会では、高い能力を持つ官僚が上から調和を押し付けることを前提としなければならないと述べていました。エリートを厚遇することで、汚職がはびこる余地を最小限まで狭めました。
しかしそれには副作用もありました。シンガポールは効率的で汚職も比較的少ないかもしれないのですが、一方で不毛な土地となってしまいました。知的な業績や芸術的な成果が生まれにくい国となってしまいました。
わずか人口540万人の小規模な都市国家で、ある一時期有効であったにすぎない政策が、より大きく、より複雑な社会にとって有益なモデルとなるとは到底考えられません。
資本主義と強権政治を組み合わせた国家資本主義を目指した中国の試みは、大規模な富の偏りを伴う腐敗の巨大システムを生み出しました。またプーチンは、自らの政策の社会的失敗、経済的失敗を覆い隠すため、極めて好戦的な国家主義に頼らざるをえなくなりました。
それを思うと、シンガポールの滑らかに流れるハイウェー、摩天楼が林立するオフィス街、磨き上げられたショッピングモールを賞賛せずにはいられません。しかしリーの遺産を評価する際は、金大中・元韓国大統領がリーに向けて書いた言葉に注意を払う必要があります。
「最大の障壁は文化的な性向ではなく、独裁的指導者やその擁護者が示す抵抗だ」。
金大中・元韓国大統領 |
さて、長期の独裁政権を率いてきたリー・クァンユーからみれば、確かに過去の日本は自ら円高・デフレ政策をとり、日銀は金融引き締めを、政府は緊縮財政政策を取り続け、それこそ日本国民を塗炭の苦しみに追いやりつつ、中国の経済発展に力強く寄与してきたと当然看破していたと思います。全く、日本の政治家や官僚は無能と映っていたことでしょう。
また、軍事的に見ても、憲法典にある9条にもとづき、どんな場合にも戦力を行使すべきでないという愚かな言説がまかり通っており、これはあたかも、国連憲章でも認められ、西欧では人権と同じく自然権される集団的自衛権をなきものにするごときものであり、確かに生前のリー・クアンユー氏からみれば、日本はいずれ経済的にも、軍事的にも、凡庸な国になるのは必定と見えたと思います。
アジアのそれぞれの国の典型的な顔立ち クリックすると拡大します |
そうして、晩年のリー・クアンユーからみれば、デフレであるにもかかわらず、金融緩和の効果がまだ十分に出ないうちに、8%増税を決めざるを得なかった安倍政権、中国の脅威がはっきりしているにもかかわらず、安保法制の改定に拒絶反応を示す日本の野党や左翼の有様をみて、やはり西洋の自由民主主義は「アジア人」には向いていないとの確信を深めたことでしよう。
日本の政権与党が独裁政権であれば、自国経済が疲弊するデフレ・円高政策などそもそも最初から絶対に実行させず、誰が反対しようが鶴の一声で金融緩和、積極財政を行い、無用なデフレ・円高など発生させなかったと考えたことでしょう。にもかかわらず、平成14年には、8%増税をして、さらに 10%増税をするのが当然とする日本の識者や、マスコミの有様をみて、その馬鹿さ加減呆れはてたと思います。
そうして、シンガポールは無論のこと、国連憲章でも認められ、西欧の自由主義的価値観からも、人権と同じように、自由権として、認められてるいる集団的自衛権など、最初から何の躊躇もなく行使する道を選ぶのが当たり前と考えたことでしょう。それすら、すぐに実行できない日本の状況にも呆れ果てたことでしょう。
リー・クアンユーからすれば、アジアにおいは、人権は制限するのは当たり前としても、集団的自衛権を自由に行使することを制限するのが当然とする、日本の野党や左翼の存在や与党の中にもそのような者が存在する日本の状況をみて、やはり、アジア人である日本人にも西洋の自由主義など全く理解できず、土台無理であるとさらに自信を深めたことでしょう。
ところで、リー・クアンユー氏は、今年の3月23日に亡くなっています。安部総理は、昨年の12月に10%増税を阻止することを公約の大きな柱として、衆院を解散して、選挙をすることを決定し、それを実行して、選挙で大勝利をしています。
これは、戦後初で総理大臣が財務省(旧大蔵省)に真正面から挑み、勝利したということで、一部の識者からは高く評価されいます。そうして、安部総理はこの選挙のときにも、集団的自衛権行使を含む、安保法制の改正を公約に盛り込んでいました。
この有様を見て、リー・クアンユー氏はひょっとすると、日本は独裁政権でなくとも、まともな国に変わるかもしれないと思ったかもしれません。しかし、これは何とも言えません。なにしろ、亡くなったのが、3月(ブログ管理人注:2015年)ですから、この状況を把握していなかったかもしれません。さて、この「 アジアにおいは、人権は制限するのは当たり前」「アジアで独裁は当たり前」という発言ですが、最近の韓国の様子をみていると、確かにこれは正鵠を射ているといわざるをえません。
しかし、日本は引用した文章にもあるように、例外となるかもしれません。そうして、リー・クアンユーの「アジアて独裁は当たり前」という発言は、やはり中国民衆の中に「皇帝を求める」エートス(社会通念)や伝統によるものなのでしょう。
リー・クアンユー氏の自叙伝によると、氏は客家系華人の4世にあたるといいます。曽祖父のリー・ボクウェン(李沐文)は、同治元年(1862年)に清の広東省からイギリスの海峡植民地であったシンガポールに移民しました。本人は自分のことを「実用主義者」「マラヤ人」と称している。また、自らを不可知論者としています。
不可知論といは、事物の本質は認識することができないとし、人が経験しえないことを問題として扱うことを拒否しようとする立場です。現代の哲学で言えば、哲学用語で言う現象を越えること、我々の感覚にあらわれる内容を越えることは知ることができない、として扱うことを拒否する立場です。
リー・クアンユー氏自身が、華人の中に「皇帝を求める」エートス(社会通念)や伝統を強く受け継いでおり、この社会通念、伝統からはみ出ることなく、シンガポールを改革し、自らが経験しえなかった「アジア人による西洋の自由民主主義」を否定したのでしょう。
そうして、アジア人は、個人の利益よりも集団の利益を上に置く考え方に慣れていると主張しました。生来、権力者に対して従順で、こうした傾向はアジアの歴史に深く根差す「アジア的価値観」なのだと主張していました。
ここでいう、「アジア人」「アジア的価値観」などのアジアは、「皇帝を求める」社会通念や伝統を求める中華人ならびに歴史的にもそれに大きく影響受けた人々と解釈できます。
リーは資本主義と強権政治とを結び付けた政治家の嚆矢であり、それは鄧小平も認識していたことでしょう。そうして、リーは皇帝のごとき絶対権力者の座を手に入れようとする中国の習近平国家主席大陸中国よりも先に、自らから皇帝になり、シンガポールを経済的に繁栄させました。
習近平皇帝 |
さて、「皇帝を求める」社会通念や伝統を強く受け継いだ人々も多いからこそ、シンガポールではリー・クアンユーの独裁体制を続けることが可能になったのでしょう。それは、石平氏が主張しているように、中国でも同じことです。
そうして、アジアにおいては、中国、シンガポールだけではありません。アジアの中の国々には、どこの国にいっても華人を先祖に持つ人々が大勢います。これらの人々には「皇帝を求める」社会通念や伝統を強く受け継いでいる人も多いです。
だから、アジアにおいてはリー・クアンユーが指摘するように、「アジア人による西洋の自由民主主義」が根付かず、結局皇帝を求める声が大きくなる可能性もあります。
先にも掲載したように、韓国と台湾は1980年代に不十分とはいいなが民主化され、それぞれの独裁的資本主義に終止符を打ちました。それ以降、両国は非常に繁栄しています。ご承知のように、民主主義が日本経済に悪影響を及ぼしたということも全くありません。
しかし、最近韓国は北朝鮮や中国に接近しています。これは、韓国にもリー・クアンユーが主張する「アジア的価値観」が根付いているからでしょう。
アジアの中で、韓国のように「アジア的価値観」から逃れられず、せっかく根付きはじめた、西洋的自由主義民主主義体制から離れようとする国もででくる可能性があります。
日本、インド、台湾などの国々では、何とか西洋的自由民主主義体制に踏みとどまり、「アジア的価値観」と対峙しています。
私自身は、西洋的自由民主主義は日本でもまだしっかりと根付いていないし、それに未来永劫これを信奉する必要もなく、いずれ日本独自のやり方を追求すべきであるとは思います。
しかし、それは今ではないと思っています。まずは、西洋的価値観を受け入れつつ、日本の魂は失わず、「アジア的価値観」と対峙し、そこから完璧に決別すべきと思います。現在のアジアではリー・クアンユーのいう「アジア的価値観」、中国の民衆のなかにある「皇帝を求める」エートス(社会通念)や伝統と、西洋的自由民主主義との相克しているのです。
これを理解せず、さらになぜシンガポールは中国に先駆けて皇帝を擁立できたのかも理解せず、単に中国と対峙するというだけでは、「アジア的価値観」に対抗することはできません。
日本としては、「アジア的価値観」に頼らなくても、まずは西欧的自由民主主義で日本は十分やっていけることを世界に向かって、今まで以上に証明してみせることが当面の大きな課題になることでしょう。そのためにも、まずは「アジア的価値観」と完璧に袂を分かつ必要があるのです。
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