鈴木敏文会長 |
イトーヨーカ堂は、前期はグループ設立以来初めて、第3四半期(2010年3〜11月期)まで単独赤字だった。ここで危機感が出て第4四半期で盛り返し、通期(10年3月〜11年2月期)では、わずかだが増益に転じた。今期はさらに上がっていくだろう。
ヨーカ堂がなぜ悪くなったのかといえば、家電、靴、スポーツ用品、婦人服といった商品をユニクロなどの専門店に奪われたからだ。客がシフトしたのに、依然として、従来のスーパーに対する感覚から脱却できていなかった。
改革度はまあ、まだ30点。もっときめ細かいところに手を入れないと。今までGMS(総合スーパー)は、安さだけを訴求していけばよかったが、今後はたとえばコーディネート提案などで、売り場や商品開発を考えなければいけない。
東京都荒川区に約300坪の三ノ輪店があるが、昔は衣料品をフルラインで置いていた。婦人服も紳士服も肌着も。さらに食品も売っている、非常に効率のいい店だった。だが、今は紳士服でもサイズから何からきちっとそろっていないと、買ってもらえない。近隣の人口密度が高いから、多少難点があってもお客さんに来てもらえる。ところが地方ならぜんぜん来てもらえず、閉店しなくてはいけない。店によっては、ディスカウント業態に変えて商圏を拡大する。
コンビニに飽和なんてない すぐ近くで、どこにでもあるのが便利な店。だから絶対にドミナントが必要だ。当初は1号店を出した東京都江東区から出なかった。今でも新しい県に店を出すときは、絶対的に私の権限で出してもいいと判断しないと出させない。
商品供給も徹底している。たとえば弁当にしても、15法人62工場のベンダーが共通のメニューで、セブン−イレブンだけに独占供給している。そうでないと、よいものができない。しかも、原則として資本支配はしない。加盟店も工場も本部も、お互いに売り上げ増を追求し、有機的に結び付いて成長していく。
米国は国土が広大で、買収しないと商圏が広がらない。だが、日本では絆創膏を張ったような形(M&A)は取りたくない。他チェーン加盟店の横取りも禁じている。この狭い日本で、泥仕合はできないでしょう。
百貨店も工夫次第で伸びる
百貨店はコンビニの次に伸びると思っている。紳士服も婦人服も、それなりの専門店になりうる面積を持っている。品ぞろえをきちっと変えれば、伸びていく。
西武有楽町を閉めたのは、創業(開店)以来1回も黒字を出していないから。皆「百貨店の時代が終わった」みたいにおっしゃるが、とんでもない。百貨店の始まりなんですよ。当時の西武からすれば、「こんなファッションを扱っていますよ」と周知させるためのショーウインドーだった。ネットも活用していく時代に、なんで今さら大きな赤字を垂れ流すようなショーウインドーを取っておかなくちゃいけないのか。
一方、そごう八王子は、ものすごくコストが高い。賃料を下げるのは難しかった。昔は小売業は立地産業と言われたが、今もその要素はある。当然、コストを考えていかなくちゃいけない。適正な立地に適正な業態を配置していく。
店を閉めること、出すことは、特別なことじゃない。冬になったらオーバーコートを着る、春になったらスプリングコートにする。それと同じですよ。(3月3日談)
すずき・としふみ
1932年生まれ。73年セブン−イレブン・ジャパンを創業。92〜2003年イトーヨーカ堂社長。05年から現職。
http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/2d1d02225610d09fb453f14d3e328032/page/3/
【私の論評】大阪の百貨店は、震災復興後の被災地のモデル、世界の流通業のモデルとなるべきだ!
百貨店は、このところ業績が悪く、各地で、老舗百貨店が倒産したり、店舗を閉鎖したりしていました。北海道では、最近では、丸井今井の旭川、室蘭などの閉店が記憶に新しいところです。それに、名前は同じものの、実際には伊勢丹の傘下になっています。
私自身は、百貨店の業績が悪かったのは、基本的に創業当時のままで変わらなかったことに原因があると思っていました。確かに、昔は、百貨店という名のごとく、何でもかんでも置いてあっと思います。
しかし、それでは、今では、どの商品においても、奥行きが狭くなってしまい、多くのお客様に不満足を提供するだけになってしまいます。だから、デパートによって、個性をだし、昔のように何でも置くというのではなく、守備範囲をはっきりさせるべきでしょう。
それに、守備範囲をはっきりさせるだけではなく、衣料品であれば、その百貨店のお客様に合わせた、コーディネートなどで、お客様が商品を選択しやすくするだけに及ばず、様々な工夫や、先進性でお客様を魅了するような存在にならなければならないという事だと思います。
ドラッカーは、アメリカでも衰退した百貨店のその要因に関して、いわゆるノンカスタマー(非顧客)の動向を見誤ったらからだとしています。百貨店は、自らの顧客のことは良く調べていましたが、そのころ、百貨店の顧客ではなかった、就業していた主婦などの動向には、気を配っていなかっとしています。実は、アメリカでは、今で、就業する主婦の数が最も多くなっています。百貨店は、こうした、非顧客の変化をとらえ、それにあわせて店も変革すべきであったとしています。
しかし、百貨店は、そのようなことをせずに、ますます減少し続けていた既存顧客だけ調べそれに合わせた、営業をしていたため、今日没落してしまったということです。
日本の百貨店も、そけだけが原因ではないと思いますが、似たようなところもあると思います。
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特に、先進性でお客様を魅了するなどのことが、最近の百貨店にはなくなっていたのだと思います。何か、最近では、古いものの代名詞のようになっていた百貨店です。
しかし、百貨店が最近変わりつつあるようです。上の、鈴木敏文氏の発言にも見られるように、最近では、GMSのほうがパットしないです。確かに、イトーヨーカドーの場合、百貨店の違いといっても、その違いが何かといえば、同じようなものが置いてあっても、スーパーのほうが安いくらいしか差異が感じられなくなっていました。とは、いいながら、スーパーは専門店や、百貨店よりは、同じ商品であれば、低価格ということは、今でもかわりはないと思います。しかし、これとても、やはり、特徴があまりにもなさすぎです。
最近では、イトーヨーカドーの店にもあまり行きませんが、今年になってから、一度だけ行ったことがありますが、閑古鳥が泣いていました。それに、お客さまの年齢層が非常に高く、60歳以上だったのではないかと思います。それも、あまり買い物をしている様子もありませんでした。この業態も、やはり、旧態依然としていたのだと思います。
先にも掲載したように、このような状況にある流通業界なのですが、百貨店には最近は大きな動きがあります。
それは、大阪での百貨店の動きです。これに関しても、東洋経済で解説していましたので、これも、下に要約を掲載します。
大阪・梅田駅周辺、通称キタ。まもなくここは、百貨店の売り場面積で新宿と肩を並べる一大集積地になります。これまで、キタ3店(阪急百貨店うめだ本店、阪神百貨店梅田本店、大丸大阪・梅田店)の合計面積は16万平方メートル規模と、近鉄百貨店阿倍野本店や高島屋大阪店など大規模店がひしめくミナミ(心斎橋以南)以下でしたた。ところが、今月以降、せきを切ったような増床・開業ラッシュに突入するのです。2005年前後の景況感のよかった時代に作られた成長投資計画が、時を超えて実現しようとしているのです。
トップバッターは4月19日の大丸梅田。従来比1・6倍、6・4万平方メートルへの増床が完了します。次いで5月4日には、三越伊勢丹が5万平方メートルで参入、この時点でキタは、20万平方メートル台へ載せ、新宿(25万平方メートル)へ肉薄します。さらに来年、増床中のうめだ阪急が8・4万平方メートルで開業すると、新宿を一気に抜き去ることになります。
大丸梅田の入る、JR大阪駅の駅ビルACTY OSAKA |
ミナミでも、建て替え中の近鉄阿倍野が14年に10万平方メートルの巨大な姿を表します。キタとミナミ合わせた売り場面積は実に54万平方メートルと、新宿二つ分の規模になるのです。
ところで、国内百貨店売上高は、ピーク時の1991年には12兆円に達しましたが、08年には8兆円にまで減少。さらに、リーマンショック後の2年間だけで1兆円の売り上げを喪失しました。既存店売上高は、10年10月に一瞬前年を上回ったのを除けば、この3年間ずっと前年割れでした。
百貨店の主力であるファッション分野の主要客層は20~30代女性ですが、この層の人口は団塊ジュニアに比べて3割少ないです。また、15年ぐらい前はほぼ全員が正社員だったが、今や非正社員比率は約3割だです。これを考え合わせると、主要顧客の消費能力は、以前の約半分になっていると推察されます。上記の、太字の部分をみると、やはり、先ほどのドラッカーの指摘が日本の百貨店にもあてはまっていると考えられます。ようするに、百貨店は、20~30代の女性それも、正社員の女性を顧客としていたのですが、これがどんどん減って、非正社員の女性が今は、かなり多くなったということです。日本の百貨店は、従来からの顧客ではなく、こうした顧客の動向に注目すべきだったのです。また、いわゆる、アラフォーにも注目すべきだったのです。これを怠ったことが、今日の衰退の要因の一つであることは間違いないと思います。
キタ3店で売り場面積が最も小さかった大丸梅田。結果として、衣料品が全体の62%を占めるファッション特化型の店となっていました。4月の増床で阪急に次ぐ大きさになるのを機に、「食品もリビングも積極的に展開し、子育て世代やヤング層も新たな戦略ターゲットに据えるそうです。百貨店は値段が高い、敷居が高いという顧客の声に対応し、“高い”を脱却するという狙いもあって、東急ハンズやユニクロといったテナントを積極的に取り入れました。初年度売り上げ目標は670億円です。
一方、5万平方メートルの三越伊勢丹は「梅田でいちばん小さい。歴史もない。固定客もいないという厳しい条件下での開業となる。初年度売り上げ目標550億円は、計画当初からの目標値であり、一時期は見直しの議論もあったようです。ただ、閉店を20時半に延長したり、駐車場を870台近く確保できるメドが立ったりしたことで、目標値を変える必要はないという判断に至ったそうです。特に駐車場は、キタで初めて、買い物客への優待サービスを行います。神戸から心斎橋へ向かう車の流れをキタで止めるという意気込みの表れのようです。
三越伊勢丹は大丸梅田とは対照的に、自主編集売り場を約30%取りました。手作りっぽい店を作ることで存在感を出すこと以外、梅田では成功しない。人手はかけるとしています。
従業員の半数はJR京都伊勢丹から異動させ、残りは新規に採用するそうです。京都も大阪分を新規採用で埋めるため、一時期的に2店とも接客の質が落ちるおそれがあるぞと、現場に奮起を促しているそうです。
熱を帯びるキタ戦争は、来年のうめだ阪急増床オープンで、いよいよ佳境を迎えます。新宿伊勢丹と並び称されるファッション性の高さに加え、1平方メートル当たり売上高も新宿伊勢丹の348万円(09年度)に次ぐ262万円(09年10月~10年9月)と、抜群の効率性を誇っています。
「ものを置かない売り場を作るつもりだ」。業界随一の論客としても知られる椙岡俊一・エイチ・ツー・オー(H2O)リテイリング会長兼CEOは、うめ阪の方向性をこう示唆しています。「一寸のすき間なく商品を並べれば効率が上がったのは、ものがよく売れた時代の話だ」。逆説的には、商品点数は少ないほうがいいというわけです。「ゼロからあんな大きな店を作ることはおそらくもうない」と、駆体や音響、電源、昇降機能を徹底的に作り込んだとも明かしています。
うめ阪の改装は、キタの戦況を大きく左右するだけではありません。07年まで業務提携する仲だった“東の伊勢丹、西の阪急”という両横綱が、大阪の街で百貨店業態の可能性を競い合う正面対決でもあります。その行方を、日本中が注目しています。
何か、上の文章をみていると、大阪の百貨店では、今回の震災の影響などどこ吹く風という感じです。今回の震災による影響に関しては、あまり気にしていないようです。そうして、実際あまりないのだ思います。これは、日本経済にとっては、良いことだと思います。それに、被災地の人々にとっても良いことだ思います。
関東以北だと、なにやら自粛ムードが一般的ですが、大阪でこれだけ、百貨店の増床や、新設が行われるということで、その計画には変更がないということですから、これは、一大ムーブメントになるかもしれません。
今は、震災で特に震災地や、関東などでは、特殊な状況にあります。震災地の需要がしばらく落ち込むのは、仕方のない事だと思いますが、それ以外のところでも落ち込むというおかしな状況になっています。
大阪以西で、このような動きもっともっと活発化させ、次世代の百貨店のフォーマットができあがると良いと思います。新たなフォーマットの開発と、試験には、いろいろと試行錯誤するには、2~3年はかかると思います。そこで、特徴のあるフォーマットができ、消費の拡大につながれば、今度は、復興した震災地などにそれを導入して、復興のシンボルにするなどのことが考えられます。
いずにしても、地震があったからといって、全く自粛などの方向に向かない、大阪のバイタリティー今こそ、この精神が必要だと思います。これらの百貨店でも、震災地の物産などどんどん販売して、風評被害などふっとぱしてもらいたいものです。
案外、こうした大阪の行き方など、正しいのかもしれません。日本が終戦直後に、全国主要都市のすべてが、今回の被災地のような瓦礫の山どころか、焼け野が原になり、それどころか、広島、長崎は、原爆で30年間は人が住めないなどといわれて、何もないところから、私たち日本人は、たちあがり、そこから25年で世界第二の経済大国にまで発展しました。
そうして、そのころから、日本の流通業のお手本といえば、アメリカでした。日本から、アメリカへ大勢の流通業の関係者が、見学に行き、アメリカの業態の良いところを取り入れました。セブンイレブンもその一つで、最初は、アメリカのセブンイレブンのフランチャイズとして日本国内でコンビニをやりはじめたものが、日本国内で独自の発展をして、今日の日本のセブンイレブンになりました。
いまでは、アメリカのセブンイレブンが、業績を落としたたる、日本に吸収され、日本のセブンイレブンが世界のセブンイレブンの本部になりました。日本のセブンイレブンは、日本の消費者にあわせて、独自の発展をして、今に至っています。
いま、世界を見回すと、今や、アメリカの流通業も、今でも参考にはなりますが、さりとて、昔日本の流通業者が見学に大挙して見学にでかけたときのように、かけ離れた存在ではなくなりました。そうてす、もはや、流通業でも日本のお手本になるようなところは少なくなってきているのです。なぜなら、日本の消費者は、今では、良くも悪くも、世界でもっとも、商品や製品の品質、価格、安全性や、フアッション性や、機能性、利便性などに関して、先進的な存在になってしまったからです。
こうした、日本の先進的な消費者に納得してもらえる、大阪の百貨店を創出することができたら、それは、たとえば、昔日本から、アメリカに多くの流通業者が見学に行ったように、いずれ復興した被災地の流通業者が見学に行くような存在になるかもしれません。
大阪で、上記の記事のような、百貨店戦争をするなら、単に、どこの百貨店が一番だったなどのことよりも、百貨店そのものが、被災地復興後のモデルになるようなものにして欲しいと思います。そうして、ひいては、世界中から見学にくるような素晴らしいものにして欲しいです。
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