卑劣! 勝間和代のビジネスパートナー・上念司がSEALDsの個人情報と悪質デマを拡散 安保反対デモを習近平応援デモとも
上念司ツイッターより
安保法制に反対する声が日本全国で高まっているが、その旗手となっているのが、現役大
学生 らを中心に結成されたSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)だ。
SEALDsは毎週国会前で反対デモを行っているが、先日7月31日には「安保関連法案に反対する学者の会」とともに共同デモを展開し、約2万5000人が集まった。さらには、SEALDsに影響を受けたという高校生が中心のT-ns SOWLや、高齢者によるOLDsが発足するなど、裾野を広げている。
だが、こうしたSEALDsの動きや影響力を面白く思っていないのが、
ネトウヨ をはじめとする安倍応援団たちだ。彼らはなんとか運動の足を引っ張ろうとネット上で姑息なデマやヘイト発言を繰り返しているが、今度はSEALDsのメンバーの顔
写真 とフルネーム、所属大学などの情報をまとめ、ネット上にアップしはじめた。
しかも、その拡散に積極的にかかわっているのは、上念司という経済評論家。これまでも中国や韓国への蔑視感情と経済を結びつけて論じてきたような評論家だが、上念氏はTwitterで、SEALDsの情報をまとめたサイトのURLを貼り付けて、このように煽っている。
〈SEALDsはこの情報を拡散されるのが一番困るようです。昨日から山賊がよく釣れるんで間違いない。習近平応援デモに強烈な一撃を喰らわせましょう。拡散希望です〉
SEALDsは安保法制に反対しているだけで、それを〈習近平応援デモ〉と表現するネトウヨ脳もなんとも恐ろしいが、学生たちの個人情報を〈自分で晒しているものをまとめただけ〉と言いながら拡散する手口には卑劣さしか感じられない。
匿名空間で無責任にヘイトを撒き散らしているネトウヨたちとはちがい、SEALDsのメンバーは顔と名前を出し、正々堂々と自分の意見を口にしている。だが、こうした憎悪の気持ちから個人の情報がまとめられれば、どうなるか。大学に「デモをやめさせろ!」と脅しをかける者が現れるかもしれないし、情報から家などを割り出して付きまとう者も出てくるかもしれない。あるいは粘着質なネトウヨのことだから、あらゆる企業に「就職させるな」と情報を流すかもしれない。そうした事態を扇動するまとめをつくることも悪質だが、それを〈強烈な一撃を喰らわせましょう〉〈拡散希望〉などと焚きつけるとは、とてもじゃないが、まともな大人のすることとは思えない。
じつは、この上念氏、以前にも同じように悪辣極まりない拡散を行っている。それは、札幌で安保法制に反対する「戦争したくなくてふるえる」デモを主催した女性がネット上で流された「痴漢
冤罪 デマ」の拡散だ。
これは、主催女性が〈さっき電車でうちの隣にキモいおじさんがいたから痴漢でっちあげしたったwww。なにげにこれで4人目〜みたいな〉とTwitterに投稿していると情報が拡散されたのだが、じつは偽アカウントで、なりすまし犯の犯行だった。この騒動は、主催女性も
警察 署に被害を届け出ている。上念氏はこのデマ情報を〈クズすぎてふるえるw〉と拡散していたのだ。
しかし、さらにひどいのはその後。この情報がデマだったことが判明しても、上念氏は〈彼らがギャーギャー言ってるのはFBのシェアから自動連動で記事タイトルごとtweetされたものなんです。偽アカだよってコメントはFBにも書いてますし、後から偽アカだよってTweetも入れてるんですけどねぇ。引用元に言ってくださいってことですね〉と反省の色さえ見せず、〈「訴えてやるー!」っていうのは前にも来ました。結局、何にもなかったですけどね。上島竜平なんですかね?〉と開き直ったのだ。
デマ情報だとわかっていながら拡散し、その上〈引用元に言ってください〉と自分の罪は認めず、訴えてみろ!と言わんばかりにふてぶてしく居直る──。きっと今回のSEALDsのまとめ拡散も、さんざん煽るだけ煽って、このときと同じように“自分の責任じゃないし”と逃げるつもりなのだろう。
ネトウヨ の攻撃に晒されても臆することなく運動をつづける
若者 たちを、デマや情報の拡散で貶める。こうした下劣な人物が評論家を名乗り、著書を多数出版し、ラジオ番組『おはよう寺ちゃん 活動中』(文化放送)で月曜コメンテーターを務めているということも問題だが、ぜひ、上念氏のビジネスパートナーであるあの人の意見も伺ってみたいものだ。それは、上念氏とともに株式会社「監査と分析」を設立した、経済評論家の勝間和代氏である。
勝間氏といえば、多数のベストセラー本を出版してきたではなく、総務省の「ICT成長力懇談会」や、現在も内閣府「男女共同参画会議」の議員を務めるなど、政府の
政策 にかかわっている人物。そのような要職に就く勝間氏が、共同事業パートナーのこうした悪質な行動を黙認しているとしたら、これは大きな問題ではないのか。
もちろん、SEALDsのメンバーがそうであるように、個人の活動・発言と、所属する会社や
学校 は関係がない。だが、勝間氏が政策にかかわる人物であること、そしてなにより上念氏が個人の活動と学校を結びつけるような扇動を行っている以上、共同事業者として責任を追及されても仕方がない。この上念氏の問題をどう捉えているのか、勝間氏には考えを明らかにしてほしいものだ。
それにしても、上念氏をはじめ、社会的地位のある人物たちが
若者 デモを汚い手や言葉で冒涜する現状には、目を覆うばかり。しかし、その元凶は、彼らが支持する安倍政権にある。
現に、
安倍晋三 首相を支える
自民党 副幹事長の萩生田光一議員は、7月17日に自民党本部で開かれた全国正副幹事長会議で、このように発言したという。
「『SEALDs』という団体は、警視庁の
公安 部がマークする団体で、革マルから豊富に資金提供を受けている」
この発言をすっぱ抜いた「選択」8月号によれば、この席上で萩生田議員は〈警視庁からの情報などを交えつつ、デモには特定の左翼団体が行っているものがあると断言した〉という。だが、「選択」では、警視庁担当の全国紙社会部記者が「萩生田の発言は、前半は正しいが、後半は誤っている」と証言。警視庁公安部が〈「SEALDs」などの団体や参加者を監視しているのは事実〉だが、〈革マルからの資金提供云々は「嘘」〉と断言している。
以前、本サイトでもお伝えしたが、公安によるデモの監視は激しさを増している。公安部だけでなく「各都道府県の警備部や公安調査庁まで駆り出されている」と言い、警視庁関係者も「少し離れたところから参加者の顔
写真 を撮影して左翼組織の活動家を特定している」と話している。だが、SEALDsの中心メンバーなどには〈出身地の県警まで動員した〉ものの、「
家族 や交友関係を調べても、特定の政治的背景はなかったという報告が上げられた」そうだ。
SEALDsの背後に特定の左翼団体の存在があれば、いろんな理由をつけて引っ張ることもできる。しかし、実態は政治的背景がない若者たちだったとわかり、安倍首相は困り果てているらしい。全国紙政治部ベテラン記者はこう語っている。
「政府与党は世論の動向が気になって仕方がない。特に官邸は必要以上に敏感になっている」
「(安倍首相の心情は)不安を通り越して怯えの域」
だからこそ、官邸は必死になって「SEALDsは革マルからの資金提供を受けている」などと大ウソをつき、前述した上念氏や「デモ参加者はバイト」とツイートした
百田尚樹 氏、
ネトウヨ などの安倍応援団たちは、必死になってSEALDsのデマを
捏造 、喧伝しつづけているのだ。
官邸もネトウヨも、やっていることは一緒。醜いデマや個人情報を流して若者を潰そうとしている。これでは戦時下の言論弾圧と同じ状況だ。
(
水井多賀子 )
【私の反論】青少年は卑劣なイデオロギーの罠に嵌まりやすいことは、過去何回となく繰り返されたデジャブ(゚д゚)!
上の記事、こたこたの左翼系のものであり、自分たちの考えしか主張しておらず、本当に典型的な馬鹿な内容となっていると思います。魚拓の意味もこめて、全文そのまま掲載させていただきました。
上の記事に対する反論は、以下の動画をご覧ください。上の記事と対照してごらんいただけると、いかに彼らの主張が虚偽と断定に満ちているかおわかりなると思います。
VIDEO
この動画で、上念氏は、「極左メディアリテラさん、拡散ありがとう!安保法制反対デモは習近平応援デモです!」と語っています。詳細は、この動画をご視聴下さい。
それにしても、メディアなど高校生が、大学生がデモなどと報道し人数をかなり水増しして報道しているようですが、その実体は、ほんのわずかのようです。
上の動画で上念氏が述べている高橋洋一氏の記事に関しては、このブログでも掲載して、解説したことがあります。その記事のURLを以下に掲載します。
集団的自衛権巡る愚論に終止符を打つ!戦争を防ぐための「平和の五要件」を教えよう―【私の論評】参議院での審議拒否など恥の上塗り、野党はまともな議論を(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、高橋洋一氏が主張する、結局のところ、平和は①同盟関係、②相対的な軍事力、③民主主義の程度、④経済的依存関係、⑤国際的組織加入という5つの要件によって、維持されるということです。
以下に、この記事に対する私の論評を一部ピックアップして、以下に掲載します。
このブログでは、平和に関しては主に、軍事力によるパランス・オブ・パワーの文脈でのみ語ってきましたが、この5要件を考慮にいれると、なお一層平和に関する認識を深めることができます。
平和は、軍事力の均衡だけではなく、他の様々な要素から構成されており、これらが均衡してはじめて維持されるものということが良く理解できます。
さて、以上のことを考慮に入れた上て、憲法解釈の改変による雌雄団的自衛権の行使に反対する勢力のいわゆる「戦争法案」というレッテル貼の間違いについて掲載します。
「戦争が出来ない国」と「戦争をしない国」は違います。
「戦争が出来ない国」は「戦争に対応できない国」であり、「戦争の当事者にならない国」ではありません。
そうして、「戦争に対応できない国」にも二種類あります。一つは、経済的に恵まれていないなどの理由で、上の記事で高橋洋一氏が示した平和の5要件を備えることが不可能な国です。そのような国は、世界に五万とあります。そうして、過去には何度となく他国に攻め入られて、辛酸をなめています。
もう一つは、戦争に対応しようとすれば、できるにも関わらず、関わろうとしない国です。その典型は、日本です。日本は平和の5要件を満たす、十分な能力があります。しかし、日本では、憲法典の縛りにより、戦争に対応できないかのように多くの人々が思い込んでおり、それが日本が戦争に対応できない状況を生み出しています。
現状の日本は、理由はともあれ「戦争に対応できない国」であり、これは戦争に巻き込まれやすいことは自明の理です。この理屈は小学生でも分かることと思います。
このまま日本が「戦争に対応できない国」のままであれば、上の記事で高橋氏も指摘するように、アメリカの力が相対的落ちつつある現在、中国や北朝鮮の脅威は日々高まるばかりです。
だからこそ、日本が戦争に対応できる国に生まれ変わるためにも、現在政府による憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使が必要不可欠な状況になっているのです。憲法典という文書に書き表された、憲法だけではまともな政治などできません。
だからこそ、憲法解釈をして、その上で法律を作成し、それを施行して、その法律に基づいて、運用されているのではありませんか。それなしには、どこの国でも身動きがとれなくなってしまいます。それは、国の根幹をなす安全保障についても全く同じことであり、安全保障だけが例外という考えは絶対に成り立ちません。
そうして、憲法解釈は憲法学者がするものでもなく、ましてや内閣法制局などの官僚がすものでもなく、民主国家においては、選挙という民主的手続きによって選ばた人々で構成する時の政府によって行うのが、筋です。
この原則は、中国や北朝鮮のような非民主国家では成り立ちませんが、日本や他の戦士九国のような国々では成り立つ正しい原則です。
さらに、上では述べていませんが、憲法学者による憲法解釈にも現在主流の学派のもののほかに、京都学派の解釈というものがあります。
それによれば、憲法9条には、戦力を国際紛争の解決の手段として行使することは、禁じていますが、自国を防衛するための、戦力まで否定しないとしています。確かに、そうです。憲法9条においては、国際紛争解決の手段としての戦力は認めないということを明記しながも、集団的、個別的をとわず、自国の自衛権をはっきりと否定してはいません。
そうして、他国の憲法典をみても、確かに自国防衛のこと、その防衛についても、集団的、個別的などはどちらも当然のこととして、明記されている憲法などありません。
であれば、なぜ日本だけが、集団的自衛権が許さないのか全く筋が通りません。結局、多くの憲法学者の多くが集団的自衛権を「違憲」とするのは、単なる意見であり、それが絶対的価値判断になるなどということはあり得ません。
これは、8%増税のときのことを考えてみてもわかります。このときも、多くの経済学者やマスコミ、官僚、政治家の多くがこぞって、8%増税しても経済への影響は軽微としていました。少数の人たちが甚大な影響があるとしていましたが、実際に増税してみたところ、甚大な影響があり、消費が落ち込み、とんでもない状況になってしまいしまいました。だから、学者だから絶対に正しいなどという説は全く成り立たないです。
このことを思い起こすと、今回の「憲法解釈による集団的自衛権行使」は「違憲」と大多数の憲法学者が語る光景は、まさに増税の時と同じよなデジャブのようです。
さて、実際に参加している人員は少ないものの、現状の「戦争法案反対デモ」に関しては、いくかつのデジャブがあります。
これについては、このブログでも札幌で行われた、「戦争法案反対デモ」関連してして掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
戦争したくなくてふるえる。 デモ行進 - 2015.6.26 北海道札幌市―【私の論評】デジャブーか?60年安保のときと何も変わらない情景(゚д゚)!
この記事も、詳細はこれをご覧いただくものとして、以下に結論部分のみ掲載させていただきます。
頭が良かろうが、多少悪かろうが、少し考えてみれば集団的自衛権など世界中のほとんどの国が認めるているという事実を知れば、そこに自分たちの主張に大きな矛盾があることに気づくはずです。集団的自衛権を認めれば戦争になるというのであれば、今頃世界中の国々が日々戦争にあけくれているはずです。
しかし、そうはなっていません。それに紛争などが起こってる地域においても、集団的自衛権が紛争の引き金となっているわけではありません。このデモに参加した人たちは、それを理解しているのでしょうか。
小中生ならいざしらず、このデモの中には大学生もいると思うのですが、このような事実に気づかないという大学生というのは、いったいどういうレベルなのかと思ってしまいます。
これらの人たちは、このようなデモを挙行して、上記のような下品で幼稚なシュプレヒコールを叫ぶ前に、これをきちんと合理的に説明すべきです。説明できないなら、そもそもデモなどすべきではありません。
それにしても、昨日はこのブログにリー・クアンユー氏が、「アジア人には西欧の自由主義」は無理として、独裁を貫いたことを掲載しました。氏によれば、アジア人は、個人の利益よりも集団の利益を上に置く考え方に慣れていると主張しました。生来、権力者に対して従順で、こうした傾向はアジアの歴史に深く根差す「アジア的価値観」としました。
このようなデモをする人たちを見ていると、マスコミなど大勢の人たちが語ることに対して、考えもなく賛同してしまいます。まさしく、リー・クアンユーの語っていたことは、正しかったといってしまいそうになります。しかし、それは断じて違います。なぜなら、これらの人々は日本では圧倒的に少数であり、その他の大勢の人はまともだからです。
ただし、偏向メディアが、これらの人々がさも多くいるように、印象操作をしているだけです。それは、60年安保の時と同じことです。当時の岸首相は「国会周辺で気勢をあげている人だけが、国民ではない。声なき人の声がある」と語っていました。
国会周辺などに、たとえ数千人や数万人が集まったにしても、それが日本国民のすべてではありません。日本の人口は、1億2千万人いるわけですから、そのほんの一部に過ぎないわけで、それをすべてであるかのごとく報道するのは、マスコミ等の印象操作に過ぎません。
こうしてみると、あの当時と全く状況は変わっていないです。当時の新左翼などの若者は、結局政府等に反対するばかりで、何も創造できませんでした。彼らの主張は何でも破壊することだけでした。
破壊するだけなら、幼児でもできます。破壊するばかりでは、世の中は何も変わりません。破壊するにしても、創造的破壊でなければ、世の中は何も変わりません。
ファッションや、スタイル、言葉遣いなど、もちろん今風なのですが、その実彼らの頭の中身はあの頃と同じです。まるで、進歩がありません。まるで、dejavu(デジャブー)です。
まさに、頭の悪さと無知と粗暴さと時代遅れそのものです。
私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
さて、このデジャブこの記事では60年代の安保についてのみデジャブであると語りましたが、無論のこと、
70年代安保 でも、90年代のPKO法案のときも同じです。
これらのときも、一部若者が、「戦争になる」としてデモをしたり、過激な行動をしたりましした。とにかく、「戦争になる」ということでは、現在と何も変わりありません。そうして、過去においては、結局一度も戦争にはなりませんでした。 まさに、これですでに3回ものデジャブです。
1972年2月の「浅間山荘事件」山荘突入前の機動隊
そうして、さらにデジャブは続きます。
これは、日本の例ではありませんが、過去の歴史を紐解いてみると、若者や子供を政治利用するということは、歴史上良く実行されてきたことということがあります。
ナチスドイツでは、ヒトラーユーゲントを組織しました。ヒトラーユーゲントとは(
独 : Hitlerjugend,
英 : Hitler Youth)は、
1926年 に設けられた
ドイツ の
ナチス 党内の青少年組織に端を発した学校外の放課後における地域の党青少年教化組織で、1936年の法律によって国家の唯一の青少年団体(10歳から18歳の青少年全員の加入が義務づけられた)となりました。「ヒトラー青少年団」とも訳されます。略号はHJ。
ヒトラーユーゲント隊旗
ヒトラーユーゲントにおいては、同世代の指導者から肉体の鍛練、準軍事訓練、祖国愛が、民族共同体の一員である青少年に集団活動を通じて教え込ました。
1936年 ヒトラーユーゲント法により青少年(女も10歳~21歳、女子グループは「
ドイツ少女団 」と呼ばれた)の参加が義務づけられ、
1939年 には、800万人を擁する集団へと成長しました。戦局の悪化とともに
1944年 に国民突撃隊に併合されました。
ヒトラーとヒトラーユーゲントの隊員たち
さて、この悪夢はまだ続きます。このようなことは、過去の中国でもありました。それは、言わずとしれた紅衛兵です。
紅衛兵(こうえいへい)は、
中華人民共和国 の
文化大革命 時期に台頭した全国的な青年学生運動です。学生が主体ですが、広義には工場労働者を含めた
造反派 と同じ意味で使われることもあります。
紅衛兵は、
1966年 から
1968年 にかけて実権派打倒に猛威を振るい、文化大革命期間中に出た死亡者、行方不明者(数百万人とも数千万人ともいわれる)の一部の虐殺に加担したとも言われている。
また、当時は中華人民共和国の成立に貢献した政治家や知識人も弾圧を受けた。その1人である
彭徳懐 も逮捕されて拷問を受け、それが原因で死亡しています。
文化茎の紅衛兵 知識人を批判する舞踏
そうして、あの悪夢のカンボジアのポルポト派による数百万にも及ぶ大虐殺にも、青少年の政治利用が顕著にみられました。
1975年から79年にかけてのカンボジアはポル・ポト派(クメール・ルージュ)の支配下にありました。総人口800万足らずのこの小さな国で、実に、200万から300万近くの人間が虐殺されました。
このポルポト派も、かつての中国の文化革命のように、知的階層の虐殺しましたが、それには、子供が活用されました。何も分からない農村部の貧困層の子供が少年兵となって、大規模な虐殺に関与していきました。クメール・ルージュの兵士たち、ほとんどが、13才程度の子供ばかりでした。
ポルポトの少年兵
そのため、子供は、大人と同等の重大な仕事につくことになり、子供兵士、子供看守、子供医師という特異な存在が次々と生み出されいきました。
彼らは徹底的な洗脳によってポル・ポトを神とあがなう狂信的集団に変化していました。
うっかり漏らした不平や不満、それを聞いた子供が、組織に通報しようものなら、例え、身に覚えがなくても一巻の終わりで虐殺されました。そうして、結果として、300人もの人々が虐殺されることになったのです。
ポルポト派のに虐殺された方々の頭蓋骨
子供や青少年は、複雑な世界を理解できず、物事を単純化して結論として把握しないと納得できないので、何らかの極論に走りがちです。そのため、イデオロギーにとらえられやすいのです。このような性向をもともと持つ人間に対して古代ローマの詩人ホラーティウスが「あえて賢こかれ」と語りました。
正確には以下のように語りました。
「敢えて賢かれ。やってみよ。正しく生活すべき時期を虚しく延引するのは、河が流れやむのを待つ田舎びとのようなものだ。だが河は依然として流れ、とこしえに転旋して止むことがない」
しかし、このような理が通じないのが、子供や青少年の真骨頂で、だからこそヒトラーユーゲントにされて、ヒトラーの思想を広めたり、紅衛兵になって既存文化人の粛正をしたし、ポルポトの兵としてしゃれこうべの山を築いてしまったのです。
これらの青少年も、自らが政治利用ざれているとい自覚せず、扇動者にまんまと載せられて、誤ったイデオロギーを信じ込み、愚かな行動をしてしまったのです。
無論、現在の「戦争法案反対」のデモをする若者らは、ここまで酷くはないのですが、それにしても、イデオロギーにとらわれているということでは、そっくりです。
現状の中国は、南シナ海でサンゴ礁を埋め立てて明らかに軍事利用をして明らかに、軍事的緊張を高めています。
さらに、シナ海で、日中中間線海域で、海洋プラットホームを急速に増設することが、下手をすると、キューブ危機と同次元のとんでもない脅威になるかもしれないという目の前の危機がります。
しかし、「戦争法案反対」などというデモに参加する若者らは、それを無視して、デモを主催する人々のデマゴーグに操られ、かつてのヒトラーユーゲントや、紅衛兵のように政治利用されて、結果として、習近平応援デモになっていることすら、自覚できないのでいるのです。
少し歴史を振り返れば、上記のようなデジャブがたくさんあるというのに、やはり、若者たちは、いつまでも操られ、政治利用され、自分の主人公になれないでいます。哀れです。個人の特性や、好みなど無視され、他人の考えを植え付けさせられるのは当人にとって悲劇であるばかりではなく、上でも示したように社会にとっても脅威です。
子供や青少年などは、イデオロギーの罠にはまりやすいというのは、はっきりしていますから、中高生から政治問題を考えさせるのは、良くないことだと思います。彼らには、まずは過去の歴史を多方面から学ぶ機会と、批判的思(クリティカル・シンキング)の訓練の機会を与えるべきものと思います。
そうは言っても中には、クリティカル・シンキングなど一生できない人もいるかもしれません。しかし、そのような機会を提供することにより、たとえそれができなくても、自分はそれが不得意なのだと自覚しているのとそうではないのとではかなり違うものと思います。
しかし、すでにヒトラーユーゲントや、紅衛兵や、ポルポトの少年兵のようにイデオロギーで固まった青少年に対しては、生半可なことではまとにコミュニケーションは成立しません。これをそそのかしたような連中とは、おそらくコミュニケーションを成立させるこなど不可能だと思います。
しかし、青少年の場合はまだなんとかなることを、かつてのヒトラーユーゲントや、クメール・ルージュの少年兵だった人々のその後をみれば、見込みがあることがわかります。
経営学の大家ドラッカーは、 コミュ二ケーションを成立させるには受けてが何を見ているかを知らなければならない。その原因を知らなければならないとしています。
人の心は期待していないものを知覚することに抵抗し、期待しているものを知覚できないことに抵抗します。
「受け手が期待しているものを知ることなく、コミュ二ケーションを行うことはできない。期待を知って初めてその期待を利用できる。あるいはまた、受け手の期待を破壊し、予期せぬことが起こりつつあることを認めさせるためのショックの必要を知る」とドラッカーは主張しています。
上念氏の今回の発言や行動は、このような覚醒のたのショックとして、かなり有効であると思います。