2012年1月7日土曜日

「棚が回る冷蔵庫のCM」に呆れる若者の話−【私の論評】本当の意味でのソーシャルが注目される時代

「棚が回る冷蔵庫のCM」に呆れる若者の話


2012年01月07日(土)


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[ ソーシャルウェブが未来を創る! ]

「棚が回る冷蔵庫のCM」に呆れる若者の話 

[イケダ ハヤト]

先日仲間たちと飲んでいた際に、
「・・・ハヤトさん、こないだ"棚が回る冷蔵庫"のCMやってたんですけど、信じられますか?(笑)」

【私の論評】本当の意味でのソーシャルが注目される時代
最近では、ソーシャルという言葉がはやっていて、ほんどとの場合は、SNSという言葉に象徴されるように、ネット上の言葉です。しかし、この言葉の持つ本来の意味「ソーシャル=社会」も、忘れてはいけないと思います。

詳細は、上の記事を読んでいただくものとして、論評をするために一部のみ引用させていただきます。


まずは、米国で高まりつつあり、また日本の被災地でも見られるようになった「スペンドシフト」という消費者の最近の特徴です。

自分を飾るより ⇒ 自分を賢くするためにお金を使う。
ただ安く買うより ⇒ 地域が潤うようにお金を使う。
モノを手に入れるより ⇒ 絆を強めるためにお金を使う。
有名企業でなくても ⇒ 信頼できる企業から買う。
消費するだけでなく ⇒ 自ら創造する人になる。


それと上の記事の結論部分です。

これからの消費者は、そのビジネスが「どのような課題を解決しているのか」を厳しく見透かし、価値を判断するようになるでしょう。

世の中は課題だらけであることを、私たちは知っています。そんな中、自社の売上を伸ばすために、「満たされたニーズをさらに満たそうとする商品」を売っていこうとしても、人々の共感は得られず、それどころか冒頭のような冷笑すら浴びせられかねません。

皆さんは仕事を通して、どんな課題を解決していますか?

この問いに対して明確な答えを、本心から持てるか否かが、これからのビジネス的な成功を左右する一つの要素になると私は考えています。

このことは、本来は当然のことであって、意識していなくても、もともと、そうだったのだと思います。特に、今世紀に入ってからは、そうだったのだと思います。ただし、多くの人が意識していなかったものが、既存の路線で安売りばかりやっていて、どうにも実績が残らないことが多く調べてみたら、もともと、ずいぶん顧客が変わっていたことに気がついたというのが真相だと思います。

ちなみにドラッカー氏は、2002年の『ネクスト・ソサエティ』という書籍の中で、20世紀に入ってから先進国の社会は明らかに異質な社会に入っており、多くのシステムがまだそれに対応していないと語っていました。そうして、その異質な社会を『ネクスト・ソサエティ』と名付けています。そうして、そのような社会について以下のよう述べています。


経済が社会を規定するとの思想どころか、経済が経済を規定するとの理論からさえ脱却しなければならない。間もなくやってくるネクスト・ソサエティにおいては、経済が社会を変えるのではなく、社会が経済を変えるからである。ドラッカーは急激に変化しつつあるのは、経済ではなく社会のほうであると喝破している。

そして、IT革命はその要因の1つにすぎない。人口構造の変化、特に出生率の低下とそれにともなう若年人口の減少が大きな要因だった。若年人口の減少は、それまでの長い流れの逆転であり、前例のないものだった。逆転は他にもあった。富と雇用の生み手としての製造業の地位の変化だった。日本では、いまなお労働人口の4分の1が製造業で働いている。日本が競争力を維持していくためには、2010年までにこれが8分の1ないし10分の1になっていなければならない。

ネクスト・ソサエティをもたらす社会の変化が、働く人たちの役割を規定していくからである。本書が言わんとするところは、1つひとつの組織、1人ひとりの成功と失敗にとって、経済よりも社会の変化のほうが重大な意味を持つにいたったということである。

ネクスト・ソサエティがやってきていることはまちがいない。しかも万が一、ニューエコノミーが実現するとしても、ネクスト・ソサエティのほうがはるかに大きな意味をもつ。ネクスト・ソサエティは知識社会である。知識が中核の資源となり、知識労働者が中核の働き手となる。知識社会としてのネクスト・ソサエティには3つの特徴がある。

知識は資金よりも容易に移動するがゆえに、いかなる境界もない社会となる。
万人に教育の機会が与えられるがゆえに、上方への移動が自由な社会となる。
万人が生産手段としての知識を手に入れ、しかも万人が勝てるわけではないがゆえに、成功と失敗の並存する社会となる。

これら3つの特質のゆえに、ネクスト・ソサエティは、組織にとっても1人ひとりの人間にとっても、高度に競争的な社会となる。

詳細は、『ネクスト・ソサエティ』を読んでいただくものとして、ドラッカー氏も言っているように、社会が重要だということは認識しなければなりません。こういうと、何か新しい潮流のことを語っているようですが、そんなことはありません。ドラッカー氏は、もともと企業をはじめとする全ての組織は、社会の機関であるとしています。ただし、社会が今世紀に入ってから従来とは変わってきているということです。

経済というと、多くの人が、株価などの金融経済を思い浮かべると思います。しかし、この金融経済ですら、実体経済いが良くなければ良くならないのです。そうして、実体経済を支配するのが、社会ということです。社会が健全でなければ、健全な実体経済は育まれません。何人も、経済だけをもってして、社会を変えたり、ましてや変革したりなどできません。あくまで、社会が先なのです。社会が良くなってはじめて、実体経済も良くなり、金融経済も良くなるのです。

このようなことは、私が最初に、この著書をみたときは、何となく頭ではわかったつもりになっていましたが、最近こうした変化を実感できる事柄を指し示すものが、徐々にではじめてきたと思います。

現在日本では、失われた20年ともいわれ、デフレの最中にあります。そうしたなかにあっては、資産を持っている人でもあまり消費をせず、お金をあまり使おうとしませんでした。この20年間で、消費者の節約行動は、基本的なライフスタイルにまでなったと思います。

あのAnAnですら、節約記事を掲載した

社会が上記のように根本的に変わったということ、さらには、ライフスタイルとして定着した節約志向などから、今後日本では、景気が回復したとしても、従来のような消費には戻らないと思います。それこそ、上記に記載されていたような、消費スタイルに変わっていくことでしょう。

上記の若者のような意見を聴いて、イケダハヤト氏のように考えることができれば、良いですが、そもそも、何を言っているのかわからないとか、最近の若者は変だと決めつけているようでは、この流れから取り残されるのは必定です。

現在事業を展開している人はもとより、これから、何か新しい事業をはじめようと考えている方はまずは、経済の前に社会が重要であること、さらに、その社会がすでに今世紀に入ってから従来のものとは、本質的に変わていることを理解しなければなりません。そういう人だけが、これから、成功を収めることができます。

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2012年1月6日金曜日

国民への説明責任も放棄!消費税増税に執念を燃やす財務省の「メディア圧力」の手口―【私の論評】財務省が圧力をかけようとも、増税は当面はもはや絶望的?!

国民への説明責任も放棄!消費税増税に執念を燃やす財務省の「メディア圧力」の手口:

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[長谷川 幸洋]

野田佳彦首相がいよいよ消費税引き上げに前のめりだ。年頭の記者会見では、増税について「大義のあること」とまで語った。大義とは人として守るべき道義である。政治家・政党にとって最高の大義は選挙での公約以外にない。



【私の論評】財務省が圧力をかけようとも、増税は当面はもはや絶望的?!

このブログでは、昨年から、増税の危険性について、再三にわたって掲載してきました。これに関しては、詳細は、関連記事をみてもらうこととして、とにかく、デフレのときの増税などということは、古今東西あり得ない下策中の下策です。増税すれば、さらに、デフレが進行し、税収はますます下がることになり、何もしないよりもはるかに危険なことになります。

しかし、ここにきて、政局により、少なくとも来年度中には、増税は不可能な情勢となってきたと思います。野田がいくら「ネバー・ギブアップ」などと力んでみても、できないものはできないのです。議決を強行した場合、増税法案は可決できないうえ党は分裂するという野田にとって最悪の結果になるます。これについて、上の記事でも掲載していた、年度末から年始にかけての政局を振り返って見たいと思います。

以下の記事は、『首相、消費税増税法案「不成立ならば解散」 首相経験者に意向』というタイトルの12/3付け産経新聞の記事です。
野田佳彦首相が先月中旬、自らの指南役である首相経験者をひそかに首相公邸に招き、消費税増税関連法案が成立しなかった場合、衆院解散に踏み切る意向を伝えていたことが2日、分かった。複数の首相周辺が明らかにした。



首相は、消費税増税に向け「不退転の決意」を表明しており、3月に関連法案を閣議決定し、通常国会で成立を期す構えだが、衆参ねじれに加え、民主党に反対論が強く成立は困難な情勢。首相は解散権を振りかざすことで事態を打開したいようだが、早期解散にかじを切った自民、公明両党の協力を得るのは難しく、3月にも政権は重大な局面を迎える公算が大きい。
首相は首相経験者との会談で「首相の座に延々ととどまり続ける気は毛頭ない。ただ、消費税率の引き上げは任期中に必ず成し遂げたい」と強調。「もし不成立となった場合は総辞職をすることはない。衆院解散・総選挙で国民の信を問いたい」と語ったという。
これを聞いた首相経験者は「首相は本気だ。解散すれば民主党は分裂するかもしれないが、政界再編が進むならばそれでよい」と感じたという。
消費税増税をめぐり、政府は先月30日、消費税率を平成26年4月に8%、27年10月に10%と2段階で引き上げることを柱にした社会保障と税の一体改革大綱素案を決めた。
ただ、民主党内で小沢一郎元代表に近い勢力が「消費税増税はマニフェスト違反」と反発しており、強引に法案提出に踏み切れば離党者がさらに増え、採決で大量造反を招きかねない。
一方、首相は2日放送の政府広報ラジオ番組で「国民に負担をお願いする以上、政府だけのそろばん勘定だと思われぬように、きちっと説得をしないといけない」と強調。「行政改革もしないといけない。議員定数削減も不退転の決意でやる」と語った。
私自体は、政局にはあまり興味がなく、結局国民のことはなにも考えず、自分たちの都合のみで動く、選挙互助会の国会議員同士の相互扶助活動に過ぎないと思っています。その中に、金を持った、ボス格の人間が、結局持ち回りで総理大臣、閣僚、執行部をやるだけの旧態依然とした組織くらいの関する感覚しかありません。だから、政治資金規制法も含めて今の、政治システムは、根本的に改める必要があると思います。

しかし、ここにきて、政局がデフレが20年も続いている日本経済を救うかもしない局面になりつつあります。日本では、欧州の経済危機は、多少影響はあるものの、他の国ほどではありません。そうなると、上記ようなことから、平成14年度までは、増税はないことから、本年から来年にかけて景気が上向くことが予想されます。

それにしても、日本の政治は、お粗末です。ここ20年もデフレが続いているわけですから、増税したとして、増税の原資は、国民が稼ぎ出したGDPしかないわけで、増税によって、国民が消費を控えるようになれば、ますます、税収が減るだけです。そうなれば、また、増税ということになるわけです、そんなことを繰り返すだけなら頭も使う必要もなく、財務省も、日銀も、政治家もいらないということになります。

財務省は、上の記事にも書かれているように、いろいろな方面に圧力をかけたり、キャンペーンをはっています。その、ターゲットは、新聞社をはじめとするメディアすべて、民主党をはじめとする全政党を対象としています。財務官僚の財政専門家が、深刻な顔で、日本が財政破綻するかもしれない、プライマリーバランスが崩れているとか、政府にとっても、重要などということを言えば、それに抗える人はなかなかいないかもしれません。特に、経済にうとい、野田さんや、安住さんなど民主党の閣僚や、執行部などもそうです。、

本当に困ったものです。しかし、ここに予期しない政局の都合により、ここしばらく、特に来年いっぱいは、財務省の意に反して増税ができないということになりました。これは、国民として素直に喜んで良いと思います。

そうすれば、特に、政府や日銀が何をしなくても、日本の景気は、間違いなく、緩やかに上昇していき、いずれ、デフレも克服されるようになります。そうなれば、税収も増えます。来年1月あたりには、これが、明らかになると思います。その時になれば、税収が増えたことをもってして、世論を盛り上げて、日本の政治の中でも、特に経済対策の変更を迫るべきと思います。そうして、いよいよ、13年度末には、それが明確になると思います。

今見ると、むなしい、政権交代選挙時の菅氏の街頭演説

国民のかなり多くの人も、財務省キャンペーンにしてやられていると思います。それにのった、民主党の執行部にやられています。小沢氏は、4月に裁判があるそうですが、無罪になる確率が高いです。小沢氏に関しては、マニフェエストに増税するようなことは書いていない、ということを言っています。私は、小沢氏待望論者ではないですが、とにかく、今の状況を打破するために、一波乱起こしてもらいたいと思います。



とにかく、少なくとも、3年、長ければ5年間くらいは増税をふせぎ、まずは、デフレから脱却することが、最優先課題です。それ以外のことは後からでいいです!!失われた、20年を30年にしないためにも、とにかく、政局でもなんでもいいので、多くの政治勢力が結集し、反対ということで、民主党をズタズタにして、財務省の野望を阻んでいただきたいです。

そうして、まずは、景気や、雇用を改善していただきたいものです。そうして、確実にインフレ傾向になれば、今度は、増税、緊縮財政、金融引き締め、それを続けていれば今度は、デフレ傾向になるので、そうなれば、減税、積極財政、金融緩和するというように、まともな経済運営をするように、改革をすべきです。まずは、これができるようにならなければ、どうしょうもないです。日本の政府の経済政策にもっともかけているのは、こうしたバランス感覚です。

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フジテレビ視聴率三冠王陥落!!日テレが2011年三冠王に!!―【私の論評】フジテレビの韓流路線はどうなるか?

フジテレビ視聴率三冠王陥落!!日テレが2011年三冠王に!!


2011年のテレビ界で大きな動きがあった。新年早々、日本テレビが2011年年間視聴率三冠王獲得の発表を行った。

視聴率三冠王とは全日・ゴールデン・プライムの全部門で1位となることである。

この三冠王は2004年からフジテレビが続けてきたものであるが、2011年には1部門の陥落というような事態ではなく、一気に三冠王を奪われるということになったわけである。

日本テレビの三冠王獲得に大きな力を発揮したのは「家政婦のミタ」の大ヒットであることは間違いないであろう。


日本テレビの三冠王獲得に大きな力を発揮したのは「家政婦のミタ」の大ヒットであることは間違いないであろう。

一方で、フジテレビ側の韓流偏重路線による視聴者側の反発も予想以上であったということも想像できる。

以下は、フジテレビデモのコールの内容であるが、このような反発はそれなりに浸透していたのではないだろうか。
・震災被災者をインタビューで泣くまで追い詰めたフジテレビ
・東日本大震災が起きても韓流ドラマを優先したフジテレビ
・韓流ブームが皆さんの周りで起きているか?
・自分たちの買った韓国ドラマを売るためにブームをねつ造
・韓流ブームのごり押しを止めろ
・面白い番組を作れないことを恥じろ
・番組内で露骨な宣伝をするな
・反日女優キム・テヒをドラマ起用するフジテレビ
・反日女優キム・テヒを支援する花王を許さない
・花王の商品は買わない
・原爆投下となった日の翌日に「リトルボーイ」放送
・ドラマで「JAP18」を使ったことを放送
・日本人アスリートを貶める行為をするフジテレビ
・韓国旅行の危険性を報道しないフジテレビ
・韓国の反日教育の実態を報道しないフジテレビ
・テコンドー協会の看板にモザイクをかけた理由を説明しろ
・公平な放送ができないら放送免許を返上しろ
・日枝会長を辞めさせろ
・ロシアからの好意を放送しないのは何故だ
・日本が世界から好かれるのが気にくわないのか?
そして、フジテレビのメインスポンサーであった花王は8月以降、明らかにCM放送をフジテレビから日本テレビへと移してきている。

8月には花王のCM中45%がフジテレビで放送されていたが、11月まで連続で前月比を下回る占有率となり、11月では28.5%にまで落ちている。

8月(45%)⇒9月(36%)⇒10月(33%)⇒11月(28.5%)

しかし、日本テレビが韓流と全く無関係な放送をしているというわけでもない。2011年中は、デモ活動は電通に対するものも行われており、フジテレビだけを攻撃対象とするデモから方向が変わってくる可能性もある。



【私の論評】フジテレビの韓流路線はどうなるか?

さて、上のニュースで思い出すのが年末の紅白歌合戦です。私自身は、ほとんど見なかったのですが、出だしと一番最後のスマップはみました。

昨年は、年末とはいっても、仕事の都合上普段通りに会社にでていました。夜6時過ぎにかえって、さて今年は、どうするかと思い、テレビのチャンネルをチエックしてみたのですが、年末恒例の何というかいわゆる、くだらないか、どうでも良い番組ばかりだったので、思いきってテレビを見るのはやめました。

そのかわり、何をしたかといえば、テレビを見るのとあまりかわりありませんが、AppleTVで、映画をレンタルして、ゆっくり見ました。どんな映画を見たかといえば、『阪急電鉄』という、阪急今津線沿線を舞台とした心あたたまるストーリーのものでした。これは、昨年放映されたばかりの新作で、まだご覧になっていないかたのためここでは、映画の紹介はしません。とにかく、良い映画なので、ぜひご覧になってください。


とは、いいながら、この映画を見る直前と、終わってからはテレビをみました。チャンネルを切り替えながらみましたが、その中で、紅白歌合戦も多少みました。印象に残っているのは、スマッフ゜だけです。


そのため、K-POPが出演しているところは、全く見ませんでした。きっと、日本てそうとうキャンペーンをしているから、それなりに視聴率もあがっているのだろうと思っていましたが、そうでなもいことが、年明けのテレビを見ていてわかりました。

結局、大トリを務めたSMAPが歌手別最高の48・2%を記録したことが分かりました。SMAPの最高視聴率は2年連続そうだそうです。番組の瞬間最高視聴率は49・7%で、大台50%超えはならなかったそうです。結局K-POPは比較的高い視聴率を獲得できたという程度にとどまったようです。

50%台に届かなかったのは、それこそ、私のような人も多かったからに違いありません。年末結局テレビをみなかったひとも多いのではないかと思います。このブログでも、良く掲載しているように、テレビ離れはどんどん進んでいるのだと思います。

視聴率のことも調べてみましたが、三冠王になるのと、ならないのとではCMの収入が300億円も異なるそうです。ただし、それも過去の話かもしれません。

なぜなら、日テレが三冠王になったのは、なにも日テレの視聴者が増えたということではなく、フジテレビの視聴者が大幅に減ったからだそうです。やはり、テレビそのものが、みられなくなっているということのようです。

それは、何も、統計資料をみなくてもわかりますね。私自身もそうですし、年があけてから、二十歳代の人に聴いてみたららみたら、特に一人暮らしらしの人は、テレビを見なかったなんていう人も結構いました。それに、これは、年が明けてから知ったのですが、大晦日には、NHKの本社近くで、K-POPスターを紅白歌合戦に出すなということで、抗議デモがあったそうです。

年末の夜にテレビを見なかった人が、何をしていたかといえば、私のように、家族で映画をみていたとか、一人でネットをみていたとか、音楽を聴いていたとか、様々です。一昔前の年末の、家族でテレビなんていう図式は成り立たなくなているようです。

まあ、私としては、最近のテレビはあまりに面白くないので、この傾向どんどん強まることは、既存のテレビ局への変革を迫るという意味で大賛成です。私は、このままであれば、この傾向はますます、つよまっていくと思います。

特に、公共の電波で、あれだけ韓流ドラマ、K-POPを流していたような放送局から、そうして、他の放送局にもこのような脅威が及んでいくとことは、必至であるとみています。

それから、このブログでも掲載したように、Googl+のハングアウトをテレビでも見れるようにしてもらい、そこで、様々な番組をオンデマンドで流してもらいたいものです。特に、私がハングアウトで見たいものは、結構内容の濃いもので、一度見たものを著名人や、識者、それも、中立の立場の人が、ハングアウトで複数人で解説しているようなものを見たいです。



これは、ハングアウトに実際に参加しなくても良いです。見ているだけでも、面白いものがたくさんあります。場合によって、こうしたハングアウトを録画して、それを既存のテレビ局で流すというのでも良いのではないかと思います。テレビ局が企画力を駆使して、こうしたハングアウトを企画して、放映するようにすれば、かなり面白いものができると思います。

それじゃ、今のテレビの討論番組などとあまり変わりないではないかと言われるかもしませんが、良く考えて見てください。ハングアウトでは、地理的な隔たりを完璧に超越しています。しかも、機材などもほとんどいりません。普通のパソコンで、Googleのアカウントさえ、あれば、どこからでも参加できます。世界各地から、思いも寄らない人が参加できるわけです。従来であれば、同等のことをしようと思った場合、とてつもない経費がかかったものと思います。

そうなれば、今まで考えられなかったような多彩な番組が出来上がるはずです。AKB48が新戦略として、Google+をプロモーションで使うことになったのもうなづけます。そんな、可能性すら追求せずに、面白くない番組や、韓流、K-POPばかり流すようなテレビ局は、努力が足りなすぎます。私は、韓流、K-POPの問題は、いわゆる、反日という意味合いだけではなく、根本的には、版権の安いものを安直に流すというというテレビ局側の安易な姿勢というものもあると思います。テレビ局自体が体質を変えて、既存のテレビを変えていただきたいものです。そういう路線を歩まなければ、既存のテレビも、今のラジオと同じようなメディアか、それ以下になってしまうと思います。そう、思っているのは私だけでしょうか?

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2012年1月4日水曜日

「野生の勘」によらない「創造的思考」のための4つのプロセス―【私の論評】イノベーションに不可欠な創造的思考は、ひらめき、思いつき、野生の勘によってではなく、体系的なプロセスから生まれる

「野生の勘」によらない「創造的思考」のための4つのプロセス:





クリエイティビティは「野生の勘」のように捉えられがちですが、実は、ロジカルなプロセスを経て生まれるものだそうです。

【私の論評】イノベーションに不可欠な創造的思考は、ひらめき、思いつき、野生の勘によってではなく、体系的なプロセスから生まれる

詳細は、上記の記事を御覧いただくものとして。まずは、上記の記事を読んでいただくものとして、いかに、上の記事の結論でもある、創造的思考のロジカルなプロセスを掲載します。

ちなみに、上記の記事では、後から訂正されるかもしれませんが、項目名が、「1.浸透」と「2.浸透」と同じになっていましたが、この記事の英語の元記事では、「2.incubation」となっていましたので、これは、単純な間違いだと思います。そのため、「2.孵化」と訂正しておきました。また、下の箇条書きで、( )の部分は、私が付加した内容です。これは皆さんに理解しやすくするため、該当する内容で自分が実際にやってみて効果があったものを掲載してみました。

1. 浸透

創造性を要するタスクが出たら、創造系タスクモードに切り替えてこれにどっぷり漬かり、研究する。

(とにかく、タスクに関することをインターネット、書籍、新聞、雑誌あるいは、人に聴いたり、あるいは、外にフィールドワークに行ったりして、徹底的に調べて、調べて、調べまくる。フィールドワークでは、当然のこととして、スマホなど携行して、写真や動画をとる。当然のこととして、スマホの位置情報は、使用するようにします。これは、後で思わぬときに役立ちます。この段階では、徹底的に時間を使い、短期間にさまざまなものを調べて、自分の頭にインプットする。 場合によっては、マインド・マップを作成したり、簡単なまとめ書きなどする。この時には、時間など無視しても良い、場合によっては徹夜などもしても良い。ただし、多くの人に見られるように、時間がないからといって、この時点ですぐにレポートをまとめようという人があまりに多すぎる、この時点で書いてしまえば、陳腐なものになるのは必定である。)


2. 孵化

右脳が創造的に思考できるよう、落ち着いた空間でじっくり考える。

(浸透の段階が終わったら、休憩をとる。タスクが小さなものであれば、1時間とか、数時間、タスクがかなり大きいものであれば、少なくとも、一晩ゆっくり寝て、場合によっては、数日休んでから、落ち着いてゆっくり考える。この時点では、調べ物は極力避ける。手持ちの材料で徹底的に考える。どうしても、足りない場合は、浸透が足りなかったものとみなし、再度、浸透プロセスに戻る。あまり休憩の時間をとれない場合は、その代わりにタスクとは、全く関係のない仕事などをして、とにかく、いったんタスクから完全に遠ざかって、その後にゆっくり落ち着いて考える。とにかく、考えまくる。)



3. 啓示

気分転換する。いつもデスクに向かっているなら、どこか外出しても良し。日常の環境から離れると「あ! そういうことか!」と、ふとひらめく瞬間に出会える。

(一度徹底的に考え抜いてみた後で、そこで、良いアイディアが出ようと出まいと、意図的に気分転換をする。外出して、カフェに行ったり、とにかく全く関係ないことをする。犬の散歩をしたりする。これが、仕事の都合上できない人は、あまり頭を使わない作業などをして、とにかく、いったんは、タスクのことを考えないようにする)



4. 検証

自分のインスピレーションを検証し、形作る。

(アイディアなどひらめいたら、とにかく、メモをするなり、先にマインド・マップを作成しているなら、付加したり、つくりなおしたりする。この時点での、ひらめきは、上記のプロセスを経ない「ひらめき、思いつき、野生の勘」とは異なり、有効であり、有用なものである。その後に、必ずレポートにまとめる。レポートには、グラフ、表、写真など用いる。また、レポートは、読み手に理解して行動してもらうために書くようにする。そうして、最終的には、効果的なプレゼンテーションも考える)


さて、創造的な思考は、上記のようなプロセスを経るということですが、無論、私もこの考えには賛成です。このブログでは、過去にも創造性に関する事柄を掲載したことがあります。その内容とも、一致するものだと思います。机にかじりついてばかりいても、フィールドワークと称して、とにかく、現場にばかり行っているというのも良くないです。また、とにかく、ただ考え続けるというのも良くないです。おおまかに言って、上記のようなプロセスを経る必要があると思います。このプロセスを経ずに、ただの思いつきや、しゃかりきに、とにかく闇雲に頑張るだけでは、創造的思考はできずに、陳腐な考えしか浮かびません。

さて、イノベーションには、創造的思考が不可欠と思います。イノベーションは、創造的思考や、その後の実行動さらに、その後の変化も含む概念です。創造的思考のみでは、イノベーションは達成できません。実行動があって、はじめて、できることです。ドラッカーは、イノベーションに関して、以下のように述べています。
イノベーションとは、思いつきや、ひらめきではない。それは、起業家に特有の道具であり、変化を機会として利用するための手段である。それは体系としてまとめ、学び、実践できるものである。
イノベーションが必然であって、大きな利益が必然である分野、すなわちイノベーションの機会が既に存在している分野において、単なる資源の最適化にとどまることほど、リスクの大きなことはない。したがって、論理的にいって、起業家精神こそ、最もリスクが小さな道である。
起業家精神にリスクが伴うのは、一般に、起業家とされている人たちの多くが、自分がしていることをよく理解していないからである。つまり方法論を持っていないのである。彼らは初歩的な原理を知らない。このことは、特にハイテクの起業家についていえる。そのため、特にハイテクによるイノベーションと起業家精神は、リスクが大きく困難なものとなっている。

さて、イノベーションとその基ともなる創造的思考には、どとらにも、プロセスがあり、方法論があるということです。 これを知らずに、ひらめき、思いつき、野生の勘などに頼る人は、自分では気付かずに、自分に対しても、組織に対しても、リスクをおかしているということです。

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2012年1月3日火曜日

グラフ:GoogleとAppleはスマートフォン戦争をこう勝った―【私の論評】脱ガラパゴス化の本当の知恵の絞りどころはここだ!!

グラフ:GoogleとAppleはスマートフォン戦争をこう勝った


たった一年でこれほど変わるものなのか。本誌の「2011年のテクノロジー界、11大ニュース」で、私はcomScoreの米国モバイル契約者数予測に基づいて上のグラフをまとめ、スマートフォン市場のシェアの劇的変化を図示した。AppleとGoogleのiPhoneとAndroid電話機を合わせたシェアは、2010年8月から2011年11月の18ヶ月たらずに、43.8%から75.6%へと伸びた。

同じ期間にRIMのBlackberryは37.6%から19.7%へと18ポイント近く減少した。Microsoftのモバイルシェアも10.8%から5.7%に半分近く縮小した。そして18ヶ月前にほぼ5%のシェアを持っていたPalmは、事実上消滅した(comScoreがシェアの報告をやめた)。

一年と少しの間に、AndroidとAppleが米国スマートフォン市場シェアの3/4を飲み込んだ。この期間に市場シェアを合計31.8ポイント伸ばした。さらにデータを掘り下げると、増加分の殆どが Androidのもので27.3ポイントを加えたのに対して、Appleは4.5ポイント増えただけだ。このAndroidの伸びが米国で減速しているという証拠がいくつかある(この速さは永久に続けられるものはない)。しかし、市場の支配がこれほど早く移り変わるという事実は(1年前はBlackberryがまだ米国最大のスマートフォンプラットフォームだった)実に驚くべきことだ。

シフトは起きる。そして今までにない速さで起きている。PC市場シェアがこれほど劇的に変化したことはいまだかつてなかった。



【私の論評】脱ガラパゴス化の本当の知恵の絞りどころはここだ!!

上の記事にもあるように、確かにアメリカでは、ブラックベリーが市場で一番の地位を占めていました。確かに、伸び率では、iPhoneが圧倒的でしたが、大方の見方では、いずれiPhoneもAndroidの伸びも収束し、ブラックベリーも市場でそれなりの地位は占めるだろうと考えていたものが、すっかり逆転してしまったということです。

ブラックベリーを持つ女性

さまざまなタイプのブラックベリー端末

このブラックベリーは、スマートフォンの先駆けということで、他の携帯電話などとは、異なり、ビジネスマンに人気の機種でした。しかし、上の画像を見てもわかるように、いくつものタイプをだしていましたが、共通するのは、すべて、キーボードが物理的であり、タッチパネル方式ではないということです。このような形状だと、どうしても画面を大きくするには限界があり、画面そのものは、小さくさぜるをえず、これも敗因の一つではないかと思います。

いくら打ちやすいとは言っても、写真や動画をみたり、電子書籍を見るには、ある程度の画面の大きさが必要です。それに、物理的キーボードとはいっても、キーボードは、小さいですから、打ちにくいことにはかわりありません。iPhoneは、小さなボディでありながら、タッチパネルという方式で、これを見事に解決しました。Androidも無論、最初から、タッチパネルでスタートしています。当初は、iPhoneとあまりかわりありませんでしたが、最近では、さらに大きな画面の製品もでてきています。iPhone5もおそらく、大きくなるに違いありません。

iPhoneのフリック入力の画面
また、最近では、iPhoneもAndroidも、日本語入力では、フリック入力が可能になっていますから、従来の携帯電話から比較すると格段に打ちやすくなりました。わたしなど、従来は、携帯電話でのメールなど面倒くさいので滅多に打たなかったのですが、最近では、フリック入力でtwitterや、Facebookなど結構打つようになりました。とても、従来の携帯電話など使う気になれません。最近では、さすがに、長文は打ちませんが、短いメモなど、iPhoneで打つようになりました。従来の携帯電話や、Blackberryではできないことです。

それから、私自身は、ブラックベリーを使ったことがないのでわかりませんが、やはり、iPhoneや、Androidでは当たり前になっているアプリが、ブラックベリーでは、対応が遅れたようです。現在、blackberry App World 3.1が存在していますが、まだまだ、種類が少ないようです。RIM社がアプリを提供し始めたのは、2009年4月1日からで、しかも、当初は米国、英国、カナダ向けとする対応でした。2010年6月より日本でも無料版の提供が開始された。これでは、iPhoneや、Androidなどから、比較するとかなりの遅れです。やはり、これらのこと、さらには、ビジネスマン向けということで、比較的高い価格設定であることが、災いしたのだと思います。

ブラックベリーは、ページャー(ポケベル)にメール機能がついたものから始まったと思いますが、一時は、今はすっかり姿を消した、PDA(携帯情報端末)と同じようなものとみられていた時期もありました。現在では、PDAがすっかり姿を消しましたが、ブラックベリーもその仲間入りをしかけているということだと思います。

日本では、インターネットも閲覧でき、メールも発信できる高機能携帯電話が普及してしまったので、PDAはあまり普及はしませんでした。日本では、いわゆる電子手帳と呼ばれるものの発展系が、PDAという感じだったと思います。アメリカでは、高機能携帯電話はなく、携帯電話はあくまでも、電話という扱いのものがほとんどだったので、PDAがかなり売れていた時期がありました。今考えてみると、これに電話機能をつければ、立派なスマホだったと思います。

最新型のPDAを持つ女性

ちなみに、下の写真は、PDAの最終型ともいえる製品であり、これは、形だけみていると、今のスマホのようです。日本では、一部のガジエット好きの人々が購入しただけで、高機能携帯電話のようには普及しませんでした。

PDA(携帯情報端末、Personal Digital Assistant)
私は、カシオのPDAを使っていたことがあります。その頃、ノートパソコン用の通信手段として、AirH(エア・エッジ)というPHSの通信カードを使っていたので、自宅ではノートパソコン通信カードを装着して使用し、外出時は、PDAに装着して使用というような使い方をしていました。外出時には、無論他に携帯電話を持って歩いていました。当時でも、インターネット閲覧、メール、カレンダー等基本的な機能はついていましたが、結局、音楽が聴けるわけでもなく、写真撮影もできず、あまり役に立つ代物ではありませんでした。そうして、このPDSも1年くらいで、使うのをやめてしまいました。なぜなら、高機能携帯電話を持って歩いていれば、用が足りるようになったため、わざわざ、PDAを持って歩く必要性がなくなったからです。

今考えてみると、iPhoneはまさに、こうしたPDAと携帯電話をいっしょにしたものと言うことだと思います。同じく通信機能をもっていながら、電話と、PDSの両方を持って歩くという矛盾を解消したものだと思います。をただし、そのままであれば、他の携帯電話とたいして変わらず、あまり普及しなかったかもしれません。やはり、最初からiTunesによる音楽配信や、アプリ、電子書籍販売などのプラットフォームへの入り口という位置づけがあったから成功したに違いありません。これに比較すると、PDAは結局、小型低機能パソコンの域を出なかったため、姿を消したのだと思います。

そういわれでみれば、従来は、PDA専用サイトとか、携帯電話専用サイトというのがありましたね。私の場合は、確かPDAでも、携帯電話でも、通常のサイトも見れたのですが、携帯電話で見ると、画面が小さすぎて字も小さすぎて何がなにやらわからないという状況だったので、滅多に見たことがありません。PDAでも結局同じような状況だったと思います。ところが、iPhoneを使うようになってから、タッチパネルで拡大して見れるようになったので、iPhoneでは、普通にサイトを見ています。スマホ用のサイトはほとんど見ません。そんなこともあったのでこのブログでは、従来、スマホ用の画面も提供したのですが、すぐにやめてしまいました。

Blackberryも、他のPDAも後からは、こうしたプラットフォームを提供しようと試みたのですが、その時期には、すでに、iPhoneや、Android向けのものが幅も奥行きも充実していたし、それに、最初からプラットフォームを意図して作られたもののほうが、格段に使いやすかったため、これに追いつくことができなかったのだと思います。私が一番最後に購入したガラケーは、ソフトバンクのTシリーズでした。型番は忘れてしまいましたが、iTunesの音楽を聴くことができるものでした。ただし、ミニSDカードでパソコンからダウンロードするという形式のものでした。最初は、面白かったので携帯電話で、聴いていましたが、結局は面倒なので、聴かなくなりました。いまだと、iPhoneでは、直接ダウンロードして結構聴くようになっています。やはり、プラットフォームに直接結びついているというのが大事なのだと思います。


コスプレ好きの女の子のAndroid携帯による自分撮り画像
さて、iPhone、Androidともに、Blackberryの欠点を克服したて成功していることは、その後の売れ行きをみても、はっきりしていると思います。

では、Androidと、iPhoneはどうかといえば、今のところ、かなり拮抗していると思います。スマホでは、Appleが先鞭をつけたのですが、Androisもかなり頑張り、機能では先を行っていました。AppleがiOS4までは、機能的には、Androidが進んでいるということができましたが、iOS5になってからは、ほぼ同等になりました。

たとえば、iPhoneでは、必ずパソコンのiTunesと同期しなくてはならなかったのが、iOS5ではじて、単体で使えるようになりました。その他、変更点もいろいろいありましたが、それらは、すでにAndroidにはあった機能でした。

ただし、iPhoneは機能的には同等となったとはいうものの、やはり、先行していただけに、まだまだ、アプリなどが豊富です。Andoroidは、アプリがまだ充実していないものの、Blackberryよりは、はるかに充実していますし、いくつもの会社が競い合うように作っているので、さまざまな機種がありますが、Appleは、最新機種では、Apple4sのみです。

だからこそ、両者は、まだ、拮抗しており、なかなか勝負がつかないのだと思います。

iPhoneによる自分撮り画像
ガラケーによる自分摂り画像
さて、日本のガラパゴス携帯は一体どうなるのでしよう。一般にガラケーと呼ばれていますが、その定義は、日本の第2世代携帯電話は独自の通信方式を採用したため、ネット接続、カメラ、電子マネーなど最先端の機能を持ちながら、海外市場では通用しませんでした。そのため、ガラパゴス携帯と呼ばれるようになりました。ブラックベリーなどは、日本市場に進出しても、あまり売れず、ほとんど影響はなかったのですが、最近になって、アップルの「iPhone」、「Android Phone」など高機能のスマートフォンが日本市場にも進出。国際競争力に乏しい日本のケータイは「脱ガラパゴス化」を迫られています。

脱ガラパゴス化するためには、日本のメーカーも、国際共通規格の通信方式などの携帯を開発する必要がありますが、iPhoneはアップル社の独自の商品なので、開発することはできないですから、結局は、Androidを開発することになると思います。

しかし、Androidは所詮Googlの提供する共通規格であることから、それだけでは、何らの差別化も実施できません。そうはいいながら、最近発売されているガラスマホとも呼ばれる、アンドロイドのスマホでありながら、日本のガラケーのような独自の機能をつけるという方式では、結局ガラケーから抜け出せないと思います。

では、どうすれば良いのかといえば、やはり、アップルや、Googleなどがやっているように、独自のプラットフォームを作り出し、それに最適でありながら、やはり、基本的にはAndroidといったものを開発するべきです。おそらく、それ以外に大成功する道はないと思います。


そうして、これで成功した企業と、成功しそうな企業がすでにあります。すでに、成功した企業としては、これは、携帯電話ではありませんが、Andoid タブレットで成功しています。それは、無論、AmazonのKindle Fireです。成功しそうな企業としては、今年、ユーザーで、Buffyという名称のAndroid携帯をユーザーに無料で配布しようとしている、Facebookです。

Buffyには、Facebookのロゴがつく

ちなみに、アメリカでは、すでに、タブレット端末は、iPadと、Kindle Fireで二分され、その他の端末は、その他大勢になっていることは、このブログでも掲載したことがあります。皆さんも、おわかりのように、アマゾンは、巨大な物販サイトといういうプラットフォームを持っています。Facebookは無論のこと、世界最大のSNSという巨大プラットフォームです。

このようなプラットフォームに最適な端末を開発することが、おそらく、大成功につながるのではないかと思います。そんなことは、もうできないなどとおっしゃる方もたくさんいらっしゃるかもしれません。

しかし、日本においては、そんなことはないと思います。たとえば、アニメはいかがですか?アニメを見ることに特化した、プラットフォームを構築し、そのプラットフォームに最適のAndroid端末を開発するというのはいかがですか?そうして、プラットフォームには、日本のアニメだけではなく、世界中のアニメを含めるなんていかがですか?

渋谷のかわいい系のファッションのプラットフォームなどいかがですか?これには、世界中で派生している各国のかわいい系も含めてはいかがですか?このこのプラットフォームに最適のAndroid端末なんていかがですか?

以上では、ほんの思いつきをあげただけですが、日本が独壇場のことや、日本が世界一のものなど、まだまだ探せはたくさんあると思います。これらを利用しない手はないと思います。ただの変わったAndroid端末をつくるだけなら、これからは、ほとんど売れないし、売れたとしても、利益がほとんどないと思います。

そんなことでは、せっかく、スマホを開発したとしても、素材を提供する素材産業とあまり変わりがないことになってしまいます。ここが、脱ガラパゴス化の本当の知恵の絞りどころだと思います。

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2012年1月2日月曜日

年越しのお札が過去最高の83兆9968億円―【私の論評】今年の景気は?

年越しのお札が過去最高の83兆9968億円:


人々の財布や家庭の「たんす預金」、企業の金庫などで年を越したお札(日銀券)の合計が過去最高の83兆9968億円になった。昨年より2%増え、過去最高になるのは2年連続。日本銀行が2011年12月30日に発表した。

続きは「J-CASTニュース」へ

【私の論評】今年の景気は?

皆さん明けましておめでとうございます。昨年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いします。

何をいまさらという方もいらっしやるかもしれません。昨日は、年明けそうそうビッグニュースが入ってきたので、そのことを掲載させていただきました。そのため、挨拶のことばをすっかり忘れていましたので、本日ゆっくりさせていただきました。

本日は、掲載させていただく内容も、新春にふさわしい、肩の凝らないものにさせていただきます。

上の、J-CASTニュースの内容、すごいですね。確か、新年度の予算は、90兆円台ですから、日本では、皆さんが、1年間の予算に匹敵するほどの箪笥預金などなさっているということです。

それも、2年連続ということですから、こいつは、年初から、ずいぶん景気の良い話だと思います。昨年は、デフレと、震災というこで、あまり明るい話題がなかったので、今年は、年明けから明るくいきたいものです。

さて、上の記事も景気の良さを予感させるものでしたが、本日は他にもこのような予感が感じられる内容を掲載させていただきます。


まずは、何といっても、私の一番身近なことでいうと、昨年末の宅配ピザテンフォーのクリスマス商戦でした。

何と、昨年のクリスマス商戦、過去最高の売上を記録することができました。この期間は、混雑するので、お客様にはご予約間をおすすめしていますが、その予約数も過去最高でした。その予感はしていたのですが、やはり、実際にそうなったことには驚きました。

世の中少しずつではありますが、景気が回復しているのを実感できました。この期間にご利用されました、お客様、本当に有難うございます。ただし、ふたをあけてみると、予想をはるかに上回る空前の注文数であり、人員など例年にも増して、大増員して、この時期に臨ませていただいたのではありますが、それでもどうしても、いたらず、残念ながら一部のお客さまには、遅配などがあり、ご迷惑をおかけしたこと、お詫びさせていただきます。

さて、昨年のことでいうと、これもあげておかなければならないと思いますが、実は、日本の一人当たりの名目GDPが過去最高になっています。


2011年12月26日、内閣府の発表で、2010年の日本の国民1人当たり名目GDP(国内総生産/ドル換算)が世界14位につけたことがわかりました。2009年比で2つ順位を上げ、かつ過去最高額を記録しました。

経済協力開発機構(OECD)に加盟する34カ国のデータで、日本は前年上位のドイツやフランスを上回り、4万2983ドルでした。1位はルクセンブルクの10万5313ドル。米国が8位で4万6588ドル。中国は4430ドルでした。

日本が順位を上げた背景には、円高によるドル換算額が上昇したことがあるそうです。理由はなんであれ、GDPが過去最高になったことは喜ばしいことだと思います。円高であろうと、なんであろうと、この現象は最近では日本だけのことであり、他国にはみられない現象です。

円高に関しては、政治家でも、マスコミでも、まるで悪の根源であるかのようにいうばかりですが、確かに、急激な円高は悪いことではありますが、円高自体は、悪いことではありません。財政破綻するような国は、通貨がとてつもなく安くなりますが、日本は、そんなこともなく、円高ということは、財政破綻などしそうもありません。

それに、円高であれば、海外から輸入するものは、安くなるわけですから、この面では良いことです。それに、日本は、貿易立国であり、輸出産業がすべてのような言い方をする人がいますが、これは、完璧に間違いです。輸出が日本のGDPに占める割合は、16%前後(中国、ドイツなどは40%以上、世界でこの比率が日本より低い国はアメリカだけです)にすぎません。だから日本における、輸出産業は日本国内では少数派です。

日本は、あくまで、人口1億人2千万以上(ちなみにロシアは、1億4千万人、中国や、インドのように人口の多い国は例外中の例外です)の人々による内需大国なのです。であれば、円高は、悪影響ばかりではありません。むしろ良い影響も多々あります。

ほかにもまだまだありますが、次は、わが国の平成22年度対外純資産残高(統計としては最新)は、251兆4,950億円でした。これは、何のことやらよくわからないと人もいると思いますが、要するに日本が外国に貸しつけているお金から、借りているお金を差し引いた額です。要するに、日本が外国に貸し付けているお金の金額(無論、借金を差し引いて純粋に日本が貸し付けている金額)です。そうして、この額は、過去20年以上にわたって、世界一です。要するに、日本は、過去20年以上にわたって外国にお金を貸し付けている金額では、世界第1位であり続けたということです。


これに関しては、詳細は、財務省の以下のURLを御覧になってください。

http://www.mof.go.jp/international_policy/reference/iip/22_g.htm

ちなみに、これに関しても一作年の数字であり、円建ての数字ですから、これも、先のGDPと同じ理屈で、23年の数字では、当然円高の影響でさらに大きくなっていることでしょう。

さて、国の経済的富を最近は、もっぱらGDPではかることが多いですが、これには、私はかなり疑問を感じます。

たとえば、下水道、道路、港湾、空港などのインラフが整っていない、国は、これらを新たに設置そるため当然GDPは高くなります。しかし、先進国においては、これらは、すでに整っており、せいぜい補修したり、新たにつくるにしても、必要のないインフラを整備する必要はないので、たまにしかつくらないことになります。そうすると、当然GDPは低くなります。世界で最も豊である国であるアメリカだって、一人あたりのGDPということでみると、世界第8位の水準です。

ある程度成熟化した国の場合、GDPだけで比較して、それが低いからといって、貧乏な国とみなすのは、はなはだしい不見識であると思います。

そこで、国民一人当たりの資産ということで比較してみます。

それが、以下のグラフと表です。


これは、昨日掲載したばかりですが、本日の話題とも関係が深いので、再掲しました。日本の国民一人当たりの資産が、リーマンショッグの2008年に日本でも、目減りしたのですが、それにしても、目減り幅が小さかったので、何と世界一になってしまったということです。

そうはいっても、これは、野田さんの国会での演説じゃありませんが、赤ん坊一人まで含めての全国民の平均値ということになりますから、これを実感できない人もかなり多いと思います。特に、日本では、高齢者の方々に資産をかなり持っている人が多いという状況にあります。

そうはいっても、あのリーマンショックのときに、他国の人々が資産をかなり目減りさせていいたときに、世界一の水準だったとは、すごいことだとは思いませんか?世の中デフレということで、とにかく、不景気が続き、業績不振の会社もかなりあります。それに、消費税増税によるデフレのさらなる加速も懸念されます。しかし、今年はすくなくとも、前半には、増税されることはありません。であれは、前半では景気がよくなることはあっても、少なくとも悪くなる材料はほとんどないとみてよいと思います。

私自身としては、もっとも良いのは、増税の時期が延びて、14年の秋くらいになればよいと思います。そうして、その頃には、日本の景気が随分良くなり、税収も増える見込みがたち、また、しばらく増税の時期を見合わせることになれば良いと思います。そうして、短くても3年、長ければ、5年、その状態を続けて、明からにインフレ傾向になれば、それを防ぐために、増税するというのが、もっとも理想的なシナリオだと思います。それより、早い時期の増税は、全くもって下策中の下策といわざるをえません。

この最良のシナリオが成就すれば、昨日も述べたように、平成14年あたりから、日本の景気はかなり良くなる兆候があらわれ、その頃には、他の国の経済が悪くなり、過去の日本の道をたどり(バランス・シート不況、デフレなど)日本のみが良く、しかも、長期のデフレで培われてきたノウハウなどから、経済面でのトップランナーになることも十分あり得ます。

さて、以上の話は、昨年や、数年前の事柄でしたが、直近ではどうであったかといえば、やはり、初売りの話しは欠かせないと思いますので、以下にそれを掲載します。

全国の百貨店や商店街で2日、初売りがあり、店内には福袋やセール品を求める人たちの熱気があふれました。家で過ごしたり身近な人とのつながりを大切にしたりする風潮をうけ、各店は節電を助ける温かい衣類や、特別な思い出が残る体験型の福袋を充実させました。


仙台市の百貨店・藤崎では、午前6時前から行列ができ、7時45分の開店時は1万人が並びました。例年より2割ほど多い人出で、営業企画部の千葉拓課長は「良い年にしたい、福を呼びたいという気持ちの表れではないでしょうか」と喜んでいました。

福袋には、移動できる簡易住宅のトレーラーハウスが登場。600万円の日本製と400万円の米国製があり、通常より150万円ほど安いそうです。宮城県石巻市の飲食業石森義信さん(61)は震災後、倉庫でスポーツ用品店も始めました。「建築制限がかかっていて店を建てられない。これなら動かせる」と申し込んでいたそうです。


関西の百貨店など主な商業施設であった2日の初売りは、JR大阪駅のルクアやJR天王寺駅前のキューズモールといった昨春開業した施設が記録的な集客力をみせました。相乗効果で百貨店も売り上げを伸ばし、福袋やセール品を買い求める客の様子は「不景気」を吹き飛ばす勢いでした。

ルクアの来館者数は、閉店3時間前の同日午後6時の段階で、開業時(昨年5月4日)に達成した最多記録23万人に並んだそうです。アパレル専門店など6店で入場を規制。危険防止のためエスカレーターも一時止めたそうです。

キューズモールの売り上げは昨年4月26日の開業日を超える過去最高のペース。衣料品で「SHIBUYA(シブヤ)109」のブランドを集めたスペースは午前11時から午後6時まで入場を規制しました。

キューズモールに隣接する近鉄百貨店阿倍野本店は、売り上げが前年を超える勢いでした。「キューズモールができて阿倍野に人が増えたことが大きい」(広報)。大丸梅田店も一日の来客数では過去最高の27万人を記録し、売り上げは昨年の初売りに比べ7割増でした。ルクアと向かい合うJR大阪三越伊勢丹も開業の5月4日並みの売上高を記録しているそうです。

他の百貨店や、商店街の初売りのニュースなどにもあたってみましたが、多くのところで、例年より多い人出であったようで、これも、今年の景気の良さを予感させるものだと思います。

いずれにしても、上の数字などを御覧になれば、デフレであろうと何であろうと、経済的にのみ見ても、いかに日本が可能性に満ちた国であるかおわかりになると思います。無論経済以外にも日本のすばらしいことや、世界一の分野などたくさんあります。それに関しては、過去のこのブログの記事にも掲載したことがありますし、また、これからもおりをみて掲載して生きたいと思います。

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2012年1月1日日曜日

【本人確定】オウム真理教・平田信容疑者が警視庁に出頭 / ネットの声「これで尊師の死刑延長決定か」―【私の論評】社会変革を実現するためには、 私達自身が、責任ある、真の自由を希求し、それを定着し、さらに醸成していかなければならない!!

【本人確定】オウム真理教・平田信容疑者が警視庁に出頭 / ネットの声「これで尊師の死刑延長決定か」:

オウム真理教による目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件に関係していたとして、全国に特別手配されていた平田信容疑者が警視庁に出頭し、指紋チェックにて本人と確定された。2011年12月31日23時50分ごろに出頭し、その情報がテレビのニュース速報で流れるとインターネット上で大きな話題となった。

平田容疑者は実行犯グループのメンバーとして事件にかかわり、警察は十数年間ずっと平田容疑者を追い続けていた。どうして今になって出頭したのか不明だが、本人と断定された以上は警察が徹底した捜査を進めていくはずなので、まだ捕まっていないメンバーらの逮捕へと繋がる可能性もある。

とにかく、新年早々に報じられた衝撃的すぎるこのニュース。2012年1月のマスコミは、このニュースで持ちきりになりそうである。平田容疑者の出頭に対してインターネットユーザーらは、以下のような意見を寄せている。



・インターネットユーザーの声

「そもそも何年も何処に潜伏していたんだ?」

「こいつの裁判が終わるまで麻原の死刑は執行できなくなる」

「これで尊師の死刑延長決定か」

「平田の裁判終わったら次の奴が出頭か」

「麻原の寿命まで1人ずつ出てくるんだろうな。時効がなくなったことを利用されてる」

「オウムの特集やってくれねえかな。当時のことよく知らないし」

「このタイミング、北朝鮮の体制変更が影響してるとか考えちゃうよなー」

「主要な犯人の裁判が終わって麻原の死刑が執行されるのを妨害する為でしょ」

「とっくに国外逃亡したって言われてたけど結局国内にいたのか?」

「マハーポーシャのPCは激安だったんだろ」

「ピングドラムみて愛に目覚めたんだろう」

「シビれるだろう?」



ほかにもインターネットユーザーの声として、「なんかオウムってまだ終わってないような気がする。あれだけの事件引き起こした組織が終わるわけない。近いうちにオウムによる大きな犯罪が行われるような気がしてならん」という意見も出ている。

さらに、今回の出頭が麻原彰晃(本名・松本智津夫)の死刑執行を遅らせることになると考えている人もいて、「これで麻原の死刑執行が遅れますね。平田の刑確定まで……、そうですね逃走経緯も含めて最低でも5年はかかるでしょう。すなわち5年間は麻原の死刑はないです」という声も出ている。

また、地下鉄サリン事件をイメージさせるストーリー展開があるテレビアニメ『輪るピングドラム』に影響を受けて出頭したのではないかという声も多数出ているが、その当たりに関しては不明である。

参照元: オウム真理教関係特別手配被疑者

【私の論評】社会変革を実現するためには、 私達自身が、責任ある真の自由を希求し、それを定着し、さらに醸成していかなければならない!!



皆さん、明けましておめでとうございます。昨年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いします。ということで、例年だと、この挨拶をしてから、というのが普通でしたが、今年は、年明け早々上記のようなビッグ・ニュースが流れてきました。

上記の出来事は、例年の年末年始に比較して、近年にはない出来事だと思います。年末年始ということもあり、ニュースを見る暇がなく、知らない人も多いのではないかと思います。さてこの出来事、皆さんは、どのようにお感じになられたことでしょう。私自身は、現代の世相を表象するような出来事に思えてなりません。昨日このニュースに接して、元旦のブログはこれにしようと決めました。

ただし、このブログでは、オウム真理教事件をさかのぼり詳細にわたって、その内容を論じるようなことはしません。また、平田容疑者が出頭してきたわけを詮索するようなこともしません。それは、他のサイトに譲りたいと思います。

それよりも、もっと根本的な、なせオウム真理教信者、特にいわゆるこのカルト宗教の幹部だった人たちが、いわゆる高学歴で世間一般的には、有名大学や大学院を卒業して、優秀だとされる人々であったにもかかわらず、あのような愚行をおかしてしまったかについて焦点を当てたいと思います。それから、以下の論考は、ドラッカー氏の影響をかなり受けたものになっています。ただし、このブログを書くにあたっては、ドラッカーの書籍から直接引用はしていません。今回は、読みやすくするため、従来のように、ドラッカーの考えたことと、私自身が考えたことを明確に区分することはしませんので、予めご承知おきください。

このニュースに接して、新年が明けて朝目覚めてから、このニュースに関するサイトでの反応などを閲覧したついでに、他のサイトも閲覧していたところ、このブログでもときおり掲載する、富裕層向けのサイトである、YUKASSE MEDIAの【今日の名言】というコラムを見ると以下のような内容が掲載されていました。

俳優 山本太郎
タイトル:【きょうの名言】社会を変えるには、まずは勉強しかない
俳優、山本太郎さんの突然の転身には、びっくりした人も多いことだろう。「収入は10分の1に減った」と本人は語っているのだが、それでも反原発を訴えていきたいという。有名人だからこそ、その活動の影響は大きく、功罪の両方がありそうだ。
@koichi1741さんがツイートする。
  「もし中高生が、山本太郎や瓦礫受け入れ反対脅迫のようにとりあえずわーわー叫んでおけば社会を変えられる、と思うようになったら、こんなに社会的損失はない。社会を変えるには、まずは勉強しかない」
  山本さんは「誰かが声をあげなければいけない」と語っている。もちろん、そうした活動をきっかけに何十年後かに、世の中が良くなっているかもしれない。
  しかし、法律制度、慣例など様々な物を変えるのは、山本さんのような運動家ではない。それに携わる人々だ。
まずは、そうした中枢に入ることが大切。だからこそ、中高生が今できることは、勉強するしかないのである。
私は、@koichi1741さんの言っていることは、良くわかりますし、そのとおりだと思います。そうして、平田信も山本太郎さんも、精神性においては、同一次元にあるのではないかと思います。ただし、上記の名言だけだと、誤解を招くことも考えられるので、以下に若干説明を加えます。

まずは、誤解をさけるために掲載しますが、無論山本太郎と、平田信の間には、一般市民と犯罪者という深い溝があることはいうまでもありません。山本さんは、確かに、風変わりな行動ではありますが、ぎりぎりで法律をおかすこともなく、一定のルールーの枠内での「わーわー叫んで」いるだけですが、、平田信は、犯罪者であり、「叫ぶ」どころか、それをはるかに逸脱して、人殺しまでやっています。これは、まずは、厳密に区別しなければならないでしょう。

しかし、共通点もあります。それは、社会を変えのは、上記のよう山本さんのような運動家でもないし、平田のようなカルト宗教信者でもないということです。それは、様々な分野に存在する実務家であるということです。

話は変わりますが、20世紀における、最悪の出来事は、全体主義の興隆と破綻でした。これによって、多くの国々におびただしい犠牲者がでました。

まさに声をあげて既存の社会を否定しているだけでは何にもならないのです。いや、それだけでは危険でもあるのです。そうして、私達は、その危険を過去に経験しています。それが全体主義です。

かつて、世界(1930年前後)は、経済的自由によって平等を実現できなかったために、ブルジョア資本主義はそのもたらした物質的恩恵にもかかわらず、プロレタリアだけでなく、経済的、社会的に大きな恩恵を受けた中流階級の間でさえ、社会制度としての信用を失いました。アメリカ発の金融恐慌は、それを決定づけました。

生産手段を人民のものにするというマルクス社会主義の処方もブルジョア資本主義と同様、約束した平等は実現できませんでした。しかも両者は、経済を中心に置く経済至上主義でしたた。

ヒトラー(右)とムッソリーニ(左)

 当時、経済至上主義たるブルジョア資本主義とマルクス社会主義に代わるものとしての脱経済至上主義は、ファシズム全体主義しかありませんでした。そうして、ドイツ、イタリアも、当時のソ連も、全体主義の道を歩みました。

スターリン

一方、これは、当時の日本の状況にも驚くほど類似しています。たとえば、なぜ独伊か、というときに、全体主義国家では、民主主義を自ら勝ち取った経験がなく、むしろ国家統一に対する成功経験の方が記憶されていました。日本もまったく同様でした。

当時の日本には、全体主義には、戦争・恐慌という混乱に対して、安定と秩序を提供する、という意義があったと考えます。そうした、意義が無ければそのような体制は現出しなかったことでしょう。また、当時の日本には、日露戦争に勝利した経験がありましたし、この戦争の大儀名分である、列強からのアジアの開放というものもありました。それを実施するためには、当時の貧乏な日本では、全体主義的政策をとらざをえなかったというのも、事実です。

人間は、自由と安定を求めます。虚無的な人間は、いずれかの選択を迫られた場合、自由を捨てでも、安定を求めます。そうして、そのような人間は、既存の社会の否定をこわだかに叫ぶのみで、建設的なことはいわず、結局全体主義に呑み込まれてしまったのです。 大衆は、自由を失ってでも、社会全体をひとつの有機体と捕らえ安定と秩序を与える全体主義に走ったのです。 

 今日の私たちも実は、当時の人々と変わらず虚無的なのかもしれません。これには時代的背景もあるものと思います。それは、今日、私たちの個人的自由がかなり認められているので、自由の本来の意味を見失っており、本質的にはさらに、虚無的になっているかもしれません。

そもそも、本当の意味での自由とは本来楽しいものではありません。幸福、安心、平和、進歩のいずれでもありません。それは選択の責任です。とどのつまり楽しいどころか重荷なのです。それは、自らの行動と社会の行動にかかわる選択の責任なのです。こうした責任を放棄した多くの人々が、当時のドイツ、イタリア、ソビエトなどで、結局全体主義を招いてしまいました。 そしてこの全体主義の特徴として、軍需生産は、完全雇用を提供するための手段として膨張すること、それを正当化するために、戦争を至善のものとして位置づけること、これらの秩序に敵対する宗教やブルジョア、その象徴としてのユダヤはが迫害されることとなったのです。

しかし、現在のように、ファシズム全体主義という逃げ場さえ用意されていないとき、社会から疎外された者、無気力な者、虚無的な者はどこへ行くのでしょうか。そうして、かつて、行き過ぎを懸念されていた、日本の会社主義も消え去ったばかりの、1980年代の日本において、オウム真理教がひきおこしたあの一連の事件は、社会の病の劇症としてとらえるのが正しい見方であると思います。


上九一色村サティアンに突入する機動隊員
当時の日本は、コミュニティーも影をひそめ、会社主義も消え去り、一人ひとりの人間は、その存在の意味を受け入れることも自らの存在に結びつけることもできない巨大な機構の中で孤立するようになったのです。社会は、共通の目的によって結びつけられたコミュニティーではなくなり、目的のない孤立した分子からなる混沌たる群集となったのです。だからこそ、オウム真理教は、信者にとっては、自由はないものの、安定を与える存在でもあったように見えたのです。だからこそ、あの事件が発生したのであり、ある意味必然であったのかもしれません。

しかし、私は、企業や、政府、その他あるゆる組織をして高度の成果をあげさせることが、自由と尊厳を守る唯一の方策であると思います。その組織に成果をあげさせるものがマネジメントであり、マネジャーの力です。成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てなのです。

そもそも社会に存在する組織とは、社会に貢献しているがゆえに「社会に存在することを許されている」存在です。したがって組織の存在意義は社会への貢献です。ただし、それは企活動を通しての貢献です。民間非営利企業も、営利企業も、その使命をまっとうするために、存在しなければなりません。営利企業の利益は、そうした活動を行うための手段にすぎません。

そこで決定的に重要となるのが、マーケティングとイノベーションです。ただし、ここでいうマーケティングとは、単なる市場調査ではありません。それは、顧客を理解することであり、顧客を出発点とする思想です。したがって、マーケティングが重要となるのは企業だけではない。公的機関もNPOも、顧客(行政であれば「住民」)から出発するのが基本なのです。

一方のイノベーションも、未だ誤解の多い概念です。単なる発明や技術革新そのものが、イノベーションなのではありません。それは、経済や社会にもたらされる変化であり、新たな価値の創造です。そのためには、古いもの、陳腐化したものを計画的・体系的に捨て、変化を機会として捉えなければなりません。イノベーションにおいては「既存のものはすべて陳腐化する」という見方をしなければなりません。

そうして、今後、全体主義へ至る道を遮断し、第二、第三のオウム真理教のようなカルト集団が犯罪をひきおこすことを阻止するためにも、私たちの社会に多元的組織の存在を許し、ただし多元的でありながらも、大きな方向性としては、一つの社会として束ねていくシステムが必要であり、今後の私達の課題でもあるのです。

そうして、山本さんのように、ただ既存のシステムを否定するだけの人間は、社会を変える原動力とはなりえず、最悪の場合は全体主義を増長する役割しか果たしえないです。また、平田信のような人間は、既存のシステムを否定するだけではなく、既存のシステムの破壊、そのシステムを動かす人々の破壊、すなわち、殺人にまで手を染めたということです。そうして、オウム真理教むろんのこと、国家と比較すれば、小さな組織ではありますが、全体主義の推進機関だったのです。

既存のシステムを否定するだけ、あるいは、既存のシステムを壊すだけの人間は、社会変革の担い手にはなりえないことはおわかりになったと思います。その担い手になるのは、上でも述べたように、どの分野であれ、 成果をあげる責任あるマネジメントであり、真の意味のマーケティングと、イノベーションを実施するものです。これこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てなのです。

そうして、それぞれの分野でのマネジメントたるには、 @koichi1741さんがツイートしていたように、ワーワー叫ぶだけではなく、まずは、勉強をしなければならないのです。特に、中高生はそうです。ただし、勉強するとはいっても、個別具体的な細かな具体的な知識を詰め込むのではなく、上記のような背景を知った上で、大きな枠組みを知って、知っているだけではなく、それを改善・改革するために、アウトプットができる状態にならなればならないということです。

それに、 @koichi1741さん、は中枢に入らなければならないとしていますが、ここでは、中枢とはどういう意味なのかと考えると、何も、国の中枢とか、企業の中枢部に入ることだけではないと思います。国の中枢とか、企業の中枢ということであれば、そこに入れない大多数の人にとっては、社会変革など無縁のものということになります。しかし決してそのようなことはありません。具体的には、変革・改革の現場ということだと思います。それは、社会に存続を許されているあゆる大小の組織の中に無数に存在します。その組織では、マーケティングや、イノベーションの機会が無限に待ちうけているのです。だから、自分のできることで、他の人にはできなくて、自分がやれば、社会に貢献できる場があれば、それがべストの場であり、中枢だということです。

社会で存立を許されているその場で、できる限りのマーケティングと、イノベーションを実施することにより、私達は、全体主義におちいらず、上記の厳密な意味での自由でいられるのです。日々多くの人が、社会のために、現場で努力していることこそが、全体主義におちいることを防いでいるのだと思います。

そうして、こうした努力の延長線上に、先にいった、 多元的的組織の存在を許し、ただし多元的でありながらも、大きな方向性としては、一つの社会として束ねていくシステムの構築をめざさなければならないのです。そうして、そのシステムとしては、まだまだ、世界レベルなどという遠大なものではなく、まず最初は、職場から、地域のコミュニティーから、そうして、市町村の単位から、そうして、都道府県の単位、そうして、最大でもまずは、国家単位ということが重要になってくるでしょう。

世界単位のシステムは、残念ながら、まだまだ相当先の話になることでしょう。私達が生きている時代には、無理かもしれません。なぜなら、200年前にカントが国民国家の消滅を宣言し、20世紀に入ってからも、アメリカの知性がそれを予言したにもかかわらず、残念ながら今の世界の平和は、まだ、世界の強国のパワーオブバランスによって成り立っているという厳然たる事実があるからです。今の段階で、世界市民などということをのたまうような連中は、現実を理解できない単なる馬鹿者に過ぎません。まずは、もっ身近なところから、システムを構築していかなければなりません。

先にも述べた、声高に叫ぶという山本さんのような行為、どこかで見たと思いませんか?そうです。実は民主党もそうではあったではありませんか。結局声高に叫んで、政権の座について、何もできないでいるではありませんか。結局、民主党も社会変革のなり手にはなりえないです。彼らには、上で述べたような意味での本当の勉強がまだまだ足りないのです。

彼らが言う勉強とは、官僚が蓄えておくべき、細かな個別具体的な知識の集まりに過ぎず、本当の意味で、多元的な価値を一つにまとめるシステムである、国家を運営するには足りなすぎるのです。そうして、一歩間違えれば、全体主義の罠に陥るかもしれません。実際、彼らは、日本国解体法案など、それこそ、既存の社会を壊す法律を通そうとする一方、国民の意見を聴く、マーケティングも十分にはできておらず、イノベーションからはほど遠いではありまんせんか!!

政権交代を実現した、2009年の衆議院議員選挙の際の鳩山氏の選挙演説

そうして、このような全体主義の罠におちいるのを防ぐのは全体主義とは対極にある、責任ある、真の自由を希求する私達であるということです。私達がそれをしなければ、社会に山本氏や、平田のような人間が増えて、いずれ罠にかかってしまうということになりかねません。そのようなことは、断じて避けなければなりません。

今の世界は、経済至上主義的な考え方で、金融危機ものりきり、あのリーマンショックものりきり、一見それが正しいかのように見えました。しかし、また、最近では、EUも、アメリカも、その他中国を含めた、世界同時不況に見舞われるような状況が進行しています。このような世の中は、1930年前後と似ています。それに、経済至上主義ということでは根本的に同じです。

リーマンショック後、これは、日本ではほとんど、報道されていませんが、アメリカでは株式を持つ個人が多く、日本は、それが少ないということから、アメリカの個人資産はかなり目減りして、日本は、多少目減りした程度で、アメリカと日本の個人金融資産の額が史上初めてほとんど横並びとなりました。下のグラフをみていただいても、おわかりになるように、2008年時点では、日本のほうが若干多いくらいでした。イギリスも、2007年までは、個人あたりの金融資産が、日本よりも大きかったものが、2008年には、日本の半分程度の水準まで落ち込んでいます。他の先進国や、新興国では、もともと、日本より少なかったものが、さらにかなり減っています。


これは、日本が世界の各国と比較して、経済至上主義的ではないことを示していると思います。今後、日本が経済至上主義から完璧に抜け出し、新たな社会を構築し、 多元的的組織の存在を許し、ただし多元的でありながらも、大きな方向性としては、一つの社会として束ねていける国家を建設できたとしたら、日本は、世界のトップランナーになれるかもしれません。 日本は、このように可能性に満ちた国なのです。



そうして、そのようなことを目指す政治集団が日本にできてほしいと思います。しかし、そのような政治集団が生まれるためには、ますば、 私達自身が、責任ある、真の自由を希求し、それを定着し、さらに醸成していく必要があります。そうして、昨年の震災は、非常に残念なことではありましたが、震災直後の人々の沈着冷静な態度、物資の配給のときなどにも隊列を崩さない忍耐強さ、さらに、昨年の漢字にもされた「絆」の強さを再認識させられました。これらが、世界の人々を驚嘆させました。これらからみて、私は、世界の中で日本が、最もトップランナーになれる可能性が高い国であることを確信していますし、それに向かって努力を続けていきたいです。

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