□ 結構、一生懸命仕事している
□ まわりもそれを認めていて、非難する人はいない
□ でも、成果があまり出ない
これに当てはまる人、いませんか? 正直、私はちょっとドキッとしました。
毎日くたくたになるまで働いて、その努力は認めてもらえても、結果が出せない……。自分は違うと思っていても“仕事をしたつもり”を意外とやってしまっているかもしれません。
なぜこのようなことになってしまうのでしょうか?
『仕事をしたつもり』によると、ルールや体裁を整えることこそが自分の仕事になってしまっていること、さらにそれに疑問を持たないことが原因とのこと。
例えば、会議。何枚もの凝った資料を作成するより、1枚の箇条書きの資料を用意し、空いた時間を考えることに費やすほうが有用なのではないでしょうか。例えば、おしゃれなお店の地図。デザイン重視のため、なかなかお店にたどり着けず、結局検索し直すことになっていませんか。
などなど、この他にもよく考えてみれば無駄だなあと思うことが、本書には多々事例として載っていて、「確かに……」と読み終わった後、ぐうの音も出ませんでした。
何も考えずに仕事をしたつもりでいれば、失敗しても咎められることはなく、残業するからお金も沢山もらえ、頑張っているように思わせることができるので、“仕事をしたつもり”は根深い慣習になっているようです。
でも、一見良いことづくしで得をしているようなこの状況は、ほんの目先の話で、今後転職や独立など転機を迎えたとき、仕事生活を全うできるかは不安がよぎります。
この甘い蜜を吸っている状況に危機感や退屈感を持った人は、どうすればいいのでしょうか。それは、
・「なぜ」としつこく考えること
・そもそもの目的はなんなのか前提を考えること
この2つを日々意識することだそうです。当たり前のことのようですが、意外と忘れがちかもしれません。
皆さんも“仕事をしたつもり”から抜け出してみませんか?
【私の論評】原点はドラッカーに!! 読むなら原点を読もう!!
さて、上の記事は書籍『もしかして"仕事ををしたつもり"になってない?』の内容を掲載したものですが、これを読んでいてすぐに、ピンときたのですが、これは、結局ドラッカーが著書でいっているところの、『貢献』ということだと理解できました。結局、いくら働いたとしても、上司、同僚、部下そうして会社あるいは顧客に貢献しなくては、何にもならないという、ある意味当たり前といば、当たり前のことです。しかし、上の書籍では、この「当たり前」のことが意外とできていないことを主題としているのだと思います。この時点で、私には、全くこの書籍に対する興味を失いました。なぜなら、この書籍を読むくらいならドラッカーの『マネジメント』を読見返したほうが、はるかに価値があるように思えたからです。
特に、いわゆるマネジメントに関するものでは、ほとんどの書籍がドラッカーの焼き直しのようなものです。ドラッカー氏が残した書籍を超えるようなものはほとんどないと思います。そうして、いわゆ体系として掲載されている書籍に関しては、ドラッカー氏を超えることはないと思います。表面的には、なにやら新しいことを掲載されてるように見えても、結局は、ほとんどがドラッカーの焼き直しで、事例が新しいに過ぎません。
これを納得していただくため、ドラッカー氏の書籍から、『貢献』という言葉が含まれているものをいくつかピックアップしておきます。どの文章も、いくつかの書籍から私自身がまとめたものです。しかし、考え方はすべてドラッカー氏のものです。
〈知識労働者と貢献〉
組織の活動や業績に実質的な貢献をなすべき知識労働者は、すべてエグゼクティブである。組織の活動や業績とは、企業の場合新製品を出すことであり、市場で大きなシェアを獲得することである。病院の場合は、患者に優れた医療サービスを提供することである。組織のそのような能力に実質的な影響を及ぼすために、知識労働者は意思決定をしなければならない。命令に従って行動すれば良いというわけにはいかない。自らの貢献について責任を負わなければならない。
管理者の仕事は、組織の目標によって規定される。しかも実体がなければならない組織の成功に対し、目に見える貢献を行わなければならない。管理者の仕事は、極力大きなものにしなければならない。明示的に制約されない限り、あらゆることについて権限を持つものとしなければならない。
彼らの仕事は上司ではなく、仕事の目標によって方向づけされる。それは、組織が遂行すべき課題のゆえに存在する。ほかに理由はない。事業全体の成果を指し示し、ここのところは私が貢献したと言えなければならない。情報の中継点にとどまってはならない。
〈組織の優劣について〉
組織の優劣は、平凡な人間をして非凡なことをなさしめるか否かにある。企業がどれほどのものかは、それら3つの問いに社員のどれだけが、なんのためらいもなく、即座にイエスと答えられるかによって知ることができる。その問いとは、
「あなたは敬意をもって遇されているか」「あなたは貢献するうえで必要な教育訓練と支援を受けているか」「あなたが貢献していることを会社は知っているか」である。
どのように、優れたビジネスモデルにしても、組織構造にしても、人のエネルギーがあってこそのものである。だが、そのためには最高の力を発揮してもらい、最大の貢献をしてもらうための手立てを講じなければならない。
〈組織の精神について〉
“業績への貢献”を企業の精神とするためには、誤ると致命的になりかねない“重要な昇進”の決定において、真摯さとともに、経済的な業績を上げる能力を重視しなければならない。致命的になりかねない“重要な昇進”とは、明日のトップマネジメントが選び出される母集団への昇進のことである。それは、組織のピラミッドが急激に狭くなる段階への昇進の決定である。
そこから先の人事は状況が決定していく。しかし、そこへの人事は、もっぱら組織としての価値観に基づいて行なわれる。重要な地位を補充するにあたっては、目標と成果に対する貢献の実績、証明済みの能力、全体のために働く意欲を重視し、報いなければならない。
さて、これはドラッカーの書籍から、『貢献』というキーワードを含んでいる文章わたしが恣意的にいくつかピックアップしたものです。ドラッカーの書籍には、この『貢献』ということばが頻繁にでてきます。
そうして、皆さん私の言いたいことはもうおわかりでしょう。この書籍などの著者の方々には、商売の邪魔をしているようで申し訳ないのですが。やはり、読むならドラッカーを読みましょうということです。たとえば、上の書籍きっとわかりやすく書いているのだとおもいます。
だから、とっつきやすくて最新は良いかもしれません。しかし、上記の書籍では、おそらく、マネジメントの一部分をピックアップしているのみで、全体を体型的に述べているわけではないと思います。だから、書いてある事例のときは良いかもしれませんが、ドラッカーの書籍のように、体型的に原理原則が書かれているわけではありません。であれば、いずれ、読んでも忘れてしまうことのほうが多いと思います。しかし、ドラッカーの書籍の場合は、全体像が浮き彫りにされています。特に、「マネジメント」はそうだと思います。後から何度読み返してもまた、新しい発見があったりします。
いずれにしても、かなり多くの書籍が結局部分的にドラッカーの書籍を局面ごとに焼き治して、ドラッカーの書籍とは異なる事例を掲載して一見理解しやすそうにみせているだけといっても過言ではありません。
だからこそ、ドラッカーを読むべきと思います。皆さんは、どう思われますか?
2 件のコメント:
Yutaka Yamadaさん、こんにちは。
以前コメントを頂きました、ryuyama00です。
今回は、興味深く読ませて頂きました。
"原点の重要性" についてですが、僕も全くの同意見です。
知識労働社会の到来を予見したドラッカーの先見性は、
まさに "圧倒的" だったと言う以外にありません。
ご指摘の通り、近年のビジネス書の多くは、ドラッカーの焼き直し、もしくは、解釈を曲解したものが多く含まれていると思います。
これは、ジェームズ・アレン、カーネギー、ナポレオン・ヒルなどに代表される、成功哲学の分野にも言える事かと思います。
僕はまだ未熟なので、やはりそういう情報的な混乱に囚われてしまうことも多いです。
結果、無駄なことをたくさんしてきたと思います。
実は2年ほど前、自身の専門である化学の研究がうまくいかず、模索する中でドラッカーに出会ったという経緯があります。その時は目から鱗が落ちました。
重要なのは、本質を追求する姿勢であり、本物の知に触れる経験なのかなと、その時漠然と思いました。いずれにしても、ドラッカーを知ったことは、自身の財産になりました。
近年は、マスメディアの問題や日本経済の問題、グローバリズムの限界等が露呈してきており、若者の自分としては不安に思う日々です。
ですが、現状の中で頑張るしかありません!
Yutaka Yamadaさんが今回述べた点を大切にしながら、今後も頑張っていこうと思っています。
大変参考になる記事でした。ありがとうございます!
ryuyama00様 コメント有難うございます。
『科学と創造の境界から』というブログを管理されている方ですね。私は、結局ドラッカーの書籍を若い頃から読んでいたので、かなり徳したような気がします。ビジネス本は、あまり多くを購入しなくても、間に合わせることができたので、時間的にも経費的にも良かったと思います。
結局、ビジネス本の大半が、5年もすれば、絶版になってしまいますから。しかし、ドラッカーの書籍は今でも、販売され続けています。人の話でも何でも、間接的に聴くよりは、直接聴いたほうが良いというのと同じことだと思います。
これは、きっと、化学の世界でも同じことなのだと思います。私は、昨年ノーベル化学賞を獲得された、鈴木先生の母校でもある、北海道大学理学部の出身です。分野は、生物学でしたが、化学実験なども無論やったことがあります。生物学でも、化学でも、実験などは、多くの人が思っているよりは、はるかに地味で、トライアンドエラーの積み重ねであることは承知しているつもりです。
ryuyama00様には、「レバンガ!!」という言葉をお送りしたいです。
「レバンガ」とは、バスケットボール男子の日本リーグ(JBL)に、昨季からの加盟が認められた 北海道総合スポーツクラブ(札幌市)のチーム名称です。正式には、「レバンガ北海道」です。由来はもちろん「ガンバレ」の逆さ読みで、監督には06~07年シーズンにトヨタ自動車を優勝に導いた
ドイツ人のトーステン・ロイブル氏が就任しました。
無論頑張るなという意味ではありません。無理せず、努力を続けていって欲しいという意味です。
レバンガ!!です。
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