中国の人ごみ |
2011年3月30日、人民日報海外版は、スイスのジュネーブ外交・国際関係学院の張維為(ジャン・ウェイウェイ)教授のコラムを掲載した。欧米では中国の経済改革の成功ばかりが注目されるが、実は政治改革についても大きく進展しているという。4月1日、シンガポール華字紙・聯合早報が伝えた。
世界の社会主義国は過去20~30年間、さまざまな改革を進めてきたが、以下3種類に大別することができる。第一に保守的改革モデル。政治体制には一切変更を加えず経済大勢にのみ限定的な改革を実施するというもの。第二に急進的改革モデル。政治体制も経済大勢も大きく変化させた。そして第三が穏健的改革モデル。中国はまさに第三のモデルに属し、経済モデルの大変革と政治体制の穏健的改革を進めてきた。
中国は民族、宗教、言葉などさまざまな要素がからみあう複雑な国であり、他国に比肩するものはない。こうした問題が影響し、1840年のアヘン戦争から1978年の改革開放まで10年以上続く安定はなかったと張教授は指摘する。
しかし改革開放は30年以上も続く安定を中国にもたらした。中国政府は銀行システムや国有企業の改革など個別具体的な戦略を目標に定め、実現してきたという。その背景には儒教的な政府観、すなわち賢者に職責を任せるという考え方がある。現在の中国政治体制に不足はあるが、少なくとも愚かな指導者を生み出すことはないと指摘している。(翻訳・編集/KT)
【私の論評】はあーっ?中国は、建国以来地方でも、中央でも一切選挙がありませんが?だから中国は「ならず者官僚国家」ということになります!!
政治家とは、一般的な定義によれば、古代の君主、領主、閣僚、議員のほか、古代におけるあらゆる政体、地位、勢力、信任あるいは戦争による勝利に基づき権力を掌握した人々、または執政にあたった人々を指します。
マックス・ヴェーバーは、「政治家の本領は『党派性』と『闘争』である」と指摘しています。そのうえで、政治家に求められる資質として次の三つを挙げています。
未来を構想しながら、現実を変革していこうとする情熱
現状をいまそこにあるままに、しかも一定の距離感覚をもって理解できる洞察力
政治がときには暴力を手段として選ばざるを得ないことを踏まえた結果責任への自覚近代以降の代表民主政治のもとでの政治家は、なんらかの「代表」である、ということによって正当性を賦与されています。
なんからの「代表」ということは、現在では、普通の国では、「選挙で選ばれた」ことを意味しています。しかし、中国では、建国以来、地方政府でも、中央政府でも選挙が一度も開催されたことはなく、選挙で選ばれて、政治家になったものは一人もいません。
ここが、他国との大きな違いです。もう、すでに今は、マックス・ヴェーバーの時代ではありません。選挙以外で、正当性のある政治家など考えられません。
とすれば、中国には一人も政治家など存在しないことになります。そうです。日本の感覚で考えれば、中国では、政治家など一人も存在せず、地方から、国まで、すべて官僚で運営されているということです。
そうなると、上の記事、最初から前提が狂ってきますね。皆さん、もうおわかりでしょう。日本でも、官僚の悪さについては、しばしば、指摘されているところです。だかこそ、民主党も「政治主導」などを標榜しましたが、結局、民主党政権は、結局今では、官僚、特に財務官僚に牛耳られてしまっています。しかしながら、表向きは、あくまで、政治家が政治を司ることに憲法でも、法律でも決まっているので、官僚もさすがに、ある程度以上のことはできません。
しかし、このたがが完全に外れたらどうなると思いますか?そうですね。とんでもないことになりますね。官僚の天下ですね。しかし、現実にそうなっているのが、建国から今まで続いている現代の中国の中央政府と、地方政府なのです。だからこそ、日本では考えられない程、悪辣な官僚が大手をふって歩いているのが今の中国です。
現代ロシアでも、インドでも、無論、選挙は行われています。選挙が、行われていないのは、現在だと、中国、北朝鮮、その他数国の発展途上国くらいなものでしょう。
だかこそ、中国には、このブログに再三掲載してきたように、今なお、どこの国でも、ある程度以上は、実施されている、民主化、政治と経済の分離、法治国家がなされていません。こんな国が、そのままの体制を維持していて、まともに発展するはずがありません。
2011年3月31日、インド政府は同国の人口が12億1000万人になったと発表しました。今回の国勢調査は1872年以降で15回目。調査員270万人を動員し、約3億戸の家庭を対象に、1年の期間を費やして行われました。今回は各家庭の居住状況、教育状況なども初めて調査しまた。それによると、インドの人口は約12億1000万人に上り、2000年の前回調査から1億8100万人増加しまた。インド政府は、正式な人口データと分析については来年発表すると表明しています。
インドの人ごみ、チャンナイ駅 |
マックス・ヴェーバーのいう「ときには暴力を手段として選ばざるを得ないことを踏まえた結果責任への自覚」は、現在では、やむを得ず、暴動などに対処するときに、警察権力を大々的使うこと、戦争などにやむを得ず軍隊を当入することなどを意味します。現在では滅多にないことです。
しかし、中国では、建国以来2万件もの暴動が発生しています。さらに、尖閣問題などで日本には、誰もが理解するようになりましたが、他国への領土的野心をあらわにし、実際にチベット、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)は、軍隊で攻め取りました。先日は、こブログに、中国は、建国以来、ならず者国家であると掲載しましたが、正しくは、ならず者官僚国家というのが正しいです。
ロイターは、インドの人口は近い将来に中国を抜いて世界最大になると報道しています。国連は2030年には中国を抜いて世界一になると推計しています。
このブログても、何回も、掲載してきしまたが、これからは、人口の伸びや、確かに未だ後進的な部分を残しつつも、中国と比較すれば、はるかに、民主化も、政治と経済の分離や、法治国家化も進んでいる、インドの時代がくるのは明らかです。
こんなことも、分析せずに、中国幻想に酔っている、日本の政治家や、企業家は先の読めないただのアホです。
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