消えつつある共同体の再生はありうるか?
ドラッカーのいうように、日本における企業による共同体の試みは失敗に終わったようにみえます。しかし、まだ一筋の希望は残っているように思います。
この本を読んだ皆さんはどう思っているかは判りませんが、この書籍で述べられているのと同じような組織内の共同体は日本には、戦前から存在していました。これらの共同体が各々の組織の中で均衡を保ち華々しい成果をあげてきました。日本の場合は公の組織よりも、こうした共同体が組織をある一定方向に推進してきました。役所などの公共セクター、軍部、民間企業、医療機関の中に厳然として存在し多大な成果をあげてきました。無論悪い面もあったことは否めません。
たとえば、病院の例をあげてみましょう。昔から日本の病院、特に大きな大学病院には医局なる共同体が存在してきました。医師の世界では切っても切り離せないのが「医局」の存在です。医局とは、教授を中心とした医師同士の研究仲間であり、研修医の教育機関でもあります、同一診療科の医師たちのグループのことを言います。政治の世界で例えるなら「派閥」のようなものです。ほぼ全ての医師たちが、自分の出身大学の医局に所属しています。
この医局に関しては、テレビドラマ「白い巨塔」に見られるように、負のイメージが多く植え付けられていますが、そうした負の一面がある反面、確かに教育・訓練の場として、あるいは地域医療、特に地方病院に定期的に医師を派遣するなど大きな役割を果たしてきたことも事実です。現在医局を廃止する自治体もでてきたり、相対的に医局の力が弱まってきたことも、地域医療の弱体化の一翼を担っている側面もあると思います。強力な医局の権力により、地方に定期的に医師を派遣することが出来にくくなってきたためです。
下は、テレビドラマ、白い巨塔のシーンです。
政治の世界でもしかりです。かつての軍部にも派閥が存在しました。民間企業でもしかりです。いや、それどころから日本では昔から共同体が国を動かしてきました。日本には古から、朝廷があり、公式な政は本来天皇を頂点とした公家組織が行うべきものですが、現実には、幕藩体制が定着した江戸時代の前までは、強力な武力を持ち、武士道という理念を共にする武士共同体によって国政が司られてきました。このようなことは、法律や個人を尊重するアメリカやヨーロッパでは考えられないことでしょう。組織内の共同体に関しては、ヨーロッパ、アメリカなどより日本の方が先輩格なのです。
これらの、共同体は今では弱体化してきていますが、従来の派閥のように派閥の長と派閥構成員の利益最優先という、いわばミーイズムから脱却し、属人的な性格を捨て去り、この書籍にあるように、共同体の核心的目的を明確化し、一人ではない共同体の可能性を探り、他者との結合で何を生み出すかを再定義し、本来の目的に即したウィーイズムの使命を持つことにより再生し、これからの日本社会の大変革に寄与することになるかもしれません。
このことに、日本の組織の人々が気づけば、日本はまた、明治維新の時のように急速に大きな社会変革を達成することができるかもしれません。
■映画白い巨塔のあらすじ
東教授(東野英次郎)の定年により、その後任選挙で揺れる大阪の浪速大学医学部。そんな中で野心家の財前五郎助教授(田宮次郎)は、東一派の妨害を巧みに交わしながら、ついに教授の座へ。しかし、そんな折り、彼は院内の医療ミス問題で訴えられてしまい……。
医学界の派閥争いなどに罪をとった山崎豊子の同名小説を原作に、社会派の巨匠・山本薩夫監督が映画化した問題作。選挙のときは財前の敵だった者たちが、裁判になると医学界の権威のために一転して彼を弁護するなど、権力を巡る人間の醜さが徹底的に描かれている。モスクワ映画祭では銀賞を受賞。後に田宮は同原作のTVシリーズでも財前を演じて自身の当たり役としたが、その撮影終了直後に自殺を遂げた。
私自身は新しいほうの唐沢が演じる、財前教授より、田宮次郎の財前役の方がしっくりきます。皆さんはいかがですか?
0 件のコメント:
コメントを投稿