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2017年1月25日水曜日

【「帝国の慰安婦」問題】朴教授に無罪判決 名誉毀損認めず「歪曲や捏造、虚偽の意図なし」―【私の論評】裁判になる事自体が極めて異常な韓国社会(゚д゚)!


朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授
慰安婦問題に関する韓国の学術書「帝国の慰安婦」で、元慰安婦の名誉を傷つけたとして名誉毀損の罪に問われた朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授の判決公判が25日、ソウル東部地裁で開かれ、同地裁は朴氏に無罪判決(求刑・懲役3年)を言い渡した。

 判決理由で裁判長は、「著書の一部表現には議論の余地があるが、公的事案を盛り込んだ内容が多く、幅広い表現の自由を容認する必要がある。歪曲や捏造、虚偽の意図があったとは思えない」と述べた。

 また「名誉毀損は特定の人や団体を指定しなければ成立せず、著書での『朝鮮人日本軍慰安婦』との表現は、(特定の)元慰安婦を指しているとみるのは難しい」とした。さらに「慰安婦の社会的評価に否定的な影響を及ぼすとも思えず、(著書に)韓日両国の和解のための意図があることは否定できない」とした。

 朴氏の著書は韓国で2013年に出版されたが、元慰安婦の女性らが14年6月、「日本軍と同志的関係にもあった」などとの表現が名誉毀損に当たるとして朴氏を刑事告訴。ソウル東部地検が15年11月、在宅起訴した。

 今回の判決をめぐっては、韓国に「表現・研究の自由」があるのかについて、日本など海外から高い関心が寄せられていた。

 一方、元慰安婦らが起こした損害賠償訴訟では、同地裁が昨年1月、元慰安婦らの名誉を傷つけたとし、朴氏に賠償金の支払いを命じている。

【私の論文】裁判になる事自体が極めて異常な韓国社会(゚д゚)!

今回のこの判決当然のことです。当然というか、そもそも裁判になる事自体が異常でした。朴裕河教授と、その著書『帝国の慰安婦』に関しては、このブログでも以前とりあげたことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
「帝国の慰安婦」裁判 問われる韓国司法 弁護側は“メディア経由”の曲解報道を問題視 ―【私の論評】韓国で慰安婦ファンタジーが発祥する前の1990年代前に時計の針を戻せ(゚д゚)!
帝国の慰安婦 ハングル語版の表紙
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では朴裕河教授ご自身のフェイスブックに掲載されていた『帝国の慰安婦』の要約を掲載するとともに、当時朴裕河教授が起訴されたことに関する、反対の論評を掲載しました。

以下に、そのフエイスブックのリンクを掲載しておきます。ここからも、この要約をご覧いただけます。
https://www.facebook.com/notes/705074766186107
以下には、この記事での私の結論部分のみを掲載させていただきます。
そうして、この書籍(ブログ管理人注:帝国の慰安婦のこと)は、日本語には翻訳されていますが、残念ながら未だ英語には、翻訳されていません。この書籍が、他の多く国々の言語に翻訳されて、多くの国の人々に読まれることになれば、慰安婦問題に関して、他国でも理解が深まるものと思います。

日本側としては、この書籍はあくまで韓国人の視点によって書かれたものであり、レトリックによって、ファンタジーとはらないギリギリのところまで日本側に慰安婦問題での譲歩を求める方向で書かれていること、当時日本が植民地支配していたのだから、日本に責任があるという方向で貫かれていることを主張すれば良いと思います。

そのほうが、かえって、日本の保守派の人が日本人の立場から、書いたものより、理解を得られ易いと思います。

とにかく、この書籍やその他の歴史的資料などによって、日本でも韓国でも、韓国における慰安婦ファンタジーが発祥する前の1990年代より前に時計の針を戻すことが、この問題の早期解決につながると思います。
私自身は、この書籍の要約も、書籍の日本語版自体も読みました。その上での感想が以上のようなものです。これに関しては、後日以下のような事実を発見しました。

昨年発売された『歴史通』の9月号に西岡力氏の「朴裕河『帝国の慰安婦』をあえて批判する」が掲載されていましたが、これがなかなか興味深いです。

西岡力氏
この書籍に関しては、秦郁彦・櫻井よしこ両氏が肯定的なコメントをしている程度で、その他あまり保守系の人たちからは、批判も肯定的なコメントもめぼしいものはありせんでした。そのため、右派の論者からのはじめての本格的な批判ということになると思います。

タイトルに「あえて」とあるのは「本来なら批判するのは得策ではないのだが」という含みなのでしょう。だとすれば、リベラル識者の評価に反して、同書は右派にとって基本的に目障りではない、ということの証左となるものであると思います。

批判のポイントは以下の5点です。
(1)まずは、『帝国の慰安婦』は「日本発の強制連行プロパガンダを無視している」ことです。「朝日新聞の捏造」説を前提にした批判であるわけですが、右派から見ても『帝国の慰安婦』は日本の右派の主張をきちんと記述していないということを示しているという意味では興味深いものです。 
(2)「北朝鮮と親北派が韓国社会に広げた「反日自虐史観」に触れていないこと」、としています。これもまた、自分たちの主張が十分に反映されていないという不満として理解することができます。 
(3)「朴氏が同書で慰安婦動員を担った民間業者の存在を浮上させたことは新しい論点ではない」ということです。この点は、私自身もこのブログで指摘し、右派が過去に何度も指摘してきたことです。そうして、これには、明白な証左がかなり存在します。しかも、ここで西岡氏は自分を含む右派の論考ではなく吉見義明・林博史編『共同研究日本軍慰安婦』(大月書店、1995年)所収の論文(尹明淑氏によるもの)を引き合いに出して、「詳細に業者の役割について記述している」としています。 
(4)朝鮮人「慰安婦」と日本軍人の「同志的関係」という主張が根拠を欠くというものです。小野沢あかね氏と同じく、日本人「慰安婦」の証言を根拠に「同志的関係」を主張してしまっている点を批判しているのがとりわけ興味深いです。はっきり明言されてはいないものの、朴氏を訴えた元「慰安婦」の怒りには理由があると言わんばかりの書きようです。 
(5)結びの段落では「千田夏光の著作を史料批判なしに十九回も引用していることや、小説の表現を論拠に論を進めていることなど、議論の進め方があまりにも厳密さにかけることも指摘しておきたい」としています。
「創作がまじっていることが判明している千田夏光の著作」という評価はおそらく原善四郎関東軍参謀の件を念頭に置いていると思われ、そうだとすればこの評価に首肯することはできないのですが、それを除けばこれまで『帝国の慰安婦』に向けられてきた批判を右側からも重ねて行っていることになります。
確かに、以上のような5点はあるものの、それでもなお、この『帝国の慰安婦』に関しては、上に掲載した以前のブログ記事の結論に関しては、未だに正しいものと思っています。

まずは、現在のようにねじれてしまった慰安婦問題をまともに論じるためには、韓国の慰安婦問題による体系的な反日活動がおこる以前の1990年代よりも以前に針を戻すひつようがあります。そうして、それを促すために、この書籍の価値は大きいです。この書籍を多くの韓国人が虚心坦懐に読み、内容を理解すれば、それも実現可能だと思います。

なぜなら、『帝国の慰安婦』を執筆した朴裕河教授は、韓国を貶め、日本を過剰に賛美するような人物ではないからです。彼女は、「慰安婦」の存在が、日韓であまりにもかけ離れて偶像化されていることを批判しているのです。

韓国では悲劇的な「性奴隷」とされ、日本の右派からは単なる「売春婦」とされた「慰安婦」の実情とは、どのような存在だったのかを探り、そうした慰安婦が存在した構造を探ろうという試みこそが『帝国の慰安婦』の執筆の意図です。

日韓で引き裂かれ、偶像化された「慰安婦像」のそれぞれについて、それらは虚像であると主張しているのですから、決して単純な「親日派」というわけではありません。むしろ、日本の保守派が読めば怒りだすであろうような記述も少なくありません。

例えば、朴教授は以下の様に指摘しています。
「数百万人の軍人の性欲を満足させられる数の『軍専用慰安婦』を発想したこと自体に、軍の問題はあった。慰安婦問題での日本軍の責任は、強制連行があったか否か以前に、そのような〈黙認〉にある」(『帝国の慰安婦』32頁)
彼女は決して日本軍、そして大日本帝国が無謬であったと主張しているのではありません。でも、韓国側が主張も極端だとして、韓国人が触れたくない事実も指摘しています。例えば、次の指摘です。
「朝鮮の貧しい女性たちを戦場へ連れていったのは、主に朝鮮人や日本人の業者だった」(前掲書、28頁)
「挺身隊や慰安婦の動員に朝鮮人が深く介入したことは長い間看過されてきた」(前掲書、49頁)
要するに、『帝国の慰安婦』は、日韓の極端な「慰安婦像」を問い直し、本来、「慰安婦」とはいかなる存在であり、そうした慰安婦を生み出した構造を問うという内容の本なのです。しかしながら、このような研究が韓国では禁忌とすべきとされたのです。

しかし、今回の判決により、このような研究はたとえ韓国であっても禁忌ではないということを地裁が示したのです。そうして、当然のことながら、このような書籍を執筆すること自体が、裁判の対象となるこ自体が現在の異常な韓国社会を象徴しています。中国や、北朝鮮ならいざしらず、他のまともな国では裁判になるということは考えられません。

しかし、これは地裁の判決ですから、さらに上告される可能性もあるわけですが、こんなことに長い時間を費やしているくらいなら、韓国にはもっと他にやることがありそうです。

元慰安婦とされる女性たち
それは、昨日も示しました。まずは韓国は悪化している経済を構造改革で対処するというのではなく、まずは強力な金融緩和策を実施し上で、雇用情勢を改善し、景気回復につなげていくべきなのです。

慰安婦問題と、経済とはあまり関係ないようにもみえますが、日本にも衣食足りて礼節を知るという言葉があるように、ある程度経済が良くなければ、韓国内でも慰安婦問題についてもまともな議論などなかなかできないでしょう。

このように、ねじれてしまった問題に関しては、経済が比較的良く、政府にも国民にも多少でも余裕のあるときではないとなかなか、できるものではありません。現在のまま、経済が悪くなる一方であれば、そのうち国民の多くが慰安婦問題などにかかずらわっている余裕などなくなります。

その事例として、昨日の記事では、日本で池田内閣のときに所得倍増計画を実施し、本当に所得がそれまでの倍になった後には、日本国内からソ連の影響がほとんど消えたことを示しました。

この時に、日本経済が高度成長し、所得が倍増しなかったとしたら、その後もソ連の影響が残り、労働運動なども過激なものとなっていたことでしょう。

現在の日本の対処としては、日韓合意を破った韓国に対して、何かを変えないかぎり、安倍政権が以下の対抗措置(実質上の報復措置)を継続し続けることです。この報復措置によって、韓国側が頭を冷やすまで待つ以外にありません。
(1)長嶺安政駐韓大使、森本康敬釜山総領事の一時帰国
(2)在釜山総領事館職員の釜山市関連行事への参加見合わせ
(3)日韓通貨スワップ(交換)協議の中断
(4)日韓ハイレベル経済協議の延期 
韓国側に日韓合意に何らかの変化がないうちに、この報復措置をやめてしまうことは、今度は日本の国民感情が許さないでしょう。

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2016年8月30日火曜日

【「帝国の慰安婦」裁判】「誤った認識で若者が日本に敵意」 被告の韓国教授―【私の論評】慰安婦問題等捨て置き、まずは金融緩和をしない限りデフレ韓国に明日はない(゚д゚)!

【「帝国の慰安婦」裁判】「誤った認識で若者が日本に敵意」 被告の韓国教授

ソウルの日本大使館前の慰安婦像。足元に追悼プレートが新たに設置された







 慰安婦問題に関する著書「帝国の慰安婦」で元慰安婦らの名誉を傷つけたとして名誉毀損罪で在宅起訴された朴裕河・世宗大教授の公判が30日、ソウル東部地裁で行われた。朴氏は出版の目的は「日本擁護ではない」とした上で「誤った認識で若者が(日本に)敵意を抱き、韓日関係が悪化するのを座視できなかった」と述べた。

 1月から続いた公判準備手続きを終え、30日から本格審理が開始。検察は冒頭陳述で、朴氏が慰安婦と日本軍の関係を「同志的」などと表現した一部記述について「虚偽事実で名誉を傷つけた」と改めて指摘した。

 弁護側は「帝国主義とは何かを考察した書す籍。資料に基づいており、名誉毀損は全くない」と主張した。

 裁判長は、問題とされた記述が実際に名誉毀損や虚偽に当たるかどうか、虚偽の場合は朴氏が虚偽と認識していたかどうかなどを争点として整理した。検察側は、存命中の元慰安婦の証人申請を検討しているとも説明した。

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いわゆる、学術書『帝国の慰安婦』裁判に関しては、以前もこのブログでとりあげたことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
「帝国の慰安婦」裁判 問われる韓国司法 弁護側は“メディア経由”の曲解報道を問題視 ―【私の論評】韓国で慰安婦ファンタジーが発祥する前の1990年代前に時計の針を戻せ(゚д゚)!
学術書『帝国の慰安婦』の著者朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授
この記事は、今年の1月のものです。詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では裁判の内容や、学術書『帝国の慰安婦』の著者自身の要約を掲載しました。以下に一部引用します。
ブログ冒頭の記事の内容をはじめて読んだ方は、何が問題なのか、その背景がわからないと、何のことかわからないと思います。本日は、そのあたりを明らかにしようと思います

まずは、この著者は、慶応義塾大学を卒業後、早稲田大学院で博士課程を修了していることを掲載しておきます。そうして、この『帝国の慰安婦』は、日本で早稲田次ジャーナリズム大賞を受賞したことを掲載しておきます。

「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」の授賞式が昨年、昨年12月10日10日、東京都内で行われました。その授与式では、元慰安婦の名誉を毀損(きそん)したとして韓国で在宅起訴された韓国世宗(セ・ジョン)大の朴裕河(パク・ユハ)教授の著書「帝国の慰安婦」(朝日新聞出版)が文化貢献部門で受賞していました。 
受賞のしたときに、朴氏は「多くの人に問題を知ってもらいたいと考えた。(慰安婦の)支援者とこの問題を否定する人たち(の両方)に向けて書いたものだ」と話しています。 
朴氏は、アジア太平洋地域に関する優れた出版物の著者に贈られる昨年の「アジア・太平洋賞」特別賞(主催・毎日新聞社、アジア調査会)にも選ばれています。朴氏はこの日、毎日新聞東京本社を訪れ、北村正任アジア調査会長から記念の盾を受け取りまし。同賞の授賞式は昨年11月に行われましたが、朴氏は体調不良で欠席していました。 
この『帝国の慰安婦』ですが、読まれたことのある人はあまりいないと思いますので、以下に朴裕河氏ご自身のフェイスブックに掲載されていた、要約を掲載します。非常に長い引用ですし、以下の内容がすべて正しいとも思えませんが、資料としては、一次資料ということになりますので、そのまま掲載させていただきます。この資料の後には、私の論評を付加してあります。
要約自体は、ここでは掲載しません。 この記事に掲載してある要約もしくは、著者自身のフエイスブックの要約をご覧になって下さい。以下に『帝国の慰安婦』の表紙の写真を掲載します。


この書籍、私は要約は無論のこと、書籍も実際に手にとって読んでみました。その限りでは、この書籍は内容も体裁も学術書であり、引用文献などの出展も明らかにしており、この書籍がなぜそれほどまで問題になり、裁判にまでなったのか全く理解できません。

この訴訟で韓国当局がやり玉に挙げているのは、『帝国の慰安婦』の中で朴裕河教授が「自発的な売春婦」「日本軍と同志的関係にあった」などと記述し、「日本軍が組織として強制動員したとみるのは間違いと考える」と分析した部分です。

元慰安婦らは、この内容に納得しなかったようで、一昨年6月、「慰安婦を侮辱している」などと刑事告訴していました。

検察は在宅起訴の理由について、「慰安婦制度は強制的な売春」とした米下院決議などを例示し、「元慰安婦は性奴隷同様の被害者で、日本軍に自主的に協力したわけではない」「虚偽の内容で被害者の名誉を毀損した」としています。

しかし、朴教授の著書は非常に実証的で、日韓双方から高い評価を受けている優れた学術書であり、名誉毀損とはとんでもないことです。

韓国の言論弾圧については、国連も強い警告を発しました。国連の自由権規約委員会は昨年11月5日、韓国検察当局が政府を批判する者に対し、重い懲役刑を科す名誉毀損罪を適用する例が増えているとして「懸念」を表明し、名誉毀損への懲役刑の適用廃止を勧告しました。

同委は「いかに重大な名誉毀損であろうとも、懲役刑を適用してはいけない」と断じましたた。朴大統領の耳に届くことを祈るばかりだ。

この書籍はあくまで韓国人の視点によって書かれたものであり、レトリックによって、ファンタジーとはらないギリギリのところまで日本側に慰安婦問題での譲歩を求める方向で書かれていること、当時日本が植民地支配していたのだから、日本に責任があるという方向で貫かれています。この本を書いたこと自体がなぜ、裁判にまでなるのか、私の理解の上限を超えています。

しかし、それは私自身が日本と韓国とを同列にみているから他ならないからだと思います。韓国と日本を比較すれば、日本のほうがはるかに言論の自由や学問の自由があります。

韓国は、北朝鮮や中国などから比較すれば、言論の自由や学問の自由はありますが、まだまだ日本や他の先進国レベルまでには及んでいません。それは、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が、韓国内のマスコミを引用した形で、日本国内で朴槿恵大統領の疑惑を掲載したことが、裁判になったことでもわかります。

この裁判で結局加藤達也前ソウル支局長は、無罪とはなりましたが、そもそも裁判になる事自体が異常でした。

2015年12月17日、ソウル中央地裁に
入る産経新聞の加藤達也前ソウル支局長
日本でこのような書籍を出版したとしても、様々な文献を参照した上で、あくまで学術書の体裁をとった上で著者自身の考えを表明したものであり、このような体裁ならば、日本ならばどのような内容であれ、批判されることはあるかもしれませんが、裁判になるなどということはあり得ません。

これでは、韓国ではとても、言論の自由と、学問の自由を保証しているとはいえない状況です。

言論の自由も、学問の自由も制限され、経済も低迷ということでは、若者等が将来に絶望して、韓国をぬけ出すのも無理はありません。韓国ではもう随分前から脱北者 (北朝鮮を脱出して韓国に亡命する人)よりも脱南者(韓国を脱出して、欧米などの国籍を取得して移住する人)のほうが多い状況が続いています。

最近では、脱北者が韓国に嫌気をさして、北朝鮮に戻ったり、他国に出国する人も多くでる始末です。

このような状況を打破するには、なんといっても経済の立て直しを最優先すべきです。しかし、朴槿恵にはそのやり方がわからないようです。それについては、先日も述べたばかりです。その記事のリンクを以下に掲載します。
【日韓財務対話】通貨交換協定再開へ議論開始で合意 韓国側が提案 「日韓の経済協力は有益」と麻生氏―【私の論評】誰か朴槿恵にマクロ経済政策を教えてやれ、そうでないと援助が無駄になるぞ(゚д゚)!

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、韓国がキャピタル・フライトを恐れて金融緩和をせずに、構造改革ばかりしようとする姿勢のまずさについて掲載しました。

日本が通貨交換で韓国を援助したにしても、これによって韓国政府が外貨をある程度確保した上で、大規模な金融緩和と積極財政を実行して内需を拡大する道を選ばないかぎり、韓国に明日はありません。そうして、日本の援助は水泡に帰します。

これから、ますます経済が低迷し、国民の不満が高まるばかりです。これでは、ますます、政府が言論の自由や学問の自由を制限せざるを得ない状況に追い込まれるだけになると思います。

一般に、慰安婦問題と経済とは全く関係ないかのように思われているふしがありますが、私は大いに関係があると思っています。

政府の経済対策が全く的を射たものではないので、格差は日本等と比較するととんでもない水準にまで高まり、最近では若者は、ヘル朝鮮と形容するほどにまでなっています。

ヘル朝鮮とは、韓国の主に20-30歳代の若者たちが韓国社会の生きづらさを「地獄 (Hell) のような朝鮮」と自嘲するために使うスラングのことです。2015年にSNSから広がり、その後メディアや文化人も頻繁に言及する流行語となりました。

流行の背景には、韓国の超競争社会による雇用不安と、縁故採用がはびこる不公正な就職状況があります。韓国では過酷な受験競争を経て大学を出てもすぐ就職できないことは珍しくなく、2014年時点で20代の就業率は57.4%でした。

高学歴層の就職競争は特に熾烈です。反面、富裕層やエリート官僚による縁故採用がなくならず、政治的なスキャンダルにもなっています。結局、カネもコネも無い「第三身分」は勤勉に努力したところで安定したキャリアデザインを描けないという不条理な現実に対する憤りが、自国を否定する「ヘル朝鮮」という言葉への若者たちの共感を生んだのです。

 ヘル朝鮮を報道するテレビ番組の画像 ハングル:헬조선、漢字:헬朝鮮、発音:ヘルチョソン
このような、状況の背景にはデフレがあります。このデフレを解消しないかぎり、若者を中心とした、不満は高まるばかりです。雇用と、金融政策は密接にからみあっているということを理解すべきです。金融緩和をして、数%インフレ率を高めれば、即座に数百万人の雇用が生まれるという経験則を学ぶべきです。

雇用の確保は、韓国銀行(韓国中央銀行)の役割であることをしっかり認識すべきです。これは、世界の常識です。なぜ、グローバル経済を自認する韓国が、こと自国内の経済というと、構造改革一辺倒で、世界で普通に行われている金融緩和政策をしないのか理解に苦しみます。

しかし、政府は経済がこのような状態になる前も、なった後でもまともな経済対策を実施することなく、ことさら慰安婦問題を煽り、日本を悪者に仕立て、国内の求心力を保ってきました。

韓国の中央銀行韓国銀行 韓国の唯一の希望は韓国銀行が金融緩和に踏み切ること。
しかし、このようなことをいつまで続けても、韓国社会に救いはありません。慰安婦問題をいくらつついてみても現在の韓国のデフレは解消しません。ますます苦しくなるばかりです。デフレと、慰安婦問題、竹島問題は全く別次元の問題です。

重ねていいます。この状況を改善するには、まずは金融緩和をしてデフレから脱却する以外に方法はありません。その後に、ミクロ的な問題を解消することにより、やっとまともな経済状態となり、まともな社会になります。金融緩和をすれば、確かにキャピタル・フライトの恐れがありますが、日韓通貨スワップがあれば、外貨をある程度確保して、キャピタル・フライトを防ぎ、金融緩和をソフトランディングさせることも可能です。

しかし、デフレを放置していては、何も進みません。これは、まるで、2013年より以前の日本の姿のようです。ただし、日本経済はデフレであったにしても、もともと韓国経済よりは基盤がしっかりしていたので、朝鮮ヘルのような状況までにはいたりませんでしたが、それでも、就職率はかなり低下しました。それは、誰よりも日本の若者が実体験で知っていることです。

韓国は、日本の過去の姿を見て、参考にすべきです。まずは、慰安婦問題などは、捨て置き果敢に金融緩和に取り組むべきなのです。恨の文化など捨て置き、まずは金融緩和を実行して、真っ先に若者の雇用を安定させることこそ、韓国が喫緊で進むべき道です。

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2016年1月21日木曜日

「帝国の慰安婦」裁判 問われる韓国司法 弁護側は“メディア経由”の曲解報道を問題視 ―【私の論評】韓国で慰安婦ファンタジーが発祥する前の1990年代前に時計の針を戻せ(゚д゚)!


朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授
ソウル東部地裁で20日に初公判が開かれた韓国の学術書「帝国の慰安婦」をめぐる刑事裁判では、朴裕河(パク・ユハ)世宗大教授による同書の記述が虚偽であるのか、元慰安婦の名誉を傷つけているのか、著者に名誉毀損の意図があったのかが争点となっている。

検察側は起訴理由で、著書に「自発的な売春」「(日本)軍と同志的な関係」などの表現のほか、慰安婦を「軍の一員として愛国心を持ち、精神的、肉体的に軍に慰安を提供した」と記されていると指摘。これらが「虚偽の事実」であるとし、名誉毀損に当たると主張した。

これに対し朴氏側は、「自発的な売春」という表現は、慰安婦を「自発的売春」だったという主張を批判するための表現であり、本来の著者の意図が曲解されている、と反論。「公共の利益のために真実を記録したもの」と訴えた。

また、著書での「慰安婦」との表現は、集団としての慰安婦を指しており、「個人としての慰安婦を意味しておらず、名誉毀損の意図はない」と主張した。

さらに、(韓国の)メディアによる誤った報道を引用した資料が検察に提出され、著書を曲解した報道が、その後1年間続いていたことも問題視した。

朴氏は公判後、記者団の取材に応じ、元慰安婦の支援団体が「慰安婦問題は戦場の犯罪だ」と主張していることに対し、「日本による朝鮮半島の植民地支配の結果を書いたのが著書の基本的な概念だ」と指摘。さらに慰安婦問題の解決を模索する内容であることを強調した。

検察側が「名誉毀損」と指摘した表現の多くは、朴氏が集めた資料や、関係者の発言からの引用によるものという。それが、朴氏自身の主張や意見として受け止められたきらいがある。

著者の意図が理解されず、話がかみ合っていないまま、告訴から在宅起訴、公判にまで来てしまった感は否めない。虚偽か事実の判断、名誉毀損の概念のとらえ方など、公判では、韓国司法の判断のあり方も問われている。

【私の論評】韓国で慰安婦ファンタジーが発祥する前の1990年代前に時計の針を戻せ(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事の内容をはじめて読んだ方は、何が問題なのか、その背景がわからないと、何のことかわからないと思います。本日は、そのあたりを明らかにしようと思います

まずは、この著者は、慶応義塾大学を卒業後、早稲田大学院で博士課程を修了していることを掲載しておきます。そうして、この『帝国の慰安婦』は、日本で早稲田次ジャーナリズム大賞を受賞したことを掲載しておきます。

「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」の授賞式が昨年、昨年12月10日10日、東京都内で行われました。その授与式では、元慰安婦の名誉を毀損(きそん)したとして韓国で在宅起訴された韓国世宗(セ・ジョン)大の朴裕河(パク・ユハ)教授の著書「帝国の慰安婦」(朝日新聞出版)が文化貢献部門で受賞していました。

受賞のしたときに、朴氏は「多くの人に問題を知ってもらいたいと考えた。(慰安婦の)支援者とこの問題を否定する人たち(の両方)に向けて書いたものだ」と話しています。

朴氏は、アジア太平洋地域に関する優れた出版物の著者に贈られる昨年の「アジア・太平洋賞」特別賞(主催・毎日新聞社、アジア調査会)にも選ばれています。朴氏はこの日、毎日新聞東京本社を訪れ、北村正任アジア調査会長から記念の盾を受け取りまし。同賞の授賞式は昨年11月に行われましたが、朴氏は体調不良で欠席していました。

この『帝国の慰安婦』ですが、読まれたことのある人はあまりいないと思いますので、以下に朴裕河氏ご自身のフェイスブックに掲載されていた、要約を掲載します。非常に長い引用ですし、以下の内容がすべて正しいとも思えませんが、資料としては、一次資料ということになりますので、そのまま掲載させていただきます。この資料の後には、私の論評を付加してあります。

<帝国の慰安婦ー植民地支配と記憶の闘い>要約
2013年7月30日 11:37

日本版の
慰安婦問題をどのように考えるべきなのかー秦郁彦・吉見議論(2013・6)を踏まえて(2013・7・15、明治学院大学)

帝国の慰安婦 ハングル語版の表紙

慰安婦問題はどのように考えるべきなのだろうか。昨今大きな混乱を呼んでいるこの問題について、とりあえず日本で「慰安婦問題の第一人者」とみなされている二人の歴史家のお話に議論を添わせる形で話したい。 
ここで議論の土台にするのは、去る6月にラジオで放送された「秦郁彦 吉見義昭 第一人者と考える慰安婦問題の論点」である。安倍首相は「歴史家に任せたい」としていたが、歴史家の「第一人者」の議論がなかなか接点を見いだせていないことから分かるように、慰安婦問題はもはや単に「歴史家」の考えだけでは日韓の合意どころか「日本内」の合意さえ見いだせない状況となっている。 
日本内、あるいは日韓間の「合意」を導き出すのが難しくなっているのは、この問題がすでに長い間解決されないまま長引き、両国民の多くがこの問題に関してかなり詳しい「情報」を持った結果として政治問題となってしまったからである。それには、「慰安婦」そのものをめぐる情報や考え方の食い違い自体よりも、現在身を置いている政治的立場やそれに伴う感情までが入り込んでしまったという背景がある。さらに、この問題に直接・間接にかかわってきている人の数が多く、そのほとんどの人たちが間接的な「当事者」にもなっていて、かかわった期間が長かっただけにそれぞれの主張が自らの価値観や政治的立場を示すものにさえなっていることも、既存の考え方や立場をなかなか崩せない大きな原因となっている。 
この問題について考える時もっとも必要と思われるのは次のことである。 
1、できるだけ早い解決
2、そのためにこの問題を「慰安婦」という存在自体をめぐる状況はむろんのこと、ここ20年の運動や葛藤の様相についても知る。
3、この問題にかかわることが自分の生活や政治的立場と関係のない識者や市民もこの問題にかかわり、「解決」をもたらす方法を「関係者とともに」考える。

1、「慰安婦」とは誰か

近代以降、交通の発達や国家の勢力拡張の欲望を内面化する形で、海外へ単身で移動する男性たちは多かった。そしてそのような男たちを支えるために女性たちの「移動」も多くなった。日本の場合、最初は日本に入ってきた外国軍人のためにそういう女性たちが提供されていたが、同じ頃から海外へもでかけるようになっていた。いわゆる「からゆきさん」がそれで、彼女たちの殆どは貧しい家庭出身で親に売られたり家のために自分を犠牲にした女性たちだった。 
そして彼女たちは朝鮮に駐屯した軍隊や国家の移住奨励政策に従って移住していった男たちのために朝鮮にも移住して行った。やがて朝鮮半島にも公娼制がしかれ、朝鮮人女性もそこで働くようになる。すでに日露戦争の時から軍人たちを「慰める」女性たちはいたのであり,軍隊を支える役割をしているという意味で彼女たちは「娘子軍」と言われていた。 
つまり、「慰安婦」とは基本的には<国家の政治的・経済的勢力拡張政策に伴って戦場・占領地・植民地となった地域に「移動」していった女性たち>のことである。商人や軍人が利用した「慰安所」のようなものは早くから存在していた。「慰安所」や「慰安婦」という名前は1930年代に定着したようだが、その機能は近代以降の西洋を含む帝国主義とともに始まったと見るべきである。

2、「慰安婦」と「朝鮮人慰安婦」

当然ながら、日本の場合は遠い海外へ「国家のために」でかけている男性のために「慰安婦」が用意されるのでその対象は「日本人女性」だった。ところが、朝鮮が植民地となったがために「朝鮮人女性」や台湾女性もその仕組みに組み込まれることになる。1920年代にはすでに中国や台湾には朝鮮人女性も海外にいる「日本人」や「日本人となった朝鮮人」を相手するためにでかけていった。のちの「朝鮮人慰安婦」の前身と見るべき存在である。

3、「からゆきさん」の「娘子軍」化

からゆきさんの中には、たとえ売られてきていわゆる「売春」施設で働いても、拠点を築いた女性たちは「国家のために」来ている「壮士」たちのためにお金や密談のために場所を貸すような立場の女性たちもいた。彼女たちが「娘子軍」と呼ばれるようになったのはそのためで、そのようにして彼女たちは蔑まれる一方で「格上げ」されることになる。一方彼女たちも、間接的に「国家のために」働く男たちを支え、郷愁を満たしてあげることでそれなりの誇りを見いだすこと(もちろんそれは戦争に突き進む国家の帝国主義の言説にだまされたことでもある)もあった。「慰安婦」とはそのような仕組みが支える名称である。

4、様々な「慰安所」

したがって、日本軍が1930年代に入って突然「慰安婦制度」を発想して<「慰安所」を作った>のではなく、それまでにあったことをシステム化したと見るべきである。他国の場合と違うのは、‘愛国心がその仕組みに利用されたことである。 
日本軍は、満州国と日中戦争のために駐屯軍のために、それまで衛生など(内地なら警察が管理していた)の「管理」をしてきた売春施設のうち(料理屋、カフェなどにはその役割をしたところもあった)、基準を満たすところを「指定」して「軍専用の慰安所」にした。しかしやがて軍隊の数が増えたことや、便宜性などを考えシステム化するにいたったのである。そして業者を使って「募集」するにいたったが、その形はさまざまであった。 
つまり今日「慰安所」と考えられているところには、必ずしも軍が新たに作ったところだけではない。日清・日露戦争以降の既存の施設も含まれ、すでに個別に働いていた人たちに軍が接受した場所を提供し、「収容」する場合もあった。「業者」を、移動や経営に関する便宜を与えるために「軍属」(あるいは軍属扱い)にする場合もあった。 
しかし、それはあくまでも「軍が作った」慰安所に限る。したがって「慰安所」の形が様々であるだけに、「業者」のあり方も様々だった。島などの場合、業者自ら、自分で粗末な「慰安所」を作り、「臨時営業」(一種の派遣業務)を始める場合もあった。しかしいずれにしても戦場の場合、移動に関して軍の許可が必要だったため、基本的にはその多くの動きを軍が知り、統括していたのは間違いない。しかし、将校などは指定慰安所を使わずに、普通の料理屋を慰安所として利用する事も多かった。 
軍が慰安所を作った(指定した)理由は、言われているように性病防止やスパイ防止以外にも、利用軍人が多くなるにつれて、部隊から近いところにおく便宜性や「安く」利用できるようにするため、の理由もあったとようである。その場合の料金は<公>と言われた。 
「慰安所」は、ひとつの形ではなく時期や場所によって様々な形があったことを念頭におく必要がある。

5、様々な「慰安婦」

したがって、本来の意味でなら、日本が戦争した地域にあった性欲処理施設を全て本来の意味での「慰安所」と呼ぶことはできない。たとえば「現地の女性」がほとんどだった売春施設は本来の意味でなら「慰安所」と呼ぶべきではない。つまり、そのような場所にいた女性たちは単に性的はけ口でしかなく、「自国の軍人を支える」「郷愁を満たす」という意味での「娘子軍」とは言えないのである。戦場で提供されて、半分継続強姦の形で働かされた女性たちや、戦場での一回性の強姦の被害者は、厳密な意味では「慰安婦」とはいえない。 
したがって、アジア太平洋戦争で日本軍の性の相手をした全ての女性を「慰安婦」と呼ぶべきではなく、本来の「慰安婦」の名前にふさわしいのは、「日本人」や「日本人」にさせられた「朝鮮人」「台湾人」「沖縄人」だけと考えるべきである。 
しかし、普通の売春施設にいた女性たちも「慰安婦」と同じように軍を対象にした性労働に従事し、「愛国食堂」のような看板を掲げて軍人を受け入れてもいたので(もちろん指定業所になっていたはずだ)、事態はややこしい。 
しかし、すくなくとも、戦場での一回、あるいは継続的強姦をさせられた女性たちと、日本人を含む「慰安婦」たちの、軍人との関係の違いは歴然としている。 
「慰安婦」は、このように国籍や時期、そして場所(最前線か後方か)によって、その体験は異なっている。 
にもかかわらず、そのすべてを「「慰安婦」と考えて、問題の対応に当たったことから、大きな混乱が始まったのである。 
しかし、そのどのケースであっても性的労働に従事させられるのは、社会における弱者であり、彼女たちの多くが病気にかかりやすく、死が隣り合わせの悲惨な境遇にいたことを認識することは、慰安婦問題を考えるための大前提とならなければならない。

6、「強制連行」について

したがって、軍人を相手に性労働をするまでになった経緯も当然ながら一つではない。中には本格的な募集が始まる前から現地にいた女性もいた。 
韓国で最初にこの問題を提起した人は、自分が経験した「挺身隊」のことを「慰安婦」のことと勘違いした。彼女が経験した「挺身隊」は「学校」で「判子」を押すような形だったので彼女はその募集を「強制」と思ったのである。しかし「挺身隊」の募集が「学校」単位での「国民動員令」によるものだったことから分かるように「教育」のある人が対象だったのに対して「慰安婦」はほとんど低いレベルの教育か教育を受けていない人がその対象だった。韓国で慰安婦が「強制連行」されていったと考えるようになったのは、日本の否定者たちが言うように慰安婦が「嘘」を言ったからではなく、まずはこの90年代の勘違いによる。 
しかしさかのぼれば植民地時代にすでに「挺身隊に行くと慰安婦になる」との風聞はあった。「慰安婦」は「挺身」して「兵隊さんのためのこと」をすると言われたのであり実際のところ看護補助や洗濯など「性的慰安」以外のことをさせられる場合もあったので、まったくの誤解とも言えない(兵士の墓の掃除や洗濯なども、朝鮮人慰安婦たちはやらされていた)。 
「軍人」がつれていったと証言する慰安婦の割合はすくなくとも証言集を見る限りむしろ小さい。そしてその場合も、「軍属」扱いを受けた業者が「軍服」を着て現れた可能性が大きい。また、業者自らが、集めやすいように、当時始まっていた国民動員としての「挺身隊」へ行くのだと言った可能性も排除できない。業者は、日本人と朝鮮人がペアで現れたことが多かったようである。 
しかし、慰安婦の募集は、一人や少人数でいるところを「工場」へ行くなどの言葉でだまして連れて行かれたことが、証言では圧倒的に多い。そういう意味では、「軍につれていかれた」という意味での「強制連行」はなかったか、たとえあったとしても「例外的」なこと—つまり「個人」の逸脱行為と見るべきであって、「軍が組織として(立案と一貫した指示体系を通して)だましや強制動員をした」と見るのは間違いと考える。 
オランダや中国の場合、軍が直接集めたり隔離して性労働に従事させたのでそれはより「強制性」が強い。ただその場合は上記の意味での「慰安婦」とは言いにくい。日本人・朝鮮人・台湾人が「日本帝国内の女性」として軍を支え励ます役割をしたのとは違って、彼女たちへの日本軍の行為は、「征服」した「敵の女」に対する「継続的強姦」の意味を持つからである。このような日本軍との「関係の違い」が無視されて同じ「被害者」としてのみ理解されたために、「強制連行」や「慰安婦」に対する理解が、否定者と支援者間に接点を見いだせずに慰安婦問題をめぐる混乱が深まったのである。 
大まかに分ければ、問題発生以来、「慰安婦」としてみなされてきた人の中には,もとの意味での「慰安婦」(これは挺身隊よりゆるやかな「国民動員」の一種と見るべきである)、民間運営の施設(占領地や戦地に早くから存在した場所を含む)を軍が「指定」し衛生などを「管理」した所で働いた人たち、戦場で捕まって継続的強姦の対象になっていた「敵の女」の三種類の女性たちが混在している。 
軍属扱いをされ、「軍服」のような制服を着ることもあったと見られる「業者」が集めた朝鮮の場合、業者が「挺身隊」(強制的、しかし「法律を作っての」国民動員。しかし「志願」の形となる)に行くとだましたがために、「強制連行」だったと当事者たちが認識した可能性も高い。つまりもと慰安婦たちが「嘘」をついているというより(まったくないとは言い切れないにしても)、今はいないはずの「業者」たちが嘘をついた可能性も大きい。

7.日本軍と朝鮮人慰安婦

朝鮮人慰安婦は、場所によっては着物を着て日本名をつけられて働いた。つまり「日本人」女性に代わる存在だった。慰安婦たちには料金の区別がつけられていて、「日本人」が一番高く,その次が朝鮮人だった。本来なら巻き込まれないでいいはずの(日本を対象とした)「愛国」に朝鮮人も動員されたのである。その意味では朝鮮人慰安婦は日本の「植民地支配」が生んだ存在であり,その点で日本の「植民地支配」の責任が生じる。そして、慰安所に着くと最初に将校や軍医による強姦も多く、部隊移動中にも朝鮮人たちは「朝鮮人」であるゆえに、決まった性労働以外にも強姦されやすかった。 
同時に、「国家のために」集められた「軍慰安所」に居た場合は、構図的には敵を相手に「ともに闘う同志」の関係にあった。兵士の暴行などを上官が取りしまり、業者の搾取を軍が介入して管理する場合も多かったようだ。 
地域や時期にもよるが、慰安婦が、圧倒的多数を相手しなければならない過酷な体験をしたのは間違いない。同時に、基本的には兵士や業者の横暴から慰安婦たちを守るような規範もできていた。もちろんその規範が必ずしも厳しく守られたわけではなく、兵士たちはよく朝鮮人慰安婦によく暴行をふるい、注意程度の処罰しか受けなかったことも多かった。 
朝鮮人慰安婦はそのように総体的な民族差別の中にいた。朝鮮人慰安婦と日本軍人は恋愛も可能だったが、そのことを見ることが、宗主国・植民地出身という構図のなかの差別や搾取を無化することになってはならない。 
朝鮮人慰安婦の一部は、最前線においても行動を共にしながら、銃弾の飛び交うような戦場の中で兵士のあくなき欲望の対象になり、銃撃や爆弾の犠牲になるような過酷な体験をした。つまり、たとえ契約を経てお金を稼いだとしても、朝鮮の女性たちをそのような境遇においたのは「植民地化」であった。したがって、朝鮮人慰安婦に対する日本の責任は、「戦争」責任以前に「植民地支配」責任として問われるべきである。

8、業者

軍が必要として集められたのは確かだが、拉致や嘘を軍が公式に許可したとする証言や資料は今のところみつかっていない。そして、嘘までついて強制的につれていったり、病気などの時も「強制的に」働かせたり、逃げないように監視したり、中絶させたのは、ほとんどの場合日本人や朝鮮人の「業者」だった。日本人業者の方が規模が大きく、朝鮮人業者の方が規模が小さかったように見える。 
慰安婦たちの多くはは借金状態を抜け出せず、自由廃業ができなかったがその直接の原因はこうした業者たちの搾取構造にある。 
吉見教授は慰安婦に「居住」「廃業」などの自由がなかったというが、それは基本的には「業者」による拘束と戦場であるがための拘束であり、「軍人」に移動の自由がなかったのと同じケースと考えるべきであろう。 
そしてもと慰安婦たちの身体に残っている傷跡も業者によってつけられた場合が多い。軍が暴行する場合ももちろん多かったが、少なくとも公式には禁じられていた。 
つまり、「慰安婦」を巡っての「犯罪」——当時の法律に抵触する行為は、拉致・誘拐や人身売買であって、「慰安所利用」を「道徳的に」問題のある「罪」と捉えることは可能でも,当時の(法律に抵触する)「法的犯罪」と捕らえるのは難しい。

9.20万の少女

「20万」という数字は、日韓を合わせた、「国民動員」された「挺身隊」の数だったことが、1970年頃の韓国の新聞記事から推測可能だ。新聞は、日本人女性が15万,朝鮮人が5—6万、と言及している。こうした誤解も手伝ってその後そのまま「慰安婦」の数と理解されてきたものと考えられる。しかもその「慰安婦」の全てが必ずしも「軍が作った」「軍慰安所」にいたわけではないことはこれまで述べてきた通りである。 
慰安婦になった人には「少女」がいなかったわけではないが、1960年代の韓国映画には朝鮮人学徒兵たちにおける慰安婦が成人だったことが分かる。 
実際に証言を見ると十代前半のケースはむしろ少なく、当時の軍人たちにも「例外」な状況として受け止められていた。「慰安婦」と名乗り出た人の多くがまだ幼かった「少女」であったことを強調するのは、彼女たちがその「例外」のケースにいた人々と見るべきだろう。実際には、証言者の多くが、「他の人は自分より年上だった」と語ってもいる。売春業界に少女が連れ込まれるのは世界中にあることであり、そういう意味で少女が多かったことはありうるが、それは日本軍の意思というより、業者の意思によるものと考えるべきである。慰安婦の都市は一概に推定できないが、証言集や資料による限り、その平均年齢は、20才以上と考えられる。

10、敗戦後の帰還

慰安婦が敗戦後に帰国できなかったのは、戦場での爆撃の犠牲になった場合や玉砕に巻き込まれた場合が多かった故のことと考えられる。中国にいた慰安婦たちは、いわゆる「引揚げ者」たちの受難を同じく経験していて,場所によっては帰ること自体が難しく、その道のりで犠牲になった場合もあると考えられる。そのほかは帰ってきたかその地に残ったものと見られる。敗戦後に「置き去り」にしたことに、動員した軍に責任があるのは言うまでもないが、それでも慰安婦たちの「おきざり」に対するうらみは、日本軍より「業者」に向かう場合が多い。軍と行動を共にした場合、負ける戦闘のさなかでのことであって、その状況は様々で、軍が帰国を助けた場合もあった。

11、1990年代の謝罪と補償

1990年代に日本が「慰安婦」と名乗り出た人々に「謝罪と補償」をすべく作った「アジア女性基金」は、被害者たちが要求した「国会立法」を経たものではなかったが、当時の閣僚たちの合意に基づいて作られたものだった。国会では立法を進めた議員たちもいたが、韓国の場合、1965年の日韓条約で国家間賠償が終わったことと「強制連行」の有無が議論の焦点となって法案を通すにはいたらなかった。「基金」は「国会」は通さなかったが、「政府」閣僚たちが合意してやった「謝罪と補償」である。それは「国会立法」を主張する人たちに「責任回避」の手段と非難されたが、1965年の国家間条約で個人補償は終わっているので国家賠償はできないと思った日本政府が、「法的責任」は存在しないと考えながらもなお、「道義的責任」を取るとして行った、いわば「責任を取るための手段」だった。国民の募金でまかなうと言われていたが、300万円に当たる医療福祉補助費も出されていて、名前こそ「補償金」でないが、実際に慰安婦たちにわたった補償金の半分以上が国庫金から出されている。最終的には事業費の89パーセントが国庫金からまかなわれていた。そういう意味では「基金」は、単なる「 民間基金」ではなく、日本政府と国民が心を合わせて行った「謝罪と補償」の試みであった。もちろんこのとき、日本政府は、基金への関与をより明確に言えばよかったであろう。

12、1965年の過去清算について

1965年の日韓条約は1952年のサンフランシスコ講和条約に基づいての条約だったので、「戦争」の事後処理をめぐる条約だった。「植民地支配」という過去清算に関する条約ではなかったのである。条約の文面にひとことも「植民地支配」に対する謝罪の言葉が入ってないのはそのためである。実際徴用などに関しての「補償」も、中日戦争後のことに限っていた。しかし朝鮮は日本の戦争相手国ではなく、むしろいっしょに闘った立場だったので、この補償は、恩給などに当たる、いわばもと「日本国民」としてのものだった。突然両国が引き離されることになったための、貯金やその他を含む金銭的事後処理が中心だったのである。 
そして日本は「個人の請求権」は個別に請求できるようにしたほうがいいと言っていた。しかし韓国側は、北朝鮮を意識して、韓半島唯一の「国家」としての韓国が代わりにもらおうとしてその提案を拒否した。つまり「韓国」だけが補償を請求できる正統性を認めてもらおうとしたのには(チャン・バクチン)、厳しい冷戦時代のさ中にいたという歴史的経緯がある。 
当初韓国側は「植民地支配」による被害について(人命損失など)も請求しようとした。最終的にそれが削除された理由は明らかでないが,おそらく今でも続いている論争——「植民地支配は合法」、つまり韓国の意志でやったことだというような議論があってのことかもしれない。確かに当時においてはほかの元帝国も「植民地支配」に関して謝罪したことはなく、それは時代的思考の限界だった。つまり、1965年の条約は植民地支配についての謝罪にはなっていないが、それは冷戦下にあって元帝国諸国がそのような事に関して謝罪するような発想をするような時代に至っていなかったこと、そして元植民地側も冷戦時代のあおりを受けて、自ら「過去清算」を急いでしまったためのことだった。

13、1910年の合併条約について

さらにさかのぼって1910年の合併条約自体が「強制的」なもので「不法」だったとする議論もある。そしてこの時の条約が「不法」だとすると当然日本に「植民地支配」についての「法的責任」が生じることになる。しかし、たとえ少数が率いてやった事が明らかでも、それが「条約」という(当時における)「法的手続き」を通してのものだった以上、このことを「不法」とするのは倫理的には正しくても現実的には無理がある。それはアメリカやイギリスなどやはり植民地を作った大国の承認を得てやったことであって、彼らだけの「法」に基づくものだったという意味でなら「不法」と言えても、ともかくも「合併」を韓国が承認した文面が存在する限り、残念ながらそのことを「不法」とは言えなくなるという現実もある。 
もっとも、国民のほとんどに意見が聞かれたわけでも知らされていたわけでもない「合併」は、「ほとんどの朝鮮人」の了解や承認を得ていないという点ではほんとうの意味では「了承」したとは言えない。しかし国の代表がそうしてしまった時点で、不服でも、「不法」といえないことは、政治的・時代的限界と考えるべきであろう。そのような「法」に問題があったことを後世の人々が認めるのなら(すでに90年代の日本の謝罪はそれを間接的に認めたことにはなる)、たとえ「不法」でなくても、道義的に問題があったとみなすことは可能である。「法」にかかわらず、日本に植民地支配の責任があることは間違いない。

14,「法」の問題

韓国政府や支援団体が求めているのは慰安婦募集と慰安所使用に関わることを「不法」と認めて「賠償」せよとするものである(日本の支援者の多くもそれを主張している)。しかし、当時において日本内で「売春」が「不法」と認められていなかった以上、そのことを「不法」とみなすことは無理がある。たとえ国際的に不法と見なし始めていた時期だったとしても、である。当時は性暴力さえもまだ「法」で処罰することはしていなかった時代だったのであり、だからこそ男たちは罪の意識もなく強姦を繰り返したのである。 
しかし「人身売買」は当時においても「不法」と認められていた。問題は、その人身売買を日本軍が指示したかどうかにある。実際に人身売買であることを知りながらも黙認したふしはある。しかし、日本軍は詐欺や誘拐によって連れてこられた場合返したり、別の就職先を斡旋するように業者に指示したケースがあり、軍として詐欺や誘拐を組織として容認したとは言いがたい。それでも、日本が宗主国として、植民地の女性を差別と強姦と搾取の対象にしたのは間違いない。 
15、再び「アジア女性基金」について

そういう意味では90年代の「道義的責任」は、そうは意識しなかったにしても、まさにそこを突いての「謝罪と補償」だった。最初に声をあげた朝鮮人慰安婦が「植民地支配」による存在ということも認識されていて、それに対する補償だったからである。 
すでにイタリアやイギリスも植民地支配に関して謝罪をしたことがある。もっとも、日本も,細川首相や村山首相が行った。しかし、最初は「慰安婦問題」を「植民地支配」と捉えていたのが、のちに別の国の人たちが現れることになったことが影響して、普遍的な「女性の問題」と捉えられることになったために、そのような捉え方はやがて消えてしまった。 
しかし、現在この問題で、ほかの国・地域は「アジア女性基金」を受け入れて一応解決されたことになっている。そして現在慰安婦問題を「不法」だったとして「賠償」を求めているのは「韓国人慰安婦」だけなので、「日韓問題」として捉え直す必要がある。 
そして、あらためてそうした状況を念頭におきながらしかるべき解決を考えるべきであろう。オランダや中国などほかの国といっしょに考える「女性の人権」問題との捉え方だけでは、朝鮮人慰安婦の特殊性が見えてこない。そして、家父長制の中の犠牲者と捉える時、真なる「女性人権」の問題として向き合いなおすことができるだろう。 
日本の一部の人はほかの国々もやったとして責任を回避しようとするのではなく、オランダを始め世界の「元帝国」に、「植民地支配」が起こした問題としての自覚と反省を呼びかけるべきだ。そうして始めて、アメリカもイギリスもオランダもこの問題を「自国」の問題として向き合うことができるだろう。それらの国の欲望のためにも、自国や他国の女性たちは動員されていた。

16、「性奴隷」について

朝鮮人慰安婦たちは「準軍人」のような役割もさせられていた。彼女たちの境遇が悲惨だったのはまぎれもない事実であるが、監禁し、強制にちかい労働をさせた主体は、軍のみならず業者でもある。自由がなかったという意味での彼女たちの「奴隷性」は、まずは「主人」と呼ばれた業者との関係で成立しすると考えるべきだ。 
同時に、彼女たちは、国家の必要によって過酷な労働を強いられ、命さえも(戦場、病気、過労働)担保にしたという意味では「国家の奴隷」でもある。移動の自由も廃業の自由もさらに命を守る自由もないという意味で、軍人と変わらない。朝鮮人軍人には少ないながら一定の補償金が支払われた。それは彼らを守る法が存在したからである。そして、女性たちにはそのような『法』によって守られなかったのは近代国家システムが男性中心主義的だったからである。

17、河野談話

河野談話は「自分の意志に反して」慰安婦になったことを認めているのであって物理的な「強制連行」を認めているわけではない。つまり,連れていった過程が自分の意志ではなかったことと慰安所での性労働が彼女たちの選択ではなかったことに触れていて、物理的ではなく構造的な強制性を認めている。それは、朝鮮人の場合、たとえ自発的に行ったように見えてもそれが植民地支配によってもたらされたことであることを正確に認めている言葉でもあった。つまり、河野談話見直し派が主張しているような、いわゆる「強制性」を認めたものではない。しかも管理をしたという意味では「官憲が関与」したのは事実なので、そうである限り河野談話を見直す必要はない。

18、解決をめぐる葛藤

日本政府が作った「基金」が「民間」のものと認識されたのは、まずは、マスコミなどの報道にもよるが、新たな補償が1965年の条約に抵触することを気にした政府が、基金に深く関与していることを十分に説明しなかったことに第一の原因がある。しかし、「仕方のない次善策」として受け止める人たちもいる中で「責任を回避するもの」と強く非難し,以後今日に至るまでこの問題で日本政府を非難している人たちの一部は、国会立法だけが「日本社会の改革」につながると考えていた。それは、歴史認識をめぐる対立がポスト冷戦時代を迎えて行なわれ、過去の歴史に対する考え方でもって現在のアイデンティティを問われる形になったからである。 
そして、正義のためのはずだったその主張は、慰安婦像と「強制連行」をめぐる理解において反対派と接点を見いだす努力を怠ったがために、結果として 、慰安婦問題に反発するひとたちが日本内にたくさん増えてしまった。 
支援者たちは、天皇を犯罪者にするような国際裁判も開いたが、理念としてはいいとしても、「運動」としては広く「日本国民の合意」を得るのではない逆の方向へ行くものだったと言う点で、効果的だったとはいいにくい。2000年代以降、日本で「嫌韓流」に始まったへイトスピーチの根っこには左翼や慰安婦問題への嫌悪があった。

19、世界の意見

運動家たちは2000年代以降に日本政府を説得することよりも世界に訴えて日本を圧迫するやり方に出た。そしてKumarawasumi報告書をはじめ、数々の国連報告書のほとんどは 「20万の少女が強制的に連れて行かれ性奴隷として働かされ、敗戦後もほとんど虐殺された」と考えている。欧米の議会の決議もそれらの報告書を参考にしているが、これまで見てきたように、世界の慰安婦問題への理解は、必ずしも正しいわけではない。 
国連ではオランダの女性も証言していて、オランダのケースは確かに「レイプセンター」の言葉に近いものだった。しかしオランダの女性は朝鮮人や日本人慰安婦とはその立ち位置が根本的に異なる。オランダの女性が被害を受けたのは、彼女たちがオランダが植民地にしたインドネシアに暮らしていたためで、植民地をアジアに多く持っていた、オランダをはじめとする欧米諸国が、日本だけを非難するのも必ずしも公平とは言えない。

20、帝国と慰安婦

韓国や沖縄基地をはじめ米軍が基地をおいているところでは今でも遠い地に送られた兵士たちを「慰安」すべきとされている女性たちがいる。つまり、戦後直後の日本や韓国戦争での朝鮮戦争当時やその後の韓国がそうだったように、「軍隊」は今でも「慰安婦」を作り続けている。日本軍の慰安婦と違うのは、「国家のため」と意識させられているかどうか、そして平時(しかし戦争に待機している)か戦時かの違いだけである。 
それらの「基地」は、かつて戦争や冷戦のためにおかれ、その状態を維持し続けた。そして今やアメリカこそが日本や韓国に慰安婦を作り続けているのである。もちろん日本や韓国はそれを提供し黙認している。 
かつて国家が政治経済的に勢力範囲を広げるべく「帝国」を作ったように、現在でも特定国家の世界掌握勢力は存在する。その中心にあるアメリカが、慰安婦問題に関して日本を非難する決議を出し続けているのは、アイロニーと言うほかない。 
弱者のために闘ってきたはずのリベラル勢力は、そうは意図しなかったはずだが、日韓の葛藤を維持することで韓国の軍事化や保守化を進めた。韓国が北朝鮮や中国と連携して日本を批判するのも、現実には冷戦構造の持続に加担することになる。 
したがって、支援者たちは冷戦的思考にとらわれずこの問題を考え、否定者は慰安婦の悲惨さに気づくべきである。そして日本内の国民的「合意」を見いだすべきである。 
まずはそれに向けて、意見が対立する人たちで議論し、接点を作れるように日韓協議体を政府主導で作るのが望ましい。「合意」を前提にし、支援団体のほかに慰安婦本人や第三の識者を入れるのは必須である。密室議論ではなくメディアなどに公開し、この問題に関する知識を多く持つようになった両国国民に考えてもらい、納得してもらう必要がある。
最終的には、その結果に基づいて、植民地氏支配の結果としての認識を盛り込んだ<国会決議>ができるのが望ましい。 
それには、 
1、1990年代の基金の試みのやり直し、つまり国民を代表する国会が主体的に解決
2、欧米の決議を受け止めつつの批判的応答
3、「戦後日本」との自己認識を「帝国後日本」と捉えなおす
この三つの意味がある。


<秦・吉見議論について>

——秦郁彦教授の意見について
1)
売春婦としてのみ見なしているー愛国した存在、特に軍が運営した場合は「準軍人」として支えたことが看過されている。たとえ売春婦としても悲惨さは変わらない。お金を稼ぎ、楽しかったとすれば、「軍のために働く存在だったから」ための強制された誇りゆえ。お金を稼いだ人だけに注目する傾向が強い。慰安婦たちが楽しかったとすれば、それはそれだけつらい生活をしのぐための自己欺瞞的誇りの結果と見るべきだ。  
2)
業者を朝鮮人だけと考えているが、日本人も多かったと見える。  
3)
朝鮮人だけの責任にしたがっている—需要を作った日本国家の責任を考えない。  
4)
業者が軍に働きかけた境遇だけではない。業者は軍属の地位を与えられることもあった。 
5)
女性たちをチェックしたのはそういう「商品」を利用しないようにしたことと考えられるが、契約書があれば問題がないという主張になる。本人が認知せずに軍を手伝うことと考えた場合もあるのだから、契約書があれば問題がないとはいえない。 
6)
運動が政治活動になった動きがないわけではないが、それは参加者の一部。ほとんどは単に善意で動いたと考えるべきだ。


——吉見義昭教授の意見について
1) 
強制連行を、構造的な強制性と捉えるのは正しいが、それを官憲がつれていったことと理解する人が多い以上、その違いは正確に語るべき。 
2) 
性奴隷的側面があるのは確かだが、直接に自由を拘束したのは業者であり国家。売春婦にも奴隷性があることを看過している。 
3) 
世界が慰安婦問題で韓国の主張を認めたことは、必ずしも支援団体の主張が正しいことを証明しない。 
4) 
慰安婦の生活困難は業者の搾取によるもの。インフレだけではない。 
5) 
オランダとの関係における違いを看過。 
6) 
業者には純粋に民間も存在。軍属のみではない。前線に行くひとのみ。様々な慰安所があるのに軍運営のものに限定して語っている。 
7) 
責任—人身売買の主体は業者なのに業者の責任は語られない。国家が加担したのは事実だが、知っていて指示し、助けた(船を使っただけで人身売買を助けたと言っていいかどうか)のと、知って黙認したのと知らずに利用したのは違う。時期によって場所によって違っていたはず。それを全て軍の責任としている。 
8) 
構造的強制性の中にある自発性を看過。人身売買だから性奴隷というが,そうでないケースもあるし、何よりも慰安婦の「主人」は業者だった。

*どちらも慰安婦の一面だけど見ていて結論が先だっているようだ。そうである限り「歴史学者」の議論であっても接点を見いだせないだろう。
*「被害」かそうでないかだけを強調しているが、「植民地」はその両方を持つ存在だった。
*考えるべきは、国家(帝国)欲望に動員された人々の不幸を誰が償うかのこと。兵士もその一人。慰安婦も。そこに加担した民間の責任(定住者たち、大人たち)もまた大きい。
*この問題が難しいのは体験が異なるのに、「補償」は一つの形にするほかないということ。
*慰安婦は「売春婦」も無垢な「少女」の面も併せ持っていて、そのような矛盾こそが「植民地の矛盾」だった。今では変わって来ている側面もあるが、慰安婦の役割は基本的に社会の弱者に担わされるという点で階級問題であり、家父長制や性をまで戦争に利用する国家の問題である。彼女たちは自分の身体と命の「主人」ではありえなかった。そのことを知ることこそが、慰安婦問題を考えることの意味にならなければならない。

さて、この要約文を読んで私自身は、この内容そのものがすべて正しいとは思えませんが、内容を読んでいる限りでは、学術書の体裁はとれているし、それにこの要約には掲載されていませんが、元の書籍には引用元の書籍や、文献なども掲載されています。

ただし、この本は、レトリックによって、ファンタジーとはならないギリギリのところまで日本側に慰安婦問題での譲歩を求める方向で書かれています。また、当時日本が植民地支配していたのだから、日本に責任があるという方向で貫かれています。

韓国の歴史ファンタジーを示す韓国の歴史教科書の古地図
朝鮮がこのような版図を占めた時代は有史以来一度もない

私自身は、当時の時代背景を考えると、当時の世界では、日本であろうが日本以外の外国であろうが、あるいは植民地においてであろうが、民間人ではない、国家を代表す官憲がそれを職務として、あるいは上からの命令で、直接強制的に売春をさせたり、労働させたというのなら、明らかに犯罪ですが、そうではない場合には犯罪にはあたらないと考えています。

これは、慰安婦問題など複雑な問題を考えると、様々な見解があり、誰もが納得するとは思いませんが、古いモノクロ映画のDVDなど視聴すると、映画の本体に入る前、「現在の考え方からすると、この映画には不適切な表現も含んでいますが、当時の時代背景を考慮して、視聴していただくことを前提として当時のまま提供させていただきます」という趣旨のテロップが流れることがあります。

現在の世界では、許容されなくても、古い時代には許容されたということは、世の中にはいくらでも存在します。今の日本では売春そのものが非合法ですから、どのような状況であれ、慰安婦も非合法ということになりますが、当時は官憲が直接関与しなかった、売春は、許容されていたとみなすべきものと思います。

無論、当時でも民間人などが、売春を強要したとか、官憲であっても官憲の職務や上からの直接命令ではなく、個人の裁量で売春を強要した場合もあったと思いますが、それは個人の犯罪であり、国家の犯罪とはいえないです。

もし韓国でこの書籍の著者朴氏ような見解が主流となれば、慰安婦問題は解決に向かう可能性が高くなると思います。歴史を遡れば、韓国でも終戦直後は慰安婦の実態も周知のことでした。そのため1990年までは韓国で「慰安婦問題」と言えば「米軍慰安婦問題」のことでした。しかし、強制連行が1991年から捏造され、突然「日本軍慰安婦」が社会問題になりました。そして、これ以降は韓国内ではこの慰安婦問題に対する反論は許されない状況になっています。

そのためもあって、この『帝国の慰安婦』の著者朴氏は韓国で損害賠償や出版差し止めの訴訟を受けていますし、多くの人々のバッシングの対象となっています。韓国の裁判所は昨年2月に、この書籍の出版禁止の仮処分を出しています。

そうして、韓国の検察はこの本の内容を「客観的資料で記述は虚偽だと確認した」としています。韓国の検察の言う客観的資料とは、河野談話と国連のクワラスミ報告書のことを指しているようです。

この書籍には、現在の韓国における、慰安婦問題関して、不都合な記載もあります。過去の韓国の例ですと、このような本は事実上の最初発禁となり、著者が謝罪するパータンがほとんどでした。例えば、有害図書の指定を受けたりして流通できなくなったり、真実を述べた学者は暴行を受けたり謝罪させられ、沈黙を余儀なくされてきました。

しかし、今回は最近の日本の反韓感情の高まりや、韓国が未曾有の経済危機に見舞われており、外貨の流出が止まらず、頼みの綱は日韓通貨スワップ協定の再開であるという厳しい現実もあります。そのため、韓国政府の対日政策は慰安婦問題も含めて、やや矛先が鈍ってきています。そのため今までと同じパターンになるのか、不透明です。また日本でも、あの朝日新聞が今までの韓国内での同じような事件とは異なり、今回の件についてはまともに報道していますし著者を応援しています。

それどころか、「帝国の慰安婦」著者の在宅起訴が日本のリベラル派の分裂を招いたということも、IRONNAに掲載されています。興味のあるかたは、是非こちらもご覧になむさてください。

朴裕河氏は12月2日記者会見して、起訴に対する自分の立場を表明しています。その記事のリンクを以下に掲載します。
【「帝国の慰安婦」在宅起訴】朴裕河教授の会見詳報 「検察の非人権的な起訴に強く抗議」 「元慰安婦を非難する本を書く理由がない」
詳細は、この記事をご覧いただくもとして、以下に要約を掲載します。
韓国で(2013年に)発刊された『帝国の慰安婦』は日本に向けて慰安婦問題への関心を促し、問題から目をそらしたり、否定したりする人々と日本政府、(元慰安婦)支援者らの手法と考え方にどんな問題があるのかを分析するために書いたものだ。(中略)支援団体の主張は最初の「軍人が強制的に11歳の少女を連れていった」と言っていたときと、少しも変わっていなかった。私はそうした状況に疑問を抱き、支援団体の主張に問題がないかを検証してみようとした。

韓国社会には「朴裕河の著作は虚偽」「慰安婦のおばあさんの名誉を毀損した」との認識が広がるようになった。原告側は特に「売春」と「同志的関係」という単語を問題視した。こうした考えは、「売春婦であれば被害者ではない」という考えに基づくものだ。このような職業に少女らが動員されやすいのは今日でも同じだが、年齢、売春とは関係なく、その苦痛は奴隷の苦痛とは異ならない。慰安婦を単なる売春婦だといって責任を否定する者や、売春婦ではないとし、「少女」のイメージに執着する者は、売春への激しい嫌悪と差別感情を持っている。「虚偽」だと否定する考えも同様といえる。重要なことは、女性らが国家の利益のために故郷から遠く離れた場所に移動させられ、苦痛の中で身体を毀損されたという事実だけだ。

私は著書で、日本に責任があると言っている。同じ戦地に動員した日本軍の朝鮮人に行った保障、生命と身体の毀損に対する保障制度を、日本人女性を含む貧しい女性らのためには作らなかった。これは近代国家の男性主義、家父長的な思考、売春差別によるものだと記した。これは近代国家のシステムの問題であり、こうした認識に立脚し謝罪と補償の必要があると述べた。日本で過分な評価を受けることになったことを、私はこうした考えが受け入れられた結果だと思っている。
私は、この朴氏の発言自体は、正しいものと思います。

そうして、この書籍は、日本語には翻訳されていますが、残念ながら未だ英語には、翻訳されていません。この書籍が、他の多く国々の言語に翻訳されて、多くの国の人々に読まれることになれば、慰安婦問題に関して、他国でも理解が深まるものと思います。

日本側としては、この書籍はあくまで韓国人の視点によって書かれたものであり、レトリックによって、ファンタジーとはらないギリギリのところまで日本側に慰安婦問題での譲歩を求める方向で書かれていること、当時日本が植民地支配していたのだから、日本に責任があるという方向で貫かれていることを主張すれば良いと思います。

そのほうが、かえって、日本の保守派の人が日本人の立場から、書いたものより、理解を得られ易いと思います。

とにかく、この書籍やその他の歴史的資料などによって、日本でも韓国でも、韓国における慰安婦ファンタジーが発祥する前の1990年代より前に時計の針を戻すことが、この問題の早期解決につながると思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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