量的緩和政策を解除した金融政策決定会合後、記者会見する福井俊彦・日銀総裁 (2006年3月9日) |
日銀は2006年3月8、9日の金融政策決定会合で量的緩和政策を解除した。性急にマネタリーベース(日銀が供給する通貨)を減少させた結果、リーマン・ショックを迎える前の段階で、日本経済は伸びなくなっていた。
この失敗は、海外の中央銀行ではよく研究されている。06年1~6月の決定会合の全発言を記録した議事録が公表されたことで、その失敗がどのように決定されたがわかる。
量的緩和を解除するかどうかの大きな判断材料となったのが、総務省が所掌する消費者物価統計(全国、除く生鮮食品)だが、06年1月の数字は3月の政策決定会合の前に公表され、前年同月比0・5%だった。問題はこれを、解除の条件となる「安定的にゼロ%以上」とみるかどうかだった。
筆者は当時、総務大臣補佐官を務めていた。消費者物価統計は5年ごとに改定されるが、その年の夏には改訂作業を行う予定だった。この改訂作業は、各品目のウエートを消費家計調査などから見直すというものだ。
その夏に行う作業の大半は3月時点で分かっているので、改訂の結果、1月の0・5%がどのように見直されるかは予測ができた。筆者の見立ては、改訂によって0・4~0・5%程度下がるというものだった。
これがいわゆる物価の「上方バイアス」である。価格の高いモノは消費が抑制されるが、物価統計では過去の高いウエートで計算されるので、見かけの物価が高く算出される。
筆者は、1月に0・5%といっても安定的にゼロ以上とはいえないと当時の竹中平蔵総務相に訴えた。竹中氏は量的緩和解除に反対し、中川秀直自民党幹事長も反対だった。当時の小泉純一郎政権内では、与謝野馨経済財政相が賛成だった。
結果として、日銀は量的緩和を解除した。その様子を見ていたのが、当時の安倍晋三官房長官だった。後日、安倍氏は「高橋さんたちが正しかったね」と話していた。
ちなみに、消費者物価は、その夏に改定され、1月の数字はプラス0・5%からマイナス0・1%になった。
筆者は、06年3月の政策決定会合の様子について、政府内にいたので知っていたが、正式な議事録が公表されていなかったので言及できなかった。今回、議事録が公表されたので、はっきり言うことができる。当時の決定会合では、消費者物価の1月の数字について、誰も疑問を呈していなかったのだ。これは「ダメな会議」の典型である。
筆者は当時、1月の数字がプラスとはいえないことを竹中総務相を通じるなど、あらゆるチャンネルで政府内はもちろん日銀にも伝えた。消費者物価統計を所管する立場であれば当然のことだ。しかし、はじめに結論ありきだったのだろうか、ことごとく無視されていたことが、議事録で確認できる。
議事録では、早川英男調査統計局長が「しばらく前に私どもは今回基準改定の影響は0・1%~0・2%であろうと申し上げた」とあるが、結果として的外れだった。
この失敗は日本経済に打撃を与えたが、安倍首相が何が正しかったのかを知るよい教訓となったことが救いだった。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
【私の論評】政策決定会合に馬鹿な会議をやらせないために、日銀法を改正せよ(゚д゚)!
上の記事で、2006年当時の状況ならびに、馬鹿な会議と高橋洋一氏が呼んでいるその内容議事録を掲載します。
日銀は2016年7月15日、2006年1月から6月に開かれた金融政策決定会合の議事録を公表しました。当時は物価がマイナス圏からプラスに浮上し、株価も上昇、2001年に始めた量的緩和政策をいつやめるかが焦点でした。
米国経済の減速懸念などもあるなか、政府からは当時の安倍晋三官房長官を中心に早期終了を強くけん制する声が出ていましたが、福井俊彦総裁らが早期終了にまい進する姿が浮き彫りになりました。
当時の日銀は現在と同様、金利ではなく日銀のバランスシートを増減する量的緩和政策を行っていました。現在と異なり満期の短い金融資産の買い入れが主体だったのですが、政府の為替介入と平そくを合わせたことで円安・株高を演出する効果が評価されていました。
もっとも、2004年の追加緩和で目標額を30兆─35兆円に引き上げた後は、追加緩和の限界も意識され、政策の方向転換が時間の問題となっていました。
当時も政策運営の目安であった消費者物価指数(生鮮食品を除く、コアCPI)は2005年2月に前年比0.4%のマイナスまで落ち込んでいたのですが、05年10月以降ゼロ%近辺で安定し始めていました。物価のプラス転換も量的緩和解除の議論を勢いづかせていました。
<海外からの円安けん制、福井総裁が指摘>
1月の会合で福井俊彦総裁が「国際会議に出ていて感じることは、円の為替相場が安くなり過ぎると、これを単純にエンジョイするのかというような感覚は、そこはかとなく共通の認識となっている」と発言していました。
量的緩和は円安誘導策との批判が海外で出ていることを暗に伝えているような発言がありました。円安を背景としたキャリートレードに関し、高金利国から「迷惑がかっている」と言われていたことも指摘しています。
もっとも株式市場では1月、証券取引法違反容疑で、東京地検特捜部がライブドア本社などに強制捜査に入ったことを受けて株価が暴落。政府側は拙速な量的緩和終了をけん制していました。
量的緩和終了に踏み切った3月の会合で、政府側出席者の赤羽一嘉・財務副大臣は「デフレに逆戻りすることがないよう責任を持って、金融面から経済を支えていただきたい」とクギを刺しています。
ただ、日銀の福井総裁は「株がおかしくなりそうだから、量の調節を手加減するという概念はないのではないか」と強気の姿勢を示しました。
もっとも政策委員の中でも「日銀は元々余裕を持って対応すると言ってきたのに、なぜそんなにここにきて急ぐのかという声があるのは事実。市場との対話が必ずしも円滑に進められてきたとは言い難い」(中原真委員)と、緩和解除は時期尚早との異論も出ました。
<解除で非難浴びる覚悟必要━福井総裁>
日銀が苦慮したのが、市場との対話でした。市場が4月末会合での量的緩和解除を織り込む中、福井総裁らは2月会合で、3月終了を織り込ませようと苦慮していました。「市場の期待形成に気になる点がある」「少なくとも4月まで解除はないと取られるような発言は、慎むべきである」(須田美矢子委員)との声が出ていました。
福井総裁は「マーケットで予断をもって臨んだ人が損をした結果、我々に非難を浴びせるが、そのコストは我々が被るという覚悟は、ある程度必要でないだろうか」(2月会合)と述べ、リスクを伴う決断に踏み切る姿勢をにじませていました。
<インフレ目標導入圧力に苦慮>
日銀は3月会合で量的緩和解除と同時に、その後の政策運営の指針として望ましい物価の水準を「中長期的な物価安定の理解」として公表しました。
現在の黒田日銀が掲げる物価安定目標の遠い祖先です。当時の日銀関係者の多くは一度掲げると政策運営を自動的に縛るとして警戒。妥協策として「理解」が誕生する様子が浮かび上がります。
委員らの間では、量的緩和終了後の金利形成に指針を与えるために「望ましいインフレ率について、事実上ある種のコンセンサスが必要」(中原真委員)との意見が増えました。
しかし、須田委員は、物価目標を掲げても金融政策は最終的に総合判断が必要と強くけん制。「増税や歳出削減が難しいとなると、政治的なそれをインフレタックスに求めがちである。そうすると政治サイドから出てくる物価目標は、自ずと高いものになりがち」(2月会合)と、物価目標の提示と政治サイドからの「情報発信」による複雑な現象を分析するような発言もありました。
<妥協の産物『物価安定の理解』に異論百出>
委員らの間で望ましい物価水準が異なることも、議論を複雑にしました。西村清彦委員は0.8%プラスマイナス0.5、岩田一政副総裁が1─2%、水野温氏委員が0.5%ぐらい、中原真委員が1─2%ただし当面スタートとしては0.5─1%ぐらいを挙げました。須田美矢子委員は「中長期的に見て物価が安定していると理解する物価上昇率の中心値はゼロに近いプラス」としていました。
福井総裁も「数値というのはなかなか皆さん幅があって、一文では表しがたいところがある。ゼロ─2%ということであれば、各委員のご理解の範囲と非常に大きく離れているということはない」としたうえで「わたしはやはりゼロ─2%。少し絞れば0.5%─1.5%。中心値は1%以下である」。武藤敏郎副総裁は「私自身はゼロ─2%といっても、ゼロと2%を含まないイメージ」「1%前後で分散しているぐらいは言わないと、せっかくやるにしてはあまりに透明性が低過ぎないか」と総括しました。
「物価安定の理解」との表現をめぐっても、異論が百出しました。福井総裁は「これはターゲットではないし、ルール・ベースのマネタリー・ポリシーをやる訳でもなく、新しいものだということを伝えなければならない」と力説しました。
だが、「理解という名前、少しわかりにくい。できれば『望ましい物価上昇率』という言葉が使えればよい」(春英彦委員)、「『理解』という言葉の意味が、そうでなくとも分かりにくい。せっかく公表したものの、持つ意味がかえって市場等に混乱をもたらしてしまうのを避けなければならない」(須田美矢子委員)など異論が飛びかいました。
<きっとうまくやれる─福井総裁>
量的緩和解除で警戒された金融市場の大きな混乱は回避されたものの、その後の市場の関心は、ゼロ金利解除のタイミングと利上げペースに集中しました。景気が日銀の見通しに沿って回復を続ける中、日銀が「極めて低い金利水準による緩和的な金融環境を当面維持できる」と強調しているにもかかわらず、市場の思惑は広がっていきました。
早くも06年度内に複数回の利上げを織り込むなど、中期ゾーンまでの金利が不安定化し、長期金利も上昇。量的緩和解除後で初めてとなった4月10、11日の会合では「やや過剰な織り込みだ。今後の市場との対話によって、場合によっては修正する、あるいはそもそも対話の姿勢を極めて慎重なものとする必要がある」(中原委員)など市場とのコミュニケーションに苦慮する委員の様子がうかがえました。
こうした議論を踏まえ福井総裁は「きっとわれわれは、うまくやっていける」と述べました。
その後は、日銀による慎重な情報発信の徹底が奏功し、市場の過度な織り込みは沈静化に向かいました。
一方で景気回復が続き、当座預金の超過準備の縮減が順調に進む中、ゼロ金利解除を意識した発言も出始めました。
5月18、19日の会合で、須田委員は「展望レポートのシナリオから下振れているということでなければ、その時にはすぐにゼロ金利を解除するのが望ましい」と言及。
次の6月14、15日の会合で、水野委員は「経済のファンダメンタルズからみれば、7月を待たずに今回の決定会合でゼロ金利を直ちに解除できる要件は整っているように思う」と発言。0.25%の利上げに踏み切る7月会合に向けて、環境が整備されていきました。結局のところ、ブログ冒頭の高橋洋一の記事にもあるように、 物価の「上方バイアス」を無視した結果、当時の日銀政策決定会合では、消費者物価の1月の数字について、誰も疑問を呈していなかったのです。これは本当に「ダメな会議」の典型です。
そうして、以上からわかるように、福井総裁は量的緩和解除に邁進していたことが良くわかります。
そうして、日銀は日本経済がまだ、完璧にデフレから脱却していないにもかかわらず、デフレから脱却したものと判断して、金融緩和を打ち切りとんでもないことになりました。
福井総裁の後は、ご存知のように白川氏が、日銀総裁となりましたが、白川も福井総裁とかわらずどころか、量的緩和解除どころか、何が何でも、金融引き締めをするという方針を貫き通しました。
そのおかげて、日本経済はせっかく2006年当初には、景気が良くなりかけていたにもかかわらず、デフレスパイラルの泥沼に陥り、国内でモノは売れず、国外では超円高で、輸出企業が大変目にあいました。
そうして、2008年にはあのリーマン・ショックを迎えることになります。リーマン・ブラザーズの破綻により、アメリカやEUなどは景気が停滞しました。しかし、これらの国々では、中央銀行がこれに対処するため、徹底した金融緩和策を実行しました。
そのため、米国はリーマン・ブラザーズの破綻による影響を直接蒙り、EUも米国のサブプライムローンなどかなり取引をしていたので、かなりの悪影響を受けにもかかわらず、徹底した金融緩和のおかげて、比較的早く立ち直ることができました。
しかし、他国が量的緩和をするなか、日銀は量的緩和解除の姿勢を変えることなく、何もしなかったため、さらにデフレ・円高が進行し、日本経済はとんでもない状況に陥り、他国にはない和製英語であるリーマン・ショックという言葉が用いられることになりしまた。世界の中で、このショックから一番遅く立ち直ったのは、日本という有様でした。
日本では、当時証券会社などで、サブプライムローンなど扱うような余裕もないくらいだったので、本当は一番影響が少ないはずでした。にもかかわらず、リーマン・ショックという和製英語がつくられくらい、その悪影響をもろに被りとんでもないことになりました。
もし、リーマン・ブラザーズが破綻した直後に、他の国々が金融緩和に走る中、日銀も大規模な金融緩和を実行していれば、多少経済が停滞したにしても、リーマン・ショックと呼ばれる程の痛手を被らなくてもすんだと思います。
そのため、私はリーマン・ショックという言葉を用いるのは適当ではないと考えたため、このブログでは、リーマン・ショックではなく日銀ショックと呼ぶことにしています。このことについては、以前のこのブログに掲載したことがあります。
2008年リーマン・ブラザーズ破綻 取り外された看板 |
とはいいながら、人間とは間違うこともあるものです。しかし、2006年で判断ミスをしたとしても、2008年にサブプライムローンの破綻によるリーマン・ブラザースの破綻の直後他国が気合を入れて、金融緩和に走った後まで、大規模な金融緩和に踏み切らなかったことは本当に愚かだと思います。
そうして、そのような決定をさせなかったのは、無論当時の日銀政策決定会議の結論です。これこそ、本当に大馬鹿会議です。
このようなことは二度と繰り返すべきではありせん。そもそも、日本では、日銀法が改悪され、日本の金融政策の目標が大馬鹿会議であった日銀政策決定委員会という会議で決定されるというのが異常です。
どんな時でも、金融引き締めの姿勢を崩さなかった白川前日銀総裁 |
そうして、他国では、中央銀行が専門家的立場から、政府が決定した金融政策の目標を実現するために、自由に方法を選ぶことができるというのを、中央銀行の独立性としています。
しかし、日本では、なぜか日銀が日本国の金融政策の目標を定めることになっています。これは、異常です。
今後、これを改め、日本国の金融政策の目標は、あくまで国民によって選ばれた、議員による政府が定めるようにすべきです。
そうでなければ、馬鹿な会議をした過去の政策決会合のように、また馬鹿な会議をして、愚かな決定をすることもあり得ます。
それだけは、絶対に避けるべきです。そのために、日銀法を一日も早く改正すべきです。
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