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2012年10月18日木曜日

「怒鳴っても人間は変わらない!」史上最悪の工場を変えたシンプルな教え―【私の論評】同じような問題が何度も繰り返し起こる場合は、最早人の問題ではなく、システムの問題である!!

「怒鳴っても人間は変わらない!」史上最悪の工場を変えたシンプルな教え:


誰かがミスをすると私たちは腹が立ち、怒鳴ることもあります。怒る理由はミスをした人の行動を変えたいためです。しかし、いくら怒っても彼らの行動は変わらないどころか、反抗的になることさえあります。

100万人以上のメンバーが所属する非営利政治活動グループ「Demand Progress」の設立者で代表のAaron Swartz氏は、「重要なのは人間を変えることではなく、仕組み(システム)を変えること」と述べています。今回はSwartz氏が米・ゼネラルモーターズ社(以下、GM)の事例をもとに「史上最悪の工場を変えたシンプルな教え」について語ります。

 米・ゼネラルモーターズ社の実験

 米・カリフォルニア州フリーモントにあるGMの工場は最悪の状態でした。当時の労働組合長は「戦いの毎日でした」と振り返ります。「働いている時間より抗議活動をしている時間の方が長かったのです。ストライキは日常茶飯事で、毎日が混乱の連続でした。当時の自動車業界では、フリーモントの労働者は全米で最悪だと呼ばれていたのです」。


 当時の工場を調査した米・ミシガン大学のJeffrey Liker教授によると「フリーモントの工場で買えないものはない」がキャッチフレーズだったそうです。「セックス、ドラッグ、アルコール、すべてが工場内で手に入りました。昼食や休憩時間になると、賭博などの違法行為も見られました」。無断欠勤は常習化しており、労働者が十分に出勤していないため、製造ラインが動かせないことも多くありました。

管理者は、工場近くのバーに入り浸っている労働者たちを引きずり出して働かせたこともあったそうです。 会社が労働者に罰を与えれば、すぐに過激な仕返しがありました。会社の車にわざとキズを付けたり、ストライキを始めたり、部品を故意に取り付けなかったりしました。それは会社と労働者の戦争でした。

1982年、ついにGMはフリーモントの工場を閉鎖しました。しかしその翌年、トヨタがアメリカで最初の自動車工場を建設するにあたり、GMと提携することが決まりました。フリーモントの工場は再稼働することになったのです。この時、工場で再雇用されたのはGM時代に最悪と呼ばれたあの労働者たちでした。またこの出来事は、「GMとトヨタがそれぞれ同じ労働者を雇ったらどのような違いが出るのか」という、経営史に残る壮大な実験の始まりでもありました。

この記事の続きは、こちらから!!

【私の論評】同じような問題が何度も繰り返し起こる場合は、最早人の問題ではなく、システムの問題である!!

詳細は、上の記事をご覧いただくものとして、この事例は、アメリカではかなり有名なものです。この事例があってから、多くの工場などが、システムを変更しました。



上の記事を要約してみると、工場などで何かうまくいかなければ、多くの人は、ただ人を怒鳴ってそれで事足れりとして、何もしません。しかし、それでは、また似たような問題がすぐに発生するということです。

これでは、いくら人を怒鳴っても、本当の問題は解消しないわけです。そうして、同じようなことが、何回も繰り返されることになります。こうして、怒鳴られた人の行動や考えは全く変わらず、結局士気が落ちるだけとなります。

上のケースでは、はっきりとは示されていませんが、このケースにおける工場の問題は、主に二つに分類できます。

一つ目は、心理学者が指摘している「根本的な帰属の誤り」です。これは、私たちは状況を考慮せずに、他人の行動を性格と結びつける傾向があるということです。上のケースでは、現場監督が、システムなどの問題は一切考慮せずに、現場で次々と問題を起こす労働者を「怠け者」とか、「不注意な性格」、「ヤル気がない」、あるい単純に「頭が悪い」と思い込むことです。


2つ目は、心理学的な状況とはまた、別の次元で、この工場の現場監督も、経営者も、「同じような問題が何度も繰り返し起こる場合は、最早人の問題ではなく、システムの問題である」という大原則を理解していないということです。

特に、2つ目は、重要です。原因が、根本的帰属の誤りであれ、他のものであれ、同じような問題が繰り返し起こる場合は、それは、そもそも人によるものではないということてず。この大原則に関しては、ドラッカーが何十年も前に、「マネジメント」などの著書で示しているものです。

ドラッカーは、「同じような問題が何度も繰り返し起こる場合は、最早人の問題ではなく、システムの問題である。これを解消するためには、体系的かつ徹底的に考えることに時間を使わなければならない」としています。

こんなときに、ただ怒鳴るだけであれば、何も解消はしません。こんなことを繰り返していれば、上のGMの工場のようになるだけです。


特に、徹底的に考えることに時間を使わなければならいということは、重要です。これは、少し前に、このブログにも掲載しました。


目標を達成し、思考の質を向上させるために「連続4時間」の作業時間を持つ―【私の論評】ライフログを取得や、時間管理の究極の目的は、本当に重要なことを考えるときにたっぷりと時間をとりとことん考えること!!




詳細は、上の記事をご覧いただくものとて、今回の話題と関係のある部分を以下にコピペさせていただきます。
会社などの組織でも、職位が低いうちはまだ良いのですが、職位が高くなるにつれて、このようなこと(長時間かけてものを考えること)が重要になってきます。もし、このようなことを実施する習慣を身につけることができなければ、そのような人は、いつも、寸断された時間の中で、単純にしか物を考えなくなり、自分の持つ限られた過去の経験・知識によって、即物的にものごとを処理することしかできなくなります。 
こんな生活を3年以上も続けると、そこから抜け出すのは、大変です。5年以上もつづければ、もう考えることなどできなくなります。それが当たり前になってしまい、深く物は考えられなくなります。職位が低いうちは、それでも何とかなりますが、管理者以上になってしまえば、それではすみません。そういう人は、大きな責任を担うことはできません。そんなことにならないために、意図して意識して、ライフログを取得したり、時間管理をして、長時間かけてものを考える時間を持つ習慣をつける意義があるのです。

本日の話題、特に、GMの工場での、生産性の低さは、まさに現場監督や、経営者が、寸断された時間の中で、単純にしかものを考えなくなり、自分の持つ限られた過去の経験・知識によって即物的にものごとを処理(怒鳴る)ことしかできなくなっていたからです。長時間かけてものごとを考える習慣がついておらず、こんな生活を5年以上もつづけてきたからです。

これに対して、トヨタの現場監督や、経営者は、徹底的に考える時間を使う習慣をもっていたということです。工場でおこる不都合特に度重なり発生する不都合に関しては、それを単なる個人の力量のせいにするのではなく、それをシステム改善・変更・改革・付加・削除などのシグナルとみるべきなのです。特に管理者は、怒鳴るためにいるのではありません。シグナルを見て、考え、行動するためにいるのです。そうして、経営者も怒鳴るためにいるのではありません。管理者が行動するしやすいように支援するためにいるのです。

上の記事は、最後に以下のように締めくくっています。

あなたが誰かに対して腹が立った時、彼らの行動を変えたいと思うでしょう。しかし、あなたがどれだけ高い役職に就いていても、他人の頭の中までコントロールすることはできません。怒鳴っても彼らの行動は変わりません。GM労働者のように反抗的になるだけです。 
他人の行動は変えられません。しかし、それ以外なら何でも変えられます。そして多くの場合、人を変えなくても変化は起こせるのです。

上の文章で、それ以外とは具体的に何かといえば、ドラッカー流にいえばシステムのことです。無論ITなどに限定するのではなく、人を含んだ総合的システム、仕組みという意味です。

システムの改善・改革、付加などに頭を使わない管理者・経営者は、上のGMの事例のようなことを招いてしまうということです。



ちなみに、ドラッカーは、効率良く運営されている工場はすぐに判るとしています。そのような工場、退屈なほど静かであり、騒音も少なく何もないが、効率の悪い工場に限って、現場が騒音や言い争いで充満しており、しょっちゅうドラマティックな何かの出来事があると評しています。

しかし、このようなこと、世間にはいくらでもあると思います。一番わかりやすいのは、政治です、政界では、同じような問題が繰り返し起こっています。これからも、繰り返されるでしょう。マスコミも反日報道の問題が繰り返し起こっています。これらも、もう、すでにシステムが制度疲労を起こしているのだと思います。いずれ、根本的なシステム改革が必要です。その中には、無論のこと、憲法改正も含まれるでしょう。


それに、巷には、まだまだこのような問題が山積していると思います。皆さんの職場や、皆さんの知っている他の職場などでもこのような問題があれば、人の問題にせずに、システムの問題であると考えることが、解決糸口になるし、早期解決の早道にもなります。





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2012年7月12日木曜日

孫社長の「iPhone・iPadを持っていない人は人生を悔い改めて頂きたい」に批判殺到! ネットユーザー「マジ勘弁」「iPad捨てたくなった」―【私の論評】iPhoneもiPadもツールに過ぎない。ドラッカーなら、最近のガジエットについてこう認識したに違いない!!

孫社長の「iPhone・iPadを持っていない人は人生を悔い改めて頂きたい」に批判殺到! ネットユーザー「マジ勘弁」「iPad捨てたくなった」:

孫社長の「iPhone・iPadを持っていない人は人生を悔い改めて頂きたい」に批判殺到! ネットユーザー「マジ勘弁」「iPad捨てたくなった」

2012年7月11日、大手携帯通信会社のソフトバンクは法人向けイベント「SoftBank World 2012」を開催した。そのなかで、孫正義社長は基調講演冒頭で「iPhoneもiPadを持っていない方は、今日から人生を悔い改めて頂きたい」と、やや過激な発言を行ったのである。このことについてネットユーザーからは批判が殺到。「マジで勘弁して欲しい」や「言われる筋合いはない」などのコメントが続出している。


孫社長は基調講演のはじめに、来場者にiPhone(もしくはスマホ)とiPadを所有しているかどうかについて尋ねた。挙手を募ってその反応をうかがったのだが、その後に次のように発言したのである。



「iPhoneもiPadを持っていない方は、今日から人生を悔い改めて頂きたい。すでに時代から取残されておる」(Ustream基調講演より引用)



孫社長は現代のビジネスパーソンにとって、これらは必需品であり、このふたつをなくしてより良い仕事はできないと訴えたかったようだ。また職場を「戦場(戦)」にたとえ、iPhoneを小刀、iPadを大刀として戦わなければならないと説明している。これに対して、ネットユーザーは次のように反応している。

「どっちもSoftBankの作ったもんでもなんでもないんだよね~ (笑)」
「どうしてもこの人を信用できない」
「流石に悔い改めるのは極端だと思う」
「ソフトバンクが扱ってなきゃ買う」
「髪と電波が薄い人」
「マジ勘弁して欲しいわ」
「これ見てiPad捨てたくなった」
「なんだそりゃ」
「持っていないのは御社が扱ってるから」
「悔い改めよなんて言われる筋合いはない」
「iPhoneもiPadもやめちゃった私はどうしたら(苦笑)」
「禿げ社長 そりゃ言い過ぎ」
「入力する側の仕事だとあまり役に立たないす」

……など。孫社長は冗談でこの発言をしたようなのだが、言葉だけがひとり歩きをして、そのときの様子がうまく伝わらなかったようである。なお、孫社長自身はこのふたつを、24時間手の届く範囲に置いているそうだ。トイレはもちろんのこと、お風呂に入って頭を洗うときも手の届く範囲に置いているに違いない。さすがは孫社長、排便のときでさえも情報武装を解くことはないはずである。
参照元:Ustream 「SoftBank World 2012 基調講演」


この記事の動画を見る

【私の論評】iPhoneもiPadもツールに過ぎない。ドラッカーなら、最近のガジエットについてこう認識したに違いない!!

上の孫氏の発言「iPhoneもiPadを」ではなくて、「スマホもタブレットを」ならまだ理解できるかもしれませんが、この発言では、自分で売っている商品を買わない人はすでに時代に取り残されていると言っているようで、やはり、しっくりきません。

iPhoneやiPadは、単なる情報端末であり、ツールに過ぎません。ツールの新しいものを持たなければ、仕事ができない、過去の人などとは言えないと思います。たとえば、あの経営学の大家、ドラッカー氏は、ITや、eコマースなどに関する、素晴らしい論考を残しましたが、彼自身は、なくなる直前まで、執筆には、タイプライターとフアックスを用いていました。書籍の内容は、タイプして、それを編集者にフアックスで送っていました。彼のような偉大な人ですから、どうしても、パソコンが必要なら、パソコンで仕事をしていたはずです。しかし、スマホや、タブレットなど、確かにツールの大変革ですから、生きていたら何か語ったに違いありません。


ドラッカー氏
ドラッカーが生きていた時代には、すでに、パソコンは、現代のものと変わらないほど普及していました。ただし、iPhone、iPadはまだ世の中に存在していませんでした、彼が生きていたとしたら、これに対してどのうよな発言をしていたでしょうか?これらについて、特に何か特別な発言をするようなことはなかったと思います。

ドラッカー氏は、情報に関しては以下のような発言をしています。
CEOだけではなく関係者全員が情報責任を果たす必要がある、すなわち、事業担当役員から中間管理職、現場の社員までが、各自にとって必要な情報を考え、企業全体で情報を活用する仕組みを確立できるように、それぞれが情報責任を果たさなくてはならない。
情報責任を果たすために必要な能力を「情報リテラシー」と呼びます。「CEOの情報責任」に関する指摘は「コンピュータ・リテラシーから情報リテラシーへ」という論文に出てきます。同論文は、2002年に出版された『ネクスト・ソサエティ』(上田惇生訳、ダイヤモンド社刊)に収録されています。


時代の変化とともに、われわれ自身が変化しなければならない。読み書きと掛け算に毛の生えた程度の最低限のコンピュータ・リテラシーから、情報を使ってものごとをなしとげるという情報リテラシーの域に達しなければならない。それは面白く価値のある挑戦である。
コンピュータ・リテラシーと情報リテラシーとはまったく異なります。コンピュータ・リテラシーとは、コンピュータを操作し、使う能力です。一番分かりやすいのは、パソコンの操作に習熟することでしょう。また、最近あまり見かけないが、ITリテラシーという言葉もあります。ITはインフォメーション・テクロジーの略ですから、ITリテラシーはコンピュータ・リテラシーに近いといえます。

一頃、電子メールを愛用している経営者を、情報リテラシーが高いとするかのような報道がメディアでなされました。しかし、本当に重要なことは電子メールで得た情報をどう使っているかです。経営者には情報を使ってしかるべき意思決定ができる能力が求められます。それがすなわち情報リテラシーです。つまりITの「T」についてだけではなく、「I」に関するリテラシーを高めなければならないのです。



極端なことを言えば、情報リテラシーとコンピュータ・リテラシーには関係はありません。コンピュータを操作できなくても、情報を使って意思決定を下すことは可能だからです。そもそもコンピュータから出てくるものだけが情報とは限りません。経営者はコンピュータが出す計算結果を見るかたわらで、時間を見つけては現場に行き、生の情報に触れる必要があります。

とはいえ、ドラッカー氏は「コンピュータ・リテラシーをもたないならば、社員からの敬意を期待してはならない。彼らにとっては日常のことである」とも書いています。コンピュータの操作は当たり前として、さらにその次のステージに向かうべき、ということです。
われわれの眼前に膨大な仕事が横たわっている。第一に、情報に通暁しなければならない。そのためには、一人ひとりが情報リテラシーを習得する必要がある。(中略)情報を仕事の道具として見なければならない。(中略)第二に、外部で起こっていることを理解するために、その情報リテラシーを実際に使わなければならない。
しかし「情報に通暁」しようとしても、情報は社内外に無限にあります。しかも、その大半は整理されていません。どのような情報にどのようにして通暁すれば成果を挙げられるのでしょうか。ドラッカー氏は他の論文で、経営に必要な情報について詳しく論じています。

 「技術が変化していることは、誰もが知っている。市場がグローバルになったことや、労働力や人口の構造が変化していることも知っている。しかし、流通チャネルが変化していることについてはまだ認識が甘い」(『未来企業』)
あらゆる組織が、世のため人のために存在する。すべて組織は、世の中や人が必要とするものを生み出し、届ける。だからドラッカーは、組織としての企業の目的は“顧客の創造”だといいます。


バブル期の騒乱
じつは、この当然のことが当然でなくなるのが好況期であり、バブル期です。あえて世のため人のためを考えずとも、流れに乗ることによって、事業が成り立ちます。

だから不祥事も起こります。世のため人のためでないビジネスモデルまで生まれます。目的が顧客でなくなり、利益になってしまいます。

ところが不況期となれば、原点に帰らざるをえません。わが社のミッションとすべきは何か、顧客は誰か、顧客にとっての価値は何かを根本から考えざるをえません。そしてそのとき、市場の構造と流通チャネルが急激に変化しつつあることに愕然とするのです。愕然とすれば不幸中の幸いです。多くの場合は、手遅れになるまで気がつかつきません。ドラッカーは、盲点は流通チャネルの変化にあると言いいます。役員室で報告を待っていたのでは変化はわかりません。自ら出かけていって体感しなければならないのです。歴史に名を残す経営者は皆、外をほっつき歩いていました。

アルフレッド・P・スローン
80年前に、GMを世界一のモノづくり企業に育てたアルフレッド・P・スローンは、数ヵ月に一度は一週間ほどディーラーめぐりをし、セールスマンの真似事をしていた。マクドナルドを生んだレイ・クロックも、町へ出ては自分の店を外から見ていた。
レイ・クロック
しかも、不況期こそ、顧客に出会い、教えを請う好機です。
 「私がトップ経営者たちに対し、歩き回ること、すなわち、役員室を出て、部下の所で話をすべきことを助言してからすでに久しい。しかし今では、それは間違った助言になってしまった。社内ばかりを歩き回れば、間違った安心感に陥る。知らされたことは、部下が知らせようとしたものにすぎないにも関わらず、情報を手にしているものと思い込む。今では、外を歩き回れが、正しい助言である」
さて、ここまで書くと、上の孫氏の言っていることがどれだけ愚かしいことかお分かりになると思います。外を歩きまわることなく、iPhoneや、iPadだけ使っていたとしても何にもないのです。まずは、上記のように、情報リテラシーを身につけること、さらに、外を歩きまわることが必要なのです。


ただし、情報リテラシーを身につけた人が、iPhoneやiPadを外を歩くときに、携行することにはそれなりに意義があると思います。なにせ、タイプライターを持って歩いても、外を歩いて、情報を集めることはできませんが、これらのガジェットは、手軽に写真や動画がとれるのは無論のこと、さらに、位置情報も取得できますし、その時に感じたことをメモしたり、さらに、音声メモもとれます。今や、それをクラウドにたくわえておけば、ガジエットだけでなく、どこに設置してあるPCからも、それらを閲覧し加工し、レポートにまとめることができます。さらに、レポートでまとめるための、資料集めも容易です。

本当に孫氏が主張したかったことは、こういうことなのではないでしょうか?だとすれば、とんでもない舌足らずです。あるいは、そもそもこんなことは頭にない、上の発言なのでしょうか。だとすれば、ただの愚かなセールスマンです。みなさんは、どちらであると考えますか?

それから、ドラッカー氏が生きていたとして、最近のスマホや、タブレットについてどのように語ったか、その語り口を真似ながら以下に掲載してみます。
私は以前ITについて、語ったことがあるが、最近また付け加えなければならないことが起こりつつある。インターネットが使えるようになってから、われわれは初めて、いわゆる企業の内部だけではなく、外の情報を得られるようになった。これによって、eコマースが勃興した。ITは、鉄道が価値観を変えたように、人々の空間や時間に関する様々な価値観を変えた。
さて、最近また、ITにも変化が現れつつある、スマートフォンやタブレット端末などいわゆるガジエットが、GPSにより、位置を認識しはじめたことだ。これによって、これらのガジエットに蓄えられる情報には、位置情報が付加されるようになった。さらに、これらは、ガジエットに蓄えられるだけではなく、クラウドに蓄積されるようになった。このクラウドによって、即座に同期と他者との共有ができるようになった。
私は、以前経営者は、外を歩き回るべきとアドバイスしたが、現在ではもう一つ付け加えるべきである。外を歩き回るには、このようなガジエットを携行すべきであることを・・・・・。 
そうして、このガジェットでは、多くの人々によって、ライフログがとられている。これらガジエットによれば、文書だけではなく、画像、動画などのログをとっておくことが、可能である。
これらによって、私が以前から主張している、多くのマネジャーが計画から入るのではなく、自らの時間が何につかわれているかを知ることから初めよということが容易に、しかも正確にできるようになった。ITは、こうして、さらに時間と空間を拡張することに貢献するようになった。
これによって、いずれeコマースにも大きな変化がおこるだろう。これらのガジェットを持つ顧客にとっては、物理的な店でも、eコマースによってもこれらガジエットで決済できることになる。いずれ、キャッシュレジスターが姿を消すことになるかもしれない」。


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