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2020年8月24日月曜日

河野防衛相が「女系天皇容認」 「ポスト安倍」問題ありか―【私の論評】安易に「女系天皇」を容認し、経済的には緊縮派の河野氏には、ポスト安倍の資格なし(゚д゚)!

河野防衛相が「女系天皇容認」 「ポスト安倍」問題ありか

河野太郎防衛相

河野太郎防衛相は23日、動画投稿サイト「ユーチューブ」などに番組を配信し、皇位継承のあり方について「1000年以上続く男系が続くなら男系がいい」と断ったうえで、女系天皇の容認も検討すべきだとの考えを示した。河野氏は「ポスト安倍」候補として、外交・安全保障では得点を重ねてきたが、「国体」に関する認識に問題がありそうだ。

 注目の番組で、河野氏は「皇室のメンバーである(天皇、皇后両陛下の長女の敬宮)愛子さまをはじめ内親王のお子さまを素直に次の天皇として受け入れることもあるのではないか」と述べた。

 皇位は、初代の神武天皇から第126代の天皇陛下まで、一度の例外もなく父方を遡(さかのぼ)れば天皇にたどり着く「男系継承」である。

 これを維持するため、「旧宮家の皇室復帰」などが検討されているが、河野氏は番組で慎重論を唱えた。

 明治天皇の玄孫(やしゃご)である作家の竹田恒泰氏は以前、夕刊フジのインタビューで、「『女系天皇』を認めれば、その瞬間、王朝が変わる。男系継承は1ミリも譲ってはダメだ。仮に、男系の血筋を引かない人が天皇になれば、『天皇の血統原理』が失われる」と語っている。

【私の論評】安易に「女系天皇」を容認し、経済的には緊縮派の河野氏には、ポスト安倍の資格なし(゚д゚)!

推古天皇像

皇室は一人の例外もなく、男系で継承されてきました。その男系とは男女差別であるとの誤謬がまかり通っているが、それを言うなら、むしろ男性排除の論理であると何人がわかっているのでしょうか。    

皇室に関して迷った時の根本基準は一つ。先例です。そして、どの先例に従うべきかどうかを考えるために、吉例を探すということになるでしょう。  

確かに、女帝には先例があります。伝説の時代の神功皇后(神功天皇)は数えないので、有史以来、十回あります。推古天皇、皇極天皇(斉明天皇)、持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙天皇(称徳天皇)、明正天皇、後桜町天皇です。

皇極天皇と孝謙天皇は重祚(ちょうそ)といって返り咲いて天皇に二度おつきになられたので、八方十代です。八方十代。つまり女性皇族が即位された人数は八人であるが、そのうち二人が二度即位されているということです。

これを重祚(ちょうそ)といい、女帝は「中天皇(なかつのすめらみこと)」と呼ばれ、明らかに中継ぎの為に即位されていたことを示します。

しかし三種の神器と共に皇位を継承する事は、大変重いことであり、民を想う祈りの存在であることに変わりありません。女帝は飛鳥時代から奈良時代にかけて集中し、明正・後桜町の二代だけは江戸時代です。   
さて、この八方には共通点がありますす。未亡人か、生涯独身です。  

八方十代
推古、皇極、持統、元明の四方は即位の際に未亡人であり、その後も再婚されませんでした。元正、孝謙、明正、後桜町の四方は、生涯独身を通されました。  

なぜこのようなことになったのでしょうか。それは、女帝の配偶者に権力を握らせないためです。  

推古天皇は、敏達天皇の未亡人です。聖徳太子と蘇我馬子との三人で、飛鳥時代を指導しました。崇峻天皇暗殺という動揺に際して、擁立されました。  

皇極天皇は、舒明天皇の未亡人です。中大兄皇子(天智天皇)の実母でもあります。大化の改新前後の動揺期に、二度も擁立されました。  

持統天皇は、天武天皇の未亡人であす。壬申の乱に勝利した天武天皇の威厳は偉大でした。それだけに後継をめぐる争いは激しく、天皇の候補者が多すぎたので擁立されました。  

元明天皇は、草壁皇子の未亡人です。草壁皇子は、天武天皇と持統天皇の実子です。草壁皇子も、その子・文武天皇も早逝しました。しかし、草壁皇子の系統に皇位を継がせようとの執念が、元明天皇擁立をもたらしたのです。  

以上の四方五代の天皇は、激しすぎる古代の政争のゆえに、擁立されました。繰り返すが、全員が未亡人で再婚していません。  

元正天皇の時代は、皇族どうしの結婚が普通でしたが、それでも遠慮されました。配偶者の皇族が権力を持つのが警戒されたからです。  

称徳天皇は、愛人と噂された道鏡が皇位につこうとし、国を挙げての大騒動になりました。我が国の歴史において、明確に天皇になろうとの意思を示した民間人は、道鏡ただ一人です。ここに、女帝は生涯独身か未亡人の不文法が確立しました。そもそも、江戸時代まで850年間、女帝が絶えます。  

道鏡

明正天皇は、父・後水尾天皇の政治的意思で即位させられました。明正天皇の母は徳川和子、二代将軍・秀忠の娘である。後水尾帝と秀忠は激しく対立し、帝は抗議の意味で明正天皇に譲位されました。

それがなぜ、抗議になるのか。明正天皇は、皇室の先例(不文法)により、生涯独身を余儀なくされるからです。結果、秀忠の曾孫が天皇になることはできなくなります。明正天皇は、わずか五歳で即位し、十九歳で譲位されました。その間、後水尾上皇の院政が敷かれ、女帝にはなんの実権もありませんでした。そして最後は尼となり、七十四歳の生涯を閉じます。政治に翻弄された人生でした。  

後桜町天皇は、宝暦事件などで緊迫していました、朝廷と幕府が絡んだ複雑な政治対立を緩和するためだけに擁立されました。そして後桃園天皇の若すぎる崩御も乗り切り、光格天皇を支え続けました。

なお、光格天皇は現在の皇室の直系の祖先です。そして七十四歳まで静かに暮らされました。後桜町院は、皇室と日本国の繁栄のために女の幸せを自ら捨て、その私心のない姿が国母として尊敬されました。

上で述べてきたことも知らずに、「愛子様が天皇になってほしい」と願うのは勝手です。では、どの先例を、吉例とするのでしょうか。愛子内親王殿下にふさわしい先例とは、ドいずれでしょうか。

過去の女帝は、八方とも苛酷な人生を歩まれたことを知ったうえでも、まだ言うのでしょうか。皇室の先例、不文法に従えば、愛子内親王殿下が御即位されるとあらば、生涯、独身を通さねばならないのです。

 皇室は男系絶対であり、男性排除の論理で成立しているからです。仮に愛子内親王殿下が民間人の男性とご結婚されたとしよう。その民間人が皇族、そして天皇になれば道鏡そのものです。我が国の歴史で一度も存在しなかった事態です。

またその民間人の男性との間に生まれた子供が皇族、そして天皇になっても未曽有の事態です。そんなものが許されるなら、「天皇に娘を嫁がせて、その子供を天皇にする」などというメンドクサイ摂関政治は不要だったはずです。

徳川秀忠だって同じことをしようとしたのですが、皇室の不文法の前に敗れたのです。  男系絶対とは、皇室の血をひかない民間人を排除する原理なのです。ちなみに女性は必ずしも排除されません。今の皇后陛下は正田、皇太子妃殿下は小和田の苗字の民間人でしたたが、いまでは皇族となられています。

古くは、藤原光明子が光明皇后となられた先例に遡ります。だから、女性差別どころか、男性排除なのです。 女系は先例がないので、論外です。絶対に不可です。

 女帝は先例があるので、絶対に反対とまでは言わないですが、無理やり推進する話でもありません。 愛子内親王殿下は過去八方と同じく、男系女子であり、資格はあります。

現在の典範が女帝を禁止しているなら、典範そのものを改正すればよいです。明治につくられたたかが百数十年の歴史しかない典範よりも、皇室の不文法である古代よりの先例が優先するのは当たり前です。 

では、生涯独身で通していただくのでしょうか。 実は、一つだけ方法があります。皇族の男性と結婚されることです。現時点では悠仁親王殿下だけが有資格者です。いとこ婚は生物学的には問題ないですが、無理やり推進する話ではありません。

あるいはダグラス・マッカーサーに無理やり皇族の資格をはく奪された旧宮家の子孫である旧皇族の方々から適切な方を探し出してくるか。 皇族のご結婚は国家の大事なので、非礼不敬を承知で申し上げました。 

しかし、「女帝に賛成か反対か」と問うならば、これは絶対に避けて通れない問題である。 何よりも大事なのは、現在の皇統は、幼き悠仁親王殿下お一人にかかっています。  何よりも肝要なのは、殿下が御即位される際に、帝を支える男性の皇族がどれほどおられるかでしょう。女帝に賛成か反対かなどと、お遊びに興じている暇などないのです。

河野太郎は、以上のことを承知したうえで、女系天皇容認論を述べているのでしょうか。はなはだ疑問です。民間人が天皇になる危険をはらんでいる「女系天皇」と、過去にも存在した、未亡人か一生結婚なされなかった「女性天皇」とは、全く意味が異なります。

安易に「女系天皇」を肯定する人は、物事をあまりに安易に考えすぎていると思われます。

以前このブログにも掲載しましたが、河野氏はカチコチの緊縮派であり、財務省のいいなりの人物です。これと「女系天皇」容認派ということで、石破氏とならび河野太郎氏は時期総理大臣としては、最も不適格であると断言します。

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2017年9月23日土曜日

【WEB編集委員のつぶやき】朝日も民進も「大義がない」とは能天気だ「北朝鮮危機」に決まっているではないか!―【私の論評】真の意味を知らない野党、新聞に大義を語る資格なし(゚д゚)!

【WEB編集委員のつぶやき】朝日も民進も「大義がない」とは能天気だ「北朝鮮危機」に決まっているではないか!


大義について語る三島由紀夫の動画 動画、写真はブログ管理人挿入

「衆院解散に大義がない」。野党や一部マスコミが口をそろえるが、能天気すぎやしないか。

 北朝鮮のミサイルが日本の頭上を2度も飛んでいる。この「北朝鮮危機」にどう対応するかが「大義」に他ならないではないか。

 日本国憲法に「自衛隊」を明記すること、即ち「憲法改正」こそが争点だ。与党に注文したい。その他の些末な公約など要らない。政権の命運をかけ、「一点突破」で勝負すべきだ。

 それにしても「常在戦場」といわれる政治のダイナミズムを久々に見た。15日の金曜日まで「無風」に見えた永田町が、土曜日に激変。北朝鮮に翻弄され、離党、不倫騒動などに気を取られていた党や議員は慌てふためいている。

 衆院の解散・総選挙が10月10日公示、22日投開票の日程で行われる方針が固まった。28日召集の臨時国会冒頭に解散する。

 自民の公約は(1)アベノミクス推進(2)人づくり革命(3)働き方改革(4)北朝鮮対応(5)憲法改正の5項目を重点政策に位置づける(21日付産経新聞)。「憲法改正」では自衛隊の存在明記、教育無償化、緊急事態条項、参院選合区解消の4項目を盛り込むという。

 民進党の前原誠司代表は17日、解散方針について、「北朝鮮が核実験や弾道ミサイルを撃つ中、本気で政治空白をつくるつもりか。学校法人『森友学園』や『加計学園』問題の追及から逃れるための『自己保身解散』だ」と述べ、首相を批判した。朝日新聞の20日付社説の見出しも「大義なき『身勝手解散』」と足並みをそろえた。

 しかし「自己保身」はどちらか国民は知っている。「民共連携」「離党ドミノ」など選挙どころではないのはほかならぬ民進党だからだ。共闘を維持すればさらなる離党者が出かねないし、共闘をやめれば非自民票が分散する。

 民進党の山井和則国対委員長代行は19日、「要はただ単に自分が勝てそうなときにやっておこうと(いうことだ)」と述べたそうだが、「勝てそうなとき」に勝負するのは当たり前だ。

 枝野幸男氏がツイッターで「選挙がないと議席が増えないから、野党にとって解散は歓迎です。厳しい状況ですが、予想を覆し大善戦した英国労働党の例もあります…」と綴ったが、批判一辺倒の前原代表よりも真っ当な意見だ。

 衆院選で主役の一人となる東京都の小池百合子知事は18日、「何を目的とするのか、大義が分からない。国民に何を問い掛けていくのか分かりにくい」と述べたが、「政界渡り鳥」もカンが鈍ったのか「大義が分からない」とはがっかりである。

 その小池氏の人気に頼る国政新党を結成する若狭勝衆院議員は、臨時国会召集前日の27日の結成を目指す。参加する国会議員は6人~9人となりそうだという。

 そしてまたもや古巣・自民に弓を引くのは河野洋平元衆院議長だ。20日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、「権力者側が自分の都合の良いときに、自分の都合で解散するのは果たして良いものか」と苦言を呈した。

 そう言えば、蓮舫前代表は自民党が東京都議選で惨敗した際に「解散・総選挙はいつでも受けて立つ」と強気に話していたが民進党はこうもコロコロ変わるのか。

 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が9月16、17両日に行った合同世論調査では、安倍晋三内閣の支持率は50・3%となり、5月以来4カ月ぶりに5割を回復した。政党支持率でも自民党は38・0%で前回から5・0ポイント上昇しており、“追い風”となりそうだ。民進党が6・4%で0・5%下落した。

 核実験や弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮を脅威に感じていると回答した人は84・7%に上った。北朝鮮が日本をミサイル攻撃した場合に発射基地を攻撃する「敵基地攻撃能力」についても保有すべきだと思うとした人が53・8%と過半数に達した。

 また、憲法9条の戦争放棄や戦力の不保持といった現行条文を維持した上で自衛隊の存在を明記する憲法改正案については、「賛成」が59・2%と「反対」の32・0%を2倍近く上回った。国民の冷静な認識を知っておくべきだ。

 公明党の山口那津男代表は21日の記者会見で、野党が冒頭解散に反発していることには「政権を奪おうという立場からすれば、むしろ野党から早く解散しろとの要求があってもいい」と批判したが、野党の皆さんはどう聞くか。

 これから戦う相手にこうたしなめられたのでは「戦わずして負け」に思えてならない。

 安倍首相は25日に記者会見を開く。国民に向けて丁寧に、そして「自己保身」でも「身勝手」でもない解散であることを示して欲しい。この記者会見の内容が分かり易いかどうかで衆院選の行方が決まる。

(WEB編集チーム 黒沢通)

【私の論評】真の意味を知らない野党、新聞に大義を語る資格なし(゚д゚)!

三島由紀夫氏 自宅にて
野党も、新聞も「大義」という言葉をあまりにも軽々しく使っています。冒頭に掲載した動画の中から、三島由紀夫の語る大義を以下にまとめます。
武士は、普段から武道の鍛錬はいたしますが、なかなか生半可なことでは、戦場の華々しい死、なんてものはなくなってしまった。そのなかで、汚職もあれば社用族もあり、今で言えば、このアイビー族みたいなものも、侍の間で出てきた時代でした。 
そんななかで『葉隠』の著者は、「いつでも武士というものは、一か八かの選択のときには、死ぬほうを先に選ばなければいけない」と口をすっぱくして説きましたけれども、著者自体は、長生きして畳の上で死んだ、とあります。 
そういうふうに、武士であっても、結局死ぬチャンスがつかめないで、「死」ということを心のなかに描きながら生きていった。そういうことで仕事をやっていますときに、なんか、生の倦怠(けんたい)と言いますか、ただ人間が「自分のために生きよう」ということだけには、いやしいものを感じてくるのは当然だと思うのであります。 
それで、人間の生命というものは不思議なもので、自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬ、というほど、人間は強くないんです。というのは、人間はなんか理想なり、何かのためということを考えているので、生きるのも、自分のためだけに生きることには、すぐ飽きてしまう。 
すると、死ぬのも何かのため、ということが必ず出てくる。それが昔言われていた「大義」というものです。そして「大義のために死ぬ」ということが、人間のもっとも華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方だというふうに考えられていた。 
しかし、今は大義がない。これは民主主義の政治形態ってものが、大義なんてものはいらない政治形態ですから当然なのですが、それでも、心のなかに自分を超える価値が認められなければ、生きてることすら無意味になる、というような心理状態がないわけではない。
三島由紀夫氏は、現代は大義がないとしています。この意味するところは何なのでしょうか。これを考えるのに役立つ考え方があります。それは、経営学の大家ドラッカーの目的あるいは目標に対する考え方です。

ドラッカー氏は以下のように述べています。
公的機関は実現可能な目標をもたなければならない。(『イノベーションと起業家精神』)
たとえば、国連や国の機関の目標は空腹の根絶ではなく、飢餓の減少でなければならないとドラッカーは言います。

公的機関は実現可能な目標を必要とするといいます。やがて達成したといえる実現可能な目標を必要とするといいます。

実現が不可能であってはならない。正義の実現は永遠の課題とすべきものである。いかに控えめにいっても、正義が完全に実現することはありえないといいます。

目標は大義ではなく、費用効果にかかわるものとしてとらえなければならないとしています。いかに努力しても達成できない目標は、目標として間違っていると考えるべきであり、目標を達成できないからといって、さらに努力すべき理由としてはならないとしています。

空腹の根絶という大義と、目標とは異なり、大義自体は費用効果には無関係ですが、目標は費用効果に関わるものという違いがあるということです。

目標を達成できないということは、公的機関の多くが考えるところとは逆に、目標そのものの有効性を疑うべき理由とすべきでなのです。

公的機関は個々のプロジェクトではなく、目的そのものに的を絞らなければならないのです。個々のプロジェクトは目的のための手段です。一時のものであり、短命のものと考えなければならないのです。

また、正義と公正を求めるあまり、ばらまきに陥ることのないよう心しなければならないとしています。
いつになっても目標を達成することができなければ、目標そのものが間違っていたか、あるいは少なくとも目標の定義の仕方が間違っていた可能性のあることを認めなければならない。(『イノベーションと起業家精神』)
ドラッカー氏は以上のことを公的機関を例にあげて述べていますが、 これは政党などのいわゆる非営利組織には十分あてはまるものと思います。

選挙などは、公的機関でいえば、個々のプロジェクトに過ぎないものです。政党も、個々の選挙などではなく、目的そのものに的を絞らなければならないのです。選挙は目的のための手段です。一時のものに過ぎないのです。

そうして、政党もその時々で具体的な目標を持たなければならないのです。いつになっても目標を達成することができなければ、目標そのものが間違っていたか、目標の定義の仕方が間違っていた可能性があることを認めなければならないのです。

この文脈からすると、選挙に大義を求めるのは間違いです。そんなことよりも具体的な目標、票読みが必要なのです。大義が必要なのは、政党の使命を考えるときです。政党の使命を考え、目的、その時々での目標を具体的に定めることにより、具体的な行動が決まります。

2016年の参院選
与党としては、このように具体的な行動計画が決まった後に、選挙の日程も決めて、個々の選挙にも具体的な目標を定めて、具体的な行動計画に落としていくべきなのです。そうして、自民党はこのようなことを実施しつつあるのだと思います。

野党の立場とすれば、与党と違い自ら選挙の日程を変えることはできませんが、具体的な行動計画が定まっていれば、その行動計画を修正しつつ、選挙という短期ブロジェクトを乗り切るということになります。

この大義に関しては、文筆家の古谷経衡氏も興味深いツイートをしています。
日本では、中国や北朝鮮などととは異なり、選挙が行われます。これにより、政権与党や総理大臣は、強力な統治の正当性を主張することができます。しかし、中国や北朝鮮なのでは、選挙がないため、もともと習近平政権や北朝鮮の金正恩政権は、統治の正当性が脆弱です。

だからこそ、日々血みどろの権力闘争を行い、統治の正当性を高める努力をしなければならないのです。金正恩はそのために、自分の兄を殺害しています。

殺害された金正男氏
日本では権力闘争のかわりに、民主的な手続きである選挙があるわけです。

無論日本でも、選挙という民主的手続きを経て、政権与党や総理大臣になったとしても、国民から信頼を得られなければ、統治の正当性を失い、次の選挙で負けることになります。

統治の正当性を得るための唯一の手段である、選挙に対して、大義を問題とする野党、新聞は異常です。そもそも、大義の意味を取り違えています。選挙のたびに決まり文句のように「大義、大義」と唱える、新聞、野党に大義を語る資格はありません。

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