財務省に気を使ったの…?
税制改革が話題になっているが、アメリカでも税制改革が行われており、比較すると、日米での改革が好対照な状況になっている。
アメリカでは、共和党が35%の連邦法人税率を2018年から21%に引き下げる大型減税法案を決定した。個人所得税の最高税率も現在39.6%から37%に下げ、概算控除も2倍に増やすという。その結果、全体の減税規模は10年間で1.5兆ドル、年間円換算で17兆円となる。この減税規模は、過去最大とされた2001年の「ブッシュ減税」を上回るものとなる。
一方、日本では、自民党の税制改正大綱が決定され、法人税では「事業継承税制「賃上げ・設備投資減税」があったが、結果として「増税減税ゼロ」「所得税は900億円増税」、たばこ税は2400億円増税などで、結果的に全体で2800億円の増税である。
今回は予算編成の真っ最中に衆院解散・総選挙があった。その際、2019年の消費増税は予定通りとして、同時に財政再建は棚上げにした。官邸は財務省と交渉して「消費増税は飲むが財政再建は飲まない」としたのだ。
ところが、政治の世界では、歳出の中身の変更は、個別分野の利益代表による反対が生じるので難しい。それよりも増税に反対する方が少ないと判断される場合には、増税で歳出増が選択される傾向にある。今回の場合、経済界が消費増税に賛成なので、「消費増税で財政再建棚上げ」という選択肢が取られることになった。
財務省は経済界に消費増税を賛成してもらったので、その見返りに、法人税、租税特別措置には手をつけられない。特に、経団連企業は、租税特別措置で大きな利益を得ているので、この見直しは政治的には不可能に近かった。
また、いくら企業の内部留保が大きすぎると指摘されても、それへの課税は検討されることはなかった。麻生財務大臣は、何度も内部留保が大きいことを指摘していたが、結局それへの課税(実質的に法人税増税)を言及せず、逆に内部留保の活用をした企業には減税措置をする、と言い出す始末だった。
こうして、消費税も法人税も何も手をつけられないとなれば、消去法として、所得税しか手をつけられない。その結果、今回の税制改正は所得税が中心となったわけだ。
といっても、実は本格的な所得税改正ではない。税率変更となると、所得再分配をどうするかという大きな政治問題にもつながるのだが、控除額の増減という技術論でごまかしたという印象である。これ以降、官邸としては自民党税調・財務省にお任せになる。税制中立であればまだわかるが、結局少ない額とはいえ、不公平な増税になったことには間違いない。
「税率変更はしていないので大改正ではない」「控除額の変更で所得再分配をした」といいながら、細かな増税の積み重ねで、税収の確保はちゃっかり実行するという、いかにも財務省のやりそうな税制改正、というのが感想だ。実際、細かな増税策が積み重なると、結局は財政再建路線が進められるおそれがある。
財務省が進める財政再建路線をサポートするものとして、「将来の日本のために、いまは痛みに耐えるべきだ」という議論がある。これは、いまだに学者やメディアの見解で見受けられる。
「痛みに耐える」論の有名なものとして、「米百俵の精神」というものがある。これは小泉政権発足直後の国会の所信表明演説に引用されたことで有名になったが、長岡藩の藩士小林虎三郎による教育にまつわる故事であり、百俵の米を食べずに売却して、学校設立資金に充てたという話だ。
今の財政で考えると、政府支出をする際、消費支出を削って投資支出に振り替えたことに相当する。当面の消費支出を我慢できるのであれば、将来投資にかけてみるというのは、(それが正しい投資であれば)妥当な判断になる。
いまは、その故事を曲解して使っているのが問題なのである。しばしばいわれるのが、「いま消費増税をして、日本の債務を返済して、将来の不安を解消しよう」という類いである。
いま消費増税するのは、いま政府支出を削減することと、マクロ経済から見れば同じである。そこでとりあえず(その是非は別として)、消費増税と歳出削減は実質的に同じとして話を進めよう。
その上で、その次にくるのが「債務削減」である。ここがポイントであるが、「債務削減」と「投資支出」は似て非なるものだ。
こういうと、「痛みに耐える」論者からの反論がある。債務はマイナスの投資であり、それを削減することは実質的に投資を行うことと同じ、というものだ。そのうえで、いま消費増税(歳出削減)して債務を返済するのは、米百俵の精神に合致するという。
しかし、正しい投資であれば、投資による将来の収益は、債務による将来の利払いを上回るものだ。たしかに、債務はマイナスの投資の側面はあるものの、その収益率を考えると、債務のマイナスの収益率は、投資の収益率を下回る。つまり、消費増税(歳出削減)したら、債務の返済に回すのではなく、適切な分野を選んで将来投資するのが正しい政策となる。
次に、消費増税(歳出削減)という前提が正しいのかどうか。米百俵の場合、米が他藩から送られてきたという他力的なところから事実がスタートしている。しかし、消費増税(歳出削減)は他力ではなく主体的に行うものだ。
さて、マクロ経済からみれば、失業をなくすのが人的資源の最高活用になる。そうでないと物的資源も活用できない。つまり投資不足にもなる。投資不足になると社会的な人的・物的投資が最適水準より低くなって、将来の富をも減少させる。
そのため、失業率が最低水準で完全雇用の状態でなければ、消費増税(歳出削減)は、将来のマクロ経済状況を悪化させ、ひいては将来の財政事情も危うくするので、不適切な選択となる。「痛みに耐える」論は、本来の趣旨から逸脱しているのみならず、現在の人をも痛め、さらに将来の人をも痛める可能性がある危険な議論なのだ。
マクロ経済からみると、経済運営の良しあしが見やすくなる。マクロ経済政策としては、金融政策と財政政策があるが、それらは下図のように運営されるべきである。
マクロ経済状況で着目すべきは、インフレ率と失業率である。周知のようにインフレ率と失業率は逆相関関係(フィリップス関係)にある。ただし、失業率はある一定からは下がらない(経済学でいうインフレ率を加速させない失業率NAIRUとほぼ同じ)。それを達成する最低のインフレ率を「インフレ目標」とする。
失業率がNAIRU、インフレ率がインフレ目標であれば、雇用状況は完璧であり、賃金上昇もあり、その結果として適度なインフレ率になるので、これが理想的な経済状況「最適点」となる(図の中の黒丸)。この場合、名目成長もベストになるので、財政問題も自ずと改善する。
マクロ経済運営としては、「最適点」の左側では金融緩和・積極財政、右側になったら金融引締・緊縮財政を採る、というのが基本である。
日本の場合、インフレ目標2%、NAIRU2%台半ば、というのが現状だ。5年前の民主党政権時代では、遙か左であったが、安倍政権になってから、徐々に右にシフトしてきた。2014年の消費増税は失敗であったが、それでも何とか「最適点」に近づいてきた。とはいえ、まだ左である(10月のインフレ率(消費者物価総合)0.2%、失業率2.8%)。
なお、8月21日の本コラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52640)において、2%台半ばの失業率と2%インフレを達成するために、GDPの4.5%程度の有効需要が必要であると書いたが、2%程度のミスタイプであったので、訂正しておきたい。
さて、日銀は昨年9月から長期金利をゼロ%程度にするように調整しており、その意味では、マネタリーベースの増加額は金利維持のために必要な額となるので、長期金利がゼロ%になっていれば、それが低下すること自体はさほど意味があるわけでない。
12月4日、新発10年国債の利回りは0.035%であり、ほぼゼロ%金利水準は達成されていると言えよう。今年初めからの動きをみても、概ね0~0.1%の範囲になっているので、日銀の意図した金利になったとも言える。問題は、それでインフレ目標2%が達成できるかどうかである。
過去10年間の10年国債利回りの推移をみると、昨年9月以前はマイナスレンジであったが、日銀がゼロ金利を打ち出してから、若干のプラスレンジになっている。それとほぼ同時期に、日銀のマネタリーベースの増加額が減少し始めるが、それは日銀の国債購入額の減少によるものだ。つまり、国債購入額の減少が長期金利の若干の金利高をもたらしている。
こういう日銀のオペレーションは、はたしてインフレ目標達成のための近道になっているのだろうか。
データを見る限り、失業率の低下は足踏み状態だし、インフレ率についても、11月の全品目消費者物価異数対前年同月比は0.2%。生鮮食品を除いてみると0.8%、食料とエネルギーを除くと0.3%であり、インフレ目標2%にはほど遠い状況だ。こうしたデータから、筆者は、日銀のオペレーションは短期的には正しい方向に進んでいるとは見ていない。
さらに、今回の税制改正である。これでは、財政面でも日銀の目標達成を後押ししているとはいいがたい。要するに、まだ日本経済は最適点の左なのに、(最適点を目指すために)金融緩和・積極財政を進めようとしているとは言いがたいのだ。
一方、アメリカの場合、インフレ目標2%、NAIRU4%程度である。今は、ほぼ「最適点」であるが、少しだけ左側だ(10月のインフレ率(PCE)1.6%、失業率4.1%。)。
アメリカの金融政策はやや引き締め基調になっている。また、財政面では、今回の減税政策から積極財政に入っている。やや金融引き締め・積極財政なので、アメリカ経済を最適点にさらに近づけるかややインフレ気味の過熱経済を目指しているかのようだ。
先進国では、「痛みに耐える」論のような緊縮財政への訴えがしばしば聞かれる。しかし、今回の税制改正を見る限り、やはり「痛みに耐えるべき」と訴えるのは、ある種「緊縮病」というべき異様さを感じざるをえない。
【私の論評】経済対策は中途半端をすれば失敗する(゚д゚)!
ブログ冒頭の高橋洋一氏の記事にもあるように、日経新聞などメディアや学界の多数派は財務官僚に同調し、まるで念仏を唱えるかのように緊縮財政に固執していますが、米国ではデフレ圧力のもとでは財政赤字が有効という財政論「シムズ理論」が主流になりつつあります。日本の“主流派”もいい加減、目覚めたらどうなのでしょうか。
安倍総理の経済アドバイザーを務める浜田宏一内閣官房参与(米エール大学名誉教授)、彼をして「目から鱗」と言わしめたのが、いわゆる「シムズ理論」です。これは2011年にノーベル経済学賞を受賞した米プリンストン大学のクリストファー・シムズ教授の「物価水準の財政理論 (FTPL)」を言います。
シムズ教授は、日本の消費税増税後のデフレ圧力を念頭に、金融緩和を生かすためには財政支出拡大が必要と論じています。日銀はマイナス金利政策を続けていますが、マイナス金利は政府の金利負担を減らす代わりに、家計など民間の金利所得を減らすことになります。収益の減少を恐れる銀行は融資を渋るので、デフレ不況になります。それを回避するためには、政府が財政赤字にこだわらず財政支出を拡大すべきで、消費税率引き上げは脱デフレを達成した後に繰り延べるべきだという理論です。
先進国の間ではすでに財政による成長支援、インフレ率引き上げが採用されつつあり、その流れの中にあって、日本も積極財政に転換しました。そこへこの「シムズ理論」が入ってきたために、政府は公然と「2020年度もプライマリーバランスは均衡せず、8兆円以上の赤字が残る」と言ってはばかりません。
この「シムズ理論」の核心は、政府の「いい加減さ」にあり、国債も全部は償還できない、財政赤字を増税などで穴埋めもしない、と言って国民を不安に陥れることにあります。そして2017年度予算が通りました。歳出が97兆4500億円、税収は57兆7100億円で、前年に比べて税収が1000億円増加する一方、歳出は7000億円増加し、「いい加減さ」は見せました。
財政赤字の縮小に目途が立ち、年金など将来の不安もなくなれば、消費者も安心して消費を拡大し、需要の拡大、成長促進となり、デフレも心配なくなるかもしれません。そもそも、国民は物価が上がらない状況に不満はなく、逆に賃金が上がらないままインフレになることこそ、国民の敵です。国民生活を犠牲にして政府の債務負担だけ軽減されるインフレは誰も望んでいません。
ただし、日本の財政赤字は上でも示したように、財務省が創造した幻想に過ぎません。であれば、理屈から言って財政赤字が多少増えたにしても、何の問題もないわけですから、ここはやはりシムズ理論に処方箋も含めて素直に従うべきでしょう。
結局は財政再建路線か…
財務省は経済界に消費増税を賛成してもらったので、その見返りに、法人税、租税特別措置には手をつけられない。特に、経団連企業は、租税特別措置で大きな利益を得ているので、この見直しは政治的には不可能に近かった。
また、いくら企業の内部留保が大きすぎると指摘されても、それへの課税は検討されることはなかった。麻生財務大臣は、何度も内部留保が大きいことを指摘していたが、結局それへの課税(実質的に法人税増税)を言及せず、逆に内部留保の活用をした企業には減税措置をする、と言い出す始末だった。
こうして、消費税も法人税も何も手をつけられないとなれば、消去法として、所得税しか手をつけられない。その結果、今回の税制改正は所得税が中心となったわけだ。
といっても、実は本格的な所得税改正ではない。税率変更となると、所得再分配をどうするかという大きな政治問題にもつながるのだが、控除額の増減という技術論でごまかしたという印象である。これ以降、官邸としては自民党税調・財務省にお任せになる。税制中立であればまだわかるが、結局少ない額とはいえ、不公平な増税になったことには間違いない。
「税率変更はしていないので大改正ではない」「控除額の変更で所得再分配をした」といいながら、細かな増税の積み重ねで、税収の確保はちゃっかり実行するという、いかにも財務省のやりそうな税制改正、というのが感想だ。実際、細かな増税策が積み重なると、結局は財政再建路線が進められるおそれがある。
危険な議論
財務省が進める財政再建路線をサポートするものとして、「将来の日本のために、いまは痛みに耐えるべきだ」という議論がある。これは、いまだに学者やメディアの見解で見受けられる。
「痛みに耐える」論の有名なものとして、「米百俵の精神」というものがある。これは小泉政権発足直後の国会の所信表明演説に引用されたことで有名になったが、長岡藩の藩士小林虎三郎による教育にまつわる故事であり、百俵の米を食べずに売却して、学校設立資金に充てたという話だ。
今の財政で考えると、政府支出をする際、消費支出を削って投資支出に振り替えたことに相当する。当面の消費支出を我慢できるのであれば、将来投資にかけてみるというのは、(それが正しい投資であれば)妥当な判断になる。
いまは、その故事を曲解して使っているのが問題なのである。しばしばいわれるのが、「いま消費増税をして、日本の債務を返済して、将来の不安を解消しよう」という類いである。
いま消費増税するのは、いま政府支出を削減することと、マクロ経済から見れば同じである。そこでとりあえず(その是非は別として)、消費増税と歳出削減は実質的に同じとして話を進めよう。
その上で、その次にくるのが「債務削減」である。ここがポイントであるが、「債務削減」と「投資支出」は似て非なるものだ。
こういうと、「痛みに耐える」論者からの反論がある。債務はマイナスの投資であり、それを削減することは実質的に投資を行うことと同じ、というものだ。そのうえで、いま消費増税(歳出削減)して債務を返済するのは、米百俵の精神に合致するという。
しかし、正しい投資であれば、投資による将来の収益は、債務による将来の利払いを上回るものだ。たしかに、債務はマイナスの投資の側面はあるものの、その収益率を考えると、債務のマイナスの収益率は、投資の収益率を下回る。つまり、消費増税(歳出削減)したら、債務の返済に回すのではなく、適切な分野を選んで将来投資するのが正しい政策となる。
次に、消費増税(歳出削減)という前提が正しいのかどうか。米百俵の場合、米が他藩から送られてきたという他力的なところから事実がスタートしている。しかし、消費増税(歳出削減)は他力ではなく主体的に行うものだ。
さて、マクロ経済からみれば、失業をなくすのが人的資源の最高活用になる。そうでないと物的資源も活用できない。つまり投資不足にもなる。投資不足になると社会的な人的・物的投資が最適水準より低くなって、将来の富をも減少させる。
そのため、失業率が最低水準で完全雇用の状態でなければ、消費増税(歳出削減)は、将来のマクロ経済状況を悪化させ、ひいては将来の財政事情も危うくするので、不適切な選択となる。「痛みに耐える」論は、本来の趣旨から逸脱しているのみならず、現在の人をも痛め、さらに将来の人をも痛める可能性がある危険な議論なのだ。
安倍政権になってから…
マクロ経済からみると、経済運営の良しあしが見やすくなる。マクロ経済政策としては、金融政策と財政政策があるが、それらは下図のように運営されるべきである。
マクロ経済状況で着目すべきは、インフレ率と失業率である。周知のようにインフレ率と失業率は逆相関関係(フィリップス関係)にある。ただし、失業率はある一定からは下がらない(経済学でいうインフレ率を加速させない失業率NAIRUとほぼ同じ)。それを達成する最低のインフレ率を「インフレ目標」とする。
失業率がNAIRU、インフレ率がインフレ目標であれば、雇用状況は完璧であり、賃金上昇もあり、その結果として適度なインフレ率になるので、これが理想的な経済状況「最適点」となる(図の中の黒丸)。この場合、名目成長もベストになるので、財政問題も自ずと改善する。
日本の場合、インフレ目標2%、NAIRU2%台半ば、というのが現状だ。5年前の民主党政権時代では、遙か左であったが、安倍政権になってから、徐々に右にシフトしてきた。2014年の消費増税は失敗であったが、それでも何とか「最適点」に近づいてきた。とはいえ、まだ左である(10月のインフレ率(消費者物価総合)0.2%、失業率2.8%)。
なお、8月21日の本コラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52640)において、2%台半ばの失業率と2%インフレを達成するために、GDPの4.5%程度の有効需要が必要であると書いたが、2%程度のミスタイプであったので、訂正しておきたい。
「緊縮病」に陥ってやいないか
さて、日銀は昨年9月から長期金利をゼロ%程度にするように調整しており、その意味では、マネタリーベースの増加額は金利維持のために必要な額となるので、長期金利がゼロ%になっていれば、それが低下すること自体はさほど意味があるわけでない。
12月4日、新発10年国債の利回りは0.035%であり、ほぼゼロ%金利水準は達成されていると言えよう。今年初めからの動きをみても、概ね0~0.1%の範囲になっているので、日銀の意図した金利になったとも言える。問題は、それでインフレ目標2%が達成できるかどうかである。
過去10年間の10年国債利回りの推移をみると、昨年9月以前はマイナスレンジであったが、日銀がゼロ金利を打ち出してから、若干のプラスレンジになっている。それとほぼ同時期に、日銀のマネタリーベースの増加額が減少し始めるが、それは日銀の国債購入額の減少によるものだ。つまり、国債購入額の減少が長期金利の若干の金利高をもたらしている。
こういう日銀のオペレーションは、はたしてインフレ目標達成のための近道になっているのだろうか。
データを見る限り、失業率の低下は足踏み状態だし、インフレ率についても、11月の全品目消費者物価異数対前年同月比は0.2%。生鮮食品を除いてみると0.8%、食料とエネルギーを除くと0.3%であり、インフレ目標2%にはほど遠い状況だ。こうしたデータから、筆者は、日銀のオペレーションは短期的には正しい方向に進んでいるとは見ていない。
さらに、今回の税制改正である。これでは、財政面でも日銀の目標達成を後押ししているとはいいがたい。要するに、まだ日本経済は最適点の左なのに、(最適点を目指すために)金融緩和・積極財政を進めようとしているとは言いがたいのだ。
一方、アメリカの場合、インフレ目標2%、NAIRU4%程度である。今は、ほぼ「最適点」であるが、少しだけ左側だ(10月のインフレ率(PCE)1.6%、失業率4.1%。)。
アメリカの金融政策はやや引き締め基調になっている。また、財政面では、今回の減税政策から積極財政に入っている。やや金融引き締め・積極財政なので、アメリカ経済を最適点にさらに近づけるかややインフレ気味の過熱経済を目指しているかのようだ。
先進国では、「痛みに耐える」論のような緊縮財政への訴えがしばしば聞かれる。しかし、今回の税制改正を見る限り、やはり「痛みに耐えるべき」と訴えるのは、ある種「緊縮病」というべき異様さを感じざるをえない。
【私の論評】経済対策は中途半端をすれば失敗する(゚д゚)!
ブログ冒頭の高橋洋一氏の記事にもあるように、日経新聞などメディアや学界の多数派は財務官僚に同調し、まるで念仏を唱えるかのように緊縮財政に固執していますが、米国ではデフレ圧力のもとでは財政赤字が有効という財政論「シムズ理論」が主流になりつつあります。日本の“主流派”もいい加減、目覚めたらどうなのでしょうか。
安倍総理の経済アドバイザーを務める浜田宏一内閣官房参与(米エール大学名誉教授)、彼をして「目から鱗」と言わしめたのが、いわゆる「シムズ理論」です。これは2011年にノーベル経済学賞を受賞した米プリンストン大学のクリストファー・シムズ教授の「物価水準の財政理論 (FTPL)」を言います。
米プリンストン大学のクリストファー・シムズ教 |
これはざっくり言えば、物価目標を達成するには金融政策では限界があるとして、財政支出を拡大し、増税は先送りして、国民に「政府は債務を返済できない」と不安がらせ、返済しきれない分を物価上昇で穴埋めする、という考え方です。つまり、政府の無責任によって国の信用を低下させ、通貨価値を下落させることで物価を押し上げようというものです。
シムズ教授は、日本の消費税増税後のデフレ圧力を念頭に、金融緩和を生かすためには財政支出拡大が必要と論じています。日銀はマイナス金利政策を続けていますが、マイナス金利は政府の金利負担を減らす代わりに、家計など民間の金利所得を減らすことになります。収益の減少を恐れる銀行は融資を渋るので、デフレ不況になります。それを回避するためには、政府が財政赤字にこだわらず財政支出を拡大すべきで、消費税率引き上げは脱デフレを達成した後に繰り延べるべきだという理論です。
先進国の間ではすでに財政による成長支援、インフレ率引き上げが採用されつつあり、その流れの中にあって、日本も積極財政に転換しました。そこへこの「シムズ理論」が入ってきたために、政府は公然と「2020年度もプライマリーバランスは均衡せず、8兆円以上の赤字が残る」と言ってはばかりません。
この「シムズ理論」の核心は、政府の「いい加減さ」にあり、国債も全部は償還できない、財政赤字を増税などで穴埋めもしない、と言って国民を不安に陥れることにあります。そして2017年度予算が通りました。歳出が97兆4500億円、税収は57兆7100億円で、前年に比べて税収が1000億円増加する一方、歳出は7000億円増加し、「いい加減さ」は見せました。
ところが、この2017年度予算に対して、財務省幹部は「管理された財政拡張」つまり、歳出増大によって借金は増えるが、まだ財政当局のコントロール下にある、と言っています。これは、ある意味では「シムズ理論」の「邪魔」になります。国民に不安にさせるのが「シムズ理論」のミソですが、当局の管理下にあると説明しては、いずれ赤字削減策がとられると期待させてしまいます。
そうなると、将来の増税、歳出削減などを国民が予想するので、結果的にデフレになる、とシムズ教授自ら指摘しています。日本はこれまでさんざん財政赤字を拡大し、世界の主要国の間でも最もGDP比で債務残高が大きな国となりました。
そうなると、将来の増税、歳出削減などを国民が予想するので、結果的にデフレになる、とシムズ教授自ら指摘しています。日本はこれまでさんざん財政赤字を拡大し、世界の主要国の間でも最もGDP比で債務残高が大きな国となりました。
とは、いいながら、これはこのブログで何度か説明してきたことですが、実は日本政府には世界一の資産、それも金融資産を所有しているので、これを相殺すれば、さほどの金額ではなく、むしろ米英よりもGDP比では政府債務は少ないです。
ただし、財務省は日本のメディアや識者を利用して、日本の財政赤字を大問題として煽ってきました。そのため、実体はどうなのかは別にして、大多数の国民は、日本政府の借金はとんでもないことになっていると思い込んでいるのです。
それでもインフレにならない理由として、シムズ教授は「いずれ増税で穴埋めされる」との国民の期待がデフレをもたらしていると説明しているのです。
ただし、財務省は日本のメディアや識者を利用して、日本の財政赤字を大問題として煽ってきました。そのため、実体はどうなのかは別にして、大多数の国民は、日本政府の借金はとんでもないことになっていると思い込んでいるのです。
それでもインフレにならない理由として、シムズ教授は「いずれ増税で穴埋めされる」との国民の期待がデフレをもたらしていると説明しているのです。
今の日本は、このシムズ理論を中途半端に利用しようとしているように見えます。財政赤字拡大を正当化する裏付け理論としてシムズ理論を使いながら、その処方箋に従わず、財政赤字は当局の管理下にある、としています。これでは不安からくる通貨価値の下落にはつながりません。
もっとも、当局が言うほど、今の日本では財政赤字が当局のコントロール下にあるとも思えません。そうなると、都合の良い所だけシムズ理論を使って財政赤字を正当化し、それでも将来の赤字補てんをイメージさせるために、かえって赤字がデフレ要因となり、従ってインフレ目標はいつになっても達成されず、ずるずると財政赤字だけが拡大する形になります。
ガスに火をつければお湯も沸き、料理もできますが、ガスを全開にしながら火をつけなければ、ガス中毒になって倒れてしまいます。抗生物質も菌が死ぬまで飲み切らずに、中途半端に止めてしまうと、抗生物質の利かない菌が発生して手に負えなくなります。
シムズ理論に絶対的な評価をするのであれば、とことんその処方箋に従って使う必要があり、インフレの実現が見えれば早急に引き締め転換する必要があります。逆に、シムズ理論が望ましい成果をもたらさないとの疑問があれば、中途半端にこれを使わず、つまり安易に財政赤字を拡大しないことです。
もっとも、当局が言うほど、今の日本では財政赤字が当局のコントロール下にあるとも思えません。そうなると、都合の良い所だけシムズ理論を使って財政赤字を正当化し、それでも将来の赤字補てんをイメージさせるために、かえって赤字がデフレ要因となり、従ってインフレ目標はいつになっても達成されず、ずるずると財政赤字だけが拡大する形になります。
ガスに火をつければお湯も沸き、料理もできますが、ガスを全開にしながら火をつけなければ、ガス中毒になって倒れてしまいます。抗生物質も菌が死ぬまで飲み切らずに、中途半端に止めてしまうと、抗生物質の利かない菌が発生して手に負えなくなります。
シムズ理論に絶対的な評価をするのであれば、とことんその処方箋に従って使う必要があり、インフレの実現が見えれば早急に引き締め転換する必要があります。逆に、シムズ理論が望ましい成果をもたらさないとの疑問があれば、中途半端にこれを使わず、つまり安易に財政赤字を拡大しないことです。
財政赤字の縮小に目途が立ち、年金など将来の不安もなくなれば、消費者も安心して消費を拡大し、需要の拡大、成長促進となり、デフレも心配なくなるかもしれません。そもそも、国民は物価が上がらない状況に不満はなく、逆に賃金が上がらないままインフレになることこそ、国民の敵です。国民生活を犠牲にして政府の債務負担だけ軽減されるインフレは誰も望んでいません。
ただし、日本の財政赤字は上でも示したように、財務省が創造した幻想に過ぎません。であれば、理屈から言って財政赤字が多少増えたにしても、何の問題もないわけですから、ここはやはりシムズ理論に処方箋も含めて素直に従うべきでしょう。
日本ではシムズ理論は、政府債務の削減を目標とするのではなく、あくまでも物価目標を達成するために実行すべきです。そうして、ブログ冒頭の高橋洋一氏の経済対策も、結局NAIRUなどの指標を用いているものの、結局シムズ理論の適用に近いものになると思います。
経済を良くするのは、結局アプローチが違っても似たようなものになるのでしょう。金融緩和をしながら一方では、増税などの緊縮策をするというのは、全くおかしいです。甚だしい中途半端です。車でいえば、一方でアクセルを踏みながら、他方でブレーキをかけているようなものです。
いずれにしても、中途半端はいけません。中途半端をすれば、どんな経済政策でもいずれ必ず失敗します。
【私の論評】
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