あなたの「情報依存度」はどれくらい?
情報化時代といわれる現代では、いち早くいい情報を取り入れることが人生を豊かにするコツだといわれています。新しい情報に触れていないと、時代に取り残されるような不安感を覚えることもあるでしょう。しかし、情報に頼りすぎると、主体的に物事を判断する力を養えなくなることも事実です。また、物事に素直に感動する心や、直感力を失いがちになることも否めません。
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【私の論評】本当に重要なのは、情報ではない知識だ!!
上の記事で、情報依存度をチエックする項目として以下があげられていました。
● 作品を見る(読む)より先に、つい「解説」に目がいってしまう
● いつも最新のニュースをチェックしていないと不安になる
● 気がつけば、「話題のもの」ばかりを追いかけている
● ガイドブックや情報誌がないと、旅行や街歩きを楽しめない
● 何につけても、人の意見が気になる
● パソコンや携帯電話など、情報ツールがそばにないと不安になる
皆さんは、何項目あたはまったでしょうか?私は、2項目だけあてはまりました。ちなみに、どの項目かというと、2番目の「いつも最新のニュースのチェック」、一番最後の「情報ツールがそばにないと不安になる」というものです。であれば、半分未満なので、情報への依存度は低いということになります。
当然といえば、当然とも思います。なぜなら、私は、情報自体は、さほど重要なことではないと思っているからです。21世紀に入ってから、私たちの社会は完璧に知識社会に突入しました。知識社会に入ってから、それまで以前とは異なる大きな動きがあります。
まず、知識という言葉の意味が変わりました。20年前まで言われていた、知識とは、今や情報です。たとえば、百科事典にあるような情報、サイトに掲載されているような情報、あるい自ら見聞きしたり、直接体験したりしたものです。これらをいくら頭の中に大量に詰め込んだからといって、それ自体はいずれ何かの役にたつかもしれませんが、すぐに仕事に適用できるわけではありません。
どんな情報でも、仕事にするためには、知っているだけでなく、仕事に適用できるように加工しなければなりません。こうして加工して実際に仕事にできるようになった情報体系を知識と呼びます。体系化されていない情報は、知識とはなり得ません。
知識とは、たとえば、緊急救命室(ER)で用いられている実際に救急患者を救命するための知識や知識体系です。このような応用医学や応用工学などにおける知識および知識体系と同義です。知識工学(knowledge engineering)という言葉における知識と同義でもあります。場合によっては、言葉で記載できない暗黙知(言葉に表現できない情報)も含む、情報の体系です。これは、一昔前は知恵ともいわれていたものの大部分も含みます。そうして、新しい意味での知識は、管理対象、変革、破棄の対象です。
一方20年ほど前から知恵の意味も変わっています。これは、たとえば、企業でいえば、経営者のアート、企業の文化、それも基底の文化ともいえる分野のものです。これは管理、改革、改善の対象とはなりえなません。また、改革・改善されるべき筋合いのものでもありません。捨て去るべきものでもありません。たとえば、昨年なくなったアップルの元CEOのスティーブ・ジョブズの知恵は、このブログでも掲載したことがありますが、集中することと、シンプルさの重要性を伝えています。この知恵は、その後アップルの経営者にも引き継がれ、おそらくアップルが存続する限り継承され続けるでしょう。なぜなら、これを失えば、もはやアップは、アップルではなくなるからです。
従来知恵と呼ばれていたものは、幅が広く、現代でいうところの、知識と、知恵の両方が含まれた概念であり、単に知恵といった場合どの範囲を含むのかが曖昧でしたが、新たな言葉の定義によって、曖昧さがなくなりました。そうして、知識とは管理できるものであり、革新できるもの、破棄すべきものでもあります。
特に、今世紀に入ってから、先進国のほとんどが知識社会に突入し、現在では完璧に知識社会となった現在においては、知識の陳腐化は著しくはやく、知識の革新や、知識を捨て去り、新たな知識を取り入れることは、今日多くの企業の基本的な課題です。
以上のことから、私自身は、情報を得ること自体には、あまり価値を見出せないのです。ただし、知識を得るにしても、普段からある程度情報に接しておかなければならないことも、確かに重要です。しかし、だからといて、年がら年中、日がな一日情報を得る必要などありません。
普段は、さっと目を通すくらいで十分です。しかし、何か企画を考えるとか、ものを考えるという段階になれば、特定の項目に関して徹底的に調べます。そのときには、現在のITの進化は、確かに素晴らしいです。一昔前なら、情報が集約された都内にでも住んでいて、あちこち、書籍や、資料館、図書館などを巡り歩いてようやっと得ていたような情報をパソコンの前に座っていてすぐに集めることができるからです。
しかし、モノを知っていることだけでは、今の時代何にもなりません。それは、単にスタート段階に立ったことを意味しているだけです。それだけであれば、単なる「物知り」に過ぎません。そこから先、様々な情報をどのように加工するのかが、本当に意味のあることであり、情報集めは、そのための準備にすぎません。
こうしたことを考えると、過度に普段から情報に依存することは単なる時間潰しにすぎないかもしれません。自分の仕事であれ、趣味であれ、何であれ、情報に接するだけではなく、自分にとって重要な知識に高めることを想定して、情報に接するべきと思います。そう思うのは、私だけでしょうか?
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