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2018年1月31日水曜日

【メディア政争】大新聞・朝日は一体、どうしたのか “弱者”の声に過剰反応、司法訴え言論で勝負せず―【私の論評】森友・加計事件は、朝日による「安倍疑惑」という大きな捏造である(゚д゚)!


朝日新聞本社
 朝日新聞は昨年末、『徹底検証「森友・加計事件」-朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』で名誉を傷つけられたとして、著者で文芸評論家の小川榮太郎氏と、発行元の飛鳥新社を東京地裁に提訴した。


 天下の大新聞が、こう言っては悪いが一介の物書きと、朝日新聞から見れば零細企業に過ぎない出版社を訴えたことに驚いた。賠償請求額が5000万円というケタ外れぶりにもびっくりした。

 これで、朝日新聞を批判する言論の一部は確実にしぼむ。勝ち負け以前に、個人の著者や中小出版社には裁判を戦うだけでも大きな負担だ。うっかり朝日新聞を批判して訴えられたらたまらないと、口をつぐむ論客は今後増えるだろう。

こうして、「自主規制の空気一丁上がり」となるのは、朝日新聞がよくいう「多様な言論」に逆行する道ではないか。

 疑問を感じた私は、同じ飛鳥新社が発行している『月刊Hanada』(3月号)に、「これは典型的なスラップ訴訟だ」と題する一文を急ぎ寄稿した。詳しくは同誌を購読いただきたい。

 スラップ訴訟とは、大企業や公的機関などの「社会的強者」が、個人などの権力を持たない「弱者」を訴え、その言論や活動を封じようとする恫喝(どうかつ)的、威圧的な訴訟を指す。

 一体、朝日新聞はどうしてしまったのか。

 権力の監視役を自任し、総理のクビもとれる力を持っていた大新聞が、小川氏や飛鳥新社といった「弱者」の声に、なぜこれほど過剰反応するのか。権力と対峙(たいじ)する言論機関である朝日新聞が、なぜ言論で勝負せず、司法という「権力」に助けを求めるような挙に出たのか。

 そのあたりの心理は、今後じっくり解明していきたい。

 その前に、小川氏が著書で指摘した中で、昨年の国会審議の大半を費やした「モリカケ騒動」のポイントとなった、一本の記事の真相が、司法の場で明らかにされるかどうかが気にかかる。

 昨年5月17日、朝日新聞1面トップを飾った「加計学園の新学部『総理のご意向』 文科省に記録文書」という記事である。記録文書の写真が添えられていたが、一部だけにスポットが当たって周囲が暗く、いかにも「秘密の文書」感たっぷりの演出がされていた。

 だが、暗くてよく読めない部分には、「『国家戦略特区諮問会議決定』という形にすれば、総理が議長なので、総理からの指示に見えるのではないか」と、真逆の意味にとれる記述があったのだ。小川氏はこのあたりを著書で指摘している。

 仮に、小川氏の指摘が正しければ、いずれ朝日新聞に対し、当該記事が空転させた国会の審議時間や、それに伴って浪費された国費の賠償をという、国民からの訴えが起きてもおかしくないと思うが、いかがか。

 ■有本香(ありもと・かおり) ジャーナリスト。1962年、奈良市生まれ。東京外国語大学卒業。旅行雑誌の編集長や企業広報を経て独立。国際関係や、日本の政治をテーマに取材・執筆活動を行う。著書・共著に『中国の「日本買収」計画』(ワック)、『リベラルの中国認識が日本を滅ぼす』(産経新聞出版)、『「小池劇場」の真実』(幻冬舎文庫)など多数。

【私の論評】森友・加計事件は、朝日による「安倍疑惑」という大きな捏造である(゚д゚)!

朝日新聞社は「事実に基づかない内容で本社の名誉や信用をいちじるしく傷つけた」として小川氏と飛鳥新社に対し5,000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求める訴えを東京地方裁判所に起こしました。訴状によれば、謝罪広告は「朝日・読売・毎日・日経・産経・東京」の各紙において「社会面記事下、横9cm、縦2段」など掲載条件まで指定されています。

朝日新聞は12月25日に提訴を報じた自社記事の中で広報担当執行役員の談話を紹介していますが、「事実に反する記載が数多くありました」「本社には一切取材もないまま、根拠もなく、虚報、捏造、報道犯罪などと決めつけています」と非難した上で「事実に反した誹謗・中傷による名誉毀損の程度はあまりにもひどく、言論の自由の限度を超えています」として「やむを得ず裁判でこの本の誤りを明らかにするしかないと判断しました」と提訴に至った理由を説明していました。
これに対し小川氏も12月25日深夜にFacebookを更新し「訴状の初見の印象からの簡単なコメントをまず発表します」と反論しており、前述の執行役員の言葉に対しては「笑止千万とはこのこと」と一笑に付し、裁判に訴える手法を選んだ点について「自説を証明できる膨大な紙面と圧倒的な読者数を誇る朝日新聞社の取る道としてあってはならぬ最悪の邪道と言う他ありません」と呆れると共に、訴状についても小川氏が12月5日に送付した朝日新聞社への回答を「ほぼ全く踏まえていません」と指摘しています。
小川氏は朝日新聞からの質問に「全て丁寧に反論しています」と主張、朝日新聞側が今回「具体的にどう違うか指摘し訂正を求めましたが(中略)応じませんでした」としている点について「私との言論戦から逃げて、まるで私がろくな回答をせず不誠実な対応をしたかのような印象操作の上で、訴訟を挑んできた」と非難、今回の提訴に対しては「裁判は当然徹底的に受けて立ちますが」「朝日新聞が社会的に決して逃れられない形で訴えてゆく所存です」と語っています。
また、小川氏は投稿の中で慰安婦報道問題など複数の朝日新聞報道問題を挙げ「再三にわたる『言論の自由の限度を超えた』捏造」と指摘、これらを「なかったかのようにしておきながら」「巨額の賠償請求訴訟を起こすことは自由社会を破壊する言論弾圧に他なりません」と朝日新聞側の姿勢を厳しく批判すると共に今回の提訴によって「言論人の中には、朝日新聞を批判することが訴訟リスクを含むと考え、批判を手控える方も出てくるのではないでしょうか」と懸念を示していますが、朝日新聞に対しては既に数多くの批判が出ており、複数の著名人からも苦言が呈されています。
自民党の山田宏参議院議員は「『○○猛々しい』とは、朝日のこういった姿を言う」、産経新聞の阿比留瑠比氏も「いくらでも反論できる紙面を持ちながら、個人の言論への嫌がらせのよう悪質な手法をとるとはね…。最低ですね。」、またジャーナリストの有本香氏も「越えてはならない一線を越えたと思う」とした上で「社内の人達はこれをよしとしているのかねえ」と疑問を添えています。
評論家の石平氏は今回の提訴を「戦後70数年の偏向報道に対する日本国民の戦い」と位置づけており「小川さんの著書を一人一冊ずつ買って読もう」と呼びかけ。著書購入は小川氏の秘書も「この機会にご購読を!」「読んでご判断を!」としていますが、同時に小川氏のTwitterアカウントでは小川氏が理事長を務める日本平和学研究所へのサポートを呼びかけるツイートを再投稿しました。
小川氏は12月26日の午前にも当日の朝日新聞紙面を添付する形で再びFacebookに投稿を寄せており、「彼らには社会的な責任を取らせます」「朝日は自滅へのパンドラの箱を開けてしまいました」と述べています。
朝日新聞の言い分は不可思議です、たとえば朝日新聞のコラム「素粒子」一つとっても大問題です。例えば、「首相を侮辱すれば私人を証人喚問。首相夫人の説明を求めたら採決強行。内閣支持率が53%あるからいいのだと」。全く因果関係のないものを関係づけています。

「安倍晋三記念小学校と書いてあったか。財務省が出した黒塗りの書類。『ずぶずぶ』で品が悪けりゃ癒着と言おう」。「安倍晋三記念小学校」は全く事実と違います。 

安倍晋三首相は昨日の衆院予算委員会で、立憲民主党の川内博史氏への答弁で、森友学園が「安倍晋三記念小学校」の校名を記した設置趣意書を財務省に提出したとの朝日新聞の昨年5月の報道について「真っ赤なうそだった」と重ねて批判しました。朝日の報道を前提に議論され、疑惑が広がったとの認識も示しました。

朝日放送はイメージ画像として「安倍晋三 記念小學院」の画像を報道した
首相は、森友学園が財務省に提出した小学校名は「開成小学校」だったと説明。朝日の報道を根拠に「忖度(そんたく)されたのではないかと(国会で)質問されたが、そうではなかった」と強調しました。

首相は昨年11月の衆院予算委でも朝日新聞の当時の記事を取り上げ、学園前理事長の籠池泰典氏の話を「うのみにした」と批判していました。

 朝日がこんなむちゃな非対称的な状況で個人や弱小出版社を訴える姿を見ていると、「安倍政権は安倍首相夫妻への重大な人権侵害に対し、きちんと提訴せよ」と言ってやりたくさえなります。


「徹底検証『森友・加計事件』朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」著者の小川榮太郎氏が1月25日、訴訟に関する特設サイトを公開しました。

これは小川氏と小川氏が理事長を務める日本平和学研究所が開設したもので、URLは「asahislapp.jp」。サイト名は「朝日新聞5000万円訴訟の記録」となっています。


コンテンツは「私たちの主張」「5000万円訴訟の経緯」「朝日の代表的な過去の事例」と共に「本の贈呈運動」として全国の朝日新聞販売店に対し「徹底検証・・・」をプレゼントする運動についてのページが含まれています。

プレゼント運動は「徹底検証・・・」を購入し、朝日新聞の販売店に郵送または手渡しで書籍を「プレゼント」、その後サイト上で報告するという流れで、小川氏側では報告のあった販売店を公表していくとしており、「この活動で発生した印税につきましては、著者の収入とせず、然るべき団体に寄付します」と明記されています。

小川氏は「asahislapp.jp」上で朝日新聞による提訴を「言論機関による言論封殺」「こんな裁判を認めては、今後の日本の『言論の自由』は大幅に制限される」と訴えており、「私たちは、これは『スラップ訴訟』であると考えます」と主張しています。

また「朝日の代表的な過去の事例」を紹介したページでは朝日新聞による過去の誤報がまとめられており、サンゴ事件や慰安婦報道問題なども紹介されています。

サイト開設について小川氏はFacebookで「今後、裁判の経緯や有識者の見解など更新してまいります」としており、同時に現在「徹底検証・・・」の新聞広告が各新聞社から拒否されているとしてこのように協力を求めています。

小川氏は、"私は新聞各社に対しては、民事訴訟での一律な広告掲載拒否を見直すよう強く主張するとともに、新聞広告が出せない状況で国民に広く「森友加計の安倍疑惑が朝日主導の捏造だったこと」を知らせる輪を広げていただきたいと切望します。"と語っています。

今回の森友・加計事件は、朝日による「安倍疑惑」という大きな捏造(ねつぞう)です。これをあいまいにしたまま、小川氏による名誉毀損(きそん)案件としてごまかすことは絶対に許されません。

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2017年11月14日火曜日

フェイクニュースにいかに対処するか―【私の論評】マスコミや野党は、全体主義的手法を用いることはもうやめるべき(゚д゚)!

フェイクニュースにいかに対処するか

朝日などのリベラル系マスコミの「報道しない自由」は偏向報道だ


米ハワイで、日本に向かうため大統領専用機に乗り込む際に手を振る
ドナルド・トランプ米大統領(2017年11月4日撮影)
 今年の新聞週間の標語は「新聞で 見分けるフェイク 知るファクト」であった。この標語からも今年の流行語に「フェイク」は「忖度」と共に選ばれる資格があるであろう。

 フェイクは米国の大統領予備選時に、ドナルド・トランプ氏の言動をCNNやニュヨーク・タイムズなどのリベラル系マスコミが悪意的に報道したことに対して、トランプ氏が「フェイク・ニュース(偽記事)」だと反撃したことで表舞台に華々しく登場してきた感がある。

 日本では通常国会の終盤で加計問題が浮上し、「行政が歪められた」という前川喜平氏の発言や野党の追及だけが大々的に報道され、誘致当事者の「歪められた行政が正された」という証言はほとんど報道されなかった。

 こうしたことから「報道しない自由」が「編集権を盾に都合の悪い情報は報道しないメディアを嘲笑するネットスラング(用語)」(宮脇睦「ネットバスターズ」『正論』2017年9月号所収)として話題になった。

 マスコミが恣意的に印象操作して「火のないところに煙を立てる」フェイク・ニュースを作り出すのであれば、「正確と公正」などを掲げる新聞倫理綱領や公正中立を旨とする放送法に違反する。

第1次大戦で出現した宣伝戦

戦争プロパガンダでは敵の残虐性を強調し、自国の軍隊は国民のためはもちろん、他国の民衆をも救うためにも活動し、残虐行為など行うはずもないという好印象を植えつける。

 第1次世界大戦では宣伝戦が大々的に活用された。その1つに、敵が捕虜の指を切り落とす残虐行為を行っているとの報道もあり、帰還兵たちは出迎えた人たちに指を出して「自分の指はあるよ」とVサインして見せた。ヴィクトリーのVに通じていることは言うまでもない。

第一次世界大戦中のドイツの徴兵用のポスター
写真はブログ管理人挿入 以下同じ
 フランクリン・ルーズベルト大統領は米国を第2次世界大戦に参戦させないことを公約して3選された。しかし、英国の苦戦を見かねた大統領は米国世論を参戦に誘導する。ドイツ挑発に失敗した大統領は日本を参戦させるように動く。

 日華事変では蒋介石を支援して宣教師を中心に反日宣伝戦に協力。国民党軍の戦いぶりを見た米国人ジャーナリストが「蒋介石はプリンターで戦っている」と書いたように、国民党軍はフェイク・ニュースを垂れ流して戦局を有利にする戦いを展開した。

 中国から帰米後、日華事変に関わる中国発の対日情報がフェイクであることを米国人に訴える努力をした上記ジャーナリストや元駐中国外交官らは、日米戦争が始まると「妨害者」として収監される。

 中国発のフェイク・ニュースがルーズベルト政権にいた200人を超す共産主義スパイによって拡大・拡散され、米国民を参戦に導き、また戦意を向上させるために使われたのである。

 戦闘行為の一環としての南京事件が「南京大虐殺」として今日世界に拡散するのも、東京裁判などにおける米国人宣教師たちのフェイク情報に負うところが大きい。

米国宣教師マギーにより撮影されたとされる、南京虐殺当時の南京市民の写真
多く女性が平静であるようにみえる、特に最前列の女性は満面の笑み。
 米国内では日本の南進に抗議して鉄屑など必需品の日本への輸出を禁止し、最後には血の一滴と称された原油の全面禁輸に踏み切る。「窮鼠猫を噛む」状況に追い詰められた日本はパール・ハーバー攻撃を行う。

 資源小国であった日本は原材料の輸入が制限されては付加価値を生む製品が作れないし、石油がストップされては国家機能が麻痺してしまう。

 ダグラス・マッカーサー元帥が解任され帰国後に議会で証言したように、「(日本は)安全保障上の必要」からABCD(米英中蘭)包囲網を打開する必要性に迫られ、やむを得ず開戦に踏み切ったのだ。

 しかし、戦争挑発人の大統領は日本が宣戦布告もしないで奇襲攻撃を仕かけたとするフェイク・ニュースを流し、「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に米国民を戦争へ駆り立てた。

 「リメンバー・パールハーバー」はスペイン領フィリッピンを手に入れるために米兵が乗ったメーン号をスペインが爆破したように見せかけ、「リメンバー・メーン」を呼号して米国民を米西戦争に導いた43年前の再現であった。

 こうした宣伝戦は開戦や戦勝を勝ち取る手段で、年月を経て歴史家などがフェイクであったことを明らかにしてきた。

 しかし、中国の宣伝戦は日本を「悪徳国家」に落して、自国を倫理的に優位な立場に置き、共産主義の素晴らしさを人民に見せる建前上、一過性で終わらない。

戦争をプレイアップしたマスコミ

『朝日新聞の戦争責任』(安田将三・石橋孝太郎共著、太田出版、1995年8月刊)を読むと、「当時から日本を代表する(朝日)新聞」が「いかに虚報と偏向報道に明け暮れ、国民を戦争に導いたか」が分かる。

 本書は『読んでびっくり 朝日新聞の太平洋戦争記事』としてリヨン社から前年7月発刊され、版を重ねるが4か月後に朝日新聞社から著作権を理由に抗議され、絶版となる。

『読んでびっくり 朝日新聞の太平洋戦争記事』の表紙
 そこで著者は編集方法に工夫を凝らして改訂・再編集して上梓する。著者は「(朝日新聞が)戦争を美化、正当化し、国民の戦争熱を煽っている」状況を、記事そのものを通じて読者に伝えたかったと語り、あえて初版本の復刻版と呼んでいる。

 当時は戦争に悪影響を受ける部分は削除や書き換えるなどの検閲があり、統制を受けていた。

 しかし「統制を受ける前に、自発的に先回りして、統制側が望んだものよりも進んだ、より激しい戦争遂行、戦意高揚を説く記事を載せたらしいことが、記事を読めば伝わってくる」とも書いている。

 これは今日言うところのフェイク・ニュースであり、朝日が戦前・戦中、権力機構にいかに寄り添い、多くの日本人を死地に送り込んだかの証しでもある。だから、著作権を理由に、絶版に追い込んだとみられる。

 その朝日新聞は今や人権擁護、反戦反安保で護憲のエース格とみられている。慰安婦問題では意に反する強制連行をしたとして32年間も日本を難詰し続けてきた。

 しかし、「強制連行」がフェイクであることが分かると、「強制性」があったとする主張に替え、慰安婦像や慰安婦碑が世界に拡散する大本を作った。

 朝日は元記者の長谷川煕氏が言うように、共産党員でなければ朝日の記者に非ずといった雰囲気の中で読者を伸ばしてきた新聞であるから、当然の報道姿勢かもしれない。

 日本新聞協会は創立(昭和21年)に当って新聞倫理綱領を定めたが、環境が激変した中で21世紀にふさわしい規範として平成12(2000)年に新しい倫理綱領を制定した。

 新綱領の前文では「国民の『知る権利』は民主主義社会をささえる普遍の原理である。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである」(概要)と述べ、本文においては、「自由と責任」「正確と公正」「独立と寛容」「人権の尊重」「品格と節度」の5項目を掲げている。

 新聞の責務の大なることを綱領で謳いながら、正確でも公正でもなく、人権を蹂躙し、また日本の品格と日本人の名誉を貶めるフェイク・ニュースを流し続けることは、国家の崩壊につながりかねない重大事である。

都議選や倒閣に多用されたフェイク報道

都議選時(今年7月)の小池百合子東京都知事は国政にも大きな影響をもたらす存在であった。そこで、安倍一強を好ましく思っていなかった多くのマスコミが小池氏の影響力の極大化に尽力したことは言うまでもない。

 小池氏が知事就任直後のあいさつ回りで、自民党の都議会議長に握手を拒否されたとする映像が流された。

悪手拒否があったとされた、フェイク報道のキャプチャー画面
 都議選で自民党が惨敗した翌日のTBS「ひるおび!」がこの映像を流し、キャスターがこうした態度が(自民党)惨敗の理由の1つだとして、「握手ぐらいすればよいのに」と嘲笑する。

 しかし、前出『正論』によると、ネット民の検証で、実際は握手をしていることが判明しており、「同番組は握手をする直前と直後の映像をつないで放映」したのだ。


 宮脇氏は「TBSの報道ぶりは酷すぎる」と批判しているが、これは「報道しない自由」ではなく「捏造」である。

 野党は安保法案を「戦争法案」と喧伝し、テロ準備罪の法案審議では「喫茶店で話し合っただけで(犯罪者に仕立てられる)」かのように恐怖心を煽った。視聴者受けを狙った言い掛かり質問もいいところで、フェイク報道と言っていいだろう。

 野党が目指すのは安倍一強政治の打破であり、そのために「女の壁」をつくり、それを「強行採決」で突破する「暴走内閣!」に仕立てた。それでも、国民の間には安保法制やテロ準備罪も必要不可欠な法律との認識が強く、成立した。

女の壁=馬鹿の壁?
 しかし、加計学園の獣医学部新設問題が政府・自民党に与えた影響は大きかった。

 ほとんどのメディアが前川氏の発言を写真入り、スポーツ紙並みの大活字で取り上げた。朝日や毎日系の新聞テレビは「報道しない自由」を偏向報道に置き換えてフェイク報道をし続け、国民に誤った印象を与えて恣意的に安倍一強に打撃を加え続けた。

フェイク報道をした朝日新聞
 当事者であり、安倍第1次政権以前から誘致してきた元愛媛県知事の加戸守行氏は「取材は沢山きたが、都合の良いところだけ使われた」と語った通りで、こと加計問題では印象操作によるフェイク報道が横行した。

 その流れで、都議選では「報道しない自由」が効果的に活用され、自民党に大打撃与える結果となり、安倍一強打倒への声は非常な高まりを見せた。

夢と消えた共産主義社会

こうした状況下で、北朝鮮の核と弾道ミサイルの脅威が一段と現実味を帯びてきた。しかし、中長期的には中国の野望への対処が重要である。

 中国では汚職が蔓延して貧富の差が拡大し、年間の暴動が20万件以上という報道もあった。習近平総書記が進めた汚職追放が歓迎された。

 さらに運動を進めるためには強大な力が必要である。また貧富の差がなく、皆がひとしく生活を享受できるとするマルクス・レーニンの共産主義が提示する社会は、夢のような世界として期待されよう。

 そのためには歯ブラシ1本、靴下1足という細部に至るまでの国家による計画経済が不可欠である。

 数人の友人や家族においてさえ意見の衝突が起きる人間社会において、数万、数十万の地方自治体や、数百万、数千万の国家において矛盾を生じない方がおかしい。まししてや中国は13億人超の人口を有する国である。

 ちなみに、中国には現在400万人超の死刑囚がいると言われ、日本に換算するとほぼ40万である。戦後日本の実際の死刑は年間2~41人(1952年)であるところからも、社会主義は犯罪者を大量に生み出すシステムにほかならない。

 理論では夢の世界を抱かせた共産主義国家ソ連であったが、現実の過程では地獄の悪夢しか与えることができず、70年余で消滅した。その教訓から中国が学ぶところは大きかったに違いない。

 習総書記が掲げる「中華民族の偉大な復興」という中国夢を実現するためには、「戦争」で破壊をもたらしてはならない。当然ながら世界一の軍事力を背景にしながらも三戦をはじめとした超限戦を駆使して、孫子のいう「戦わずに勝つ」方策を追求することになる。

 「新時代の中国の特色ある社会主義思想」と名づけられた習思想の主な柱は、経済、政治、文化、社会、エコロジー文明の建設を総合的に進める「五位一体」と、小康社会の建設、改革の深化、法による政治、党の綱紀粛正を全面的に進める「四つの全面」とされる。

 反腐敗運動をさらに進め、政治・思想・組織に限ったこれまでの指導から、党政軍民学と東西南北中の一切を指導するとしているから、党による統制強化が一段と図られるということである。

 2012年ハリウッドでリメイクされた映画「1984年」より
 このためには徹底した監視と強力な統制が必要になる。そうした社会が何をもたらすか。すでにスターリン治下のソ連と毛沢東治下の中国で経験されたことではないだろうか。いや、習思想は、さらに統制を強めるという意味ではジョージ・オーウェルの『1984年』そのものの世界に近いかもしれない。

日本の対処

国家の名誉ある存続のためには、時には自衛戦争を含む強硬な態度をとることもやむを得ない場合がある。自衛力の保有は自然権であるが、条文上からは交戦権を認めないので、有効に活用できない。

 これでは脅威が存在する現実の国際社会で主権を行使して生き延びることはできない。

 日本の領土が不法に占拠され、国民が連れ去られる事案はこうした状況下で起きた。日本は9条ゆえに、自分自身で自国の首を絞める主権放棄にも等しい国家に成り下がっていたのだ。

 憲法前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べる。そもそも「平和を愛する諸国民」という認識がフェイクである。

 現実は国益を競う権謀術策の諸国家が存在する。そうした国家を信頼して「安全と生存を保持」するにはただ一つの地球共同体(国家)となる以外にないであろう。現在のところ、地球共同体は仮想世界でしかない。

 憲法の前文を受けて、第9条がある。そこで、現実に生き延びるために解釈改憲を重ねてきた。それでも、矛の部分は米国に依存し、日本は盾の部分だけしか保有していない。

 同盟国相互が信じ合うことは素晴らしいが、国益が衝突すれば同盟が一瞬にして崩壊することは歴史が教えている。

 習総書記の共産党大会における発言を見る限り、一党独裁体制をますます強め、言論の自由は制限され、国内の不満は圧殺されて聞こえ難くなる。

今年の共産党大会で挙手をする習近平
亡命中国人などは、習思想が「世界秩序を破壊し、民主国家を脅かす」とみている。先の党大会では中国に批判的なマスコミが排除された。この一事は今後の予兆であろう。

 特異な社会主義大国を目指す中国に対し、日本は盾と矛をバランスよく備えた「自分の国は自分で守る」意志と能力を備えた自己完結型国家を目指すべきではなかろうか。

 また、日本国民は一向に気にかけていないが、中国は北朝鮮以上の核兵器を保有し、現実に日本を目標にした弾道ミサイルを配備している。中国の大国志向から、日本への(核)ミサイルの脅威が登場しないとも限らない。

 今こそ、掘り下げた「核論議」(核装備ではない)をしておくことが必要ではないだろうか。

 覇権大国を目指す中国は、超限戦を駆使して南京事件以上のフェイク・ニュースで日本に汚名を着せ、また世論を分断して混乱と弱体化を企図するであろう。韓国もフェイク・ニュースで嫌がらせを続けている。

 法の支配は言うまでもないが、自由で民主主義、人権を重んじ、貴賤を区別しない日本であるファクトを世界に発信することが大切である。

 同時に、万葉集の「言霊の幸はふ国」であり、「言葉」に霊力が宿るとして、ファクトを重視する日本であることも再確認する必要がある。

【私の論評】マスコミや野党は、全体主義的手法を用いることはもうやめるべき(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事、結局現在のマスコミのフェイクニュースに関して、全体主義の脅威・危機にについて警鐘を鳴らしているのだと思います。それは、2つの側面があります。一つは、日本の近隣の北朝鮮や中国のような全体主義国家による危機です。もう一つは、マスコミが煽る日本国内の全体主義化の危機です。

特に国内危機としては、マスコミや野党が、自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」であり、「アベ政治を許さない」と言う揺るがない信念をもって報道したり、国会で論戦をしたていることです。しかし、これが多くの日本国民の民意でないなら、自分たちにの価値観の押し付けであり、これが成就すれば、全体主義へ大きく舵をきることになります。

確かに、今回の選挙では結局、与党側が大勝し、マスコミの目指す方向にはならなかったのですが、これは多くの人々がマスコミの価値観を拒否したということです。そうはいいながら、確かに大きな危機でもあったことは間違いありません。そうしてこれには、ネットの力が大きく作用したことはいうまでもないと思います。

もし、ネットが存在せず、多くの人々がマスコミの垂れ流すフェイク・ニュースを鵜呑みにしたとしたら、とんでもないことになっていたかもしれません。

現在では、若い層を中心に、テレビはあまり視聴せず、新聞はほとんど読まず、情報はもっぱらネットからという人が増えています。もし、この状況がなければ、とんでもないことになっていたでしょう。



2000年以前、インターネットを使うためには、まず「電話を掛ける」事が必要でした。常にインターネットを利用できる「常時接続」は大学や企業の研究所だけでした。

家庭では、3分10円の電話代を気にしながらの「ダイヤルアップ接続」が主流でした。事前にメールを書き溜めておき、電話を掛けるとまとめてメールの送受信を実行、その間にせかせかとホームページを見て回り、用事が済むとすぐにネットから切断するような使い方でした。

深夜23時以降に電話料金が定額になる割引サービスの利用者も多かったのですが、その影響で夜はネットが大混雑。電話を掛けてもプロバイダのアクセスポイントの回線が全部埋まっていてネットが利用できません。「話し中」の通知音を聞きながら、リダイヤルを繰り返すのが日課でした。

一方、携帯電話も普及しておらず、家庭の電話は家族共用。ネットの最中に家族がうっかり受話器を上げてしまい、通信エラーで強制切断、など事もよくありました。

私は、パソコン通信の時代からネットを利用していましたが、この時代はもっと悲惨で、ネット上で少し複雑なことや、時間のかかることをしてしまうと、電話代が4万円以上にもなっしまいました。これでは、とてもじゃないですが、ネットが情報源になるというようなことは期待できませんでした。

実際、パソコン通信やインターネットが普及し始めた頃は、私自身テレビや新聞の報道にあまり違和感を抱くことはありませんでした。ネットが普及したばかりの頃までは、私を含めて多くの人が新聞やテレビに相当印象操作をされていたのだと思います。



しかし、それもだんだんと変わってきました。その変化は、最初に携帯電話からおこりました。「通話」のためのものだった携帯電話に、「メール機能」がついたのは20世紀から21世紀に変わる間際でした。

「ケータイのメール」は瞬く間に日本中に広がり、ゼロ年代のコミュニケーションの主役に躍り出ました。とはいえ、携帯電話のエリア整備はまだ不十分で、「電波のいい」場所を探してうろうろする事もありました。

小さな画面、少ない文字数で多くの情報を伝えるために考案された「絵文字」が、大切な気持ちを伝えるための小道具として多用されるようになったのもこの頃でした。

各社が競うように種類を増やした「絵文字」は、その後海外でも注目を集め、いまや「emoji」として世界中で使われるようになりました。振り返ってみると、現在使われているネット上のサービスの多くが、この時代に生まれた考え方を下敷きにしている事に驚かされます。このあたりから、インターネットも常時接続が普及していきました。この頃から、ネットからの情報も豊富になっていきました。今や高齢層しか利用しないとされている「2チャンネル」もこの頃でできました。

iPhone3GS

2010年代に入ったころから急速に普及を始めたスマートフォン。私自身は、iPhone3GSが最初のスマートフォンでした。これは、2009年に発売されています。これは、基本的には今のスマホとほとんど変わりません。私の記憶では、このあたりではまだまだスマートフォンを普及せず、iPhone4でかなり売れだし、iPhone4Sでかなり売れだしたという記憶があります。

これにより、従来の携帯電話にはなかったバラエティ豊かなアプリ・サービスが生まれますが、その背景にはインターネットの技術がありました。この頃に現在のスマホから、様々な情報が入ってくるようになりました。現在の主だったSNSもこの前後にでてきたものです。

従来の携帯電話と比べ高い処理能力を持つスマートフォンでは、スマートフォン自身で高度なプログラムを動かす事ができ、また、直接インターネット上のサーバと通信が行えるようになったのです。

また、スマートフォンは、プラットフォームが世界共通になったという事も大きな出来事の1つです。海外で始まったSNSが日本でも定着し、インターネットの新しい使い方が広がりました。

メールのような1対1のコミュニケーションと、ホームページのような意識的な情報発信の中間のような形で、特に宛先なく気持ちをつぶやき、そしてそれを見たどこかの誰かが「いいね」を返す、そんな緩やかなつながりがインターネットを通して世界を覆うようになりました。

現在のインターネットは格段に使いやすくなった
このような時代では、マスコミや野党が、自分たちの使命は「政権や権力と戦うこと」であり、「アベ政治を許さない」と言う揺るがない信念をもって報道したり、国会で論戦したとしても、自分たちの望む方向に世論を誘導することは難しくなりました。

特に若い世代は、安倍政権を支援するということで、保守化したなどと誤った認識を持つ識者などもいますが、それは間違いであり、若者は単純に雇用が良くなったことを評価しているだけであることをこのブログに以前紹介しました。

多数の若者は、マスコミがいくらフェイク・ニュースを流したとしても、ネット上で、安倍政権が雇用に関して、かつてないほどに改善したことを知ったのです。そうして、その継続を臨んだのです。だからこそ、若者を中心に安倍政権を支持したため、今回の選挙で大勝したのです。

野党、マスコミはそろそろ気づくべきです。どんな組織も、外に永遠に敵を作り続けることはできないのです。外に敵をつくり続けるということでは、韓国も、中国も同じです。

韓国と中国は、歴史の修正を行い、日本を意図して意識して、悪者にしたてあげ、国内での秩序を保っています。というより、そうしなければ、国民の巨大な憤怒のマグマが自分たちに直接向くと、自分たちは崩壊するしかなくなるので、それを日本に向けるようにして、一時しのぎをしているだけです。しかし、それはどう考えても長続きはしません。

野党、マスコミも同じことです。事実の修正(フェイク)で、安倍総理個人、与党を意図して意識して、悪者にしたてあげ、自分たちの存続を図っているのです。

考えてみると、これは全体主義に共通するやりかたです。

ナチスやスターリンなどの全体主義のシステムには最初から大きな欠陥があります。それは以下の三点に集約されます。
・永遠に敵を作り続けなければいけない(外にケンカ売る)
・外部からの資源の調達コストが上がり続ける(外から嫌われる)
・経済が破綻し、戦争に負ける(負けたら終わり)
 ナチスは連合軍を始め世界の大半を敵に回したため、資源の調達のためにポーランドやウクライナなど東欧の侵略をせざるを得ず、戦争の収拾がつかなくなりました。


経済システムの限界、そして独裁者という「絶対的個」はいつか死ぬという避けられないシステム不備があります。しかもそこに、国民個人の自由や幸福の追求はなく、生活水準もどんどん下がっていくことになります。
ナチス党大会
にもかかわらず、ドイツ国民はなぜ全体主義を支持したのでしょうか。
それはその当時代替案がなかったからです。全体主義は、格差と失業に苦しむ民にとっての短期的なソリューションだが、長期的に考えると破滅が待っています。しかし、絶望に苦しむ民にとって「無いよりまし」なのです。
「全体主義は間違っている」と反対しても、状況を変えるのは難しいのです。なぜなら全体主義は民にとって災厄ではなく「ソリューション」であったからです。
まずそのことを認めたうえで、必要なのは「あ、なるほど。そっちの方がより良い」と思える長期的な成功モデルの構築なのです
安倍政権は、長期的な成功モデルとして、金融政策を示して実際に成功しました。さらに、安全保障に関しても、新機軸を打ち出しつつあります。さらに、決して十分とはいえないものの、ここ20年で経済的は最もパフォーマンスが良く、安全保障の面でも高い能力を発揮しています。
しかし、野党やマスコミはそれを示せていません。ただただ「安倍政権を潰す」ことだけを表明するだけです。その後に何があるのか彼らは示しません。これも全体主義的です。全体主義では、具体的なビジョンはなく、既存の体制の批判をドグマ(教義)とします。

ヒトラーもそうでしたし、スターリンもそうでした。習近平もそうです。習近平が今年共産党大会で語ったことには、長期的な成功モデルの片鱗もありませんでした。あの悪名高い、毛沢東(大躍進、文革)や鄧小平(天安門事件)のほうがはるかにましです。

これからも、日本ではインターネットという「長期的な成功モデル」の一つであるインフラがある限り、政治的にも極端に全体主義的な方向に走ることはないでしょう。マスコミや立憲民主党や希望の党などの野党は、全体主義的手法を用いることはもうやめるべきです。そうでなければ、いくら既存の方向で努力したとしても、今回の選挙結果にみられるように衰退するばかりです。

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2017年9月23日土曜日

【WEB編集委員のつぶやき】朝日も民進も「大義がない」とは能天気だ「北朝鮮危機」に決まっているではないか!―【私の論評】真の意味を知らない野党、新聞に大義を語る資格なし(゚д゚)!

【WEB編集委員のつぶやき】朝日も民進も「大義がない」とは能天気だ「北朝鮮危機」に決まっているではないか!


大義について語る三島由紀夫の動画 動画、写真はブログ管理人挿入

「衆院解散に大義がない」。野党や一部マスコミが口をそろえるが、能天気すぎやしないか。

 北朝鮮のミサイルが日本の頭上を2度も飛んでいる。この「北朝鮮危機」にどう対応するかが「大義」に他ならないではないか。

 日本国憲法に「自衛隊」を明記すること、即ち「憲法改正」こそが争点だ。与党に注文したい。その他の些末な公約など要らない。政権の命運をかけ、「一点突破」で勝負すべきだ。

 それにしても「常在戦場」といわれる政治のダイナミズムを久々に見た。15日の金曜日まで「無風」に見えた永田町が、土曜日に激変。北朝鮮に翻弄され、離党、不倫騒動などに気を取られていた党や議員は慌てふためいている。

 衆院の解散・総選挙が10月10日公示、22日投開票の日程で行われる方針が固まった。28日召集の臨時国会冒頭に解散する。

 自民の公約は(1)アベノミクス推進(2)人づくり革命(3)働き方改革(4)北朝鮮対応(5)憲法改正の5項目を重点政策に位置づける(21日付産経新聞)。「憲法改正」では自衛隊の存在明記、教育無償化、緊急事態条項、参院選合区解消の4項目を盛り込むという。

 民進党の前原誠司代表は17日、解散方針について、「北朝鮮が核実験や弾道ミサイルを撃つ中、本気で政治空白をつくるつもりか。学校法人『森友学園』や『加計学園』問題の追及から逃れるための『自己保身解散』だ」と述べ、首相を批判した。朝日新聞の20日付社説の見出しも「大義なき『身勝手解散』」と足並みをそろえた。

 しかし「自己保身」はどちらか国民は知っている。「民共連携」「離党ドミノ」など選挙どころではないのはほかならぬ民進党だからだ。共闘を維持すればさらなる離党者が出かねないし、共闘をやめれば非自民票が分散する。

 民進党の山井和則国対委員長代行は19日、「要はただ単に自分が勝てそうなときにやっておこうと(いうことだ)」と述べたそうだが、「勝てそうなとき」に勝負するのは当たり前だ。

 枝野幸男氏がツイッターで「選挙がないと議席が増えないから、野党にとって解散は歓迎です。厳しい状況ですが、予想を覆し大善戦した英国労働党の例もあります…」と綴ったが、批判一辺倒の前原代表よりも真っ当な意見だ。

 衆院選で主役の一人となる東京都の小池百合子知事は18日、「何を目的とするのか、大義が分からない。国民に何を問い掛けていくのか分かりにくい」と述べたが、「政界渡り鳥」もカンが鈍ったのか「大義が分からない」とはがっかりである。

 その小池氏の人気に頼る国政新党を結成する若狭勝衆院議員は、臨時国会召集前日の27日の結成を目指す。参加する国会議員は6人~9人となりそうだという。

 そしてまたもや古巣・自民に弓を引くのは河野洋平元衆院議長だ。20日、東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見し、「権力者側が自分の都合の良いときに、自分の都合で解散するのは果たして良いものか」と苦言を呈した。

 そう言えば、蓮舫前代表は自民党が東京都議選で惨敗した際に「解散・総選挙はいつでも受けて立つ」と強気に話していたが民進党はこうもコロコロ変わるのか。

 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が9月16、17両日に行った合同世論調査では、安倍晋三内閣の支持率は50・3%となり、5月以来4カ月ぶりに5割を回復した。政党支持率でも自民党は38・0%で前回から5・0ポイント上昇しており、“追い風”となりそうだ。民進党が6・4%で0・5%下落した。

 核実験や弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮を脅威に感じていると回答した人は84・7%に上った。北朝鮮が日本をミサイル攻撃した場合に発射基地を攻撃する「敵基地攻撃能力」についても保有すべきだと思うとした人が53・8%と過半数に達した。

 また、憲法9条の戦争放棄や戦力の不保持といった現行条文を維持した上で自衛隊の存在を明記する憲法改正案については、「賛成」が59・2%と「反対」の32・0%を2倍近く上回った。国民の冷静な認識を知っておくべきだ。

 公明党の山口那津男代表は21日の記者会見で、野党が冒頭解散に反発していることには「政権を奪おうという立場からすれば、むしろ野党から早く解散しろとの要求があってもいい」と批判したが、野党の皆さんはどう聞くか。

 これから戦う相手にこうたしなめられたのでは「戦わずして負け」に思えてならない。

 安倍首相は25日に記者会見を開く。国民に向けて丁寧に、そして「自己保身」でも「身勝手」でもない解散であることを示して欲しい。この記者会見の内容が分かり易いかどうかで衆院選の行方が決まる。

(WEB編集チーム 黒沢通)

【私の論評】真の意味を知らない野党、新聞に大義を語る資格なし(゚д゚)!

三島由紀夫氏 自宅にて
野党も、新聞も「大義」という言葉をあまりにも軽々しく使っています。冒頭に掲載した動画の中から、三島由紀夫の語る大義を以下にまとめます。
武士は、普段から武道の鍛錬はいたしますが、なかなか生半可なことでは、戦場の華々しい死、なんてものはなくなってしまった。そのなかで、汚職もあれば社用族もあり、今で言えば、このアイビー族みたいなものも、侍の間で出てきた時代でした。 
そんななかで『葉隠』の著者は、「いつでも武士というものは、一か八かの選択のときには、死ぬほうを先に選ばなければいけない」と口をすっぱくして説きましたけれども、著者自体は、長生きして畳の上で死んだ、とあります。 
そういうふうに、武士であっても、結局死ぬチャンスがつかめないで、「死」ということを心のなかに描きながら生きていった。そういうことで仕事をやっていますときに、なんか、生の倦怠(けんたい)と言いますか、ただ人間が「自分のために生きよう」ということだけには、いやしいものを感じてくるのは当然だと思うのであります。 
それで、人間の生命というものは不思議なもので、自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬ、というほど、人間は強くないんです。というのは、人間はなんか理想なり、何かのためということを考えているので、生きるのも、自分のためだけに生きることには、すぐ飽きてしまう。 
すると、死ぬのも何かのため、ということが必ず出てくる。それが昔言われていた「大義」というものです。そして「大義のために死ぬ」ということが、人間のもっとも華々しい、あるいは英雄的な、あるいは立派な死に方だというふうに考えられていた。 
しかし、今は大義がない。これは民主主義の政治形態ってものが、大義なんてものはいらない政治形態ですから当然なのですが、それでも、心のなかに自分を超える価値が認められなければ、生きてることすら無意味になる、というような心理状態がないわけではない。
三島由紀夫氏は、現代は大義がないとしています。この意味するところは何なのでしょうか。これを考えるのに役立つ考え方があります。それは、経営学の大家ドラッカーの目的あるいは目標に対する考え方です。

ドラッカー氏は以下のように述べています。
公的機関は実現可能な目標をもたなければならない。(『イノベーションと起業家精神』)
たとえば、国連や国の機関の目標は空腹の根絶ではなく、飢餓の減少でなければならないとドラッカーは言います。

公的機関は実現可能な目標を必要とするといいます。やがて達成したといえる実現可能な目標を必要とするといいます。

実現が不可能であってはならない。正義の実現は永遠の課題とすべきものである。いかに控えめにいっても、正義が完全に実現することはありえないといいます。

目標は大義ではなく、費用効果にかかわるものとしてとらえなければならないとしています。いかに努力しても達成できない目標は、目標として間違っていると考えるべきであり、目標を達成できないからといって、さらに努力すべき理由としてはならないとしています。

空腹の根絶という大義と、目標とは異なり、大義自体は費用効果には無関係ですが、目標は費用効果に関わるものという違いがあるということです。

目標を達成できないということは、公的機関の多くが考えるところとは逆に、目標そのものの有効性を疑うべき理由とすべきでなのです。

公的機関は個々のプロジェクトではなく、目的そのものに的を絞らなければならないのです。個々のプロジェクトは目的のための手段です。一時のものであり、短命のものと考えなければならないのです。

また、正義と公正を求めるあまり、ばらまきに陥ることのないよう心しなければならないとしています。
いつになっても目標を達成することができなければ、目標そのものが間違っていたか、あるいは少なくとも目標の定義の仕方が間違っていた可能性のあることを認めなければならない。(『イノベーションと起業家精神』)
ドラッカー氏は以上のことを公的機関を例にあげて述べていますが、 これは政党などのいわゆる非営利組織には十分あてはまるものと思います。

選挙などは、公的機関でいえば、個々のプロジェクトに過ぎないものです。政党も、個々の選挙などではなく、目的そのものに的を絞らなければならないのです。選挙は目的のための手段です。一時のものに過ぎないのです。

そうして、政党もその時々で具体的な目標を持たなければならないのです。いつになっても目標を達成することができなければ、目標そのものが間違っていたか、目標の定義の仕方が間違っていた可能性があることを認めなければならないのです。

この文脈からすると、選挙に大義を求めるのは間違いです。そんなことよりも具体的な目標、票読みが必要なのです。大義が必要なのは、政党の使命を考えるときです。政党の使命を考え、目的、その時々での目標を具体的に定めることにより、具体的な行動が決まります。

2016年の参院選
与党としては、このように具体的な行動計画が決まった後に、選挙の日程も決めて、個々の選挙にも具体的な目標を定めて、具体的な行動計画に落としていくべきなのです。そうして、自民党はこのようなことを実施しつつあるのだと思います。

野党の立場とすれば、与党と違い自ら選挙の日程を変えることはできませんが、具体的な行動計画が定まっていれば、その行動計画を修正しつつ、選挙という短期ブロジェクトを乗り切るということになります。

この大義に関しては、文筆家の古谷経衡氏も興味深いツイートをしています。
日本では、中国や北朝鮮などととは異なり、選挙が行われます。これにより、政権与党や総理大臣は、強力な統治の正当性を主張することができます。しかし、中国や北朝鮮なのでは、選挙がないため、もともと習近平政権や北朝鮮の金正恩政権は、統治の正当性が脆弱です。

だからこそ、日々血みどろの権力闘争を行い、統治の正当性を高める努力をしなければならないのです。金正恩はそのために、自分の兄を殺害しています。

殺害された金正男氏
日本では権力闘争のかわりに、民主的な手続きである選挙があるわけです。

無論日本でも、選挙という民主的手続きを経て、政権与党や総理大臣になったとしても、国民から信頼を得られなければ、統治の正当性を失い、次の選挙で負けることになります。

統治の正当性を得るための唯一の手段である、選挙に対して、大義を問題とする野党、新聞は異常です。そもそも、大義の意味を取り違えています。選挙のたびに決まり文句のように「大義、大義」と唱える、新聞、野党に大義を語る資格はありません。

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2017年7月12日水曜日

【閉会中審査】朝日と毎日は「ゆがめられた行政が正された」の加戸守行前愛媛県知事発言取り上げず―【私の論評】前川喜平も鼻白む巨大既得権者である新聞・テレビ局(゚д゚)!




衆参両院で10日に開かれた学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設計画をめぐる閉会中審査から一夜明けた11日の朝刊各紙は、官邸の不当な関与を主張する前川喜平・前文部科学事務次官の発言を大きく取り上げた。一方、国家戦略特区として獣医学部設置が認められたことに関し「ゆがめられた行政が正された」などと文部科学省の過去の対応を批判した加戸守行前愛媛県知事の発言については記事で取り上げないところもあり、報道の“印象操作”が浮き彫りとなった。(今仲信博)

朝日新聞は1面トップの記事に「加計ありき 疑念消えず」の見出しで、前川氏の発言を多めに盛り込んだ。「(政府の)説明責任はなお果たされていない」と強調した記事の隣には「『首相信用できない』61%」とする同社の世論調査結果を添えた。

2面では「『丁寧な説明』なき審議」との見出しで、安倍晋三首相らがいなかったことを指摘し、3面では「加計巡り説明不足」と政府側の説明は足りないと断じた。一方、加戸氏の発言は記事では報じず、審査の詳報では加戸氏の発言を引き出した自民党の青山繁晴参院議員の質問を掲載しなかった。

毎日新聞も「加計 論戦平行線」と1面トップで大きく報じる中、加戸氏の発言はなく、これでは地元の獣医学部誘致を文科省などが阻止してきたことが読者には分からない。東京新聞は社会面で加戸氏の発言を取り上げたが、同氏の発言の肝である「ゆがめられた行政が正された」の部分を記載しなかった。

一方、産経新聞と読売新聞、日経新聞は「行政がゆがめられた」と主張する前川氏に対し、加戸氏が「岩盤規制にドリルで穴を開けていただいた。『ゆがめられた行政が正された』が正しい発言ではないか」との発言を記事で取り上げた。

加戸氏は閉会中審査で「今までたくさんの取材があったが、申し上げたいことを取り上げてくれたメディアは極めて少なかった」と訴えていた。

【私の論評】前川喜平も鼻白む巨大既得権者である新聞・テレビ局(゚д゚)!

「青山繁晴」氏の参考人質問と、それに対する元文科省官僚で前愛媛県知事の「加戸守行」の参考人発言の動画全編を以下に掲載します。

ソース:参議院文教科学委員会、内閣委員会連合審査会(2017年7月10日)
青山繁晴(自由民主党こころ)、前川喜平(参考人 前文部科学事務次官)、加戸守行(前愛媛県知事)


加戸氏は旧文部省OBで、愛媛県知事を1999年から2010年まで3期12年務めた。今治市への獣医学部誘致をスタートさせた「当事者」で、今回の閉会中審査では与党側の求めに応じて参院での審議に参考人として出席しました。

青山繁晴氏
自民党の青山繁晴議員の質問で答弁に立った加戸氏はまず、
「10年前に愛媛県知事として今治市に獣医学部の誘致を申請した当時のことを思い出して、はなもひっかけて貰えなかった問題が、こんなに多くの関心を持って頂いていること、不思議な感じがいたします」
と皮肉の効いた一言。続けて、鳥インフルエンザやBSE(牛海綿状脳症)といった感染症対策の充実を大きな目的に獣医学部の誘致に取り組んだが、文科省への申請は一向に通らなかったとして、
「(前川氏の)『行政がゆがめられた』という発言は、私に言わせますと、少なくとも獣医学部の問題で強烈な岩盤規制のために10年間、我慢させられてきた岩盤にドリルで国家戦略特区が穴を開けて頂いたということで、『ゆがめられた行政が正された』というのが正しい発言ではないのかなと思います」と述べた。
加戸守行氏
さらに加戸氏は、四国では「獣医師が確保できない」現状もあったとして、国や専門団体が獣医学部誘致に反対することは「あまりにも酷い」と感じていたと説明。その上で、
「私の知事の任期の終わりの方に、民主党(当時)政権が誕生して『自民党じゃできない、自分たちがやる』と頑張ってくれた。(中略)ところが、自民党政権に返り咲いても何も動いていない。何もしないで、ただ今治だけにブレーキをかける。それが、既得権益の擁護団体なのかと、悔しい思いを抱えてきた」
と声を震わせて訴えました。

このように獣医学部新設をめぐる経過を説明した上で、加戸氏は、自身が訴えてきた獣医師の養成が進まない中で、現在「今治は駄目、今治は駄目、加計ありき」と言われることについて「何でかなと思ってしまう」との不満を漏らした。そして、
「私は、加計ありきではありません。たまたま、今治選出の議員と加計学園の事務局長がお友達だったからこの話が繋がってきて、飛びついた。これもダメなんでしょうか。お友達であれば、全てがダメなのか」
と主張。続く質問の答弁では、「本質の議論がされないまま、こんな形で獣医学部がおもちゃになっていることを甚だ残念に思う」とも述べました。

さらに加戸氏は、加計学園問題をめぐるメディア報道にも不満を漏らしました。これまでに受けた取材について、「都合のいいことはカットされて、私の申し上げたいことを取り上げて頂いたメディアは極めて少なかったことは残念」だと指摘。

その上で、国家戦略特区諮問会議の民間議員が6月13日に開いた記者会見で、加計学園の獣医学部新設のプロセスについて「正当」と結論付けたことを、加戸氏はYouTubeの動画で見たとして、
「これが国民に知ってもらうべき重要なことなんだなと思いました。(中略)あのYouTubeが全てを語り尽くしているのではないかな、と思います」
とも話していました。
加戸氏の発言がメディアの報道で取り上げられるケースが少ないという指摘は、ブログ冒頭の新聞記事の以前から、ネット上で多くの人が指摘していました。実際、自民党の三原じゅん子参院議員は7月11日14時過ぎに更新したツイッターで、
「昨日の閉会中審査の模様が報じられていますが、どの番組も平井卓也議員と青山繁晴議員の質疑はスルー。加戸元愛媛県知事も大事な事話してるのに、、、」
との不満を漏らしていました。

三原じゅん子氏
また、閉会中審査が行われた10日夜に放送された情報番組「ユアタイム」(フジテレビ系)で、番組MCを務めるタレントの市川紗椰さん(30)は、加戸氏の答弁について、
「私が印象的だったのは、加戸前愛媛県知事です。なんか、それがすべてだったのかなって気もした。経緯を丁寧に説明していて、辻褄が合うんですよね、議事録とかを見ると。なんか、いいのかなって、納得しちゃいました」
と好意的に捉えていました。

また、同番組では、国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソン氏が、加計学園をめぐる問題を報じるメディアへの「苦言」を漏らす場面もありました。

モーリー氏は「(加計学園問題は)そもそも様々な観点があるし、メディアは、それを能動的に一番初めに取材できたと思う」とした上で、
「ただどうしても、野党による内閣への追及ということで、ショーアップに加担して尻馬に乗ってしまったように思います。だから下手をすると、今回信頼を失うのは自民党というよりも、メディアが敗者になる可能性があります」
と指摘。続けて、「(メディアは)本来の機能を果たしてこなかったんじゃないか、エンターテインメントと報道を混同してまったのではないか。そう自戒を込めて思います」とも話しました。

こうした発言を受け、市川さんは「この問題について話す人は、目の前にある材料というよりも、安倍総理が好きか嫌いかだけでポジションを取っているような...」との感想を漏らしていました。

情報番組「ユアタイム」(フジテレビ系)で、番組MCを務める
タレントの市川紗椰さん(左)、モーリー・ロバートソン氏(右)
昨日も加計学園に関する記事を掲載しましたが、その記事の結論は以下のようなものです。
私のように、当初から議事録などの情報にあたった側からすると、現在のいわゆる加計問題の野党による追求や、マスコミの報道は、非常に腹立たしいです。ただし、最初はそうだったのですが、最近では腹立たしさなど通り過ぎて、虚脱感すら感じます。

そうでない人にとっても、マスコミの報道や野党の追求をみていても、元々何も問題のないものに関して、問題ありとしているわけですから、かなり無理があり、最初のうちは注目を浴びても、その後はかなりの消化不良気味な状況にあると思います。

野党やマスコミ、こんなことを続けていると、多くの人から完璧に飽きられてしまうか、フェイクであることを見破られ、怒りを買い、視聴率や支持率などをかなり下げてしまうことになるでしょう。
まさに、モーリー・ロバートソン氏の「下手をすると、今回信頼を失うのは自民党というよりも、メディアが敗者になる可能性があります 」ということばとこの結論は同じ方向性を指していると思います。

マスコミは、市川紗椰さんや、モーリー・ロバートソン氏のようなスタンスの人は生き残るでしょうが、そうでない人は敗残者になる可能性が濃厚です。

現在の日本で獣医学部を新設することは重要な成長戦略であるですから、どこかの大学が特区の仕組みを活用して、新設の突破口をつくる必要がありました。加計学園は、福田内閣以来、何度もはねつけられながらも規制改革提案を続けました。

開きかけた岩盤規制の穴がまた閉じられそうになった時点で、加計学園は正当な手続きを踏んで設立申請を行いました。永年続けてきた、既得権による参入規制との闘いを続行したのは、正しい選択だったと私は思います。

過去にも、国交省と総務省に規制緩和を要求して勝ち取ってきたヤマト運輸や、厚労省に対して医薬品のネット販売解禁を勝ち取ったケンコーコムといった会社があります。

このような勇敢な会社は、彼らの成果にタダ乗りした企業に比べて、社会的に大きな賞賛を受けるにふさわしいと思います。加計学園は、官僚の岩盤規制と闘ったヤマト運輸やケンコーコムと同じ社会的役割を果たしました。

岩盤規制に立ち向かっていく事業者と自治体には、大変なエネルギーと時間と行政資源が必要です。メディアがそのような努力を応援せずに、今回の加計学園が突破口をつくる努力を潰す方向に加担してしまえば、どの事業者も自治体も規制改革など要望しなくなります。そうなれば、一番不利益を被るのは国民です。

ヤマト運輸のない生活、ケンコーコムのない生活、獣医学部のない生活など一端、それが設立されて、その便利さ、有り難さを知ってしまえば、誰も元にもどることなどできないはずです。これに反対するような報道をするということ、政治に働きかけることによって利権を得続けてきた前川喜平をはじめとする、既得権者たちが、最も望むことです。

現在のマスコミの本質は、既得権益者を守ることです。それは、今回の加計問題でも顕になりました。

そもそも、新聞はメディアは日刊新聞紙法で守られています。はすごく短い法律で、正式には「日刊新聞紙の発行を目的とする株式会社の株式の譲渡の制限等に関する法律」といいます。名前に書いてあることがこの法律のすべてで、「株式は譲渡されない」ということしか書いていません。これは、新聞の既得権の最大のものと言って良いです。



2015年の11月に、日経新聞が米フィナンシャル・タイムズを買収したことは記憶に新しい。日経新聞が、米フィナンシャル・タイムズの親会社だった英ピアソンから株式を買収して自らのグループに組み込んだのだが、これはごく普通の企業買収と言える。しかし、日経新聞のほうは株式が譲渡できないから、決して買収されない仕組みになっています。

普通の会社で普通に働いている人たちには馴染みがないでしょうが、新聞社に務める人間ならみんな知っている法律です。

しかし、新聞社の人間でこのことを堂々と記事で書く人間はいません。新聞は企業の不祥事があった時に「コーポレートガバナンスができていない」「社内制度が悪い」などと書き連ねまずが、一番ガバナンスができていないはその新聞社です。記者も、それが分かっているから日刊新聞紙法について恥ずかしくて書けないのでしょう。

この法律が、新聞社を堕落させていることに、記者も早く気がつくべきです。自分だけ安泰な身分では、他者に厳しいことがいえるはずないです。自分には甘く他者に厳しいのはありえないです。言論で勝負する人は、やせ我慢が必要なのです。だからこそ、今回の加計問題でも、前川のような明らかな既得験者に対して厳しいことがいえないのです。

それは、テレビも同じことです。テレビ局が既得権化している理由は、地上波放送事業への新規参入が実質的に不可能になっていることにあります。

総務省の認可を受けた場合にしかテレビ放送事業はできません。「放送法」によって免許制度になっているわけなのですが、このことがテレビ局を既得権まみれにしている最大の原因です。

放送法に関しては、たびたび問題になるが、結局何も変わっていない
はっきり言いましょう。「電波オークション」をやらないことが、テレビの問題なのです。電波オークションとは、電波の周波数帯の利用権を競争入札にかけることです。

日本では電波オークションが行われないために、電波の権利のほとんどを、既存のメディアが取ってしまっています。たとえば、地上波のテレビ局が、CS放送でもBS放送でも3つも4つチャンネルを持ってしまっているのもそのためです。

電波オークションをしないために利権がそのままになり、テレビ局はその恩典に与っています。テレビ局は「電波利用料を取られている」と主張するのですが、その額は数十億円程度といったところです。もしオークションにかければ、現在のテレビ局が支払うべき電波利用料は2000億円から3000億円は下らないでしょう。現在のテレビ局は、100分の1、数十分の1の費用で特権を手にしているのです。

この有様では、既存のテレビ局や新規参入者と互いに競い合って、より良い報道をしようなどという気持ちが失せるのも当然のことです。このようなことでは、新聞業界にもテレビ業界にも、ヤマト運輸やケンコーコムのような既成概念を打ち破るような企業などでてくるわけがありません。

これを知れば、新聞社やテレビ局など既得権者の代表ともいえる前川喜平も鼻白む既得権者であり、当然のことながら、まともな報道などできないという私の主張もご理解いただけるものと思います。

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2016年3月23日水曜日

【朝日新聞研究】朝日の手法は報道というよりキャンペーン 「日本死ね」問題と安保法制反対の類似―【私の論評】「日本死ね」は、福島産の小麦粉で作ったラーメンに「人殺し」というのと変わりなし(゚д゚)!


待機児童問題を報じる朝日新聞の紙面

保育所の待機児童問題に関するブログが評判になって、自民党がその対処に躍起となっている。

それは、「保育園落ちた日本死ね!!!」と題する匿名のもので、「何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」などと記している。

待機児童問題は深刻かつ重要だが、実に品のない言葉遣いで、日本国家を呪詛(じゅそ)しているように読める。

ブログは2月15日に出され、民主党の女性議員が同29日の予算委員会で取り上げた。その後、広く話題となったが、これには朝日新聞の報道も影響しているようだ。

朝日新聞はまず、3月2日の投書欄で地方公務員の女性が自己の体験に基づいて「乱暴な文章だが気持ちは分かる」と紹介し、4日夕刊には「待機児童問題 広がる共感」という記事を掲載した。それによると、ブログの筆者は30代前半の女性と名乗ったこと、共感する人々が多いこと、政府の答弁に反発する声があることなどが述べられている。

翌5日には、天声人語がこの問題に触れ、6日には前日に行われた、国会前の抗議行動を、カラー写真入りで報じている。安倍晋三首相が国会で「匿名である以上、確認しようがない」と答弁したのに対し、自分たちが実際の体験者だと名乗り出たもので、子供連れで「保育園落ちたの私だ」といった、プラカードを掲げている。

原発反対、安全保障法制反対の行動と極めて酷似している。朝日新聞の記者が写真を写しているから、事前に連絡があったのだろう。

9日には「ブログ『保育園落ちた』共感広がる」「政権一転 改善へ意欲強調」と、自民党も対応乗り出したと報道した。10日には総合面で「保育制度充実を 2万7千人署名」「『保育園落ちた』きっかけ、国に訴え」と、母親が子供連れで、署名を塩崎恭久厚労相に提出したことを伝え、生活面でも「『保育園作れよ』実現するには」と、識者の意見を報じている。

その後も、12日には天声人語で一連の動向を絶賛し、13日には社説で総括的に取り上げている。まことに連日の報道で、これは報道というより明白なキャンペーンではないのか。その目的は安倍政権にダメージを与えて、政権交代に導くことにあるように思えてならない。

しかも、その手法には、大いに疑問がある。そもそも、正しいと思ったことを言うのなら、どんな表現をしても構わないのだろうか。

今回は「日本死ね」という刺激的な表現が使われて、注目を集めた。

だが、「死ね」とは、朝日新聞が徹底的に批判した、かの「在特会(在日特権を許さない市民の会)」のヘイトスピーチ(憎悪表現)と、変わらないではないか。あまりにも極端なダブルスタンダードである。

■酒井信彦(さかい・のぶひこ) 元東京大学教授。

酒井信彦氏

【私の論評】「日本死ね」は、福島産の小麦粉で作ったラーメンに「人殺し」というのと変わりなし(゚д゚)!

まず最初にはっきりさせておきたいのは、あまりにも当たり前のど真ん中なのですが、ある個人の子供が保育所が落ちたことと、日本が死ぬ生きるとは、そもそも全く何の関係もありません。一億総活躍社会を目指すということと、一個人の子供が保育園に入れなかったことも直接関係はないです。個人が活躍できるできなことと、日本の生き死には全く関係ありません。

このブログ記事は、個人の問題と国や社会の問題等をごちゃまぜにして、ないまぜにして論じているという点で、全く無意味です。無論、保育所の問題を批判するなとはいいません。だからといって、このような発言をしたり、ブログに書いたりすることは意味がありません。物事は、きちんと分けて論じなければ、筋が通りません。自分の私生活が思い通りに行かないことと、日本という国家を同列に並べること自体が非常に異様で、奇異です。

そうして、このブログの作者には、国とか社会に自分が属している観念がないようです。本当になんと言ってよいのか、無様な個人主義とでも評したくなるような利己的な内容です。

完璧な国や完璧な社会などもともと存在しません。その不完全な社会を変えていこうするのは、正しいことです。しかし、そこで、「日本死ね」などという発言をしてしまえば、自分の属している、社会、国を否定することになります。

社会や国を否定するなら、そこから出ていくしかなくなります。そもそも、この方は、そこまで深く物事を考えていたり、覚悟があって書いているとは到底思えません。利己的な上に、浅薄です。

ちなみに、「日本死ね」という言葉が掲載されていたブログのリンク先を以下に掲載します。


ブログ冒頭の記事で、坂井氏は今回の朝日新聞の「日本死ね」報道に関して、"これは報道というより明白なキャンペーンではないのか。その目的は安倍政権にダメージを与えて、政権交代に導くことにあるように思えてならない"としていますが、まさにこの通りであると思います。そうして、よくもこのような「死ね」などと掲載しているブログを、キャンペーンの中心に据えたものだと思い、朝日新聞もかなり異常だと思います。

このキャンペーンという言葉、戦時中の朝日新聞による、戦争煽り報道を彷彿とさせます。結局、何を煽るかということでは異なりますが、朝日新聞は、創業以来キャンペーン姿勢は、今も昔も微塵も変わっていないのです。以下は、戦時中の朝日新聞の紙面です。



このブログ、「死ね」という言葉も汚いですが、全般的に言葉が汚いです。

それにしても、最近では普通に「日本死ね」とか「安倍死ね」などという言葉が何のためらいもなく遣われています。「死ね」などという言葉を安易に遣って良いはずがありません。

どうして、このような言葉遣いがこの日本で横行するようになってしまったのか、本当に残念なことです。このように「死ね」という言葉が、日常的に横行するようでは、いじめで「死ね」と安易に言ってしまう、中高生が出てくるのも無理からぬことであると思ってしまいます。いや、それどころか、企業内のパワーハラを助長することにもなると思います。


何しろ、言葉遣いや立ち居振る舞いなど本来国民の規範ともなるべき国会議員が国会での審議の最中に「死ね」という言葉を含んだ文章を読み上げてみたり、朝日新聞のような大手全国紙が、平気で「死ね」などという言葉を取り上げ安倍政権妥当キャンペーンを実行してみせたりするのですから、中高生あたりでも、自分の考えを実現するために「死ね」という言葉を遣うことにお墨付きを得たようなものです。

本来ならば、ブログにいくら「日本死ね」という言葉が書かれてあったにしても、国会の審議では、趣旨説明をして、「切実な訴えがあった」とか、「過激な言葉を遣って訴えていた」くらいで留めるべきだったでしょう。

これでは、国会議員や、大手新聞がこぞってヘイトスピーチを奨励しているようなものです。これに対して、政府側も、いくら火消しのためとはいえ、実際に政府がそのヘイトスピーチわ受けて安易に動いてしまったことにも、憤りを感じます。これでは、「日本死ね」などの過激な言葉遣いをすれば、政府も動かせるという前例を作ってしまったようなものです。政府側も、もうこのような挑発には絶対に乗らないようにすべきです。

そうして、このようなことを助長したのが、衆院予算委員会で質問した山尾志桜里議員(民主党)であり、朝日新聞をはじめとする、マスコミです。そうして、これではまるで、国会議員や新聞が、個人ブログの下請けをやっているようなものではありませんか。最近では、国会議員が週刊誌の下請けをやっていると思っていたら、それ以下の議員も存在したということです。

「日本死ね」という言葉を受けて、政府も動くなとはいいませんが、それにしても、もっとやり方があったと思います。そもそも、政府がこの問題について、過去に何もやってこなかったということはありません。過去においては、保育所数は劇的に増えているのですが、待機児童の数は少なくなっていないという事実もあります。これについては、以下にグラフを掲載しておきます。



上記のグラフをみても明らかに、保育所数は増えています。H26年までは、確かに少しずつ待機児童数が減っています。しかし、H27年は増えています。

だからといって、私は、政府は十分やっているから、批判には当たらないというつもりはありません。政府や直接対応する地方自治体に対しては、どんどん批判をすべきと思います。それは、実施しても良いと思います。でもやり方というものがあります。

また、今までの解決方法ではなかなかうまくいかないということで、高橋洋一氏がこの問題をシェアード・エコノミーで解決すべきであることを提言しています。その記事のリンクを以下に掲載します。
待機児童問題を解決する、ある大胆な提案
しかし、私が主張したいのは、そのようなことではありません。あくまで、品位の問題と、論点をはっきりさせた、議論をすべきであるということを言いたいのです。そうして、国会議員や、マスコミが本来実施すべきことを実施しないことに対する憤りも感じます。

本来であれば、「死ね」などという言葉遣いなど、いくらそういうブログの投稿があったからといって、それをそのまま国会で審議中に読み上げたり、大手新聞がそのまま引用したりすることなど、すべきではありません。

国会議員なら、ただたんにブログを読み上げて、政府を批判するにとどまらず、改善方法、改革方法を提言すべきでした。ブログ見た、それを公の場で読み上げて批判するというだけなら、別に国会議員でなくてもできます。

マスコミも、朝日新聞のようにただただ、批判するだけではなく、この問題の背景を分析するなどして、報道すべきです。待機児童問題は、前から指摘されていることであり、何も今始まった問題ではありません。それを単なる安倍政権打倒キャンペーンにつかうというのでは、まともではありません。

「死ね」は小学校でも禁止されている言葉
こんなことで良いはずがありません。社会には、待機児童問題に限らず、なかなか自分の思い取りにならないことなど山程あります。それに対して、自分の思い通りにならないからといって、「死ね」という憎悪表現を語ったり、ブログに書いてみたり、またそれを国会議員や大手新聞がそのまま引用するなど、本来絶対にあってはならないことです。そうしてそれに、総理大臣が振り回さるようなことがあってはならないです。

そんなことをいちいち許容していては、総理大臣はありとあらゆる人の不満を聴かなければならないことになり、本来の仕事など何もできなくなります。

そうして、私も、このブログで、民主党の幹部などをかなり辛口で批判することもありますが、さりとて、「死ね」などという言葉を用いたことはありません。さすがに、このような言葉を用いるのは、憚られます。当然のことながら、このような言葉遣いをすれば、自分の人格が疑われでしょうし、そもそも、最初からこのような言葉遣いなどできません。それが、まともな人間(最初大人と書こうと思いましたが、それではまともな子どもたちに対して失礼なので人間に改めました)というものです。

言葉遣いといえば、最近これまた酷い事例がありました。

バラエティー番組「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ系)の20日の放送で、男性アイドルグループ「TOKIO」が完成させたラーメンについて、 ミステリー作家の藤岡真(しん)氏(65)がツイッターに「福島の小麦から作った麺なのかよ。人殺し」などと書き込んだことから批判が殺到、藤岡氏が謝罪する騒動になりました。 

以下にそのツイートをそのまま掲載します。

TOKIOが作ったラーメンは「世界一うまいラーメンつくれるか!?」という番組企画の一環で、福島産の最高級小麦「春よ恋」が使われていました。これについて藤岡氏は20日の放送後、「TOKIO。究極のラーメンて、福島の小麦から作った麺なのかよ。人殺し」「未だに『食べて応援』している馬鹿がいて頭が痛くなる」などとつぶやいたのです。

これに対し、ツイッターでは「文筆活動家にもかかわらず、言葉を全く大切にしていない。 

自分の発言が、福島県に在住している全ての人に対する侮辱で、農家や検査に携わった人達への中傷だ」「こういう人がいるから風評被害ってなくならないんだろうね」などと批判の声が殺到しました。

この騒ぎに藤岡氏は問題となったツイートを削除。23日のツイッターで「わたしの無神経な発言が、多くの皆様を傷付けることになり、大変申し訳なく思っております。
 
福島県の皆様、TOKIOの皆様、鉄腕ダッシュの関係者の皆様に深くお詫び致します。本当に、申し訳ありません」と謝罪し、ツイッターを休止すると書き込みました。

作家百田尚樹氏は、この出来事について以下のようにツイートしています。
このツイートの◯◯さんとは、前後関係から、藤岡氏だと思います。
この作家哀れですね。こんなバカ真似をして何になるというのでしょうか。しかも、年齢は65歳です。このような発言をツイートしてはいけないことくらいわかりそうなものです。

しかし、この藤岡氏のツイートと、「日本死ね」のブログとは、本質的には似たようなものです。自分の思い取りにいかないから、その鬱憤を晴らすために、過激な「言葉遣い」をするという点では本当に似ています。しかも、福島産の小麦粉を用いたラーメンと、殺人とは何の関係もありません。

何も関係ないものを並列に並べて、自分の鬱憤を晴らすために論じるという点では「日本死ね」と似たような論法です。

そうして、今の日本では、このようなことが横行しています。藤岡氏の場合は、たまたま国会議員がとりあげるわけでもないし、大手新聞が取り上げるわけでもないので、彼一人だけが非難されるという結果に終わっているだけです。

こんなことを書くと、「日本死ね」のブログを書いた人は、待機児童問題で困っているではないかと、藤岡氏は何も困ってはいないではないか、言われる方もいらっしやるかもしれません。しかし、藤岡氏は、百田氏のツイートからも類推できるように、売れる本が書けないというどす黒い情念と、執念があるようです。

しかし、世の中には、待機児童問題や売れる本が書けないことなどよりさらに困っている人も大勢いるのです。たとえば、日本の若者の自殺者数は、先進国中では最高の水準にあります。それに関しては、このブログにも掲載したことがあります。

これについては、以前このブログにも掲載したことがあります。
若年層の自殺がG7でトップ。日本の若者はなぜ死を選ぶ?―【私の論評】自殺率の高さの原因は、若者の精神的な弱さではない!過去のデフレによる悪影響が未だ残っているせいだ(゚д゚)!
 

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、本当にこれは深刻な事態です。日本の自殺者そのものは、デフレの真っ最中の時には、三万人台でしたが、2011年あたりから減り2万人台になり、最近も減る傾向にあります。これは、まずは最近は従来よりは、経済が良くなったこともあり、さらに毎年政府は、自殺対策に予算を割いています。この両方が、功を奏して自殺者数が減ったのだと思います。

ところが、若者の自殺者数が他先進国に比較して、突出して多いということは今でも変わりがありません。

自殺された若者の関係者や、特に親御さんは悲嘆にくれているでしょう。そうして、なんとかならなかったものかと考えておられることでしょう。そんな人たちからすれば、「日本死ね」のブログは、とんでもないものと映るに違いありません。

あのようなヘイトスピーチで国が動くというのなら、自分たちだって、そうしたかったと思うかもしれません。しかし、そのようなことをしても、亡くなった方は生き返らないのです。そんなことよりも、私たちは、若者の自殺者を少なくするような社会を目指すべきです。そんなときに、憎悪表現を用いて、政府や社会を非難しても何の解決にもならないのです。

それに、あの拉致被害者の家族の方々はどう思われるのでしょうか。北朝鮮や政府に対して、ヘイトスピーチをしたりば、問題が解決するはずもありません。最初からそんなことは、わかりきっているので、そんなことをする方もいません。

「日本死ね」「人殺し」などの言葉が横行する日本社会、本当にどこか病んでいるとしか言いようがありません。その根底には、経済でけではなく、言い知れない、どす黒いルサンチマンがあるに違いありません。

さて、福島のことを話題に出しましたが、福島には、福島の放射線量について、丹念に調べてレポートにまとめた素晴らしい高校生たちがいました。それについては、このブログでも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
被ばく量「国内外で差はない」 福島高生、英学術誌に論文―【私の論評】発言するならこの高校生たちのように感情ではなく、エビデンス(証拠・根拠、証言、形跡)に基づき行え(゚д゚)!
福島の高校生たちが調べた被ばく線量に関する結論

詳細は、この記事をごらんいただくものとして、この記事では、福島県など国内とフランス、ポーランド、ベラルーシ各国の高校生の外部被ばく線量を比較研究してきた福島高スーパーサイエンス部は、被ばく線量について「ほとんど差はない」と結論づけ、論文にまとめたことを掲載しました。そうして、この論文は英国の学術専門誌「ジャーナル・オブ・レディオロジカル・プロテクション」に掲載される運びとなったことも掲載しました。

そうして、私はこの記事の結論として、以下の内容を掲載しました。
いずれにせよ、何か発言したり行動するならこの高校生たちのように感情ではなく、エビデンス(証拠・根拠、証言、形跡)に基づき行えと、声を大にして言いたいです。
これと同じく、国会で発言したり、新聞が報道する際には、エビデンス (証拠・根拠、証言、形跡)をもとにすべきです。

そういうと、ブログもエビデンスではないかというかもしれません。しかし、ブログの記事とか、人の発言そのものはエビデンスとはいえません。それは、単なる一次資料(事実)にしかすぎません。エビデンスと、資料は異なります。

エビデンスとは、この高校生達が実施したように、体系的な調査を経てある程度事実を分析したうえで初めて得られるものです。

国会議員が国会で発言したり、新聞が報道をする際には、単なる一次資料に基づくだけでは不十分です。ある程度調査をした後、エビデンスにしてから、発言、報道をすべきです。

そうして、この高校生たちの比較研究の論文には、憎悪表現など含まれていません。含まれていれば、そもそも、ニュースにもならないし、学術論文に掲載されることもなく、誰にも評価されず、単なる理科実験で終わってしまったことでしょう。

これが、当たり前であって、憎悪表現を含むブログなどに注目した、国会議員や朝日新聞は、どこか根性がひね曲がっています。おそらく、待機児童について書かれたブログであっても、憎悪表現など一言も遣わずとも、人の心を打ったり、琴線に触れるようなものがあるに違いありません。

私自身も、いくつかそのようなものを見たことがあります。そのようなものを用いれば、多くの人々の共感を得られたかもしれません。

そうして、このような愚かな国会議員や、新聞、そうして「殺人」などという言葉を遣う作家に比べて、この高校生たちのような行動こそ、社会人としてまともな行動なのです。それをできない、国会議員や朝日新聞など、しばらくの間は、ショッキングな話題で、一見成功したようにも見えますが、時を経れば、効果は薄れ、来るべき選挙のときにはそんなことは、有権者の頭にほとんど残っていないことでしょう。残っていたにしても、悪いイメージだけで、とても安倍政権の打倒につながるものではなく、かえって逆効果になることでしょう。

最後の結論として、上下左右など全く関係なく、すべからく社会人が発言・発信するなら、特に公に発言・発信するなら、いかなる場合も憎悪表現は禁忌とすべきです。そうして、当然のことながら、発言・発信は、エビデンスに基づいてするべきです。

これが、あまりにも常識的なのですが、当たり前の社会人のあり方です。これができない、国会議員や新聞記者やデスクや作家など、もう一度小学生から常識を学び直すべきです。

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