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2018年8月4日土曜日

文科省汚職の「もう一つの真実」 黙る左派マスコミ…ダブルスタンダード「ここに極まれり」―【私の論評】悪しき忖度を除去し、良き忖度を助長することが官僚組織を改革する(゚д゚)!

文科省汚職の「もう一つの真実」 黙る左派マスコミ…ダブルスタンダード「ここに極まれり」

長谷川幸洋「ニュースの核心」

文科省の腐敗は底なしだ=東京・霞が関

文部科学省の汚職が止まらない。息子の医学部合格と引き換えに、国の補助金給付で便宜を図っていた前科学技術・学術政策局長にはあきれたが、次に逮捕された前国際統括官(局長級)には、もっと驚かされた。

 一部報道によると、高級風俗店や高級クラブで接待漬けだったという。「いまどき、そんな絵に描いたような汚職とは」と、びっくりする。

 本人たちが刑事責任を問われるのは当然として、事件の本質はむしろ「本人たちに『後ろめたさ』があったかどうか」ではないか。もしもあったなら、まだ救いはある。組織の腐敗というより、本人たちの甘さが問われるからだ。

 だが、事態は深刻だ。本人たちは「これくらいは当然だ」と思っていたフシがある。

 なぜ、そうみるか。

 最初に逮捕され、受託収賄罪で起訴された前科学技術・学術政策局長については、贈賄側との会話を録音した音声が報じられた。流出元は不明だが、これを聞くと裏口入学を依頼して恥じ入る様子もない。実に平然としているのだ。

 前統括官に至っては、風俗店に行く途中で「ヤバイ」と思わなかったのだろうか。女性関係の接待はカネの受け渡しなどと違って、第3者が介在するから、完全に自分の弱みになってしまう。

 言い換えれば、この2人は贈賄側と「毒を喰らわば皿までも」、ズブズブの関係だったのだ。

 さて、局長級が2人も捕まったとなると、これはもう特異な2人の事件とは言えない。文科省という組織にこそ根本的な問題がある。

 そこで思い出すのは、あの前川喜平前文科事務次官である。よく知られているように、前川氏は天下り問題で次官を辞職した人物だ。文科省の報告書を読むと、前川氏は官房長、文部科学審議官時代を通じて、一貫して天下り斡旋(あっせん)に深く関わっていた。

 天下り斡旋も贈収賄も、根本にある違法性は同じである。天下りは再就職できれば、見返りに相手企業や団体に便宜を図る。一方、贈収賄は相手から金銭やサービスを得て、あるいは裏口入学を認めてもらって、見返りに補助金給付や契約で利益を与える。

 天下り斡旋は、まさに「文科省ぐるみ」だった。そんな組織の腐敗体質が、そのまま今回の汚職事件の底流にある、とみて間違いない。

 首相官邸は「モリカケ問題」で政権批判を繰り返してきた前川氏に加えて、今回の連続汚職事件で文科省には怒り心頭だ。折から、人事シーズンである。文科省は解体的出直しを迫られるに違いない。この際、中枢幹部はごっそり他省庁と入れ替えてはどうか。

 「霞が関ブローカー」といわれた贈賄側のコンサルタント会社元役員は、野党議員2人と懇意にしていたという。うち1人については、元役員に「政策顧問」という肩書を与え、ブローカーはその名刺を永田町や霞が関で持ち歩いていた、と報じられた。

 野党議員に説明責任が求められるのは当然だが、左派系マスコミが野党議員との関係を報じないのは、どういう訳か。前川氏を「政権追及のスター」扱いする一方、野党に都合の悪い話は一切、目をつぶる。

 正義を掲げる彼らのダブルスタンダード(二重基準)も「ここに極まれり」になってきた。文科省汚職の「もう一つの真実」である。

 ■長谷川幸洋(はせがわ・ゆきひろ) ジャーナリスト。1953年、千葉県生まれ。慶大経済卒、ジョンズホプキンス大学大学院(SAIS)修了。政治や経済、外交・安全保障の問題について、独自情報に基づく解説に定評がある。政府の規制改革推進会議委員などの公職も務める。著書『日本国の正体 政治家・官僚・メディア-本当の権力者は誰か』(講談社)で山本七平賞受賞。最新刊に『ケント&幸洋の大放言!』(ビジネス社)がある。

【私の論評】悪しき忖度を除去し、良き忖度を助長することが官僚組織を改革する(゚д゚)!

さて、官僚の腐敗がまたぞろ頭をもたげてきています。これに関して、ブログ冒頭の長谷川氏の記事では、左派系マスコミと野党議員のダブルスタンダードの問題をあげています。確かにこうした側面があるのは事実です。こうしたダブルスタンダードが存在すること自体が問題の本質を覆い隠しています。

それは、さておき、官僚の腐敗ということになれば、官僚人事に問題はないのかということになると思います。

経営学の大家ドラッカー氏は人事に関して次のように語っています。
 貢献させたいのならば、貢献する人たちに報いなければならない。つまるところ、企業の精神は、どのような人たちを昇進させるかによって決まる。(『創造する経営者』)
ドラッカー氏は、組織において真に力のあるコントロール手段は、人事の意思決定、特に昇進の決定だといいます

それは組織が信じているもの、望んでいるもの、大事にしているものを明らかにします。

人事は、いかなる言葉よりも雄弁に語り、いかなる数字よりも明確に真意を明らかにします。

組織内の全員が、息を潜めて人事を見ています。小さな人事の意味まで理解しています。意味のないものにまで意味を付けます。組織の構成員は、この組織では、本当は何をすれば良いのか、それとも上司気に入られることが大事なのかを嗅ぎ分けます。これって、最近良く聴きますが、「忖度」そのものです。

そうです。組織において良い意味での「忖度」は本当は重要なのです。いくら言葉で「何をせよ、これをせよ」と力強く幹部が説いたとしても、実際の人事でその「何をして、これをした」人が昇進・昇格、昇格などされて報いられていなければ、誰も幹部の言うことなど聴かなくなるのです。

そんなことよりも、いかなる組織の構成員も、実際に行われた人事をみて、その人事で報われた人物が何について熱心に行ったのかをみて、その組織の本当の価値観を知るのです。

仮に幹部の語っている価値観と、人事によって示された価値感が同じだった場合でも、人事の結果のほうが、幹部の語ることや、他の情報などのコントロール手段よりもさらに大きな影響力を持つのです。だからこそ、人事こそ組織のなかで最大のコントロール手段であるといわれるのです。

 “業績への貢献”を企業の精神とするためには、誤ると致命的になりかねない“重要な昇進”の決定において、真摯さとともに、経済的な業績を上げる能力を重視しなければならないです。これは、直接的に経済的な業績ではなく「国民の幸福を増進する」能力とでもすれば、政府という組織でも、同じことです。

致命的になりかねない“重要な昇進”とは、明日のトップマネジメントが選び出される母集団への昇進のことです。それは、組織のピラミッドが急激に狭くなる段階への昇進の決定です。

そこから先の人事は状況が決定していきます。しかし、そこへの人事は、もっぱら組織としての価値観に基づいて行なわれるべきなのです。
 重要な地位を補充するにあたっては、目標と成果に対する貢献の実績、証明済みの能力、全体のために働く意欲を重視し、報いなければならない。(『創造する経営者』)
では、政府における官僚の致命的になりかねない"重要な昇進"を決定するのはどの機関になるかといえば、それは内閣人事局です。そうして、この内閣人事局が官僚の「忖度」を有無として問題を指摘するむきもあります。ただし、上記で指摘したように良い意味での「忖度」は組織にとって必要不可欠なものでもあります。だから、ここでは単に「忖度」とするのではなく、「悪しき忖度」とします。


内閣人事局は、平成26年の第186回国会(常会)において可決・成立した国家公務員法等の一部を改正する法律において規定され、同年5月に設立された国家公務員の人事制度を所管する機関です。

「人事」とその組織名に付いてはいますが、民間企業の人事部のように一括採用を行うわけではなく(採用試験は人事院、採用は各府省)、国家公務員の人事制度の根幹である国家公務員法を所管して制度の企画立案を行う他、幹部公務員の人事の一元的管理や、公務員の給与制度、行政機関の組織や定員管理といったことを担っています。

簡単に言えば、各府省の幹部人事、それに組織やその在り方、職員の数をどうするのか、給与の在り方をどうするのかといったことを一手に引き受け、担っている「強大な権限」を持つ組織ということです。

少し補足すると、まず幹部人事。この幹部というのは本省の部長や審議官以上の、指定職と言われる官職のことで、上は事務次官クラスや長官まで。その人事をどうするかをこの内閣人事局が担っているのです。

また、政策の企画立案、そして執行には予算とともに人と組織が不可欠ですが、国の行政機関については、組織や組織の定員は法令で定められていて、簡単に部や課といった組織を作ることもできなければ、人を増やすこともできません。

新しい組織を作る場合や定員を増やす場合は、根拠となる法令の改正によって手当てすることになりますが、その前提として内閣人事局による査定を経なければならず、ここで認められなければ、そもそも新しい組織を作ることも定員を増やすこともできません。

内閣人事局は「人と組織の主計局」と言ってもいい側面も持っているのです。

また、内閣人事局はゼロからいきなりできた組織というわけではありません。その前身は、人事院の一部、総務省行政管理局の査定(組織や定員の管理)部門、人事・恩給局の旧人事局関係部門であり、幹部人事に関する事務等が新たに設けられてはいるものの、基本的にはこれらが統合されてできたと言って良いです。

別の言い方をすれば、分散していた国家公務員人事制度に関する組織および権限を、一つの組織に集中させ、強化したということです。

これだけ読むと、単に役人が権限を強化しただけで、官邸への「悪しき忖度」とはなんら関係ないかのように思われてしまうかもしれません。

ところが「悪しき忖度」、それも過剰な「悪しき忖度」を生む原因とされているのは、内閣人事局と内閣、特に内閣総理大臣や官房長官との関係のようです。

幹部職員となるためには内閣総理大臣による適格性審査を経ることとされており、その結果、幹部職員として必要な「標準職務遂行能力」を有していると判断されれば、幹部候補者名簿に掲載されます。

この名簿から各府省の幹部が任命されることになります。「適格性審査」は随時行われるので、場合によっては幹部候補者名簿から外されるということも起こりえます。

こうした内閣総理大臣の権限は内閣官房長官に委任することができます。各府省の人事権者は各大臣ですが、幹部職員の人事については内閣総理大臣および内閣官房長官と協議した上で行うこととされており、幹部人事は大臣の一存で決められない仕組みになっています。

このように国家公務員の幹部人事については、微に入り細に入りと言っていいほど、内閣総理大臣や内閣官房長官が関与するようになっています。

そして、こうした事務を司るのが内閣人事局なのですが、彼らが内閣総理大臣や内閣官房長官の意を汲み取って、ある意味「忖度」して業務を進めることはあったとしても、内閣人事局という「組織の存在自体」が幹部職員を含む国家公務員における「悪しき忖度」を生んでいるというのは、こうした仕組みを正しく押さえた上で考えれば、「議論の飛躍」です。

むしろ問題とすべきは、内閣人事局という組織そのものではなく、国家公務員の幹部職員人事における内閣総理大臣等の「権限の在り方」であり、幹部職員の「位置付け」でしょう。

そもそも、組織の名称や在り方はともかく、国家公務員人事制度を担当する部局や行政機関の機構・定員の査定を担当する部局を、一つにまとめようという動きは過去に何度かありました。それが紆余曲折を経てなんとかカタチになったのが内閣人事局なのです。

国家公務員の立場からすると、指定職への昇任を考えれば、そのためには幹部候補者名簿に掲載されることが必要となれば、その判断をする内閣総理大臣や官房長官の目を気にするというのはある種当然のことである。

ただし、国家公務員が「上の目」を気にするというのは今に始まった話ではなく、昔からある話で、「公務員の習性」のようなものです。民間企業でも当然のことです。さらに「悪しき忖度」を気にするあまり、良い意味で「忖度」まで否定されるようでは、そもそも組織が成り立ちません。

現状での幹部職員人事への内閣総理大臣等の関与は、そうした「公務員の習性」を逆手に取ったものと言えるかもしれないですが、標準職務遂行能力なるものをメルクマールとして、「幹部職員として職責を担うのにふさわしいか否か」の判断まで内閣総理大臣の権限に係らしめるのは、「やりすぎである」との批判は免れえないでしょう。

もっとも、内閣人事局の設置を含む国家公務員制度改革は、元々は内閣としての政策の企画立案から執行までを効率的に行うのみならず、その効果を最大限発揮させることを企図して検討が進められてきたものであり、国家公務員の幹部職員人事について、内閣総理大臣がある程度強い権限を持つことについては、否定されるべきものではありません。

一方で、内閣とのある種の一体性を考えるのであれば、幹部職員はこれまでどおりの一般職ではなく、身分保障のない、各府省の人事から切り離された「特別職」とすべきであり、そうなれば職員自らがリスクを取ってその職に就くことになるため、「悪しき忖度」による弊害の生じる余地は限りなく小さくなるはずです。

韓国で生まれ、生後3日で道端に捨てられ孤児となり、その後
フランス人夫婦の養女となってパリにわたり、エリート官僚、
大臣にまで登りつめたフルール・ペルラン氏

実際、例えばフランスの大臣官房の幹部職員はそうですし、日本でも、これまでに退路を絶って政務の総理秘書官や大臣秘書官(いずれも特別職)に自ら転じた例はあります。

さらに、フランスには事務次官は存在しません。アメリカなどでも次官はますが、次官補などに対して序列で一位だというだけです。中国の官僚機構でもそうです。日本のように、大臣が会長であるのに対して社長だというような事務次官は普通ありません。人事などは総務局長が担当しています。

フランスでは、大臣の手足になるのは、大臣官房です。いわば補佐官室で、官房長は首席補佐官というべき存在で、大臣の代理人です。政治任命なので、経歴は問わないのですが、普通は官僚出身者です。

その省の官僚が多いですが、他省庁からも来ることがあります。とくに、フランスではマクロンのような財政監察院、フィリップ首相のような国務院、オランド前大統領のような会計検査院というグランコールと呼ばれる三つの組織の人間がスーパー・キャリア官僚となっており、官房長の供給源になっています。

そして、官房のメンバーは10人くらいからなりますが、だいたい、官僚が半分強といったところです。

局長などは、大臣が官房長の補佐を受けて任命しますが、大統領や首相の助言もされます。実務能力がないと困るのは大臣なので、それほど極端な政治任命がされることはありません。

野党や大臣の政敵に近い幹部はどうするかといえば、中枢から離れたポストに待避します。それが省内ということもありますし、外郭団体のこともあります。ただし、降格や肩たたきで辞職を強いられることはありません。

このようなシステムのお陰で、野党のブレーンとなっている官僚も多いし、それが、円滑な政権交代を可能にしています。このような官房(補佐官)システムは地方自治体にあっても適用可能だと思います。

いずれにしても、幹部職員は特別職とするのが妥当であると考えます。そうして、幹部職員を特別職とすることを含む国家公務員法の改正案を立案し、国会に提出したのはかつての民主党です。

しかし、日本の国家公務員の幹部職員の人事制度では幹部職員は一般職であり、これまでの人事に内閣総理大臣等が強く関与するようになっただけのような形であれば、今後の自らの人事、処遇を懸念して、過剰な「悪しき忖度」や「悪しき忖度」による弊害が生じることも十分あり得ることです。

それにしても、「特定の組織」を悪者に仕立て上げるというのは世の常のようなところもありますが、つまるところ、「内閣人事局悪玉論」は的外れで、元凶ではないということであり、そこだけをあげつらっても国家公務員の「悪しき忖度」問題、過剰な「悪しき忖度」による弊害は解決しないでしょう。

そもそも、それらを完全になくすことは不可能です。それに良い意味での「忖度」までなくしてしまえば、そもそも組織は成り立たず本末転倒です。そうした前提に立って、現実的な視点から「悪しき忖度」による弊害が極力起こらないようにするためには、主要な幹部職員の特別職化や、特別職である幹部職員の人事を対象にした内閣総理大臣の権限の在り方の適正化等、国家公務員制度自体の見直しを考えるべきでしょう。



ドラッカー氏は人事の手続きについて以下のように語っています。
人事に関する手順は、多くはない。しかも簡単である。仕事の内容を考える、候補者を複数用意する、実績から強みを知る、一緒に働いたことのある者に聞く、仕事の内容を理解させる。(『プロフェッショナルの原点』)
第一は、仕事の内容を徹底的に検討することです。仕事の求めるものが明らかでなくては、人事は失敗して当然です。しかも、同じポストでも、要求される仕事は、時とともに変わっていきます。仕事が変われば、求められる人材も異なるものとなります。

第二は、候補者を複数用意することです。人事において重要なことは、適材適所です。ありがたいことに、人間は多種多様です。したがって、適所に適材を持ってくるには、候補者は複数用意しておかなければならないです。異なる仕事は異なる人材を要求します。

第三は、候補者それぞれの強みを知ることです。それぞれの強みをそれぞれの実績から知らなければならないです。その強みは、仕事が求めているものであるかをチェックする。何事かを成し遂げられるのは、強みによってでなのです。

第四は、一緒に働いたことのある者から、直接話を聞くことです。しかも数人から聞かなければならないです。人は人の評価において客観的にはなれないことを知らなければならないです。それぞれの人が、それぞれの人に、それぞれの印象を持つものです。

第五は、このようにして人事に万全を尽くした後において行なうべきことです。すなわち、本人に仕事の内容を理解させることです。仕事の内容を理解したことを確認することなく、人事の失敗を本人のせいにしてはならないのです。

具体的には、何が求められていると思うかを聞きます。3ヵ月後にはそれを書き出させます。新しいポストの要求するものを考えさせないことが、昇進人事の最大の失敗の原因でです。ドラッカーは、「新しい仕事が新しいやり方を要求しているということは、ほとんどの者にとって、自明の理ではない」といいます。
追従や立ち回りのうまい者が昇進するのであれば、組織そのものが業績のあがらない追従の世界となる。人事に全力を尽くさないトップは、業績を損なうリスクを冒すだけでなく、組織そのものへの敬意を損なう。(『プロフェッショナルの原点』)
私自身は、内閣人事局が「悪しき忖度」を誘発しているという見方は全く間違いだと思います。それよりも、内閣人事局は長年公務員改革の要として重要な組織として設立されたのですから、良い意味での「忖度」を助長し、ドラッカーのいうところの、人事の手順がスムーズにできるように、官庁組織を変えていくべきでしょう。

特に、すべての官庁において、すべての官庁がが本来の官邸の統治部分に直接かかわるのは禁忌とすべきです。さらにすべての官庁において、外部の利害関係者と直接折衝をする部門と、企画を立案する部門はしっかりと分離すべきです。これを同一にするのは、政府に限らず、あらゆる組織において腐敗の源となります。

これなしに、腐敗した官僚を批判したとしても、一時は収まるかもしれませんが、ときが経てばまた同じような問題が繰り返し起こるようになるだけです。

左派系マスコミと野党議員は本来こうしたことを主張するべきであって、ダブルスタンダードで、政府批判をするだけでは、何の解決にもなりません。

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2018年4月19日木曜日

朝日新聞、セクハラを口封じか 胸わしづかみにされるも先輩から「我慢しろ」…元女性記者が衝撃告白―【私の論評】朝日新聞も、テレ朝もダブルスタンダードを放置するな(゚д゚)!



 元朝日新聞の女性記者が、17日放送のフジテレビ系「バイキング」に生出演し、新人時代に取材相手からセクハラ被害に遭い、会社の先輩に相談したものの、「我慢しろ」と言われたと衝撃告白した。財務省の福田淳一事務次官(58)のセクハラ疑惑を厳しく追及している朝日新聞だが、自社の女性記者には「セクハラ被害の口封じ」を強いていたのではないのか。

バイキングでは同日、福田次官のセクハラ発言疑惑について、取り上げていた。「女性記者とセクハラ」の実態を知るという、元朝日新聞の女性記者Xさんが登場した。

Xさんは、自身の新人時代の体験として、「取材相手に突然胸をわしづかみにされ、社に戻って男性の先輩に相談したところ、『これくらい我慢しろ』といわれてしまった」「(当時)その場ではショックで何も言えない。とても受け止められなかった」「私の場合は、ほかの会社の先輩記者に相談して解決を図っていった」などと、実名で告白した。

朝日新聞は17日の社説「財務次官問題 混乱は深まるばかりだ」で、福田氏のセクハラ疑惑を取り上げ、財務省について「本当に事態を解明する意欲があるのか。相手方の保護をどう考えているのか。ここでも一般常識との溝が際立つ」と痛烈に批判した。

だが、Xさんの告白が事実ならば、朝日新聞(の先輩)は、実態を解明する意欲もなく、相手方の保護も考えず、Xさんのセクハラ被害について「沈黙を強要=口封じ」した疑いが浮上する。まさに、「一般常識との溝が際立つ」のではないか。

夕刊フジでは同日、(1)Xさんは就業していたのか(2)先輩社員の「これくらい我慢しろ」との発言は、セクハラ行為への口封じではないのか(3)セクハラ被害の見過ごしは御社で常態化しているのか-などの質問状を朝日新聞に送った。

朝日新聞広報部は、Xさんの9年間の在籍を認めたうえで、「お問い合わせいただいた番組中のご発言については詳細を把握しておらず、コメントいたしかねます」「なお、弊社は『セクシュアル・ハラスメントの防止に関する規定』を定めており、従業員から被害の申し出に対しては、会社として適切に対処しております」と回答した。

【私の論評】朝日新聞とテレ朝はダブルスタンダードを放置するな(゚д゚)!

上の記事で、Xさんと表記されている方の名前は、秋山千佳さんです。17日のバイキングのキャプチャー画像と動画を以下に掲載します。




これが事実なら朝日新聞は、見事なダブルスタンダードと言って良いと思います。

さて、この番組でも報道されている福田氏の発言がセクハラかどうかは本人が裁判で争うと言っている現在の段階ではグレーです。きのうテレ朝が明らかにしたのは、次のような事実だ。
少なくとも2016年11月から今年4月まで、女性記者が福田氏とのオフレコの会話を無断で録音した。
記者はこの問題を報道しようとしたが、上司が握りつぶした。
このため女性記者は、音声データを週刊新潮に提供した(金銭の授受はないと主張している)。
福田氏のセクハラ自体は別問題として、冷静に考えればこの女性記者は懲戒処分にあたるのではないでしょうか。無断録音を公開したのは取材先との信頼関係を壊すオフレコ破りであり、録音データの週刊誌への提供はマスコミ関係者としては、前代未聞のルール違反です。

2008年の音声データ漏洩事件では、朝日新聞の辰濃哲郎記者が解雇、専務(編集担当)と編集局長などが減給処分を受けました。これは病院の内紛にからんで、辰濃記者が無断で録音した音声データを関係者に渡した事件です。

セクハラとは、女性に対して雇用関係や契約などの優越的地位を濫用することですから、この場合は彼女が苦情を申し立てているのに1年半も取材させた上司の行為もセクハラにあたります。

上の朝日新聞の例だってそうです。相手から胸を鷲掴みにされたことを報告しているのに、我慢しろと言ったのですから、これは優先的地位の濫用にほかなりません。胸鷲掴み自体に関しては、詳しい情報がないので何ともいえません。

テレ朝の説明には、不審な点が多いです。女性記者が問題を申し立てていたのなら、なぜ1年半も「福田番」のままにしたのでしょうか。さらに、主計局長から事務次官まで同一人物の番記者をやらせるローテーションは異例で、これでは癒着を誘発するようなものです。

福田事務次官

ありそうなのはテレ朝も女性記者も承知の上で、スケベオヤジ福田氏を利用していたのですが、最近人間関係が壊れたという推測です。あるいは単に女性記者が番記者をはずれて、復讐してやろうと思ったのかもしれません。あるいは、セクハラされていることを上司に伝えてもスケベオヤジの番記者にされ続けたことに怒りをぶつけたのかもしれません。

公平にみて、福田氏がスケベオヤジであることは事実でしょうが、それとテレ朝や朝日新聞のダブルスタンダードとは別問題です。セクハラそのものに関しては、これから調査や裁判になるのかもしれませんが、ダブルスタンダードを放置しておくのはさらに問題です。これでは、これからも報道倫理が守られず、さらにセクハラを助長することになります。

この件で行政を混乱させたテレビ朝日は関係者を処分し、全社員に報道倫理を教育すべきです。朝日新聞も今回は直接は表沙汰になりませんでしたが、元記者がデレビで告白したのですから、未だにその体質が残っている可能性がありますから、当然のことながら、関係者を処分して、全社員に報道倫理を徹底すべきです。


2013年3月7日木曜日

【40×40】河添恵子 日本欺くダブルスタンダード―【私の論評】社会の変革を後回しにしたつけが効いてきた中国、習近平はラストエンペラーになる!!【3】

【40×40】河添恵子 日本欺くダブルスタンダード
河添恵子さん

新しい布陣による中国が、本格始動する。この新体制について一言でいうと「海洋利権の習近平国家主席と環境利権の李克強首相のツートップ」。共産党政府には5年、10年単位での国家戦略(=野望)があり“派閥”が変わろうとその路線を爆走している。しかもその手法は常に、日本を欺くダブルスタンダードなのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・<中略>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

では、中国が今なぜ環境汚染の最悪な実態を積極的に発信しているのか? 次なる5年の表看板を「環境・省エネ」に掛け替え、能天気な日本からさらに巨額のカネ&最先端技術を巻き上げるためのキャンペーンと考えるべきなのだ。と同時に日本の世論の分断工作のため、売国・媚中(びちゅう)人間、民主化活動家すら使いこなす。日本はまだ騙(だま)され続けるのか?

これからも「日本の問題」と絡め、世界を破壊しかねない中国を取材、解析していきたい。(ノンフィクション作家)

この記事の詳細はこちらから!!


【私の論評】社会の変革を後回しにしたつけが効いてきた中国、習近平はラストエンペラーになる!!【3




河添さんは、長い間中国を取材してきており、特に最近は日本国内での中国の動きに関しても詳細を丹念に取材されており、情報源としては優れています。ですから、上の記事の内容には、諸手を上げて賛成です。

ただし、上記のダブルスタンダードという表現は、まだ甘いのではないかと思います。そもそも、スタンダードないのが中国です。自分の都合の良いように何でもでっちあげて、挙句の果てには、自国領土にしていまいます。それは、今の中国の版図を見ても明らかです。

下の地図をみれば、現在中国に含まれている、チベット(自治区)、チベット(自治区),モンゴル,満州などどう考えても、もともとは中国の領土ではありません。それに、実際に第二次世界大戦直後、これらの国々も中国の版図ではありませんでした。それが、今日中国の領土なっています。これは、中国が侵略して手に入れた領土です。


それに、昨年の11月には、以下のようなとんでもない報道がなされています。


中国「ハワイ領有権も主張できる」 米国務長官、協議の一幕明かす2012.11.30 20:06 
 【ワシントン=犬塚陽介】クリントン米国務長官は11月29日、ワシントン市内で講演した際の質疑応答で、過去に南シナ海の領有権問題を中国と協議した際、中国側が「ハワイ(の領有権)を主張することもできる」と発言したことを明らかにした。長官は「やってみてください。われわれは仲裁機関で領有権を証明する。これこそあなた方に求める対応だ」と応じたという。 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<中略>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 ハワイをめぐっては、太平洋軍のキーティング司令官(当時)が2007年5月に訪中した際、中国海軍幹部からハワイより東を米軍、西を中国海軍が管理しようと持ちかけられたと証言したこともあった。

ハワイといえば、もともとは独立国であり、それを結局はアメリカが武力を行使して奪いとったものです。これに関しては、アメリカ政府が正式に謝罪しています。中国は、アメリカに対してもともと、お前たちが力づくで奪いとったものだから、俺たちだって権利があるという事を語っているわけです。とんでもない連中です。確かに歴史を遡ればそうかもしれませんが、もうアメリカの侵略からすでに随分時がたち、ハワイもすっかりアメリカの領土として馴染んでしまった現在、こういうことを主張できるというセンスが理解できません。

それに、このブログでは、過去には中国は、日本の西半分を東海省とし、東半分を日本自治区にしようという長期国家戦略があることを掲載したことがあります。それどころか、中国は以下のような領土的野心を持っていることは間違いないです。




この中には、無論ハワイも含まれています。だから、先ほどの話もあながち中国が思いつきで言っているということではないのです。今は不可能であっても、いずれはやろうとしていて、もし、機会があれば必ずやるということです。


実際、以前、オーストラリアを訪れた、当時中国の総理李鵬が当時、「もう20年もすれば、日本という国はなくなる」と発言しています。これを語った李鵬の頭の中には、中国の長期国家戦略戦略があったことは確かだと思います。それにしても、中国のこの領土的野心、とどまるところを知りません。領土を拡張しても、良いことなどあまりないと思います。


それは、あのロシアを見れは良くわかることだと思います。現在のロシアは、GDPは日本の1/5、人口は1億4千万人で、日本よりわずかに多いだけ、その中でも支配階級のロシア人の数は日本人よりも少ないです。中国もいずれそうなります。もうなりかけているかな?それにしても、そうなるまでには時間がかかるし、何よりも日本を含む周辺諸国に迷惑をかけどうしということになります。困ったものです。それでも、習近平は、社会変革に取り組もうにも何ともできず、規制路線を歩んでいずれ旧ソ連邦共産党(今でもありますが、もはや国家を担う存在ではありません)のように滅んでいくのが現代中国共産党政府です。

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幸福の科学出版
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トランプ氏の「お客様至上主義」マーケティングから学べること―【私の論評】真の意味でのポピュリズムで成功した保守主義者の典型トランプ氏に学べ

トランプ氏の「お客様至上主義」マーケティングから学べること まとめ トランプ元大統領は、テレビタレントとしての経験を活かし、有権者のニーズを理解した明確なメッセージを発信している。 彼のマーケティング力とキャラクター演技力が、選挙戦での成功に寄与している。 対立候補陣営は、高額な...