市川海老蔵・小林麻央の結婚披露宴に出席した
前原誠司・国土交通大臣=29日午後、東京都港区
のザ・プリンス パークタワー東京
さらに「冠婚葬祭は人生で極めて大事なセレモニーだ。社会通念として、どちらを優先させるのかということを、政治家は判断をする」と述べた。ただ、政務に優先させたことへの批判に対しては「批判は甘んじて受ける」とした。
披露宴には、政界から前原氏のほか、森喜朗、小泉純一郎両元首相も出席していた。
かぶくものの披露宴に嬉々としてでかける、現職の大臣とは、世も末か?
さて、前原大臣の今回の奇行、皆さんはどう思われますか?私は、奇行と思います。それには、いくつかの意味があって、奇行だと思います。
まずは、両院議員総会よりも、一私人の結婚披露宴を優先させたことです。歌舞伎俳優の市川海老蔵氏がいくら有名だからとはいっても国政レベルなどからみれば、一私人に過ぎません。両院議員総会に関しては、会社でいえば、重要な会議のようなものです。取締役会などにも匹敵するようなものと思います。取締役会などに、結婚式を理由に欠席する人は滅多にいないと思います。どうしても、でたければ、ご夫人や、秘書など代理でだせばすむ事だと思います。
それから、やはり、芸能界や歌舞伎界の位置づけです。この点から考えると、そもそも、歌舞伎の俳優風情が、どのような付き合いをしていたかは、知りませんが、現職の大臣に対して、招待するということ自体がおかしなことです。まあ、民主党の場合は、大臣などといっても、そもそも、左翼政党ですから、そうでもないのかもしれませんが・・・・。いわゆる、お客様との付き合いと、政治家などとの付き合いとは、別物であることをわきまえるべきです。
これに関して、以前私のこのブログに「沢尻エリカ」が例の「べつに」騒動を起こしたときに、触れたことがあります。それを、以下に引用します。
今の日本、日本以外の国のように、職業の貴賎感がないこと、さらには、平等主義が行き届いていることは結構なのですが、やはり芸能人というものは、普通の人の生き方とは違い、芸能人の間での常識は、それ以外の生き方をしてる人の常識とは異なること、さらには、いわゆる芸能人とは、芸能人以外の人を楽しませるために存在しているのであり、それが芸能人の存在価値であるということを忘れてはならないと思います。これは、まともな商売人がお客さまを大事にするのと同じことだと思います。
こうした感覚が薄れてきて、非常識な芸能人が一般の人に向かって人生訓を垂れてみたり、オピニオンリーダー的なことを言ってみたり、政治の問題に口を挟んでみたり、あるいは芸能人を一般の人が甘やかすような風潮があったり、芸能人ばかりの問題ではなく、芸能人のような学者、弁護士、医師、政治家などがでてきています。このように、芸能人の世界と一般社会の常識の違いが不鮮明になったため、沢尻エリカさんのような芸能人が出てくるようになったのかもしれません。
芸能界の批判ばかり書いてしまいましたが、良識的な芸能人もいます。特に伝統と格式に培われた歌舞伎の世界の人々を思い出していただきたいと思います。私は歌舞伎界のことをすべて知っているわけではないので、ひょっとして例外はあるかもしれませんが、この世界の人々で、一般の人の向かって人生訓を垂れてみたり、オピニオンリーダー的なことを言ってみたり、政治の問題に口を挟んで見たりするような人、私の知る限り存在しません。いつも節度を保って一般の人と接していると思います。このように一部の例外を除いて日本の芸能界に関する常識は世界に通用しません。日本以外の国では、考えられないことです。はっきりいって、芸能人や音楽家、伝統芸能に従事している人など、社会一般の人より(遠い昔から、士農工商などといわれましたが、歌舞伎役者を含む芸人は、これにも属さないということです)ごく一般に、社会的な序列は、下というのが普通です。日本でも、一昔前は、このへんははっきりしていました。最近は少し乱れてきています。外国でも、サルコジのような例がありますから・・・・・・・。しかし、イギリスなどでは今でも厳格で、たとえば、このような話をすると、「ビートルズ」はどうなんだと、言う人もいますが、例をだせば、イギリスでも、比較的階層の高い人々が、出入する金融街「City」には、今でも、ビートルズの面々は受け入れられることはないでしょう。住む世界が違うからです。
しかし、だからといって、私は何も、イギリスの労働者の師弟が偉くなる道は、聖職者と大学教授しかないという、階層社会を良いといっているわけではありません。これは、なんとかすべきでしょう。しかし、厳然として存在していることには違いありません。日本人は、これを忘れがちだということをいいいたいのです。日本では、こうした身分制度などはとうの昔になくなり、良いことなのだとは思いますが、今度はそれが行き過ぎて、最近の芸能人の傍若無人振りには困ったところがあると思います。何の知識もない芸人風情が、テレビにでで、政治な経済などに口をはさむような場面が至るところでみられます。はては、オピニオンリーダー的な発言をすることもあり、あれなどみていると、一体この人はどういう資格があって、こういう発言をするのかと思い、それを許容していどころか、助長している。マスコミに疑問を感じます。
政治家と芸人が入り交じって、政治・経済の話をしているなどという諸外国では見られない、不思議なことが繰り返されています。まあ、階層などがなくなったことは良いのですが、このあたりはいかがなものかと思います。日本特有の事象だと思います。
それから、コミック雑誌の「モーニング」に「かぶくもの」というタイトルで、「歌舞伎」の語源にもなっコミックがはやった時に、歌舞伎に関しては、以下のような記事を掲載したことがあります。
歌舞伎の世界などでは、このあたりがはっきりしているようで、あまり奇怪な振る舞いをする人(注:最近の芸能人の行動などについて書きました)は少ないように思います。最近、アニメの「かぶく者」(モーニング)が大流行です。
この「かぶく者」の最初の語源は、まだ歌舞伎の様式がはっきり定まる前のこと、若い男のチンピラのような者が、女性の着物をかぶり、往来で女性や子供をからかったことが語源だといわれています。ここから、「歌舞伎」という言葉が生まれています。こういう、チンピラのような人で、身分の低い人たちによって歌舞伎が上演されるようになったのです。歌舞伎の口上などは、もともと、身分の低いものが、一般の人たちの前で演技をするために行ったということのようです。
江戸時代までの身分とは、現在考えられるように圧倒的な従属支配関係というわけではありません。身分が違うとは住む世界が違うことにすぎず、そこに上下があると感じるのは統治の関係や金銭的多寡、移動の自由など、一側面でしかないわけです。現在の日本は、華族制など固定的な制度が崩壊してしまったがために、身分制度は悪いもの、と単純に考える人が多いみたいですが、ヨーロッパを始めほとんどの国にはいまだに身分制度があり、必ずしも身分が高い=幸せと思われているわけではありません。
たしかに、江戸時代の歌舞伎俳優は厳しい身分制度の下層に置かれ、裁きの場では「一人」ではなく「一匹」と数えられたといいますが、それと千両役者が両立していたわけです。60歳を「還暦」として子どもに還る、というように、聖と俗は一回転してつながる世界でもありましたから、卑しい役者こそが超然たる神力をもち、「団十郎がにらめば瘧(おこり)がとれる」と信じられたわけです。歌舞伎役者は現代でいえばアイドルというところだったと思います。しかし、一般庶民(現在でいうと普通の勤め人)がなれるものではありませんでした。なれないがゆえに(タブーを犯す悪の匂いもあって)、なおさら惹かれるようになり、歌舞伎は一般庶民から大きな支持を得たのだと思います。
このあたりの、伝統や文化を引き継いでいるということで、歌舞伎界の人はあまり一般人と摩擦を起こすようなことは無いのだと思います。多少の不始末などあっても、それは、多くは、歌舞伎界の中のことであり、あまり、外の一般人まで巻き込んだ過度の不祥事はなかったと思います。それに、歌舞伎役者で一般の人たちに向かって人生訓を垂れてみたり、政治などに過度に口を挟む人もほとんどいないように思います。現代の芸能人は、こうした日本の伝統的な一般人との関係を今一度見直すべきと思います。一般人の方も、そうだと思います。両者とも、いわゆる自らの分をわきまえるという姿勢を、今一度思い起こすべきと思います。最近では、このあたりのことは日本では、曖昧になってきています。歌舞伎の伝統と歌舞伎界の中の格式ということに疎い人が増えてきたと思います。しかし、伝統を重んじる歌舞伎界においては、つい最近まで、節度を守って一般人との付き合いをしてきたと思います。それが、乱れつつあるということです。私あたりの感覚であれば、歌舞伎役者の結婚披露宴に現職の大臣を招待するということ自体いかがなものかと思います。もともと、住む世界が全く異なるのですから。
まあ、民主党は左翼政党ですから、仕方ないのかもしれません。でも、普通なら、披露宴になど、現職の大臣を招待すべきではないし、また、招待されて、自ら赴く、それも、大事な会議をすっぽかして、でかける大臣もいかがなものかと思います。前原さん、奢りたかぶりが酷すぎますよ!!大事な政治に比較すれば、歌舞伎役者風情の結婚式など遊びに過ぎません。
前原さん、考えてみると、八ッ場ダムの不始末もありますし、それに、最近の大雨による被害にも、地元を訪問するなどことをしていませんね。でも、歌舞伎役者風情の結婚披露宴には出ている余裕があるんですね。まあ、小泉さんは、現職ではないですし、今は国会議員でもないですから、それに、ご子息は、芸人になっているからいいんでしょうが、それにしても、森喜朗さんも出ていたというのは、少し首をかしげますが、ただし、現職の大臣でもないし、国会議員ではありますが与党でもないので、まあ、ギリギリ許容される線だと思います。会議もすっぽかしていないし・・・・・・・。
歌舞伎界も、歌舞伎界だと思います。少し前までならこんなことはなかったでしょう。歌舞伎界の方々、いくらお客様とはいって、内輪の結婚式にわざわざ、現役の大臣を招くななど、少し奢りたかぶりが過ぎるのではあませんか?公と私、ハレ(晴れ)とケ(褻)の概念が薄れてしまった日本では、こんなことを言っても、理解する人は少ないのかもしれませんが・・・・・・・。市川團十郎さん、名前負けしていますよ。先代であれば、こんなことはなかったでしょう。もう、すんでしまったことは仕方ありませんが、歴代の團十郎名をけがさぬように、しっかりしてください!!
それから、歌舞伎界にもう一言、民主党は、日本国の国民国家を解体しようとする政党です。歌舞伎などの日本古来からの伝統芸能など、どちらかといえば、破壊したいとさえ考えている政党です。前原さんは、ただの常識なしですから、そのへんがわかっていないと思います。政界との付き合いなど慎むべきです。千利休がなぜ、切腹しなくてはならなかったか思い起こすべきと思います。そんな、こといっても、歴史を知らない人には無駄だと思いますか、歌舞伎界は、伝統芸能を司るところなのですから、日本の歴史などは、わきまえておくべきと思います。
それにしても、いずれ、歌舞伎役者などからも、テレビ番組などで、政治や経済に口をはさんだり、オピニオンリーダー的な者がでてくるかもしれません。もし、そうなれば、民主党が日本国解体をしなくても、日本解体といことになってしまうと思います。もちろん、私は、直接的にそんなことをするのではなく、芸の中でそれをするなどということに関しては反対はしません。
たとえば、忠臣蔵など、当時の幕府のやり方に対する間接的な、批判の意味もあったと思います。だからこそ、民衆の心の琴線に触れたのだと思います。でも、芸人がテレビなどで、直接言ってしまってはおしまいです。そうなれば、日本は、国民国家意識もなく、安全保障も何も考えない、愚民の集まりになってしまうのかもしれません。そうなれば、伝統文化を継承する日本の国民国家の崩壊ということになります。そのような、社会では、いくいくは歌舞伎も存在しえません。実際、地方歌舞伎などほとんど消滅してしまいました。そんなことにならないためも、歌舞伎界は格式と伝統を守ってください。それが、あなたがたの、存在価値そのものです。
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