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2019年7月3日水曜日

中国との競争に欠かせない米欧日協力―【私の論評】米国ができるのは、日欧と協力して中国経済の弱体化を早めること(゚д゚)!

中国との競争に欠かせない米欧日協力

米中2国間取引には限界がある

岡崎研究所

米中貿易戦争は、米中両国の報復関税のかけ合いとなっている。その影響は、米中両国のみならず、少なからず国際情勢に影響を及ぼしている。


 トランプ大統領は、貿易に関しては、中国のみならず、同盟国を含む他諸国にも関税をかけているか、かけようと脅している。鉄鋼・アルミニウムに関しては、日欧も例外ではなかったし、移民問題では、メキシコからの輸入に関税をかけるとした。

 そんな中、米国でも、トランプ政権は、中国と対峙して勝ちたいならば、欧州を味方に付けなければならないという論調が出て来た。例えば、6月12日付のニューヨーク・タイムズ紙に掲載された、バイデン元米国副大統領の補佐官を務めたジュリアンヌ・スミスの論説がそうである。筆者は、中国との競争に当たって、米国は同盟国と協調して対処すべきで、米欧の足並みを揃え、日本等に連携を拡大すべきだ等と主張している。米欧が結束して中国に当たるべきとの指摘は正にその通りだ。

 トランプ大統領は、中国と二国間で貿易取引しようとしているが、それには限界がある。欧州や日本などを含め有志連合を作って中国と交渉するほうが余程効果的だと思う。中国には頼るべき友好関係は余りない。圧力も集団の方が大きくなる。但し、今のような関税乱用のアプローチでは、なかなか連合も容易でないかもしれない。

 最近、欧州が経済、政治など中国のリスクに覚醒してきたことは、やや遅い感はあるが、歓迎すべきことである。2015年3月、英国が突如アジア・インフラ投資銀行(AIIB)の構想にG7で初めて参加を決定し、直ちに、ドイツ、フランス及びイタリアがこれに追随したことは大きな驚きだった。英国のオズボーン財務相の決定は理解に苦しんだし、英国など欧州諸国の説得をしていた米国は当然不満を露わにした。すなわち、トランプ政権以前から、欧米の対中政策ギャップは存在していた。米国からの働きかけにもかかわらず、欧州は聴く耳を持たなかったと言うことである。日米両国とカナダは不参加を貫き、AIIBの外から、透明性の確保やプロジェクトの審査基準などについて、種々中国へ働きかけた。

 「一帯一路」構想についても、日米両国は慎重に対処し、受け入れ国の債務負担や環境の重視などを指摘した。その後、中国は若干変化したようにも見える。今年4月に開催された北京の会議で、習近平は、財政の持続性などを確保する、国際基準に則って進める、入札や資材調達の手法を見直すなどと言及した。

 米欧などの連携による対中政策について問題となるのは、依然として欧州である。欧州は英国のEU離脱問題やポピュリズムの台頭などで結束を欠いている。独仏などの中国観は現実的になってきたが、南欧や東欧のEU加盟国の対中姿勢は未だ問題である。例えば、イタリアは、今年、G7諸国の中で、初めて「一帯一路」プロジェクトの受け入れに署名した国となった。また、EU加盟国以外も含んだ東欧諸国と中国が「17+1会議」を開催している。今の欧州の状況は、依然注意を要する。

 中国に対する政策に関しては、日米欧の継続的な対話が重要である。中国に限らず、共通の関心事項について、議論する三極の首脳会議を考えても良いかもしれない。幸い日米関係は旨く運営されているが、日欧関係の強化にも努めていくことが重要である。

【私の論評】米国ができるのは、日欧と協力して中国経済を弱体化を早めること(゚д゚)!

トランプ政権は、覇権国として中国が米国を抜くことを甘受するつもりはありません。あらゆる手立てを講じて中国の台頭を遅らせ、中国に抜かれないようにし、中国に対抗し、中国を抑え込む意思を固めています。そうして、これはもうトランプ政権の姿勢ではなく、米国の意思になっています。

トランプ政権はもとより、議会も超党派で中国に対抗しようとしています。なぜここまで、対抗心を顕にするかといえば、まずは中国の台頭はかつてのソ連がそうだったように、技術の窃盗によるものだからです。ファーウエイの技術は確かに進んでいますが、5Gを含めて、通信技術などは元々米国が主導で開発されてきました。

そもそも、インターネットは米国が開発し、自由の象徴のようなインフラでした。ところが、中国は「サイバー主権」なる主張をして、インターネットを国家が人民を監視するものとしてつくりかえようとしています。そうして、ファーウェイは5Gを道具として、その尖兵の役割を果たそうとしていたのです。

河南省鄭州市で容疑者を顔認識で見分けられるサングラスをかけ、行き交う人々を見つめる警察官。
雲南省昆明市では同じ機能を持つ透明な眼鏡が採用されている

5G等の技術は、米国等が基礎を開発し、まさに時間と金をかけて、実用段階にもっていく直前に中国はこれを盗み、膨大な政府の補助金を投下して、世界に先駆けて実用化させようとしていたのです。中国のいわゆる最新テクノロジーとはほとんどがこのようなものです。これは米国としてはとても許容できないわけです。

さらに、中国と米国などの先進国の社会は全く異なるものです。一般には、全体主義と民主主義などということがいわれていますが、もつと詳しくいえば、中国は先進国とは異なり、民主化されておらず、政治と経済が分離されていないどころか、政府と経済はまさに表裏一体です。さらには、法治国家化もされていません。

中国と日米欧の価値観は全く異なるのです。もともと、人権などは欧米では白人だけのものとされてきましたが、日本が第二次世界大戦を戦ったことにより、世界中で植民地が独立して、人権などの観念は、白人だけのものではなくなりました。



現在の先進国と、中国とでは全く価値観が異なるのです。その中国が台頭すれれば、その価値観は世界に敷衍されていくことになります。新たな邪悪な世界秩序が出来上がりかねません。これも、米国とはじめとする先進国には耐え難いことです。

一方、中国は2050年に米国を抜いて世界一になる目論見を抱き、そのため技術大国を目指し、軍事力の増強しています。今のところ、この方向性に修正を加えている気配はありません。つまり米中関係の基本構図は、対立と緊張にあります。

しかし米中ともに世論ないし国内の雰囲気に強い影響を受けます。トランプ大統領にとり、次の大統領選挙への影響が最大の関心事であるように、習近平国家主席にとっても国内の安定が政権維持の前提条件です。特に、共産党内の覇権・派閥争いには、常に勝利をおさめ続けなければなりません。

中国には、選挙という民主的手続きがないため、中国共産党も、幹部自身も常に統治の正当性を主張し、それを確かなものにしなければなりません。そうでないと、正当性を失いすぐに滅びることになります。

米国政治には景気動向が世論に大きな影響を及ぼしますが、中国政治では経済動向に加え統治の正当性が影響力を持ちます。一方で、統治の正当性に気を遣いながら米国に毅然とした姿勢をとる必要があり、他方で経済にマイナスの影響が出ないように米国との妥協を考えなければならないのです。

統治の正当性を無視すれば政権基盤はすぐに弱体化し、経済がうまくいかなければ社会はすぐに不安定化します。

米中は、いやおうなしの現在の世界経済に完全に組み込まれてしまっており、しかも第1位と第2位の経済大国といわれています。簡単にぶつかり合って、それで終わりということにはなりません。現状では、貿易戦争の形をとっていますが、これは将来確実にかつての米ソ冷戦と同じように、米中冷戦の次元にまで高まります。

しかし、力関係は米国に有利です。交渉が米国優位に進むことも不可避です。現在の米中交渉は、中国がこれまでやってきた発展パターンの不可逆的修正を米国が求め、それに中国が抵抗する構図となっています。

しかし、昨年7月以来の制裁関税合戦は状況の変化を生み始めています。つまり当初、米国の制裁発動がどの程度の影響を及ぼすか確信が持てなかった中国当局は、その影響が現状では許容範囲にあることを見定めつつあるようです。

今回も民営企業の投資心理の冷え込みに気を配りつつ、政府の刺激策で乗り切ろうとするでしょう。そして農業、半導体、車といった分野で米国がさらに嫌がる対抗措置をとるでしょう。

トランプ大統領は、最後は中国からの輸入全てに関税をかけると脅しています。中国もそれに屈するわけにはいきません。いわゆるチキンゲームが続くということです。結局、それぞれの経済が受ける打撃の程度を判断しながら、どこかで落としどころを見つけることになるでしょう。

それには中国も譲歩するでしょうが、米国も譲歩せざるを得ないです。米国に不満が残ることになります。米国は再び新たな材料を見つけ出して中国たたきを続けることでしょう。次の段階では、金融制裁も発動するでしょう。米国は基軸通貨国であり、さらに世界の金融を支配しています。これには中国も対抗するのは不可能でしょう。

この米中の対立は経済・金融だけでは済まないでしょう。軍事安全保障面での対立はさらに強まり、グローバルガバナンス、つまり国際秩序の遵守、運営管理の問題にも及ぶでしょう。米中対立の構図は長期間続きます。ただし、この対立の構図は、米国が対中認識に修正を加え、中国が方向性を変えることによって、かなり穏やかなものになる可能性があります。

米国はそれを狙っているのかもしれません。米国は、中国がグローバルガバナンスの問題で、本当に実行するかどうかは別にして、現行の国際秩序を護持すると明言し、すでに修正し始めている点を正確に認識すべきなのかもしれません。米国が日欧と共同戦線を張ることさえできれば、基本はわれわれの望む国際秩序となると目論んでいるかもしれません。

米国側からみて、中国が方向性を修正すべきは、1つは経済であり、中国市場をより自由で公正なものとする方向で軌道修正することです。2つ目は、中国軍の問題です。今のままで軍拡を続ければ米国だけではなく近隣諸国とも衝突します。中国の安全保障戦略の方向性の修正が必要です。

ただし、これは言うは易し、行うは難しの典型のようなものです。おそらく、米国はこれを単独で中国に実行させることは不可能でしょうし、中国共産党もこれを受け入れるのは困難でしょう。

なぜなら、中国市場をより自由で公正なものとするのは、かなり困難だからです。これを実行するには、公共工事のように中国政府が人民に掛け声をかけ、大量の投資をすればできるというような生易しいことではないです。

かつての先進国が、長い時間をかけてときには流血もともなった革命や改革によってなしとげてきた、民主化、政治と経済の分離、法治国家化を成し遂げなければならないからです。これができなければ、中国の市場だけが、米国などの他の先進国の都合の良いようにある日突然、自由で公正なものになるわけではありません。

実際これが非常に困難であることから、多くの国が中所得国の罠から逃れることができないのです。中所得国の罠には、無論例外もあることはありません。それは、日本とアルゼンチンです。


日本は、現在開発途上国から先進国になった唯一の国です。アルゼンチンは、現在先進国から開発途上国になった唯一の国です。日本は中所得国の罠から逃れ先進国になりました。アルゼンチンは、高所得の先進国から、中所得以下の発展途上国になりました。

他の発展途上の国々や、新興市場の国々はどうかというと、経済が従来よりも急速に発展しても、中所得国の罠から逃れられず、そこから一歩もあげれないか、元に戻ってしまっているのです。なぜ、そのようなことになるかといえば、やはり先進国を先進国にならしめている、民主化、政治と経済の分離、法治国家が困難だからです。

このような社会になっていなければ、中間層が自由に社会経済活動を行い、結果として富をを築くということはできないのです。

これを考えると、米国も中国に対して、中国市場を自由で公正なものにさせることは困難でしょう。そもそも、中国共産党自体がそれを実行しないでしょう。そのようなことをすれば、中国共産党自体が統治の正当性を失い崩壊することになります。中共として何が何でも、現在の体制を崩すことはないでしょう。

そうなると、トランプ政権ができるのは、中国経済を弱体化させて、経済的にも軍事的にも、無意味な存在にすることです。それは、米国単体でもできるかもしれませんが、やはり米欧日が協力したほうが、はやく実現することでしよう。

それにこの体制を築いておけば、他の先進国が中国にすり寄ることでもあれば、米国が厳しく制裁する措置をとることなどで、抜け道を塞ぐことができます。先進国のすり寄りがなければ、中共の体制崩壊もはやまります。中共崩壊後には、新生民主中国があらたに歩みだすときに、良いスタートを切ることができます。日本としては、米国等が過去に日本に対して実施したような一方的な軍事裁判や占領政策など明らかな国際法違反を未然に防ぐことができます。

目標としては、現在のロシアの次元にまで経済力を弱体化させることで良いでしょう。現在のロシアのGDPは韓国を若干下回る程度(韓国は東京都と同程度)です。無論ロシアは、ソ連の核と軍事技術を継承しており、侮ることはできませんが、それにしても世界に対する影響力には限界があります。米国に対抗して何かを実行するなどということはできません。ましてや、世界秩序をつくりかえることなどできません。これを本気実行すれば、米国に潰されるだけです。

ただし、経済の弱体化により、中共が崩壊した場合には、米欧日は新生民主中国の建国に協力すべきです。

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2017年3月12日日曜日

大人気の「ふるさと納税」、激化する競争に官僚が猛反対するワケ―【私の論評】悪しき「似非財政民主主義」の罠を断て!「ふるさと納税」はその端緒(゚д゚)!


総務省 ふるさと納税 ポータルサイトに掲載されている写真 写真はブログ管理人挿入以下同じ

     官僚が猛反対するワケ
簡単な手続きで豪華な特産品がもらえることから、平成27年度には約130万人が利用した「ふるさと納税」だが、ここへきて人気の過熱に否定的な声が上がっている。

まず指摘されているのは、ふるさと納税の納税額が増えるにともなって、東京都をはじめ都市部の自治体の税収が減っていることだ。また、返礼品の競争が過剰になっている点についても是正が必要だと批判されているのだが、果たしてこれらの議論は妥当なのか。

そもそも、ふるさと納税が創設されたのは、'07年、第一次安倍政権のときで、菅義偉総務大臣(当時)の発案によるものである。自分で選んだ自治体に「寄付」すると、その額に応じて一定の住民税が控除される仕組みだ。

この制度の画期的なメリットは、税額控除の仕組みに寄付金の制度がともなっていることにある。つまり、税の使い方を国民みずからが事実上選ぶことができる。それは言うまでもなく、これまでの「官僚の理屈」から考えればあり得ないこと。

彼らは自分で税を徴収し、配分するのが「公正」であると考えてきた。実際、ふるさと納税が創設されるとき、官僚は猛反対していたほどである。

実は当初の制度では、納税額に対して返礼品を送る制度はなく、むしろあまり話題に上がらないようなシステムだった。ところが、返礼品を導入する自治体が増えるにつれ、徐々に人気と競争が過熱していったという経緯がある。

日本の税政上、都市部に集中した税収を地方に再分配するのは至難の業だ。だから国民による自主的な配分を促すことができるふるさと納税は、地方自治体の活発な運営にうってつけの制度である。

実際、都市部の自治体の税収が減っているのは、主導した菅氏の目論見どおりで、多数の政治家や官僚のエゴにとらわれずに再分配を進めることができたといえる。

    「足による投票」

問題となっている返礼品であるが、上限を設けるべきかどうかは慎重に検討すべきだ。たしかに自治体が赤字を出してまで、高額な返礼品を用意する必要はない。

だが、全体を見たときに「過剰」な競争かといえば、そうとも言い切れない。自治体間の競争を促す立場に立てば、過剰な「規制」もまた悪になるからだ。返礼品競争を悪と見る官僚が多いのも事実だが、それも結局、官僚による配分のほうが絶対に正しいという前提が彼らのハラの中にはある。

実際には、官僚による配分には「不正」があることを考えれば、官僚主導による規制よりも自治体間の競争のほうがまだマシ、という理屈が立つ。

社会学ではチャールズ・チボーの「足による投票」という言葉がある。好ましい行政サービスを提供する自治体に住民が移動すれば、自治体の財政収入が上がり、必然的にそうした自治体が生き残るという考え方である。

ふるさと納税においては、実際に移転しなくても財政の移動を促進し、好ましい行政サービスを実施する自治体を応援することができる。いうなれば、自治体の競争を実質的な住民移動で促せるのだ。

ふるさと納税のような「足による投票」は、住民に望ましい首長を選挙で選ぶ「手による投票」とともに、よりよい自治体運営を目指すためには不可欠な考え方なのだ。

『週刊現代』2017年3月18日号より

【私の論評】悪しき「似非財政民主主義」の罠を断て!「ふるさと納税」はその端緒(゚д゚)!

ブログ冒頭の記事で、役人に関して"彼らは自分で税を徴収し、配分するのが「公正」であると考えてきた。実際、ふるさと納税が創設されるとき、官僚は猛反対していたほどである"と掲載されています。

この役人の考えの根拠となっているものに財政民主主義があります。

かつては、強制的に徴収された税は王室の私的目的に利用されていたが、そのことへの民衆の反発が革命をもたらし、課税権ならびに支出の決定権が国王から議会へと移されることとなりました。

このような歴史的な経緯から、財政民主主義とは、いかなる社会的ニーズをどのような財源で充足するかという問題に対して、国民ないしその代表である議会が主体となって決定をおこなうとする原則です。

「財政にこそ民主主義があらわれる」といわれるのもこのような理由からです。この原則は憲法において明文化されており、国民の代表が議会で内閣の提出する予算案を審議、承認し、歳出と歳入の内容を監視するという建て前になっています。

しかしながら、わが国の場合、議会ではなく財務省による財政統制が強い影響力を持っており、国民の意見がどのように財政運営に反映されているか、国民がどの程度予算の内容を監視できるかという観点から、財政民主主義の形骸化がたびたび指摘されています。

以下に、日本国憲法において財政民主主義がどのように規定されているか、掲載します。

国家が運営されていくには、膨大な資金が必要であることは言うまでもありません。

その膨大な資金を、どのように集め、どのように管理し、どのように使っていくのか、そのあたりの国の運営資金の規定が、日本国憲法の第7章の「財政」、83条から91条までに定められています。

ここの財政の章で規定されていることでまず抑えておかなければならないのは、
財政民主主義(83条)という概念です。

これが日本の国家財政を語る上での大原則になってきます。
そして、この財政民主主義の考え方を、
歳入面では租税法律主義(84条)、歳出面では国費支出議決主義(85条)と定めています。

日本国憲法は、国家財政において、この3つを基本原則として規定しています。

財政民主主義(83条)

「財政」とは、国家が使う費用について、その資金を徴収し予算を組んで配分し、
実際に支出するまでの一連の流れのことをいいます。

これらの資金は、国民から徴収し、直接的にも間接的にも国家国民のために支出するわけです。国民からしたら、どのように徴収され、どのように予算として組まれ、ちゃんと支出されたのかは重要な関心事となるわけです。

そこで憲法は、この財政に関して、国民の民主的コントロールが直接及ぶ議会にて決めさせる規定を置きました。

実際に予算を執行していくのは行政(内閣)ですが、国家機関のうち、民主主義機関といえる国会に財政を委ねるというのは、国民主権における民主主義の観点からも当然の帰結といえるでしょう。

これを「財政民主主義(83条)」といいます。

83条
国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
しかし、日本におけるこの財政民主主義は、議会ではなく財務省による財政統制が強い影響力を持っており、国民の意見がどのように財政運営に反映されているか、国民がどの程度予算の内容を監視できるかという観点からは形骸化しています。

私は、このブログでは過去において、財務省などの官僚が財政民主主義的立場から、寄付金制度に対して積極的ではないことに対して批判をしてきました。最近では、あまり掲載しなくなりましたが、いっときはかなり頻繁に掲載していたことがあります。

その典型的な記事のリンクを以下に掲載します。
「国民全体の問題」=「赤ちゃんポスト」検証会議座長が会見-熊本・・・・・赤ちゃんポストの問題は実は財務省・事業仕分けにまでつながる!?
2009年にも話題となっていた熊本の赤ちゃんポスト
この記事は、2009年11月26日のものです。当時はブログをはじめてあまり月日がたっていなかったので、記事にまとまりがなく、長文になっています。この記事は、当時国内で問題になっていた赤ちゃんポストに関してのべ、私の論評として、このような問題には、本来NPOが本格的に取り組むべきであるのに、日本では寄付金文化が定着しておらず、それがこの種の社会事業の限界となっていることに対する批判を掲載しました。

以下に一部分を引用します。
■NPO(非営利企業)が活動できる土壌を醸成する必要がある  
こういった、大きな社会問題、日本の場合は、ここで行き止まりになってしまいます。八方塞になってしまいます。そのために、多くの人々が閉塞感にさいなまされています。こういった、大きいな社会問題に対処するには、やはり、それを解決することを人生の目標、目的とする社会問題の専門家が必要です。専門家といっても、学者が必要といっているのではありません。

たとえば、社会学者などの学者は、社会問題を的確に捉えることには、役に立ちます。それは、それで立派なことです。十分学者としての使命を果たしていると思います。しかし、それを具体的に解決することは無理です。せいぜいできることは提言です。上の記事にで掲載してあるような人々は、結局、集会や会議を開いて、この問題の重要性を訴えたり、何とかしようと呼びかけたりするだけです。結局善意だけでは何もできないのです、無論それだけでも意義のあることですが、これだけだと具体的な解決に至る可能性はかなり低くなります。

であれば、この問題は永遠に解決できないのでしょうか?そんなことは、ないと思います。欧米などでは、核家族制度の歴史が古いです。そのため、社会の中にこれらに対応するシステムが構築されています。それは、主に、NPOという組織であり、少数の有給の正規職員と、多数のボランティアで運営されています。結婚前のお付き合いの仕方から、結婚から出産まで、その後の夫婦生活から、倫理観まで懇切丁寧にアドバイスなどしてくれたり、場合によっては、雇用なども絡む多数のプログラムの中からいろいろな問題を解決する糸口を提供してもらえたり、場合によっては資金も提供してもらえます。それも、地域に密着したNPOが多いため、地域性についてもかなり柔軟に対応しています。

こうした問題の解消も、欧米ではNPOが解決に取り組む、社会事業(ビジネス)という位置づけです。欧米では、このような社会事業に取り組むことも、ビジネスと呼び、営利事業をするのと何も変わらず、真摯な態度で、シビアにことを進めます。間違っても、善意だけでことを運ぼうとはしません。日本と違い、資金も、人手も多数使います。善意だけでは何もできないし、何も変わりません。違うのは、営利事業では成果の尺度が、経済的なものですが、非営利事業では社会的使命を遂行することということだけです。

日本にも、最近ようやっと、社会事業の芽が生えてきたところです。社会事業家、社会起業家が社会問題に熱心に取り組み、社会問題の解決の糸口をつかんだり、実際に解決したりしています。この社会事業家が事業をするためには、日本でもNPO(非営利企業)という組織を設立して実施するのが普通です。そうすることによって、社会的にも認知され、国からも補助金を受けられます。しかし、彼らが行っているのは、まだまだ小さなことばかりです。無論小さなことを解決するにも意義があり、それだけでも大変なことです。しかし、小さなことばかりしているのは、日本の社会事業家がやる気がないとか、能力がないということではありません。実は、日本には、彼らが自由に活発に動き回れるようにな土壌が醸成されていないのです。

なぜ醸成されていなかについては、このブログでも何回も述べてきていますが、その第一は、まずは政府から補助金がスズメの涙であるということです。そのため、多くのNPOは、ギリギリの予算でようやっと成り立っているというのが実情です。今年の1月に、NPO法人彩経会(高桑五郎理事長)では、多くの行き場のないご老人が火災のためになくなってしまいました。しかし、このNPO法人その後も存続しています。明らかに必要な施設でもあるにも関わらず、結局は資金不足でこのような結果を招いてしまったようです。このようなNPOを運営するためには、ある程度の資金が必要です。しかし、政府の補助金だけではなかなか成り立たないというのも真実です。

さらに、悪いことには、日本には、海外ではNPOの活動資金の源泉ともなっている寄付の文化がありません。なぜ寄付の文化が根付いていないかというと、何も、寄付金の文化が根付いてる、アメリカやイギリスのお金持ちが善意に満ち溢れていて、日本のお金持ちがケチで血も涙もないというわけではなく、日本では、NPOに寄付したからといって税制上の優遇措置を受けられないという重大な問題があるからです。アメリカやイギリスなどでは、普通になっている税制上の優遇措置が日本では税制化されていないのです。アメリカでは、NPOに税制上の優遇措置があるとか、政府から補助金が大きいなどで、アメリカ全国のNPOの年間の歳入は、なんと、アメリカの国家予算に匹敵するほどの額になっています。

なぜ日本だけが、そのようになっていないかというと、その根本原因は、実は財務省にまでさかのぼります。これは、以前のブログにも掲載しましたので、詳しくは、そちらを見ていただくとして、かいつまんで述べます。実は、財務省にはいわゆる「財政民主主義」という考えがあって、NPOなどにたくさんの資金が集まることは、「財政民主主義」趣旨からするとよろしくないことだそうです。しかし、寄付金が多く集まるということは、当該NPOが民意を反映したことをしていることを意味しているのではないかと思います。そんなことをいいながら、財務省は、資金配分をして多くの要りもしない、独立法人や、天下り官僚に資金配分をしているではありませんか。多くの埋蔵金を生み出しているではありませんか!!これは、正しい意味での「財政民主主義」ではなく、一部の財務高級官僚がつくりだしてる「似非財政民主主義」ではありませんか?
上記でも述べているように、日本では、寄付金文化が根付かない根本的な原因は、財務官僚などによる「似非財政民主主義」によるものです。この「似非財政民主主義」が日本では寄付金文化の定着を阻害し、そうして官僚が「ふるさと納税」に猛反対する理由です。

ちなみに、ふるさと納税の法源は地方税法第37条の2にあります。これは2008年4月30日に公布された「地方税法等の一部を改正する法律」(平成20年法律第21号)によります。第37条の3中「前2条」を「前3条」に改め、同条を第37条の4とし、第37条の2中「前条」を「前2条」に改め、同条を第37条の3とし、第37条の次に次の1条を加える、と定め、従前の地方税法に「(寄附金税額控除)」、第37条の2を挿入しました。第37条の2はその後平成23年法律第83号により改正され現在に至っています。

「ふるさと納税」は、国会で正式に審議されて、制定されたものであり、まさに国民の代表である議会が主体となって決定をおこなったものであり、これこそ財政民主主義的手続きを経て実行されているものです。

北海道妹背牛(もせうち)町の「ふるさと納税」返礼品
これに対して、国民の代表でもない官僚が猛反対するのは、全くの筋違いであり、国民から反対の声が大きくあがっているというのならともかく、大人気なのに、これに大反対するというのであれば、これは明らかに財政民主主義に対する挑戦です。

官僚は国民から信託を受けているわけではないのです。本来国民の信託を受けた政府の下請け的な存在でしかないのです。であれば、ふるさと納税に猛反対するということは、分不相応な思い上がり以外の何ものでもありません。

この思い上がりは、2014年春からの消費税増税を決定する際にも遺憾なく発揮されました。大規模な財務省による増税キャンペーンにより、マスコミ、政治家、識者などのほとんどがこれに賛同し、増税による日本経済への悪影響は警備などというまやかしに乗って、結局増税が実施されたため、日本経済はいまだ十分に回復していません。

この記事を書いたときは、2009年であり、デフレの真っ只中の時代でした。こういう時には、本来なら大規模な金融緩和と大規模な積極財政を実行して、デフレから速やかに脱出すべきでした。

当時、あまりマクロ経済に詳しくなかった私は、とにかく財政にばかり目が向いていて、大規模な金融緩和に踏み切るべきという考えには至ってはいませんでしたが、増税には大反対でした。

そうして、デフレの真っ只中であるにもかかわらず、増税するなどという愚かなことをするのは、絶対に間違いであり、なぜ官僚がそのようなことを主張するのかといえば、その根底には「ふるさと納税」の税控除の基礎ともなっている寄付や「NPO」に対する寄付などは、財政民主主義の立場から間違いであるという考えが根底にあるためであったのだと思います。

とにかく、自分たちの手を経ないで、寄付をされるということに官僚は反対なのです。これこそ、本来の財政民主主義に対する傲慢な挑戦以外のなにものでもありません。

歴史的にいえば、強制的に徴収された税は王室の私的目的に利用されていたが、そのことへの民衆の反発が革命をもたらし、課税権ならびに支出の決定権が国王から議会へと移されることとなったわけなのですが、官僚の寄付金への反発は、「税を王室の指摘目的」に使うというこの「王室」の立場を自分たちが担いたいという主張をしているに過ぎません。

さて、今の日本では「ふるさと納税」という形で、自治体への寄付金が国民の代表である議会が主体となって決定され行われ、それが現在定着しているわけです。もうそろそろ、国民が主体となって実施するNPOへの寄付が本来の財政民主主義の手続きへて、欧米なみに実施できるる素地をつくる段階に来ていると思います。

たとえば、「保育園」などの運用も、入札制度によりシンクタンクなどのNPO(もしくはNGO)が制度設計をしたうえで、適当な地域に区切った地域のNPOが実行計画を立案して、運用していくようにしたほうが、行政が直接実行よりもはるかに良い成果を出すことができます。

実際、米国などでは、たとえば地域のNPOが貧困層住宅を提供するだけではなく、サブプライムローンで、投資銀行が大失敗していたような時期においても、職業訓練をも含む包括的なブログラムを提供して大成功をおさめていました。無論米国には、このようなことを実施してさえ、貧困問題を解消できなかったのですが、もしこのようなことが実施されてなかったとしたら、事態はさらに深刻なものになっていたことでしょう。

米国では、地域の銀行や建設会社がNPOに属していて、他の様々な専門家と、NPOの職員が協力して、貧困対策として、住宅の提供、職業訓練、就職活動を含む包括的なプログラムを実行したりして、大規模な社会事業が根付いています。

日本のように、社会事業やNPOといういうと、奇特な人たちが手弁当で行う事業というような認識しかないようですが、これも寄付金文化が根付いていないが故の認識だと思います。

しかし、本来は日本にだって、まともなNPOや社会事業が必要なのです。少し前に話題となった、「保育園」などの運用は、一般の人が思っているよりははるかに難しいです。しかも、地域に応じて様々なパターンがあり、それこそ、役人では運用計画を立案するのは帯に短し襷に長しで非常に無理があります。こういう仕事こそ、地域のNPOに実行させるべきです。

「保育園」の運用に限らず、このような様々な社会事業を適切に遂行するには、行政だけでは困難なのです。本来は、民進党などの野党がこのようなことを考え、国会で提案すべきなのですが、彼らはそのようなことに興味がなく、安倍政権を糾弾することのみに、集中しています。

このような状況では、せっかく金融緩和策等で経済が良くなったにしても、地域における社会問題は放置されることになってしまいかねません。つい最近までは、とにかくデフレを脱却しなければ、NPOどころではないということで、このブログでもNPOに関する話題はほとんど掲載しなくなりましたが、経済が良くなればまた掲載していこうと思います。

このブログでは、過去にNPOに寄付金を欧米並みにできるようにすべきことを主張していました。そうして、私自身過去には、自分の会社でNPOを設立して社会事業に本格的に挑戦しようと本気で考えたこともあるのですが、それと同時期にデフレがかなり進行したので不可能であると考えて断念したという経緯もあります。

しかし、官僚はこのような考え方に対してはあくまで彼らの「似非財政民主主義の立場」から絶対に反対しつづけるでしょう。しかし、いずれ悪しき「似非財政民主主義」の軛は完璧に絶たれるべきなのです。そうして、「ふるさと納税」はその端緒となっているのです。

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2016年4月6日水曜日

【突破する日本】「偏った」放送を繰り返すテレビ局に電波を独占させる必要はない―【私の論評】遅れた電波行政を正し、無線事業者の競争を促し新産業を興せ(゚д゚)!


テレビ朝日本社
 テレビ朝日「報道ステーション」のキャスターだった古舘伊知郎氏は3月31日の出演最終日、「人間は少なからず偏っている。情熱を持って番組を作れば偏るんです」と語った。放送法第4条の「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」に反する放送をしてきたことを、白状したに等しいのではないか。

3月18日には、古舘氏自らドイツで取材したワイマール憲法からナチスの全権委任法へ至った経緯を紹介し、緊急事態条項を盛り込んだ自民党改憲草案を批判した。コメンテーターの早稲田大学の長谷部恭男教授にも自民草案を一方的に批判させた。自民党とナチスを重ね合わせ、「安倍晋三=ヒトラー」の印象操作をしたいらしい。

しかし、ナチスの負の歴史を克服した現在のドイツ憲法(基本法)にも「防衛上の緊急事態」条項(115a~l条)は存在する。緊急時における国家機関の機能を憲法に規定することは立憲主義の要請であり、ドイツ憲法も当初は規定がなく、1968年の改正で追加された。

憲法学者の長谷部氏も知らないはずがなく、あえて伝えないのは「少なからず」ではなく「大いに」偏っていると思う。

テレビなどの放送は、新聞などのプリント・メディアとは根本的に性質が異なる。国民の共有財産である有限の電波の使用免許を得ておこなっている事業だ。電波はテレビ局やキャスターの私物ではない。公共財としての意識を持たなければならない。

今、テレビ各社の上層部が恐れているのは、政府が「電波オークション」や「多チャンネル化」などの規制緩和を打ち出すことだ。

現在、電波、例えば東京周辺のテレビの地上波はNHKと民放キー局が独占している。いずれも昭和20年代から30年代にかけて放送免許を得て今日に至っている。その後の新規参入はない。これを公開入札によって電波の使用領域を決めようというのが「電波オークション」だ。新規参入が可能になる。

民主党政権時にも導入が検討され、格安の電波使用料が問題にされた。放送法制をあからさまに無視する「偏った」放送を繰り返す放送局に、未来永劫(えいごう)電波を独占させる必要はない。

「多チャンネル化」も同様で、デジタル化した今日ではテレビ地上波も技術的には100チャンネルが可能とされる。テレビ局が増えれば、既存のテレビ局はその中の1つでしかなくなる。CMも減る。民放は死活問題だ。

放送の「規制緩和」はテレビ局を震撼(しんかん)させるが、偏向放送を正す起爆剤になるのではないか。

 ■八木秀次(やぎ・ひでつぐ) 

【私の論評】遅れた電波行政を正し、無線事業者の競争を促し新産業を興せ(゚д゚)!

テレビやラジオなどの放送局が、国から周波数を割り当てられて行っている許認可事業であることは知られています。しかし、放送局が国に対して「電波利用料」を支払っているということを知っている人は、意外に少ないかもしれないです。また、電波利用料の存在を知っていても、それがどのくらいの額なのか知っている人はもっと少ないでしょう。

総務省は2013年2月末、この電波利用料の詳細を発表していました。その前に公開したのは2008年というのですから、ほとんどの人が知らないのも無理はありません。自民党の河野太郎衆議院議員は総務省に「テレビ局ごとの電波利用料の負担金額を出してほしい」と要求したところ、総務省の担当課長は「個別の負担金額は開示しておりません」と答えていしまた。

さらに河野氏が「どうして出さないのか」と尋ねると、その課長は「テレビ局のプライバシー」だと答えました。その後、自民党が総務省に強く要請し公開が決まったのですが、当時のの発表でわかったこては、テレビ局がボロ儲けしている実態でした。

2013年に発表さた、電波使用料の詳細を以下に掲載します。



テレビ局全体の電波利用料負担は、総計で34億4700万円にしかならないのに対し、営業収益は3兆1150億8200万円もありました。電波の“仕入れコスト”は、営業収益のわずか0.1%に過ぎないということが暴露されてしまいました。

河野太郎氏

これは、とてつもなく低いです。民間企業において、小売業で仕入原価が0.1%とか製造業で原材料費が0.1%などということにでもなれば、それこそ、タダ同然です。これでは、放送局など、よほどバカな真似をしないかぎり、安泰で、潰れようもないです。これでは、競争の原理など働きようもないですし、テレビ局等がなぜ、旧態依然としてしまうのか、納得できます。

電波法や総務省の資料によると、「電波利用共益費用」、つまり「電波の適正な利用の確保に関し無線局全体の受益を直接の目的として行う事務の処理に要する費用」の財源に充てるため、テレビ局やラジオ局、携帯電話会社など無線を利用する者が支払うものとなっています。

要するに、違法電波による混信障害などから電波環境を守るための経費を徴収するという名目でつくられた制度でする。

しかし、電波利用料を支払っているのはテレビ局などの放送局だけではありません。電波を使っている携帯電話会社も支払っていて、全額通話料として携帯電話ユーザーに転嫁されています。具体的には、携帯電話1台につき年200円ですが、携帯の支払い明細書に「電波利用料」という記載がないので、利用者が知らないのも無理はありません。

12年度の電波利用料収入は約715億円でしたが、内訳は携帯電話事業者が72.3%なのに対し、放送事業者はたったの7.2%に過ぎませんでした。NHKは電波利用料を受信料に転嫁していますし、民放は企業が支払うCM料に転嫁しています。つまり、電波利用料のほとんどは、携帯電話を使っている消費者が負担しているといってよいのです。

2011年の地上アナログテレビジョン放送の放送終了
テレビのデジタル化の財源はなんだったのか?

では、その電波利用料を、国は具体的に何に使っていたのでしょうか。

主な内訳は、次のようになっていました。

・地上デジタル放送総合対策:45.0%
・研究開発:18.0%
・総合無線局管理システム:9.8%
・電波監視:8.3%

支出の半分近くを占める地デジ対策費は、実質的には放送局などへの補助金であり、とくに地デジ化の資金繰りに苦しむ地方テレビ局を救済するかたちになっていました。

つまり、携帯電話利用者が支払っている電波利用料で、テレビ局を支えている構図になります。そのテレビ局はといえば、社員の給料が高いのは誰でも知っており、民法キー局の平均年収は軒並み1200万円以上です。公共放送たるNHKの平均年収も1185万円であることが 2013年2月に発表されていました。許認可事業のため事実上新規参入のないテレビ業界が濡れ手で粟というのには、かなりの違和感を感じざるを得ません。
電波オークションについて報じた当時の週刊誌
過去においては、自民党時代から、国民の公共財産ともいうべき電波の周波数を競争入札にかける「電波オークション」を導入しようという話が進んでいました。民主党政権では次回の電波割り当てから入札を実施することを閣議決定し、2012年の国会に電波法改正案を提出していました。

しかし、安倍政権に交代するや、当時の新藤義孝総務相は「今国会に(オークション導入の)法案を提出することはない」と言明し、電波オークションを葬り去ってしまいました。
当時も総務省が裁量で放送局や通信事業者に電波を割り当てて電波利用料を取っているのですが、その当時から利用が進む第4世代携帯電話向け電波などを入札にかければ、数千億円の収入になるとみられていました。

また、民主党政権下で電波オークション導入を提言した大阪大学の鬼木甫名誉教授によれば、当時テレビが占拠していた帯域も含めてすべてをオークションにかけたとすれば、30兆円近くの価値があるとのことでした。

安倍政権は国庫に入るはずだった数千億円に上るオークション収入をフイにしてまで、テレビ局などによるタダ同然の電波使用という利権を維持させることにしたのです。安倍政権がオークションを取りやめた理由として、「大メディアに恩を売りたかった」との見方もありましたが、真相はわかりません。

放送局と通信事業者にすれば、オークションが導入されれば外資など新規業者がライバルとして参入し、新たな脅威になっていたでしょう。それに対抗するには、現在支払っている電波料に加えて、オークションで競り勝つ高額な費用が必要になったはずです。特にテレビ局は、なんとしてもオークションを阻止したかったはずです。

総務省も実は、本音ではオークションをやりたくなかったと言われています。電波利用料は税金ではないため、財務省による再分配の対象とはならず、形の上では一般会計の総務省予算になっています。



ただ、電波法によって使い道が決められている特定財源であり、全額が総務省によって使われることになります。総務省の「隠れ特別会計」との指摘もあり、総務省が自分たちの裁量で使える予算でもあります。もし、オークションが導入されていたら、総務省はこの貯金箱を失い、財源を財務省に取られていたとの声もあります。

先ほど、電波利用料の使途内訳で「研究開発:18%」と掲載しましたが、これなどは天下り先である特殊法人へのばらまきとの指摘もあります。これまでのように電波利用料を握っておくことが、総務省にとってもおいしい話なのです。

電波オークションは世界の常識になりつつあります。OECD加盟国の約3分の2はすでに電波オークションを導入していて、欧米諸国はほぼすべての国で導入しています。アジアでも一般化しつつあり、導入していないのは、モンゴル、北朝鮮、そして日本などだけです。

安倍政権は首相就任後の「ハネムーン期間」と呼ばれる、まだ支持率が高いうちに、電波オークション廃止を打ち出すことで大メディアに大きな恩を売ったのかもしれないのですが、テレビ局側は、その音を仇で返したわけです。

テレビ局などのメディアが偏向しすぎているというのは、前々から指摘されていました。だから、安倍総理としては、テレビ局に対しては、偏向報道がなくならないまでも、各報道局が少なくとも、新聞や雑誌などか用いる姑息な手段でもある、両論併記のような形ぐらいにはするであろうと、期待していたに違いありません。

TBSの典型的な偏向報道

しかし、昨年安保法案審議の過程での、各テレビ局の報道ぶりは、非常に偏っていました。テレビ報道を検証している任意団体「放送法遵守を求める視聴者の会」は今月1日の記者会見で、安保法制を扱ったTBSの昨年9月13~20日の全番組が、法制への「反対」意見の報道に大半の時間を費やしていることを問題視しました。

番組編集に当たっての政治的公平や多角的な論点の提示を義務付けた「放送法4条違反」を指摘し、TBSの見解を求めました。同時に、TBSから「誠意ある」回答を得られなかった場合、スポンサーに調査報告書や提言書を送るなどの注意喚起運動を検討する考えも示しました。

放送法遵守を求める視聴者の会

これに対して、TBSは「自律的に公平・公正な番組作りを行っている」とした上で、スポンサーへの呼びかけを示唆した同会の声明を問題視。同会は8日までの回答を求めていますが、TBS広報部は「回答する考えはない」としています。

TBSが発表したコメント全文は以下の通り。

 「弊社スポンサーへの圧力を公言した団体の声明について」
2016年4月6日 株式会社TBSテレビ 
 弊社は、少数派を含めた多様な意見を紹介し、権力に行き過ぎがないかをチェックするという報道機関の使命を認識し、自律的に公平・公正な番組作りを行っております。放送法に違反しているとはまったく考えておりません。 
 今般、「放送法遵守を求める視聴者の会」が見解の相違を理由に弊社番組のスポンサーに圧力をかけるなどと公言していることは、表現の自由、ひいては民主主義に対する重大な挑戦であり、看過できない行為であると言わざるを得ません。 
 弊社は、今後も放送法を遵守し、国民の知る権利に応えるとともに、愛される番組作りに、一層努力を傾けて参ります。以上
さて、この「放送法遵守を求める視聴者の会」の方々は、この記事で上で述べた電波オークションの日本での状況について無論熟知しているのだと思います。

そうして、今がこのような行動をする最適な時期であると考えておられるのだと思います。安倍自民党政権が電波オークション導入を見送ったにもかかわらず、安保法制のときの報道ぶりは、著しく偏向しており、問題外の報道ぶりでした。偏向どころから、完璧に左巻きでネジが曲がりすぎて、壊れたような報道ぶりでした。これについては、先日もこのブログで指摘したばかりです。

これでは、安倍政権だけではなく、上記で示したように結局高い電波料を負担している国民も、高い料金で偏向番組をみせられるという不利益を被るわけです。

安倍自民党としては、本当に忸怩たる思いをしているに違いありません。この時を逃さずすかさず、行動をおこせば、安倍政権は「電波オークション」導入へと大きく舵を切り替える可能性が大です。

「電波オークション」を導入して、既存のテレビ局には、それ相当の負担をしてもらい、その上で自分たちの思う通りの放送ができるようにすれば良いと思います。実際アメリカなどでは、「電波オークション性を導入しつつ、テレビ局に対して放送内容には一切制限をつけていません。

しかし、テレビの放送局は日本よりはるかに多いですし、ケーブルテレビも加えるとかなりのチャンネル数になります。そうなると、視聴者は自分の見たいチャンネルだけを見て、偏向したチャンネルなど一生見なくても用が足ります。それに、競争の原理が働き、面白くないとか、役に立たないような報道ばかりする放送局は淘汰されることになります。

そのような形が望ましいです。

電波は国民の財産であるはずです。政府が、巨額のオークション収入を得た上で、多くの電波事業者が新規参入し、テレビ局も携帯電話会社も競争状況に入り、国民には新たなサービスや事業者の選択肢が増えるメリットがあります。

携帯電話での通信制限もなくなるかもしれません。最近、" いまどきの女子中学生の音楽を聴く手段はスマホのストリーミングだけ――こんな主旨の投稿がTwitterで話題になりました。あるユーザーがツイートした内容によると、いまどきの中学生は、「月々のデータ通信量に制限があるから自分の好きな音楽を能動的に聴くことはない」そうです。これに対して、従来の音楽プレーヤーに馴染んできた世代は衝撃を受けているそうです。

今時の女子中学生が音楽を聴く手段はストリーミングだけ?

結局、「電波オークション」などが導入されないことにより、まわりわまって、一般ユーザーにつけが回ってきているという構図なのだと思います。

私自身も、自宅ではインターネット回線を導入して、ルーターを設置してWIFIを利用できる環境にしているので、スマホやタブレットはそれを使うので、自宅にては無制限に使えるのでよいのですが、外出時にはwimaxを使用していました。

外出時には、スマホもタブレットも、ノートパソコンもwimax経由でインターネットにつないでいました。このwimaxもwimax2になってから、速度制限がつけられるようになりました。それに伴いwimaxは速度制限はないものの、速度が以前よりも遅くなりました。

ただし、外出時のwimaxは、SNSの閲覧や、ブログの作成、音楽を聴くなどに限られていますので、多少遅くても事が足りますので、wimax2に乗り換えすることなく、そのままwimaxを使用しています。ただし、最近やはり、速度の遅さに不満を感じるので、Yahooモバイルは速度制限がないようなので、これに乗り換えようとも思っています。

結局このような手間や不便を感じるのも、「電波オークション」が導入さていないことにも原因がありそうです。自由競争を原則として、様々な新サービスや新方式の開発を促進させ、それを用いるメデイアには、放送内容は原則として自由にするという方向性が最も良いと思います。

そうでないと、またまた日本は、せっかく良い技術があって、素晴らしい携帯電話を開発にしたにもかかわらず、現在のスマホでは後塵を拝することになってしまいました。

現状のままの電波行政では、政権与党にとっても、国民とって一つも良いことはありません。日本でも、一日はやく「電波オークション」を導入すべきです。

そうして、せっかく導入するのでしたから、国民にとって良いサービスがどんどん生まれるような形で導入すべきと思います。これによって、今までには考えられなかったような、新産業の興隆を促すことも可能だと思います。

そうすれば、旧態依然として、偏向報道を繰り返すような、面白みも何もないようなテレビ曲など競争に負けて自然と淘汰されていくと思います。

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2012年10月29日月曜日

キンドルが開けた「パンドラ」 競争が崩す商慣習  :日本経済新聞−【私の論評】商習慣を崩せなかった日本勢にもチャンスはあるかも・・・・??

キンドルが開けた「パンドラ」 競争が崩す商慣習  :日本経済新聞:

笑みを浮かべるベゾズCEO
米国に遅れること丸5年。ようやく米アマゾン・ドット・コムの電子書籍端末「Kindle(キンドル)」が日本に上陸する。25日には日本向けの電子書店「キンドルストア」もオープンした。品ぞろえや書籍価格は既存の電子書店と横並びで、国内出版業界の「商慣習」に配慮した格好。しかし競争環境は激変した。キンドルがもたらした衝撃とは何か。今後、何が起きるのか。

http://www.nikkei.com/article/DGXBZO47756170X21C12A0000000/

・・・・・・・・・・・・<中略>・・・・・・・・・・

 すでにキンドルは、日本の出版業界の意識改革を促したと指摘する関係者もいる。PHP研究所で電子書籍関連の事業を担う中村由紀人・事業開発本部長は、こう語る。

「キンドル・ペーパーホワイト」を手にするベゾスCEO(24日、東京都目黒区)

 「アマゾンは再販と委託で守られてきた『村社会』に、いきなり外国のルールを持ち込んできた。もう少し配慮が欲しかったという思いがある半面、おかげで出版業界全体の目が覚めたという思いもある。いつまでも同じことを繰り返すのではなく、我々自身も変わらないといけない。紙の出版市場はますます厳しい状況。リスクをもって進んだ出版社のみが、生き残るのではないでしょうか」

 現在、横並びの電子書籍の価格については、公取委から何らかの指摘が入る可能性もある。ベゾスCEOはこういった。

 「物理的なコストがかかっていない電子書籍は当然紙の本より安くなると消費者は期待する。それを前提にどういう流通戦略をとるかは、出版社の経営手腕の見せどころだ」。キンドル上陸で、もう「パンドラの箱」は開いたのだ。そういわんばかりの笑みを浮かべている。


【私の論評】商習慣を崩せなかった日本勢にもチャンスはあるかも・・・・??

Kindle本の英語版『スペンド・シフト』の表紙
私は、日本でKindle本が販売される随分前から、米Amazon.comからKindle本をいくつも購入していました。なぜそのようなことをしたかといえば、日本語の書籍はないものの、英語の書籍であれば、日本国内の書籍を購入するより、はるかに安く、しかもすぐにダウンロードできるからです。ダウンロードした書籍は、iPhoneや、iPadで読んでいました。(本日は、ほぼすべて私のIPadの画面をキャプチャで撮影した写真を経済させていただきます)

このブログにも書いたように、本当に低価格を実感できました。たとえは、ドラッカーの『マネジメント』に関しては、いわゆる広く流布している、エッセンシャル版のほうではなく、原本のほうでは、日本語版だと、上下巻あわせて、5000円を超えています。ところが、Amazon.comのKindle本では、何と、日本円に換算すると千数百円で販売しています。

これは、買いだと思い、『マネジメント』、『スペンドシフト』、『さっさと不況をおわらせろ!!』などなど、すべて日本で売られているよりは、安く購入して、すべて英語で読みました。これは、一種何言うか、非常に爽快でした。これらの書籍ハードーカバーで、丸善などで買ったらさぞ高いのだろうなと思い、読むたびに痛快な気分でした。

ポール・クルーグマン著『不況をさっさと終わらせろ!!』の英語版のKindle本
そうして、Kindle本をこれから読もうかどうかと考えている人に、お知らせしておきますが、iPadは無論のこと、kindleはもとより、どのデバイスでもクラウドが使えます。だから、容量など気にせずにドンドン購入できます。要するに、当面読む本数冊だけをiPadのメモリに蓄え、後はクラウドに蓄えておけば良いのです。

そうして、古い書籍など、インターネットに接続して、クラウドから直接読むか、あるいは差異ダウンロードして読めば良いのです。それから、もっと驚くのは、指定されたメールアドレスで、PDFファイルなど発信すれば、それが、クラウドに蓄えられて、それiPadなどの端末で読むことができます。これは、最初あまり意義を見出せなかったのですが、企画などを立案するときには、とてつもなく役にたちました。

要するに、企画をするのに場所を選ばなくなったのです。企画に必要な書籍は、すぐに読めるし、サイトなどの情報も、いわゆるリーダビリティーに入れておいて、それを同じiPadで読むことができます。リーダビリティーとは、いわゆる、サイトの記事を広告などは、カットして読みやすい形式にして、クラウドに蓄えるシステムです。これは、記事に関係のある動画や、画像はカットされません。これも、クラウドですから、極端にいうと、無限に蓄えられます。

最近Amazon.co.jpからダウンロードしたキンドル本の中身
さらに、キンドルでは、たとえば、作成した文書なども、所定のメールアドレス宛てに自分の作成した文書など、PDFファイル化して送れば、キンドルやiPadなどの自分の読みたいデバイスで読むことができます。

こうして、何でも情報を集約できます。私は、エバーノートなども、併用していますが、これは本題とはあまり関係ないので、省きます。

これらを使いこなすと、書籍や書類など何ももって歩かなくても、iPad一台あれば、どこにいても、その場で読むことはできます。読んで、いろいろ考えて、さらに、何かにまとめたければ、その場でiPadのマインドマップでマップを描きます。マップには、メモなど豊富にいれておけます。

少し前に、電子書籍で人気になった『ジーン・マッパー』の表紙
企画書をつくるのに、写真が必要であれば、これも、Google+のインスタントアップロードで撮影する片端から、クラウドに送ります。

マップや、メモ、写真などを利用すれば、簡単な企画などあっという間にできあがります。これは、従来から考えると、とてつもないことです。従来だと、現場は、写真撮影とメモ程度で、本格的企画は、会社にかえってから資料が手元にあるところでという考えは成り立ちません。場所を選ばす、どこでも、企画が立てられます。このようなことから、読むだけではなく、いろいろなことができるということでも、爽快な気分になりました。

このように、ユーザーのほうは変化していたのに、日本の出版社は旧態依然としていたということです。私は、2年ほどまえから、アマゾンが日本でも、Kindle本を発売する、Kindleもいずれ販売するというアナウンスがあったので、心待ちにしていました。しかし、なかなかそうならないので、半分忘れかけていました。しかし、やっと、日本でも、Kindle本と、Kindleの販売となるわけです。そうして、Kindle本はすでに発売されています。

iGoogleにインスタントアップロードした写真のiPadでの画面
ようやっとという感じというより、私の中では、はっきり言わせていただくと、何をいまさらという感じてす。無論、これは、Amazonに対し言っているのではなく、日本の旧態依然とした出版界に対して言っているのです。

古い商習慣に拘泥しているうちに、予定帳場で、アマゾンにやられてしまいました。当然といえば、当然の報いです。

しかし、私は今回のアマゾン進出で、日本の出版会も相当変わると思います。そうして、やることは、いくらでもあると思います。特に、以下の二つの点では、日本の出版会は、他の業界も手を携えてやることはいくらでもあるし、イノベーションができると思います。

Amazonに指定されたメールアドレスで送った自作の文書、クラウドからみたり、ダウンロードできる
先ず第一に、アマゾンが先行しているのは、いまのところ、既存の書籍を電子書籍化しているだけであり、Kindle Fireや、iPadなどのインタラクティブ性、すなわち、画像はもとより、動画、ミュージック、その他インタラクティブな素材を用いた、新たな電子書籍の世界は、まだまだです。日本は、特にアニメの世界が進んでいます。半分動画のようで、半分書籍のようなインタラクティブなアニメなど、全く新しい世界が開けると思います。

それに、SNS、、ゲーミフィケーション、ゲームと、電子書籍のコラボレーション、iPadとKindleが当たり前にもっているGPSの位置情報システムを利用した、書籍と、実世界とのコラボレーションなど創造性をたくましくすれば、日本の出版界の個性を出せるものはいくらでもあると思います。これをもって、世界に打ってでることも可能だと思います。このあたりは、うまくやれば、日本人炸裂!!という状況もつくれるのではないかと思います。

電書籍は、既存の書籍の電子化でけではない!!無限の夢がある!!
それから、第二に、新人発掘です。日本で、日本語で長い間出版してきたという歴史は、かなり役にたつものと思います。それから、これから、インタラクティブな電子書籍をつくるには、作家もそうですが、他のコラボレートする人たちの養成も欠かせません。このあたりに、日本の出版会が生き残るどころか、世界標準となれるだけの、潜在的能力が、日本にはあると思います。

変に昔のことに拘るのでなく、そうした新しい方向に、日本の出版会が進んでいって欲しいと思います。それとも、日本の出版界は、旧態依然としたままで、このような変革は、他の業界の人たちが行うのでしょうか?いずれにしても、昔のやり方を改めなければ、今の時代には生き残れません。そう、思うのは、私だけでしょうか?



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