朝日新聞デジタル 2015年3月16日21時09分
自民党の三原じゅん子参院議員(比例区・党女性局長)は16日の参院予算委員会の質問で、「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」と述べた。八紘一宇は「世界を一つの家とする」という意味で、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた。
三原氏は、企業の国際的な課税回避の問題を取り上げる中で「八紘一宇の理念のもとに、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済、税の仕組みを運用することを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、安倍総理こそが世界中に提案していくべきだと思う」と語った。
答弁した麻生太郎財務相は「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、メーンストリーム(主流)の考え方の一つなんだと思う。こういった考え方をお持ちの方が、三原先生の世代におられるのに正直驚いた」と述べた。
【私の論評】戦後日本平和の象徴"八紘一宇の塔"のある宮崎市の平和公園は、前の東京オリンピックの時のように、次のオリンピックでも聖火リレーの中継点にすべきだ(゚д゚)!
朝日新聞の「八紘一宇は「世界を一つの家とする」という意味で、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた」というこの論評は、これだけではバランスに欠けていると思います。
八紘一宇の塔で、戦後の日本で最も象徴的だったのは、この塔のある「平和台公園」が東京オリンピックの聖火ランナーの第2の出発点となったことです。
自民党の三原じゅん子参院議員(比例区・党女性局長)は16日の参院予算委員会の質問で、「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」と述べた。八紘一宇は「世界を一つの家とする」という意味で、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた。
三原氏は、企業の国際的な課税回避の問題を取り上げる中で「八紘一宇の理念のもとに、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済、税の仕組みを運用することを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、安倍総理こそが世界中に提案していくべきだと思う」と語った。
答弁した麻生太郎財務相は「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、メーンストリーム(主流)の考え方の一つなんだと思う。こういった考え方をお持ちの方が、三原先生の世代におられるのに正直驚いた」と述べた。
【私の論評】戦後日本平和の象徴"八紘一宇の塔"のある宮崎市の平和公園は、前の東京オリンピックの時のように、次のオリンピックでも聖火リレーの中継点にすべきだ(゚д゚)!
朝日新聞の「八紘一宇は「世界を一つの家とする」という意味で、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた」というこの論評は、これだけではバランスに欠けていると思います。
八紘一宇に関して、ウィキペディアから一部を以下に引用します。
"八紘一宇(はっこういちう)とは、『日本書紀』巻第三神武天皇の条にある「掩八紘而爲宇」の文言を戦前の大正期に日蓮主義者の田中智學が国体研究に際して初めて使用し、縮約した語。八紘為宇ともいう。大意は「道義的に天下を一つの家のようにする」という意味である。
そもそもは、『日本書紀』巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」にある
からの引用である。ここで「八紘」とは、
"八紘一宇(はっこういちう)とは、『日本書紀』巻第三神武天皇の条にある「掩八紘而爲宇」の文言を戦前の大正期に日蓮主義者の田中智學が国体研究に際して初めて使用し、縮約した語。八紘為宇ともいう。大意は「道義的に天下を一つの家のようにする」という意味である。
そもそもは、『日本書紀』巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」にある
「上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎」(上は則ち乾霊の国を授けたまいし徳に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや。)
— 日本書紀巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」
からの引用である。ここで「八紘」とは、
九州外有八澤、方千里。八澤之外、有八紘、亦方千里、蓋八索也。一六合而光宅者、並有天下而一家也。
— 『淮南子』地形訓
「……湯又問:『物有巨細乎?有修短乎?有同異乎?』革曰:『渤海之東不知幾億萬裡、有大壑焉、實惟無底之穀、其下無底、名曰歸墟。八紘九野之水、天漢之流、莫不注之、而無增無減焉。』……」
— 『列子』湯問
昭和21年(1946年)より開廷された東京裁判において、「田中上奏文(Tanaka Memorial)」を歴史的真実として判決を導く裁判を進めていた検察側意見では「八紘一宇の伝統的文意は道徳であるが、…一九三〇年に先立つ十年の間…これに続く幾年もの間、軍事侵略の諸手段は、八紘一宇と皇道の名のもとに、くりかえしくりかえし唱道され、これら二つの理念は、遂には武力による世界支配の象徴となった」としたが、東條の弁護人・清瀬一郎は『秘録・東京裁判』のなかで「八紘一宇は日本の固有の道徳であり、侵略思想ではない」との被告弁護側主張が判決で認定されたとしている。"
さて、動画には上の動画においては八紘一宇の塔について、麻生財務大臣が述べている部分もありました。八紘一宇の塔について以下に記載します。
八紘之基柱(あめつちのもとはしら)。宮崎県宮崎市の平和台公園に位置する塔。現在の名称は「平和の塔」。また正面に彫られた「八紘一宇」の4文字から「八紘一宇の塔」ともいう。 |
昭和39(1964)年に開催された東京オリンピックのときの「日本での」聖火ランナーの出発点は実は、宮崎県宮崎市でした。宮崎県は、日本神話における天孫降臨の地としても知られますが、そのなかの宮崎市の「平和台公園」が、聖火ランナーの第2の出発点となりました。
なぜ宮崎の「平和台公園」だったのかというと、そこに「八紘一宇の塔」があるからです。この塔は、昭和15(1940)年に、皇紀2600年を記念して、天孫降臨の地である宮崎に建立されたものです。
天孫降臨記念祭における 高千穂之峰の頂上での祭事 |
この塔は、高さ36.4メートル、面積1070平方メートル、体積834立方メートルという巨大なモニュメントで、世界各地の切石1789個で建造されています。そして正面中央には、巨大な「八紘一宇」の文字が高らかに掲げられている。
この書は、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)によるものです。「八紘一宇」というのは、最近の日本人は、八紘一宇=軍事侵略のための旧日本軍のスローガンといったイメージで認識している人が多いようです。
東京裁判のとき、連合国側の検事が、「八紘一宇は、皇道とともにくりかえし唱道された理念であり、武力による世界支配の象徴である」と主張したのは事実です。
これに対し、当時の日本側弁護人が主張したのが、「八紘一宇は日本の固有の道徳であり、侵略思想ではない」というものでした。そうして、東京裁判の結果はどうなったかというと、判決文で検察側の主張は完全に退けられ、八紘一宇は、日本の道徳観であると書かれることになったのです。
弁護人側の「八紘一宇=日本固有の道徳説」が完全に勝利したのです。「八紘一宇=軍事力行使のためのスローガン説」は、あの「3R(復讐(Revenge)の念をもって日本を改造(Reform)し、日本を米国の属国として復活(Revive)させる)のだという、明快かつ意図的な東京裁判ですら、完全に否定されたのです。
では、八紘一宇の概念については、すでに上に掲載しましたが、これをわかりやすく一つまとめると、「世界は一家」ということです。「八紘一宇」は、軍国主義などにも利用されてしまったという側面もありますが、元々はそういうことではなく、きわめて平和的な日本古来の道徳観です。だからこそ、この八紘一宇の塔のある公園は、「平和台公園」という名称になっているのです。
この八紘一宇の塔には、塔の四隅に信楽焼の立派な立像が配置されています。像はそれぞれ武人、工人、農人、魚人のお姿をしています。世界は一家であり、その世界を支えているのは「武人、工人、農人、魚人」だというわけです。
八紘一宇の塔の四隅を飾る武人、工人、農人、魚人のお姿は、そのまま四魂(荒御魂・和御魂・幸御魂・奇御魂)を意味しています。
荒御魂(あらみたま)というのは、悪を誅する魂です。
和御魂(にきみたま)というのは、人の和、仁愛の魂です。
幸御魂(さちみたま)というのは、収穫と豊穣の魂です。
奇御魂(くしみたま)というのは、智慧の魂です。
八紘一宇の塔の4つの像 クリックすると拡大します |
四魂は、人々の心の中にあり、「一霊」によって天につながるのだそうです。そして「一霊」とは、人の良心です。これを「一霊四魂」といいます。要するに八紘一宇の塔のモニュメントがあらわしているメッセージは、「人々の良心によって世界はひとつになれるのだ」ということです。
この塔のデザインをしたのは、彫刻家の日名子実三(ひなごじつぞう)氏です。彼は、日本サッカー協会のシンボルマークとなっている、八咫烏のエンブレムをデザインしたことでも知られています。
八紘一宇の塔は、塔の手前の中央通路あたりに、平たい、人がひとり乗れるくらいの石が置いてあります。その石に立って、手をたたくと、ビーンという音がこだまします。
この塔のデザインをしたのは、彫刻家の日名子実三(ひなごじつぞう)氏です。彼は、日本サッカー協会のシンボルマークとなっている、八咫烏のエンブレムをデザインしたことでも知られています。
八紘一宇の塔は、塔の手前の中央通路あたりに、平たい、人がひとり乗れるくらいの石が置いてあります。その石に立って、手をたたくと、ビーンという音がこだまします。
八紘一宇の塔のある平和公園は、戦後においては東京オリンピックの聖火ランナーの第2の出発点となったように、戦後日本の平和の象徴でもあったわけです。
現在の日本で、このようなことをしたら、どういうことになるでしよう。おそらく、中韓が黙っていないと思います。また、日本の左翼系の人たちも黙ってはいないでしょう。おそらく、様々な難癖をつけてくるでしょう。
東京オリンピックの頃の、中韓は明らかに現状のような反日国家ではありませんでした。だから、八紘一宇の塔を平和のシンボルとして、オリンピックの舞台に登場させても全く非難などありませんでした。日本国民も、中韓の国民もこれを少なくとも許容していたはずです。
しかし、あれから数十年を経て中韓は当時と比較すると明らかに変節しました。特に、中韓の政府はまるで自己保身の権化に成り果てました。国民や他国のことなどそっちのけで、自己保身のために、日本を悪者に仕立てて、自分たちに向けた国民の憤怒のマグマの噴出を日本に向けさせてきました。そのために、意図して意識して、反日活動や教育を体系的に繰り返してきました。
しかし、私達としては八紘一宇の言葉やその塔に関して、戦中の戦意高揚という意味ではなく、本来の日本の平和の象徴として語り継ぎ、韓国、中国を含む戦後アジアの発展への日本の寄与の象徴とし、東京オリンピック当時にはなかった、“現在の日本に対する中韓政府の人為的なイメージ”を乗り越え、国際的に共感を得られるように努力すべきものと思います。
世界に向かって、八紘一宇の言葉と、その塔の意味、特に戦後の日本の平和のシンボルとしてこれも発信していくべきものと思います。
Twitterなどをみていると、多くの人が、三原議員の「八紘一宇」発言に批判的ですが、私はそうは思いません。「八紘一宇」の言葉の真意味と、その塔を設立した日本国民の願いが世界に広まれば良いと思います。
三原じゅん子議員のこの発言が、その第一歩となれば幸いです。そうして、次の東京オリンピックにおいても、八紘一宇のある平和公園が、聖火リレーの中継点となるべきものと思います。
私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
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そんなことは、私達日本人自身が良く知っていたことなのに、戦後70年もたつと、それを知らない人、教えられてない人、知ろうとしない人が増えてきました。
以下の書籍は、歴史問題を考える上で非常に良い、視点を提供してくれます。是非ご覧になって下さい。
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