2016年5月28日土曜日

【ニッポンの新常識】日本人が金慶珠氏に一定の敬意を払うべき理由 民主主義の根本は「是々非々」―【私の論評】真の保守は中庸を旨とする!敵をつくるより味方を増やそう(゚д゚)!

【ニッポンの新常識】日本人が金慶珠氏に一定の敬意を払うべき理由 民主主義の根本は「是々非々」

金慶珠(キム・キョンジュ)東海大学教授 写真はブログ管理人挿入 以下同じ
東京・有楽町のよみうりホールで19日、「南シナ海情勢フォーラム」(主催・産経新聞社 月刊「正論」)が開かれた。第1部は、軍事ジャーナリストの井上和彦氏の基調講演。第2部は、井上氏と、東海大学の山田吉彦教授、同大の金慶珠(キム・キョンジュ)教授、私の4人で、パネルディスカッションを行った。7月1日発売の月刊「正論」で詳報される。

金氏とは報道番組などで何度か共演したが、祖国を愛する韓国人なので、日本と韓国の主張が対立する場面では、原則として韓国側に立つ。日本側の立場で見れば、乱暴で腹が立つ主張も行う。結果、彼女は「反日」と思われているが、かなりの誤解がある。

金氏と私は、長期滞在の在日外国人であり、祖国の政治家や官僚以上に日本の歴史や国民感情に精通している共通点がある。当然、2人とも日本と祖国との良好な関係を常に願っている。

他方、金氏と私には決定的に違う点が1つある。私の祖国・米国は「言論の自由」を重視する国だが、韓国は違うという点である。

韓国人評論家の金完燮(キム・ワンソプ)氏は、日韓併合を肯定的に書いた『親日派のための弁明』(草思社)を出版したが、韓国では「青少年有害図書」に指定され、逮捕された。刑事・民事両方の名誉毀損(きそん)で何度も訴えられ、罰金刑や損害賠償の判決を受けた。韓国政府はパスポートの更新に応じないので、事実上の出国禁止状態にある。

済州(チェジュ)島出身で、日本に帰化した拓殖大学の呉善花(オソンファ)教授は2013年7月、韓国への入国を完全拒否された。

『韓国人による恥韓論』(扶桑社新書)など、韓国批判の一連の著作が累計40万部に及ぶシンシアリー氏は韓国在住の歯科医だそうだが、素性を明かせば平穏な生活は二度と戻らない。

これほど厳しい言論環境の下でも、前出の金慶珠氏は、李明博(イ・ミョンバク)前大統領が島根県・竹島(韓国名・独島)に上陸したり、天皇陛下への侮辱発言を行った一件を真正面から批判した。日本人は一定の敬意を払うべきだと思う。

自分と意見が違う人物を深く考察せず、全否定して排除しようとする傾向が、「自称・保守派」の一部に見られる。二元論的に「敵か味方か」と決め付けるのは、子供か全体主義者の思考回路である。民主主義の根本理念は「是々非々」なのだ。「昨日の敵は今日の友」になる場合もある。

少し考えてから行動しないと、安倍晋三政権の政策に、脊髄反射で反対する勢力と大差ない。

■ケント・ギルバート

【私の論評】真の保守は中庸を旨とする!敵をつくるより味方を増やそう(゚д゚)!

ケント・ギルバート氏の上の主張もっともだと思います。このブログでも、誰が正しい、誰が間違いなどという考えはすべきではなく、何が正しくて、何が間違いであるべきかを議論すべきことを何度か掲載しました。本当に、誰が正しくて、誰が間違いという議論の仕方ほど不毛で、危険なことはないと思います。

どんなに優秀な人だって、間違うこともあれば、どんなに愚かな人だって、正しいことを言っている場合もあります。

危険であるとは言い過ぎという人もいるかもしれませんが、考えてみてください、全体主義の国家では、トップが絶対に正しいということにするということを思い出すべきです。

パルチザンに射殺され逆さ吊りにされたムッソリーニらの遺体
かつてのソ連では、スターリンは何が何でも全部正しく、ナチス・ドイツではヒトラーが何が何でも正しく、現在の北朝鮮では、金正恩が何が何でも、全部正しいのです。

ムッソリーニは独裁者でしたが、敗戦後パルチザンにつかまり、裁判もなしで射殺され逆さ吊りにされました。パルチザンからすれば、ムッソリーニは悪いやつなので、殺すのは当然だったのかもしれません。しかし、本来ならば、ムッソリーニの行った何が悪かったのか、それを裁判などで明らかにすべきでした。「誰が悪い」という主張は極端になるとここまでいってしまうのです。

上の記事で、ケント・ギルバート氏が語っているように、誰の言っていることは間違い、誰の言っていることは正しいという論法を好んでする人は、全体主義に走りやすい性向を持つ人だと思います。

呉善花氏や、朴裕河氏はとりあげたことがあるのですが、金慶珠(キム・キョンジュ)氏に関しては、このブログでははじめてとりあげました。この方、時々テレビに出るのを見たことがあります。今月はじめ頃の「そこまで言って委員会NP」に出演されていました。

この番組でも司会の辛坊氏に指摘されていたのですが、とにかくよく喋る方です。番組内でそれを辛坊氏に指摘されると、金慶珠氏は「私は考えながら喋る」と語っていました。実際この方がテレビに出ている時には、かなり喋るので、焦点がぼやけてしまって、結局何が言いたかったのか記憶に残っていないというのが正直な感想です。

ただし、一つだけ記憶に残っていることがあります。それは、上の記事でも指摘されていたように、李明博(イ・ミョンバク)前大統領が島根県・竹島(韓国名・独島)に上陸したり、天皇陛下への侮辱発言を行った一件を真正面から批判したことです。これには、正直驚きました。だからこそ、記憶に残っているのだと思います。



この一点をもっても、ケント・ギルバート氏は金慶珠氏を日本人は一定の敬意を払うべきとしています。これは、正しい指摘だと思います。私達日本人はテレビなどの日本語の流暢な外国人の発言を、彼らの背景をあまり考えずに、日本人などと同じレベルで考えてしまいます。

しかし、同じ外国人の発言であっても、米国やEU内等の人の発言であれば、日本人と同じく自由に発言できるのですが、韓国や中国、ましてや北朝鮮などともなれば、なかなか自由には話すことはできません。場合によっては、危険をおかしてまでも話していることを忘れるべきではありません。

それと、これは外国人ではないですが、私は常々このブログの中で旧民主党や現民進党を批判しますが、その民主党の中でも尊敬する議員がいらっしゃいます。それは、金子洋一先生です。先生がかねてから主張しておられる、経済政策は本当に正しいです。民進党の幹部も金子先生の主張する経済政策に耳を傾けるべきです。そのことについてはこのブログに以前も掲載したことがあります。

金子洋一参議院議員
さらに、私はマルクス主義経済学を信奉するものではありませんが、松尾匡・立命館大教授の左派の立場こそ本来、金融緩和を重視するべきだとの主張には大賛成です。これに関しては、朝日新聞でもその主張が掲載されているので、是非ごになってください。

立命館大経済学部の松尾匡教授
私は、どうして左派やリベラルの人たちが、上の二人の主張を無視するのか全く理解に苦しみます。これは、左派やリベラルの人たちの多くが、ケント・ギルバート氏がいうように是々非々でものごとを考えないからです。安倍総理の提唱する経済政策である金融政策には絶対にくみしないということです。

このようなことは、保守派にもみられることで、ケント・ギルバート氏は、以前にもブログ冒頭の記事と似たようなことを語っていたことがあります。それもこのブログに掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【ニッポンの新常識】SEALDsだからおかしい、との主張に私は与しない―【私の論評】誰が正しい間違いという考え方は、そもそも大間違い!成功は対立の中にある。自分と違う意見の人を見つけて、あえて議論せよ(゚д゚)!
ケント・ギルバート氏
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事でケント・ギルバート氏は以下の2つを主張していました。
「誰の主張か?」ではなく、「主張内容は合理的か?」を検証すべきだ。

学習や変化、進歩を拒むのは個人の自由だが、私はさび付いた常識に基づいて生きるつもりはない。
この主張も正しいです。特にこの2番目の主張は、「昔のケントはあんなことは言わなかった」と批判する人に向けてのものですが、これも正しいものと思います。世の中は変わっていきます。昔のままと何もかわらぬ主張をしていれば、一部の人は「ぶれない」などと評価するかもしれませんが、それでは何の進歩もありません。かといって、いつも革新・改革というのも考えものです。

だからこそ、保守的な考えが必要になってくるわけです。ケント・ギルバート氏は保守を自認していますが、まさしく、保守とは上の記事などでケント・ギルバート氏の主張していることを実践する人や考え方のことをいうのだと思います。

保守派というと、自民党が保守で野党は革新などという人もいますが、ご存知のように、このような分類は今や無意味になりました。さらに、人によっては、このような主張をする人が保守で、あのような主張をする人が革新やリベラルなどという人もいます。

しかし、このような考えは根本的に間違いだと思います。主義主張そのものは、保守であるかないかを明確に区分するものではありません。

それよりも、世の中の仕組みをどうするかというときに、「ステップを踏むなんてもどかしい」と「ウルトラCに賭ける」のが急進派、革命派であり、「ウルトラCなんかない」から「ステップを踏んでいくしかない」と考えるのが(反動ではない正しい意味での)保守派であり、中庸派であるということです。

コマネチ、オリンピックで10点満点。機械のように、
正確に技をこなすところはある意味怖いくらいだった。

そうして、民主主義の根本理念はケント・ギルバート氏が語るように「是々非々」であることを忘れるべきではないのです。世の中の仕組みを変えるときに、極端に走らず「是々非々」の民主主義というステップを踏む中庸主義が、保守主義と言えるでしょう。

そういうステップを踏まずに、「誰の主張か」で物事を判断して、事を進めようとする人はそもそも保守ではないのです。

それは、結局のところ真の保守ではないのです。世の中には、本当は保守はではないにもかかわらず、あたかも保守であるように振る舞う偽装保守などといわれる人々もいますし、そうではないまでも、主義主張がいわゆる保守派といわれる人々に似ているので、自分を保守とする自称保守という人もいます。

偽装保守、自称保守の見分け方は簡単です。一見保守のように振る舞いながらも、「誰の主張か」にもとづき物事を考え、変化や進歩に対応するのに、ステップを踏まずに一挙に「変革」を求めるようなことをする人です。特に、この変革に際しては、社会や現実をよく確かめもせずに「制度設計」等で性急に対応しようとします。

私たちは、このようなことにならないように、頭を使うべきです。そうでないと、「安倍死ね」と語る人々と大差がなくなってしまいます。

あるいは、単純な陰謀論者になってしまいます。SEALDsと日本会議が、日本を裏で動かす勢力であると考える陰謀脳の皆さんたちにはつきあいきれません。

このような考え方をする人たちは、結局多数の敵を作ることはできますが、味方を作ることはできません。

このような人たちは、断じて保守ではありません。真の保守とは、たとえ立場が違った人とも、一致できるところは一致し、妥協できるところは妥協し、敵よりも味方を多く作ろうとする人々のことです。それによって、順次世の中の仕組みを変えたり、良い方向に持っていこうとする人々のことです。

ソロモン王の裁き 半分のパンは役にたつが半分の赤ん坊は遺体に過ぎない
そうして、妥協と言った場合、無論半分の赤ん坊ではなく、半分のパンの妥協であるべきというソロモン王の裁きの故事を忘れるべきではありません。世の中には、妥協の仕方がわからず、いつまでも妥協できずに何も変えられないとか、半分のパンを得ることもかなわず、結局半分の赤ん坊を得てしまう事ばかりで失敗する人も多いですが、無論そのような妥協をする人も真の保守とはいえません。

妥協には正しい妥協というものがあります。というより、保守を自認する人は正しい妥協を厭いません。そもそも、民主主義とは妥協の連続です。何もかも、スパっと自分の思い通りにできるのは、全体主義のトップだけです。ただし、それも束の間の事にすぎません。

最後に、ケント・ギルバート氏は、ご自分のブログも公開されています。これは、日本語と英語で書かれています。ブログ冒頭の記事も英語と日本語で書かれています。これは、本当に英語の勉強になります。特に保守的な考えかたをされている人には、格好の英語の教材になると思います。以下にリンクを掲載しておきます。是非こちらもご覧になってください。
http://ameblo.jp/workingkent/
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