2025年11月10日月曜日

政府、経済対策に「お米券」導入──悪しきグローバリズムを超え、日本の魂を取り戻せ

 

まとめ
  • お米券導入は物価高騰下の“痛み止め策”として一定の意義はあるが、恒久化すれば構造改革を遅らせる危険がある。目的はあくまで農政の立て直しにある。
  • 戦後の農政は減反政策により供給力を自ら削ぎながら、「国際競争力がない」と農民に責任を押しつけてきた。国際競争力の強化は政策失敗を隠す免罪符となっている。
  • 米は単なる商品ではなく、“文化的価格”をもつ国の象徴である。田は祈りの場であり、米づくりは国家の命を守る防衛行為でもある。
  • 農業再生には霊性と合理性の融合が必要であり、機械化やスマート農業はその基盤を支える。「魂ある合理性」を掲げ、地域が一体となる“篤農(とくのう)村”を築くべきである。
  • 「常若(とこわか)」の精神に基づき、伝統を保ちながら制度と技術を更新することが日本再興の道である。米づくりは我が国の魂であり、国の矜持である。

政府は、物価高騰と生活支援の両立を掲げ、「米券(コメバウチャー)」の導入を決定した。低所得層への支援と国産米の消費拡大を狙う政策である。だが、この方針をめぐっては賛否が分かれている。支持者は「即効性」を評価し、批判者は「人気取りに過ぎない」と斬る。問題は、これが一時しのぎの施策に終わるか、それとも構造改革への橋渡しとなるかである。

1️⃣支援か改革か──応急策と構造の狭間で

本田悦朗氏

本田悦朗氏(元内閣官房参与、アベノミクスの立役者)は「減反を続け、供給を絞ったまま『おこめ券』で補うのは本末転倒だ」と警鐘を鳴らしている。物価上昇の根源は供給不足であり、まず増産に取り組むべきという主張だ。構造を直さず分配ばかり行えば、基礎のない建物と同じで、やがて崩れる。

ただし現実は単純ではない。米は多くの地域で年一作である。増産体制を整えても、成果が出るのは翌年以降だ。農業は季節と自然を相手にする営みであり、号令で翌日には実らない。

それでも国民の生活が苦しむ中、何もしないわけにはいかない。鈴木憲和農林水産大臣は「本来これだけ買いたいのに諦める方々がいる。そうした皆さんの負担を和らげるには、おこめ券や食品バウチャーのような支援が今は必要だ」と語った(出典:テレビ朝日「グッド!モーニング」2025年10月28日)。また、米価高を踏まえた需給調整重視の姿勢も示している(同出典)。当面のバウチャーは“痛み止め”としてやむを得ない面がある。しかしこれを恒久策にしてしまえば改革は止まる。目的は構造の立て直しにこそある。

2️⃣戦後農政の歪み──「国際競争力信仰」という罠

政治家も官僚も、「国際競争力の強化」を当然のこととしてきた。経済でも教育でも農業でも、この言葉は正義に聞こえた。しかし、それこそが戦後日本を静かに蝕んできた“悪しきグローバリズムの宿痾(しゅくあ)”である。

戦後農政は、米を「生きる糧」ではなく「過剰生産物」と見なし、やがて減反政策に舵を切った。豊作を喜ぶべき農民に「作るな」と命じたのである。この矛盾が、供給力を自ら削ぎ落とす出発点となった。


生産を抑えて価格を高どまりさせる仕組みは、一見、農家の生活を守るように見える。だがその裏で、集約と効率化が遅れ、「競争力がない」という自己否定の口実を生んだ。政策が非効率を生み出し、その責任を農民に押しつける倒錯である。「国際競争力」は、いつしか政策失敗を覆い隠す免罪符となった。価格の高さだけを問題にし、何を守るための価格かを問わない議論が横行した。

とはいえ、日本の米価が高いのは単なる経済指標ではない。風土・技術・労苦・作法が織り込まれた“文化的価格”である。米は商品ではない。土地と人、自然と神を結ぶ営みだ。田は本来、祈りの場である。田に入る前に手を合わせ、豊穣を祈り、自然に感謝する。数字だけが田を支配したとき、文化は痩せる。伊勢の神宮で今も続く新嘗祭は、稲作がこの国の神話と結びついた証である。金銭で測れぬ価値こそ、国の根である。

さらに、米は文化であると同時に戦略物資でもある。輸入が滞っても、米があれば人は生きられる。農家は銃を持たぬ兵士であり、田を耕すことは防衛そのものだ。「余れば輸出すればいい」という軽口ほど浅いものはない。米は“余る”ものではない。それは国の命を蓄える備えだ。輸出とは、食の主権を外貨と引き換えに差し出す行為にほかならない。我が国の米は、為替や市場のためにあるのではない。未来の命を守るためにある。

3️⃣常若の精神──霊性と合理性の融合による再生

スマート農業のデモ

改革の狙いは、効率を高めることではない。文化としての農と、経済としての農を一致させることだ。農業が持続できなければ、祈りも文化も絶える。だからこそ、機械化やスマート農業、地域連携は霊性を壊すものではない。むしろそれを支える土台である。霊性と合理性――この二つは敵ではない。「魂ある合理性」こそ、これからの日本の道だ。

さらに、旧来の「篤農家」モデルには限界がある。機械・流通・情報・資金を地域で共有し、地域全体が“篤農村”となる仕組みを築くべきだ。ここにこそ、日本の伝統である「常若(とこわか)」の精神が活きる。伊勢神宮が二十年ごとに社殿を建て替えても魂を守り続けるように、形式を変えても本質を守り抜く。これこそ真の保守であり、真の改革である。地産地消を進めることは単なる効率化ではない。それは、生産者と消費者の心を再び結ぶ“再霊化”の営みである。ここにこそ、「内需」の本来の意味がある。

結語 米づくりは我が国の矜持である

グローバリズムは時に、神をも市場に売り渡す思想となる。だが、日本にはまだ霊性の文化が生きている。水を尊び、土に感謝し、稲を神と仰ぐ限り、この国は倒れない。「国際競争力」という呪文がこの国を支配する限り、魂は痩せる。私たちが取り戻すべきは、霊性と合理性、伝統と革新が調和した“常若の秩序”だ。米づくりはその最前線である。四季が巡り、水が流れ、祈りが続く限り、この国は立ち上がる。日本の田に芽吹くのは、ただの稲ではない。我が国の魂そのものである。

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