2012年9月11日火曜日

お弁当1つにかける値段ランキング―【私の論評】コンビニ弁当の価格をみればわかる、デフレ・スパイラルの酷さ!!

お弁当1つにかける値段ランキング:


お弁当専門店やスーパー、コンビニエンスストアで取り扱うお弁当の低価格化が進んで、昔なら400円~500円クラスのお弁当が今や300円台は当たり前、200円台の超激安弁当も登場しています。そこで今回、みなさんに「お弁当にかけられる値段は?」と聞いてみました。

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圧倒的な得票差で1位を獲得したのは《500円程度かな》でした。昼食にかけるお弁当代はワンコイン(500円玉)で抑えたいという人も少なくないはず。新生銀行が2012年6月28日発表した「サラリーマンの小遣い調査」によると、会社勤めのサラリーマンのお小遣いの平均は昨年に比べると僅かながらアップし39,600円らしく、これを原資として捻出される昼食代は510円が平均だそうです。

昼食代とお弁当代が必ずしも“イコール”ではありませんが、お弁当にかけられる金額が《500円程度かな》という意見が多いのもわかります。続く2位は《その時々で違う》。夕食を少しリッチにしたいときには昼食のお弁当代を抑えて…と思っている人もいそう。3位には《300円ぐらいで安く済ます》がランク・イン。

「吉野家」「すき家」「松屋」の牛丼御三家の中でトップの店舗数を誇る「すき家」の主力メニュー、牛丼の並盛の価格が280円(松屋も同じく280円、吉野家は380円)と超激安なことを考えれば、お弁当を300円程度に安く抑えたい人がいても不思議ではありません。4位は《700円程度で少し高価に》でしたが、5位には最も安上がりになる《お弁当は手作り派》が入っています。

あなたがお弁当代にかけられる金額は何位にランク・インしていましたか?

調査方法:NTTドコモ「みんなの声」にて投票を実施

投票数:18126票

投票期間:2012/7/19~8/2

※この結果は科学的な統計にもとづくものではありません

【私の論評】コンビニ弁当の価格をみればわかる、デフレ・スパイラルの酷さ!!

上の記事、やはり、デフレが進行していることを如実に物語っていると思います。

最近、都合で社食がおやすみなので、コンビニ弁当や、スーパーのお弁当を食べる機会が増えました。会社の人でまとめて買いに行ってくれる人がいるので、いつも、お願いしています。それにしても、注文するときは、たいてい「幕の内」ということでお願いしていますから、いくつかのコンビニやスーパーの「幕の内」の食べ比べができてしまいました。

下の写真は、ローソンの「幕の内弁当」、価格は、398円です。


下も、同じローソンの「幕の内弁当」です。少し種類が違います。上には、お醤油がついいませんでしが、下のものには、お醤油がついていました。価格は、400円台。


下は、セブンイレブンの「幕の内弁当」価格は、398円。ローソンの同価格帯のお弁当には、エビがついていないのに、これは、海老天がついています。


スーパーのものは、近くのダイエーグルメシティーのお弁当でしたが、残念ながら、写真は撮影しませんでしたが、価格としては400円台だして。

それにしても、今、コンビニでは、300円台の「幕の内弁当」が当たり前の価格になっているのですね。久しぶりに食べたので、驚いてしまいました。少し前の記憶では、コンビニ弁当といえば、500円ちよっとしたと思います。本の数年前に、500円を切るが当たり前になったことが話題になっていました。

それは、以下の2009年の記事をご覧いただければ、お分かりになると思います。

加速するコンビニ弁当離れと低価格化~月1以下の利用は約7割、500円未満が約8割

最近では、500円を切るどころか、400円も切っているということです。なんということでしょう。やはり、デフレということなのです。

それも、デフレも随分進行しているということです。下の写真は、2008年のものですが、価格は、500円です。「熟成秋鮭幕の内弁当」というネーミングでした。





いっとき、コンビニでも、期間限定で、「空弁」など売っていた時代もありましたが、最近では、全く見かけなくなりました。きっと売れないんでしょうね。普段食べるお弁当に余分なお金をかける人は、いなくなったということかもしれません。

下は、2008年セブンイレブンで販売されていた、空弁の、「浜焼き鯖寿司」。価格は、失念しましたが、なにせ、量があまりないので、そんなに高くはなかったと思います。味は、良かったです。


2008年といえば、4年ほど前ですが、この4年間でも随分とデフレが進行したという事だと思います。何といっても、コンビニは一般の人に最も近いですから、とにかく、コンビニは、このデフレの世相に合わせて、4年間随分努力を重ねてきたということです。

最近アニメの影響でアメリカ人もつくるようになった、BENTO
300円台の弁当の次は、200円台の弁当に突入するということでしょうか?こんなことは、やめるべきですね。やめるべきというと、日本の多くの人は、コンビニがこのような弁当を売ることをやめるべきと言っているように思われるかも知れませんが、私はそんなことを言うつもりはありません。コンビニが安売りをやめたからといって、デフレが収束するわけではありません。というより、しません。

アメリカのBento Party、お弁当に用意された食材
を詰め込んでから食べるという不思議なパーテイー
やめるべきは、政府による増税と、日銀による、金融引き締めです。これらは、景気が悪い時にやるようなことではありません。今でもこのようにデフレなのに、金融引締めをしたまま増税すれば、ますます、税収が経るだけです。まずは、一刻もはやく、日銀による金融引締めはやめさせるべぎです。それだけで、かなり景気は良くなります。そうして、雇用も改善します。

Bento Party
そうして、コンビニで、500円前後の「幕の内弁当」が普通に見られるようになったら、デフレも収束して、景気もかなり良くなっていることでしょう。そういう意味では、「幕の内弁当」は、経済を見るのに良い指標になると思います。

それから、以下は、会社の社食です。






いろいろ、あるでしょう。これで、なぜ私が普段は、コンビニ弁当を食べないのかお分かりになるでしよう。この社食何と価格は300円です。これでは、コンビニや、スーパーでお弁当を買って食べる気にはなれません。それから、価格は、2008年当時からずっと300円です。特にデフレがどうのということは関係はありません。ちなみに、作っているのは、もと、レストランのシェフです。シェフは、ただいま出張中なので、社食を食べることはできません。はやく戻ってきて欲しいです。

こんな社食を毎日食べられるのは、本当に幸せなことだと思います。いつも有難うございます。皆さん、会社では、社食はあるのでしょうか?
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2012年9月10日月曜日

日本にはなぜお寺や神社が多いの?−【私の論評】当たり前になっている日本を再発見しよう!!

日本にはなぜお寺や神社が多いの?



日常に溶け込んでいると、気づかないことがたくさんあります。皆さん、日本のことどれくらい知っていますか?教えて!gooより、神社・寺社の話題をお送りします

質問者のgoorabiさんは、海外から旅行で訪れた友人に「日本はなぜ神社やお寺がこんなにも多いのか?」と質問され、改めて疑問を抱いたそうです。

神社は約8万8千、寺社は約7万7千、合わせて16万5千社。その数はコンビニの約3倍です。何か理由があるのでしょうか?皆さんの回答は…。




・・・・・・・・・・・<中略>・・・・・・・・・・・・・・・・

「goo地図」では江戸古地図が閲覧できますので、どのくらい多かったのか、一度その目で確かめてみてください。特に増上寺の周りはお寺だらけです。都内に在住の方は、お住まいの土地がかつてはお寺だった場所かもしれません。(実は、私の自宅もお寺の跡でした)

海外からの観光客に「江戸時代には今の5倍近くあったんだよ」と答えたなら、さらに驚きの表情が見られるはずです。不思議の国・日本を更に好きになってもらえると良いのですが。

入江ねこ(Irie Neco)

【私の論評】当たり前になっている日本を再発見しよう!!

上の記録では、神社が多い理由がいろいろと述べられていますが、神社は別にして特に寺については最も合理的に説明されているのは、以下のものだと思います。


「江戸時代、寺院は百姓の戸籍的役割や思想統制の道具に使われました。幕府の下請け機関としての一面があるので、基本的にどこの村でもあります」

もともと、寺院には、檀家の家で、誰がいつ生まれたとか、いつ亡くなったかの記録を、残していました。それが、江戸時代になってから、義務付けられました。この制度を寺請制度と呼びます。この制度により、お寺は、公式に日本の今でいえば、住民基本台帳ならびに戸籍を扱う役所という役割を担うことになったのです。


ただし、上記の文書では、思想統制の道具としていましたが、これは、導入のきっかけがそうであったということであって、これは、どちらかといえば、近代国家の要件とされる、住民基本台帳ならびに戸籍の制度のはじまりとみるべきと思います。西欧などのように、近代的な役所をつくというのではなく、既存の組織を活用したということで素晴らしい試みだと思います。

日本の近代化というと、すべて明治維新後と考えることが多いでずか、この寺受制度による戸籍の保存は、紛れもなく近代化の動きです。おそらく、全国的規模で戸籍などの保管をはじめたのは、当時の先進国であるヨーロッパなどがやりはじめたのと、時期的あまり変わらないと思います。このようなことがあったからこそ、日本では、近代的な役所組織をつくるにしても、その概念がもとからあったため、非常にやりやすかったと重います。


世界には、現在でも、戸籍などがはっきりしていないところがいくらでもあります。たとえば、中国も奥地に行くと、戸籍がはっきりしないとこもあります。ロシアでも、そんなところもあります。しかし、日本ては、近代から、はっきりした戸籍制度があったということは、日本の先進性を物語っていると思います。

このような制度があり、全国をおさめる政府(幕府)とのつながりもあったからこそ、江戸時代末期から、明治時代の初期ころまで、各地の寺が温存され続けてきたのです。ある程度大きな村や町になれば、宗派の違いもありますから、いくつもの寺が温存されたということです。だからこそ、これだけ多くの寺が今でも残っているのです。昔から伝統的に受け継がれてきた、寺を潰すことなど、檀家としてはなかなかできなことですし、それ以外にもこうした役所的な業務も担っていたからこそ、今日まで、これだけの寺院が温存されてきたのです。


これらの寺院これからも残していきたいです。全国的各地にある寺院を訪れると、木々が残されておりまさに、安らぎの場という感じです。そうして、それぞれの寺院のいわれなどを調べるのも楽しいです。このような素晴らしい文化遺産が私たちの身の回りにたくさん残されいるということは、本当に素晴らしいことだと思います。


ちなみに、寺請制度について、wikipediaから、簡単に引用しておきます。詳細はwikipediaをご覧になってください。
寺請制度(てらうけせいど)は、江戸幕府が宗教統制の一環として設けた制度。寺請証文を受けることを民衆に義務付け、キリシタンではないことを寺院に証明させる制度である。必然的に民衆は寺請をしてもらう寺院の檀家となったため、檀家制度や寺檀制度とも呼ばれるが、厳密には檀家制度と寺請制度は異なる(詳しくは檀家制度を参照)。
その目的において、邪宗門とされたキリスト教や不受不施派の発見や締め出しを狙った制度であったが、宗門人別改帳など住民調査の一端も担った。
寺請制度では、毎年1回の調査・申告によって宗門人別改帳が作成された。これに基づいて寺請証文が発行され、人々が奉公や結婚その他の理由で他の土地に移る場合には、移動するものの年齢・性別・所属・宗旨などを記載して村役人の送一札とともに移転先にある新たな檀家寺に送付して移転の手続とした。移動元から移動先に送る証文を宗旨送・寺送状と呼び、本人確認後の証明として移転先から移転元に送る証文を引取一札(ひきとりいっさつ)と呼んだ。

それにしても、このような文化財がたくさん残っている日本は、素晴らしいです。上の記事は、外国人の質問に端を発しているようですが、日本人だとあまりにも当たり前なので、なかなか気づかないことかもしれません。そのようなことはまだまだ、たくさんあると思います。

たとえば、江戸時代の17世紀に日本では関考和(せきたかかず)が、和算で、微分・積分の概念を発展させ、実際に計算していたなどという話もあります。こういう先進性が江戸時代からあったかこそ、その後の日本の発展もあったのだと思います。明治維新は確かに一大変革でしたが、その前の江戸時代に近代化の芽は出ていて、それが、明治になっていっせいに花が開いたということです。

考えてみると、歴史というものは、分断されることなく、連綿として続いています。昨日このブログに掲載したように、企画など新しいものを作り出す一番の早道は、Remix(リミックス)です。明治維新もRemixの部分がおおいにあったと思います。そのため、西洋のものを多く導入したり、温存するものはしたり、あるいは、古くからあるものと、西洋のものをミックスしたりと、一大Remixをしたのが、明治であり、その前の江戸時代にも、その萌芽があったということです。

明治維新の前に、西欧のものとRemixすべき、技術、文化などがなければ、Remixのしようもなく、維新もあり得なかったということです。今の混迷の時代も、ひよっとすると、次の大きな時代への大躍進への準備段階であり、あちことに、次の時代への芽吹きがあるのかもしれません。私たちが気づいていないだけかもしれません。

今回は、こうした当たり前になっている日本を再発見するという意味合いでこの記事を掲載しました。今後も、またおりをみて掲載していこうと思います。



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2012年9月9日日曜日

なんかヘンだよ?「スマート家電」 いちいち「タッチ」面倒くさい−【私の論評】Everything is a Remix?!!

なんかヘンだよ?「スマート家電」 いちいち「タッチ」面倒くさい:


大手電器メーカーの「パナソニック」が発売するAndroidスマートフォンと連動した「スマート家電」シリーズについて、インターネットのユーザーから「どこがスマートなの?」と疑問の声が出ている。

【私の論評】Everything is a Remix?!!

日本の家電のスーパー化なかなか、うまくはいっていないようです。しかし、健康機器などではうまくいっているようです。健康機器では、クラウドをうまく活用することで成功しています。このクラウドを使うことで、記録が簡単にできるだけではなく、長期間にわたる変化をみることができます。さらに、単に血圧の記録をとるだけではなく、体重の記録もとるようにして、さらに、食事の写真をスマートフォンで撮り、クラウドに送るようにして、そのカロリーを計算して、その記録を保存し、これらすべての記録を医師が診るようにして、健康アドバイスをするようにして、さらに付加価値をつけたサービスなど生まれてきています。


いままでのところ、クラウドを活用した、健康機器と、そうではない家電とでは、大きな差があるようです。この違いはどこからでてきているのでしょうか。それは、健康危機は、クラウドとい新たな領域を十分ん活用できているにもかかわず、その他の家電は洗濯機とスマートフォンという関係では、従来あったリモコンとなんらかわりがなく、クラウドが十分に活用されていないからです。

健康危機以外の家電であっても、従来の家電の中だけでの延長線上で、イノベーションを考えるだけではないく、クラウドや、その他のものを組み合わせることでいままでにはない、ものが作り出せる余地がまだたくさんあるはずです。たとえば、SNSだって、ゲーミフィケーションだって、位置情報サービスだって使えそうです。

それに関して参考になりそうなことを以下にあのアッブルの事例も含めながら、掲載します。

Remixの概念は音楽業界からきている
家電の開発もそうですが、何か新しいものをつくることの近道、特に私を含めた凡人にとっての近道は、リミックス(REMIX)です。REMIXとは、copy(複写)、transform(変形)とcombine(結合)です。これらをそれぞれ、単独で行うこと、あるいはいくつかを組み合わせて行うことすべてを含みます。音楽の世界でも、テレビ番組でも、映画でも、政治の世界でも、文学でも、アートでも同じです。ただし、Remixということが良くいわれるようになったのは、音楽の世界からです。しかし、ここでは、本題ではないので、詳細はのべません。しかし、皆さんも、古いアーティストとの楽曲など、リミックス版として発売されいることもあることは、よくご存知だと思います。音楽界でいう、リミックスについては、wikipediaなどで調べていただけたら、幸いです。

あの、アップルコンピュータのOSも、マイクロソフトのOS(ウインドウズ)も同じことです。これらには、ゼロックスが開発したOSがもとになっています。マイクロソフトのwindowsは、アップルからパクったという話しがありますが、そうではありません。あのiPhoneや、iPadもリミックスから成り立っています。これらには、市場に投入する時期に失敗した、ノキアのスマートフォン、タブレット端末の手本がありました。おどろくなかれ、これらは、iPhoneか発売される5年前に原型が完成しており、iPhoneや、iPadの持っているすべてまでとはいいませんが、特徴的な機能はすべて網羅していました。

このremixの実態については、アメリカの高画質動画サイトvimeoに4回シリーズが投稿されている「Everyghing is a Remix」にあますところなく表現されています。これだけ、分かりやすく、豊富な事例で誰もが短時間で納得できるものを私はいまだかつて見たことがありません。まさに、秀逸な動画です。


Everything is a Remix Part 1 from Kirby Ferguson on Vimeo.
http://vimeo.com/14912890

あなたにも是非ご覧になっていただきたいです。上は、Part1ですが、是非全編をご覧になってください。

新しいものが、全くの無から生まれてくることはありません。バッハも、同時代の先輩格のビバルディやコレルリの曲を何曲も編曲して新しい楽曲を生み出しています。特に、バロック時代にはそのようなことは、日常茶飯事に行われていました。今のように著作権法などはありませんでした。このようなことを行っていくうちに、バッハも自分独自の素晴らしい楽曲を作成するに至りました。アインシュタインだってそうです。彼自身が、自分がやったことは、過去の人がやったことに1%を付け加えたに過ぎないと言っています。その1%が素晴らしいことだったのです。彼でさえ、99%は、リミックスだったのです。

楽聖バッハも、リミックスからはじめている

特に、社会変革に関する企画に関してはそういうことがいえます。今まで社会でどの時代のものであれ、うまくいったことは、すべて手本にすべきです。近江商人など昔の商人のやったことだって、多いに役立ちます。だから、過去に行われたこと、現在多くの人が行っていることは、徹底的に調べて、まずは、著作権法、商標法などに違反しないかたちで、複写・変形・結合することによって、新しいものを生み出すべきです。

複写・変形は、すぐに著作権侵害をしてしまう恐れがあります。ただし、誰が最初にやったのかわからない形で、世の中に広まってものは、そのようなことはありません。複数のものを結合して新しいものをつくってしまえば、それは最早、複写・変形の域を超えています。だからこそ、結合が重要なのです。そうして、努力を重ねて、さらに運がよければ、アインシュタインのように、1%の全く新しいものを付け加えられるかもしれないです。そのとき私たちは天才と呼ばれるのかもしれません。しかし、天才と呼ばれることがなくても、商売や事業は十分やっていけます。だから、凡人は、まずは、リミックスすべきなのです。

既存のものに1%の未知のものを付け加えればアインシュタインのように天才と呼ばれる?
リミックスとはいっても、ただ物まねしているだけでは、中国のパクリ文化と何も変わりません。創造性も何もありません。AppleのiPadや、iPhoneもそれに似たようなものはすでにあったことは先にも掲載しました。iPhoneであれば、ブラックベリーやノキアのスマートフォン、さらには、現在のスマートフォンから電話機能だけを除いたPDA(携帯情報端末)などの原型がありました。

iPadに関しても、たとえば、ノートパソコンで、ディスプレイが、360度回転できるものがありました。(下の写真はその事例)

これなど、スタイラス(鉛筆様のもの)によるタッチパネル式で、折りたたんでしまえば、キーボードも見えなくなり、形だけみれば、今のiPadと変わりません。ただし、キーボードもついているし、折りたたんだ状態では、重いしかさばるし、あまり使い勝手の良いものではなく、それに、価格もiPadと比較するとかなり高価でした。

リミックスは音楽の世界だけでなく様々な分野で活用できそうだ
こういう手本を参考にしつつも、アップルはただ軽量化・小型化するだけではなく、指によるタッチパネルにするとか、キーボードは取り除くが、Apple純正のタワー型端末のキーボードは使えるようにするとか、斬新でありながらシンプルな形にするとか、手本のものが使っていた技術以上のものを投入するとか、さらには、ハード面だけではなく、iPhoneや、iPad独自のアプリを配信する仕組みや、iBookなど書籍などを販売する仕組みも投入して、完璧な差別化をはかっています。

iPhoneもリミックスの産物だが、様々な結合で、パクリの次元をはるかに超えている
これでは、もう、ただのコピー、変形とはいえません。ちなみに、Appleは、今でも、ノートパソコンのディスプレイが、360度回転する方式のものは販売していません。というより、現在いでは、タブレット型ノートパソコンを開発する会社はなくなりました。だからこそ、コピー、変形だけではなく、結合が重要なのです。だから、企画においては、企画の本質は既存のものをつなげあわし新しいことを見出すことであるといえるのです。

さて、こんな考え方をすれば、家電に限らず、なんでもかんでも、新たなものを企画するには、Remixが役だちそうです。みなさんは、どう思われますか?




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2012年9月8日土曜日

【きょうの名言】お涙ちょうだい映画で世の中良くならない―【私の論評】虚構と現実は異なる!!ましてや、ゲームや映画・テレビと現実は異なる!!

【きょうの名言】お涙ちょうだい映画で世の中良くならない:


映像作品やゲームなどの中で、暴力シーンなど残虐なシーンが内容に含まれているものが、往々にして問題にされることがある。現実への悪影響がどの程度あるのか、実際のところわからない。しかし、まったく別の見方がある。
@kouno0521さんがツイートする。

「北野武が記者に『暴力映画の影響で実際に暴力行為に出る人間も居ると思いますが、その点についてどう思われますか?』と聞かれた時に『じゃあ、何でおなみだ頂戴の良い話だらけなのに、一向に世の中は良くならねえんだよ』と聞き返したそうです」

北野武監督らしいと言えばそうだが、まったくその通り。ハッピーエンドの映画はこの世にあふれているにも関わらず、なぜみんなが幸せになることができないのか? それは、説明するまでもなく、映画と現実の世界は、全然違う世界だからだ。

いい加減、同列視はやめてはどうか。

【私の論評】虚構と現実は異なる!!ましてや、ゲームや映画・テレビと現実は異なる!!
まさしく、北野武氏のいわれることも、このツイートの主も、正しいことを言っていると思います。そもそも、映画やゲームは、現実ではありません。虚構の世界です。暴力的なゲームなゲームは、犯罪数を減少させるという研究レポートもあるくらいで、このブログにも掲載したことがあります。つい、先日北野武が出演していた"Outrage"を見たばかりでしたので、本日はこの話題を掲載することにしました。



『アウトレイジ』(OUTRAGE)は、2010年6月12日に公開された日本映画。北野武の15本目の監督作品。丸の内ルーブル、渋谷東急ほか全国東急系にて公開されました。

キャッチコピーは「全員悪人」。

過激なバイオレンスシーンや拷問シーンが数多く含まれるため、映倫でR15+指定を受けました。

この映画見ていない人ため、あらすじだけ掲載しておきます。
関東一円を支配する巨大暴力団・山王会の関内会長は、傘下の池元組が麻薬を扱う村瀬組と兄弟杯を交わして親密になっていることを快く思っていませんでした。そこで関内の右腕・加藤はこの2つの組を仲違いさせようと企て、池元に対して「村瀬を締めろ(軽い制裁を与えろ)」と無理な命令をします。兄弟分の村瀬に手を出せない池元は、配下の大友組に村瀬組を締めることを命令すします。池元の二枚舌、山王会の思惑に翻弄されながらも、大友組は村瀬組を締めることに成功し、村瀬組は解散しました。 
池元の行動に不愉快を覚えつつ、大友は村瀬のシマを事実上継承し、大使館の闇カジノで成功を収めます。一方、村瀬が隠れて麻薬を売っていることが発覚し、池元に唆された大友は村瀬を殺害します。ところが、このことを口実に池元は大友に破門を言い渡し、大友は怒りを露わにします。大友は復帰のため、関内の元を訪れ許しを請いますが、逆に関内は池元の殺害を唆します。そこで大友は悪びれず闇カジノを訪れていた池元を殺害します。闇カジノを狙っていた関内は、今度は池元組若頭の小沢に、組を継ぎたければ親の仇を討てと煽り、大友組と池元組の抗争を仕掛けてます。本家の手助けも得た小沢は、次々と大友組の組員を殺害し、彼らを追い詰めていきます。
下にキャストをあげておきます。以下のキャストを見れば、普段は悪役などやっていない人でも、悪役をやっいることに驚かれることでしょう。
大友(大友組組長) - ビートたけし
水野(大友組若頭) - 椎名桔平
石原(大友組組員) - 加瀬亮
片岡(刑事) - 小日向文世
関内(山王会会長) - 北村総一朗
岡崎(大友組組員) - 坂田聡
安倍(大友組組員) - 森永健司
上田(大友組組員) - 三浦誠己
江本(大友組組員) - 柄本時生
大友組組員 - 新田純一
大友組組員 - 渡来敏之
大友組組員 - 岩寺真志
大友組組員 - 小村裕次郎
大友組組員 - 大原研二
大友組組員 - 田崎敏路
村瀬組組員 - 内野智
村瀬組組員 - 鈴木雄一郎
ぼったくりBARの店員(村瀬組組員) - 瀧川英次
ぼったくりBARの店員(村瀬組組員) - 井澤崇行
ぼったくりBARの店員(村瀬組組員) - 金原泰成
佐山(村瀬組組員) - 芹沢礼多
小沢の手下 - 外川貴博
小沢の手下 - 江藤純
刑事 - 辻つとむ 
刑事 - 貴山侑哉 
ラーメン屋の客 - 太田浩介
ラーメン屋店長 - マキタスポーツ
ラーメン屋店員 - ケンタエリザベス3世
ジュン - しいなえいひ
ぼったくりBARのママ - こばやしあきこ
水野の女 - 渡辺奈緒子
歯科女医 - 中村純子
グバナン共和国在日大使館大使 - ハーシェル・ペッパース
飯塚(村瀬組組員) - 塚本高史
大友の女 - 板谷由夏
木村(村瀬組若頭) - 中野英雄
小沢(池元組若頭) - 杉本哲太
村瀬(村瀬組組長) - 石橋蓮司
池元(池元組組長) - 國村隼
加藤(山王会若頭) - 三浦友和
この映画、第63回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式参加しました。プレス限定上映会ではブーイングや退席者が出ましたが]、公式上映ではブーイングや退席者はでず、恒例である上映後のスタンディングオベーションのほかに、入場してきた北野監督に観客から長時間拍手が送られるという異例の歓迎を受けました。これは従来暴力中心映画をあまりノミネートしないカンヌ映画祭において、暴力表現に敏感なプレスに対し、一般客も含まれる公式上映では歓迎されたということを意味します。



私が、北野映画をみたのは、Borotherがはじめてでした。それから、あの話題になったHnabiもみました。この2作とも、暴力シーンは過激であるものの、Bortherに関しては、仲間に対する、Hnabiでは、妻や同僚・仲間に対するするそこはかとない、愛情が感じられました。愛情というか、思いやり、大義といったものを感じました。そうして、暴力シーンがあるからこそ、この大義が強調され、あるいみ人の心を打ったのだと思います。海外で高い評価を受けたのは、そのせいだと思います。



それと、北野映画に一環して表現される暴力なのですが、あれを見ていると、やはり、痛みを感じます。無論実際に痛いわけではありませんが、痛みを感じます。普段現実世界ではあり得ない、それこそ、シュール(非現実的、超現実的)な痛みを感じてしまいます。なぜ、感じるかといえば、やはり、昔人に殴られたり、殴られたりしたからだと思います。あるいは、言葉の暴力などでの痛みを感じてしまいます。そうして、少し年代が上の人たちは、本当の意味での飢えの感覚にもつながるものかもしれません。この痛みの感覚は、現実にはあり得ないようでありながら、映画のストーリーに奇妙な現実感を与えてることも否定できません。しかし、この奇妙な現実感を味わいながら、世界の現実を振り返ると、飢えや暴力は、この世界に蔓延している事実に戸惑いを覚えます。私達は、平和ニッポンにいて平和ボケしているのではと思ってしまいます。


飢えも暴力も世界に存在する現実だ!!
これらの映画を観ていると、現在の子供たちは、大人になってから私達と同じ感覚で見られるのかと、ふと疑念を持ってしまいます。なぜなら、現在は、家庭でも、学校でも、いわゆる体罰はないですし、暴力もいけないものとされ、子供によっては、親にも、学校の先生にも、他の子供たちからも、殴られたことも、殴ったこともなく育っている子供がいるからです。それに、本当の意味では、生まれてから、一度も飢えの感覚を味わっていないからです。しかし、ある程度大人になってから、こうした映画を大人と一緒にみて、大人がその意味を教えてあげれば、随分違うものと思います。

"Outrage"は、まさに、キャッチフレーズ通りに、「悪人」ばかりで、同僚などに対するそこはかとない、思いやりなどもない世界でした。まさに、暴力だけが支配する異様な世界でした。これを通して、北野監督はどのような世界を見せたかったのか、なかなか理解できないところがあります。


しかし、この映画に登場する人物達、確かに全員悪人なのですが、どんなに悪いことをしている人間でも、妙に憎めないところがありました。やはり、痛みを通して、超現実的な世界であるにもかかわらず、現実に存在する人間よりも、生き生きしていて、圧倒的存在感があり、奇妙な現実感があり、その人間たちが次々と死んでいくことから、人間というもののはかなさを描くことに成功しているからかもしれません。それこそ、いつ死ぬかわからいなのに、生きている間は、かなりの現実感があります。


とにかく、出演者三浦友和など含めて、普段は、悪役などしない人まで徹底して悪訳です。三浦友和がやっていた加藤(山王会若頭)は、北村総一朗がやっていた関内(山王会会長)を殺し、みずから会長になります。この映画では、最後にわざと逮捕され、刑務所に入って、殺されることを免れたかにも見えた、大友(ビートたけし)まで、刑務所で殺されてしまいます。

私は、これらの映画を見て、痛みを感じ、奇妙な現実感とでも呼べるような痛みの感覚を持てる人はある意味正常なのだと思います。『暴力映画の影響で実際に暴力行為に出る人間も居ると思いますが、その点についてどう思われますか?』と北野に聴くような記者などは、このような感覚を持てないのだと思います。

あまり痛みや、飢えなど、体に物理的な強い感覚を持ったことのない人は、ある意味では、かわいそうな存在かもしれません。こういう人達こそ、現実と映画の区別がつきにくいのかもしれません。

それらか、私自身は、人間の根源には、誰しもが暴力的な性向を持っていると思います。だから、"Outrage"の中に出てくる悪人達が、圧倒的な存在感があるように見えるだと思います。そうして、私は、人間は、誰でもそのようなものであることを認めるべきだと思います。無論、それを"Outrage"に出てくる悪人達のように、日常的に表に出すべきではありません。

しかし、出すべきときには出すべきと思います。たとえば、スポーツの時に、ここぞというとき踏ん貼らなければならないときとか、仕事上でも、ここ一番、アグレッシップにならなければならないときとか、無論、誰彼かまわず殴れといっているわけではありません。やるべきことに、力を注ぐときに、その力を使うという意味です。



これに似たようなことは、そういわれでみれば、以前このブログでも書いたことがあります。それは、あの、スタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』について書いたときです。この記事を書いたときに、このブログのアバター(自分の写真)をこの映画の主人公アレックス(主演男優マルコム・マクドウェル)の写真を掲載していました。このブログ記事には、なぜその写真にしたかを以下のように綴っています。
この映画結局は人間にとって性への関心や暴力的な性格は根源的なものであり、これを全くなくしてしまえば人間ではなくなるというものだと思います。事実大昔、ロボトミーという暴力的あるいは性犯罪を頻繁に起こす精神疾患者に対して前頭葉を一部切り取るという手術の手法があり、実際に行われた事例がありました。しかし、手術を受けた患者は確かに大人しくはなるが全く無気力になってしまうので、今では行われていません。 
なぜ私がこの写真をアバターにしたかというと、仕事を行うにしても社会人として振舞うにしても、良い意味での攻撃性は重要であると思っているからです。こうした感情がなければ、パワフルに物事を進められないからです。人間は気を抜けばつい安逸な方向に流れがちです。そんな自分を戒め何事にも積極的にあたっていけるようにと願いを込めてこの写真をアバターにしました。この映画、ご覧になっていない方是非ご覧になって下さい。
人間は、根源的なもの失えば、人間ではなくなるということです。だからこそ、現実世界ではあり得ないような、"Outrage"などのような悪人たちを見ると、妙な存在感を感じるのかもしれません。

私は、このような映画あっても良いと思います。そもそも、現実と映画やゲームの世界は異なるからです。それにしても、たとえ、本当の痛みを感じなくても、このような映画を見さいに、痛みを感じるように子供たちを育てていくべきと思います。



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2012年9月7日金曜日

あの会社も、社員教育にゲーミフィケーションを取り入れている―【私の論評】ゲーミフィケーションは、組織戦略の一環として実施されるべきものである!!



「ゲーミフィケーション」とは何か、いま一度確認を。 『ゲームの力が会社を変える』(岡村健右著 日本実業出版社)はこの言葉について、「ゲーム以外の分野にゲーム的要素を組み込むことで、ユーザーのモチベーションやロイヤリティなどを高める手法を指す言葉」であると解説しています。 

つまりは日常生活の様々なシーンにゲーム的な要素を組み込んでしまおうという発想です。わかりやすい例を挙げるなら、たとえば買い物をすることでポイントが貯まるカード、あるいはブログのアクセスランキングなどもこの範疇に収まります。ゲーム性を高めることによって、「やる気」を刺激しようというわけです。 本書では「ゲームを続けるのが楽しいと思う仕組み」を図式化しています。

この記事の詳細は、こちらから!!

【私の論評】ゲーミフィケーションは、組織戦略の一環として実施されるべきものである!!
詳細は、上の記事をごらんいただくものとして、図式と、結論部分のみ掲載しておきます。まず、図式は下です。

上の図式し、何かを習得したいという欲望を感じ、インセンティブを目的としてチャレンジし、達成したり、達成することで報酬を受け、やる気になるようなフィードバックを受けるうちに、最終的に習得に至るというわけです。
そうして、結局言いたいことは、以下のようなことです。
1.企業は社員のモチベーションを高める効果を期待することができる。 
2.社員は、仕事やコミョニケーションにゲーム感覚を自然なかたちで取り込んでいくことができるようになる。 
3.さらにそれらが結果的には、仕事全体に合理性と有効な結果を与える。


上の、記事では、買い物でポイントが貯まるとか、ブログのアクセスランキングも、ゲーミフィケーションであるとしていますが、これは、確かにわかりやすい事例です。ポイントが貯まる、ランキングなどで、人々は確かに動機づけられます。職場でも同じことです。日々ただ、淡々と仕事をしてもらうより、ゲームのように、目標など明白にして、段階別にスキルが習得できるようにするなどの工夫をすれば、それをしないよりもはるかに効果があがると思います。
昨年中国のサイトを賑わした裸でゲームをする女子
さて、このゲーミフィケーション、ただ闇雲に実施しただけではうまくはいかないと思います。やはり、組織戦略というものがあり、それに基づき実施されるべきものと思います。それなしに、実施している企業のうわべだけを真似て、ただ実施しても、混乱するだけできっとうまくいかないことでしょう。

これは、以前、いわゆる、ザッポスなどのオフィスが、遊び心満載で、見ているだけ楽しくなるようにつくられていますが、それには、それなりの組織戦略があり、それにもとづいてオフィスづくりが行われていることを述べましたが、それと同じことです。オフィスのあり方は、氷山の一角に過ぎず、目に見える、10%であり、その根底には、90%の組織戦略があるということです。そういった意味で、オフィスのあり方は、戦略を実現するためのビルトイン(組み込み)にすぎないということです。


ゲーミフィケーションもまさに同じことです。オフィスに関する記事の詳細は、以下のURLをごらんいただくものとして、以下にその要点だけ述べさせて頂きます。

「Shopify」の社内は遊び心がいっぱい!(仕事場探訪)―【私の論評】オフィスづくりは、組織づくりそのものだ!!オフィス作りだけでは意味がない!!


上の記事の結論は、結局簡単に一言でまとめてしまうと、貢献と集中と目線を高くさせることです。
知識があって、理解力があり、懸命に働くだけでは十分ではありません。成果をあげるにはこれらとは違う何かが必要です。仕事において成果を上げるには、特別の才能や適性は必要ありません。いくつかの簡単なことを行なうだけで良いのです。そうして簡単な習慣を身につければ良いのです。そうして、そういった習慣が身についたら、また新しい簡単な習慣を身につけること、この積み重ねを重ねることによってのみ卓越性が生まれてきます。このために重要なのは、以下の三点です。 この三点の文末に、ゲームに関連する注釈をいれておきます。
第一が、常に貢献を考えること、考えさせることです。これは簡単なことのように思えて、実はそうではありません。「業績」という言葉が出てきそうになったら、そのつど「貢献」と言い換えるべきです。業績とは、主に売上、利益の数値です。特に営利企業の場合は、これがなければ、どのような行動も成果とはいえません。この業績をあげるためには、会社に働く者すべてが、何がしかの「貢献」をしなければなりません。貢献のないところに、業績はありえません。たとえば、eコマースであれば、誰かが、ユーザービュー数を上げるために、具体的に行動して貢献することにより、ユーザービュー数が上昇し、それが、業績に結びつきます。 (注:ゲームは、何をすれば貢献できるのかが明白になっていないとやりようがない)
第二が、常に集中することです。これも簡単なことに思えますが、そうではありません。集中するには優先順位を決めなければなりません。どのような仕事にも順番があり優先順位があります。その順番や優先順位は、会社によっても、構成員によっても、幾通りもあり、どれが絶対に正しいなどということはなく、これは、実際に働くものでなければ、その内容を決めることはできません。管理職、経営者ができるのは、これをとりまとめることぐらいです。特に新しい事柄においてはそうです。机の上で、新しいことを思いついても、それを実施するのは、自分一人だけではなく、大勢の人にやってもらわなければなりません。大勢の人とはいってもすべてタイプが異なります。得意の分野も、一人一人異なります。同じ成果をあげるにしても、個々人でやり方も順番も異なるのです。そうして、集中するのは、個々人の責任であり、義務でもあります。いくら、管理職が監督しようとも、本当に集中しているのか否かは本人しか確認のしようがありません。 (注:ゲームは集中しないとできない)
第三が、目線を高くさせることです。何をどうしようとも、「世のため人のため」という目線の高さがなければ飛躍は無理です。必ず、欲という落とし穴に落ち込みます。売上をあげる、利益を上げるだけの考えでは成功はおぼつきません。誰もが納得でき、誰をも奮い立たさせられるような、理念を掲げなければなりません。これは、主に経営者の仕事です。そうして考えるだけではなく、全従業員に徹底しなければならないものです。ありとあらゆる機会を利用して、徹底するべきものです。 (注:ゲームには目線を高くさせる、様々なインセンティブが盛り込まれている)
そしてもう一つ。成果を上げるための必須の資質は「真摯たること」です。これなくしては、長期的な成果を望むことは不可能です。 
成果を上げる者は、成果を上げる能力を努力して身につけています。彼らは、成果を上げることを習慣にしています。成果を上げるよう努める者は、皆が皆、そうして、成果を上げられるようになっています。 
まずは、多くの社員に、「成果をあげることは修得できる。そして修得しなければならない」という信念を植え付ける必要があります。 
「何に対して貢献するか、どのような貢献ができるのか」仕事ができる者は自分で考えますし、また、そうさせなければなりません。
ゲーミフィケーションも、上記のような文脈の中で、実施されなければ、結局遊びのようになるか、やっているか、やっていないのかわからないようになってしまい、有名無実になってしまうということになります。
昨年中国のサイト賑わした、夏に裸で自宅でゲームに興ずる女子。同じパソコンに向かうにし
ても、仕事なら嫌がる人もいるが、なぜかゲームだと、やり続けて死んでしまう人もいるくらいだ!!
これに成功している、マクドナルドなどの企業は、堅牢堅固な、組織戦略を持っているからこそ、成功しているのであって、ゲーミフィケーションはそのためのツールであるということです。

それにしても、いわゆる、ゲーミフィケーションは、上記の三点をかなりやりやすくしていることは事実であり、ツールの一つとして、取り入れる価値は十分あると思います。皆さんは、どうお考えになりますか?



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2012年9月6日木曜日

【日本の解き方】バーナンキ講演、日銀の不甲斐なさ浮き彫り!―【私の論評】日本が金融政策の重要性を理解すれば、世界は救われる!?

【日本の解き方】バーナンキ講演、日銀の不甲斐なさ浮き彫り!:



バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長は8月31日、米ワイオミング州のジャクソンホールで講演を行った。そのポイントは、雇用に力点を置いた金融政策だ。

7月4日の本コラム「失業率は改善の余地あるが厚労省所管では実行が困難 日銀こそ責任を持つべきだ」で書いたように、日銀は雇用問題に責任を持たず、マクロ需要不足に対して何も策を講じない。

一方、米国では雇用の最大化はFRBの責務で、需要不足部分に対する失業率を下げることは中央銀行の責任だ。このため、雇用についてバーナンキFRB議長が広い意味での政府を代表して責任を持っている。

この点を日銀と比較すると、FRBの雇用重視がわかる。日銀はそもそも雇用問題に責任を持っていないので、雇用対策として金融緩和をしない。しかも、今の金融緩和でも、コストばかりを強調している。このため、日米で金融緩和を比較すると、圧倒的に米国FRBのほうが金融緩和しているわけだ。

雇用状況について、「失業率は依然、大半のFOMC(連邦公開市場委員会)メンバーが長期的に正常とみなす数値を2%ポイント強超える水準にある」として、8%台に高止まりしていることを満足のいく状態からは程遠いとしている。

このため、9月7日に発表される8月の米雇用統計などが注目されている。場合によっては、FRBによる量的緩和第3弾(QE3)が実施されるかもしれないと市場には期待感がある。

また、金融緩和政策の効果について、FRBは「金融緩和政策は伝統的・非伝統的措置とともに、物価安定の維持に寄与すると同時に、経済回復を支援する重要な効果をもたらした」と堂々と述べている。この点、少ない金融緩和をしたあげく、その効果について自ら否定する日銀とは好対照だ。

そして、物価については、「過剰な政策緩和がインフレを招く恐れがあるとの警告を何度か受けながらも、インフレ率は(商品相場の振れを主因とする一時的に変則的な動きを除いて)、FOMCが目標とする2%近辺で推移し、インフレ期待も安定してきた」と満足できるとしている。

これも、いまだにインフレ率がマイナスのままで、デフレから脱却できないにもかかわらずインフレリスクを強調して金融緩和しない日銀とは大違いである。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

この記事の詳細はこちから!!


【私の論評】日本が金融政策の重要性を理解すれば、世界は救われる!?
このブログでは、従来から、雇用における金融政策の重要性を強調してきました。日本では、上の記事にも指摘があるように、世界では、一国の中央銀行には、雇用に関する責任があるというのが、常識なのに日本銀行は、雇用調整に関する責任があるということがあまりに認識されていません。
バーナンキ議長
これに関しては、たとえば、かなり優秀であるとされる企業のスーパーエリートと目されている人でさえ、その認識はないようで、雇用問題を道徳や本人の資質などのミクロ的側面だけから語る人も多く、時々このことに気付かされ面食らうときがあります。だから、日本では、政治家や、普通の人達がそう思わないのは無理もないのかもしれません。しかし、それは、明らかな誤りです。

かくういう私も、10年くらい前までは、日銀が雇用調整の元締めであるという認識はあまりありませんでした。日銀が金融緩和をすれば、雇用状況が良くなるくらいの認識はありましたが、中央銀行が雇用枠調整の元締めであるという世界の常識を認識するまでにはいたっていませんでした。

ポール・クルーグマン氏
これを知るに至ったのは、ポール・クルーグマンのマクロ経済に関する書籍を読んだからです。その後何冊か読んだので、その書籍が何であったかまでは、思い出せませんが、確か、いわゆるマクロ経済の大学でのテキストなどという固いものではなく、もっと柔らかく噛み砕いたわかりやすいものでした。まさに、目からうろこが落ちるというような、感動と感激を覚えたものです。そうして、中学・高校時代に学んだ、経済のことを思い出し当時の日本経済の財政・金融政策に関するマスコミなどの論調は明らかにおかしいと思うようになりました。

ちなみに、雇用調整における日銀の大きな役割については、以前このブログにも掲載しましたので、ここでは私の考えを詳細に述べるようなことはしません。当該ブログをご覧になってください。

若者雇用戦略のウソ―【私の論評】雇用と中央銀行の金融政策の間には密接な関係があることを知らない日本人?!


中央銀行に相当するアメリカのFRBの議長、ベン・バーナンキはヒーローなのかもしれません。バーナンキは1929年のアメリカ発の世界大恐慌、1990年代の日本のバブル崩壊を研究していました。そうして、そのせいもあってか、2007年にアメリカで発生した金融危機を防ぐことはできませんでしたが、比較的に早いペースでアメリカは不況の底から脱出することができました。

バーナンキはバブル崩壊後の2003年に日本の政策当局に対して日本経済再生のために提言を行っていました。それは金融緩和政策と財政出動のパッケージでした。

「日本の政府と中央銀行は協力し、日銀が新発国債を引き受け、政府は財政出動するべきだ」


この時、バーナンキは「日銀はケチャップでも大量に買うべきだ。そうすればインフレ率が上昇し、デフレから抜け出せる」とも言っていました。この発言は、日本の金融政策を揶揄しているようにも受け取れますが、この発言はまさに、正鵠を射ていました。煎じ詰めれば、デフレから脱却するためにはインフレ傾向にすればいいだけの話です。そうすれば日本の潜在産出量に見合う需要が増加し、日本は再生したはずです。実際、2000年台のはじめの頃は、政府はあいかわらず、緊縮財政を続けていましたが、日銀はいっとき金融緩和を行いました。


このとき、世の中を騒がせたのは、あのライブドア事件の堀江であり、村上ファンドなどです。現在のような、デフレスパイラルにどっぷりと浸っているの世の中では、あのような事件がおこるような余地さえ全くありません。この金融緩和を2008年くらいまで、継続していれば、日本は、デフレから脱出できていたかもしれません。

しかし、日本は結局バーナンキの提言を受け入れませんでした。日銀は、すぐに金融緩和をやめてしまい、そこから先は、何かといえば、金融引締めに走り、デフレ・円高の守護神になってしまいました。そうして、政府も、自民党末期政権の麻生政権は、積極財政を行いましたが、それ以外は、現民主党政権も含め、緊縮財政ばかりです。そうして、次のような声が日本国内で大勢を占めるようになりました。

村上世彰
「財政出動をすれば、更に日本の公的債務残高が増加し、日本はギリシャのようになる!」

「日銀が国債を直接引き受ければ、ハイパー・インフレになる!」

このような愚かなマスコミや増税しか頭にない財務省、無責任な日銀にはバーナンキの提言は到底受け入れることができるようなものではなかったのです。そんな事をすれば、日本がデフレから早期脱却し、真実が公になり、マスコミは信用を失い財務省は増税する根拠を失い、日銀は責任を追及されることになったことでしょう。

ところで、バーナンキはアメリカでバブル崩壊した時に、日本に対して提言したことと同じ事を実行しました。とは言っても無論ケチャップはさすがに買ってはいません。

金融危機直後、バーナンキはすぐに政策金利をゼロ付近まで低下させゼロ金利政策を導入し、さらにアメリカ政府もFRBの行動に同調し、財政出動を行いました。これが功を奏し、アメリカ経済は不況の底から脱出できました。リーマン・ショックのときには、米国はもとより、主だった先進国が、大規模な増刷を行いマネタリーベース(貨幣の流通量)を増加させました。その時、日本だけは、増刷しませんでした。そのため、発信源だったアメリカはもとより、他国もこのショックから立ち直るのが早かったのに、日本だけが回復に手間取り一人負けの状況に陥りました。

しかし、バーナンキはアメリカを救いましたが、大きな過ちを犯した可能性もあります。それは彼の指導のもとFRBが信用緩和(実質的な量的緩和)でアメリカの金融機関が大量保有するCDOやMBSなどの不良債権を買い取ったことです。不良債権とは劣化した資産のことです。通常、中央銀行は量的緩和を実施する場合は長期国債などの価格が変動しにくい超優良資産を買い取ります。しかし、バーナンキは金融危機の根本的問題である不良債権を金融機関から買い取ることで金融機関のバランスシートを正常化しました。

金融機関が不良債権に苦しめられるのはその価格の下落によりバランスシートが劣化するためです。だからそれをFRB買い取れば、FRBのバランスシートが劣化する可能性をもつことを意味します。これは中央銀行による銀行の救済になります。しかし、普通は銀行救済の役割は政府が負うべき筋合いのものです。

なぜなら政府は税金を投入することで銀行を救済できるからです。その税金は銀行の倒産を防ぎ、銀行員の生活を守ることにつながるでしょう。もちろん政府が買い取った不良債権がさらに劣化すれば、国民は不満を持つでしょうがこれは、さほど問題ではありません。しかし、中央銀行が銀行を救済する際には税金は投入されません。

中央銀行には徴税権がないですから当然といえば、当然です。ではどのように中央銀行は不良債券を買い取るのかというと、金を無から作り出すのです。中央銀行は通貨を印刷できる唯一の存在です。危機の際に通貨を刷っても問題はありません。しかし、危機が過ぎれば問題になる可能性があります。

中央銀行が量的緩和を行う時に安全な長期国債を買うのは将来インフレが発生した際にインフレを抑止するために国債を銀行に買い取らせ資金を吸収するためです。しかし、安全な長期国債とは違い不良債権なら価格が下落し、最悪無価値になる可能性がります。

そうなれば将来インフレが発生した際に中央銀行は不良債権を買い取った分の資金を吸収できなくなり、インフレを抑えることが難しくなります。その時はインフレを抑えるためには政府が増税する以外に手段はなくなります。増税は金融引き締めとは違い、直接国民に負担となる。バーナンキはそのような状況が起こる可能性を生み出したということです。

しかし、仮にそれが過ちだとしても当時の状況を考えれば、仕方のなかったことかもしれません。危機が起きた時、早く動かなければ更に悪化するだけです。日本政府と日銀がやれなかったことをFRBとアメリカ政府はやってのけたのです。

しかし、アメリカ経済の現状は良くありません。ただし、今のところ、アメリカ政府は何とか1929年の大恐慌のような事態を避けることはできました。現在、オバマ政権は野党の反発を受けて財政赤字の削減に取り掛かっています。つまり緊縮財政を目指しているということです。

世界恐慌を世界で一番先にリフレ政策でのりきった高橋是清
1930年代、ルーズベルト政権は大量の財政赤字を出したことで世論の反発を受け、緊縮財政に走りました。その結果、リフレ政策で、すぐに昭和恐慌を回復した日本とは違い、回復途上にあったアメリカ経済は再び不況になりました。そして、第2次世界大戦という景気刺激策が発動するまでアメリカ経済は停滞し続けました。

1997年、日本の橋本政権は大量の財政赤字が存在していた為にマスコミから批判を浴び、消費税増税(3%→5%)などの緊縮財政に走り、回復途上にあった日本経済は不況に再突入し、その結果、増税前の税収を超えたことは一度もなく、現在もデフレ不況から抜け出せていません。

歴史は繰り返すと言いますが、その時はアメリカ経済はその衝撃に耐えられるのでしょうか?日本経済はその衝撃に耐えられるのでしょうか?世界はその衝撃に耐えられるのでしょうか?

その答えは実は、日本自身が握っています。今では、日本人自身だけが、日本の経済力の素晴らしい実力を理解していないようです。多くの人が、日本はこれから、沈没していくだけだと信じて疑っていないようです。2007年に崩壊した世界経済を再生できるのはアメリカでもなければ、中国でもありません。それは日本です。少なくとも、多くの日本人が、金融政策の重要性を理解し、実行ある金融政策を打ち出すことができるようになれば、間違いなくそうなります。兵国や、特に中国など、日本のデフレ・円高政策によって、長期にわたりメリットを享受してきた国々も、そろそろ限界に近づき米国オバマ大統領は、かつて日本が歩んだような不況時における緊縮財政をしようとしています。


中国に至っては、このメリットが当たり前になり、依存体質がますます深化して、身動きが取れない状況に陥りつつあります。最近になって、おから工事による、新しい道路の大陥没、新しい橋の崩落が始まったり、裸官(家族を海外に住まわせ、不正蓄財した資産を海外に移した官僚)がますます増え、さらに、裸官の海外逃亡もかなり増えています。とても今のままではすまない状況にあります。米国、中国も、目の前の利益を追求するだけではなく、世界同時不況となり、その中で日本も同じようにデフレスパイラルに陥ったままであれば、それこそ、大昔の金融恐慌と同じようなことになってしまうことを認識すべきです。

世界恐慌(日本では昭和恐慌)のときには、日本はリフレ策によって、世界で一番速く立ち直りました、しかし、当時の日本は軍事大国ではありましたが、経済大国ではなく、経済的にはとるにたらない存在であり、日本一国が早急に立ち直ったからといって、貧しい国であることには変わりなく、世界的にみれば、これが世界経済に及ぼしたのは、微々たるものでした。しかし、今日では違います。日本が、デフレを終わらせたら、それだけで、また、世界第二の経済大国となることでしょう。さらに、まともな金融政策を継続でき、さらに財政政策もまともになれば、さらに経済を拡大でる余地が十分にあります。事実、日本が、デフレ政策をやっている間にそうではなかった、多くの国々が、GDPを大幅に伸ばしましたし、賃金も2倍(インフレのため、それを考慮しても、1.5倍)になっています。日本だけが、ほぼ20年近く何も変わりませんでした。

とにかく、日本においては、財政政策も無論重要ですが、それとともに、金融政策も重要です。というより、今の日本人は、金融政策をないがしろにしすぎています。日銀がそうであるだけではなく、多くの人達が、金融政策が重要であることの認識がないようです。認識がないので、日銀を責めることもしません。もし、自民党が、金融政策の重要性を認識していたら、今でも、政権を担っていたかもしれません。また、民主党もその重要性を認識していたら、もっとまともな、政策運営ができたかもしれません。財政政策のみではその効果も実効性のなくなるどころか、デフレ・円高堅持による金融政策に打ち消されてしまうだけです。

日本が金融政策の重要性を理解すれば、世界は救われると思うのは私だけでしょうか?!そうして、その可能性は十分あります。過去において、日銀が、金融緩和をしていた時期には、世界の経済が同時に下降しているときか、まさにさの傾向の最中にあるときでした。歴史は繰り返されます。その時が間近に迫っています!!目覚めよ、日本人!!



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