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2018年6月3日日曜日

働き方改革論争、野党のなかでどこが一番「マシ」だったか―【私の論評】現代社会は数十年前と全く異なることを前提にしない守旧派は社会を破壊する(゚д゚)!

働き方改革論争、野党のなかでどこが一番「マシ」だったか

足並みが、そろっていないが…

https://youtu.be/B4ENQJjA4aA

まともな修正案もださずに

「働き方改革」における与野党合意が進められているが、肝心の野党間での認識にズレが生じているようだ。

5月21日、自民、公明両党と日本維新の会、希望の党はいわゆる「働き方改革関連法案」の修正について大筋で合意した。

与党は野党の一部の賛同を取りつけることで今国会中の法案成立を目指しているが、立憲民主党、国民民主党および共産党は「長時間労働を助長する」として批判を続けるなど、野党間の足並みはそろっていない。

このことは、仮にも労働者のためにあるはずの国民民主党や立憲民主党に、働き方改革をリードする政策能力がないことを裏付けてしまったともいえる。

どういうことか。当初、政府与党が目指した働き方改革は、(1)残業上限時間の設定、(2)高度プロフェッショナル制度(高プロ制度)の設置、(3)裁量労働制拡大の3本柱だった。

(1)は過労死対策なので、与野党ともに異論はなかった。問題は(2)と(3)で、(2)は一定の年収以上であれば残業時間の制限などがなくなるものだが、労働基準法の適用除外が拡大するとの懸念があり、(3)は残業代の頭打ちにつながるとして、野党はそれらの削除を要求していた。

また、(3)については、労働時間に関する調査データの不備が見つかり、政府与党は今年の3月に取り下げた。

残る争点は(2)の高プロ制度の設置である。

政府与党は、その対象者として、「年収1075万円以上」を打ち出した。だが、世論の過労死問題への関心の高まりを受け、野党はこの適用除外を「過労死法案」「残業代ゼロ」として批判。野党側からすれば、やがて「年収1075万円」という基準が引き下げられ、ほとんどの労働者に労働時間の適用除外が拡大するとの見立てがあったのだろう。

しかし、ここで流れを変えたのが、日本維新の会の修正案だ。もともと高プロ制度は労働者の同意を必要とするものであるが、適用後に本人が考えなおしたとき、適用を解除できるようにした。これは労働者に寄り添った修正案といえよう。

今年4月から5月にかけて、立憲民主党、国民民主党や共産党は、森友問題などを理由に国会を「18連休」した。その間、働き方改革についてまともな修正案を出すこともなかったために、国民には野党がただ国会をサボっているようにしかみえなかった。一方、審議拒否しなかった維新は、法案を研究してしっかりと審議の成果を示せたわけだ。

たしかに高プロ制度に労働者側の逃げ道がなければ、不当な処遇を受ける人も出てくるかもしれない。だがこの制度に「出入り自由な道」があればロジカル的にも破綻はなくなる。

そこで今回のような、与野党の弾力的な合意が生まれたのだ。このような急展開に際し、「18連休」を終えた立憲民主党、国民民主党や共産党は対応が間に合わず、蚊帳の外になってしまった。

欧米でも高プロ制度のような労働規制の適用除外がある。欧米における適用除外対象者の労働者に対する割合は、米国で2割、フランスで1割、ドイツで2%程度だ。日本で「年収1075万円」以上は4%程度というから、高プロ制度の導入は世界から見れば当たり前で、むしろ遅すぎたくらいだ。

『週刊現代』2018年6月9日号より

【私の論評】現代社会は数十年前と全く異なることを前提にしない守旧派は社会を破壊する(゚д゚)!


働き方改革」はこれから重要になるテーマです。最近までの日本は、デフレで雇用状況も悪く、とにかく雇用が確保されていれば良いというような状況でしたが、皆さんもご存知のように、安倍政権の金融緩和政策によって、雇用情勢がかなり良くなったので、次の段階では「働き方改革」が重要になりつつあります。

現在「働き方改革」をしようという動きは、まさに時宜にかなっているといえます。雇用情勢が良くなっているということ自体が「働き方改革」をすすめるのに良い機会になっているともいえます。雇用情勢が悪いときには、「働き方改革」をすすめようにも、ななかなか進まないでしょう。

雇用情勢が良い状況なら、そもそも雇用環境が悪いブラック企業になど、そもそも新規で雇用される人がいなくなるし、そこで働いていた人も辞めて他の企業に移るようになり淘汰されるか、まとも企業に生まれ変わるしかありません。

さらに、まともな企業でも「働き方改革」を推進して働きやすい環境をつくっている企業と、そうではない企業にも差がつきます。当然のことながら、「働き方改革」を推進している企業のほうが、魅力があり、そのような企業のほうに多くの人が集まるようになります。

そのようなことを、野党は全く理解できないのでしょう。いわゆる野党6党は、前代未聞「18連休」もの職場放棄を続けたあげく、先月8日午後の衆院本会議から審議に復帰しました。

復帰条件としていた「麻生太郎副総理兼財務相の辞任」などは通らず、成果「ゼロ」の惨敗というほかないです。「審議拒否はズル休み」との世論の逆風に耐えかねて、最後は大島理森衆院議長に泣きついたかたちでした。野党に優しい朝日新聞をはじめ、メディアは一様に、戦略なき欠席戦術を厳しく批判しました。

国会議員の歳費、つまり給料は法律で決まっています。 その月額は129万4000円。 このほかにいわゆるボーナスである期末手当が約635万円支給されますので、年収ベースの総額は2200万円ほどとなります。 これが本来の国会議員の給料です。

さらに国から政党交付金として議員一人当たり年間約4000万円、立法事務費として月額65万円が会派に支払われます。報道をみるとここに誤解が多いのですが、このお金のほとんどは政党が使い、議員個人に支給されるわけではありません。しかし、政党によって異なりますが、政党交付金の一部、年間数百万円から1000万円程度は各議員に支給されています。

こうした経費を含めると、仮に政党交付金が年間1000万円だとして、年間4400万円ほどのお金が議員本人の口座や政党支部の口座に分けられて振り込まれます。


にもかかわらず、国会で審議拒否をする、すなわち一般の会社員ならば、会社を休むのと同じようなことをしても、歳費などか減額されることもありません。

このような野党の議員には、さらに理解不能なこともあります。それは現在は高度な知識社会になっているという認識です。知識社会とは、富の源泉が知識となった社会のことです。

一昔まえの富の源泉は「ヒト・モノ・カネ」といわれましたが、現在ではこれらがあっても高度な知識がないとか、新たな高度な知識をつくり出せないことには、富を生み出すことはできません。無論昔のタイプの産業も生き残ってはいますが、それが次世代を切り拓く産業になるかといえば、そんなことはありません。

現代の労働のほとんどには知識労働的な要素が含まれています。工場で働くにしても、様々な管理システムを効率的に管理するには様々な知識が必要です。工事現場で働くにしても、今や昔のようにスコップ一丁で、汗塗れになって土を掘り返すような労働ではありません。そのような仕事のほとんどは重機がこなします。現場では様々な新しい工法が実施されています。これらを実行するには様々な知識が必要とされます。

陸上自衛隊でも、スコップ一丁で塹壕を堀り、小銃を構えるなどという戦法など過去のものです。無論、そのよう場面が全くないということはないですが、それが主流ではありません。様々な情報を駆使して、最新鋭のミサイルを発射するなどの戦法がとられています。やはり、ここでも知識が重要なのです。

旧日本軍の塹壕戦

野党の面々は、このようなことを理解していないので、安全保障に関しても、時代遅れで頓珍漢な認識しかしておらず、数十年前から一歩も進んでいないようです。

現在では知識労働が全くない労働は存在しませんが、知識労働の比重が高い労働者から比較的低い労働者が存在します。その中でも、知識労働が労働のほとんど占める労働者を知識労働者と定義します。

野党の面々は、知識労働者の存在を無視しているため、彼らをどうやって動機づけるかについても全く無頓着です。

経営学の大家ドラッカーは、知識労働者の動機づけについて以下のように述べています。

「知識労働者の動機づけに必要なものは成果である」(『断絶の時代』)

肉体労働については、よい仕事に対するよい賃金でよいです。知識労働については、すごい仕事に対するすごい報酬でなければならないです。知識労働者が求めるものは、肉体労働者よりもはるかに大きい。異質でさえあります。

知識労働者は生計の資だけの仕事では満足できないのです。彼らの意欲と自負は、知識人としての専門家のものです。

知識労働者は知識をもって何事かを成し遂げることを欲します。したがって、知識労働者には挑戦の機会を与えなければならないのです。知識労働者に成果を上げさせるべくマネジメントすることは、社会や経済にとってだけでなく、彼ら本人のために不可欠なのです。

知識労働者は、自らがなすべきことは上司ではなく知識によって、人によってではなく目的によって規定されることを要求します。

知識には上級も下級もありません。関係のある知識とない知識があるだけです。したがって知識労働はチームとして組織されます。仕事の論理が、仕事の中身、担当する者、期間を決めるのです。これは、知識労働者の本質的な仕事のほとんどがルーチンなものではなく、プロジェクトで実行されることをみても明らかです。
有能なだけの仕事と卓越した仕事の差は大きい。そこには職人と親方の違い以上のものがある。知識労働ではこれが顕著に現われる。知識労働は一流を目指さなければならない。無難では役に立たない。このことがマネジメント上重大な意味をもつとともに、知識労働者自身にとっても重大な意味をもつ。(『断絶の時代』)
これは、IT業界などみているとわかりやすいです。IT業界の人々は、他者よりも卓越した仕事をすることが求められています。そうして、卓越した仕事の実績が彼らにとって成果であり、動機づけなのです。


無論、給料も良くなければならないですが、しかし、それよりは、卓越した仕事ができるということ自体が彼らの動機づけになるのです。

このような仕事をしているとき、残業がどうのなどということはさほど大きな問題にはならないのです。そんなことよりも、短期間に時間に関係なく仕事ができ、ブロジェクトが終われば長期の休みがとれるというような環境が彼らにとっては一番馴染むのです。

通常のサラリーマンのように、朝9時〜夕方5時まで、毎日決まって働くという働きかたでは、そもそも知識労働者にはなじまないのです。そのような働き方は、知識労働の度合いの低い労働ではなんとかなりますが、知識労働者には向きません。

また、ドラッカー氏は知識労働者は全員エグゼクティブでなくてはならないとしています。
今日の組織では、自らの知識や地位のゆえに組織の活動と業績に実質的な貢献を果たす知識労働者は、すべてエグゼクティブである。(『経営者の条件』)
組織の活動と業績とは、企業であれば優れた製品を出すことであり、病院であれば優れた医療を提供することです。

そのために知識労働者は意思決定をしなければならないです。自らの貢献について責任を負わなければならないのです。自らが責任を負うものについては、他の誰よりも適切に仕事をしなければならないです。

現代社会では、すべての者がエグゼクティブであるとドラッカーは言います。仕事の目標、基準、貢献は自らの手にあります。したがって、物事をなすべき者は皆、エグゼクティブなのです。

知識による権威は、地位による権威と同じように正当かつ必然のものです。彼らの決定は、本質的にトップの決定と変わらないのです。

研究者ならばプロジェクトを続行するか中止するかを決めることによって、販売部門の経営管理者ならば最高のセールスマンにどの地域を担当させるかを決めることによって、企業としての意思決定を行なっているのです。
もし企業が起業家活動の中心であるとするならば、そこに働く知識労働者はすべて起業家として行動しなければならない。知識が中心的な資源になっている今日においては、トップマネジメントだけで成功をもたらすことはできない。(『創造する経営者』)
むろん、ここでドラッカー氏は知識労働者の働き方の理想を語っているわけですが、とはいいながら、現代ではますます知識労働者の割合が増えていきますし、過去には肉体労働とみなされていた労働の中にも知識労働の割合がますます増えていきます。

このようなことに対応していこうというのが我が国の「働き方改革」でもあります。そうして、その中でも、高度プロフェッショナル制度は象徴的です。まずは、実施してみてから暫時変更して、より良い制度にしていくべきです。野党のようにただ反対しているだけでは、何も進歩はありません。


そのような時代に、野党のように労働といえば、一昔まえの肉体労働のようにとらえ、残業がどうのこうのとばかり言って、新たな知識労働のトレンドに目を向けようとしないのであれば、これからの時代の働き方には対応できません。

過去の日本は、デフレ・スパイラルのどん底に沈んで、知識労働に対する対応が遅れてしまいました。しかし、現状ではもう日本を含めて、先進国のほとんどは知識社会に突入しました。

もう、すでに私達の社会は数十年前の社会と全く異なるのです。私達も、そのことを理解しなければ、変革を妨げ、数十年前の考えから一歩も出られない、野党の面々と同じく、守旧派の頑迷固陋な老人のような存在に成り果て、これからは社会を破壊することになります。

2015年3月14日土曜日

【日本の解き方】「経済成長よりも成熟社会を」は人を殺す 半可通の議論に騙されるな―【私の論評】今の日本は成熟社会ではない!20年もデフレ・円高を放置した原始社会である!今こそ当たり前の現代社会に復帰して、過去20年間成長できなかったその遅れをなるべくはやく取り戻すべきだ(゚д゚)!


そもそも、一国の経済・社が生物の一個体のように、成長、成熟、老化などというパターンが成り立たない。
写真はブログ管理人が挿入 以下同じ

日本の経済成長率がこのところ伸び悩んでいることやインフレ目標にまだ届いていないことについて、一部マスコミで「消費者の節約志向」「金融緩和マネーは株や資産価格を上げるだけ」などと解釈している記事を見かけた。

データを見よう。消費者物価指数総合の対前年同月比をみると、2014年4月の消費増税までは順調に上昇していた。量的緩和がスタートした13年4月には0・7%下落だったが、14年5月には1・7%上昇(消費増税による見かけ上の影響を仮に2%として差し引いた数値)となった。ところが、消費増税の影響で消費が減退し、15年1月には0・4%上昇(同)と低下している。

成長率でも、消費増税前の13年4~6月期から14年1~3月期の平均実質国内総生産(GDP)成長率は2・1%増であったが、増税後の14年4~6月期から15年1~3月期では2・6%減と急落している。

マスコミの経済関係記者は、こうしたマクロのデータを見ないで、半径1メートルの世界の印象から「消費者の節約志向」という結論を出しているのだろうか。

「緩和マネーは株や資産価格を上げるだけ」というのも、マクロ経済への無理解からくるものだ。

金融緩和によって実質金利が下がり、これがGDPを増加させ、就業者数が増えるのを、株価が先取りするだけだ。つまり、株価上昇と就業者数増加は同時に進行しているが、株価の方が先に現象として出てくるわけで、株価と就業者の間に因果関係があるわけではない。

このような無理解の上に、一部のマスコミでは、「経済成長よりも成熟社会を」という論調もしばしば見受けられる。これは戦後のヘタレ左翼思想に過ぎず、そもそも1990年代以降の低成長ではシャレにもならない。90年代以降の日本の経済成長率は、先進国では最低ランクだった。この間、経済成長しなかったことでさまざまな問題が出てきた。とりわけ社会問題として顕著なのは自殺率の増加であろう。

低成長が続く社会で損をするのは、結局、社会の底辺にいる人たちである。トマ・ピケティ氏の著書によって有名になった「The World Top Incomes Database」を使って、それを確かめてみよう。同サイトでは、トップ1%だけではなく、ボトム10%の平均所得のデータ(物価上昇分を除いた実質値)もある。ここ20年間の伸び率をみると、日本では、平均1・6%減だ。米英仏独の4カ国平均は0・4%減。これも日本が低成長だったためだ。

低成長は、全体のパイを減らす。全体のパイが大きければ分配も容易であるが、パイが小さいともともと少ない人はより苦しくなる。成長を否定したら何もできない。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】今の日本は成熟社会ではない!20年もデフレ・円高を放置した原始社会である!今こそ当たり前の現代社会に復帰して、過去20年間成長できなかったその遅れをなるべくはやく取り戻すべきだ(゚д゚)!

デニス・ガボール

成熟社会とは、元々はイギリスのデニス・ガボールの著した『成熟社会新しい文明の選択 』(1972)からの転用語で、一種の未来社会についてのビジョンを指します。ガボールは1971年にノーベル物理学賞を受賞した高名な物理学者で、かたわら未来学者としても活躍しました。

彼のいう成熟社会とは、これまでの物質万能主義を排し、ひたすら量的拡大のみを追い求める経済成長やそれに支えられた大量消費社会のかわりに、高水準の物質文明と共存しつつも、精神的な豊かさや生活の質の向上を最優先させるような、平和で自由な社会を意味しています。

そこでガボールが提示している未来社会像は、かならずしも新奇なものではなく、高成長から低成長への転換期にあたり、自然との闘いから人間性との闘いへ、物質的・手段的価値から精神的・表出的価値への推移(=成熟)を可能にし促進するような政治、経済、社会、文化全般の見直しを提唱したものです。

たとえば、消費社会の不毛と倦怠(けんたい)の克服、知能偏重から知能と倫理の調和へ、善意と幸福を周囲に広げる人間の形成、強制と支配ではなく自由と責任と連帯の拡充、多様な個性と価値観を尊重し許容する寛容な民主的社会の実現などが主張されています。

この立場は、生活の質の向上による社会の漸進的活性化を意図するもので、人間にとって真の豊かさとは何かを追求するポスト・マテリアリズムpost-materialismの立場にほかならないものですが、一方、伝統的な自由主義・民主主義の流れに棹(さお)さしながら、一種のエリート主義的な色調をも帯びています。

この言葉が日本で流通し始めたのは1973年に日本で『成熟社会』が翻訳されて、出版されてからであると考えられます。この書籍は、一時は、アマゾンで1円で買えるような古書にすぎなかったのですが、今では、成熟社会というキーワードに人気があるせいか、本日改めてアマゾンでみて、700円とか、1000円などと価格がついていて、改めて驚きました。

成熟社会―新しい文明の選択 (1973年)
デニス・ガボール
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やはり、この書籍今や古書でとしてしか購入できないのに加え、最近またこの成熟社会なる幻想が頭をもたげてきて、ブログ冒頭の記事で高橋氏が指摘するような状況になっているのだと思います。

この成熟社会なる言葉、もう本当は死語に近いものにすぎないはずです。特に、日本以外の国では、死語に近い言葉になっています。この書を世に送り出した、ガボールの最大の誤算は、出版された1973年当時、同時に変動相場制に移行した後訪れた本格的なグローバル経済を読めなかったということでしょう。

世界が、固定相場制なら多くの国々特に先進国が、それぞれ内々に「成熟」してしまったのかもしれませんが、グローバル経済が展開することで「成熟」などという言葉は浮世離れしてしまいました。世界全体から見れば、「成熟」など遠く離れた世界で、国境が低くなれば、「成熟」は拡散して流産してしまいます。

「成熟社会」というの言葉は、生物学からの安易な借用なのですが、生物の個体に見られる成長して成熟し、老化し死ぬというお決まりのコースをあてはまるほど世界はまだ「成熟」していません。

というより、混沌としていて、まだまだ安定した状況ではなく、ISISにみられるようなテロリストによる恐怖や、未だに世界的な宗教対立の火種はあちらこちらに見受けられます。それだけではなく、日ケティ氏などが指摘する前から、グローバルな視野から見た場合、政治システムや、経済システムなどまだまだ成熟の域に達しているとは言いがたい状況にあります。

恐らく今後も世界が「成熟」することはなでしょう。成長と破壊の繰り返し。シュムペーターの語った、創造的破壊がこれからも世界的な規模で繰り返されていくことでょう。もういい加減日本のマスコミや、似非識者なども「成熟社会」などという幻想からを卒業する程度には頭の中身を成熟するべきです。



さらに、直近の日本の状況をみていれば、デフレが20年近くも放置され続けました。このような状況に至った国など、古今東西例を見ません。誤った金融政策や、財政政策を実行し続け、このように長い間、是正もしなかった国が日本です。

しかも、このデフレの最中には、上でも高橋洋一氏が指摘したように、デフレ・円高政策が多くの人を殺してきました。

これについては、以前このブログでも指摘したことがあります。そのブログのURLを以下に掲載します。
【田中秀臣氏TW】財務省は「人殺し」の機関の別称だといって差し支えない―【私の論評】政治主導を実現するため、財務省殺人マシーンは分割して破壊せよ!日銀殺人マシーンの亡霊を蘇らせないために、日銀法を改正せよ(゚д゚)!

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事では、最近は年間2万人台に戻ってはいるものの、デフレが顕著になった98年から自殺者が年間3万人台となり、多くの国民が塗炭の苦しみを味わったことを掲載しました。デフレと、自殺者数の相関関係に関しては、田中秀臣氏や、日銀の現副総裁の岩田規久男など、日本の著名な経済学者も指摘するところです。

そもそも、これだけの死者を出しても、20年近くも放置しておいたという稚拙な、経済対策しかできなかった日本が、とても成熟社会に入ったとは言えないと思います。

過去の日本は、成熟社会に入ったために経済が停滞したのではなく、デフレ・円高を放置し、マクロ経済学では常識とされている、その対応策である金融緩和政策や、積極財政などせずに、その反対の日銀による金融引き締め策や、財務省による増税という緊縮財政を実行したからです。

このような馬鹿げたことをする国、それを支持する政治家や、似非識者が存在する国が、どうして成熟社会などということがてきるのでしょうか。

昨年の4月に8%増税をして、大失敗した直後に、さら10%増税など言い立てて、それに輪をかけて「経済成長よりも成熟社会を」という馬鹿げたことを言う、マスコミや識者、幼稚であり稚拙であると言わざるを得ません。このような、者共の言うことが、幅を効かせて、結局8%増税せざるを得ない状況に安倍政権を追い込んだ、社会などとても成熟社会とは呼べません。

金融・財政政策においては、成熟社会であるどころか、原始社会といっても良いくらいだと思います。

しかし、この原始社会が、まともな現代社会に復帰し、今後成長することになれば、日本はとてつもないことになると思います。

もう、その方向性は見えています。今は何がなんでも、物価目標も達成していないうちに、金融引締めをするとか、10%増税による緊縮財政を実行するなどという馬鹿真似をするような原始社会から、普通の現代社会に復帰して、過去20年間成長できなかった、その遅れをなるべくはやく取り戻すべきです。その先に、全世界が羨む日本が待っています。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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