五輪延期では済まぬ。韓国式「新型肺炎」検査が日本経済を潰す訳
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総理の記者会見 |
2月27日に安倍首相が突如発表した全国一斉休校が、各方面で大きな波紋を呼んでいます。なぜ政府は、混乱が予想されるこのような判断をするに至ったのでしょうか。米国在住の作家・冷泉彰彦さんは自身のメルマガ『
冷泉彰彦のプリンストン通信』で、今回の対策の真意、すなわち「国策」をあぶり出すとともに、もしも日本がこの先韓国のようにPCR検査を拡大した場合、経済崩壊に追い込まれる危険性があることを指摘しています。
全国小中高一斉休校、問題を抱えたギャンブルか?
それにしても唐突でした。改めて振り返ってみると、
2月25日(火)……基本方針発表、重症者増加回避策を最優先
2月26日(水)……基本方針に追加してイベント自粛要請
2月27日(木)……全国一斉休校方針発表
2月29日(土)……総理会見
という順序だったわけですが、いかにも急な判断であったという印象です。イベント全面自粛や全国一斉休校というのが、予め決定されていたら、25日の基本方針と一緒にまとめて発表すればよかったわけですが、日に日に厳しくなる情勢判断のもとでは仕方なかったのかもしれません。
良かったのは、この4つの発表には矛盾がないことで、1つの一貫したストーリーにはなっていることです。仮に、この4つの発表に矛盾点があるようですと、社会は大混乱に陥った可能性があり、少なくともそれだけは回避されたのは良かったと思います。
矛盾がない一貫したストーリーというのは、以下のような考え方です。
- 市中感染は全国で相当に拡大していると見ている
- また、若年層においては感染しても軽症でインフルと見分けがつかないか、無発症のケースも相当に出ているであろう
- 市中感染が拡大し、その多くが無発症のケースだとすれば、これを放置すればどんどん拡大する。この点についてはSARSよりも、インフルよりも厳しい条件だと考えられる
- その結果として、重症者が増加して医療機関が対応できなくなり、救命できる重症事例が救命できないケース、これが最悪シナリオであり、このシナリオを避けるのが国策の最優先事項である
この点に関しては、少なくとも2月25日以降の政府は「ブレて」はいません。例えば、加藤勝信大臣は、この25日の時点で「先手先手」ということを言っていました。この点に関して言えば、例えば春節時における膨大な入国許可とか、「ダイヤモンド・プリンセス」での防疫といった点に関しては「後手」であり、弁明の余地はありません。
ですから、この25日の「先手先手」という加藤発言は批判を浴びたわけですが、この発言に限って言えば、加藤大臣は「後手に回った過去の失態」を否定したり、ウヤムヤにしようとしたわけではないと思います。「医療機関の受け入れ体制が崩壊して、救命できるケースの救命ができない」という最悪シナリオに対しては、「まだ間に合うので先手を打っていく」という趣旨での発言であり、この点に関しては理解できますし、29日の総理会見に至る一連の施策との整合性もあると思います。
そこまでは良いことにしましょう。と言いますか、これは決定された国策であるばかりか、極めて大人数の生死のかかった判断であり、その対策の効果が見えないうちから否定したり妨害するべきものではないと思います。
問題は次の2点です。
1.子供は重症化しないという報告がある一方で、子供は無発症のまま感染を拡大させる可能性があり、高齢者や基礎疾患を持つ成人に感染させて重症患者を発生させるのを抑止するために、学校の一斉休校は有効と考えられます。
ところが、そのような説明は「結果を得られない」可能性があるため「子供の命と健康を守る」という説明に「言い換え」をしています。その判断が吉と出るか、凶と出るかはギャンブル性が高いと思います。
2.PCR検査については、キャパに限界がある中で軽症者、無症者が検査のために医療機関に殺到すると、必要な患者の検査ができず、治療体制を潰すことになります。また、医療機関こそ感染の場になりうることもあり、若年者や軽症、無症状の人を対象とした検査は最小限としたいわけです。
更に言えば、ウィルス量が少ない患者の場合は陰性判定となりますが、それで本人が100%安全と誤解するとかえって危険です。また韓国のように徹底的に検査しても一定程度以上感染拡大した場合は、制圧にはつながりません。従って、隠された国策としては、PCR検査の大規模化には消極的とならざるを得ません。
ですが、検査に消極的だなどという方針は明快に説明はできないので曖昧な説明をせざるを得ません。けれども、それが政府不信やモラルダウンを招くと感染拡大につながる可能性があり、この意図的な曖昧姿勢それ自体にもギャンブル性があるわけです。
この2つの問題は非常に重たい課題を含んでいます。
まず1.ですが、一斉休校をするにあたって、仮に「お子さんは重症化しません。ですが無症状のままクラスター化することが回避できれば、結果的に多くの人命を救うことができます」という言い方にしたらどうでしょう?この説明の方が誠実と思いますが、どう考えても「回りくどい」わけです。
ですから、対策を徹底するには「お子さんの健康と命を守るため」という「言い換え」をした方が「結果が得られる」という判断になるのはわかります。更に言えば、安倍政権(の周辺)では、アンチ安倍の世論というのは比較的高学歴・高収入であり、ここまで人命のかかった問題には「ヘソを曲げて来ることはない」という判断があったのかもしれません。仮にそうなら、(そうだとは絶対言うはずはないですが)それも分かります。
しかし、この「言い換え」作戦には問題もあります。今回の休校が「子どもの健康と命を守るため」だと100%真に受ける世論もあり、その中では「無症状なら健康」だという判断の元で、塾に行くのはいいだろうとか、満員電車に乗せて職場に子連れ出勤してもいいだろうという判断を誘発してしまうからです。
反対に対策の真意が理解されている、つまり「無症状の子どもが隠れたクラスターを形成して、静かなパンデミックを誘発、気づいたら重症者が溢れて救命がお手上げに」というシナリオを回避するということで、それが理解されていたらどうでしょうか?塾へ行こうとか、子連れ出勤を認めるのはいい会社という判断は、また別のものとなって行くのではないでしょうか。
一点だけ思うのは、学童保育については、余り批判しなくていいようにも思います。学童に行かざるを得ない子どもというのは、少なくとも「相当に高い率」で「高齢者とは同居していない」からで、仮にそこで自覚のない感染が起きても、直接的に重症者を生み出す可能性は低いからです。
反対に、ベビーシッター代わりに地方から祖父母を呼び寄せて一時同居というのは、ちょっとマズいのではないかとも思います。
この問題は2.も重なって来ます。つまり政府としては、
- 無症状者や無症状の子どもは、PCR検査をしない
- 従って、無症状の子どもによるクラスターが発生する可能性はあるが、それは可視化できないし、しない。
- だからこそ、一斉休校措置により統計的に感染の可能性を抑え込むしかない
というのを国策としたわけです。一連の発表には一貫性があるというのは、そういうことです。現時点では、国としてはこの政策に賭けることにしたわけです。つまり、これが国策です。そして、繰り返しになりますが、その最大の問題はギャンブル性ということです。
勿論、このコロナウィルスの新型については、分からないことも多いわけで、そう考えるとどんな政策も100%正しいわけではなく、ギャンブル性があるわけですが、それはさておき、「高齢者、基礎疾患のある人は重症化する」「反対に子どもは重症化しないばかりか、無症状のまま感染源になることもある」ということを前提とした場合に、「全校一斉休校」「PCR検査は積極的にはしない」「軽症者、軽症疑い者は自宅療養」というのは理にかなっていると考えられます。
問題は、そこを「言い換える」、つまり「一斉休校は子どもを守るため」「PCR検査は拡大へ向けて努力中」と言う言い方にすることで、果たして世論が正しく反応するかは、そこにギャンブル性があるという点です。
この点に関しては、ヒヤリとさせられる事件がありました。
というのは、3月2日に開かれた参議院予算委員会で立憲民主党の村田蓮舫議員が、
「高齢者施設などに対して、イベント自粛や学校の一斉休校と同等の対応をしないのはなぜなのか」
一方で、この村田議員の質問に対しては、報道によれば自民党の松川るい議員による不規則発言(ヤジ)があったそうです。これは、加藤勝信厚労大臣が回答している間のことだそうで、
「高齢者は歩かないから」
という発言だったようです。更に驚いたのは、村田議員は、これに対して、
「自民党席から、高齢者は歩かないから、と松川議員が野次りましたけど、こんな認識でご高齢者の命を守るという認識を与党議員が持っているのに驚きました」
と怒ったようですから、こうなると村田議員が国策の趣旨を全く理解していないことは明白です。政党間の駆け引きとか、野党としてのアンチ権力という伝統というような話の遥かに以前の問題で、とにかく全く伝わっていないわけです。これは怖いことです。
ちなみに、別の報道では、松川議員は「あくまで小中高生と高齢者を比較の問題として発言した」と弁明したそうで、「誤解を与える表現だった」として謝罪したそうです。
これも全く別の意味で怖いことです。村田議員と比較するわけではありませんが、松川議員という人は、自民党議員団の中でも頭脳明晰な政治家だと思います。松川議員の発言は、この国策が何よりも「高齢者の重症化を抑止し、救命できるケースは全て救命する」ということを目的としているという点とは矛盾しませんし、恐らくはその国策を正確に理解しているように見受けられます。
怖いというのは、にもかかわらず(というのはあくまで推測ですが)松川議員の頭脳をもってしてもとっさに国策の正確な説明ができなかったというのは、やはりこの政策を世論に伝えるのは難しいと思ったからです。
もしかすると、松川議員は内閣の閣僚たちよりも正確に国策の趣旨を理解した上で、「これをストレートに世論に説明するのは不可能だし危険」という判断の元でピエロ役を買って出たのかもしれませんが、仮にそう(まさかとは思いますが)だとすると、やはり政策遂行の上でのギャンブル性は明白ということになります。
もしかすると、村田議員にしても全てを分かった上で、あくまでアンチ安倍の野党パフォーマンスというスタイルに徹したということなのかもしれませんし、そうなると、村田=松川の掛け合いもシナリオのある出来レースということになります。仮にそうだとしても、これだけ多くの人命のかかった大問題に対するアプローチとしては不適切です。
ところで、こうしたギャンブル性を一切外して、全く別のアプローチに転じるというオプションも勿論あります。
それは韓国方式とでも言うべきもので、民間の企業も幅広く対象としてPCR検査を思い切り拡大するという方法です。そうなれば、陽性の人の隔離を徹底することで問題が可視化して封じ込めが容易になる、そんなイメージがあります。
ですが、その場合も、無症状の若者や子どもがウィルスを持っていても検査には引っかからず、後日クラスターを作ってしまうというようなケースが出るようですと、これは抑え込めません。反対に、前述したように「100%の確度ではないにも関わらず、陰性だと安心しきってしまう」という中で相当な副作用もあると思います。
それ以前の問題として、猛烈な数の検査が可能になって、その結果として猛烈な数の陽性者が出てしまうと、これは五輪の延期などという話だけでなく、ただでさえ弱くなっている日本経済がボロボロになってしまう危険性もあるわけです。更に言えば、軽症の陽性者を安心して自宅療養させるのは難しく、結局は医療体制を潰してしまうことにもなる可能性があります。
そうなると、100%可視化した透明性のある施策のように見える「ニーズに応えたPCR検査」というアプローチも、それ自体が大きなギャンブルになるということです。ちなみに、現時点でのアメリカは「余計な検査はしない」という姿勢で、本日(2日の月曜日)の現時点ではNY株が大幅に反発しているのも、その効果と言えるように思います。
コロナウィルス問題に関する議論としては、現時点、つまり3月2日時点での論点はそのあたりになるのではと考えます。
冷泉彰彦
東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。
【私の論評】武漢肺炎も、数値で見て客観的に物事を判断しないとフェイクに煽られる(゚д゚)!
上の記事の分析はかなり鋭いと思います。安倍政権のギャンブルなどとしているところは、いただけないと思いますが、安倍政権が現在まで、コロナウイルスに関する知見から、感染をなるべく広げず、高齢者の重篤化を防ぎ、なるべく多くを救命するということで、大きな賭けに出たのは間違いないです。
そうして、こうした政策に関しては、現在我々は協力できることは協力すべきです。ワイドショー等では、責任論を問う声もありますが、ワイドショーにでてくる専門家、識者などはこの政策に責任を負える立場ではありません。責任論は後からで良いです。
それに、すべての情報が整った上でないと責任など問えないです。あまりに責任論に特化した、ワイドショーなど百害あって一理なしだと思います。
それにしても、つい先日
このブログでも指摘したように、毎年インフルエンザに1000万人が感染して、
直接間接が原因で年間1万人が死亡しているのです。だから、新型コロナウイルスに過度に脅威を覚えるべきではないですが、何しろ未知のウイルスですから、過度に楽観的になることなく、政府や自治体の規制に従いつつ、様子を見るというのがペストと言えると思います。
その上で、デマに煽られないようにすべきです。その意味では、上の冷泉氏の記事も、全部が正しいとか、間違いなどというのではなく、参考にすべきものと考えていただきたいと思います。無論私のこの記事もそうです。
デマというと、最近ではトイレットペーパーの不足です。これは、鳥取県の米子医療生活協同組合は、組合運営の事業所職員がソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で、新型コロナウイルスの感染拡大に関連して「トイレットペーパーが品薄になる」などと誤った情報を投稿したことなどを起因として発生したものです。
今後、このようなデマが多く出回ることでしょう。以下はデマとまでいえるかどうかわかりませんが、日本での感染者数はかなり多いと認識されているようですが、そうともいえないデータがあります。それを以下に掲載します。
以下の表は、武漢肺炎感染者数の人口比率(2020/03/03)です。
感染に限らず統計は、客観的に見ないと理解できませんし、見方を誤ってしまいます。上の表は、感染者➗人口の比率で比較した表です。
この表でみると、現在では韓国が世界で一番感染率が高いです。少なくとも、韓国の防疫体制が優れているとはいえないことがわかります。それと、中国の統計は単純に信じることはできないと思います。中国の経済統計はデタラメです。コロナウイルスの感染者数だけが、正しいということはできないと思います。
この表によれば、日本は16位ということで、19位の台湾とあまり変わりません。現時点では、特に日本が台湾などの他国と比較して、格段に防疫体制が格段に劣っているとは思えません。
こうしてみると、日本は世界的にみても人口の多い国であることがわかります。中国などは例外中の例外です。人口比でみると、韓国が一番感染していることになります。
このブログでは、数に関してはなるべく客観的であるように努めてきました。たとえば、中国で2010年あたりから、中国では毎年10万件ほど暴動が起こっているとされていますが、中国の人口13億人(最近14億人になりました)ですが、日本の人口は1億2千万人であることを考えると、中国で10万件というと、日本では人口が約1/10とみて1万件発生している勘定になります。
1万件というと、日本であってもこれはとんてもないことであるということが、ひしひしと伝わってきます。
これと同じく、どのような数字も客観的に見ないと、意味を持ちません。感染者数だけでみるというのは、あまりに非合理的だと思います。日本国内で比較するにも、都道府県単位の人口比率でみたほうが、より客観的になると思います。
ただし、人口比でみたとしても、東京は人口が約1千万、北海道は500万人ですから、東京と比較しても、北海道は突出して感染者数が多いです。
北海道では、新型コロナウイルスの感染者が今日までに82名に上っています。政府の専門家会議では、小規模な集団感染「クラスター」の発生が指摘され、25日には感染者数が東京都を上回って都道府県別で最多となりました。なぜ感染が相次ぐのでしょうか。統計データや専門家らの見解から「検査数が比較的多い」「冬の一大観光地」という要因が見えてきました。
北海道内の新型コロナウイルスの感染検査は道立衛生研究所(札幌)など2カ所で行い、1日最大で約60件の検査が可能です。1月25日正午現在では、全道で計170人に実施され、道の担当者よれば「許容量を超えずに、必要な検査ができている」といいます。
ただし、愛知県は検査態勢が「道内とほぼ同規模」(担当者)とされていますが、感染者は本日で
49人です。
道内が国内有数の冬の人気観光地であることを踏まえ、人と人が接触する機会が増え、必然的にウイルスに触れる可能性が高まっていると考えられます。
冬場の観光需要は全国的に落ち込む傾向にあるが、道内はスキー場や流氷など冬ならではの観光地が多いです。2018年の観光庁の調査によると、道内の1~3月の宿泊客数は約457万人。集計済みの30都道県の中で東京都、千葉県に次いで3番目に多いです。
さらに冬場の観光地点や行事開催場所は1200地点と全国最多いです。雪を避けて屋内で楽しめる施設も少なくないです
2018年に北海道を訪れた訪日外国人客は298万人を記録しており、日本を訪れた3,119万2,000人のうち9.6%もの外国人が北海道を訪れていることになります。北海道単体で見ると、訪日外国人客数は前年比12.9%と順調な伸びを見せています。
北海道を訪れる外国人の特徴としては特にアジア圏からの訪日客が多く、中国からは71万9,500人、韓国からは67万7,600人、台湾からは60万3,900人が訪日しており、全体の9割近くがアジア圏からの訪日客となっています。これらも、感染の多いことの原因の一つにもなっているものとみられます。
デマが多い現状では、一番便りなるのは数字だと思います。テレビのワイドショーなどでは、特に数字も出さす、結果として不安を煽っているものも多数目にします。私達としては、武漢肺炎関連等でも、なるべく数値で見て、客観的に物事を判断すべきです。
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