2011年11月30日水曜日

条件付きで400万円の価値のお店をたった7800円で売った男 / その条件とは?―【私の論評】三島由紀夫氏も語っていた「人間は自分のためだけに生きて死ねるほど強くはない」という真実に目覚めよ!

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条件付きで400万円の価値のお店をたった7800円で売った男 / その条件とは?:(ロケットニュースより)

ナショナル・カフェ & テイクアウェイの入っている建物
アメリカのとある飲食店経営者が、3年前に開業したお店をたった100ドル(約7800円)で売却し、話題となっている。本来であれば、彼のお店は5万ドル(約400万円)の評価額がついていた。しかし彼は売却に当たってある条件を購入者につけて、破格の売却に応じたのである。その条件とは一体どのようなものなのだろうか?

お店は売却したのは、マイケル・ジュードリックさん(40歳)である。彼は2008年にミルウォーキーに、オーガニックレストラン「ナショナル・カフェ & テイクアウェイ」をオープンさせた。元々ウェブデザイン事務所を同じ建物の3階に持っていた彼は、将来的にお店を手放すつもりであった。

では、なぜ手放すつもりで開業したのか? それには訳があった。彼はいつか人の夢に貢献したいという強い思いがあり、その手助けのためにお店を開いたのである。現在アメリカでは、失業の問題が深刻化している。ミルウォーキーもその例外ではなかった。彼の周りでも、職を探す料理人が多くいたために、それらの人を助けるつもりで店舗を設けたのである。

そしてついに、彼の考えに共感してくれる女性の料理人があらわれた。失業中のネル・ベントンさん(35歳)はたしかな料理の腕を持っているだけではなかった。マイケルさんと食や健康に対する考え方が完全に一致したために、お店を譲ることにしたのである。

その売却価格はなんと100ドル。失業中のネルさんが負担なく自らの腕を生かせるようにと、破格でお店を譲ったのである。その代わりに次の3つの条件がついた。まず1つに「現在働いている従業員を解雇しないこと」、そして次に「少なくともこの先2年間、メニューを変更しないこと」、そして最後に「マイケルさんと妻に、この先1年間、1日1食無料で提供すること」、以上である。いずれも難しいものではなかった。

お店を譲り受けたネルさんは、今度は彼女がマイケルさんにしてもらったように、失業者や難民の支援を行うようになったのである。非営利団体のためにお店を開放したり、アメリカにいる難民を支援する活動も行っているとのことだ。

本当は100ドルよりも、高い金額で購入を申し込んだ人もいたそうだ。しかしマイケルさんは、彼の条件を引き受けてくれる人としてネルさんを選んだそうだ。彼は今回の店舗売却について、こう説明している。「私は、我々がしばしば忘れていることをしただけ。人の夢の実現を、手伝えるということを」

参照元:ODDITY CENTRAL(英語)

【私の論評】三島由紀夫氏も語っていた「人間は自分のためだけに生きて死ねるほど強くはない」という真実に今一度目覚めよ!!

これは、一種の賭けであることには間違いないことと思います。賭けというと、ギャンブルなどのネガティブな印象ばかりついてまわりますが、しかし、新規事業など展開するにしても、そこには、リスクはつきものであり、いくら調査をしようが、立派な事業計画をたてようが、資金手当てをしようが、優秀な人員をつぎ込もうが、最後の最後は、賭けであることには間違いありません。

しかしながら、全くネガティブな賭けもあることも事実で、最近で印象に残るのは、例の大王製紙のあの事件です。 

大王製紙の井川意高(もとたか)容疑者(47)の父で、同社社長などを務めた高雄氏(74)が、100億円超の連結子会社からの借入金の使途について「借入金をカジノで使っていたことは、報道で初めて知った」と、朝日新聞の取材に語っていました。子会社には高雄氏にだけは言わないように釘を指すなど、最後まで高雄氏を恐れていたことがわかります。

井川意高(もとたか)
会社法違反の疑いで東京地検特捜部に逮捕された井川容疑者。その父で息子に帝王学を授けた高雄氏が、騒動が表ざたになって以来初めてのインタビュー。3月にすでに、息子を激しく叱責したことは明らかになっているものの、意高容疑者は使途について高雄氏に説明しなかったのだといいます。

結局、意高容疑者が子会社には、口止めをしたために高雄氏には伝わらなかったそうです。知ったのは報道だったそうです。かつては、東京・広尾の豪邸に父母と暮らしていた意高容疑者。だが、離婚後は家を出て別居していた。高雄氏が息子の私生活を知る由もなかったようです。

それにしても、100億円以上もの大金をギャンブルに費やすとは、一体どうなっているのかと思ってしまいます。このお金で、上記のような夢の実現のお手伝いをすれば、小さなお店どころか、いくつもの会社を設立できたかもしれません。同じ賭けでも大違いです。世の中には、許される賭けとそうではない賭けがあるということです。

そうして、この事件や、上の記事からいろいろ考えさせられるところがあったので、本日は、そのことについて掲載します。

話は、変わりますが、皆さんは、ビジョナリーカンパニーという書籍をご存知でしょうか?数年前に、かなり流行った書籍です。無論現在でも、読まれ続けている書籍です。



一度も読まれたことのない方は、是非以下のURLを御覧になってください。これは、ビジョナリーカンパニー2の要旨をまとめたものです。

https://docs.google.com/document/d/10H-XwvmJxPMzr-VMTitwugoPIh9Slc_kY2FPalomHtM/edit?hl=ja

偉大な企業への飛躍を導いた指導者は、まずはじめに、適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、つぎにどこに向かうべきかを決めている。

ビジョナリーカンパニーでは、このことを重視しています。このことは、書籍の中でも豊富な事例で解説してありました。だから、私も、いわゆる頭というやつでは、理解していました。

しながら、どうもしっくりとは、きていませんでした。何しろビジョナリーカンパニーの事例は、すべて外国の事例で、しかもほとんど大企業のものばかりで、しかも新規事業の事例は少ないからです。

ここまで書いてしまえば私の言いたいことは、お分かりいただけるものと思います。上の記事で以下のようなくだりがありました。

彼の考えに共感してくれる女性の料理人があらわれた。失業中のネル・ベントンさん(35歳)はたしかな料理の腕を持っているだけではなかった。マイケルさんと食や健康に対する考え方が完全に一致した。

ネル・ベントンさん
これは、まさしく、ビジョナリーカンパニーでいうところの、適切な人をバスに乗せるという行為に他なりません。このレストランのオーナー、ミッシェル・デイドリック氏は、時間をかけてバスに乗れる人を探していたのだとおもいます。無論レストランにもスタッフは、いましたが、経営者としてバスに乗せられる人は、いなかったのだと思います。


マイケル・ジュードリック氏
一方、大王製紙の井川意高(もとたか)容疑者は、本来バスに乗せられないにもかかわらず経営者の親族と言うだけでバスに乗せてしまったということだと思います。大王製紙といえば、大会社ですが、バスに乗せる乗せないは、上の記事の小さなレストランと何も変わらないと思います。

さて、この二つの事例などみているうちに、私は、ビジョナリーという言葉に違和感を覚えています。なぜなら、日本人である私たちは、ビジョンとか、ビジョナリーなどの言葉をわざわざ使わなくても、昔からこれに相当するというより、もっと上位概念の言葉を遣っているし、昔からあったからです。それは、「大儀」という言葉です。

三島由紀夫氏
そうして、この「大儀」という言葉は、41年前の、11月25日に自決された故三島由紀夫先生のことを思い起こさせます。無論、先生は、ご存知のように大儀に殉じたわけですが、先生は、生前からこの「大儀」という言葉をしばしば口にしておられました。

しかし、三島先生が語っていた「大儀」は、無論ビジョナリーなども含むし、日本国とか、地域のためとか、会社のため、自分の属する組織のためということもありますが、私が最も印象に残っているの以下のような言葉です。

「人間は、自分のことだけ考えて、生きて死んでいけるほど強くない。自分のこと以外を考えなければ、生きていけない。この自分のこと以外というものが、大儀であります」

三島先生の語り口は、いつもこのような感じでした。一つも押し付けがましいことはいわず、真理をついている言葉だったと思います。

この言葉の持つ意味、今はほとんど忘れさられているようにも思われましたが、私は、あの東日本大震災で、そうではなかったことを思い知らされまた。そうです。あの震災直後の被災地の人々の沈着冷静さです。それに、自分の命もかえりみず、地域の人々を助けようと奔走した人々です。食料や水の配給のときも、列を乱さずに、騒ぐこともなく、じっと耐えながら待っていた多くの人々です。


そうして、あの状況の中本当に粉骨砕身して、生存者を救うばかりか、ご遺体の収集に奔走した自衛隊員たちです。これは、まさに、自分自身以外のことで生き死にすることだけを考えている人の所業ではありません。普段は、そうでもないように見えていても、いざというときに、出てきた、多くの人々の本当の姿だと思います。

ちなみに、この言葉を語っている先生の生前のインタビューの動画がありますので、それをしたに掲載しました。


私たち、日本人には、この「大儀」という言葉のほうが、ビジョン、ビジョナリー、バスに乗せる乗せないという言葉よりもしっくりきます。私がしっくりしなかったのは、結局のところ、「大儀」という言葉を遣わずに、回りくどい表現だったからかもしれません。この本の翻訳者は、「大儀」という言葉を遣っていませんでしたが、これを遣えば、よほど理解しやすかったと思います。

再び、三島先生のお言葉を借りますが、本当に人間は、「自分のためだけに生きて死ねるだけ」強くはないのです。そのことを従来の日本人は、良く理解していたのですが、最近では、東日本大震災のような未曾有の危機の場合以外は、それがなかなか表に出てこなくなりました。

少し前の経営者であれば、ほとんどの人は「大儀」という言葉の意味を理解していたと思います。だから、わざわざ、「ビジョナリーカンパニー」などという書籍を読んだりしなくても、この本に書かれていることなど、直感的に理解できたどころか、その上を行っていたのだと思います。

日本の古の精神構造に戻れば、こんなことは当たり前で、だからこそ、日本は世界に類をみない無血革命でもあり、それまでの東洋史、西洋史という歴史区分を撤廃し、世界史という歴史観をもたらした偉大な明治維新のような大変革を一夜にして成し遂げたのです。また、その直後の大国ロシアとの戦争に勝つことができたり、さらには、大東亜戦争の廃墟の中から、立ち上がり、短期間に世界第二の経済大国をつくることができたのだと思います。

維新の立役者 坂本竜馬

にもかかわらず、日本人は、戦後の民主教育などの名のもとに、まるで、「自分のためにだけ生きて死ぬ」ことが自由であり、良いことで、価値あるかのような観念を植え付けられ続けてきたと思います。これでは、弱い人間ができあがるのも無理はないです。井川意高もそのような人間の一人なのだと思います。

そうして、これは、何も、人だけのことではないと思います。弱い人間から構成される、家庭は弱い家庭となり、弱い人間の多い会社は弱い会社になります。弱い人間の多い、社会は、弱い社会になります。弱い社会を数多く内包する国は弱い国になります。

それにしても、日本古来の思想からいえば、本当に当たり前の真ん中の「大儀」について、ビジョナリーカンパニーなる書籍でそれに近い考えを学ばなければならない、今のニッポン人、どこかおかしいです。

無論、私は、ビジョナリーカンパニーが駄目な書籍などというつもりは毛頭ありません。おそらく、アメリカでは、さまざまな価値観のある社会ですから、このような書籍も必要で有用なのだと思います。そうして、今のニッポン人にも必要なのかもしれません。しかし、一昔前の日本人なら、「大儀」ということばを語れば、すぐにその意味するところは、多くの人が理解したに違いありません。

さて、ここでもう一つ皆さんに、思い出していただきたいことがあります。これは、このブログでも過去に掲載したことですが、今年なくなったあのスティーブ・ジョブズ氏ですが、この人は、日本通であり、日本にも頻繁に来ていて、多くの日本人経営者などとも親交があり、一時は、富山県で出家しようと考えたこともある方です。


ジョブズ氏は、56歳でなくなっています。だから、ジョブズ氏が頻繁に訪れていた日本は、戦前や、戦中の日本ではなく、すでに、「大儀」を忘れた多くのニッポン人が跋扈していた時代にあたります。しかし、彼は、そのような「大儀」を忘れたニッポン人には目もくれませんでした。「大儀」を中心に据える日本人とのつきあいを大切にしました。

そうして、ジョブズ氏の大儀は、「社会に"one more thing"を付け加えること」でした。そうして、彼自身は、伝説のスピーチともいわれているスタンフォード大学でのスピーチで「死を意識する生き方」を提唱しています。これは、「武士道とは死ぬことと見つけたり」とあの葉隠れでもいわれている、日本の武士道精神そのものだと思います。

ジョブズ氏には、「大儀」の意味が良くわかっていたと思います。そうして、「大儀」のために、一生を貫いたのだと思います。だからこそ、あのような偉業を成し遂げることができたのだと思います。そうして、最期の最期まで、精力的に活動できたのだと思います。あのアングロサクソンの価値観が息づいているアメリカでさえも、ビジョナリーカンパニーにも紹介されていた、根底では、日本流もしくは、それに近い考え方をする経営者や、企業が結局良い業績を収めているということです。

この「大儀」を忘れてしまったのが、今のニッポン人だと思います。今のわたしたちは、「人間は自分のためだけに生きて死ねるほど強くはない」という真実に今一度目覚めなければなりません。

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2011年11月29日火曜日

Apple Storeが、あなたがいつお店に来たかがわかるシステムを導入&試験運用中―【私の論評】今後増えていくサービスだが、買い物の主人公はあくまでユーザーである!!

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Apple Storeが、あなたがいつお店に来たかがわかるシステムを導入&試験運用中:



お出迎えでもしてくれるのかな?

Appleが販売店舗で使う新しいシステムを導入し、ただ今試験運用中。システムの中身は、あなたがApple Storeに来たら店側が把握できるというもの。iPhoneユーザーがApple Storeアプリをダウンロードし、店舗に行く前にそのアプリ経由でお買い物をした場合に力を発揮するシステム。アプリ経由で購入したものを店舗で受け取れるという仕組みなのですが、Apple Storeに入店するとアプリのロケーション機能によって、店舗スタッフが持っているIPod Touchに通知がいきます。よって、スムーズに品物を受け取れるそうです。

現在まだまだテスト運用の段階で、全世界のApple Storeに導入されるのはかなり先のこととなりそうです。が、今のところ米国のパロアルト店で11月25日に16人がこのシステムを使って品物を購入・受け取りしました。パロアルト店のディエゴ・アギーレ(Diego Aguirre)さんが元ネタのニューヨークタイムズ紙にこう語りました「お客さんのApple Storeでの体験をいいものにしてほしい。お客さんを急かしているとは思って欲しくはないですね。ただ、くつろいで欲しいんですよ。」

ブログ管理人挿入画像。家で、注文、店ですぐ受け取り?

確かに米国のブラック・フライデーのこんな様子を聞いてしまえば、Apple Storeのシステムは素晴らしいと思います。しかし一方で自分のロケーションが店に知られているなんてなんか嫌という人がいてもそれは理解できます。

どう思いますか? 快適な買い物の代わりに自分の位置がお店に知られるのはOKですか?


[The New York Times]
Image: Shutterstock

そうこ(Jamie Condliffe 米版)

【私の論評】今後増えていくサービスだが、買い物の主人公はあくまでユーザーである!!
このサービス、ファストフードなどでも良いかもしれません。特にテイクアウトで効力を発揮するかもしれません。ハンバーガーなど持ち帰りしようとしたときに、このようなシステムにオーダーを入力すれば、出来上がりの時間を調整して、丁度お客がきた頃に絶妙のタイミングでお渡しできるとか・・・・・。

この手のサービス嫌がる人もいるようですが、考えてみれば、たとえば、床屋さんなんて、ある程度必ず情報が蓄積されてしまうものです。私の行っていいる床屋さんは、私の住所はもとより、どのような髪型にするか、髪の長さはどの程度にするのか、頭に何をつけるのか、髪を洗うのか、髭をそるのか、眉毛の下は、剃るのか剃らないのか、その他こまごまし情報がすべて登録されているので、ここの床屋さんにいけば、何もいわずとも、普段どおりにやってくれて非常に便利です。

一度この便利さを味わってしまえば、なかなか他へはいけなくなります。このアップルのこのシステムもiPhoneなど使用するから、特殊なものに感じてしまいますが、結局は、この床屋さんと同じことだと思います。

ポーランドにあるセクシーすぎる床屋さん
床屋にもいろいろあって、上の画像のようなところもあるそうですが、こういう床屋さんにいってしまえば、他の床屋さんには行きたくなくなるのでしょうか?これは、Hootersの床屋版と考えればよいのでしょうか?私自身は、やはり、いま行っているところが良いです。

最近東京にも進出してきたレストランHootersのスタッフ
このようなサービスを利用する人は、気に入ったらやはり、しょっちゅう行くようになるのでしょうか?少し話しの本質を外れたようですが、考えてみてください。上の床屋さんや、Hootersにしょっちゅう行く人は、これらの店の上得意となるはずです。そうなれば、それだけで、こうした店が好きな人間として、お店の人に情報を提供しているのと同じことです。

私がいいたいのは、ITがなくても、昔からいわゆるお店というものは、必ずといって良いほど、顧客の情報を集めているとという事実です。特に、日本では、その伝統があります。

明治期の前までは、普通の商家が、「大福帳」といういまでいえば、顧客データベースをつけていたものです。そうして、お客一人一人のことを良く知っていました。それが、西欧から複式簿記が導入されてから、カネの流れだけの記録になっていたのが、最近また、"one to one marketing"ということで、顧客情報を集めるようになっていました。ただし、一部のお店や、企業などは、複式簿記を導入した後でも、顧客情報を熱心に集めていました。特に、御用聞きなどの商売は、この顧客情報を集めることが商売の本質だったといっても過言ではないです。

そうして、大昔の大福帳をつけている商店だって、お客には、そこにしか売っていないなどの特殊な条件がない限り、気に食わなければ行かないとか、注文しないいう選択肢がありました。無論、気に入ったらしょっちゅう行ったり注文して、深い付き合いをすればよいわけです。

昔の大福町、顧客の細かい情報が記されていた
そうして、そういう深い付き合いをするかどうかは、無論ユーザーが決めれば良いことです。そうして、ユーザーはその店が信用できるかどうかで決めれば良いことです。そう考えれば、相手が信用できる限りにおいては、店に情報を提供するという行為もそんなに気になるほどのことでもないと思います。

今は、上記のような、iPhoneを使ったシステムどころか、その上をいくものもあります。たとえば、ショッピングセンターや商店街の至る所に設置された監視装置を利用し、携帯電話が発する信号の強さから三角測量で客の動きを感知する『Footpath』というシステムもあります。現在米国2カ所のモールに設置されています。このシステムでは、特定の顧客がショッピング・モールのどこにいるのかを特定することができます。

顧客の情報を獲得するシステム、いまでは、Amazonのようなネットショップでは当たり前になってしまいました。次の段階では、顧客の位置情報なども獲得される時代となりました。これを活用して、さまざまなサービスが展開されていくことでしょう。

ただし、一つだけはっきりいえることがあります。買い物の主人公はあくまでユーザーである消費者であるということです。どんなに、ITを駆使して、お客様の情報を収集したとしても、お客との間に信頼関係を築けなければ、商売はできないということです。

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2011年11月28日月曜日

「家政婦のミタ」の視聴率がキムタクをあっさり抜き去ったわけ - マーケットが見える!人のココロをつかむセオリー―【私の論評】新たなストーリーとコンテクストによる父性と日本こそが、時代感覚にあっている?!



「家政婦のミタ」の視聴率がキムタクをあっさり抜き去ったわけ - マーケットが見える!人のココロをつかむセオリー:(ダイヤモンド・オンライン)


家政婦のミタより
「南極大陸」「家政婦のミタ」という二つのドラマの視聴率の“明暗”を分けた原因は何か。話題のマーケティング企業CEOである藤田康人氏が、世相と視聴者の指向変化からマスメディアの転換期を検証します。

さて、詳細は、ダイヤモンド・オンラインを御覧いただくものとして、結論部分がなければ、論評しようもないので、以下に掲載しておきます。
閉塞感が強く、政治も経済も混迷を極める今の日本においては、夢と希望を熱く語るドラマである「南極大陸」よりも、自分の身近にも起こりそうな、リアリティがあり、かつセンセーショナルなテーマを扱った「家政婦のミタ」のほうが多くの人々の興味関心を引き付けているのです。 
とくに今の若い世代は、高度成長時代やバブル期の日本が熱気にあふれていた時代を経験することなく成長してきました。そんな彼らにとっては、将来への夢を熱く語る「南極大陸」の主人公たちの姿が、もしかしたら、非現実的で嘘っぽく見えてしまうのかもしれません。
それよりも不倫、自殺、いじめなどある意味“どぎつい”テーマに正面から取り組み、ターミネーターのようにクールな松嶋が演じる「家政婦のミタ」のキワモノ感が、この時代にはフィットしているのでしょう。 
価値観が多様化した現代社会においては、以前のような統一的なマス文化が形成されにくく、マスメディアに頼ることなく、個人がいつでも自分の必要な情報を得ることができるようになった結果、多くの人々が一つの話題を共有するのはかえって難しくなりました。 
デジタルマーケティングの時代を迎えて、新しいメディアや、テクノロジー、デバイス(情報機器)の登場が話題に上ることが多い最近のマーケティングの業界でも、やはり人の心を動かすのは時代の感覚に合ったストーリーと、コンテクスト(文脈)を持ったコンテンツであることが改めて見直されてきています。 
そのコンテクスト(文脈)とは何なのか? どうしたらそれを見つけられるのか?

【私の論評】新たなストーリーとコンテクストによる父性と日本こそが、時代感覚にあっている?!

南極大陸をみていて、非常に違和感を覚えるのは、私だけでしょうか?このドラマを見ていて、いわゆる韓国くささを感じてしまうのは、私だけでしょうか?時代背景からいって、絶対にありえないことが、このドラマにはあります。このドラマの舞台となっているのは、昭和30年代の日本です。戦争には、負けたとはいえ、まだまだ、戦中や戦前の価値観が幅を利かせていた時代です。


この時代の男たちの価値観として、多少のことがあったとしても、人前で、完全オープンに感情を出しまくり、泣いたり、わめいたりはしないということです。上の記事でも、非現実的で嘘っぽく見えてしまうという部分は、このあたりではないかと思います。

とにかく、「南極大陸」では、感情の浮き沈みが激しく、まるで、韓国ドラマの主人公のような男たちばかりです。現実には、あのようなことはなかったでしょう。随分前に、高倉健さん主演の歴史上の事実としては、同じ背景の「南極物語」という映画がありましたが、あの映画での高倉健さんは、ドラマの中で、ひたすら耐えていて、涙を流すとか、激昂して叫ぶなどということありませんでした。最後の最後で生き残ったタロとジロに対面した時には、さすがに感極まって涙ぐむシーンは、ありましたが、あくまでも涙ぐむというものでした。

ただし、心の綾を示すようなシーンはいくつかありました。それが、共感を呼べるものだったと思います。私は、最近の日本人は、日本人らしくなく、ニッポン人とも呼びたくなる人も多く、それこそ、現実世界においては、「南極大陸」にでてくる、男たちと同じように、過酷な環境において、泣いてしまったり、激昂したりということはあると思います。

しかし、価値観としては、未だに、完璧に我を忘れて、感情の赴くままは、激昂したり、人前を全くはばからず、ワンワン泣いたりという所業は、なじまないものだと思います。しかしながら、現実世界と、理想とには、落差というものがあります。テレビの世界の中まで、現実世界と似た同じ世界になってしまえば、テレビの中の虚構の世界の価値も落ちていまうのではないかと思います。だから、あのドラマ、どうしても作り物、作為的なものに見えてしまうのだと思います。


そうして、どんなときでも、泣きっ面はみせず、もくもくと勤めを果たすという、寡黙な高倉健さんのようなキャラクター、これすなわち、今ではすっかり、姿を消してしまったようにもみえる、"父性"ともいえるものではないかと思います。

"父性"といえば、以前のこのブログに掲載した「家政婦のミタ」で、あのドラマは"父性"のクライシス描いていると掲載しました。詳細は、その内容をみていただくものとして、私は、NHKの朝連ドラの「カーネーション」との対比で、以下のような結論を掲載しています。
最近では、そのこと(父性の権威)がさっぱり理解できない、未熟な大人になりきれていない大人が増えています。この二つのドラマは、アプローチは違いますが、こうしたことに対する警鐘でもあると思います。特に、「家政婦のミタ」のほうは、松嶋奈々子のようなキャラクターを登場させることにより、友達関係である親子がいかに危険で異様でグロテスクなものかを、説教じみた演出で提示するのではなく、誰にでも直感的に理解できる独自の手法で、明確に提示できたということで、秀逸だと思います。
今の日本、確かに"母性"に関しても欠如している面がありますが、、"父性"のほうは危機的なくらい欠如していると思います。欠如しているからこそ、こうしたものへの憧れや、ノスタルジーを感じるのが、今の時代感覚なのではないかと思います。そうして、「家政婦のミタ」では、その"父性"のクライシスが、誰でも身近に思えるような斬新な手法をとっています。だからこそ、"父性"のかけらも感じさせない、男たちが、泣き叫び、何のてらいもなく、人前で涙を流す「南極大陸」は、製作に巨費を投じ、有名キャラクターを配置しても、「家政婦のミタ」に及ばないのだと思います。

それから"父性"というと、今の日本人にとっては、何か縁遠いかけ離れたもののようにみえますが、あのカーネーションでは、主人公の父親が、ある意味、だらしなく、小心者で、理不尽で、本当に商売の才覚のない、一介の小市民なのですが、時代背景もあって、何とか、"父性"の権威をたもっていて、人々に安心観を与えるのだと思います。あの親父ができるなら、自分のだんなもできると、朝ドラを見る、家庭の主婦にも安心感を与えているのだと思います。


私は、このことを考え合わせると、時代のストーリーのキーワードは、「父性」と「日本」なのではないかと思います。ただし、「父性」だからといって、押し付けがましくただ単純に昔の融通のきかない頑固親父を表現するのではなく、創意工夫が必要なのだと思います。それが、時代が求めている、ストーリーとコンテクストなのだと思います。さて、上の記事には、続きがあるようですが、これについて、どのような結論を出すのでしょうか?結論がでたら、また、このブログに掲載して、私なりの分析をしてみたいと思います。

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ホームドラマ!? ホラー!?サスペンス!? 「家政婦のミタ」がブレイク中―【私の論評】予測がつかない展開が素晴らしい!!そうして、友達関係の親子に対する警鐘でもある!!



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2011年11月27日日曜日

ウェブばかり見ていることは読書のかわりになるか?―【私の論評】キュレーションが雑誌とゾッキ本にとって変わる?!!

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ウェブばかり見ていることは読書のかわりになるか?:(lifhacking.jpより)
Intellectual life

この連載のテーマは「知的生活」です。間違えてはいけないのは、これは「学問ばかりする生活」というわけでも「高尚なことだけする生活」ではないという点です。

私がこの言葉に触れたのは、渡部昇一氏の「続・知的生活の方法」(現在絶版?)を読んだのがきっかけでした。35年ほど前に書かれた本書はベストセラーとなった前著「知的生活の方法」とともに、オリジナルな発想を楽しむ生活について具体的で示唆に富む内容になっています。

まだパーソナルコンピュータ革命前夜に書かれた本と言うこともあって、ここで書かれているのは簡単にいえば、1. 書籍をたくさん読み、オリジナルな発想を育むのが「知的生活」、2. そのために時間・場所・金銭的な自由をいかに確保するか?、この2点です。

当時40代だった渡部氏が、学者として安定した頃にのびのびと書いたのではないかという軽やかさが文章にはあって、憧れのおもむくままに本を読みたい! もっと学びたい! という生活を実現させることが「知的生活」なのだというメッセージが私にはとても魅力的でした。

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ところで、「クラウド時代」の今この二つの点のうち最初の点、「読書」はどうなるのでしょう? 本を読む価値はいまでもいささかも減じていないと思いますが、それでも大量に存在するウェブの情報を読むのに忙しくてなかなか本まで手が回らないという人も多いのではないでしょうか?

実際、ウェブばかり見ていることは、読書のかわりになるのでしょうか?

  ウェブは読書のかわりに「なる」

本を書くようになって感じるのは、本は常に動いている世の中に対するその時点でのスナップショットでしかないという点です。特に技術書はこの傾向が強いのはいうまでもないでしょう。先日刊行した「できるポケット Google+」は印刷所に入る日まで修正が行われましたが、それでもGoogle+ページが登場して早くも現実とはずれが生じ始めています。

書籍になるよりも速く、世界のニュースや新しい情報についていち早く伝えているのはニュースサイトであったりブログであったりします。しかも、芸術についてなら画像や動画もふくめて紹介することができますので書籍よりも当を得た解説ができることも見逃せません(電子書籍がんばれー [棒読み])。

少なくとも以下については信頼できるチャンネルを RSS などで構築しておく意味はあるわけです。

  • 最新のニュースに対する評価や評論を下せるサイトを複数。できれば対立的な視点で紹介してくれるとなおよし

  • 最新の音楽、アートシーンなどについて紹介してくれるサイト、ブログのなかから、自分にとって気になるものをピックアップ

  • 日常で一番使うツールなどのアップデート情報を仕入れることができるブログ。自分が探さなくても、その人をフォローすればOK、というもの

この3つについては、もはや書籍どころか雑誌さえもいらないことが多いわけで、週末の2時間くらいをかけてこの方面で RSS を増強しておけば、何十時間という新聞・雑誌・書籍で手に入れる情報をウェブで代替できます。

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こんなこと、このページを読んでいる人には言うまでもないですね。でも残りがあるのです。

ウェブは読書のかわりに「ならない」


もちろんウェブで読めないものもあります。小説がそうですし、多くの漫画もそうですし、過去の書籍も膨大な価値をたたえてページが開かれるのを待っています。

でもそれ以上に、「ウェブには書かれない」内容があります。たとえば、いしたにまさきさんの「ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である」の文体は、いつも読んでいるみたいもん!とよく似ていますが、あきらかに書籍だからこそ触れた内容、題材が大量に含まれます。ブログを読んでいたからといって、書籍の結論にはたどり着かないのです。

これは自分で本を作るようになってよく理解できるようになったのですが、こうしてブログ記事として書いている文章と、本にするときでは意識がとても異なります。

ブログは自分のサイトなので、読者に読んでいただいているという意識は共通しているのですが我が家というか、テーマの選び方や文体で多少わがままに振る舞えます。書籍では一般的な読者を相手にするので表現の角がとれますし、しかも分量や話題のバランスを常に配慮します。バランスがとれていないと、編集からツッコミがくるわけです。

この二つの差に、実は価値がある


最近よく意識するのが、このブログと書籍との間にとても価値の高い領域があるという点です。ここはブログですので、あまり学問的な厳密さなど気にせずえいやっと図化すると、こんな感じです。

Media

特定のクラスターにむけて書いた速報性の高いメディアを仮にブログとすると、書籍はその反対側、一般的な読者にむけてもうすこし長い時間スケールでの内容をまとめます。この「書籍にしかかけないもの」を「永続性」と仮にしておきましょう。

すると、一般的で速報性の高い「ニュース」の反対側、特定読者にむけた永続性の高い論評の部分が空欄になります。実はここに、大きな価値があるのです。

ここには、ブログの側と書籍の側のどちらからでもアプローチできます。速報的な記事のなかに10年先の未来を予見することを書く人、あるいは、まだ自分でそのニーズを意識していない読者を開拓する書籍、両方ともいつまでも読んでいたいものですし、自分で書きたいといつも思っているものです。

ウェブは読書のかわりに「なる」「ならない」という質問は実は「ウェブ」と「書籍」のどちらが優位かという話ではなくて、どちらにおいても一番の価値のあるものはその媒体の境界を越えてゆくものだろいうことなのではないかというわけです。

そしてどんなブログや書籍が「越えた」ものかは、両方にアンテナをはっていないとわかりません。ウェブのコンテンツは書籍という背景を前提にしていることが多いですし、書籍は常にウェブの影に追いつけているとは限らないわけです。

そこで、もうちょっと連載が続いたら、このバランスについても具体的なことを書いていきたいと思います。いずれ、「本やウェブをよむことばかりが知的生活ではない」というあたりにも行き着くはずです。

とりあえずは、ウェブで読むものと書籍で読むもの、それがこのマトリクスで相補的になっているものを探すことを意識することから始めてみましょう。

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Brain
この連載は渡部昇一氏の「知的生活の方法」に触発されてかいているものですので、連載のたびになにか書籍を紹介するのは妥当なことのように思えます。

その人の知的生活が本を中心にしているのであれ、舞台やコンサートに通うことが中心であるのであれ、それを表現しようと思ったら言葉にしなければいかず、どうしてもあたまを使う必要が出てきます。こればかりは仕方がありません。

「考える」というとその人の脳の性能しだいで努力せずに引き出せるものと思われがちですが、実はけっこうメンテナンスが必要だということを教えてくれるのが築山節氏の

脳が冴える15の習慣」です。すでにベストセラーなのでご存じのかたも多いと思います。

でも実はこの本、iOS アプリにもなっていて、こちらの方が若干安かったりします。この15の習慣は朝から晩までの一日に実践するべき場所が散らばっているので、いつでも取り出して読めるようにしておくのは便利です。

まだ手に取ったことがないという方は、ぜひ iOS アプリで読んでみてください。


【私の論評】キュレーションが雑誌とゾッキ本にとって変わる?!!

■読書は絶対に必要
渡邊昇一先生の、「知的生活の方法」「続 知的生活の方法」は、両方とも読んだことがあります。まだ、インターネットなど普及していないときの書籍ですが、今でも読み返すと参考になることがあります。  私が、この書籍をはじめて手にしたのは、この書籍が出版されてから、10年以上経過していた、高校か、大学の頃だったと思います。この時代は、かなり本を読み、様々な人の考えを知り、かなり影響を受けましたが、この書籍もその中の一つです。そのとき、思ったのは、自分がもし、この書籍をもっと早く手にとっていれば、自分の考え方も相当変わったのではないかと思い、残念に感じたものです。  また、先生がこの著書を書かれるきっかけともなった、確か、イギリスの文化人のことが掲載されていたと思いますが、この人の著書も、読もう読もうと思って、今だに読んでいない自分がなさけなくもあります。

渡邊昇一先生
渡邊先生のおっしゃる、知的生活とは、著書の中から引用させていただくと以下のようになります。

『頭の回転を活発にし、オリジナルな発想を楽しむ生活のことです。日常生活のさわがしさのなかで、自分の時間をつくり、データを整理し、それをオリジナルな発想に結びつけてゆくには、どんな方法が可能か?読書の技術、カードの使い方、書斎の整え方、散歩の効用、通勤時間の利用法、ワインの飲み方、そして結婚生活……。本書には、平均的日本人に実現可能な、さまざまなヒントとアイデアが、先生自身の体験を通して、ふんだんに示されています。知的生活とは、なによりも内面の充実を求める生活なのです。

 知的正直――英語には、「知的正直(インテレクチュアル・オネスティ)」という言葉があります。知的正直というのは簡単に言えば、わからないのにわかったふりをしない、ということにつきるにのです。ほんとうにわかったつもりでいたのに、それがまちがいだった、ということはあります。それはあてずっぽうのまちがいとは違うから、そういうまちがいなら、まちがうたびに確実に進歩します。しかし傍から見ていたのでは、あてずっぽうでまちがえたのか、ほんとうにそうだと確信しながらまちがったのか、その辺の区別はつかないのです。その区別がつくのは、自分だけということになります。そこで「己れに対して忠実なれ」という、シェイクスピアの忠告が生きてくるのです』。

私がこの書籍で特に印象深かったことといえば、情報収集魔のような青年の話です。あの時代ですから、情報源が限られていますが、そうした中にあって、とにかく、ありとあらゆる情報を集めて整理してあり、その努力の有様は尋常ではありませんでした。しかし、その青年は勘違いしていて、結局努力して集めている情報が何の役にもたっていないという話です。

その頃は、情報を集めること自体が大変な時代だったと思います。なにせ、初版は、1976年ですから、インターネットはおろか、パソコン通信すらなかった時代です。とはいいながら、都内の各省庁や、図書館などを歩き回れば、結構の情報が手に入れることはできました。しかし、都内に在住していなければ、なかなか情報は手に入りませんでした。地方都市などにいれば、手に入る情報など、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、伝聞などによるものだけに限定されていて絶望的といっても良いくらいの状況だったと思います。だから、そのころは、東京などの大都市に住むということは、それだけでも価値あることだったと思います。

そんな時代を背景としながらも、渡邊先生のこの著書で主張されていることは、納得できるところが多く、特に「知的正直」という言葉には感銘を受けました。そうして、この書籍を読んで思うには、私たちは、この時代からみればはるかに情報を収集するには、良い環境にあることは、間違いないのに、この時代の人々と比較して、私たちは、知的なのか、あるいは、創造的なのかと思ってしまいます。現在のこのような書籍といえば、どうしても、技術的なことが優先させるきらいがありますが、そういった中で、この書籍は、そのような書籍からは一線を画した、基本的なものの考え方を示唆しているということで、今でも参考になり、私の座右の書であることは今でも変わりありません。

さて、『知的生活の方法』の話がつい懐かしく長くなってしまいましたが、そろそろ、本題に入ります。

上の記事の作者は、いずれ掲載することとは思いますが、上を見ていて、結局『ウェブは読書のかわりに「なる」「ならない」』という結論を出しています。私もそう思います。確かに、ウェブ上の情報は、たとえば、何かを体系的に学びたいと思った場合には、あまり役に立ちません。たとえば、マクロ経済学を学ぼうとして、Webの情報だけみていたら、とんでもないことになると思います。特に、日本国内だと、政治家や、マスコミなどとても、マクロ経済などまともにわかってっていとは思えませんし、日本の学者には、経済学者を名乗りながら、全くマクロ経済などと関係ない者も多いですから、きっと、読めば読むほど、わけがわからなくなるでしょう。

そんなときには、やはりまともな、「マクロ経済学」の書籍を一冊購入して、ゆっくり読むのが一番良いことだと思います。これが、頭に入っている状態で、Webの情報を見れば、その情報が意味していることや、マクロ経済的には、正しいのか、間違いかも良く理解できるはずです。


私は、このようなテキストで定評のあるものを一度読んでみる価値は十分あると思います。日本では、残念ながら、経済に関しては、高校までは、「政治経済」として多少は教えるのですが、それは、あくまで多少の範囲なので、マクロ経済の意味するところまではあまり教えていません。

だから、もし、経済に興味がある人で、経済学部(それもまともなところであり○経などは論外)などにいかなかった人は、是非一度政界的に定評のあるものを読んでみるべきと思います。そうして、細かなことは忘れても良いですが、経済のマクロ的な見方と、ミクロ的な見方の違いは知っておくべきと思います。

この違いを知った上で、Web上の経済記事を読めば、その意味するとこはかなり理解できるようになると思います。あの、ノーベル経済学賞を受賞したボール・クルーグマン氏は、「マクロ経済学への批判は、多いが、今でも、もちろんマクロ経済学で教えるところは、現実の経済にあてはまっているし、これを適用できることはたくさんある」としています。「一番困るのは、医学上の問題に関しては、テレビ番組などでも、医師を登場させ、専門的見解もなからず視聴者に提供するにもかかわらず、経済はそうではないことだ」としています。

そうして、「何かわけのわからない人が大勢登場して、ミクロ経済の話を述べていたかと思うと、突然その内容をマクロ経済の話に転 992;して、はちゃめちゃな論議をしたりするのに、それがとがめられることもなく、そのまま放映されてしまう」と嘆いていました。この話で、最近思い出すのが、IMFの女性理事長です。

IMF専務理事ラガルド仏経済相
IMFで、女性が専務理事になるのは、初めてのことだそうです。このラガルド専務理事を、ニュースゼロのコメンテーターがインタービューしたときに、この専務理事はとんでもないことをアドバイスしていました。「日本は、当座の苦しみにたえ増税すべき」などと答えていて、それに大して、コメンテーターも何も突っ込みも入れていませんでした。本当に愚かだと思います。クルーグマンなら、このようなアドバイスは絶対にしないことでしょう。なぜなら、マクロ経済におけるデフレの対処の基本の基本は、「財政出動と、金融緩和」の二本柱だからです。そうして、日本には、対外的に借金はないどころか、多額の貸付を行っているからです。明らかに、間違ったアドバイスです。クルーグマンのようなまともな経済学者ならとてもできないアドバイスです。

このようなアドバイスをする経済相は、一体フランス国内ではどのような経済対策を行うのでしょうか?本当に理解しがたいです。最近、EUは、ギリシャや、スペイン、イタリアなどの財政問題で、困難な局面にあたっています。このような経済相のフランスも先行きは危ういのではないかと思ってしまいます。金融危機にあっても、ほとんどその影響を受けなかったカナダ首相のほうが、余程経済通です。ちなみに、菅さんが総理大臣だったとにきに、カナダでG20が開催されました。そのときに、主催国として各国に財政再建をすべきという要請を出しています。ただし、その中で、日本は特殊事情があるので、例外とされていました。

無論、これは、カナダ首相が、日本は、カナダと同様に、国債を購入がほとんど国内で賄われていること、しかも、日本は世界最大の金融資産を他国に貸し付けている国であること、そうして、デフレの最中にあることを考慮したものです。マクロ経済を知り、日本の特殊事情を知っていれば、こうなるのは、当たり前です。
カナダといえば、美人政治家の写真がフォトショップで修正されて掲載という事件ありしまた

日本国外でもこの有様です。日本国内はもっと酷いです。民主党の閣僚など全員マクロ経済など全くわかりません。こと経済に関しては、案愚と行っても良い程度です。それに、マスコミも酷いものです。それに、政府の御用学者たちも酷いものです。まさに、日本は、クルーグマンが言っていたような、経済音痴の集まりのような国です。これらの人は、おそらく、ウエブや、あるいは、それに近いようような断片的な情報にしかあたっていないのだと思います。

このような愚かな人にならないためにも、やはり、一冊まともなマクロ経済に関する書籍は、一冊、できれば、数冊読んでおく必要があります。だから、読書は絶対に必要です。ネットのフローの情報だけではかえって、混乱してしまいます。これは、たまたま経済の分野の例をあげたのですが、他の事例でも同じことと思います。自分の専門分野は、もとより、議論などするときに、ある程度専門的なところに踏み込まざるをえないような場合、それに関するまともな書籍や、定評のある解説書(特にその分野が社会にどのような影響を与える可能性があるかを解説したもの)など少なくとも1冊や、できれば、数冊くらい読まないで議論すれば、まともなことは話せません。断片的なことや、ただの四迷いごとをいい、多くの人を惑わすだけになります。

■キュレーションが雑誌と、ゾッキ本を駆逐する!!
それから、キュレーションのことに話を移しますが、最近ネットで良くキュレーションという言葉が飛び飼っています。キュレーションとは、「キュレーション」とは、昨年ごろからよく使われるようになった言葉です。もともとは博物館や美術館の学芸員を「キュレーター」と呼ぶところから、ある視点のもとで「情報を収集、分類し、共有する」ことをキュレーションというようになったようです。失礼ながら、ひところ、学芸員など、私自身は、全くかび臭く世界で一番なりたくない職業であるなどと、思っていたことがありますが、たとえば、ニューヨーク博物館のキュレーターなど次々と新しい企画を立案し、お客をたくさん集客しているなどのことを知り認識を改めました。

この背景としては、インターネットに無秩序に爆発的に増大していく情報の流通があります。ニュースサイトや個人のブログ、ツイッターのつぶやきなど、日々流れる情報やニュースを、個人がバラバラに検索して探すのではなく、まとめて一覧で見たい、あるいは自分なりのまとめを見せたい、というニーズの高まりが、キュレーションが注目される背景にあります。

インターネット上の情報をまとめて見せる場としては、以前から「2ちゃんねる」のまとめや「はてなブックマーク」などがありましたが、最近ではNAVER社の「NAVERまとめ」が話題になっています。あるテーマにそった情報を個人がインターネット上で集め、リンク集を簡単に作れるようになっています。例えばその時々のニュースに関するリンク集は、その情報を探しているユーザーにとっては便利であり、1次情報ではなくても有益なコンテンツとなります。つまり、インターネット上で何らかの情報発信をしたい個人にとって、ハードルの高いホームページやブログを運営しなくても、手軽に情報発信することができるのです。「NAVERまとめ」では個人が広告収入を得られる仕組みにもなっていいます。しかし、利用者が増大しているところを見ると、たとえ金銭的収入がなくても、キュレートすること自体が個人の自己表現欲求を十分に満たしているのではないかと考えられます。

考えてみると、書籍だって、すべてがオリジナルの新しいコンテンツを含んでいるものなど、珍しいくらいです。既存の諸説だって、ごく一部を除いては、大部分がキュレーションの産物であると考えられます。雑誌などもその典型です。

そうなると、ウエブでのキュレーションがどんどん行われるようになれば、既存のキュレーションとしての、書籍や、雑誌は廃れる運命にあると思います。このキュレーション効果は絶大です。たとえば、iPadアプリとして、「Flipboard」というものがありますが、これは、twitterや、facebookの内容など、画像を含めた、ビジュアル系の雑誌のように掲示します。それだけなのですが、それでも、従来の見せ方とは異なるため、まるで、自分専用の雑誌のような感じで、これらを見ることができます。掲載される情報も、種々様々ですが、それを提供するのは、自分のフォロワーや、友達ということなので、自分が全く興味のわかないようなことはほとんどないです。

flipboardを読む女性
機械的にキュレーションしただけでも、このような効果が生まれるわけですから、さらに、内容まで、キュレーションするようになったら、とてつもないことかおきそうです。キュレーションでも、それになりに価値のあるキュレーションなら書籍でも、雑誌でも売れるでしょうが、ゾッキ本や、雑誌でも、キュレーションの質の低いものは、売れなくなっていくと思います。

サイトで様々な事柄に関す、キュレーションが無料もしくは、有料であっても、自分にとって有用なものであれば、出し惜しみせずに、利用するユーザーはいくらでもいると思います。また、自分がある特定分野に詳しいとか、興味を持っていれば、そういう人がキュレーションをするようになります。そうなれば、既存の雑誌や、書籍など、しっかりとしたコンセプトにもとづいて、それなりの価値を主張できないものは残ることができないと思います。そう、思うのは、私だけでしょうか?これはいずれ、書籍や雑誌だけではなく、映像、音楽でも同じようなことがおこるに違いありません。

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「書籍」というキーワードを含んだこのブログの過去の記事はこちらから!!

2011年11月26日土曜日

2012年ソーシャルメディアにおける7つのトレンド ~2011年の振り返りとともに~―【私の論評】来年は、さらにソーシャル・メディアが加速する!!

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  2012年ソーシャルメディアにおける7つのトレンド ~2011年の振り返りとともに~:(INFOBAHNより)
年末になってくると、「来年の○○大予測」といったレポートをよく見かけますね。

今年も残すところ1か月ちょっとということで、ソシエタでもソーシャルメディアの1年間のトレンドを振り返りつつ、来年の動向について考察を加えていきたいと思います。

network


2011年ソーシャルメディアにおけるトレンド振り返り

2010年末に予想された2011年ソーシャルメディアのトレンドを振り返ってみましょう。アメリカのメディア、Social Media Explorerの予測を参考にしてみます。


2011年のソーシャルメディアにおける5つのトレンド

①消費者によるコンテンツキュレーション

②ロケーション系サービス

③ゲーミフィケーション、ソーシャルゲーム

④QRコード

⑤ソーシャル・コマース

①消費者によるコンテンツキュレーションは、例えば「NAVERまとめ」や「Togetter」が良い事例ではないでしょうか。TwitterやFacebookのように、ストリームで絶え間なく流れていく情報に対して、本当に価値のある情報をキュレーションすることの必要性が高まっている、というのは2011年のトレンドして確かにあったと思います。弊社代表の小林もコンテンツキュレーションのトレンドについて、現代ビジネスに寄稿しています。


【ブログ管理人注釈】キュレイターは、従来、博物館やその他の収集品を管理する職業(学芸員)を指す。ソーシャルメディアでは、キュレイターはインタレストグラフを管理する。関連するコンテンツをウェブで見つけ、まとめ、そして、共有することで、重要な情報を社会に蓄積していく。一方的に流される情報だけではな、ストックとしての有用な情報を創造するのが、キュレイターの役割である。
②ロケーション系サービスに関しては、foursquareやGowallaといったアプリによってチェックインすることが主流でしたが、2011年6月にリクルートのRecoCheckがロケーションベースのクーポン、口コミ情報の提供を開始したり、Facebookがロケーションベースのクーポンを開始した、ということもありましたね。Infobahnによる新作アプリ“digimo”も、詳細はもうすぐ明らかになりますが、ロケーション機能×ゲーミフィケーションを活用したアプリとなっています。乞うご期待!

ロケーション系サービス
【ブログ管理人注釈】ロケーション系サービスの例としては、大手量販店と提携し、リアルな店舗や商品にチェックインを行うことでポイントがたまり、クーポンや特別ギフトをもらえるアプリなどがある。アプリを起動したままリアル店舗に入店するだけでチェックインが可能で、Mahableなどの有名Techメディアで2011年を代表するアプリTop10に入るなど注目を浴びている。日本では、本年は、観光地でのロケーション系サービスなどが提供されるようになった。
③ゲーミフィケーションとソーシャルゲームは、いうまでもなく2011年の大きなトレンドとなりました。ソシエタでも、なぜマーケティングにゲーミフィケーションが必要か、その重要性を説明してきました。一方で、バッジやポイントをとりあえず付けてみる、失敗したゲーミフィケーションの事例も見られるようになってきた一年であったと感じています。


Google+に追加されたゲーム
④QRコードはどうでしょうか。早くからガラケーが発達していた日本においてはQRコードは目新しいものではない、と感じる人も多いでしょう。「QRってあれでしょ、白黒の模様を読み込むとサイトに飛べるってやつでしょ」というのが一般的な理解かもしれませんが、ここ最近見られるQRコードの活用に関しては、白黒の地味な模様とは限りませんし、サイトに飛ぶだけではなく表現の幅も非常に広いです。最近、ソシエタで紹介した、QRコードを活用して音声メッセージをクリスマスギフトに添付するプロモーションなどをみても、海外ではクリエイティブなQRコードの活用がトレンドになりつつある、といってよいでしょう。

QRコードを読みとることにより、プレゼンターのメッセージが聴ける

⑤ソーシャル・コマースは、2012年のトレンド予測でも挙げられているので、後ほどコメントします。


2012年ソーシャルメディアにおけるトレンド予測

アイルランドのメディア、Simply Zestyにて、2012年に現れてくるであろうトレンドが予測されています。


2012年のソーシャルメディアにおけるトレンド7つ

①テレビのソーシャル化

②デフォルトでソーシャルに

③ソーシャル・コマースの成長

④ブランドによるコンテンツを用いたプロモーション

⑤ソーシャル・サーチ(検索)の進歩

⑥タブレット普及による電子書籍の加速

⑦Facebookは依然として強い

②デフォルトでソーシャルに、④ブランドによるコンテンツを用いたプロモーション、⑥タブレット普及による電子書籍の加速、⑦Facebookは依然として強い、といったあたりは、現在の延長戦上に理解できる気がします。最近、mixiの利用者数の集計方法の変化により、国内SNSシェアにおけるFacebookの勢いが明らかになりましたが、この傾向は2012年度も続くと考えられます。

個人的にどうなるのか特に面白いと感じているのは、①テレビのソーシャル化、③ソーシャル・コマースの成長、⑤ソーシャル・サーチ(検索)の進歩あたりです。

まず、①テレビのソーシャル化は注目したいところです。現在、Huluの登場によりタブレット端末で映画をみる人が増えてきたり、スマートフォンで動画を視聴する機会が増えるなど、いままで別々だった端末の機能の境界線が曖昧になってきています。テレビのソーシャル化が、2012年内にどこまで普及しうるかはさておき、企業の顧客へのアプローチにインパクトを与えることは間違いないでしょう。このトレンドには注目していきたいと思います。

【ブログ管理人注釈】テレビのソーシャル化の事例としては、ニワンゴは、ソニーの液晶テレビ向けアプリ「アプリキャスト版ニコニコ実況アプリ」の提供を2011年6月下旬に開始したことがあげられる。
ニコニコ実況は放送中の番組に関する視聴者のつぶやきを、放送局別に表示するネットサービスである。今回提供するアプリは液晶テレビ「ブラビア」に搭載されている「アプリキャスト」向けで、2008年以降に発売されたアプリキャスト対応テレビを使って無料で利用できる。
アプリを使うと、テレビ番組の右側にニコニコ実況に投稿されたコメントが時系列に順次表示されていく。アプリはパソコンや携帯電話機から投稿されたコメントを表示するだけで、テレビからコメント投稿はできない。

次に、③ソーシャル・コマースです。2011年のトレンド予測にも入っていましたが、実際に多くの企業にてソーシャルコマースが導入されてきました。

コンサルティング会社Booz&Companyの報告書によると、ソーシャルコマースは2015年までにグローバルで300億ドルの市場規模になると予測されています。まだまだ発展途上ですが、昨年に引き続き注目していくべきトレンドだと考えます。


ソーシャル・コマースのイメージ

最後に、⑤ソーシャル・サーチ(検索)の進歩は、不確定な要素は多いものの注目すべき分野だと思います。Googleは+1ボタンやGoogle+の導入でソーシャルな情報を重視する姿勢をみせていますし、Twitterはソーシャル・サーチのスタートアップJulpanを買収しています。ソーシャル・サーチにおけるブレイクスルーは、ソーシャルメディア全体に大きな影響を与えうるため、2012年注目していきたい分野です。

【ブログ管理人注釈】ソーシャル・サーチに関する定義は、はっきりしていないが、ここでは「ソーシャルプラットフォームとの親和性が高い拡張機能を兼ね備え、そこから収集されるユーザー個人の属性情報を解析し、検索結果を個人別にカスタマイズする検索システム」とする。
以下に従来の検索システムと、ソーシャル・サーチの違いを掲載する。 
■従来の検索システム 

■ソーシャル・サーチ
 

この1年間だけでも大きな変化があったソーシャルメディアの状況ですが、2012年もワクワクするトレンドが多く今から楽しみです!


[Social Media Explorer]

[Simply Zesty]


Social Media Account Planners

大出卓史



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【私の論評】来年は、さらにソーシャル・メディアが加速する!!



■ソーシャルTV
年の瀬も迫っています。もう、上記のような記事が出回る頃になりました。私も、それを意識して
上の記事を掲載しました。私自身は、上に付け加えるほど、ソーシャル・メディアに詳しいわけではありませんが、やはり、気になるのは、ソーシャルTVの動きと、ソーシャル・コマースの進展です。

特に、アップルTVの動向は、注目だと思います。アップルTVでは、以下のような新しい動きがあります。私は、アップルのことですから、来年発売されるAppleTVは、何らかの形で、ソーシャル化が図られているのではと期待しています。

2012年式Apple TVはシャープ製のアモルファスTFTを採用

Apple TVが「2010年モデル」として値下げ販売中...まさかジョブズ遺産の「iTV」なる新製品の前触れ?



現在、テレビのソーシャル化は非常に遅れています。かつて、あのライブドアの経営者であった、堀江氏は、あのフジテレビの買収騒動の頃にテレビのソーシャル化に関して、テレビの中で実演していたことがあります。

そのテレビの中で、堀江氏は、テレビとパソコンを用意したセットの中で、「たとえば、テレビで放送をしている、その内容についての意見をあらかじめ、サイト上にテレビの視聴者が意見を述べられるようにしておく、さらにその意見についての他の意見などが述べられようにしていく、こんなことがまだできていない。いろいろなテレビ局にこのような、申し出をしても、どこも受けてくれなかった。だから、私は、テレビ会社を買収してこのようなことを実践していきたい」と述べていました。これは、とりもなおさず、テレビのソーシャル化だと思います。彼の犯罪などは全く別の次元の話しとして、この指摘そのものは正しかったと思います。

ホリエモンがフジテレビの株式を買収したときに

提携したときだ

フジテレビ社長のいやそうな顔

あれから、年月がたち、ある程度はこのようなことは、実現されていますが、現実には、テレビ報道は、まだまだ変わっていないというのが実情のようです。おそらく、テレビ局側には、そのような備えが未だできていないのだと思います。

視聴者から、多数の意見が寄せられて、その多くが公開され、公開された意見にまた意見がつくというソーシャルな現象にどう対応して良いのかわからないとのだと思います。しかし、私はいつまでも、このようなソーシャル化に対応できない既存テレビ局には将来がないと思っています。

いずれ、テレビは、インターネットと不可分に結びつき、既存のテレビ局以外が、様々なメディアが、テレビ番組をオンディマンドや、ライブで放映することになるでしょう。もう、その動きは、止められません。

そうして、テレビは番組放映と、視聴者、番組製作者、放送主体さらには、テレビ番組への支援者(従来のCMの提供会社など)が集まって評価をしたり、意見を交換するソーシャル・プラットフォームになると思います。そうして、これらは、従来のようなマスメディアではなく、もっと細分化された、ものになっていくと思います。

そうして、上記の記事の①消費者によるコンテンツキュレーションで掲載した、consumers、curators、creators、Eliteという区分が曖昧になっていくと思います。従来のテレビであれば、消費者はあくまで消費者であって、それより上の段階は、すべて放送局が担っていました。この構造は今でもそのままです。ところが、curatorsが放送する側の人間だげではなく、視聴者の中からもでてきているというのが、現状だと思います。

しかし、ソーシャルTVではその構造が崩れます。ソーシャルTVがただ、テレビを一方的に放送するのではなく、ソーシャル・プラットフォーム化すれば、プロの番組制作者だけではなく、一般ユーザーも意見を述べるにとどまるだけではなく、どのような番組が必要とされているのかとい情報や、コンテンツまで提供できるようになります。いまだと、iPhoneでも、高画質の動画を撮影できるわけですから、ユーザーの提供するコンテンツをYouTubeのように提供するだけではなく、様々なことが考えられようになります。編集なども、容易になりました。また、live配信も本当に容易になりました。

既存のテレビでは、これらを生かすことはできないでしょうが、ソーシャルTVなら、それが可能になります。また、従来のようなテレビや、映画のようなものも配信することも可能です。来年は、このようなテレビの可能性が多くの人々に認識される年となることでしょう。

■ソーシャルコマース

ソーシャルコマースとは、一言でいってしまえばソーシャルメディアを使って多く人々にコミュニケーションをとっていただき、購入するのを助ける小売業のことです。そういう意味では従来のEコマースサービスにTwitterやFacebook等からリンクを貼っただけのものから、forsquareを使ってリアルな店舗にご来店いただき商品を購入していただくものまで広く含まれるものと思います。

インターネットは情報を「空間」と「時間」を飛び越えさせる技術です。私たちは遠く世界のどこかで起きた出来事を即座に知ることができ、そしてそれに至った原因も、Googleで検索すれば過去に遡って知ることができます。昔は、夢のようなことでしたが、今ではこれが当たり前になりました。ただし、従来のインターネットは、情報を交換することが主たる目的で、コミュニケーションをすることは、副次的なものでした。だかこそ、インターネットの世界は、バーチャルな世界であり、リアルの社会とははっきり区分されていました。

コミュニケーションと情報は異なりますが両者は相互依存の関係にあります。情報とは形式であり単なる記号でもあります。記号はそれ自体には意味がなく、人がその記号に意味を与えてはじめて意味がうまれます。人がコミュニケーションを通して情報に「意味づけ」を行います。たとえば、ある会社が決算を発表したとします、これは情報に過ぎません。

決算の数字は単なる記号であり、それ自体には意味がありません。この数字が良いのか悪いのかを判断するのは情報の受け手です。そこでコミュニケーションが必要となります。コミュニケーションによって情報に「意味づけ」を行わなければならないのです。従来の、インターネットは、こうした意味づけは、副次的なものにすぎませんでした。

しかし、今では、そこにソーシャルが加わることにより、自分の友人や職場の同僚、時には憧れの有名人やスターと一緒になって「私はこう思う」と議論や意見を交わすことができるようになりました。

今では、ソーシャル・メディアにより、インターネットにより、「空間」と「時間」の概念を無くしながらも、そこにリアルタイムに「感情」が共有できるようになりました。そうして、多くの人がその情報に対してより共感しやすい環境、つまり、コミュニケーションがしやすい環境が整ったのです。

この「共感」によりモノの価値を何倍にもさせることができます。たとえば目の前に同じような、2枚のピザがあったとします。1枚がが2000円で、もう1枚が2500円だった場合、普通なら2000円の方を買うでしょう。



しかし、2500円のピザの方は東日本大震災に売上が全額寄付されるとしたらどうでしょう。2500円のピザを選ぶ人もきっと多くいることでしょう。

私たちは東日本大震災で何が起きたかを知っている。苦しんでいる人達の気持ちや、その人達の力になりたいという気持ちに共感できるからこそ2500円のをピザを選ぶのですソーシャルコマースは、こうした共感を呼ぶストーリーを伝え、人々の購入を助けることです。

たまたま、震災の例をあげましたが、それ以外にも、友人が「いいね!」や「+」をしていたから買ってみるとか、Twitter上で話題になっていたから買ってみたとか、そうしたソーシャルメディア上での共有体験がストーリーとなり、共感を呼び、モノの購入へと人を動かすのがソーシャルコマースです。

そして、そのストーリーはまたその友人から友人へとソーシャルメディアを介して国内や、世界中に伝わっていくことになります。

ソーシャル・メディアの登場により、インターネットの社会は、匿名から実名にかわり、リアルな友人関係や個人の趣味・関心が文書だけではなく、画像・動画・音声、さらには、リアルタイムでのそれなども交えて可視化されることでお互いの顔が見えるコミュニケーションがとれるようになりました。
そして、それを利用したソーシャルコマースがf-commerce(=facebook commerce)です。そうして、Google+によるソーシャル・コマースです。海外ではFacebookをはじめとしたソーシャルメディアとの連携により、売り手や買い手の顔が見えて、より共感を生みやすいソーシャルコマースサービスが次々と生まれています。日本でも、これからどんどん生まれていくと思います。そうして、来年は、おそらく、その姿がはっきりとしてきて、多くの人々に認識される年となることでしょう。

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