「第40回戦没・殉職船員追悼式」に出席し、献花する天皇、
皇后両陛下=4日午前、神奈川県横須賀市の観音崎公園
天皇、皇后両陛下は4日午前、神奈川県横須賀市の観音崎公園を訪れ、太平洋戦争で亡くなった6万人を超える商船や漁船の船員を慰霊する「第40回戦没・殉職船員追悼式」に出席された。
両陛下は午後、神奈川県葉山町の葉山御用邸入りし、8日まで静養する予定。週明けの首相任命式や閣僚認証式の日程次第で、天皇陛下の帰京が早まる可能性もある。静養には秋篠宮ご一家も合流する。
追悼式では、公園内の会場に到着した両陛下が「戦没船員の碑」の前に並んで供花。国土交通省の谷口博昭事務次官が鳩山由紀夫首相の「追悼の辞」を代読した。追悼式は1971年から毎年開かれており、両陛下は皇太子時代の第1回をはじめ、2000年の第30回にも出席している。
私たちの国日本は朝廷があることにより昔から大きな動乱などに巻き込まれずにすんできた!!
上の行事に関しては、以下のURLを参照してください。この行事の意味などが掲載されています。
http://www.kenshoukai.jp/
上の記事では、政治日程の都合で、陛下の帰京が早まる可能性もあると掲載されていますが、数日のずれくらいなら、ご予定を変更するなどのことしていただきたくはないものです。さて、菅さんと他の民主党の幹部など、このへんをどう扱うのか見ものだと思います。
日本には、朝廷という制度がもう2700年も続いてきています。現在は、ほとんど朝廷が顧みられることはあまりないのですが、この制度は日本の中で、歴史的にも文化的にも大きな役割を果たしてきました。
日本文化は、東アジアの中でも非常にユニークであり、確かに文化としては、中国などから影響を受けているには違いありませんが、決して一緒にはできない部分があります。
それは、やはり、八百万の神を受け入れてきた神道というある意味では、宗教をも超活して、私たちの生活に息づいてるものがあります。これによって、日本では、昔から大きな宗教戦争などありませんでした。
さらには、朝廷が厳然として存在していたたため、日本国内の紛争などはもとより、海外のとの戦争でも、日本が本格的に解体されてしまうということはありませんでした。明治維新は革命であることには変りないと思いますが、他国の革命のように、大きなま流血をともなったものであったのに比較すると、ほとんど無血革命でありながら、大きな社会変革となったことは、素晴らしいことであり、やはり、朝廷があったからできたことです。そうでなければ、他国の革命と同じようなことになったでしょう。
日本の特に、第二次世界大戦後の戦後処理においても、アメリカの進駐軍も朝廷を崩すことはできませんでした。そのため、日本は分割されることもなく、一つの国として維持できたという面は、否めないと思います。
この朝廷に関しては、国際政治などを学ぶための基礎中の基礎ともいえる、「文明の衝突」の著者、サミュエル・ハンチントンも実質的に認めざるををえないようです。ハンチントン自身は、この著書の中で、日本の文化を東アジア文化に含めることはせずに、日本独自の文化として扱っています。これに関しては,彼自身は、著書の中で、なぜそうするのかなどの説明などしていませんが、私は、やはり朝廷や、神道であると思っています。
最近、サミュエル・ハンチントンのが朝廷について、彼の理解の及ばないとこもあるのだと納得した動画があります。それを下に掲載しておきます。
動画の説明を以下に掲載しておきます。
リーダーシップ論の延長として、「制度化と参加」というパラダイムから、過渡期の政治秩序の在り様を考えてみたい。
これは、多くの発展途上国において生じる政治的不安定の原因を考えることにもなる。
従来の政治学では、参加(Participation)というのは、常に肯定的な要素とみなされてきた。これに反論したのが、アメリカの政治学者サミュエル・ハンチントンであった。
彼は、制度化(Institutionalization)と制度を対概念で用いる事により、制度化のレベルを超えた過度な参加は、政治社会を不安定に陥れると主張した。
発展途上国においては、伝統的な社会の制度が崩れる一方、流動化した大衆が無秩序に参加を求め、参加の量が制度化の水準を大きく上回ってしまう場合が多い。
この場合、政治秩序は著しく不安定となり、その不安定さのゆえに、経済発展も妨げられる場合が多い。
ハンチントンの理論は、ある意味で、開発独裁を合理化する理論であった。
ハンチントンの理論で欠落しているのは、国家の二元性という視点である。国家は単に、制度であるばかりでなく、その制度を支える徳(価値観)の共同体でもなければならない。ハンチントンはこの「徳の共同体」即ち、精神共同体としての国家を完全に無視している。
参加そのものの量が問題なのではない。徳の共同体がある限り、その基礎の上における参加は必ず、秩序と制度化を指向するものである。
徳の共同体を失った、やみくもな参加への衝動が、政治秩序を破壊するのである。
それ故に、単に上意下達的な制度化のレベルを上げる事によっては、参加の問題を解決する事は出来ない。常に徳の共同体としての国家を建設する努力を伴った制度化が行われてこそ、参加を排除しない安定した秩序が構築されるのである。ハンチントンは、いわゆる徳の共同体ということを意識していなかっのです。まさしく、日本においては、徳の共同体を実現するため、神道や、朝廷があったのであり、だからこそ、過去の歴史において為政者のレベルにおいては、国が別れて、統一されれていませんでしたが、意識の上で、日本(ひのもと)国とてしての統一性を保つことができ、武力衝突などがあっても、諸外国に比較して激烈なものならずに済んできたのです。
戦国時代というと、日本人の意識で、戦乱に明け暮れていたと考えられがちですが、当時のフランシスコ・ザビエルはバチカン宛の書簡で、「日本国は、日々至って平和である」旨を送っています。当時の、ヨーロツパなどと比較すれば、戦国時代の内乱など、たいしたものではなくほんの小競り合い程度のものといっても良いものだったのです。
それは、やはり、為政者を超越したえた朝廷の存在ということがあったためです。日本では、昔から、いよいよとんでもない国難に至れば、それまでは、すっかり影をひそめていたようにみえた、天皇陛下が表にあられてきて、そのご威光により、事態が収拾されてきました。
最近では、一般の人々、政治家もこのことをすっかり忘れています。本日もtwitteを見ていたら、自分の外に絶対的な存在を想定すれば、良いかもしれないなどということを書かれている方がいました。今の日本は、個人主義、それも、中途半端な個人主義が幅を効かせていて、何かこの方のような人が増えているような気がします。というより、今の日本では、この方の考え方のほうが、多数派なのかもしれません。
しかし、この個人主義アメリカでも、最近は見直されてきています。かの経営学の大家であるドラッカー氏も、共同体について力説していました。特に、都市の共同体について、力説していました。現在ドラッカーの思想的な子どもたち、孫たちである、ドラッカー財団の人々は、ドラッカーの考え方を引継ぎ、都市での共同体構築に邁進しています。彼らの著書の中のフレーズで頭にこびりついたものがあります。「一人ではあまりに虚しい、共同体の大義に生きることによって、喜びはさらに大きくなる」というものがありました。
現在、先進的な経営学の中でも、あるいは、社会変革を推進する非営利組織においても、共同体が強調されています。アメリカという国は、複数の民族が集まってつられている国ですから、やはり、意図して意識して、共同体を構築していく必要があるのだと思います。それにひきかえ、日本では中途半端な個人主義が幅を利かせ、何かそれが、トレンディーであるかのような誤った考え方を持った人が多いです。人間とはもともと、社会的な生物であって、社会的な生物にとって共同体は不可欠なものです。
日本では、古来から、すぺての人にとって、自分の外の絶対的な存在とは、朝廷であり、神道でもありました。そうして、これが、日本人、日本国の共同体の源であったわけです。意識も何もせずに、日本には、一つの共同体が最初からあったのです。それが、いつの間にか、そうではなくなりつつあります。故三島由紀夫氏も、このことにかなりの危機感を感じていたのだと思います。
日本におては、朝廷が忘れ去れつつありますが、諸外国の見方は違います。多くの外国人は、日本のことを、天皇を頂点とする立憲君主国家であると思っています。それに、いわゆる、序列の世界にいおいては、日本の天皇の位置づけは、日本で考えられているのとは全く異なります。最近の日本人の多くは、日本の天皇陛下と、イギリスの王室などと同次元でみているようですが、そんなことはあません。
現存するイギリスの王室などの、王とは、英語でいえば、kingです。kingとは、昔の日本でいえば将軍のようなものであり、あくまで、為政者の末裔ということになります。しかし、天皇は、英語ではempelorです。現存するempelorは、日本以外には存在しません。序列という観点からすれば、これに匹敵するのは、バチカン法王くらいなものです。だからこそ、オバマ大統領が天皇陛下に深々と挨拶するのは、当たり前のことなのです。
これに関しては、以下の動画など見ていただければ、非常わかりやすいものと思います。
天皇陛下の権威と男系継承の重要性を報道しない反日的な日本のマスコミ。GHQによって臣籍降下を余儀無くされた旧宮家を復帰させれば、皇位を男系で安定的につなぐことが出来る。
さて、もう一つ最近見つけた動画で、日本が中国を中心とする東アジア文化圏などとは、一緒にできない文化圏であることを裏付けるようなものがありましたので、下に掲載しておきます。
間接侵略を防いできた「神聖首長つまり君主は自我をもっていないけれども神聖で不可侵 である」という日本の伝統文化
さて、間接侵略も防いできたという、中国などとは全く出自の異なる、神聖首長である天皇陛下。このような制度があるため、私たちは、諸外国と比較すれば、紛争もなく平和に暮らすことができたです。
にもかかわらず、最近の政治は一体どうなっているのでしょうか?まずは、小沢氏など、天皇陛下に対する無礼なものいいなど、許されて良いはずがありません。彼の運命は、もうあのときで決まったのかもしれません。
それに、総理大臣の任期の短さに象徴される、政治の混乱ぶり。しかし、これだけ混乱しても、国が国としてまとまっていられるのは、日本国には伝統的な朝廷があるからにほかなりません。他国であれば、単なる混乱ではすまずに本格的な紛争になる場合もあります。現代政治家は、これを意識しているでしょうか?現在の民主党が強力に推進する、日本国解体を実施すれば、何かがあれば内乱などで明け暮れるような国になってしまうに違いありません。
私は、たとえ、現在の政党などこの世から消え去ったとしても、日本が日本である限りは、朝廷は残ると思います。いや、残さなければなりません。
ご存じのように、中国は、昔から統一と分裂を交互に繰り返してきました。その歴史からすれば、現代共産中国いずれ、分裂すると思います。
天皇陛下のような存在を持たず、分裂を繰り返してきた中国と、日本とどちらか良いのでしょうか?少なくとも、私たち日本人は、日本のほうが良いと思うのが当たり前のあり方だと思います。親中派の小沢氏などこの質問にどう答えるのでしょうか?
本日は、両陛下の「第40回戦没・殉職船員追悼式」へのお出ましの新聞記事に関連づけて、私が日頃から思う、朝廷のある日本国での意味合いや背景を掲載させていただきました。ここまで、読んでいただきありがとうございます。
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