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2019年8月7日水曜日

「信教の自由」でも衝突する米中―【私の論評】米国政治で見逃せない宗教という視点(゚д゚)!

「信教の自由」でも衝突する米中

岡崎研究所

7月16-18日、第2回「信教の自由に関する閣僚級会合」が米国務省の主催により開催された。これは、信教の自由を促進する世界最大規模の国際会議で、2018年に引き続く開催となる。18日には、ペンス副大統領とポンペオ国務長官が演説、ベネズエラ、イラン、ミャンマー、北朝鮮などにおける信仰、人権への攻撃を非難した。そして、日本の報道でも大きく取り上げられた通り、中国によるウイグル人弾圧を含む宗教弾圧は、特に強く非難された。

       ドナルド・トランプ大統領と共に祈るためにホワイトハウスの大統領執務室を
       訪れた米国の福音派指導者ら=2017年12月11日

 ペンス副大統領は、新疆ウイグル自治区での状況について「共産党は100万人以上のウイグル人を含むイスラム教徒を強制収容所に収容し、彼らは24時間絶え間ない洗脳に耐えている。生存者によれば、中国政府による意図的なウイグル文化とイスラムの信仰の根絶だ」と述べた。共産党政府がキリスト教を迫害しているにも関わらず、中国でキリスト教徒の数が急速に増加していることも指摘した。

 ポンペオ国務長官は、「中国共産党は中国国民の生活と魂を支配しようとしている。中国政府はこの会合への他国の参加を妨害しようとして。それは中国の憲法に明記された信仰の自由の保障と整合するのか」、「中国では、現代における最悪の人権危機の一つが起きている。これはまさしく今世紀の汚点である」と述べた。

 そして、ペンスは「米国は現在、中国と貿易交渉を行っており、それは今後とも続くだろうが、交渉の結果がどうであれ、米国民は信仰を持って生きる中国の人々とともにあると約束する」と述べた。つまり、信教の自由と貿易交渉を引き換えにすることはないという強いメッセージを発したのである。

 「信教の自由に関する閣僚級会合」というのは、世界中の信教の自由を促進することが目的であるが、この中で中国が大きく取り上げられたことの意味を過小評価すべきではないだろう。ペンスが言った通り、米国としては、信教の自由、ひいては人権と経済的利益は、究極的には取引することのできないものである。というのは、宗教の自由は、米国建国以来脈々と受け継がれてきた理念であり、DNAと言ってもよいような価値だからである。このことは、ペンスの以下のような発言からもよく分かる。

 ペンスの今回の演説の冒頭には、次のような文言がある。「米国は最も初期より宗教の自由を支持してきた。米国憲法の起草者たちは、宗教の自由を米国の自由の第一に位置付けた」「我々の独立宣言は、我々の貴重な事由が、政府から与えられたものではなく、神から賦与された不可侵の権利であると宣言した。米国人は、政府の命令ではなく良心の命令に従って生きるべきだと信じている」「我々は、世界中の他の国々の宗教的自由を支持し、人権を尊重し、それにより世界中の人々の生き方をより良いものにしてきたことを誇りに思う」「自由な精神が自由な市場を作るのだ」。



 トランプ政権は、人権への取り組みが弱いと非難されてきた。その批判には当たっている面が少なくない。トランプ政権は、独裁者に対して甘い傾向がある。しかし、信教の自由を前面に打ち出すとなると、トランプの重要な支持基盤の一つである宗教保守へのアピールになる。米バード大学のWalter Russell Mead教授は、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に7月22日付けで掲載された論説‘Trump’s Hesitant Embrace of Human Rights’において、「チーム・トランプはアジアやその他で中国の勢力に対抗する連合を形成するうえで、米国のポピュリストと保守の支持者を団結させる必要がある。宗教の自由に焦点を当てた人権のビジョンを取り入れることは、その両面で役立つ」と指摘している。鋭い指摘である。

 トランプ政権においても、宗教の自由擁護という人権問題が重視されてきていることははっきりしてきた。そうした中で、米中関係の今後がどうなっていくかは世界各国にとり、特にアジア諸国にとり、大きな関心事項である。経済問題は互恵のプラスサムの関係を築くことで、政治問題は利益をバランスさせる政治的妥協によって解決可能であるが、宗教の自由問題は深く価値観にかかわる問題であって、妥協によって解決するのが困難な問題である。

 中国はウイグル問題を内政問題と整理し、内政不干渉を盾に国際的批判に対抗しようとしているが、そんな対応でやり過ごせる問題ではないのではないかと思われる。宗教の自由を重視する米国と、宗教をアヘンとみなし宗教を国家の監督下に置きたいとする共産主義の中国との対立は今後ますます深刻になる可能性が高い。今や、米中対立は、単なる覇権争いを超えて「価値観の衝突」となっている。

【私の論評】米国政治で見逃せない宗教という視点(゚д゚)!

日本人は宗教と政治は、無関係であることを当然のこととしているため、米国の宗教的価値観をなかなか理解できないでょう。

米国の政治にはいわゆる福音派が、大きな影響を与えていることは間違いありません。福音派とは、キリスト教の潮流の一つで、聖書の記述を忠実に守り、伝道を重視し、積極的に行動することを旨とします。プロテスタントの系譜を引くのですが、米国では宗教別人口の約4分の1を占め、主流派のプロテスタントを上回る最大勢力です。また、トランプ大統領の強力な支持基盤で、2016年の大統領選では白人福音派の8割がトランプに投票したとされます。

福音派がその名に冠する福音主義は、16世紀の宗教改革当時にルターらが唱えた、教会の権威によらず聖書に立ち返ろうとする考えを指します。福音派も含めてプロテスタントは、神学的にはこの流れをくむものですが、様々な歴史的経緯からいくつかの会派に分かれていきました。

19世紀の前後にかけて自然科学などの発展に伴い、プロテスタントの中には自然科学の知見を認める自由主義神学の流れが現れました。その一方で、米英の保守的なプロテスタントの中からは、自由主義神学に異を唱え、進化論などを否定して聖書の霊感と無謬(むびゅう)性を固持するファンダメンタリズム(原理主義)が現れました。

米国の福音派の代表的な伝道師であるビリー・グラハムらは、このファンダメンタリズムから出発しています。しかしグラハムらは、ファンダメンタリズムが内包する分離主義や反知性主義、伝道についての無関心などを批判する姿勢を示しました。

ビリー・グラハム氏

それと共に、自由神学に対して一定の評価を与え、ファンダメンタリズムとも自由主義神学とも一線を画する新しい福音主義として福音派の潮流を興したのです。このため、福音派は穏健なプロテスタント保守派と位置付けられています。

一般的に、このような立場をとるプロテスタントが、自他共に福音派とされます。したがって、福音派とは特定の会派ではなく、会派をまたいだ信仰における姿勢や立場を示す呼称となっています。

このため、国によって福音派の定義にも違いがみられます。また、社会問題についての見解などにも会派により多少の差異があります。しかし、一般的には妊娠中絶や同性婚には否定的であることが多いです。

基本的には聖書の教えどおりに生きることに価値を置くため、旧約聖書の一節を「神がイスラエルをユダヤ人に与えた」と解釈し「世界が終末を迎えるとき、エルサレムの地にキリストが再来する」などとしています。

トランプ大統領自身は、米国のリベラル系メディアの否定的な報道から、信仰心を有しているとは思われていようですが、実はそうではありません。選挙公約に米大使館のエルサレム移転などを掲げ、当選後まもなくエルサレムをイスラエルの首都と認めるとしたのは、有力な支持層である福音派への配慮だとされています。

そうして、日本の多くの人々は、米国の福音派に違和感を抱くのは、「どうしてあそこまで政治と宗教(キリスト教)が関連付けられるのか」ということでしょう。これは、日本のキリスト教が1パーセント未満であることとも連関しますが、まず米国は日本で一般に認識されているところの「政教分離」の原則が当てはまらない国家であることを知る必要がある。

ご存じの方も多いと思いますが、米国では大統領が就任式で宣誓するとき、聖書に手を置いてこれを行います。日本では絶対にありえない光景です。日本では首相が般若心経やコーラン、あるいは仏典の上に手を置いて就任式をする光景はないです。

トランプ大統領は就任式で、左手を聖書に置き、右手を挙げて恒例の宣誓をした

ところが、米国ではこれは当たり前のことになっています。それは、米国において「宗教(主にキリスト教)」は政治に関与することが大いに奨励されているからです。そもそもWASP(白人でプロテスタント信仰を持つアングロサクソン系民族)と呼ばれる人々は、キリスト教信仰に基づいた国家を建設しようとして、米大陸に乗り込んできたやからです。だからキリスト教精神に則って政治が行われることは、至極まっとうなこととなのです。そのため、彼らの意識としては、政治と宗教は親和性の高いものとなっているのです。

これを端的に表しているのが、「Separation of Church and State」という考え方です。これは詳訳するなら「特定教派と政治の分離」となります。一方、日本をはじめ他の先進諸国が使用している形態は、「Separation of Politics and Religion」です。同じく詳訳するなら「政治と宗教の分離」です。この土台が異なっているため、日本では、当福音派クリスチャンですら二重の意味で混乱を来すことになるのです。そうして、非キリスト教以外の人々にも誤解や混乱をもたらしてるのです。

一つは、日本国民として「政治の中に宗教性を持ち込んではダメ」と思っていることです。もう一つは、「キリスト教はあくまでも心や精神的癒やし(解放)を目指すものであって、政治とは相いれない」と思い込んでいることです。

しかし米国においては、このいずれも決して自明なことではありません。もちろん政治的発言を控えるという風潮や、そういう考え方を訴える福音派の牧師もいます。しかし同じ「福音」の捉え方にしても、やはり国が違えばその強調点、濃淡に差異が生じやすくなるのです。

多くの日本の福音派教会は、米国の宣教師からのDNAを受け継いでいます。宣教師になるくらいですから、米国にいながらどちらかというと政治よりも個々人の精神性に重きを置く傾向がある人々であることは否定できないでしょう。

日本的な「政教分離(政治と宗教の分離)」の原則と、日本にクリスチャンが1パーセント未満であるということ、そして海外からもたらされた形而上学的側面を強調する「キリスト教」が相まって、米国の「政教分離(特定教派と政治の分離)」を理解しにくくしているという一面があることは、覚えておく必要があります。

日本のメディアの論調は、米国人の4分の1が「福音派」であり、その大多数が共和党支持であり、福音派の主張(中絶禁止、公立学校での祈祷推進、同性愛禁止、イスラエル支援など)を積極的に受け止めて実現させているトランプ大統領を熱烈に支持している、というものです。

しかしこのような情報の流布には、大きな功罪が伴っています。「功」の部分は、「政治と宗教が一体となる国家こそ素晴らしい」と考える集団が米国には今でも確かに存在することをリアルに示しているというところです。

一方、「罪」の部分は「功」を上回って深刻な偏見を私たちに与えることになります。それは、全国民の4分の1が福音派として一枚岩で、福音派の主張を政治的に成就させようとしている、という印象を与えてしまうことです。そもそも「福音派」とは一体何なのでしょうか。

「福音派」はなかなか明確化しづらい概念であり、専門家たちも確たる定義を行えないまま現在に至っています。

政治への関与という点で、「福音派」は「政治的に解決することもいとわない」という「宗教右派」から、政治関与には消極的な集団まで幅広く存在しており、その境界線はかなり曖昧です。

「福音派」の多数は後者ですが、メディアなどに取り挙げられるのは圧倒的少数派である前者です。これは、米国のメディアのほとんどが、リベラル系に握られており、大手新聞の全部はリベラル系、大手テレビ局ではfoxTVのみが保守系であり、あとはリベラル系であることを認識しておくべきでしょう。だから、米国保守派の正しい姿をなかなか報道できないのです。

つまり、テレビに登場する「福音派指導者」という輩は、その素性、経歴、現在の立場などがまったく分からないまま「福音派の代表」に祭り上げられているといえるかもしれません。もちろん、本人がそう願って取材に応じている場合もあるでしょう。しかし往々にして、日本のメディアが大々的に取り上げることで、彼らを頂点とする「政治的思想集団=福音派」が米国に出来上がりつつあるような印象を与えてしまっています。

しかし、ネットで彼らの素性を調べると、そのほとんどが「宗教右派」に分類される人々です。一部のコアファンが集まっているというところでしょう。

このような現状を鑑みるとき、もし誰かに「福音派ってあんな人たちなのですか」と尋ねられたり、「どうして米国の福音派はトランプ大統領を支援しているのですか」と聞かれたりしたとき、特に日本の福音派との比較で聞かれた場合には、現状では以下のように認識すべきでしょう。

1)日本の福音派と米国の福音派は、信じている事柄(福音主義的教理)においては一致していても、そのアウトプットの仕方は異なっています。その理由は「政教分離」の中身がまったく違うからです。

2)米国の福音派はトランプ大統領に絶対的な支持を与えているわけではないです。政治的関与に対して、幅広い意見を持つ福音派は、その定義すらつかみどころがないです。自分たちの願うアクションを政策として掲げてくれるトランプ大統領を「熱烈に」支持する一部の福音派(宗教右派)もいれば、彼らのプレゼンにほだされて、トランプ支持に回る「浮遊層」も存在します。さらに、政治的な解決は自分たちの信じている聖書のやり方に反する、と主張する反トランプ派の福音派も存在するのです。

さて、米国の福音派について長々と述べてきましたが、米国では政治に大きな影響力を持つ福音派は、現状のウイグル族の状況をどう捉えるでしょうか。

当然のことながら、ウイグル人はイスラム教という信仰に基づいた国家を建設するのが自然であると考えるでしょう。これは、宗教を否定した共産主義者からはとても受け入れられない考え方です。

米国の福音派等からすれば、信仰に基づかない国家を建設した中国は、偽善でありまやかしであると写るに違いありません。

両者は水と油なのです。だからこそ、米中対立は、単なる覇権争いを超えて「価値観の衝突」となっているのです。

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2018年11月19日月曜日

【瓦解!習近平の夢】ペンス氏、「中国共産党」への宣戦布告 講演で宗教弾圧を指摘―【私の論評】日本も世界の"信教の自由"に貢献すべき(゚д゚)!


ペンス副大統領

 「国際社会は一体となって、各地の残虐行為をやめさせなければならない」

 キリスト教カトリックの総本山バチカン(ローマ法王庁)が声明を出すなど、これまで70年近く、対立する関係にあったのが、“無神論者”の集団、中国共産党が統治する中国だった。

 世界各国のカトリック教会において、司教の任命権はバチカン、すなわちローマ法王にある。だが、中国政府はそれを「内政干渉だ」と拒絶し、共産党の主導で、バチカンとは独立した形でカトリック団体を設立し、独自に司教の任命を行っていた。

 一方、キリスト教に帰依する中国国内の人民たちは、中国政府の監視や干渉から逃れて活動する教会、いわゆる「地下教会」へ通っていた。信者数が増え、規模が大きくなった地下教会に対して、中国政府は、見せしめ的にカトリックの神父や、プロテスタントの牧師を拘束したり、教会や関連施設を破壊するなどの弾圧を続けていた。

 そのようななかで、今年9月下旬、「バチカンが中国と司教任命権問題で暫定合意」という衝撃のニュースが世界を駆けめぐったのだ。しかも、習近平政権が、ウイグル、チベット民族などへの宗教弾圧をますます強めていることを、人権団体やジャーナリストが、数々の証拠とともに告発していた最中の、いわば「あり得ない合意」だった。

 中国のキリスト教信者数は、政府の公式統計によると、プロテスタントが3800万人、カトリックが600万人とされている。ここに「地下教会」へ通う信者も含めると、総計で2倍強の9000万人以上と推測されている。

 習政権は4月、『宗教白書』という文書を発表したが、ここには、「宗教の中国化を進める」と記されていた。地下教会を含む宗教組織を、今後、共産党の管理下に置き、党を支持するよう誘導していく算段であることが分かる。

 事実「宗教情報員」システムも稼働している。中国統一戦線工作部に任命された情報員の主な仕事は、宗教活動を含む一般住民の生活と、「隠れた危険」をはらむ思想や活動を、各地区の宗教事務局に適宜報告することだ。情報員にはわずかながら報酬も支払われるが、反対に報告を怠ると罰金が科される。これはまさに、毛沢東時代の文化大革命と同じ、チクリ社会であり恐怖政治の幕開けである。

 それにしても、なぜバチカンが暫定合意したのか?

 「欧州でカトリック教徒の教会離れ、信者減が顕著に進んでいたから」との解説もあるが、“無神政党”に乗っ取られるとの危機感がなければおかしい。

 マイク・ペンス米副大統領は10月4日、ワシントンのハドソン研究所で講演し、「邪悪な中国共産党」との戦いを呼びかけた。ペンス氏は敬虔(けいけん)なカトリック信者でもある。「(宗教を含む)自由と民主」「法の下の平等」「人権」という価値観を持たない、習政権への宣戦布告である。

 日本の政財官界もいい加減、「神の存在なき隣国」との付き合い方を、抜本的に見直すべき時に来ているはずだ。=おわり(ノンフィクション作家・河添恵子)

【私の論評】日本も中国の"信教の自由"に貢献すべき(゚д゚)!

米国の国務省は5月29日、各国の信教の自由に関する2017年版報告書を発表しました。報告書では特に北朝鮮について、宗教活動に携わった人々が処刑・拷問・殴打・逮捕の対象になるなど、「苛酷な状態」に置かれていると指摘されています。


北朝鮮では、宗教の自由を侵害する事例が昨年だけで1304件発生しており、政治活動や宗教活動が理由で政治犯収容所に拘束されている人々が、約8~12万人に上るとの推計も示されています。

「宗教の自由問題」担当の特別大使として、2月からトランプ政権の国務省に加わったサム・ブラウンバック氏は、同日の記者会見で、「米朝首脳会談でも、信教の自由の問題が議論のテーマになる」との見通しを示しました。

自身もローマ・カトリック信者であるサム・ブラウンバック氏

トランプ大統領は5月3日、信仰に関する新しい部署「信仰・機会イニシアチブ」をホワイトハウスに設置する大統領令に署名しました。

9日付クリスチャン・トゥデイによると、トランプ氏は、「この部署の役割は、宗教団体が平等に政府の基金に預かり、信条を実践する権利を平等に持つことを保証するものです。この措置を取る理由は、多くの問題や大きな課題を解決する上で、信仰の方が政府よりも力強いことをわれわれは知っているからです。神よりも力強い存在はありません」と述べています。

米国や他国における信教の自由を守ろうとするトランプ氏の決意の表れとも捉えられます。

今回発表された報告書の中では、チベット仏教徒、ウイグルのイスラム教徒、法輪功の学習者などに対して、中国政府が行っている宗教弾圧についても言及されています。

5月30日付大紀元時報では、「中国は憲法で、国民には宗教と信仰の自由があると定めているが、中国共産党の利益にならない宗教を『脅威』と定め、支配と統制を行っている」「中国共産党政府は『愛国的な宗教活動』だけを認めており、登録されていない宗教の信仰者に対しては拷問、心身の虐待、拘束、不当な有罪判決を下している」と報じられました。

トランプ米政権は、世界の宗教の自由を保護する立場を強く打ち出しており、7月25~26日に宗教の自由を推進する閣僚級会合を開催しました。


米ワシントンD.C.で80か国の外相が出席した閣僚会議が中心となる、宗教の自由週間では、Bitter Winterが司会を務めるディスカッションが開幕イベント(上 写真)となり、中国で行われているウイグル族、法輪功、全能神教会への弾圧について話し合いました。

この会議において、弾圧されている各宗教の当事者に取材したレポーターによると、それぞれが口をそろえて述べていたことは、「アジアの大国である日本への期待」でした。アジアの多くの国が中国の経済力に依存している中、日本を頼りにしている人権活動家が多いことがうかがえます。https://jp.bitterwinter.org/tag/ministerial-to-advance-religious-freedom/

また、このレポーターによば、中国や北朝鮮で、「信教の自由」を求めて中国共産党や金正恩政権の弾圧に耐える人々の話に触れることで、「信教の自由」がいかに大切なものであるかを実感できるとしています。

ペマ・ギャルポ氏

日本に亡命しているチベット人学者のペマ・ギャルポ氏は、「宗教がなければ、善悪の区別ができません。善悪の区別がないところに、正義はありません」と述べました。日本人へのメッセージを求めると、「日本の方には、現在、どれほどの自由を享受できているのかを認識するとともに、他の国で自由を奪われて苦しんでいる人々にも関心を持っていただきたい」と述べました。

そもそも、中国や北朝鮮の独裁政権が国民を拘束して拷問したり、あらゆる自由を奪ったりしているのは、人間を「機械」としか見ていないためです。その背景には、神も仏も信じない「無神論国家」であることがあります。日本としても、アジアに信教の自由を広める動きを後押しする必要があります。

日本国憲法20条には「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」とあります。信教の自由は具体的には、(1)内心における信仰の自由、(2)宗教活動の自由、(3)宗教結社の自由の3つを意味します。

つまり、たとえ反社会的な内容であっても、個々人の心の中で信仰し、行動として表さない限りにおいては何ら制約を受けません。そして、布教活動を始めとする宗教活動や宗教団体を結成することに対しても自由が与えられています。

ただし、宗教活動が反社会的であったり犯罪行為を伴う場合は、その自由も制約を受けざるを得ないことはいうまでもありません。また、宗教団体の信教の自由と個人のそれとを同等に論じることはできないです。個人の自由を基本とする現行の憲法下では、宗教団体を構成する個人の信教の自由がまず優先されると考えられます。

このような日本では、たしかに特定の宗教に属している個人を弾圧するなどということはありません。

また、昔から八百万の神として、神々を受け入れ、他国に比較すると、互いに過激な摩擦を起こすこともなく、他国にみられる宗教戦争もなく、長い間過ごしてきたという伝統もあります。

そのような日本は、信教の自由を強く主張できると思います。だからこそ、先にも掲載したように、弾圧されている各宗教の当事者口をそろえて「アジアの大国である日本への期待」を述べたのでしょう。

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