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2020年1月25日土曜日

新型肺炎の最大の犠牲者は中国の貧困層―【私の論評】中国はもっと社会・経済的に豊かにならなければ、世界の伝染病の発生源になり続ける(゚д゚)!


漢口駅の入り口をマスク 姿で警備する武装警察


<新型コロナウイルスに接触する可能性が最も高く、そして感染を中国全土に広げるのは貧困層の出稼ぎ労働者>

中国湖北省の省都・武漢。1月23日の夜明け、例年なら翌日から1週間にわたる春節(旧正月)の休暇を前に、多くの人でごった返しているはずの駅と空港に人影はない。

武漢で発生したとみられる新型コロナウイルスの感染者が急増しているのを受け、同市は23日から交通機関の運行を停止。主要道路も封鎖され、帰省や旅行を予定していた1100万人の住民の多くは、足止めを食らうことになった。アメリカに例えれば、多くの人が帰省する感謝祭の2日前に、シカゴ都市圏全域が封鎖されるようなものだ。

だが、新型ウイルスのリスクに最もさらされているのは、感染者が見つかった米西海岸のワシントン州やタイの首都バンコクの住民ではない。中国の貧困層だ。

世界中どこの貧困層もそうだが、中国の貧困層は適切な医療を受けにくい状況にある。だが、新型コロナウイルスに接触した可能性が最も高く、それが最も急速に拡散する可能性が高いのは貧困層であり、政府が突然打ち出した過激な対策の最大の影響を被るのも、中国の貧困層だ。

問題のウイルスは、武漢の海鮮市場で、動物からヒトに感染したとみられている。海鮮市場とは言うものの、この市場はオオカミの子からヘビ、コウモリ(今回の感染源とみられている)など珍しい野生動物を幅広く扱っていた。

中国の生鮮市場はどこもそうであるように、動物を扱う不潔で危険な仕事を担っていたのは、主に出稼ぎの単純労働者だ。

武昌と漢陽、そして漢口という歴史ある3つの地区が合わさった武漢は、20世紀末に不動産開発を軸に急成長を遂げた。だが、武漢の医療システムは街の急速な成長に追い付いておらず、今回の危機で既に極限状態にある。

23日に武漢の交通機関がストップしたとき、出稼ぎ労働者や地方出身の大学生の多くは、既に故郷に向けて出発した後だった。こうした人たちによるコロナウイルスの「持ち帰り」が危惧されるなか、各地の公衆衛生当局にとって、最新情報の収集は最重要課題となっている。

ところが現実には、武漢の近隣都市で感染者が確認されたニュースよりも、韓国やタイで感染者が見つかったニュースのほうがずっと早く報じられているのが現実だ。

武漢の病院はパンク寸前
監視社会の意外な抜け穴

国外で感染が確認された中国人旅行者は、平均的な中国人よりもはるかに金持ちだ。それは外国旅行に行くだけの経済力がある時点で明白だ。中国のパスポート保有者は、人口の10%にも満たない。

バンコク行きの飛行機のエコノミークラスで咳をしている中国人客は、相乗りトラックに揺られて町外れの実家を目指す労働者や、長距離バスで遠い地方の故郷に帰省する労働者よりも、はるかに新型肺炎に感染している可能性を認識しやすい。

それに多くの出稼ぎ労働者は、少しばかり体調が悪くても、誰もが仕事を休むこの時期に帰省するチャンスを逃したくないと思うだろう。

中国は監視社会だが、その網は穴だらけだ。テクノロジーによるプロファイリングシステムで中流階級はかなり可視化されているが、貧困層は抜け落ちている。

全ての市民が常時携帯しているはずの身分証を、持っていない人もいる。紛失したが、高い旅費をかけて役所まで行って再発行する余裕がない人。そもそも出生を届け出ていない人もいる。彼らは身分証が必要な鉄道や飛行機ではなく、監視が難しいバスや相乗りのトラックを利用する。

彼らはインターネット上でも追跡が難しい。中国では微信(ウィーチャット)のようなサービスが広く浸透していると言われているが、ネット普及率はようやく60%を超えた程度だ。微信のアカウントや身分証を、家族で共有する例も少なくない。

予防や治療の「格差」

公衆衛生に関しては、地方は置き去りにされがちだ。手洗いやマスクなどの感染予防策や、健康に関する情報はなかなか広まらない。電話やネット回線の有無が、健康を守るための情報を左右する。

情報だけではない。コロナウイルスが武漢の外に広がるにつれて、公衆衛生の関連用品が不足し始めており、都市部から離れている病院ほど必要な医療品が届きにくい。

上海では春節で工場が休業する時期と重なり、マスクの供給不足に拍車が掛かっている。ある工場は、通常の3倍の給料で休日出勤を募集している。こうしたリソース不足と従来の格差が相まって、持てる者と持たざる者の「感染予防格差」が広がりそうだ。

さらに、ウイルスに感染した貧困層は、病院に行く可能性がかなり低い。中国の医療制度は、中流階級さえ、適切な治療を受けるのが難しいことで悪名高い。国民の大多数にとって、質の高い医療へのアクセスはないに等しいのだ。

医療の資源は、政策によって大都市や首都圏に集められている。中国人医師の大半は学部レベルかそれ以下の教育しか受けておらず、資格のある臨床医師(アメリカの医学博士に相当)は大都市の病院にしかいない。それらの病院も今や患者であふれ、スタッフはパンク寸前だ。

公的な医療保険も近年は拡充されているが、社会保障は戸口(戸籍管理制度)と結び付けられている。戸口の登録は基本的に出身地に縛られ、居住地や受けられる教育、公共サービスも限定される。

従って、地方の住民が、優秀な医師のいる都市部の病院で公的保険を使って受診することはできない。戸口のある土地から遠く離れた所で働く出稼ぎ労働者は、保険を全く利用できない。

彼らは命の危険が迫るまで病院に行かず、自分で治そうとするか、伝統的な民間療法に頼る。日常的に健康状態が悪くウイルスの影響を受けやすいため、風邪と勘違いしやすくなる。

武漢市内でマスクを着用して清掃作業をする女性(1月22日)

こうした要因を全て悪化させるのが年齢だ。1月23日に当局が公表したデータによれば、これまでの死者17人の平均年齢は73歳で、大部分を退職者が占める。最もリスクが高いのはより高齢で既往症のある人々という状況に変わりはない。

だが出稼ぎ労働者は適切な年金や良質な医療を利用できず、40~50代以上であることも多い。若い頃から同年代の中流層に比べて過酷な労働条件で働いてきた人々もいる。

こうした貧困層は比較的見えにくく、かつ軽視されていることも、中国当局が公式発表している患者数(22日時点で500人以上)が外国の推計(1700人以上)と大きく懸け離れている一因だ。当局は患者の存在を隠蔽しているというより、患者を見つけられずにいるのかもしれない(恐らくその両方だろう)。

1月中旬から市内全域と他の交通の要所で診断などが無料になった(義務付けられた)ことで、こうした状況はいくらか改善されるだろう。だが、医療施設は都心部に集中しがちで、新型肺炎と診断されても十分な治療を受けられない可能性もある。

過去の四川大地震や唐山大地震への対応でも、国は都市部を優先し、農村部の住民は自分たちで対処せざるを得なかった。武漢では市民の足であるバスや地下鉄やフェリーなどの公共交通機関が運行停止に。低所得層の看護師や若手の医師などがシフト勤務のために移動するのに支障が出る恐れもある。

不満や不安のはけ口にも

貧困層は診断や治療の面では見落とされがちだが、抑圧の対象としては逆に目を付けられやすい。武漢周辺で検疫が強化されるなか、当局からひどい扱いを受ける可能性もはるかに高い。惨事はしばしばエリート層をパニックに陥れ、貧困層やよそ者を孤立させる。76年の唐山大地震の後には、農村部から都市部に避難してきた人々を、都市部の民兵組織が略奪者として殴り殺したり、射殺したりした。

武装した検疫官や町に閉じ込められた市民の間に不安が広がれば、こうした危険な衝突が起きかねない。封鎖された市内で治療に必要な物資などの供給と日々の活動が低下しているだけに、なおさらだ。意図的な誤報も出回っている。そのリスクは世間の対応を遅らせると同時に、「噂の流布」に対する司法当局の取り締まり強化につながってもいる。何がフェイク情報の拡散で何が政府批判なのか、当局の線引きは不明瞭なままだ。

検疫はウイルスの拡散防止に役立つだろうが、医療や検疫のシステムにとって最も見えにくい中国の労働者階級については既に手遅れだ。特に出稼ぎ労働者は長い道のりを長時間かけて移動しなければならないため、春節が始まる頃にはもう移動を始めている。彼らを見つけて救いの手を差し伸べるのは容易ではないが、何としてもやらなければ事態は改善しない。

<本誌2020年2月4日号掲載>
【私の論評】中国はもっと社会・経済的に豊かにならなければ、世界の伝染病の発生源になり続ける(゚д゚)!

中国の湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎について、中国での感染は5500人規模に広がっているとする推計結果を、北海道大医学研究院の西浦博教授(理論疫学)らが24日、医学専門誌に発表しました(https://www.mdpi.com/2077-0383/9/2/330#)。中国で患者の診断や報告システムが十分機能していない可能性があるといいます。

西浦さんらは、日本やタイ、米国など、24日朝までに中国本土以外で報告された計13人の感染者のデータと、武漢市からそれらの地域への渡航者数などから、統計的に中国本土での感染者数を導き出しました。

中国政府は24日時点で、感染者は計830人としています。西浦さんは「実際の感染者数は数百人ではなく数千人のオーダーで、感染元が明らかでない感染者がかなりの数いるだろう」としています。

これは、上の記事でも指摘されてるように、「貧困層」は比較的見えにくく、かつ軽視されていることも要因であると考えられます。中国当局が公式発表している患者数(22日時点で500人以上)が外国の推計(1700人以上、北大での推計の5500人以上)と大きく懸け離れている一因でしょう。当局は患者の存在を隠蔽しているというより、患者を見つけられずにいるのかもしれない(恐らくその両方だろう)」という指摘とも合致しているものと思われます。

李克強指数でみると、中国のGDPは2015年にはすでにマイナス成長になっていた可能性が・・

中国の統計データは、信用できないということは、このブログでも経済分野では過去に何度か掲載してきました。経済分野でも重要なGDPにおいては、過去において何度も、中央政府が発表した全体の数値よりも、各々の省があげてきたものの総計のほうが高いということがありました。

ただし、信用できない中国の経済統計のなかでも、農業生産と工業生産に関しては、しっかりデータを取っている節がうかがえます。小売や物流といった第三次産業に関する統計には弱点があるものの、計画経済を進めるために、1950年代からしっかり生産量のデータをとっていたようです。

この農業および工業の2015年のGDP成長率を産業別のデータのなかから見ると、農林業に畜産と漁業を加えたところで3.6%、工業が6.0%の成長となっています。この業種別GDPのほかに、自動車、鉄鋼、電力といった主要二七の工業製品の生産量データも出されます。

これらをチェックしてみると、2015年上半期に六%以上の成長を達成した製品は四製品のみ。さらに、13の工業製品は、伸び率がマイナスを記録しています。

工業製品の生産量の伸びは平均で一%程度。工業製品のデータに関しては割と正確に採取されます。そうなると、産業別の成長率六%の伸びと、工業製品別の生産量の伸びとが、かなり乖離していることがわかります。

粉飾の匂いがプンプンするのは工業成長率6%です。こういった数値を積み重ね、重ね合わせていくと、どうしても中国経済GDP6.9%成長というのは、相当にゲタを履かせた数値だということが判明します。中国の実際のGDPは、公式発表されている数値の三分の一程度と見るのが妥当だと思います。

中国においては、統計数値などは、まともなものではなく、政治的メッセージと受け取るべきなのかもしれません。感染などの統計もそう受け取るのが妥当なのかもしれません。

話が少しずれてしまいましたが、中国の統計はもともと、経済の統計も信用ならないわけですから、おそらく北大の西浦博教授の出した推計地のほうが、正しいと認識しておいたほうが良いでしょう。

私のは、ブログ冒頭の記事のように、「貧困層」の実態を素早く把握できないことが、SARS感染の場合も、今回の新型肺炎の場合も、中国政府が素早く感染などに対応できない最大の原因だと思います。無論、日本国内で報道されているように、隠蔽体質ということもあると思います。

いずれにしても、中国の社会が遅れていることが、中国が疫病に素早く対応できないことの原因です。

これは、すぐにでも取り除かなければ、私達は中国を源とする疫病にいつまでも悩まされることになるのです。

以下にSARSkの感染源ともなった、キクガシラコウモリのスープの動画のついたツイートを掲載します。このツイートでは、このキクガシラコウモリが今回の新型肺炎の原因となったとされていますが、これ自体はまだ確認はされていません。




やはり、中国もある程度は、他の先進国のように、まずは民主化、政治と経済の分離、法治国家化をすすめ、中間層が自由に社会経済活動をできるよにすべきです。機会的に、貧困層を豊かにしようとして、韓国のように最低賃金を単純にあげるようなことをすれば、逆効果になり、雇用を激減させることになるだけです。

ようはある程度まともな社会にして、その次にまともな経済・財政政策を行いつつ、まずは貧困層に対して、医療などの面で手厚い保護をし、さらにいずれは経済的にも貧困を撲滅すべきです。

中国は国全体では、GDPは世界第2位(ただし、先に述べたように、中国の統計はデタラメなので、実際は1/3だったとすれば、ドイツ以下で世界第四位)ですが、一人あたりのGDPは、世界70位です。中国は未だ貧困であり、特に富裕層に富が集中し、貧困の度合いはいまだに酷いものです。

貧困層をなくし、衛生的な環境を整備し、まともな医療体制や、防疫体制を築くためにも、中国はもっと豊かにならなければならないのです。特に、社会的にもっと豊かにならなければならないです。現在の中国は国全体では、人口が多く(つい最近14億人になったばかり)て、経済大国のようにみえますが、現実はそうではないのです。特に社会は遅れたままです。

中国共産党は、自分たちや一部の富裕層だけが富んでいて、多数の貧困層がいる現状を変えるべきなのです。そうしなければ、いつまでも、世界の伝染病の発生源になりつづけます。無論、富裕層や共産党の幹部でさえ、伝染病に悩まされ続けることになります。これは、小手先ではできません。社会を変えなければできないことです。

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2016年8月15日月曜日

天皇陛下、「深い反省」再度表明=終戦記念日―【私の論評】沖縄戦で最大の犠牲者を出したのは、実は北海道の将兵(゚д゚)!


全国戦没者追悼式のご出席された天皇皇后両陛下

天皇陛下は15日の全国戦没者追悼式で、昨年に続き「深い反省」との表現をお言葉に盛り込まれた。

追悼式のお言葉は陛下が自ら執筆しており、例年ほぼ同じ表現が続いていた。しかし、戦後70年の昨年は、「さきの大戦に対する深い反省」を中心に新たな文言が盛り込まれた。

今年は全体的に一昨年までの文章に戻す一方で、「過去を顧み、深い反省とともに」と述べ、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願うと続けた。

陛下は1992年に中国を訪れた際や、94年に韓国の大統領を迎えた際の晩さん会のお言葉で、「深い反省」の文言を使ったことがある。

天皇、皇后両陛下は昨年のパラオでの慰霊に続き、今年1月にフィリピンを訪れ、日比双方の戦没者を慰霊している。 

【私の論評】沖縄戦で最大の犠牲者を出したのは、実は北海道の将兵(゚д゚)!

終戦の日というと、最近ではテレビなどでもあまり報道されなくなりました。今年は71年目の終戦記念日です。この日にあたって、こちらは北海道ということもあり、私自身も旭川、札幌、函館と、北海道の三大都市にはすべて住んだ経験もありますので、北海道の戦没者に関する歴史等を掲載しようと思います。

日本が明治維新を迎えた時、世界は酷い状況にありました。獰猛な白人達がアジア・アフリカ諸国のほとんどを植民地にし、その人たちからの富を収奪して豊かな生活を送っていました。


もちろん白人がその文化の高さでアジア・アフリカ諸国を植民地にしたのではなく、砲艦外交、つまり軍艦と軍隊で脅し、時に撃ち殺して植民地にしたのです。

このような時代に明治維新を迎えた日本は、何とかして日本が植民地にならないように頑張りました。そのためには、強い軍隊が必要だったのです。

当時の白人、特にアングロサクソンは極めて征服欲が強く、理屈をいっても通じるような相手ではありませんでした。しかし、軍隊が強ければたとえ小さな国であっても植民地にされるのを防ぐことができたのです。

形式的には、地にはならなかった当時の中国やタイなども外国にかなり干渉されていました。そのため、完全に独力で独立していたのは「日本だけ」といっても間違いではなかったのです。無論、日本は大東亜戦争に敗れて、米軍が進駐してしばらく日本を統治していた時期もありますが、これは日本が米国の植民地であったというわけではありません。

それに、日本は無条件降伏したなどというテレビ報道などを信じこんでしまう人もいますが、これは明らかに間違いです。日本は、ポツダム宣言を条件付きで受諾したのです。これは、本当に先祖に感謝しなければなりません。

日露戦争当時のロシア兵
さて、そんな時代、北海道に入植した日本人が最も恐れたのは北のロシアの侵略でした。ロシアは冬期間にも凍らない港のない国で、何とかそれを手に入れようとして、トルコとクリミア戦争をし、中国では満洲を南下して旅順に軍港を作っていました。隣の国(当時の清国)が弱ると見ると、勝手に隣の国に鉄道を造り、軍港にしてしまうという国だったのです。

ロシアから見ると日本はさらに良いところでした。北海道には、アイヌ人が多かった時代から頻繁に沖合にロシアの船が来ていました。そこで明治政府は日本全体に6個師団あった師団をもう一つ増やして第七師団を北海道の旭川におきました。日本の「北の守り」を第七師団に託したのです.

第七師団が北海道から出たのは日清戦争からですが、その時は師団が旭川から東京に移動したところで日清戦争が終戦を迎えたので、実際には出撃しませんでした。

その後、第七師団は極めて強かったので、日露戦争の時にはもっとも激しかった高地に、その後、ノモンハン事件、さらに太平洋戦争ではあのガダルカナル戦、アッツ島の守備、それに沖縄戦に投入されました。日本人なら誰でもが知っている激戦地に投入されたのです。

ガダルカナルでは、1,507名北海道出身の将兵が戦死、沖縄戦では北海道出身の将兵が約1万人が戦死しています。以下に、大東亜戦争中の北海道出身の将兵の戦没者に関してまとめておきます。
先の太平洋戦争関係で、北海道出身将兵の戦没者:総数は、(109,500名) でした。 最大の犠牲者数が出たのは、沖縄(10,085名) でした。 以下、海上(8,973名),中国(7,671名),フィリッピン(6,117名),日本国内(5,924名),満州(4,421名),ニューギニア(2,813名)、マリアナ諸島(2,219名),ソ連(2,040名),アッツ島(1,571名) ガダルカナル(1,507名) 旭川市の歩兵28連隊・一木連隊,メレヨン島(1,331名) 歩兵26連隊・函館連隊区、樺太(1,398名)歩25連隊・札幌市・月寒連隊等の第88師団、ビルマ(731名),硫黄島(689名),千島列島(546名)以下省略します。
沖縄戦での将兵の全戦死者 95,000名中で、最大比率の10,085名が、北海道出身兵なのです。北海道だけでも、これだけの犠牲者を出した大東亜戦争ですが、戦争が終了する前と、後では、大きく世界が変わり、戦後には植民地はこの世界から消えました。

旧陸軍第七師団の跡地で、現在、陸上自衛隊旭川駐屯地に隣接する「北鎮記念館」
ところで、遠く本州から寒い北海道に入植した屯田兵や第七師団の兵士たちにとって、辛い毎日に勇気をもらい心のよりどころにしたのは神社でした。

屯田兵は旭川神社を作り、第七師団は北海道護国神社を祀りました。そのほかにも石狩川沿いに開発が進むたびに、まず神社を造り、それから活動を開始しました.

人間はそれほど完全なものではありませんから、素晴らしいとされている北海道屯田兵と旭川第七師団の中にも少数ながも「俺たちが国を守っているのだ」という自負が強く、それが「俺たちは国を守っているのだから、威張って良い」という振る舞いをした例もあったのですが、だからといって、屯田兵や師団、それに精神的支柱となった神社の功績が消えるわけではありません。

旭川護国神社
私たちは今、日本が植民地ならなかったことによってアジア諸国の中では最も経済も文化も進んだ国として存在しています。それはかつて、明治維新から太平洋戦争まで自らの命をかけて日本を守りぬいた北海道の旭川のように、北からの脅威に対抗してきた人たちの努力によるものです。

これも多くの誤解があるのですが、大東亜戦争末期に東京や大阪、広島、長崎やその他の大都市が、焼け野が原になったことをもって、日本は戦後ゼロからスタートしたと信じこむ人も多いのですが、それは正しく実体を表していません。

実際、経済指標などを調べると、終戦直後には国富はそれ以前と比較すれば、7割にも減っていましたが、それでも7割です。確かに、都市は焼け野が原となりましたが、北海道の大部分はもとより、全国の農村地帯などが戦災を免れ、そこから戦後の日本はスタートを切ることができました。

そうして、その国富は確かに最盛期と比較すれば、7割にまで減りましたが、当時の特にアジアの他の国と比較すると、国富でトップであり、そこから戦後の日本はスタートしたのです。決してゼロからのスタートではありません。無論現代と単純に比較すれば、質素であったことでしょうが、さりとて、日本が戦後ゼロからスタートというのは、誇張以外の何ものでもないと思います。

その中でも、北海道は石炭などのエネルギー資源、農水産物資源に恵まれており、終戦直後の日本では豊かさを残した地域でした。そのためでしょうか、終戦直後からしばらくは、日本の各地から転入する人が多く、かなり人口が増えていた時期があります。これも、ほとんど忘れ去られた歴史だと思います。

終戦直後の札幌
それに、戦争中や戦争直後など、ご老人たちの昔話を聴いていると、日本のたの地域と比較すると、さほど、食料事情が悪くもなかったようでした。

さらに、私の母方祖父の家は当時旭川あったのですが、隣には当時軍神といわれた、加藤隼戦闘隊の加藤隊長の生家だったそうです。そのような環境だったのですが、日米開戦のときには、曽祖父と近所の駐在さんが、「大変だ、米国と戦争をすれば、日本は負けるかもしれない」と議論をしていたのを祖父がはっきり覚えていると語っていました。

“加藤隼戦闘隊”隊長加藤建夫氏
こんなことを考えると、よくテレビなどで、報道されたり、当時の出来事を題材とたドラマなどで、戦中や戦前は軍部が専横した暗黒時代のようにされているのですが、少なくとも当時の札幌はそうではなかったことがうかがい知ることができます。

無論、終戦間際には、さすがに北海道の札幌でも、食糧事情が悪くなったり、戦争遂行のために様々な犠牲があったことでしょうが、かといって、戦中戦前が暗黒時代であったというドラマや、報道など信ぴょう性はいかがなものかと思ってしまいます。

そうして、旭川は、今旭山動物園やラーメン街で有名です.日本が平和で動物園やラーメンが話題になるのは大変に結構なことですが、その平和を築いてくれたかつての人たち、そしてそれを支えてくださった神社に対してわたくしたちは深く感謝しなければならないでしょう。

そうして、先の大東亜戦争で亡くなられた、北海道の将兵、全国の将兵の方々のご冥福をお祈りいたします。

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