2015年9月22日火曜日

大丈夫か? 民主党 このままでは「第二の社会党」になる―【私の論評】安保はもう終了!来年の衆参同時w選挙で、民主党は完璧に凋落しかつての社会党なみになる(゚д゚)!

大丈夫か? 民主党 このままでは「第二の社会党」になる

安保審議「引き延ばし」に失敗、公募は激減!


■採決強行の引き金を引かせたのは民主党だ

戦後の安全保障政策を大転換した安全保障法成立後、民主党幹部に「民主党は勝ったんですか、負けたんですか」と尋ねた。その幹部はしばらく間を置いた後、絞りだすような声で「負けたのだと思います」と語った。

この幹部は非執行部系だが、民主党執行部は対決路線を選択し、最後は徹底的な引き延ばし戦術を展開した。その姿は1992年の国連平和維持活動(PKO)協力法審議当時の社会党のようだった。

社会党は共産党とともに徹底抗戦し、参院で「牛歩戦術」を展開し、衆院では最後、全員の議員辞職願を提出した。衆院議長・桜内義雄が受け取りを拒否したため収まったが、社会党はこれを機に没落した。

与野党攻防の舞台となった参院平和安全法制特別委員会で、与党が17日、安保法案の採決に踏み切った。自民党議員が委員長席に押し寄せ、スクラムを組んで委員長を守り、それを突破して採決を阻止しようとする野党議員の姿が繰り返し放送された。法案に反対するメディアはこの異常さを強く訴えた。

翌18日朝刊ではいずれも1面トップでこの事実を伝えた。だが、伝え方が違った。朝日、毎日、東京の3紙は「強行」という見出しを取り、読売、日経、産経の3紙は単に「可決」と伝えた。安保法案への賛否と同じスタンスと言える。だが、野党のうち3党、つまり元気、次世代、改革が賛成したこと、かつ前日の出来事に目をふさがなければ、「強行」という見出しを取れなかったはずである。

前日の16日夕、民主党など野党は女性議員を先頭に立て、第1理事会室の前を占拠し、特別委員長・鴻池祥肇らの出入りを妨害した。採決が野党にとって「不意打ち」なら、この妨害は与党にとって「不意打ち」だった。民主党などの女性議員は排除しようとすると「触るな!セクハラだ」と叫んだ。

民主党などは女性議員にはちまきを準備した。一部議員から「たすきでいいのでは?」との意見もあったが、はちまきを選択した。戦う姿を見せたかったのだろう。民主党代表・岡田克也が「あらゆる手段で阻止する」と言明した作戦の一貫だった。

このために、自民党は週内の可決・成立が難しくなるのではないかという不安を抱いた。週内が困難になると、シルバーウィークに入り、26日からは首相・安倍晋三が国連総会出席を予定している。その間の24、25両日だけでは、野党が牛歩戦術などを展開したら成立させられなくなる。その焦りが委員会採決につながった。

委員会採決を「強行」と非難されるかたちになれば、自民党への批判は確実に高まる。それが分かっていても、採決に踏み切らざるを得なかった点において、民主党の作戦は成功したと言える。自民党の「横暴さ」を際立たせることができたからである。しかし、それが民主党にとっての勝利なのか?

■公募の応募者がかつての10分の1に!

民主党公募の案内
民主党内ではかねて、対案を提出し、自民、公明両党との修正協議を目指そうという動きがあった。政調会長・細野剛志、元代表で外相を経験した前原誠司、元外相・松本剛明、防衛副大臣などを経験し安保政策に精通した長島昭久らである。彼らの意見が生かされることはなかった。

代表・岡田克也の下で、実際に方針を決めているのは、幹事長・枝野幸男と、幹事長代理の参院議員・福山哲郎だ。枝野は衆院段階で安保政策の専門家ではない元厚生労働相・長妻昭や辻元清美を重用した。参院では、福山が指揮を執った。

枝野、福山は野党再編にも消極的で、維新の党とともに新党を結成する構想に否定的だ。しかし、この路線で民主党の政権復帰はあり得るのか。ひとつ、隠された事実を明らかにしよう。

今年に入って民主党が行った公募に応募する人が激減したことだ。民主党は女性を対象にした第1次と、性別を問わない第2次を実施した。第2弾では「反骨のエキスパートへ。」と題するポスターに、

<休みはなくなる。批判にさらされる。からだはきつい。収入は減る。当選の保証なし。しかも民主党だ>

と、刺激的なメッセージを添えた。

応募人数を公表していないが、関係者に聞くとこうだった。

「第1弾で集まった女性は約30人、第2弾では約200人でした。これは、最盛期のころの10分の1程度にすぎません。しかも、女性の中には元議員も複数含まれていた」

昨年暮れの衆院選で初当選した民主党議員は、比例代表で復活した元参院議員、たった1人だった。

新入社員が入ってこない会社に未来はない。安保法案に強硬に反対し続けた民主党は、第2の社会党にならないと言い切れるのだろうか。(敬称略)

【私の論評】安保はもう終了!来年の衆参同時w選挙で、民主党は完璧に凋落しかつての社会党なみになる(゚д゚)!

民主党の横暴については、高橋洋一氏も批判しています。その記事のリンクを以下に掲載します。
なんという皮肉……民主党議員の「暴力行為」が、集団的自衛権の必要性を証明してしまった!

何やら、上の写真を見ているだけで、高橋洋一氏の言わんとするところが良くわかります。詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事の結論部分のみ以下に掲載させていただきます。

これは、津田弥太郎参院議員の暴行に関わる内容です。

津田弥太郎参院議員の大沼瑞穂議員への暴行は動画でも見ることができる
 津田弥太郎参院議員の暴行疑惑については、民主党自ら、集団的自衛権を認めると、戦争に巻き込まれるという事例をいいたかったのかと、邪推してしまう。 
 たしかに大沼氏は、大混乱となった委員長席周辺という「戦場」にほど遠い通路にいた。ところが、不意に後ろから津田氏の攻撃を受けてしまった。この意味では、「戦争に巻き込まれた」のである。 
 もし、近くに自民党議員でもいれば、佐藤氏と同様に「正当防衛」で大沼氏を守っただろうが、実際には大沼氏への攻撃もわからなかったようだ。 
 しかし、大沼氏は自民党議員なので、自民党も黙っていないはずだ。この点は、自民党が安保法案のメリットとして主張した「抑止論」の説明に役立つ。 
 「抑止論」は抽象的でわかりにくい。集団的自衛権を行使すると、その集団に相手は攻撃しなくなるので、戦争になりにくいという話だ。しかし、相手によっては、どのように反撃されるかを理解せずに、攻撃してくることもある。その場合、相手を徹底的に叩くことによって、二度と攻撃しないように学習させるわけだ。 
 大沼氏に攻撃した津田氏がその例だ。津田氏は、近くに自民党議員がいなかったか、大沼氏が女性で反撃できないことを知っていて、大沼氏を攻撃したのだろう。そうした輩には、徹底的な反撃をすることでわからせ、二度とできないようにするのだ。 
 大沼氏の個別的な反撃ではなく、同盟をしている自民党による反撃である。辻元氏は、議運でしっかり調査するとテレビで話していたが、調査すべき舞台は議運ではなく、懲罰委員会で、である。 
 津田氏の暴行疑惑は明白なので、議長が職権または自民党議員が懲罰動議を提出することで、懲罰委員会に付託される。懲罰の種類は、公開議場における戒告、公開議場における陳謝、一定期間の登院停止、除名がある。 
 「抑止論」はたしかにわかりにくい。筆者は、本コラムにおいて過去の戦争データから、集団的自衛 権が同盟強化になるので、最大40%の戦争リスクを減らすと説明してきた(2015年7月20日付け本コラム「集団的自衛権巡る愚論に終止符を打つ!戦争を防ぐための「平和の五要件」を教えよう」 https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/644725585596428288)。
 この議論も歴史データとはいえ、専門家以外の人にとっては、わかりにくいだろう。しかし、津田氏の暴行はわかりやすい例になる。 
 津田氏に懲罰が出された時、津田氏に今後暴行を起こすかどうかを是非聞いたらいいだろう。少しでも反省していれば、それは懲罰が「抑止力」になっていることを示しているはずだ。いくら何でも、またやりますとはいわないはずだ。
まさに、民主党は集団的自衛権の必要性を示す格好の事例を私達に示してくれたと思います。

現在は、民主党や共産党などの煽りによって、多くの人々が「戦争抑止法案」である安保法案を「戦争法案」と信じこみ、「戦争反対」などと奇妙な声をあげていますが、これもいずれかなり沈静化すると思います。

これらの人の大部分は、半年もすれば、そもそも日本が外国に攻めこむなどという途方も無い虚妄よりも、現実的な中国・北朝鮮などの脅威への対応のほうが重要であることに目覚めることになり、過去のPKO法案のときと同じく、安保反対の熱は急速に冷めることになるのは、必定です。

PKO法案反対デモ
さて、そのような状況になったところで、来年の参議院議員選挙があるわけです。そうして、この選挙、私が昨日のこのブログに述べたように、衆参同時選挙になることが十分にありえます。

昨日も掲載したように、おそらく安倍総理は、10%増税阻止も公約に掲げて衆参同時解散、総選挙に挑むものとみられます。そうなると、民主党は増税反対の立場です。ここからして、民主党は不利です。

安保に関しては、ブログ冒頭の記事や、高橋洋一氏の記事でもわかるように、民主党にとって有利になることはまずありません。

経済については、増税でも、金融緩和でも全く整合性のない頓珍漢なことを語ってきた民主党です。

さらに、極めつけは、ブログ冒頭にも紹介されていた、民主党の候補者の公募のサイトのキャッチです。結局のところ、自民党に対峙することばかりで、民主党はどうしたいのか、全くみえないものです。

それに関しては、このブログにも以前掲載したことがありますので、その記事のリンクを以下に掲載します。
<民主党>自民党政権と対決する覚悟ある人公募―【私の論評】キャッチをみれば、民主党の末路が見える(゚д゚)!
民主党の候補者公募サイト 何をしたいのか、理解できないキャッチ

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下にこの記事の結論部分のみを掲載させていただきます。
結局自分たちは何をしたいのか、日本という国をどのようにしたいのか、全くそれがみえてきません。だから、先にあげた、人材募集においても、あのような到底理解しがたい、まるでブラック企業のようなキャッチ・コピーしか出来ないのだと思います。 
民主党政権の三年間も酷いものでした、結局何も決められず漂流していただけです。 
キャッチコピーをつくるのは、おそらく民主党でも、他の党でもその道のプロが作成するのだと思います。そうして、作成するときには、幹部などから民主党をどのようにしたいのかとか、日本をどうしたいのかということをインタビューし、その他要望も聴き出すでしょう。誰が作成するにしても、キャッチコピーをつくるには、この手続きは欠かせません。 
しかし、民主党には明確なそれがなかったので、キャッチコピーもあのようなものになってしまったのだと思います。 
もう民主党の行く先は、見えてきたようです。結局、安倍総理個人や、自公政権に対してネガティブ・キャンペーンばかり繰り返し、衰退して過去の社会党のようになるのが関の山です。 
私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
このサイトのキャッチと同じように、結局のところ民主党は安保法案に関しても、反対するばかりで、自分たちはどうしたいのか、はっきりと示すことはありませんでした。

牛歩戦術などのPKO法案への反対は、結局のところ当時の社会党には何も利することはなかった
これは、従来からの民主党の大きな特徴です。そもそも、党の綱領があるにはありますが、それが実行に移そうとはしません。

たとえば、「新しい公共」なる言葉が掲載されていますが、では何か具体的な行動をしたかといえば、何もしていないと言っても良いくらいのことしかしていません。

確かに、日本の場合欧米に比較すると、NPOをはじめとする、公共政策はお粗末です。そもそも、日本には寄付金の文化がなく、それを阻止しているのは、財政民主主義を建前とす、財務省です。

彼らは、大勢の金持ちが多額の寄付をすることは、財政民主主義の立場からすれば良くないとしています。しかし、現実には、財務省は多額の税金を特別予算として貯めこんでもみたり、官僚による得体のしれない金を使い方をして、財政民主主義とはかけ離れたことをしています。

このあたりをどうにかしなければならないはずなのに、民主党ではそのような動きは見られません。とにかく、自民党に反対するばかりで、自分たちはどうするのか、どうしたのかということが見られません。無論、個々の議員には、それがあるようなのですが、なぜか民主党という組織になるとそれが見えません。

そうなると、来年の選挙が衆参同時w選挙ということになれば、民主党には勝ち目がないどころか、かつての社会党のように急速に凋落して、それこそかつての社会党なみの政党になってしまう可能性が大きいです。

それにしても、民主党は個人ではそれなりに優秀な人もいるようですが、民主党という組織になると全く駄目になってしまいます。安保でも、わずか10年ほど前のPKO法案のときの、社会党の牛歩戦術などの大失敗などに学ぶことはできませんでした。

民主党という組織は、政局でも、10年のスパンでものごとを考えられず、数ヶ月単位で考えて、結局何も対処できず、漂流しているようです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?


【関連図書】

新聞、テレビなどの報道を鵜呑みしていては、民主党のように、政局も何もまともに見れなくなります。そうなりたくない人々に贈りたい三冊の書籍を以下に掲載します。岡田さんあたり、この三冊を読めば、随分と民主党も変わると思うのですが・・・・・・

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2015年9月21日月曜日

財務省が軽減税率で無理筋の還付案を出した狙い―【私の論評】安保法制が通った今、日本最大の危機である増税呪詛を回避する方法はこれ一つ(゚д゚)!

財務省が軽減税率で無理筋の還付案を出した狙い

週刊ダイヤモンド編集部

財務省が2017年4月予定の消費増税に合わせて導入する「日本型軽減税率制度」を提案した。なぜ、天下の財務省が突っ込みどころ満載の案を出したのか。ある財務省OBは「レースはまだ競技場を出たばかり、この案が本命とは限らない」と言う。財務省の深謀遠慮はどこに。(「週刊ダイヤモンド」編集部 原 英次郎)

マイナンバーカードを活用した軽減税率制度は、持ち歩く消費者にも、事務作業が増す小売業者
にも負担と、悪評高い。だが、批判続出も財務省にとっては想定内というのだが・・・・・・・

 「ほんとマスコミは単純だな。この案が本命であるとは限らないよ」。財務省の手練手管を熟知している同省OBの見立てだ。

 その案とは、去る10日に財務省が与党税制協議会に提示した「日本型軽減税率制度」。案が提示されるや否や、メディアのみならず、自民・公明の与党内からも問題点の指摘が相次いでいる。

 財務省案は、2017年4月に予定される消費税の8%から10%への引き上げに際し、軽減税率対象品目の2%を払い戻す還付制度を導入するというもの。対象品目は外食を含む飲食料品。還付の上限金額は4000円との報道もあったが、今後の検討課題とされた。

 具体的なやり方としては、16年1月から始まるマイナンバー(社会保障・税共通番号)制度で、希望者に配布されるマイナンバーカードを使う。各個人がレジでマイナンバーカードをかざし、消費税2%分の「還付ポイント」を得る。対象商品の購入情報は政府が新たに設立する「還付ポイント蓄積センター」に送られて蓄積され、パソコンなどで請求すれば、振込口座に税が還付される。

「財務省の苦肉の策」と評価するのは、財務省OBで明治大学大学院の田中秀明教授だ。軽減税率は15年度の与党税制改正大綱で、消費税率10%時に導入するとされており、この5月には与党税制協議会で、対象品目を「酒類を除く食料品」「生鮮食品」「精米」の三つに分けて検討されたが、課題が多く、結論が先送りされていた。

 そもそも消費税は税率が同じであるため、所得に占める消費の割合が高い低所得者層の負担が重いという逆進性の問題を抱えている。消費税率が上がればその負担はさらに重くなる。そこで、EU(欧州連合)では、食料品など生活必需品には標準税率より低い軽減税率を適用している国が多く、特に公明党がその導入を強く主張していた。

 だが、軽減税率は対象商品の線引きが難しい。例えば、英国では同じバナナでありながら、店内で食べると標準税率で、持ち帰ると税率の低い食品扱いというおかしなことも起こっている。そして何より、軽減税率はお金持ちにも同様に適用されるため、逆進性の改善効果がない。

現在、住民税が非課税となっている低所得者に、「簡素な給付措置」として一律6000円が給付されている。図は中央大学法科大学院の森信茂樹教授が、この給付措置よりさらに進んだ、所得に応じて税金を還付する「給付付き税額控除」と軽減税率の効果を試算したもの。明らかに前者の方が、逆進性改善の効果が大きい。

 財務省案は、還付金額に上限を設けることで、逆進性をいくばくか改善し、マイナンバーカードを使うことで事業者の負担を減らし、対象品目を設定することで、軽減税率の性格を併せ持った苦肉の策というわけだ。

欠点多い案を出し批判を噴出させるのが財務省の本当の狙い
 ところが、この「日本型軽減税率制度」については、議論百出だ。

 まず実現可能性の問題。マイナンバーカード自体がこれからスタートする。果たして普及するかどうかさえ不明なものをインフラとして使えるのか。またカードを読み取り、ポイントを蓄積するためには、小売店の店頭に読み取り用の端末を設置するなど、システム構築が必要になる。マイナンバーカードの通信機能は速度が遅いとの指摘もある。消費増税は社会保障費に充当し、財政再建を目指すために行われるのに、システム費用が膨らめば、何のための増税か、本末転倒とのそしりを免れない。

 個人のプライバシー保護の問題もあるし、軽減税率の形を採っているため、対象品目の線引きの問題も残る。まさに突っ込みどころ満載なのだ。

 財務省OBの嘉悦大学の高橋洋一教授によれば、税還付の仕組みとして簡単でコストが掛からないのは、順に(1)簡素な給付、(2)領収書による一種の確定申告、(3)マイナンバーカードになる。なぜ財務省は(3)という一番高い球を投げたのか。高橋氏は「次の引き上げの17年4月ごろは、中国経済の減速で日本経済もどうなっているか分からない。還付措置にメディアの議論を集中させることで、消費再増税は既定路線と国民に刷り込むことが狙い」と、読み解く。

 別の財務省OBも「検討してみるとあまりにも問題点が多いので、原点に返ろうという話になり、結局、簡素な給付措置に持っていく財務省一流の戦術ではないか」とみる。12月に与党の税制改正大綱が決まるまでには時間がある。「日本型軽減税率制度」が本命と決め付けて騒ぐのは、財務省の術中にはまるということかもしれない。本来、議論すべきはあるべき税の姿と、消費増税の是非である。

【私の論評】安保法制が通った今、日本最大の危機である増税呪詛を回避する方法はこれ一つ(゚д゚)!

最近は、安保問題がクローズアッブされ、テレビも新聞も安保一色という様相を呈していました。安全保障に関しては、今のままでは戦争を誘発するようなもので、日本の最大の危機であり、このような様相を呈するのは当たり前のことですが、それにしても、これだけが、日本の危機ではありません。

安保法制が可決された、現在で直近で、最も大きな日本の危機は、10%増税です。

上の記事で論評をしている高橋洋一氏は他でも、財務省に対する批判をしています。その記事のリンクを以下に掲載します。

「消費税10%」まだ決まっていない 増税前提の還付議論に踊らされるな
G20に参加のため出発した麻生財務大臣 背後には財務省の企みが・・・・・・・?

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事の結論部分のみ以下にコピペさせいただきます。
この財務省案の出し方からみても、財務省の仕掛けの意図が感じられる。今月初めのトルコでのG20で、麻生財務相から同行記者へ出した。このため、G20の内容よりも、消費税還付のほうが日本の紙面をとった。実は、G20では、中国経済の先行き不安定ばかりが議論された。中国経済が怪しいなら、2017年4月からの10%への消費再増税は、世界経済にとってはやってはいけない愚策である。 
日本経済をよくして、世界経済の牽引になるべきところが、消費増税では逆政策である。 
日本で消費税還付ばかりが議論になって、その前提である消費増税について、この時期の世界経済にとっていかにマイナスであるかという、本質的な議論ができなくなっている。 
法律で消費再増税は決まっているといっても、昨(14)年12月の解散総選挙をみれば、17年4月からの消費再増税も政治的には変更可能であることが明らかだ。国民に信を問い、法律を変えれば良いのだ。安倍首相は、「アベノミクス解散」と命名した14年の解散総選挙で、当初予定されていた今(15)年10月からの10%への消費再増税の延期を決めたことも争点に挙げた。
それにしても、今の経済情勢を考えるだに、昨年の解散 
総選挙がなければ、今年10月から消費再増税となっていたかと思うとぞっとする。しかも、昨年の解散総選挙では、マスコミは消費増税に賛成していたので延期を批判していた。今回、マスコミは消費増税そのものには反対できずに、還付の問題点だけを取り上げることを、財務省は読んでいて、消費税還付案を出してきたのだろう。しかも、新聞への軽減税率の適用の話は置き去りで、その怒りは消費税還付に向かうこともわかっているはずだ。 
消費再増税は政治的にはまったく白紙であるにも関わらず、こうして、マスコミは財務省の手のひらの上で踊り、17年4月からの10%への消費再増税が既成事実化していっている。
中国経済の崩壊が明らかになっている現在、確かに増税するのは大きな間違いであり、愚策以外の何ものでもありません。

しかし、財務省は増税ありきで、増税のための下準備を着々と行っています。軽減税率は、上で高橋洋一氏が指摘するように、財務省による、増税の既定路線化の一環であることは間違いありません。

そうして、このままでは、大失敗であった8%増税が実現したように、10%増税も既定路線となり、実現されてしまう可能性がかなり高いです。

日本では、リーマンショッ直後のときには、他国が大々的に金融緩和をするなか、日銀が金融引き締め政策を継続したため、本来日本は悪影響が少ないはずなのに、日本はとんでもないデフレ・円高に見舞われることになりました。そのため、震源地である、アメリカや、悪影響をもろに受けたEUなどは日本よりもはるかに経済の立ち直りがはやく、日本のみがひとり負けの状況になりました。

その後も日本国内では、日銀の金融政策がまずすぎて、その後もデフレ・円高が続きましたが、安倍政権が成立して、2013年4月より、日銀は金融緩和に転じたために、円高は払拭され、様々な経済指標が好転しました。

しかし、このような政策に転じることを、嫌がる人々が大勢存在し、金融緩和をすればハイパーインフレになるとか、国債が暴落するなどと盛んに意味不明のことを言い立てていましたが、現在に至るまでそのようなことは起こりませんでした。

結局、このようなことを発言、何も正当性はなく、単なる屁理屈であったことが明るみに出たということです。これらの人たちは、結局のところ、金融呪詛(金融に関するのろい)の言葉を吐いていたに過ぎません。


我が国には、金融・増税呪詛をされる方々が大勢存在する

さて、金融緩和でせっかく経済が上向きつつあったにも関わらず、昨年4月からは8%増税が実現されてしまい、その結果はとんでもない大失敗であったことが明らかになっています。この増税のときにも、増税呪詛(増税に関するのろい)の言葉を吐いた人々が大勢いました。その典型的なものは、あらゆる屁理屈をつけながら、8%増税の経済への影響は軽微であり、増税しないと大変なことになるとするものです。

これら増税呪詛の方々もかなり人数が多く、それも、与野党の政治家から、マスコミ、識者まで、呪詛一色となり、安倍総理もやむなく増税に踏み切りましたが、その結果は、増税直後から大失敗であることが明らかになりました。

そうして、皆さんご存知のように、安倍総理は、昨年12月の衆院選を10%増税見送りを公約にかかげて、大勝利し増税は見送られることになりました。

この時も、大勢の増税呪詛の方々が、増税しないと大変なことになると呪詛を言い立てたのですが、8%増税で失敗しているのに、財政が破綻するなどとして10%増税しろというのは、単なる呪詛以外の何もでもありません。

今後、増税呪詛はさらに激しくなり、8%増税のように政治家、マスコミ、官僚、識者がありとあらゆる呪詛を吐き散らし、増税を既定路線化し、これをもって、実際に増税をして、日本国民を呪詛により苦しめようと必死で画策をはじめます。

このような状況では、私たちは呪詛から逃れる術はないのでしょうか。いや、一つだけ方法かあります。それは、このブログにも以前掲載したことがあります。

その記事のリンクを以下に掲載します。

安倍政権「消費増税再見送り」で来年7月衆参ダブル選へ!―【私の論評】来年の衆参同時解散総選挙というシナリオの確率はかなり高い!これに気づかない政治家・マスコミは、完璧に蚊帳の外(゚д゚)!
安倍総理は、増税呪詛返しをする?
詳細、この記事をご覧いただくものとして、長谷川幸洋による元記事において、長谷川氏は以下のような結論を述べています。
10%引き上げを先送りするなら、安倍政権は来年7月のタイミングで衆参ダブル選に持ち込むのではないか。安倍政権の内閣支持率は終戦70年談話の発表後、持ち直しているが(たとえば産経・FNN合同世論調査で3.8%増の43.1%)、政権選択選挙でない参院選は、強すぎる与党を嫌う国民のバランス感覚が働きやすい。 
増税先送りは与党に追い風をもたらす。それならダブル選で政権選択選挙に持ち込み、勢いに乗って参院選も有利に戦う。そんな政治判断は合理的である。
私は2016年ダブル選予想を7月12日放送のテレビ番組『そこまで言って委員会NP』で初めて話した。コラムは同17日発売『週刊ポスト』の「長谷川幸洋の反主流派宣言」(http://www.news-postseven.com/archives/20150717_336635.html)が初出である。そちらもご参考に。いずれマスコミも安保関連法案の熱狂が覚めれば、報じ始めるだろう。
私も、この長谷川氏の主張は正しいと思います。財務省は、これからも徹底的に増税既定路線化をありとあらゆる手段で実行します。これによって、増税呪詛の政治家、官僚、識者など、大いに奮い立って、8%増税の再来としての10%増税を確かにものにしようと躍起になるはずです。

だから、増税ストップはかなり難しいです。増税に関する事項を以下に整理しておきます。゜

民主党時代に制定された消費増税法はまだ生きています。その中には17年4月からの消費増税は既に法定化されています。

昨年12月の衆院選で、安倍晋三政権は今年10月から予定されていた10%への消費再増税の実施時期を17年4月に延期しました。

延期の際、景気情勢によって増税を停止できる「景気条項」を削除しました。その解釈として、「景気がどうなっても消費再増税する」という話が流れましたが、まったくの事実誤認です。

そもそも消費増税法の付則であった景気条項は、消費増税を止めるためにはまったく役立たないものでした。

17年4月からの消費再増税を止めるには、遅くとも16年9月までに、安倍自民党は意思を固めて国民の審判を受ける必要があります。その審判とは16年7月の参院選です。

ただし、通常の参院選であれば、財務省がこれを潰す確率が高くなります。それを封じるには、その時衆院を解散してダブル選挙にした方が、成功する確率は高くなります。これ以外に、10%増税を阻止する方法はありません。

安倍総理大臣は山梨県鳴沢村で記者団に対し、政権発足から本日21日で1000日となることに関連し、「これからも強い経済を作っていくために頑張っていきたい」と述べ、引き続き、経済の再生を最優先に政権運営にあたっていく考えを示しました。

私は、これは、安倍総理は、来年10%増税の阻止も公約に掲げ、衆参解散解散をしてダブル選挙にするという決意の表明であると思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

【関連記事】






【関連図書】

増税呪詛を断ち切るための、書籍三冊を以下に掲載します。



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2015年9月20日日曜日

9・3天安門発のブラックジョーク 党指令型不況に気付かぬ首脳達 編集委員・田村秀男―【私の論評】無能な中共政府により、コントロール不能の中国経済は破綻するしかない(゚д゚)!

9・3天安門発のブラックジョーク 党指令型不況に気付かぬ首脳達 編集委員・田村秀男 


抗日戦勝記念パードにのぞむ、左よりプーチン、習近平、朴槿恵

 9月3日、「抗日戦勝記念日」の北京・天安門。習近平中国共産党総書記・国家主席と並んで立つ、ロシアのプーチン大統領や韓国の朴(パク)槿(ク)恵(ネ)大統領の顔が青空のもとで映えた。まるでブラックジョークだ。青天は8月下旬から北京とその周辺の工場、2万社近くに操業停止させた党中央の強権の成果だが、党指令による経済・金融政策はまさに支離滅裂。韓国、ロシアを含む世界のマーケットに巨大な嵐を送り込んでいるのだから。



 中国当局の政策はことごとく逆効果、あるいは裏目に出ている。中国人民銀行は8月下旬に預金金利を追加利下げした。「金融緩和策」と全メディアが報道したが、精査してみると真逆の「金融引き締め」である。短期金融市場では銀行間融通金利上昇が止まらず、6月初めに1%強だった金利は9月2日、2%を超え、預金金利より高くなった。銀行は低い金利で集めた預金を短期金融市場で回せばもうかることになるので、景気てこ入れに必要な貸し出しは増えないだろう。



 量のほうはどうか。中国人民銀行は一貫して発行する資金量(マネタリーベース)を増やす量的緩和を続けてきたが、この3月以降は減らし続けている。つまり、量的引き締め策をとっている。建前は金融緩和なのだが、内実は金融収縮策であり、デフレ圧力をもたらす。



 政策効果を台無しにする主因は資本の対外逃避である。資本流出は2012年から13年の不動産バブル崩壊以降、起こり始めたが、昨年秋から加速している。中国当局は厳しい資本規制を敷いているはずだが、抜け穴だらけだ。党の特権層を中心に香港経由などで巨額の資金が持ち出される。預金金利が下がれば、あるいは人民元安になりそうだと、多くの富裕層が元を外貨に替えて持ち出す。

 資本流出が怖い当局は金融緩和を表看板にしながら、実際には引き締めざるをえない。8月中旬、元相場を切り下げたが、その後は元相場の押し上げにきゅうきゅうとしている。どうみてもめちゃくちゃだ。

 資本が逃げ出す最大の背景は実体経済の不振にあり、上海株価下落は資本流出と同時進行する。不動産バブル崩壊が景気悪化を招いたのだが、もとをたどると、党がカネ、モノ、ヒト、土地の配分や利用を仕切る党指令型経済モデルに行き着く。

 08年9月のリーマンショックを受けて、党中央は資金を不動産開発部門に集中させた。国内総生産(GDP)の5割前後を固定資産投資が占め、いったんは2桁台の経済成長を実現したが、バブル崩壊とともに成長路線が行き詰まった。国有企業などの過剰投資、過剰生産があらわになり、国内では廃棄物や汚染物質をまき散らし、国外には輸出攻勢をかける。

 過剰生産能力はすさまじい規模だ。自動車生産台数はリーマン前の3倍の年産2400万台、国内需要はその半分である。粗鋼生産の過剰能力は日本の4年分の生産量に相当する。

 過剰投資がたたって国有企業などの債務は急増している。習政権は株式ブームを作り上げ、増資や新規上場で調達した資金で企業の債務を減らそうとしたが、株式バブル崩壊とともにもくろみは外れた。不動産開発の失敗で地方政府の債務も膨れ上がっている。党中央は危機を切り抜けようと、円換算で70兆円に達するともみられる資金を株価てこ入れ用に投入したが、不発だ。株価が下落を続けた分、不良債務が増える。



 リーマン後に膨れ上がった中国の生産規模は巨大すぎて調整は進みそうにない。党の強権で1週間程度は生産停止した北京近郊の不採算鉄鋼メーカーも、週明けからは操業を再開するだろう。大手国有企業は党幹部に直結しているのだから、大掛かりな整理淘(とう)汰(た)は無理だろう。




 グラフは、中国の実体景気を比較的正直に反映するとされる鉄道貨物量と、主要な国際商品相場の推移である。一目瞭然、中国景気の下降とともに、商品市況が崩れていく。エネルギー価格下落はロシアを直撃している。一次産品市況の下落は軍事パレードに招かれた一部のアジアやアフリカなどの産出国の首脳たちを苦しめているだろう。天安門で満面の笑みを浮かべた朴大統領は中国市場依存の危うさを感じないのだろうか。



 原油や原材料の消費国日本は商品市況下落の恩恵を受け、いっそうの金融緩和、円安の余地が生まれる。政府は中国景気に振り回されないよう、内需拡大策をとればよい。中国危機は日本にとってチャンスなのだ。

【私の論評】無能な中共政府により、コントロール不能の中国経済の破綻は必定(゚д゚)!


上の記事で、田村氏は、党指令型不況と述べています。これはどういうことかといえば、中国では経済と政治が明確に分離されていないということを意味しています。

中国は、共産主義はやめて資本主義に移行したのですが、資本主義とはいっても、国家が様々な統制や、介入を行う、国家資本主義に移行したのです。

そのため、政治と経済は不可分に結びついています。こういう体制では、株式市場への政府の介入も簡単にできますし、その他実体経済への介入もできます。他の先進国では考えられないことです。

田村氏が語るように、今回の中国の経済の悪化は、経済と政治がはっきりど分離されていないことが原因によるものです。これについては、このブログでは、田村氏とはまた別の切り口で、何度か掲載したことがあります。その最も新しい記事のリンクを以下に掲載します。

"

一番大きいのは、やはり、中国の個人消費はもともと少ないし、この少ない消費が今後さらに低くなる可能性が高いということがあげられると思います。

これについては、以前のブログでも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【お金は知っている】中国金融市場の自壊は変えようがない 外貨準備は「張り子の虎」―【私の論評】馬鹿の一つ覚えの経済政策が、今日の危機を招き後は崩壊するだけ(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では日本が酷い円高・デフレだった期間の、日本と中国のGDPに占める個人商品の割合を比較したグラフを掲載しました。そのグラフを以下に掲載します。

名目GDP-民間最終消費支出対GDP比 赤=日本 青=中国
このグラフでわかるのは、中国は1998年からしばらくGDPに占める個人消費の割合が、40%台であったものが、2005年には40%を切り、2008年あたりから、35%で推移していることがわかります。

この間GDPは伸びて、中国はGDPが世界第2の水準になったとして、世界第二の経済大国を自認するようになりました。

しかし、現実には、中国の経済成長によって、個人消費は全く伸びず、そのままだったので、GDPが伸びても、個人消費の割合が減ったということを意味しています。

では、なぜこのようなことになったかといえば、中国の経済発展は、個人消費以外のものが伸びたということです。そうして、その最大のものは、インフラ整備などの公共工事です。鉄道、空港、港湾などの整備です。し

インフラ投資など、最初は実施すれば、それにともない人々の経済活動が活発になり、経済も伸びますが、それにも限界があります。その後、個人消費が伸びなければ、インフラ整備だけ実施しても、実体経済は伸びません。

中国の公共投資によって建築された建物 誰も使用せず鬼城化している

今まさに、中国の実体経済はそのような状況にあります。詳細に関しては、この記事に掲載してありますので、是非ご覧担ってください。

さて、ニュースを見ていると、日本国内では国内総生産(GDP)の数字が発表されたときに、デパートや飲食店の映像が流され、「背広を新しく買う人が増えた」とか、「外食する人が増た」など、個人消費に関することが報道されることが多いです。

これは日本では個人消費がGDPに占める割合が大きいので、こうした報道がなされるのです。日本の場合、経済成長の原動力は、あくまで、個人消費なのです。テレビなどを見ていると、政府がとてつもない天文学的な資金を投じて、道路や空港、港を整備したりして、その投資の額が頭に残って、莫大であると感じてしまうのですが、日本では、そんなことよりも、個人消費のほうが、経済発展に占める割合が圧倒的に大きいのです。

上のグラフで示したように、デフレのまっただ中でさえ、GDPに占める個人消費の割合は、6割近くあり、最近では6割を超えています。

さて、世界各国の個人消費がGDPに占める割合はどうかといえば、イギリス、ドイツ、フランス、ブラジル、インドなど、先進国の一部の国では、だいたい日本と同じ約6割を維持しています。

アメリカに至っては、個人消費がGDPに占める割合が7割を超えています。これらの国では、さまざまな事情はあるものの、概して、国民が将来に対して楽観的である、と言えると思います。日本で、過去の酷いデフレの期間に、これが60%を切っていたのは、やはり将来に対する不安を感じる人が増えたことによるものと考えられます。

一方で、ロシアの個人消費がGDPに占める割合は約5割、中国に至っては現在でも、35%しかありません。

これもいろいろな事情はあるものの、元々国民の稼ぎが少なく、さらにその少ない稼ぎを消費に回さず、貯蓄して貯め込んだり、不動産などの投資に回してしまっている、という事情があるものと推察されます。

これらの国では、「将来何が起こるか分からない」、「政府が何をするか分からない」、「老後は誰も面倒をみてくれない」などの大きな不安感、恐怖感が、国民を支配し、消費を控えさせ、個人消費がGDPに占める割合を、低いままにさせていると考えられます。

そういった意味では、個人消費がGDPに占める割合が低い国の政治は、国民を不安に陥れるものであり、まさに中国は共産党の一党独裁であり、国民を蔑ろにしているということです。

"

さて、中国は国内のインフラ投資ではもう経済発展はできないことを悟り、海外投資をして儲けようと企みました、それが、過去のアフリカ投資です。しかし、アフリカ投資はことごとく失敗しています。

中国としては、経済の悪化を補うために、最近ではアジア投資を企てました。それが、AIIBです。しかし、日米が加盟しているアジア開発銀行には、資金調達の上で金利も含めて雲泥の差がありますので、最初から競争相手にならず、AIIB構想は、有名無実になることは必至です。

そうなると、最も有望なのは、国内の消費を増やすことです。しかし、これを実行するためには、今の貧富の差の激しい中国では無理な話しです。ごく一部の富裕層が、たとえ経済活動を活発化させたにしても、いかんせん数が少ないので、どうにもなりません。

かといって、富裕層以外の、大多数の貧困層の消費を活発化させようにも、全富裕層を食えても、平均賃金がわずか月4万円の中国では全く無理な話です。

であれば、本当は、中間層を増やして、これらが活発な社会・経済活動をするように仕向けてく必要があります。

そのためには、まずは経済と政治の分離をして、市場に過度に政府が関与しないようにする必要があります。

これを実施するためには、民主化と、法治国家化は必要不可分です。

経済を良くするには、これは必要不可欠です。実際日本は、明治維新以降から、そのような道をたどりました、西欧の先進国などはもっと早い時期から、かなり時間をかけて、そのようにしてきました。

しかし、無能な中国共産党幹部は、自分と自分のファミリーと、ごれらに追従する一部のものたちが富めば、それで良いという考えから抜け出すことができません。

おそらく、本来の資本主義など理解しない、無能な彼らは、これからもぬけ出すことはできないでしょう。そうなると、今後経済が良くなる見込みは、全くありません。彼らは、これかも、神の見えざる手などの考え方など全く理解できず、市場に過度に介入し続け、いずれ中国経済は完全崩壊します。

その果てに、中国共産党幹部と富裕層は、金づるのなくなった、中国から脱出し、中国は内乱状態になり、過去の中国と同じく、分裂することになります。もう、それに向けての条件は整いました。後は、このシナリオどおりに進むことになるだけです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年9月19日土曜日

【相撲俵論】デモも景気も祭典も「祖国があってこそ」元小結・舞の海秀平
―【私の論評】私たちは、安保法案反対派や、かつての日本画壇のように、閉鎖空間の住人になってはいけない(゚д゚)!

【相撲俵論】デモも景気も祭典も「祖国があってこそ」元小結・舞の海秀平

舞の海秀平氏 写真はブログ管理人挿入以下同じ

今回はどうしても相撲のことを書く気になれない。

テレビの天気図には、初めて耳にする線状降水帯が居座っていた。早く太平洋側にそれてくれないかと、手で払いのけたくなる。

暴れ出した川は堤防を決壊し、民家や田畑を飲み込んでいった。津波よ、雨よ。まだ復興を遂げていない東北を、そして東日本を沈める気か。

現場には勇敢に自然災害に立ち向かい、次から次に命を救う自衛隊員の姿があった。

男性がしがみつく電信柱にもう少し踏ん張ってくれと祈る。男女がそれぞれ抱えた2匹の犬には、ヘリコプターに乗り込むまで大人しく抱かれていてくれと手を合わせた。

クリックすると拡大します
強風で苦戦しながらも必死に助け出す隊員を見ていると、「いとしきニッポン」(石井英夫著、清流出版)の最終章「祖国」で引かれた画家藤田嗣治(つぐはる)のエピソードを思い出した。

彼は戦時下に戦争画を描いたことで「戦争協力者」として、戦後になって画家仲間からの非難を浴びた。人が無数に重なり合って刺し合ったり打ち合ったりする絵を見たことがある。

実際は国民の戦意をあおるものではなく、戦争の恐ろしさを伝える、むしろ“反戦画”だったのではないか。

藤田嗣治画伯

藤田は追われるように日本を離れ、パリに移住。再び祖国の地を踏むことはなかった。

「祖国を捨てたのではない。祖国に捨てられたのだ」と夫人は聞いた。もっとも、繰り返し聞く音楽、普段口にする食事は日本のものばかりだったという。

のちに手記で戦争にまつわる絵を描いた理由について語っている。

「この恐ろしい危機に接して、わが国のため、祖国のため子孫のために戦わぬものがあったろうか。平和になってから自分の仕事をすればいい。戦争になったこの際は、自己の職業をよりよく戦争のために努力して然るべきものだと思った」

言葉を失い、ひれ伏すしかない。

いま、事が起これば存在自体を“違憲”とされがちな自衛隊に頼るしかなくなる。災害だけに限ったことではない。有事が起きたとき、海外で同胞が命の危機にあってもこのままでは黙って見ているしかない。

自衛隊がここまでしてくれたら救えたのにと悔やむのか、自衛隊がここまでしてくれたからこそ救えたと感謝するのか。

デモで声を張り上げるのも、景気対策も、スポーツの祭典も「全ては祖国があってこそ」。藤田はこうも語っている。「何んとでも口は重宝に理屈をつけるが、真の愛情も真の熱情も無い者に何ができるものか」と。(元小結 舞の海秀平)

【私の論評】私たちは、安保法案反対派や、かつての日本画壇のように、閉鎖空間の住人になってはいけない(゚д゚)!

舞の海氏の主張は、正しいです。本当に重要な事柄に関しては、意外と専門家などよりも、他の道で精進した方のほうが正鵠を射た発言をするものです。

その道の専門家であるはずの日本の主流派の憲法学者などは、一つの信条に凝り固まって、少数派の京都学派の「憲法9条は、国際紛争の解決の手段として、武力を行使することは禁じているが、自衛のための武力行使まで禁ずるものではない」という解釈など完璧に無視して、自分たちの考えだけが正しいものとして、安保法案は「違憲」と断定しました。

のみならず、安保法案の違憲、合憲など本来司法が判断すべきものであるにもかかわらず、「違憲」とはっきり断定してしまっています。本来なら、「自分の立場からは違憲の疑いがある」程度の表現にすべきでした。これは、言葉遣いの間違いの次元です。

これにより、日本の主流派の憲法学者らは、安全保障の話をするには不適格であることを暴露ししまったと思います。

舞の海氏の「全ては祖国があってこそ」との指摘は正しいです。憲法は祖国があってこそであり、祖国は憲法があってこそなど全くありえず、本末転倒です。日本の憲法学者らは、憲法を完璧に正しいものとして、そこから現実をみて、現実が正しい、間違いというとんでもない認識を持っています。

本来の憲法学とは、憲法の解釈や適用および憲法上の諸現象を研究する学問です。法学の一分野として、国家の組織及び作用に関する基礎法を研究することを目的としています。現在の日本の主流の憲法学者らは、人間のつくった憲法典をあたかも経典のように、絶対善であるかのごとくにみなして、それに即しているかいないかだけを研究するという態度です。これでは、とても学問と呼べるような代物ではありません。

こういう人たちに、安全保障の問題など語る資格はありません。

本来語る資格のある人たちは、北朝鮮による拉致被害者やその家族や、イラクに派遣された自衛隊員の方々だと思います。実際に、過去の安保の瑕疵等により、被害あわれた方々の意見を聴くべきです。国会で、国会議員や識者などの意見ばかり聴いて、当事者の意見も聴かないというのは全くバランスを欠いています。

そうして、今回の戦争抑止法案を「戦争反対」などと語る方々は、以下の二点を無視しています。

まずは、日本はすでに集団的自衛権を発動しているという事実です。日本にアメリカ軍の基地がある、日本がアメリカにアメリカ軍の基地を提供しているということは、集団的自衛権の発動にほかなりません。

NATOは、集団的自衛権の良い事例です。NATOの条約を締結してる国々が、NATOの指揮下で、ある国の軍隊を他国に駐留させたり、ある国の軍隊が、他国の国の陸上や、領解、領空を通過させることができます。もし、NATOに加盟していない国に対してそのようなことはできません。これを考えれば、日本はすでに集団的自衛権を行使しているし、日本意外の国々はそうみなすのが当然です。

集団的自衛権を完璧に否定するということになれば、アメリカ軍は日本から撤退しなければならなくなります。そうなると、現状と同程度のの安全保障を実現するだけでも、防衛費は10倍以上になるとされています。そんなことは、とても今すぐ実現できるものではありません。

それに、国連憲章のからみもあります。国連憲章では、どの国にも自衛権を認めています。この自衛権は、個別的自衛権と、集団的自衛権の両方を含んでいます。

そうして、国連に加盟している国々に対する義務も定めてあります。もし、戦争が発生した場合、過去の国際連盟のようにただ呼びかけるだけではなく、現実に力で抑えて、平和を守るために加盟国に義務が課されています。

どのような義務かといえば、国連に加盟した国々は、空軍の待機部隊を保持して、戦争が始まった場合世界のどこへ飛んでいけるようにしなさいと明記されています。

この空軍の待機部隊持ってる国というのは、実はごく少ないです。しかし、この日本のように、自衛権を個別的と、集団的とで分けて、過去においては、個別的自衛権だけやってたから、集団的自衛権は認められないというならば、これは本来は、国連の加盟国としての資格がありません。

そもそも、憲法解釈による集団的自衛権の行使を含む安保法制を成立させるべきではないとする方々は、米軍の速やかな撤退と、国際連盟から脱退をする覚悟があって語っているのかはなはだ疑問です。

さて前の海氏は、ブログ包頭の記事で「人が無数に重なり合って刺し合ったり打ち合ったりする絵を見たことがある」と指摘しています。その絵とはおそらく以下のものだと思います。

藤田嗣治作『サイパン島同胞臣節を全うす』
以下では、藤田嗣治とこの絵について掲載します。

戦前のパリで活躍し,乳白色の柔らかな肌の女性ヌード画や子供の柔和な絵で国際的に有名な画家です。

第二次大戦中,日本の軍部は戦地に画家を派遣して国威発揚,戦意高揚のための戦争画を描かせたことは有名です。当時活躍していた有名・無名画家のほとんどがこれに参加し,その中心的な役割を果たしたのが藤田嗣治でした。

そして日本は敗戦を迎えましたが、美術界はGHQの追及を恐れて、「全て藤田がしたことです。私たちは藤田に騙されて絵を書いただけです。悪いのは藤田です」と彼一人に戦争責任を負わせ(実際にはGHQが画家個人の責任を追求したことはなかったが)、自分たちの責任はなかったことにしたのです。

それまで、「私にも戦争画を描かせてください」と藤田に取り入って阿諛追従した画家たちは一夜にして態度を変えたといいます。まさに、「鬼畜米英」から「強くて優しいマッカーサー」の大転換です。これ以後、藤田はそんな日本画壇に嫌気が刺したのか、日本を離れてフランスに帰化し、二度と帰ることはありませんでした。

しかし,戦争翼賛画家の藤田は実は戦争を賛美した絵を描いていなかったのです。それが『サイパン島同胞臣節を全うす』です。この絵画では「バンザイクリフ」に追い詰められ、自決していった日本人の最後の悲惨な姿が描かれています。最後のなけなしの抵抗をする男たち、死ぬ前に赤ん坊に最後の乳を飲ませる母親、小刀で自分の喉をかき切ろうとしている女たち、死化粧にと髪を櫛り最後の身支度をする女たち、そして断崖絶壁から次々に身を投じる女たちの姿が、恐ろしいばかりの迫真性と迫力で描かれています。

しかも藤田は、終戦後もこの絵に、何かに取り憑かれたように筆を入れていたといいます。その結果として生まれた絵には血の匂いと死臭が漂い、絶望と暴力と苛烈な死が生々しく描き尽くされています。

これは絶対に「戦争賛美画」ではありません。これは戦争という暴力と惨禍を容赦なく抉り出した傑作であり、戦争という人類最大の愚行を告発する絵です。軍部翼賛体制に組み込まれたはずの藤田嗣治が、画家の目で戦場を観察し、その本質を抉り出して白日のもとにさらけ出してしまったのです。

戦争を賛美し、戦意高揚のために絵を描いたはずだったのに、絵描きとしての本能がその裏に隠されている死臭を嗅ぎ分け、戦争の愚かしさと醜さを無意識のうちに描いてしまったのだと思います。それは、軍部からの命令でもなければ、犠牲者の追悼でもなければ、悲劇の告発でもありません。画家の本能に従って止むに止まれずに描いたものだろうと思います。

これぞ畢生の大作であり一世一代の傑作です。恐らく、これに匹敵する戦争画はゴヤの『1808年5月3日』と版画集『戦争の惨禍』くらいしかないと思います。もしも藤田嗣治の作品がこれ一枚しか残っていなかったとしても、彼の名は不朽の画家として記憶されるべきです。

また、藤田嗣治の戦争画を他にもみたことがありますが、『サイパン島同胞臣節を全うす』のような作品化、他のものも戦争を鼓舞するようなものではありませんでした。他のものは、戦争画だというのに、静的であり、穏やかでありとても戦争を彷彿とされるものではありませんでした。

藤田嗣治は、戦争画を描いた動機について、ブログ冒頭の記事で以下のように語っています。

「この恐ろしい危機に接して、わが国のため、祖国のため子孫のために戦わぬものがあったろうか。平和になってから自分の仕事をすればいい。戦争になったこの際は、自己の職業をよりよく戦争のために努力して然るべきものだと思った」

藤田嗣治は戦争について、日本がどうの米国がどうのという次元ではなく、無論かつての日本画壇とも異なる、開かれた空間における人類の愚かさという次元で捉えていたものと思います。

私は、大東亜戦争に関して、日本だけが悪いなどという考えは成り立たないと思います。参加したすべての国々に、落ち度があります。無論日本にも落ち度があります。

ここでは、その落ち度について詳しくは述べませんが、あの戦争に関して日本だけが責められるということでは著しく公平性に欠けると思います。

しかし、当時のすべての国々に落ち度があったことを無視して、当時の日本が悪の権化で、好戦的であり、その悪玉精神が今も残っており、また戦争できるようにするために、安倍自民党が戦争法案を通そうとしているなどの考えにどう考えても同調することはできません。

藤田嗣治が現在存命していたとしたら、無論のこと安保法案には賛成の立場をとったものと思います。彼がフランスから舞い戻って今の日本の状況をみたとしたら、安保法制に反対する愚かな人々を見て、かつて彼を「戦争協力者」として排斥した、日本画壇の人々を見るようで、嫌気がさし、やはりフランスに舞い戻ったことでしょう。

当時の日本画壇も、今の安保法案に反対の人々も、藤田の傑作絵画のように、開かれた意味での、人類共通の愚かさに立脚するものではなく、閉鎖空間における自分たちの理屈のみを絶対視する愚かな集団に過ぎないことを看破したと思います。

そうして、この愚かな集団は、当時の閉鎖空間にの住人であった日本画壇が、藤田嗣治を放逐したような行為を、彼らが閉鎖空間から出ない限り、繰り返すであろうことを予言したと思います。



実際に、閉鎖空間に住み、自分たちの考えだけが正しいという人々は、必ずといっていいほど、分裂し最終的に争いをはじめてとんでもないことをするか、とんでもない状況に追い込まれています。それは、過去の過激派などを見ていても理解できます。

それにしても、当時の日本画壇が藤田嗣治のみを放逐したということで、他に犠牲者が多数出なかったことは幸いといえば、幸いだったと思います。おそらく、藤田嗣治という人がいなければ、犠牲者はもっと多かったかもしれません。

安保法制でも、デモで声を張り上げるのも、景気対策も、スポーツの祭典も「全ては祖国があってこそ」だからこそ、我々は自分だけが正しいという、閉鎖空間の住人になってはいけないし、閉鎖空間があるなら、それを打破するか、なききものにしていく必要があるのです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年9月18日金曜日

【堀江貴文氏ブログより】私がSEALDsをdisる理由―【私の論評】ホリエモンも瀬戸内寂聴も見えない、安保の当たり前のど真ん中(゚д゚)!

【堀江貴文氏ブログより】私がSEALDsをdisる理由



Newspicksのコメントでも書きましたが改めて。

なんで私がこれだけ彼らの行動をしつこくdisるのか。それはこういう小さい動きから国全体が間違った方向に導かれる事が多いからだ。

幾つか論点があって、一つは今回の安全保障法案は戦争法案ではないし、徴兵制に向かうものでもない。積極的に戦争を仕掛けようというものではない。特にアメリカという同盟国に依存してきた人命を伴う安全保障にかかわる任務を日本も分担するという事。つまりアメリカ人が死ぬのか日本人が死ぬのかって話で、それってアメリカ人だったらいいの?そうじゃなくて応分の分担は必要だよねって事だ。それを戦争法案っていうのは幾ら何でも言い過ぎだ。

確かに法案成立のプロセスは強引だ。しかし、いまデモに来てる人たちを100%納得させるためには憲法改正が必要になるが、その時の反発はこのレベルでは済まないだろう。だからこれまでやってきた通り、憲法を都合よく解釈する事で成立させようとしているだけだ。反対派の論理で言えば自衛隊だって違憲になる。極端な意見だ。

そして、デモに参加してる人たちの多くは法案を理解せず、本気で戦争になると思って参加してる雰囲気に流される人達だ。こういう人は、得てして例えば戦争になったら戦争を煽る方向に行ったりする。戦争中は朝日新聞だって戦争を礼賛していたよね。論理的に間違っている事を盲信して、雰囲気に流されて体が動いてしまう人は私は危険だと思う。だからしつこく否定する。

【私の論評】ホリエモンも瀬戸内寂聴も見えない、安保の当たり前のど真ん中(゚д゚)!

堀江貴文氏といえば、特に説明の必要もないくらい、多くの人が知っている人だし、ネットを検索すれば、彼にまつわる様々な情報が掲載されているので、ここでほとんど説明はしません。

堀江氏の安全保障に関する考え方には何度か聴いたことがありますが、その度に、全く賛同することはできませんでした。

それが、頂点に達したのは、瀬戸内寂聴さんとの対談本の内容でした。それも、そんなに前のことではありません。昨年のことです。

その対談本のタイトルは『死ぬってどういうことですか』というものです。この書籍から、寂聴さんと、堀江さんの安保に関する考え方は、両極端ではありますが、どちらも正しいものとは考えられませんでした。以下にその対談本の表紙の写真を掲載します。


この対談では、「戦争、するの?ないの?」と題された章では、2人の考え方がすれ違っていました。堀江氏の「戦争になれば逃げる」発言に、瀬戸内氏が激怒していました。

この対談本の中で、1922年(大正11年)生まれの御歳92歳の寂聴は今の状況に相当な危機感を抱いているようでした。東京女子大学に入学して1年後に真珠湾攻撃が起きました。そのころから「だんだんとものが言えなくなってきた」といいます。そして自身の経験から「なんか、今の時代の空気が戦前と同じ臭いなんですよ。本当に似ているんだもの。具体的には例えば特定秘密保護法なんて、あれは前の戦争のときとおんなじ感じですよね」と語り、"戦争を知らない世代"に釘を指しました。

「もうかわいそうでほんとに涙が出て止まらなかったですよ。同い年ぐらいの優秀な男の子たちがほとんど殺されてるでしょ。ほんとにそれはもう考えられないくらい恐ろしいことですよ。今の若い人は、日頃ちゃらちゃらしてるのはまあいいとして、戦争のニオイにだけはいつも敏感になっていなければいけませんよ。気がついたときには船に、飛行機に乗せられているんだから。ずっとそういう歴史だったじゃないの。庶民がやられる歴史だったじゃない」

そして「安倍総理は戦争がしたいんでしょ?」「だって安倍さんが言ってること、してること見たら、いかにも戦争をこれからしよう! って感じじゃないですか?」と、安倍首相を徹底的に批判していました。

ホリエモンは、この寂聴の危機感たっぷりの発言に"日本は戦争なんてしない"と冷たく言い放っていました。

「いやいや。それは言いすぎじゃないですか? (安倍首相は戦争を)別にしたくはないでしょ」

その理由はコストに見合わないからだという説明をしました。

「戦争が起こると対中貿易とかって完全にしぼんじゃうんで、そりゃあ絶対にないですよ。経済的結びつきが強すぎるんで」

寂聴が「なんで? だって今のまんまで行ったら、戦争よ。安倍さんだったら徴兵制敷きそう」とくいさがっても、堀江は「いやあ、ないでしょ。それはないでしょ。そもそも人なんていらないですもん。人は高いんですよ。日本人って高いんで、コストが」と一蹴しました。

堀江氏からすれば、戦争は「完全に経済の問題」であり、近代化を成し遂げた社会では「コスト」に見合わないから必然的に回避されるということです。もっぱら人間は経済的効率性を最優先にするものであり、ゆえに明らかに"損"が予想される行動をとるはずがない、という理屈です。

寂聴から「そのコストを計算できない人たちじゃないの? あの人たちは」とつっこまれても、「いや、コストで動きますよ。彼らができないんじゃなくて、経済的にそういうふうな状況になっていくんですよね」と自説を曲げませんでした。

その上て、堀江氏はこんな発言もしていました。
「僕は、(中略)戦争が起こったら、真っ先に逃げますよ。当たり前ですよ」

これに驚いた寂聴は「どこに逃げられる? 逃げる場所がある?」と聞きますが、堀江氏は「逃げる場所あるでしょ。第三国に逃げればいいじゃないですか」と、淡々と返えしました。

そして、寂聴から「行かれない人はどうするのよ」と突っ込まれると、ホリエモンは冷徹にこう語りました。

「行かれない人はしょうがないんじゃないですか?」
もともとホリエモンは究極的には、人間はすべて経済合理性に従うと考えています。彼にとっての関心事はグローバル化する世界の中で企業や個人がどんな経済活動をしていくか、その一点だけだけのようです。国家などは全く価値がないばかりか、それを阻害する邪魔な存在でしかないようです。

ホリエモンが見誤っていることもります。それは、ホリエモンが「しょうがない」「知らない」と切り捨てた弱者こそが熱狂するナショナリズムの発火点になっていることです。

「それはグローバル化に対するアンチなんですね。グローバル化によって貧しくなる人たちが抵抗してるにすぎないんで。そういうネトウヨ的な人たちもそうなんですけど、日本人であることだけが彼らのプライドの源泉なんですよね。だから『もう鎖国をしろ』とか『戦争しろ』とか言うのは、その人たちですよね」


ホリエモンには、「そんな連中はとるにたらない」「影響力をもてるわけがない」という意識が見え隠れします。しかし、世界を見渡せば、そのグローバル化に取り残された人々がナショナリズムや民族主義に熱狂し、紛争の火種になっています。そして、中国でもそういう事態にエスカレートしないという保証はありません。日本のすぐ隣にそういう国があるということが、日本にとってかなりの脅威です。

寂聴は、ホリエモンの姿勢に苛立ち、最後はキレ気味になって、こう叫んでいました。

「もう私は本当に死にたいの、つまらないから。つまらない。くだらない。ひどい。私は堀江さんと違って、戦争が起こると思ってるからね。もう見たくないと思う。あれを二度と見たくないの。でもいいわ。『戦争しない』っていう、こういうふうに堀江さんのように言い切れたらね、言い切る人が出てきたら、それは英雄ね。それはみんな喜ぶんじゃないかしら、枕を高くして寝られるんじゃないかしら。そして、そのときに、ばーっとやられるんですよ」

この二人は、本当に極端です。寂聴といえば、このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
瀬戸内寂聴さんに、習近平に「戦争するな」と諭して欲しい件―【私の論評】寂聴さんにISILの幹部も諭してもらおう(゚д゚)!
 

 詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、瀬戸内寂聴が安保法制反対デモにおいて、戦争反対という発言をしたことを受けて、石平氏のTweetを掲載し、それに対する私の論評を掲載しました。この記事の結論のみを以下にコピペします。
それにしても、寂聴さん若い頃から、平和運動をしてきたようではありますが、どう考えても安全保証の専門家ではありません。結局は、マスコミなどの報道に幻惑されたり、左翼運動家らの口車にのったとしか思えません。芸能界や文壇には、そのような人が多いです。 
石平氏は、習近平を諭して欲しいとTweetしましたが、日本は尖閣問題で直接中国の脅威があることはあるのですが、それ以外にも世界には戦乱にあけくれるている地域が今でも多くあります。 
ISILもその一つです。寂聴さんはどうせやるなら、日本国内の現状の平和という生ぬるいお湯に浸っていることなく、ISILにでも乗り込んで、幹部らを諭していただきたいものです。
そうすれば、厳しい国際環境を寂聴さんも理解されるのではないかと思います。ただし、そうすれば、命の保証はありませんが・・・・・・。寂聴さんは、「死に支度」という書籍もだされていますから、それこそ「死に支度」の一環として実践されたら良いのではないかと思います。 
私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?
結局のところ、私も、石平氏も、「安保法案」は「戦争抑止法案」であり、寂聴さんの語っていることは明らかな間違いであることを言っているということだと思います。

私や、石平氏も堀江氏とは異なり、戦争が起こる可能性を前提として、戦争を抑止するための法案が必要であると考えているわけです。そこのところが、寂聴さんとは違います。寂聴さんは、「戦争抑止法案」を成立させて施行すると、戦争が起こるというか、日本が戦前のように戦争に走るという考えです。

一方堀江氏は、「経済的合理性」から人間は絶対に戦争しないと主張しています。しかし、人間にとって経済だけがすべてではありません。経済だけが良くなっても、決して社会は良くはなりません。経済そのものは、人間の営みのなかのほんの一部でしかありません。

だから、人間は経済合理性だけでは説明のつかない複雑な行動するものです。だから、マクロでみれば、どう考えてもあり得ないような行動をとることもあります。たとえば、日銀が本来金融緩和をすべきときにも、金融引き締を行い、それを継続して、過去の日本はとんでもないデフレにみまわれました。多くの人が、これを理解せずに、デフレが放置された結果、日本は15年以上もデフレ・円高が続くというとんでもない状況にみまわれました。

また、デフレから完璧に抜けきっていないのに、なぜか昨年の4月に8%増税に踏切り、そのせいで本来経済がまだまだ良くなっているはずなのに、今年に入ってからも4〜6 月期には、マイナス成長になりました。多くの、政治家、経済学者、官僚などが、増税の影響は軽微といっていたにもかかわらず、このような結果になってしまいました。

人間がすべからく、「経済合理的」に動くというのなら、こんなことはあり得ないはずです。しかし、現実はそうではありません。

それに、経済合理性だけを見るというのなら、人間の複雑な面を見失ってしまいます。経済学の大家ドラッカー氏は、経済統計だけをみたとしてら、後世の歴史家は、第二次世界大戦が起こったことなど、気づかないだろうとしています。


確かに、第二次世界大戦は世界中に大惨禍をもたらし、大勢の人が亡くなり、社会が混乱しましたが、経済統計だけを見ているとそうではないというのです。

これは、にわかには信じがたいことですが、第二次世界大戦で敗北した、ドイツや日本でも、確かに戦争の惨禍で、とんでもない状況にはなりましたし、物資も不足はしましたが、それでも、戦争中には普段よりもかなり多く、兵器を製造したり、軍隊にそれを支給したりして、大きな経済活動が営まれました。

さらに、日本を例をとり、後世の歴史家が経済指標だけ見ていたら、大東亜戦争があったことなど気づかないかもしれないことを実証してみせようと思います。

以下は、最近読んだ古谷経衡氏の『戦後イデオロギーは日本人を幸せにしたか』という書籍に掲載されていた、統計資料です。

クリックすると拡大します
この統計資料に関して、古谷氏は、以下のような説明をしています。
 これを見ると、日本は先の大戦で、すべての国富のうち、その4分の1を失ったことになるが、逆説的に言えば、4分の3は残存していると見なすことができ、その水準はおおむね1935年のそれであった。

簡単に言えば、日本は1935年から1944年までの拡大分が戦争最後の1年、つまり戦争末期の大空襲であらかた吹き飛び、日本の敗戦時の国富は終戦時点の10年前である1935年の水準に逆戻りしたと考えればわかりやすい。 
 よって、「日本は敗戦でゼロからのスタート」を余儀なくされたのではなく、「敗戦により、おおむね1935年の国富水準からスタート」と言い換えることができるのだ。
1935年のレベルといえば、言うまでもなくアジアの中ではトップクラスです。戦後の日本の復興は、「ゼロからのスタート」とするのは程遠い実態です。

終戦直後にこの状況であり、温存された国富の源となった、爆撃されなかった町や村などは生産活動を継続し、さらに戦争遂行のための様々な経済活動なども加えれば、日本も経済指標だけみていれば、戦争のあったことなど後世の歴史家は気づかないかもしれません。

そうはいいながら、大東亜戦争は、日本の社会に経済とは別に深刻な悪い影響を及ぼしたことは明らかです。誰も、このような戦争を二度と味わいたくはないと思ったことでしょう。

終戦直後の焼け野が原の東京
ちなみに、日銀の金融政策の間違いにより、日本経済は停滞しまたが、この期間に日本が戦争をして、日銀がまともな金融政策をとるか、あるいは戦費調達のため大規模な金融緩和をして、戦争を遂行し、甚大な被害を受けていたとしても、経済指標だけを見れば、何も変わりないかもしれません。

経済統計からみれば同じような停滞かもしれませんが、の戦争と、金融政策のまずさによる停滞とどちらが良いかといえば、無論誰もが後者のほうがましというに違いありません。

いずれにせよ、堀江氏のように、「人間は経済合理的な動きをするから、戦争しない」という考えはあてはまならいように思います。

それにしても、以上のようなことを考えた場合、「経済合理性」を絶対視する堀江氏が、SEALDsに危機感を感じるというのは、ある意味不思議です。

本来、人間が、経済合理性だけを追求するなら、安保反対運動などしないはずです。60年安保、70年安保、PKO法案成立のときも、反対派は「戦争になる、徴兵される」などをキャッチフレーズとして、大きな運動を展開しましたが、さしたる成果はありませんでした。

であれば、本来は「経済合理性の観点」からは、今回あのようなデモではなく、別なことをするというのが、合理的なはずです。しないはずの、デモが実際には行われているので、堀江氏は危機感を感じているのかもしれません。

これを機会に堀江氏も、安全保障に関する考え方を変えたかもしれません。「戦争が始まったら逃げる」などということは言わなくなるかもしれません。当たり前のことですが、戦争などないほうが良いに決まっています。誰であっても、最初から積極的に戦争したいなどと思う人はいません。

今回の、憲法解釈の変更による、集団的自衛権を含む、安保法制の審議に関しては、上記のように様々な反応がありました。

いずれにしても、寂聴さんのように、ただただ、「戦争反対」を唱えるだけで戦争は回避できませんし、堀江氏のような経済合理性だけでも、「戦争などしない」などとも断定できません。

やはり、戦争は場合によっては、起こりえるものと想定して、そのための準備はしつつ、抑止力を高め、戦争に巻き込まれないように最大限の努力をするということが、当たり前といえば、当たり前ですが、それが王道だと思います。

その王道である当たり前のど真ん中が、従来の日本ではなかなかできなかったのですが、今回の安保法案の成立を機にできるようにしていくべきです。

実は、今回の安保法案に関しては、様々な疑問もあります。無論、安保反対派のように、「戦争になる」などという馬鹿げた理由からではありません。戦争抑止法案とみても、疑問な点があります。

成立後には、「戦争はない」とか「戦争になる」などというくだらない議論はせずに、戦争を抑止するために、いずれ憲法改正も視野に入れつつ、今の憲法の範囲で洗足抑止ために何ができるかを論議するべきものと思います。そうして、憲法改正する前にできることはどんどん実施できるようにすべきです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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