2016年5月24日火曜日

やはり嘘だった財務省の「増税の影響は軽微」 衆参ダブル選再燃も―【私の論評】政府は私が中学の時に味わった、鮮烈なアハ体験を国民に味合わせるべきだ(゚д゚)!

やはり嘘だった財務省の「増税の影響は軽微」 衆参ダブル選再燃も


 1~3月期の実質国内総生産(GDP)は前期比0・4%増、年率換算で1・7%増と2四半期ぶりのプラス成長となった。

その中身で注目されるのは消費と設備投資だ。民間最終家計消費は0・5%増、寄与度は0・3%となっている。民間企業設備は1・4%減、寄与度はマイナス0・2%である。

まず消費から見ていこう。GDP統計での消費は総務省の「家計調査」などから推計している。ただし、この統計は、うるう年の影響を基本的に考慮していない。このため、今期の数字はうるう年のためにかさ上げされている可能性がある。

それをある程度裏付けるのが、日銀が新たに公表した「消費活動指数」だ。それでみると、3月は前月比0・5%低下となっている。

日銀の消費活動指数は、総務省の家計調査だけでなく経済産業省の商業動態統計なども加味して作られた統計で、家計調査の種々の欠点を補っている。いずれにしても、各方面からいろいろな統計が出るのは統計分析家の筆者としては大歓迎である。

こうした事情もあるので、菅義偉官房長官は18日午前の記者会見で、個人消費の伸びが0・5%増だったことに関し、「全体として弱含みだ。消費税(2014年4月の5%から8%への引き上げ)の影響がまだ残っている」との見解を示した。

ちなみに、対前年同期比では、うるう年効果にもかかわらず消費はほとんど横ばいである。うるう年効果を除くとマイナスという見方もできる。

もともと消費増税の悪影響は2年程度あっても当然だ。財務省やエコノミストらは増税前に「消費増税の影響は軽微」「実際に悪影響が出てもせいぜい3、4カ月」と、トンデモない説明をしていたことになる。

次に設備投資をみてみよう。設備投資は、実質金利と将来の需要動向によって決まる。実質金利はマイナス金利の導入などによって下がったが、今までの消費動向がさえないので、将来不安が増大して、設備投資はマイナスの伸びと芳しくなかった。

日銀の追加金融緩和とともに、消費を立て直すために、給付金や減税などの追加財政措置が必要な事態だ。

菅官房長官は、今回の速報値が来年4月の消費税率10%への引き上げの判断材料になるかとの質問に対し、「ならない」と答えている。少なくとも、増税を実施する決め手になるとはみていないだろう。逆にこれで増税延期や凍結とみるのも早計で、増税の是非に関しては「『適時適切に判断する』という安倍晋三首相の答弁に尽きる」としている。

民進・共産・生活・社民の野党4党の党首は、今国会に内閣不信任案を提出するようだ。こうなると、熊本地震で一度は消えた7月10日の衆参ダブル選挙が行われる可能性が再び出てきたといえるのではないか。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】政府は私が中学の時に味わった、鮮烈なアハ体験を国民に味合わせるべきだ(゚д゚)!

まずは、最近のGDPの推移を振り返っておきます。以下の表をご覧ください。1〜3月の水準は、昨年7〜9月とあまり変わりありません。うるうるう年効果を考慮に入れると、若干悪いと言っていいくらいです。


ブログ冒頭の記事にもでてきたような、うるう年効果について見てみます。下の表をご覧ください。



百貨店の今年2月度売上高は前年同月比で0.2%増。2カ月ぶりのプラスですが、実質は「0.2-3.6」でマイナス3.4%となります。スーパーは春物コートが好調で3.4%増だそうですが、実質は0.2%減でした。

経産省の商業動態統計調査で、小売業は0.5%増ですが、うるう年効果が剥げ落ちると3.1%減となります(上表参照)。

好景気の時は、それほど気にする必要もないでしょうが、現状のように本当はマイナスなのに、うるう年効果でプラスになってしまうのは問題です。ゲタを履かせた数値がメディアで躍ると、不景気にもかかわらず、景気は回復基調にあると勘違いしてしまいそうです。

複数の民間シンクタンクが、今年の3月に2月の家計調査結果を分析して、5月半ばに公表される1~3月期のGDP成長率は、うるう年効果を見込んで、0.3ポイント、年率換算で1.2ポイント押し下げて見ておいたほうが良いとしていました。

私は、このシンクタンクの見方は正しいと思います。そこで、修正をいれたGDPを見ることにします。1月 〜3月期の修正値は、0.1、年率換算では0.5ということになります。

これでは、かろうじてマイナスにならなかったというだけです。景気が低迷していたことを考えると良い数字ではありません。マクロ経済学では2期続いてマイナスが続くと、リセッション入(景気後退局面入)とみなしますが、かろうじてリセッション入を免れたということがいえます。

この状況では、増税なんて全く考えられません。それに日銀が追加金融緩和をしなかったことも解せません。

なぜ、このような状況のときに、増税すべきなどと言い出す人がいるのか全く理解に苦しみます。

私が中学生だった頃、社会の教科書には、景気が悪いときには、政府は積極財政をして、日銀は金融緩和をする、景気が良い時には、政府は緊縮財政をして、日銀は金融引き締めをすると掲載されていたのを記憶しています。

そうして、実際に積極財政の方法としては、公共工事を増やす、減税する、給付金を増やすなどの方法があると学びました。金融緩和の方法としては、公開市場操作で、買いオペがあると学びました。今考えると、当たり前のことなのですが、その頃はこれを本当に理解するのは結構難しかったです。しかし、最後にはとうとう理解することができました。

以下に公開市場操作(オープン・マーケット・オペレへーション)の仕組みの図を掲載します。この仕組みが本当にわかったときの喜びは、今でも忘れていません。

このようなカラクリを知った当時中二病だった私は、有頂天になって、自分は日本の経済は何とでもできる、自分が日銀総裁になったり、政治家になったら日本経済は永遠に成長し続けることができるなどと思ってしまい全能感に包まれました。今から考えると、本当に愚かだったと思います。

しかし、金融政策や財政政策の基本中の基本を初めて知ったときのなんというか、アハ体験はそれほど鮮烈なものでした。



さすがに、中二病からは立ち直り、なぜか高校では、中学で味わったほどのアハ体験をすることもなく、大学はたまたま数学や物理が好きだったので理系に進学し、しかしこのアハ体験を引きづったまま社会人になったのですが、そのアハ体験もいつの間にか忘れてしまい、気づくと日本はこれまたいつの間にか万年デフレのどん底に沈んでいました。

そうして、これは何かおかしいと感じて、よく調べてみると、あの中学の時のアハ体験で体感した景気が悪いときには、日銀は金融緩和策を政府積極財政をすべきということがなされず、長い間逆のことをやっていることがわかりました。

そうして、サイトなどを調べてみると、私のように不況のときには、金融緩和や積極財政をすべきと主張する人々は、リフレ派と呼ばれ、少数派であることを知りました。

そこで、あのアハ体験をした私は、不審に思ってマクロ経済学の本を買ってきて読んでみました。すると、私のあのアハ体験で体験したことは、間違いでもなんでもなく、マクロ経済学では当然とされていることを知りました。

この時の私の驚き、憤りは大変なものでした。しかし、それからしばらくして、いわゆるリフレ派の考え方も普及して、安倍自民党内閣が誕生して、さっそく金融緩和策がとられるようになり、景気はどんどよくなっていきました。特に、雇用はものすごい勢いで回復していきました。ただし、なぜか積極財政のほうはおざなりになっていました。

そうしたところに、いつの間にか8%増税です。あのアハ体験で体感したこととは、真逆の緊縮財政をするわけですから、私としても、このブログて大反対しました。

しかし、8%増税が実行されて、その結果は予想どおりのものでした。

最近では、10%増税を実施すべきという人もいて、中には10%増税をして、大型景気対策をすべきだと主張する人も現れています。

しかし、今一度あのアハ体験で体感した、原点にもどってみても、現在の公民の教科書ですら、景気の悪いときには増税して大型景気対策をすべきなどととは一言も掲載されていません。

それに標準的なマクロ経済学の本を読み返してみても、そのようなことは一言も書かれていません。書かれているのは、日銀は金融緩和を、政府は積極財政をすべきということだけです。

そうして、積極財政とは、増税の真逆の減税をすること、公共工事を増やすこと、給付金政策を拡充することなどです。

ただしこれは、後で知ったことですが、公共工事は現状では公共工事の供給制約があって、なかなか難しいです。最近は、この制約も緩んできてはいるようですが、それにしても、建築業者のほうは将来どうなるのか心配しているようで、設備投資もあまり進んでいません。しかし、減税は財源がなくてもできる最も簡単な方策です。であれば、本来なら増税ではなく真っ先に減税をすべきでした。

公共工事の供給制約を示すグラフ

それにしても、こんな時期に増税すべきなどという人は、一体どうなってしまったのでしょう。

そのようなことを言い出す人たちは、それこそ、私が中学生の頃罹患していた、中二病なのではないでしょうか。

中二病の症状としては以下のようなものがあります。
  1. 急に親に冷たい振りをする(母親をおふくろやおかん呼び・プライバシーを尊重してくれなど)
  2. 愛想が無くなり孤独を好むようになる(いわゆる“孤高”)
  3. 突然ブラックコーヒーを飲みだす
  4. 急にロックや洋楽を聴き始める
  5. ロングコートやマントに憧れ銃やナイフを携帯したくなる
  6. 学校が武装集団に占領されて自分1人で戦う事を妄想する
  7. やれば何でもできるかのような万能感を感じるが、実際に行動に移すことは少ない
  8. メディアやインターネットで仕入れた知識を自分の考えであるかのように語る(『アメリカって汚いよな』など)
  9. 上記に付随し、見た・聞いた知識を経験として語る。売上で優劣を付け人気作品を人気が出る前から知っていたなど
  10. 様々なものを批判しはじめる一方、ある種カルト的なものを崇拝する
この中で、特に7.や8.が当てはまるように思います。

7.に関しては、やれば何でもてきるような万能感とは、マクロ経済の理論に背いても、増税しても、日本経済への影響は軽微と勝手に考えこみ、増税を支持する。そうして、中学生の中二病よりたちが悪いのは、実際に自分の立場など利用して、増税賛成の世論を盛り上げるなどのことを行ってしまうのです。

8.に関しては、メディアや財務省などから仕入れた知識を自分の考えであるかのように語り、増税の正当性、ありもしない財政破たんの危機を煽るのです。

10.も当てはまるかもしれません。リフレ派を徹底的に批判し、まるでカルトのような、景気が悪いときでも増税しても経済に悪影響はあまりでないという妄想を信じ込みます。

そうして、大人の中二病は、中学生の中二病より始末が悪いです。中学生の中二病は、まだ親の保護観察下にあるので、他に及ぼす影響は少ないですし、それに一時の、大人になるための通過儀礼のようなものであり、いずれ治ります。だから、中二病はあまり深刻なものではありません。

しかし、大人の中二病は始末に悪いです。特に社会的地位の高い大人の中二病は、国民全体に影響を与えます。実際、これらの人たちの中二病は8%増税で、多くの国民の消費意欲を減退させ、今日の事態を招いてしまいました。そうして、こういう大人は満足にアハ体験もしていないのではないでしょうか。だから、簡単に大人の中二病に罹患してしまうのかもしれません。

アハ体験ができる動画。大きな画面で見たほうが発見しやすいです。

国民のうち、40歳未満くらいの人だと社会人になってから、ただの一度も景気が良かったことがないというとんでもない状況を招いてしまいました。

その他の人たちだって、長い間デフレが続き、もう景気の良かった時代などはるか昔のことで、もう永遠に景気は良くならないと思い込んでいるようです。

こんなことは、なしにしましょう。政府は、私が中学生のときに味わったようなアハ体験を国民全員に味わってもらえるように努力すべきです。

そのためには、私がアハ体験で理解した、追加金融緩和と積極財政の両方を実行して、早期にデフレから脱却して、国民にデフレでない世の中を体感してもらうべきです。デフレでない、緩やかなインフレの時代を創りだすべきです。それ自体が、アハ体験になりますし、インフレの時代はデフレの時代に比較して、ずっと多くのアハ体験ができると思います。そうして、その結果として、消費が拡大し、景気は良くなります。

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2016年5月23日月曜日

台湾・新政権、馬英九前政権の「沖ノ鳥島は岩」の主張を撤回 7月にも「海洋協力対話」―【私の論評】沖ノ鳥島問題は、馬英九の最後っ屁!日本が忘れた日本に出会えるのが台湾(゚д゚)!


童振源報道官

台湾の行政院(内閣に相当)の童振源報道官は23日、沖ノ鳥島について、国連大陸棚限界委員会の決定を尊重し、決定前には「法律上、特定の立場を取らない」と述べ、「岩」だとした馬英九前政権の主張を事実上、撤回した。

また、日台双方の窓口機関が「海洋協力対話」の枠組みを立ち上げることで一致したとも発表。沖ノ鳥島周辺の漁業問題を議論するとみられる。

7月末にも第1回の会合を開くことで基本合意したが、参加メンバーなどの詳細は未定。議題はほかに、環境保護や科学研究、捜索救難など「双方が合意した項目」になるとしている。

【私の論評】沖ノ鳥島問題は、馬英九の最後っ屁!日本が忘れた日本に出会えるのが台湾(゚д゚)!

沖ノ鳥島で日章旗を掲げる石原慎太郎氏
日本最南端の沖ノ鳥島(東京都)から150カイリ(約280キロ)の排他的経済水域(EEZ)内の海上で違法操業したとして、横浜海上保安部が4月25日に台湾の漁船を拿捕しました。これに対し、台湾の馬英九総統は27日、「沖ノ鳥島は島ではなく『岩礁』でEEZを主張できない」との声明を出しました。NHKニュースなどが伝えていました。
先月25日、海上保安庁は、東京の沖ノ鳥島沖の排他的経済水域内で違法な操業をしていたとして台湾の漁船をだ捕しました。船長は担保金を支払うことを約束して釈放されましたが、台湾の漁業関係者や議員らが27日、日本の台湾との窓口機関「交流協会」が入る建物の前で抗議活動を行い、一部の参加者が建物に生卵を投げつけました。 
今回のだ捕に関連して台湾の馬英九総統は27日、安全保障を担当する高官の会議を開くとともに、沖ノ鳥島について「岩であり、島ではない。日本が排他的経済水域を主張することはできない」とする声明を出したうえで、関係機関に台湾の漁船を保護するよう指示しました。

台湾総統「沖ノ鳥島は岩」と声明 日本は抗議 | NHKニュースより 2016/04/28 14:28)
産経ニュースは「台湾は従来、日本への配慮から沖ノ鳥島を『島』か『岩』かは『定義しない』としてきたが、『岩』だとする中国や韓国と同様の立場に転換したとみられる」と報じた。ただし、台湾の外交部(外務省に相当)の報道官は26日、「従来の立場に変化はない」と述べるなど、政権内部で方針が統一されていない可能性がありました。

岸田文雄外相は先月28日午前の記者会見で、馬総統のこの声明に対し、「交流協会」を通じて27日に抗議したと明らかにしました。「沖ノ鳥島は国連海洋法上、島としての地位が確立している。台湾独自の主張は受け入れることができない」と批判していました。

これに対して、台湾の国防部(国防省に相当)高官は1日、沖ノ鳥島沖で違法操業の台湾漁船が拿捕(だほ) された問題で、海岸巡防署(海上保安庁)を支援するため「海軍艦艇の派遣を検討する」と産経新聞の 取材に答えていました。馬英九政権の対日強硬姿勢に歯止めがかからなくなってきた形でしたが、一部メディアも扇情的な 報道で馬政権を後押ししていました。

国防部高官は派遣目的を「政府の規定により海巡署の漁船保護に協力する」ためとしつつ、派遣艦艇の型式や 具体的な派遣海域は明らかにしませんでした。そのうえで、「外交交渉での解決を望む」とも語り、派遣時期について 明言を避けていました。1日付の聯合報は、軍関係者の話として、海軍が康定級フリゲート艦(約3600トン)1隻を
沖ノ鳥島「付近の海域」に向け派遣したと報じていました。

馬政権は2013年5月、台湾漁船がフィリピンとの係争水域で同国の沿岸警備隊に銃撃されて船員1人が 死亡した事件に抗議し、同級フリゲート艦を派遣したことがあります。

結局のところ、ブログ冒頭の記事にもあるように、これは任期が終了に近づいた馬英九氏の最後っ屁のようなものであることが明らかになりました。

菅義偉官房長官は本日の記者会見で、日台間で海洋協力の対話枠組みを創設することを明らかにしました。

菅官房長官
菅長官は海洋対話について、日本側の窓口は「交流協会」になると説明。その上で「海洋協力に関する日台間の意思疎通が強化されていくと期待している。政府としてもできるだけ協力していきたい」と述べました。 

結局台湾の人たちの大部分は、やはり大陸中国よりは日本のほうがずっと良いと思っているということです。なぜ、そのようなことがいえるのか、本日は簡単にそれを以下に掲載したいと思います。

日本(の台湾)統治時代には、日本は列強国の優等生として世界にアピールすべく、また持ち前の日本精神を発揮して、台湾の教化改造に乗り出しました。列強各国の搾取型植民地支配を目の当たりにしていた日本は、「内地延長主義」として、獲得領土を日本国内と同じように扱うという、欧米列強とは正反対の政策をとりました。

まず最初に日本が力を入れたのは教育でした。日本から優秀な教育者を派遣し、台湾中に学校を建て、教育自体と同時に、物事を学ぶ姿勢を根付かせました。1904年に3.8%だった台湾児童の進学率は、1944年には71.3%にまで向上しました。

台湾総督が児玉源太郎の時代には、後藤新平の尽力によってアヘン吸引の習慣が根絶され、各地に病院が建設され、「解決不能」と言われていた台湾の衛生状況は一新しました。

児玉源太郎
明石総督の指示によって、日月潭にアジア最大級の水力発電所が作られ、電気は台湾中に通うようになりました。この水力発電所は、未だに台湾の水力発電量の半分を生み出しています。

八田與一の作った烏山頭ダムは、台湾の農業生産を飛躍的に向上させました。日本から赴任した八田は、「宗主国からきた指導者」として威張るようなところはまったくなく、みずから危険な場所にも足を踏み入れ、マラリアに三回もかかり、毒蛇にも何度も噛まれ、苦心の末に巨大ダムを完成させました。このダムは、水害と干害とで不毛の地だった嘉南の平野を、アジア有数規模の穀倉地帯に作り替えたのです。

今でも多くの台湾人に敬愛される八田與一像
日本時代の1919年に立てられた堅牢なレンガ造りの台湾総督府の建物(同時期に作られた東京駅にも似ている)は、国宝級古跡にまで指定され、現在は台湾総統府として大事に使われています。

こうした台湾のインフラ整備に意欲を傾けた偉人達と、台湾全土で忠実に任務にあたった警察官や学校教師達のおかげで、台湾人は次第に日本人を敬愛するようになっていきました。

しかし周知の通り、大東亜戦争は日本の敗北で幕を閉じました。台湾は領土未帰属の状態となり、とりあえずの措置として中華民国(国民党軍)がやってきて支配することになりました。台湾人は、当初は同じ漢民族である(と誤認していた)中華民国を歓迎するつもりでしたが、軍規粛正な日本軍とのあまりの落差にショックを受けることとなりました。

国民党政府は全土に戒厳令を敷き、台湾人を白色テロにより殺害しました。 特に、元日本軍人や知識人などが狙われたため、このあと台湾は文化、経済的に大きく停滞することになりました。この虐殺による死者は3万人近いとも言われますが、正確な数字は未だに不明です。

このような歴史を経て、日本統治時代を直接経験している世代は、今でも流暢な日本語を話し、「自分は元日本人である」と胸を張ってくれている人が多いです。李登輝元総統や、司馬遼太郎『台湾紀行』にも出てくる蔡焜燦氏らの世代です。

蔡焜燦先生

しかし、台湾の全人口が親日的なわけではありません。戦後やってきた外省人は、もちろん反日的です。外省人は少数派ですが、政権を掌握してきた彼らは中華民国の反日史観で国民を教育し、メディアを支配してきました。

これによって、本省人にも戦後世代には反日史観に影響されている人も増えてしまいました。

しかし台湾の民主化以降は言論、政治にも自由な空気が戻り、1997年には日本統治時代を客観的に評価する『台湾史』の教科書が制定されました。これまでは「中華民国は大陸全土を支配している」という蒋介石の妄想に従って『中華民国史』しか教えられていなかったのですが、ようやく台湾を台湾として教えられる教育が始まったのです。

こうして新しい教育を受け、アニメや音楽など、日本のポップカルチャーに影響を受ける次世代の台湾人は、概ね親日的の傾向があり、両国の未来志向の関係発展が期待されます。

蒋介石
インフラ整備や教育など、同じような統治時代を経験した朝鮮(むしろ台湾より優遇されていた)は、台湾とは逆に戦後世界一の反日国家になっています。

この点について考えると、台湾の親日傾向は単純に日本統治の影響によるものだけではなく、南国のおおらかな気質や、良いものを認めて受け入れるある種の国民性という土壌がもともとあったのではないかと思います。

台湾には、戦後の日本が捨ててしまったもの、朝鮮が破壊してしまったものが数多く残っています。そのかけらがまだ残っているうちに、日本語世代がまだ生きているうちに、台湾に行っておいた方が良いです。

台湾は、日本から飛行機でわずか4時間、航空券も数万円で往復券が買えます。治安もよく、料理は『中国』に比べて格段においしく、人々は親切です。そして、日本が忘れた日本に出会えます。それが台湾です。

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2016年5月22日日曜日

緊急リポート!衆議院はまもなく解散→総選挙の公算大~前回の解散を言い当てた筆者が、そう予測する根拠―【私の論評】同時選挙は、ほぼ確実(゚д゚)!

緊急リポート!衆議院はまもなく解散→総選挙の公算大~前回の解散を言い当てた筆者が、そう予測する根拠
長谷川 幸洋





 根拠その1:山口公明代表との会談の違和感

安倍晋三首相はどうやら近く衆院を解散し、夏の衆参ダブル選挙を決断したのではないか。ここ数日でそう考えざるを得ない材料がいくつか出てきた。私のコラムは通常、毎週金曜公開だが、今回は事態の急進展に合わせて特別版を公開する。

私が「やはりダブル選か」と考える根拠の一つは、5月18日に首相官邸で開かれた首相と山口那津男公明党代表との党首会談だ。会談は最初、首相と谷垣禎一自民党幹事長の2人だけで始まり、途中から山口代表と井上義久公明党幹事長が加わる形で開かれた。

山口代表は会談後、焦点の消費税増税について記者団の質問に「特に話をしていない。私の方から申し上げていないし、総理からも特になかった」と答えている。これは、あきらかにおかしい。

いま政権の最重要案件は「来年春の増税をどうするか」だ。安倍首相が慎重論に傾いているのは周知の事実であり、山口代表は推進派だ。このタイミングで両者が会っていながら、増税問題について「何も話し合わなかった」などというのは考えられない。

山口代表は参院選について「お互い協力して頑張ろうと基本精神を確認した」うえで、ダブル選については話題にもならなかったという。だが、ダブル選に反対してきた山口代表にすれば、総理に衆院を解散するのかしないのか、本心を質す絶好のチャンスではなかったか。

それを話題にもしなかったなら「私は絶好球を見逃し三振しました」と言っているようなものだ。与党である両党が選挙で協力して頑張るのは当たり前である。いまさら確認の必要もない。

山口代表の否定にもかかわらず、一部の新聞は増税問題について「首相、公明説得へ地ならし」(読売新聞)とか「増税延期を協議」(日本経済新聞)と報じている。つまり、代表は記者を意図的にごまかそうとしたのだ。なんのために?

増税問題を話し合ったとなれば、首相の頭に増税延期の選択肢があることが公然化してしまう。そうなれば当然、次に「夏はやはりダブルか」という予想が広がる。それを避けたかったからに違いない。

これが私のアラーム警報が鳴り響いた第1点だ。

 根拠その2:山口県人会の不可思議

それから2点目。20日午後になって「6月11日に大阪で開かれる山口県人会に同県出身の衆院議員が急きょ、そろって参加する」という情報が飛び込んできた。

県人会の幹事によると、当初欠席のはずだった高村正彦、河村建夫、岸信夫各衆院議員の事務所から20日朝、相次いで「代理を出したい。いまから参加できるか」と連絡がきたという。

高村氏は山口1区、河村氏は同3区、岸氏は同2区の衆院議員である。高村氏は自民党副総裁として先の安全保障関連法を成立に導いた立役者の1人であり、岸氏は安倍首相の実弟だ。山口県は言うまでもなく安倍首相(山口4区)のお膝元である。

幹事は「岸氏は本人が出席する可能性もあるようだ。県人会には地元の市長たちも大勢来る。やはり選挙ではないかとピンときた」と私に語った。別の山口県関係者も「大阪の県人会には選挙がなければ代理も出ないことが多かった。代理を出すと言ってきたのは、ずばりダブル選だからだろう」と語っている。

もう一つ。私は最近、ある政権幹部と会食した。そのとき幹部が突然「前回は長谷川さんにやられちゃったからなあ」と前後の脈絡もなくポツリと私に漏らしたのだ。

これには少し説明が必要だろう。

私は前回2014年11月の衆院解散予想を的中させている。菅義偉官房長官の記者会見から「増税を先送りして解散総選挙」と読んだのだ(経緯はこちら、http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/41078)。幹部はそれを覚えていて話を持ちだしたのだが、私には違和感が残った。

なぜかといえば、私が前回の解散を当てたのは、私と幹部の間で何度も笑って振り返った「終わった話」であり、いまさらあえて持ち出す必然性はなかったからだ。加えて、幹部は「いま闘志がわいているんですよ」とも言った。

私は「熊本の状況はどうか」と繰り返し幹部に質問した。そのたびに幹部は「熊本は大丈夫、落ち着いてくる」と答えた。私は「熊本が落ち着いてくるとなれば、ダブル選が蘇ってくる」と言ったが、返事はまったく期待していなかった。彼がそんな話に答えられるわけがないからだ。

そう言いながら、私は内心「それでもダブルは無理だろう」と思っていた。だが、公明党の山口代表が安倍首相と会談した後、記者団に見え透いた嘘をついて、山口県出身の衆院議員たちがそわそわし始めたとなると、話は違う。

ここへきて安倍政権は重要課題に次々と結論を出している。一億総活躍プランや成長戦略の素案、さらに規制改革会議の答申もまとまった。1票の格差是正を図る衆院選挙制度改革関連法は20日に成立した。重要案件に区切りを付けて、あとは選挙を戦うだけの体制を着々と整えつつある。

私は昨年7月以来、消費税増税先送りでダブル選という見通しを示してきたが、熊本地震を受けて4月22日公開コラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/48508)では「ダブル選は難しくなった」という見方に軌道修正したばかりだ。

最近のテレビやラジオ番組でもそう喋っている。だが、ここでもう一度、軌道修正する。やはり政局はダブル選に向かって動いているのではないか。

【私の論評】同時選挙は、ほぼ確実(゚д゚)!

このブログでは、昨年から衆参同時選挙になる旨を掲載していました。長谷川氏もブログ冒頭の記事で語っているように、長谷川氏を含めた多くの人が、熊本地震で衆参道志是選挙はなくなったものと考えたようで、そのような内容の記事がサイトにもいくつか掲載されていました。しかし、このブログでは、熊本地震で衆参同時選挙はなしという内容は一度も掲載したことがありません。

なぜそうしたかといえば、熊本地震で衆院解散はありえないという、ことにかなり疑念を抱いたからです。考えてみてください、元々参院選は地震があろうが、なかろうが実施されます。地震があったからといって、参院選を中止するなどということはあり得ません。

あの被災地熊本でも、必ず選挙は行われるのです。そうして、熊本震災の復興はかなり急ピッチで進んでいて、7月には参院選を熊本でも十分できそうな状況になっていました。この状況なら、参院選プラス衆院選も十分ありえると睨んでいました。

ちなみに、以下に今年4月25日のANN世論調査の結果の動画を掲載します。



衆参同時選挙を行って良いは、43%、行っても良いと思わないが、33%でした。安倍内閣の支持率は、46.9%でした。

熊本の状況を考慮に入れても、参院選とともに衆院選も行うということは十分に可能なことであり、熊本有権者からすれば、元々選挙はやらなければならなかったことであり、そのために投票場に足を運ばなければならないことはには変わりはなく、それに衆院選挙が加わっても、投票用紙に書き込む内容が増えるだけのことです。手間的にはそう変わりません。

それに、7月時点で震災地が混乱の巷にあるとは考えられず、選挙ができるほどに一定の秩序を回復している状況になったことは、かえって与党側に有利に働くことが考えられます。そうして有権者からすれば、復興税の導入を阻止する良い機会ともなります。

よもや、今回は東日本大震災の時のように、復興税を導入し、その上10%増税まで導入しようなどということを主張するような勢力は出ないと思いますが、有権者は、そのようなことを主張するような勢力はこの選挙で排除できるなどのメリットがあります。そうして、復興と経済対策の相乗効果により、経済が良くなることを明確に示す候補者を選びやすくなります。

阿蘇山の通称「ラピュタの道」震災直後は道路が寸断し通行止めされたが、今は訪れることができる
元々、参院選がないというのであれば、わざわざ衆院を解散して選挙するということもなかったと思いますが、参院選が最初から予定されているのですから、それを考慮すると、衆参同時選挙は、熊本震災でなくなるなどと、はっきり断定するほうが、私にとっては奇異に感じたくらいです。

ちなみに、本日放映された「そこまでいって委員会NP」では、長谷川氏は「衆参同時選挙はあるか」という質問に答えて「なし」と答えていました。ところが、ブログ冒頭の記事では、「あり」と予測しています。

「そこまでいって委員会NP」にレギュラー出演している長谷川 幸洋氏
これは、「そこまでいって委員会NP」の収録は1週間ほど前に撮られているのだと思います。そのため、長谷川氏はこの番組収録の時点では、まだ新しい情報を得ておらず、衆参同時選挙は熊本震災でなしと考えていたのだと思います。

ところが、この番郡を収録してから、ブログ冒頭の記事を掲載する直前にこの記事に掲載したような新たな情報に接して、考えを変えたのだと思います。

さて、衆参同時選挙があり得ることは、つい先日(20日)にもそれを主張する、選挙結果の予想には定評のある浅川博忠氏の主張が、zakzakに掲載されていました。その記事のリンクを以下に掲載します。
衆参同日選“再浮上” 衆院選は自民圧勝、民進は惨敗の予測 浅川博忠氏
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事から、浅川氏の意見と、選挙結果のみを以下に掲載させていただきます。
「見送り報道が出たからこそ、あり得る。1986年に中曽根康弘首相が行った同日選は『死んだふり解散』といわれたが、今回も似ている。安倍首相は虎視眈々(たんたん)と狙っているのではないか」

「伊勢志摩サミット(主要国首脳会議=26、27日)の前後、安倍首相が『世界経済の収縮』などを理由に、増税延期を表明する可能性が高い。大きな政治決断をしながら、参院選だけ実施するとは考えにくい。必然的に同日選を呼び込むとみるべきだ」

「安倍政権は熊本地震に迅速に対応した。選挙戦では、東日本大震災時の菅直人政権のひどい対応と比較して、『自民党政権の危機管理能力』をアピールできる。有権者の理解は得られるのでは」
 そうして、この記事では、以下のようにも付け加えられていました。
 加えて、オバマ氏が伊勢志摩サミット後に、安倍首相とともに被爆地・広島を訪問することや、米大統領選で共和党候補の指名獲得を確実にした、トランプ氏の影響を指摘する向きもある。 
 まず、オバマ氏の広島訪問は、安倍外交の大きな成果になる。トランプ氏は「日本防衛費の全額負担要求」や「日本車の関税大幅増」など、日米関係を激震させかねない過激な発言を連発している。「政権与党としては、『トランプ大統領』誕生に備えて、衆参で安定多数を確保しておく必要がある」(自民党関係者)というものだ。 
毎日新聞も19日朝刊の1面トップで「首相、同日選視野」と報じた。 
そうして、注目の浅川氏による選挙結果の予測の表を以下に掲載しておきます。


どうして、このような結果になるかについては、浅川氏は以下のように述べています。
「野党、特に民進党の低迷が大きい」
「民主党と維新の党が合流したインパクトは皆無に等しく、世論調査でも支持率は数%台だ。有権者から『政治理念のない数合わせ』と見抜かれた。共産党と組むようなイメージが定着したことも大きなマイナスだ。同日選となれば、共産党が比例票目当てで衆院の選挙区で候補者を擁立するため、野党共闘は進まない。ただ、有権者のバランス感覚も働くので、参院選での与党大勝は簡単ではない」
「安倍首相は選択肢として捨てていない。安倍首相は憲法改正をライフワークとしており、その執念は尋常ではない。在任中の憲法改正に向けて、少しでも勝機があれば同日選に踏み切るのではないか。あとは安倍首相の勇気、決断のみだ」
浅川氏昨年も今回の衆参同時選挙になることを予想しており、その時にも選挙結果を予想しています。このブログでもそれに関する記事を掲載しました。以下にその記事のリンクを掲載します。
「ダブル選」大予測 自公の圧勝、野党は壊滅…おおさか維新協力なら憲法改正も ―【私の論評】与党圧勝の真の背景はこれだ(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、昨年の12月時点での浅川氏の衆参同時選挙の結果予想のみ以下に掲載します。

 


さて、最近の予測と、昨年12月の浅川氏の予測を比較すると、議席予想で衆院は、昨年は与党小計で342だったものが、最近の予想では351としています。参院では、昨年は155でしたが、最近の予想では144としています。

どちらの予測でも、衆参両院とも与党側が圧勝すると予測しているのですが、衆院では昨年より、与党議席数が増えるが増えると予想し、参院で昨年よりも、与党議席が減ると予測しています。やはり、野党共闘などの影響が参院選に出ることを見込んでいるのだと思います。

この結果からみれば、衆院解散選挙は実施したほうが良いという判断になると思います。

浅川氏は、「後は総理の腹次第」としていますが、私は総理の腹はすでに「衆参同時選挙」で腹は決まってると思います。後は、衆院解散をいつ行うかそのタイミンクを考えていると思います。そうして、10%増税は当然延期することを念頭に入れてるでしょうが、私はひよっとすると8%減税の失敗を取り返すため、消費税を5%に戻すということも検討していると思います。

後は、8%増税の悪影響からなるべくはやく脱却するため、大型補正予算や追加金融緩和に関しても、検討していると思います。

政治の世界は一寸先は闇です。今は、このように与党が十分圧勝できることが予め予想がたちますが、来年、再来年となればどうなるかなど全くわかりません。

であれば、確実に勝てる方に賭けるのが、政治家というものだと思います。

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2016年5月21日土曜日

舛添都知事“絶命”危機 都議「6月辞任不可避」 都議会各会派徹底追及へ ―【私の論評】上下左右から辞任に王手で新潮流が生まれる可能性も(゚д゚)!




   東京都の舛添要一知事(67)の「政治とカネ」をめぐる問題で、新事実が次々と明らかになっている。まさに“疑惑の総合商社”状態だ。そんな中、都議会各会派も、6月議会で「豪華海外出張」や「公用車での別荘通い」「韓国人学校への旧都立高校貸し出し」など、数多の疑惑・問題を徹底追及する方針を固めた。都庁周辺では「6月辞任」説が流れ始めており、舛添氏は絶体絶命の危機を迎えている。

    前回会見(13日)以降、発覚した主な疑惑・問題は以下の通り。

    まず、舛添氏が代表を務めていた資金管理団体「グローバルネットワーク研究会」(現在は解散。以下、グローバル研究会)の収支報告書に、2012年8月、栃木県日光市の「宿泊費」約8万4000円が支出されていた。お盆の時期にあたり、「千葉県の温泉施設同様、政治資金を家族旅行に流用したのでは」という疑惑が浮上した。

    参院議員時代の13年、政治資金を使ってネットオークションサイト「ヤフーオークション(ヤフオク)」で、ブロンズの裸婦像や竹久夢二のリトグラフなどを購入していたことも分かった。「財テク疑惑」が投げかけられたが、舛添氏は「海外の方と交流する際のツールとして活用している」と説明した。

    政党交付金の「ネコババ疑惑」(週刊文春)も強烈だ。

    舛添氏関係の政治資金収支報告書によると、代表を務めていた新党改革比例区第4支部が解散する直前の14年1月、前出の「グローバル研究会」に計約526万円が寄付されていた。このうち、約429万円は税金が原資の政党交付金だった。

    グローバル研究会は14年7月末に解散したが、資金は現在の舛添氏の資金管理団体「泰山会」に寄付されていた。違法性はないようだが、事実上、国民の血税を還流したものといえる。

    事務所費の問題も重大だ。舛添氏は少なくとも新党改革の代表に就任した10年以降、自宅に事務所を構える自身の複数の政治団体から、毎月44万2500円、年間計531万円の家賃の支払いを受けていた。

    これらの疑惑・問題は、舛添氏に定着した「セコイ」「卑しい」「小さい」というイメージを、さらに補強した。

舛添氏の「韓国優遇」姿勢を決定付けるような資料も見つかった。

    夕刊フジは18日、独自入手した都の資料「都内外国人学校(認可校)の状況」をもとに、韓国人学校の充足率が100%未満で、「旧都立高校を貸し出すことに緊急性がない」(都議)という問題を報じた。

    舛添氏に対する不信感・嫌悪感の高まりを受け、都議会も放置できなくなってきた。6月1日に議会が開会されるが、野党会派を中心に徹底追及の機運が高まっている。

    こうしたなか、同月9日から始まる総務委員会での質疑が注目される。

    医療法人「徳洲会グループ」から現金5000万円を受け取ったとして、14年12月に知事を辞任した猪瀬氏も、総務委員会で窮地に追い込まれた。5000万円を模した白い箱をカバンに押し込もうとして、チャックが閉まらない“醜態”をさらした、あの委員会である。質疑は「一問一答」形式で行われる。

    舛添氏の辞職を求める文書を知事室に提出している、おおさか維新の会傘下の「東京維新の会」代表、柳ケ瀬裕文都議は「舛添氏の『6月辞任』は不可避の情勢だ」といい、続けた。

    「6月7日の代表質問と、8日の一般質問での厳しい追及は避けられない。舛添氏の答弁が不十分となれば、9日と13日に予定されている総務委員会が舞台となる。もし、舛添氏を担いだ自民、公明の両会派が総務委員会への招致を断ったら、都民が『何をやっているんだ!』と黙っていない。舛添氏をかばうことはできないだろう」

    都庁関係者も「自公会派には『参院選へのダメージを避けたい』という思いもある。一気に『舛添降ろし』の流れができるのではないか」と語った。

    永田町も注視している。

    自民党都連のメンバーで、危機管理に精通する警察庁出身の平沢勝栄衆院議員(東京17区)は「都民の信頼なくして知事職は続けられない。信頼がなければ誰もついてこない。神奈川県湯河原町の別荘に毎週通っていたのは、危機管理上も組織掌握上も大問題だ。首都直下地震などに即応できないうえ、都庁の組織は弛緩(しかん)し、緊張感がなくなる。ともかく、多くの都民は、舛添氏の説明にまったく納得していない」と語った。

【私の論評】上下左右から辞任に王手で新潮流が生まれる可能性も(゚д゚)!

舛添氏というと、最近では政治資金の問題ばかりが指摘されますが、それ以外にも問題があったことは事実です。そうして、それらの問題から、舛添氏が東京都知事には元々ふさわしくない人物であったと思います。

まず第一に、舛添氏は2010年当時、自民党を出て新党を旗揚げしています。その時自民党は舛添氏を離党ではなく、除名処分にしています。それについては以下の動画をご覧ください。



除名されるには、されるだけの理由があります。その理由は、比例当選したにもかかわらず、離党しようとしたからです。

舛添要一前厚生労働相が「離党-新党結成」の意向を固めたのは、執行部批判を先鋭化させるあまり党内で孤立、引くに引けなくなったという事情がありました。以下に、当時の新党結成に関する桝添氏のインタビューの動画を掲載します。



ただし、東京知事選では他に有力な候補者がいなかったため、自民・公明は舛添氏を応援しました。そもそも、これが失敗だったと思います。他にも、探せば舛添氏以上の候補者などいくらでもいたと思います。なぜ、他の候補者を擁立しなかったのか、今考えても本当に不思議でなりません。比例で当選したにもかかわらず、脱党したので除名した人間を応援ということは通常はあり得ません。

このようなことをしたことが、その後舛添氏を増長させてしまったことは、否めません。このことが、舛添氏に後でも述べる自身への万能感をさらに増長させたものと思います。増長した人間は、碌なことをしないと昔から決まっています。

次に、離婚2回、結婚3回という過去があります。確かに、結婚、離婚は個人のプライバシーに関わることであり、個人の問題であることです。しかし、個人の問題とはいいながら、一般人ならともかく、知事の候補者としてはいかがなものかと思います。

結婚生活もまともに送れない人が、知事として勤まるかどうかは甚だ疑問です。それも、二度も失敗しています。


これに関する記事を以下に掲載します。この記事は週刊ポスト2014年1月24日号のものです。舛添知事が知事になったときの東京都知事選の直前のものです。
『舛添要一の凄すぎる「女」と「カネ」 結婚3回、離婚2回、子供2人に愛人の子3人、現在「隠し子、養育費裁判」係争中』
首都の顔を決める都知事選挙。有力候補の一人と見られているのが無所属での出馬を表明した舛添要一・元厚労相(65)だ。実は舛添氏、類い稀な男性的魅力を持っているようで、「永田町イチの艶福家」として知られているのだ。 
舛添氏の最初の結婚は1978年、相手はフランス人女性だった。出会いは、舛添氏が東大法学部政治学科を卒業後、パリ大学研究所やジュネーブ高等国際問題研究所の研究員を歴任したヨーロッパ留学中のことだった。帰国後の1979年、舛添氏は31歳の若さで東大教養学部の助教授に就任。だが、プライベートも順風満帆とはいかず、1981年に破局を迎えている。 
1986年に再婚した相手はというと、いまや政治家として全国区の知名度がある片山さつき・参院議員だ。片山氏は大蔵省(現・財務省)入省後、フランス国立行政学院に留学。帰国後の27歳の時、東大助教授の舛添氏とお見合い結婚した。結婚当時は“ミス大蔵省”との呼び声も高く、後に女性初の主計官も務めた。そんな片山氏は結婚生活について、最近のインタビューでこう振り返っている。 
<舛添さんと結婚したことがそもそも間違いであったと思います。愛のない結婚をしてはいけないということ。私の人生における大変大きな間違いだった>(『婦人公論』2013年2月22日号) 
そう振り返る結婚生活はわずか2年3か月で終わりを告げる。離婚の理由を片山氏はこう打ち明けている。 
<慌しく始まった結婚生活でしたが、「平穏」だったのは最初の数週間だけ。「遅く帰ってきやがって!」突然、彼は怒鳴り始めたんです>(『週刊新潮』2010年5月6・13日号) 
一旦怒り始めると、舛添氏は怒鳴る、手当たり次第にモノを投げつける、そして、ある時にはいくつものサバイバルナイフを片山氏の目の前にズラーッと並べたこともあったという。 
<彼は、ナイフの収集が趣味だったんです。しかも、そのうちの一つの刃先を私に向けたことまであります。(中略)結局、結婚から3か月ほどで、弁護士に離婚を相談しました。すると、弁護士の調査で彼には愛人が、そして彼女が妊娠中であることも分かった>(同前) 
その「妊娠中の愛人」を仮にA子さんとしよう。A子さんが東大の学生だった時、舛添氏が指導教官という立場で知り合った。すぐに「もう妻(片山氏)とは別れるから」と舛添氏がA子さんに猛アプローチ。押されるまま付き合い始めたA子さんは1988年、男児を出産した。A子さんの知人が当時の状況を振り返る。 
「A子さんの存在を知って激怒した片山さんが、バッグに包丁を忍ばせてA子さんと舛添氏がいた部屋に怒鳴り込んできたことがありました。真っ先に部屋を飛び出した舛添氏が逃げ込んだ先は、もうひとりの愛人B子さんの部屋だったそうです」 
A子さんの子供を舛添氏が認知したのは1990年。認知するまでの2年間に、B子さんが女児を出産、さらに同時期に他に2人の女性とも交際していたことがわかったという。目まぐるしい女性遍歴の末、舛添氏が15歳年下の現在の夫人である雅美さんと再々婚したのは1996年だ。 
なお、その前年にB子さんは2人目の女児を出産した。もちろん父親は舛添氏。その後、雅美夫人との間には、2000年に長女、2003年に長男が生まれている。振り返ると、結婚は3回、離婚は2回。2人の愛人が産んで認知した子3人と、雅美夫人との間の子2人を合わせると、舛添氏には計5人の子供がいることになる。
週刊誌の記事ですから、大衆受けするように面白おかしく掲載しているのでしょうが、それを割り引いてみても酷いです。こういうハチャメチャな人が、東京都知事としてまともに勤まるとはとても思えません。

さらに、舛添氏は実務能力に関しても問題があったと思います。それは、舛添氏が高労働大臣であったときの、いわゆる「消えた年金」問題に関する方針です。この問題に関して、当時の舛添厚生労働大臣は、「最後の一人まで」年金問題をはっきさせると語っていたことです。そもそも、こんなことは絶対に不可能です。

これに関しては、当時のこのブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
舛添大臣の窮地-年金問題への報道姿勢やブログの論調は誰の思う壺か?
この記事は、2007年12月16日のものです。当時は「消えた年金問題」で舛添大臣は窮地にたっていました。詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部をコピペします。
それと、舛添大臣と福田総理大臣にも欠けていた視点が一つだけあります。それは、いかに現代のような情報化社会になったとしても、科学技術が進んだとしても、人の記憶や事務処理には常にあいまいさが付きまとうということです。ですから、「最後の一人」まで、年金をハッキリさせるということは、絶対にありえないということです。 
これは、いわゆる戦後処理について歴史を紐解いてみるとわかることです。戦後処理とは、一端戦争が始まり、 戦争終結後の処理をいいます。その中には、 賠償問題や友好回復、治安回復、経済復興などです。第二次世界大戦、日本にとっては、大東亜戦争(太平洋戦争)の戦後処理は完全に終わったとはいえない状況です。戦後60年たった今でも厚生労働省の中で、どこかの部署で国内の事務手続きは継続されていると思います。人の記憶や、戦争当時の事務処理など誤りがつきものですから、なかなか終わらないのです。 
それどころか、大東亜戦争からすると、戦争そのものの規模や奥行きがはるかに狭い日露戦争の戦後処理が、大東亜戦争中、その後もしばらくは行われていたそうです。結局は終了しなかったようです。ただし、もうその当時の人で生き残っている人は誰もいませんし、その当時の関係者の子供にあたるような人でもすでにほとんどが死亡しているか、かなりの高齢になっているかで、事実上実施しても意味がないので、もうやっていないというのが実情です。大東亜戦争の戦後処理もなかなか終わらないでしょう。今後数十年は続くと思われます。そうして、解決されない案件をかなり残したまま、戦後処理自体をやっても意味がなくなる時代に入ったときに、戦後処理は未処理案件を多数残しながら、やめることになるでしょう。 
無論年金問題に関しては、戦後処理などとは根本的に違うし、簡単に比較することはできません。しかし、人間が行う事務処理という意味では同じです。平和な時代の、科学技術がどんなに進んでも、人間のやることですから、事務処理ミス、年金受給者が行方不明になるとか、記憶喪失なるとか、あるいはどこかに拉致されるとかは考えられます。自然災害で亡くなっている人もいるかもしれませ。健康で生きていたとしても、アルツハイマーになっているということも考えられます。戦後処理も年金問題も最後の一人まで、明確にできる時代は未来永劫にわたってこないでしょう。このような背景を持つ年金問題を舛添大臣を糾弾することで、解消されると思うのは完全な間違いです。糾弾の矛先が違っています。 
年金問題も簡単な事務処理ミスに関しては、問題外だし、これは責任を追及すべきですが、上記のような背景から最後の一人までハッキリさせるというのは無理だということを前提とし、新たに取り組むという姿勢が必要だと思います。そうして、ミスはいつでも起こりえるということを前提としながらも、ミスを生じさせるようなシステムは完全に破壊して、新たなシステム作りに取り組むべきです。
この記事に書いたように、そもそも年金のミスなど、最後の一人まで確認するなどということはほとんど不可能に近いことです。しかし、それを実行すると公言したのが、当時の舛添厚労大臣です。これでは、実務能力がないのではと疑われても仕方ないと思います。

この「消えた年金」ですが、最後の最後まで計算して全部あわせるなどのこと、とてもできるものではありません。結局、どうしてもわからないものが出てくるのは仕方ないことです。

この記事を書いた後、私はアメリカの年金では、このような「消えた年金」をどのように処理しているのか調べてみました。結局のところ、簡単にいうと、税務計算上で損金扱いできるようにして、処理していることがわかりました。

とにかく、一定のルールを定めて、ある程度のは調べてみて、そこから先どうしてもわからないだろうとルーリに照らしあわせて判断した場合、損金のような扱いをして、それ以上のことはしないのです。

これが、まともな判断だと思います。最後の一人、一円も違わないようにするようになどしたら、そのための経費と時間は膨大なものが必要になります。そんなことをすれば、役人が喜ぶだけです。こんなところから、実務能力には当時からかなり疑問符がつきました。

舛添氏の著書『赤いバラは咲いたか―現代フランスの夢と現実』
(弘文堂、1983年)の著者紹介 クリックすると拡大します
舛添氏というと、子供のころは「神童」といわれ、東大の学生時代の成績は抜群だったそうです。東大助教授の国際政治学者としてテレビに出始め、テレビ朝日系「朝まで生テレビ」などに出ていた頃は、舌鋒鋭い有能な学者に見えました。

しかし、それは所詮学者としての舛添氏の一側面に過ぎず、まともな企業でまともに働いたこともないためか、実務能力には欠けているといわざるをえません。しかし、自分ではそれを認識せず、自分は万能だと思い込んでいるのだと思います。

そのおごりが、記者会見などにも現れています。今回の疑惑が発覚した当初は、この自己万能感から、なんとでもなると高をくくっていたようです。しかし、やっと最近になって、そうではないことに気づきつつあるようです。しかし、腹の中では今でも何とかなると思っていると思います。

2009年9月17日 舛添前厚生労働大臣から事務引継を受ける長妻新厚生労働大臣

さて、次に舛添氏が、知事になってからリコール運動がありました。2014年当時、舛添知事が韓国を訪問し、朴槿恵大統領と会談しました。会談の時の様子が卑屈に見えたことや、 朴大統領に再度歴史問題について切りだされたり、「都民の90%は韓国が好き」といった趣旨の発言をしたことを受け、 都庁にはクレームが殺到しました。さらには舛添氏が国会議員でも外交官でもないのに外交に首を突っ込んだことへの反発もありました。

舛添知事が就任した2014年に都が策定した「東京都都市外交基本戦略」は中身が空っぽで、何を目指しているのかさえわかりません。これまでの外遊で成果を都に持ち帰ったことなどありません。そもそも外遊の目的自体が不明確で、遊びに行っているようなものでした。
骨子とはいえ、あまりに抽象的な東京都市外交基本戦略

舛添氏は、知事になる前から、韓国に対して常軌を逸したような、おもねる態度が何度も批判されていました。  

朴槿恵を訪問した舛添知事
これを受け、ネットでは舛添氏のリコール(解職請求)運動が始まっていました。ツイッターではハッシュタグ「#舛添東京都知事リコール」が登場し

「集まると思うし、集まって欲しい…舛添自身が国益を損なうようなことをしたわけで、
都民に限らず日本人なら怒る理由がありますからね」

などの意見が書き込まれていました。

さらには、2014年8月10日の16時から「日本侵略を許さない国民の会」による「(仮)舛添都知事リコールデモ」実施されました。

「日本の侵略を許さない国民の会」による舛添知事リコールデモ

無論、この時はまだリコールは解禁されていなかったので、署名などはおこなわれませんでしたが、舛添知事の解職請求(リコール)運動が就任後1年を経過した2015年2月12日に解禁されたことを受け、ネット上の右派系ブログや『ニコニコ動画』を中心に署名活動への参加を呼び掛ける動きが活発になっていました。

リコール運動への参加を呼び掛けている意見の多くは、舛添知事が「都市外交」を掲げて2か月に1回の割合で外遊を実施しており、特に姉妹都市であるソウル市長との会談で打ち出された道路陥没対策のノウハウ提供を始めとして中央レベルでの関係が冷え込んでいる韓国との関係改善に積極的な姿勢が攻撃対象とされていました。

このリコールを成立させるためには、結局のところ予め定められた期間である選挙管理委員会に届け出た当日から2か月以内に、予め定めらた150万以上の署名を集めなければならず、これは不可能に近く、今のところリコール申請書は、選挙管理委員会には提出されていません。

先月あたりから、舛添氏はかなり厳しく追求されるようになりましたが、その前からかなり問題のあったことは事実です。そうして、それは主にいわゆる右派のほうから、糾弾されてきました。


さて、先に掲載したリコール運動は右派系のブログ主宰者などのいわゆる「ネット右翼」系の人物が中心になっています。そのため、リコールを請求する理由も舛添知事が掲げる「都市外交」に対する反発が前面に打ち出されたものになっていますが、こうした主張が幅広い支持を集められるかには疑問がありました。

2年前の知事選挙で今回のリコール請求理由と政策的に最も近い公約を掲げていたのは田母神俊雄候補だと思われますが、田母神候補への投票者が全員署名したとしても成立ラインには遠く及びません。成立ラインを視野に入れるならば2位の宇都宮健児・3位の細川護熙両候補に投票した層からも支持を集められるような請求理由を掲げるのが現実的だと思われますが、リコール運動の中にそうした「呉越同舟」を模索する動きはほぼ見られない状態でした。

この運動とよく似た形でネットから立ち上がって成功を収めたものには、2005年(平成17年)に各方面からの猛反対を押し切って成立するも施行に至らないまま凍結・廃止された鳥取県人権侵害救済条例への反対運動がありました。

鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例は鳥取県の条例です。 2005年(平成17年)10月12日、鳥取県議会で可決・成立。2006年(平成18年)6月1日施行・2010年(平成22年)3月までの時限条例としていましたが、施行前の2006年3月28日に公布施行された「鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例等の停止に関する条例」により、「別に条例で定める日」までの間その施行を凍結。2009年4月1日に施行された「鳥取県人権尊重の社会づくり条例の一部を改正等する条例」により、施行されないまま廃止されました。

この際に反対運動の中心を担っていたのは右派・保守系のグループでしたが「条例に問題がある」と言う認識で一致する左派・革新系のグループと「呉越同舟」の協力関係を築くことに成功したのが大きな勝因の一つでした。

鳥取県人権条例について報道する当時の新聞

舛添氏に対するリコール運動は、今年の4月以前には、このような調子で絶望的でしたが、4月以降は、舛添氏の政治資金問題等が発覚して、状況は変わりました。4月に舛添知事の豪華海外出張の批判、韓国政府に都有地「貸し出し」の批判さらに政治資金にまつわる種々の批判が相次いでいます。

そうなると、これはいわゆるネット右翼の問題だけではなく、いわゆる左派・革新系の市民グループへもアピールできます。舛添知事の問題は、それこそ、左右上下関係なく、共有できる、都政の政治改革にもつながるかもしれません。

鳥取の人権救済条例を阻止したときのように、右派・保守系のグループが「舛添知事に問題がある」と言う認識で一致する左派・革新系のグループと「呉越同舟」の協力関係を築くことができたら、舛添知事リコールなどよりもはるかに強力な、都政の政治改革への道が開かれるかもしれません。

現在、いわゆる右派・保守系グルーブも、左派・革新グループもこの活動は停滞気味ですし、結局のところどちらもあまり成果を挙げられていないようです。

私は、敵を増やすより、仲間を増やすべきと常々思っています。これは、政治の世界でも、ビジネスの世界でも同じことです。都内の、左派・革新も、右派・保守も自分たちの目指すことで、一致点が見出すことができれば、舛添知事を辞任に追い込むために「呉越同舟」も厭わない態度が必要ではないかと思います。

都議会

都議会においては、野党は追求の構えを見せていますが、ブログ冒頭の記事とは異なり、与党側の自公はそうではないようです。以下にこれに関する日刊スポーツの記事を掲載します。
舛添知事に辞職求める声も「辞めさせられない」都議

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部を掲載します。
 自らの政治資金疑惑を第三者の調査に委ねる考えを示した東京都の舛添要一知事。都民からは辞職を求める声も高まっているが、都議会の過半数を占める自民、公明両党は静観の構えだ。住民による解職請求(リコール)は成立のハードルが高く、都議の一人は「知事が職務を続ける意向を示す限り、辞めさせることはできないのではないか」と話す。

野党の各会派は20日の記者会見を受け、「知事の資質に欠けている」として一斉にアピールを出した。6月1日からの議会では、説明責任を果たすよう求める考えだが、野党は知事に直接質問できる機会は少なく、都議の一人は「調査を待つという回答を繰り返すのではないか」と指摘する。 
 地方議会は、地方自治法に基づき関係者の出頭や証言、記録の提出を請求できる調査特別委員会(百条委員会)を設置できるが、目的は自治体の事務の調査に限られる。これまでに判明した政治資金の私的流用は知事に就任する前で、別の野党議員は「百条委で調べるのは難しく、まずは議会でただすしかない」と話す。 
 高額な海外出張費や公用車での別荘通いについてならば、百条委の設置も可能だ。しかし、本会議で出席議員の過半数の賛成が必要で、与党側の同意を得ることが難しいことから実現する可能性は低い。 
 住民によるリコールは都の場合、2カ月間で約150万人の署名を集めなければならず、これまで都知事に対するリコールが成立した例もない。 
 ある与党都議は「知事は致命傷が出ない限り、このまま逃げ切れると思っているのだろう。ただ、都民の批判が高まればわれわれも対応を考え直さなければならない」と話している。
このように、東京都議会も舛添知事を辞任に追い込むことは難しいようです。しかし、先ほど述べたように、都内の、左派・革新も、右派・保守も自分たちの目指すことで、一致点が見出すことができれば、舛添知事を辞任に追い込むために「呉越同舟」も厭わなければ、150万人分の署名を二ヶ月で集めることも、あながち不可能とばかりはいっておられない状況になってきています。

日本の政治の変革を促す発火点に?
これを成就させるためには、上下左右関係なく、それぞれの代表者が話し合いの場を持ち、半年から1年かけて、リコールの実施関する、戦略を練りに練って、目標を一つにして、密に連携して、迅速に行動すれば、あながち不可能ではありません。もし、都議会が結局何もできないようであれば、この動きに拍車がかかることになります。

このような行動をするようになれば、都政に上下左右関係なく、変革のための一致点がみいだされば、「呉越同舟」で協力しあう、土壌が生まれるかもしれません。

そうして、リコールがうまくいけば、それが、最初の都政変革の一里塚になるかもしれません。しかし、仮に失敗したとしても、次の段階では次の選挙ではさら増長した舛添が立候補したとしてもそれを阻むことに成功する確率はかなり高いというか100%に近いです。

そうすると、すくなくともオリンピックの頃には、舛添知事ではなく、他の知事で迎えられることになります。

いずれにせよ、この舛添騒動で、都政に新たな変革の風が吹くかもしれません。そうなれば、鳥取県の人権救済条例を阻止に関しては、全国に影響を与えるにはいたらなかったのですが、日本で最大の都市、世界でも有数の都市の東京での変革は、日本の政治にも大きな影響を与えます。

都議会が絡むより、都民の「呉越同舟」が、舛添氏辞任で一致して、動くようになれば、舛添氏が思わぬ形で、日本の政治の変革を促す発火点になるかもしれません。

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