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2008年6月14日土曜日

秋葉原通り魔殺人事件の犯人から学べること-その時々で自分の身の丈を知る努力をせよ!

知ってるつもりエンディング

「身の丈」に関する動画を探してみましたが、結局みあたりませんでした。そのかわりに、テレビ番組の「知ってるつもり」の動画がありましたので、それを掲載します。懐かしいです。そうしてなかなか良い番組だったと思います。自分の身の丈に関しては、「知ってるつもり」程度ではいけないと思います。熟知しなければならないと思います。

秋葉原事件の犯人象がいろいろと、明らかにされています。それまで、報道されていなかったことで、明らかになってきていることが多くあります。

犯人に一番足りなかったものは?
その中で、一つ、高校時代には「北海道大学」を目指していたこともあったということがあります。私は、卒業したのはもう随分前ですが、北海道大学出身なので、ここでも思うことがありましたので掲載させていただきます。いままで、秋葉原通り魔事件の犯人について、このようなことが起こらないようにするにはという観点でいわゆる中身にはふれず、方法論ばかり論じてきたと思います。しかし、本日は、私の思うその中身をはっきりさせたいと思います。そうでなければ、秋葉原の件を掲載した、責任を果たしたとはいえない気がしていました。

結論を先にいいまず、まずは何をさておいても、「その時点時点での自分の身の丈を知れ!!」ということです。人間身の丈にあわないことをずつと続けようとしようとすると、必ずつぶれます。また、身の丈を低く評価することは、成長する機会を失うもととなります。

身の丈に関して大学時代の回想

私が、大学に入ったときに、ある地方都市の一応進学校といわれているIH高校からも一人入った人がいました。何か、メガネをかけていて、秋葉原通り魔事件の犯人とも似ていなくもない容貌だったと記憶しています。私も、札幌のいわゆる進学校出身でした。北海道大学あたりだと、医学部、歯学部以外だと真ん中以上の成績をとっていれば、確実に入れるといわれていました。真ん中よりも、下であっても運がよければ入ることもあるし、一浪覚悟であれば確実に入ると言われていました。

自分は真ん中程度の成績であったため、北海道大学を志望するということは、特にだいそれたことでも何でもなく、ごく普通の進路でした。また、自分のことを特に優秀だと思ったこともありませんでした。

さて、大学初日のことです。配属された、クラスの顔ぶれを見ると半分くらいは同じ高校の出身で、なんとなく大学に入学したという感慨がありませんでした。その中に半分くらいは、見慣れない顔の人間がいたので、私は見慣れた連中とはあまり話しはせずに、、見慣れない連中とばかり話しをしていました。

その後、その連中とも言葉をしょっちゅう話すようになりました。出身地はそれぞれ違い、東京、横浜、新潟、山口、それから北海道の地方都市出身者が一人というものでした。年も浪人した人もいたので、バラバラでした。北海道の地方都市の人は現役でした。この中で、北海道出身者以外の人が今でも何とはなしに付き合いのある、いわゆる仲間のような存在です。

この北海道の地方都市出身者というのが、先ほど述べたある地方都市の一応新学校といわれているIH高校出身者でした。この彼、入学してからしばらくの間良く、「大学って言うのは勉強するところだよ」と自信たっぷりに語っていました。今では忘れてしまいましたが、そのほかにもいろいろと「哲学めいた?」ことをいろいろと言っていました。私や他の人達も、こういう彼に関して特に何とも思いませんでしたが、ただし、あれだけのことを言うんだから、何かわけがわからないが「きっとたいした奴」なんだろうぐらいに思っていました。

この仲間とは良く飲みに行ったり、遊びに行ったりしたものです。そんなことをしているうちに、大学でもいよいよ、最初の試験の時がやってきました。IH高校出身の彼はどうか知りませんが、私達はほとんど一夜漬けでした。特に数学とか、英語、理科系の科目などは、高校の延長みたいな内容で、さほど勉強しなくても何とかなるものばかりでした。さすがに、社会系の科目など、ある程度は勉強しなければならなったのですが、授業に出ていなかったりしたことも多かったため、他の知人からコピーさせてもらい一夜漬けで暗記しました。また、自分の得意なことは逆に教えたりしました。

テストが終わってみると、どの科目もそこそこで、こんなものかと思いました。私の先ほど掲載した私の仲間も同じようなものでした。ところが、くだんのあのIH高校出身の彼だけが、赤点をいくつもとって、再試を何回も受けていました。

その後、試験が2回、3回と続きましたが、同じことの繰り返しでした。そうこうするうちに、IH高校出身の彼は、私達の仲間にはだんだん近づかなくなってきました。次の年には、私達仲間に出会うと、挨拶するくらいの仲になったと思います。きっと最初にいろいろ偉そうなことを言った手前、私達とは付き合いづらくなったのだと思います。他の仲間と付き合っていたようです。私達としては、彼をバカにしたりするつもりはなく、特に彼を遠ざけるようにしたとは思えません。

現在の北海道大学は違いますが、当時の北海道大学は大学に入ったからといって、自分の進みたい学科に進むことはできません。教養部時代の成績と本人の希望 によって振り分けられます。そのため、人気学部学科はかなりの競争率になります。私の仲間はすべて自分が行きたかった学科にいけたと思います。IH高校出 身の彼はどうなったかわかりません。しかし、どこかに行って、何とか卒業してそれなりの企業に就職したようです。彼は、私達と付き合わなくなったころから、自分の身の丈を知るようになったのだと思います。

その時々で身の丈を知ることの重要性
私が思うに、きっと彼は地方都市のIH高校では、「優秀だ、優秀だ」と先生や周りの人に言われていたのだと思います。それどころか、中学時代も今回の秋葉原通り魔事件の犯人のように、「優秀だ、優秀だといわれて、褒められていたのだと思います」そこで何か勘違いをしていたのだと思います。それに比較すると、私や私の仲間も、そんなことはなく、自分の身の丈をわきまえていたと思います。世の中には、いろいろな人間がいて、もちろん勉強の面などでも、特定の分野に関してかなり秀でた人間の存在を紙っていました。その他、スポーツができる人間、音楽ができる人間、女の子に異常にモテるやつなど様々です。

人間の身の丈は、その時々できちんと把握しておく必要があると思います。勿論、身の丈が一生そのままというわけではありません。努力すれば、伸びることもあります。人間の身長と違って、ここでいうところの「人の身の丈」は年をとってからでも本人の努力によりかなり伸びる余地があります。特に得意分野に関してはそうだと思います。しかし、自分の得意な分野であろうとなんであろうと、その時々で自分の身の丈を把握しておくことは重要なことだと思います。これは、簡単なようでいて難しいことです。不当に高く評価してもいけませんし、不当に低く評価してもいけません。それに、身の丈を図る評価軸はなるべくたくさん持っておいたほうが良いと思います。いくつたくさんある評価軸で評価した、多くのものを総合したものが「身の丈」というものだと思います。そのためには、ある程度世間を知らなくてはなりません。自分ひとりだけで考えていたとしても、評価はできません。いろいろな人とコミュニケーションを図ったり、情報を集めることも必要になると思います。

私は、思うのですがこの犯人、自分の「身の丈」を全くわかっていなかったのだと思います。中学校で勉強が出来ましたなどといっても、そんなものは何ほどのことでもないと思います。進学校に進むことができたといっても、言っては悪いですが、青森の進学校と他の大都市とでは、雲泥の差だと思います。この、犯人自身が自ら身の丈を知ろうとしなかったこともさることながら、犯人の親や学校の先生、身の丈を知る術を与えなかったというのが最大の大間違いだったのではないかと思います。

世の中にエリートとか、勝ち組とかいう言葉がありますが、このエリートや勝ち組といわれる人々の中にも、身の丈の大きい人とそうではない人がいます。司法試験を合格したからといつて、その人たちが全部優秀というわけではありません。法曹界に入ってから、その違いは明らかになります。若い女性の上司にへいこら頭を下げている頭の悪そうな熟年の部下もいます。実際にそんな姿をいきつけの居酒屋で何回も目にしました。

東京大学を出た人がすべて優秀かといえば、そんなことはありません、はっきりいって下の2割は優秀ではありません。大手企業といわれる中でも、下の2割はお荷物です。人事面からいっても一人の優秀な技術者を雇おうとしたら、5~6人の技術者を雇えといわれています。残念ながらこれが、厳然たる事実です。どこの世界に行っても選抜はあり、良い悪いは別にして、競争もあります。たとえば、町工場に行ったとしても、町工場の中でさえ、いろいろな面から選別はされると思います。優秀ではない人がいるので、優秀な人が光るという面があると思います。

一昔前に話題になったあのオウム真理教の指導層も同じことだと思います。マスコミはエリート集団としてとらえ、さかんに報道しました。しかし、私はあの指導者たちはすべて落ちこぼれだったと思います。自分の身の丈を知らず、普通の社会に入ると不満ばかり感じるどうしようもない落ちこぼれ連中だったと思います。だからこそ、あのような破滅の道に突き進んで行ったのだと思います。無論私は、オチこぼれは切って捨てろと主張しているわけではありません。でも、組織の中で、オチこぼれがいたとして、そのオチこぼれが、全く自分の「身の丈」を知らなかったらどうなるでしょうか?大変だと思います。オチこぼれであっても「身の丈を知る」人は、救いようがあると思います!また、救ってあげたいと周りの人も思うでしょう。そういうところから、組織の連帯感などが生まれてくるのだと思います。そうして、組織の本当の役割「凡庸な人間をもって非凡なことをさせる」ということが、可能になるのだと思います。

すべての組織がまずはその構成員に身の丈を知るように教え導く必要がある
その時々で自らの身の丈を知らない人はどうなるでしょうか。自分の努力の方向も見出せない、その努力はどの程度のものなのか、意外と簡単にできるものなのか、あるいは全く不可能なのか、それすらも理解できなくなることでしょう。また、不当に高くあるいは低く評価していることにも気がつかないと思います。たとえば、この秋葉原通り魔事件の犯人、全く身の丈を図れなかったのだと思います。よほど難しい大学は例外としても、希望の大学に入る人と入らない人との差はそんなに大きくはないと思います。ごく簡単なことです、入れる人は日々きちんとある程度時間をかけて勉強をしているということです。入れない人は勉強していないということだけだけだと思います。この犯人、中学時代は自分の身の丈を不当に高く評価し、高卒後は不当に低く評価していたのだと思います。

ひるがえって、現代人はどうなのでしょうか、すべての人が自分の身の丈を正確に知っているとは思えません。まずは、現代人は、自分自身を厳しくみつめて、身の丈を知る術を持つべきではないでしょうか?身の丈を捕らえて、その中でも得意分野、不得意分野をはっきりさせるべきだと思います。身の丈を知るためには、自分の一人の考えではどうにもなりません。回りの人とコミュニケーションをとることと、自分自身を客観的に見る眼を養わなければなりません。

自分の身の丈が足りなければ、足りない分を補えるなら、補う努力をするべきです。特に自分の長所といわれるところは、どんどん伸ばす努力をすべきです。自分の短所といわれるところは、それが障害とならないい程度に改善できるものはしていくべきだと思います。たとえば、業務の都合で数学ができないとだめだとしても、高等数学がダメでも、算術程度のことはできると思います。でも、その前に現時点での自分の身の丈を知らなければなりません。おそらく、先日秋葉原通り魔事件に関して書いた中に既存の組織では、無理であり、いろいろな種類のNPOの興隆が必要不可欠だと書きましたが、NPOでもこの犯人のような人間が相談に行ったとしたら、様々の技法があったとして、専門用語も違うかもしれませんが、まずは本人が本人の「現在の身の丈」を認識させることから開始すると思います。

また、既存の組織である学校や、企業も、親も、勉強や業績がどうのこうのという前に、生徒や従業員ががその時々の自分の身の丈を知るように教え導くことこそ重要なのだと思います。

以下このブログに過去に掲載した関連の記事を掲載します。反転文字列をクリックすると当該記事に飛びます。

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