2015年9月26日土曜日

【ロシアメディアСпутникより】安倍首相は国民の理解を模索―【私の論評】ロシアですら、日本の安保に対する考え方を変えているのに、日本国内だけが数十年前から変わらないこの不思議(゚д゚)!

【ロシアメディアСпутникより】安倍首相は国民の理解を模索

Спутник, Sputnik スプートニクより
今年5月にモスクワ赤の広場で行われた「大祖国戦争勝利70周年記念軍事パレード」

日本は現行の日本国憲法を尊重し、大事にしていくが、憲法には必要な改正を加えねばならない。安倍首相は9月24日、これから3年に及ぶ自民党総裁の任期に正式にのぞむにあたって、こうした声明を表した。総裁選挙自体は8日に行われていた。しかも安倍氏は唯一の候補者だった。

「…日本国憲法はわが国の統治体制を規定する根本規範だ。わが国は国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の基本原則に基づいて、平和と繁栄の道を歩んできた。安倍内閣でも憲法を順守しているわけで、今後もそのことに何ら変わりはない。

他方、憲法は国の未来、理想を語るものでもある。21世紀の日本の理想の姿を私たち自身の手で描いていくという精神こそ、日本の未来を切り開いていくことにつながっていくと思う。現行憲法の基本的な考え方を維持することは当然の前提として、その上で必要な改正は行うべきものと考えている。大切なことは憲法に対する、あるいはまた憲法改正に対する、国民の理解が進んでいくことだ。国民のみなさまの理解がより深くなること、改正案に対して支持がより広がっていくよう与党で、自民党で、さらに努力を重ねていく考えだ」

安倍氏は改正の詳細には触れなかったが、これが自衛隊を利用枠の拡大についての法を指すことは明白だ。先日、議会が採択した安保関連法で自衛隊は日本の国外での戦闘行為に加わる事が出来るようになってしまったが、この法の採択には多くの国民がデモ行進を行なって大反対した。法案の反対者らは、この法律は日本の平和憲法に矛盾すると考えており、事実上、日本は平和主義的地位を拒否し、世界中の軍事紛争に巻き込まれるリスクを負うことになると主張している。

現時点で日本の防衛は主として、2つの主要な法的文書に規定されている。1つは自国の憲法であり、もうひとつは国連憲章だ。1947年に採択された日本国憲法では戦争の放棄、国際紛争の解決手段としての武器使用の放棄および自国の軍隊を持たない事が明記されている。国連憲章では個別の集団防衛を持つ権利が保障されており、これによって日本は1954年、軍事力を再び持つところとなり、これが今日まで法律の制限を受けながらも存在し続けている。


ドミトリー・ストレリツォフ教授
モスクワ国際関係大学および高等経済学校で教鞭をとるドミトリー・ストレリツォフ教授は、日本では安全保障分野の深部で政策の建て直しが行なわれており、それが目指すところは日本が何らかの制限を負って動きが重い国ではなく、「通常の国」と呼ばれるような方向性であるとして、次のように語っている。

「日本の軍事建設プログラムは長期的正確を持つものだ。2010年末の段階ですでに日本は将来に向け、ダイナミックな国防コンセプトをとっていた。このコンセプトは軍事建設に対し、状況の原則に基づいてより柔軟なアプローチを図ることを想定している。つまりこれは迅速かつ効果的に反応する可能性のことであり、変化する情勢や変わりつつある脅威に対する適応能力の高さのことだ。

そしてもちろんのこと、ここでの中心は中国というファクターと北朝鮮の脅威だ。日本の政治指導部はすでにおおっぴらにこれについて語っており、中国からの脅威はすでに世論の理解を得ている。これは過去2-3年に見られるようになった新たな現象だ。これまで日本は中国を軍事上のシリアスな敵だとは見なしていなかったからだ。」

実際、議会に法案を出す際に、安倍首相は修正は中国増強にからんだ挑戦に立ち向かうために必要と語っている。現在、中国は南シナ海に人工島の建設を積極的に進めており、これについて近隣諸国は軍事的目的に使われるのではないかと憂慮している。

このほか、ストレリツォフ氏は日本は米国からの援助を期待しているものの、米国との連合関係の中で大きな自立性を得たいとのぞんでいると解釈している。これをよく物語るのが、地域安全保障ストラクチャーにより緊密に組み込まれようとする日本の姿勢であり、インド、豪州、フィリピンなどの諸国との相互関係の強化だ。特に7月、日本はフィリピンとの間でフィリピン領内の海軍基地を使用する可能性について条約を交わしている。

日本が自国のエネルギー安全保障を確保しようとする動きも極自然なことと受け止められている。なぜならエネルギー資源の供給の大半は不安定な中東から運ばれてきており、日本政府としては輸送回廊の安全度に対し、影響力をもちたいところだからだ。安倍首相が憲法改正に広範な支持を得られるかどうかは、かなり疑問だ。なぜならまさに、大々的な「軍国主義」へと導く政府の政策はここ最近、野党にとっては恰好の批判の的となっているからだ。

【私の論評】ロシアですら、日本の安保に対する考え方を変えているのに、日本国内だけが数十年前から変わらないこの不思議(゚д゚)!

上の記事に関して、西村幸祐氏は以下のようなTweetをしています。
ブログ冒頭の記事は、ロシアのメデイアであるスプートニクのものです。スプートニク(SPUTNIK、ロシア語: Спутник)は、ロシア通信社ロシアの今日の傘下に2014年11月10日に設立、RIAノーボスチロシアの声に代わってロシア国外での展開を担っています。このメデイアは、ロシア政府の考え方、プーチンの考え方を反映しているとみて間違いないと思います。

ロシアが西村氏が語るように、この記事でロシアは日本の安保法制と集団的自衛権行使を歓迎しています。これは、本当にコペルニクス的転回といっても良いくらいの事実です。

なお、今回の安保法案には、多くの国々が、賛成していることをこのブログでも掲載しています。その記事のリンクを以下に掲載します。
大新聞 安保法制反対デモは報じるが世界の賛成の声は報じず―【私の論評】中国のため日本国内で報道統制をする習近平応援メデイアには、もううんざり(゚д゚)!
詳細は、この記事をごらんいただくものとして、この記事では、安保法制に賛成する世界の国々の反応を示す図を掲載しました。その図を以下に再掲します。

 

この図では、ロシアの対応はでていませんが、ロシアも賛成ということになると、太平洋諸国のほとんどが賛成で、反対は中国と、韓国だけです。北朝鮮はでていませんが、これもなんともいえません。意見は、表明していないのかもしれません。意見をわざわざ公表しないということは、ひよっとすると賛成なのかもしれません。

いずれにせよ、はっきりと反対しているのは、中国と韓国だけです。上に掲載されている国々以外の国も、はっきり反対ということはないと思いますので、おそらく全世界ではっきり反対するのは、中国と韓国だけです。

それにしても、ロシアがこのように従来から態度を変えて、日本の安保法制に賛成するようになったのには、それなりの背景があります。本日は、この背景について掲載します。

まず最初に、ロシアは経済的には小国になってしまったことがあげられます。これについては、このブログにも何度か掲載したことがあります。その記事のリストを以下に掲載します。
旧ソ連と同じ罠にはまった中国、米国の仕掛けた軍拡競争で体力消耗―露メディア―【私の論評】ロシアの弱体化を吐露する記事、中国を封じ込めることと引き換えにロシアとの領土交渉を!!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、この記事ではロシアの現在のGDPの水準を掲載しました。以下にその部分のみ、掲載します。
現在、ロシアのGDPは日本の3分の1以下なのです。日露戦争の頃は、ロシアのGDPは日本の8倍でした。100年間(正確には80年間)で日露の国力は大逆転したのです。


2010年各国のGDP

1.アメリカ

2、中国
3.日本   5兆4500億ドル
4、ドイツ
5、フランス
6、イギリス
7、ブラジル
8、イタリア
9、カナダ
10、インド

・ ロシア  1兆4650億ドル 
ロシアの弱体化は明らかです。現状の小国ロシアに、領土問題などで譲歩する必要など全くありません。日本は、日本銀行に金融引締めをやめさせ、円高誘導をやめさせ、また、世界第二位の経済大国に返り咲くべきです。それに、いますぐするしないは、別にして、核武装の論議をはじめるべきです。それだけで、ロシア、中国、北朝鮮はかなり脅威に感じることでしょう。
 こうしたことを背景にして、日本は、弱体化が明らかになった、ロシアと領土交渉を有利にすすめるべきです。そうして、これは、他国ならどこの国でもやっていることです。日本だけができないとか、やってはいけないなどということはないはずです。そのためにも、一日でもはやく、新たな憲法を制定すべぎではありますが、今の日本国憲法の範囲でもできることは、すぐにも実行すべきと思うのは、私だけでしょうか? 


さて、この記事には掲載していませんが、ロシアの人口も中国の約13億人と比較すると、かなり少ないです。実数は、約1億4千万人に過ぎません。日本の、人口の1億2千万人より、わずかに2千万人多いだけです。

あれだけの広い面積の国土に、わずかこの程度の人口です。そうして、ロシアは、隣国中国と 4,000kmにわたり、国境を接しています。世界で最も長い、中国との国境線を有する国はロシアです。

軍事費はGDPが小さいわりには、かなり多いです。しかし、日本よりは多いですが、中国と比較すれば、半分以下です。以下に各国の、軍事費の比較を掲載しておきます。



ただし、中国は軍事技術がかなりたち遅れているため、戦闘機など開発しても、最新のステルスといわれながら、ステルス性もかなり弱く、現実には第三世代の域を超えていません。そのため、航空自衛隊よりも戦力は劣るものと考えらます。

艦船も、かなり遅れていて、日米のイージス艦などと比較すれば、中国では最新鋭であっても、ボロ船の域を出ません。潜水艦も、かなり立ち遅れており、日本などと比較すると、数十年立ち遅れています。そのため、中国の人民解放軍が尖閣などに攻め込んできても、ボロ負けするだけです。

ロシアも、中国よりはかなり軍事技術は進んでいるのと、核兵器に関してはソ連時代の資産があるため、今のところ、中国と比較すれば、まだまだソ連のほうが軍事的には上です。

米国誌「フォーリン・ポリシー」は2013年24日付の記事で、「中国初の空母となった『遼寧』とインドの空母はいずれもベースがロシア製で、設計上の欠陥などがあり、遠くまで航行できない」と指摘していましたた。

ボロ船の空母「遼寧」

同誌によると、中国とインドの空母はいずれもロシアの空母「アドミラル・クズネツォフ」の姉妹艦で、同様の欠陥を持っているそうです。

米国の空母が2年ごとに短くとも6カ月間、海外に展開するのとは違い、「アドミラル・クズネツォフ」は1991年の就役以来、前線に派遣されたのが4回のみで、いずれも地中海へ数カ月のみの派遣でした。「アドミラル・クズネツォフ」の主な問題は、動力装置の欠陥だといいます。

そもそも、この空母の原型である「アドミラル・クズネツォフ」をつくる能力すらないのが、現在の中国の技術水準です。そうして、このような重要な軍事技術は、技術力のある国の同盟国には、ブラック・ボックスで提供されることもありますが、同盟国ではない国に、提供することはありません。ロシアも、高度の軍事技術を中国に提供していません。

そうはいっても、そもそも、軍事費がかなり中国のほうが大きいですから、当面は大丈夫とはいえ、数年後あたりにはどうなるかわかりません。いずれにせよ、ロシアにとって、中国は潜在的に大きな脅威であることには、変わりありません。

それに、もう一つロシアにとっては、悩ましい中国との国境溶解現象ががあります。

中ロ国境

国境の溶解現象とは、中ロ国境を中国人が多数超えてロシア領内に入り、様々経済活動をしているため国境そのものが曖昧になっていることをさします。

黒竜江とウスリー江を挟んだ対岸は、中国有数の農業地帯であり、 渤海、金以来のさまざまな民族の興亡の地として歴史に残る遺跡も多いです。 わずかに川ひとつ隔てただけで、一方は衣食を外からの供給に仰ぎつつ資源を略奪しつづけ、 年々人口を減らしつづけているシベリアであり、一方は年々人口を急増させつつある 黒龍江省です。

ロシア側の、全シベリアの人口を総和しても、数十分の一の面積しかない黒龍江省の半分にしかならないのです。この救いがたい落差は、 つまるところ社会的な圧力になります。ソ連政府はだからこそ国境地帯に厳しい軍事的な緊張を 作り出すことによって、中国からの圧力に対抗していたといえるでしょう。

国境を挟んだ中国側の吉林省、遼寧省と北朝鮮、 内モンゴル自治区とモンゴル、新彊とカザフスタンおよびウズベキスタン、中国の雲南省とミャンマー、 中国の広東省とベトナムなどを比較してみると、常に面積の少ない中国側の各省が人口ではるかに勝っていることがわかります。

この明白な不均衡こそが、国境を超えて大量の中国人が流出あるいは進出しつつある 根本的な原因です。この点から言えば、シベリアも例外ではないばかりではなく、 最も典型的なものです。ソ連の軍事的圧力が解消し、 国境貿易が開始されたことは、この過程を一気に促進させました。

中越国境の橋

ソ連の崩壊によってシベリアのロシア人社会は、直ちに危機に陥いりました。 政府は給与を支払うことができず、多くの労働者が引き上げていきました。 シベリアに市場はなく、シベリア鉄道もいたるところで寸断されようとしていました。 だから、中国からの輸入が不可欠のものとなりましたが、一方で中国に売り渡すものを シベリアのロシア人社会は何も持っていませんでした。その結果、 中国人がシベリアに入り込んできて、役に立つものを探し出し、作り出してゆくしかなくなりました。

こうして、国境溶解が進んていきました。この国境溶解は、無論中国にとっては、軍事的脅威がなくなったことを意味します。

特に現在のロシアは、ご存知のようにウクラナイ問題を抱えており、中ロ国境にソ連時代のように大規模な軍隊を駐留させておけるような余裕はありません。

かつてのソ連の脅威がなくなったどころか、国境溶解でロシア領内にまで浸透できるようになった中国は、この方面での軍事的脅威は全くなくなったということです。

各地で軍事的な脅威がなくなった中国は、これら国境地帯にかつのように大規模な軍隊を派遣する必要もなくなり、従来から比較すると経済的にも恵まれてきたため、海洋進出を開始するだけの余裕を持ち、実際に海洋進出を始めました。

中国に国境を接する国々である、ロシア、ベトナム、モンゴル、インド、トルコなどが、経済発展をして軍事的にも余裕ができ、中国に対峙することが可能になれば、中国はこれらの国々の脅威から自分を守るために、国境に軍隊を派遣せざるを得なくなり、海洋進出などしている余裕はなくなります。

国境溶解を放置しておけば、ロシア国内の中国人が多数移住した地区など、中国人が多数住んでいるということが既成事実化され、いずれ中国領になる可能性もあります。

以前のロシアというか、ソ連時代には強大な軍事力を背景に、中国がこのようなことをしても、すぐに有無をいわさず、軍事力で徹底抗戦して、中国を押し返すことができました。

しかし、国境溶解が大規模になれば、そんなことも不可能になってしまいます。そうして、シベリアなどの地下資源なども奪い去られることも十分考えられます。

そんなことを考えると、ロシアとしてはかつては、日本の安全保障法制の強化などには反対してきましたが、中国の台頭を考えるとそうとばかりは言ってはいられなくなったわけです。

中国のすぐとなりの、日本の軍事力が増せば、中国もこれに対処しなければならなくなり、その分ロシアに対する脅威は減ることになります。

それに、日本の憲法や、安保法制など調べてみれば、どう考えてもロシアに侵略などということは考えられません。それに、日本は憲法9条を変更したにせよ、侵略戦争に打って出るということはまず考えられません。であれば、日本の安保法制の変更や、将来憲法9条を変えることも、ロシアにとっては、プラスになると考えているのです。

それにしても、ロシアですら、日本の安全保障のあり方を時代の移り変わりとともに、変えてきているにもかかわらず、当の日本国内では、安倍自民党と一部の安保賛成派だけが、時代の変化に合わせて安保保障のあり方を変えるべきと考えているのに、なぜか野党や、学者、マスコミ、デモをする安保反対派は、数十年前と同じく、頑なに安保に関する考え方を変えません。

これは、本当に世界の七不思議よりもさらに不思議といわざるを得ません。私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2015年9月25日金曜日

反安保の急先鋒となったあの憲法学者の「いかがわしさ」を明かそう ~わずか2年前は「解釈改憲論者」。だから彼らを信用できない!―【私の論評】虚実皮膜の間も成り立たない180度時代に逆行した転換(゚д゚)!

反安保の急先鋒となったあの憲法学者の「いかがわしさ」を明かそう ~わずか2年前は「解釈改憲論者」。だから彼らを信用できない!

長谷川幸洋氏 写真はブログ管理人挿入 以下同じ

ほんの2年前まで、「解釈変更容認論者」だった!

安全保障関連法案(現在は可決成立)をめぐる議論について、先週のコラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/45392)で「野党や反対派は反省せよ」と書いたら、予想以上の反響をいただいた。多くは私の意見に賛成だった。今回はその続きを書こう。

いただいた反響のツイッターを見ていたら、たまたま日本報道検証機構代表で弁護士でもある楊井人文(やないひとふみ)氏が執筆した記事(http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20150923-00049770/)を見つけた。記事は慶応義塾大学の小林節・名誉教授の言説に言及している。

小林節・慶応義塾大学名誉教授

小林教授は安保関連法案に反対した代表的な憲法学者として著名である。反対派が法案違憲論で盛り上がったのは、反対派の一人として小林教授が国会で意見陳述したのも大いに寄与している。

ところが、楊井氏の記事を読んでびっくりした。小林教授は、ほんの2年前まで集団的自衛権についてバリバリの解釈変更容認論者だったのだ。これは単に私が知らなかっただけで、ネットの世界ではとっくに知られていた事実でもあった。

まさに安倍政権が想定したケース

まず2006年11月11日の産経新聞「正論」欄で、教授は次のように書いていた。

「法令解釈というものは、解釈権を有する者(この場合は政府)が、その責任において、条文の文言とその立法趣旨の許容限度内で行う『選択』である以上、時代状況の変化の中で、説得力のある理由が明示される限り、変更されてよいものであるし、これまでもそうであった」

「だから世界史の現実と東アジアの情勢の中で、わが国の存続と安全にとって日米同盟の強化が不可欠である、と政府が考えるならば、その責任において、上述の2例のような場合に、仮にわが国に対する直接的な攻撃がなかったとしても、それをわが国が座視すれば日米同盟が損なわれることが明白である以上、仮に形式上は集団的自衛活動になろうとも、わが国の存続に『不可欠』な軍事行動は、それを許容する憲法9条に違反するものではあるまい」(http://sakura4987.exblog.jp/4527878/

ここで「上述の2例」とは「公海上でわが国の自衛艦と並走している米国の艦艇が他国から攻撃された場合に、自衛艦が米艦を支援したら、それは集団的自衛権になってしまう」というケースと、「わが国の上空を飛んで米国に向かう他国のミサイルをわが国が撃ち落としたとしたら、それも集団的自衛になってしまう」というケースだ。

まさに安倍政権が想定したケースである。

小林教授はそういう場合に「政府が法令解釈を変更してもいいし、これまでもそうだった」と主張し、かつ「政府が不可欠と考えれば、集団的自衛権に基づく軍事行動も9条に違反しない」とも言っている。小林教授が国会やマスコミで展開してきた反対論とは、まったく正反対なのだ。

賛成派の立場からみれば、まったくその通り、お説ごもっともとしか言いようがない。

これは9年前のコラムだったが、つい2年前の13年7月26日に公開されたダイヤモンド・オンラインのインタビュー記事(http://diamond.jp/articles/-/39334?page=9)でも、次のように主張している。「集団的自衛権の考え方については、どうですか」との質問に教授はこう答えた。

「先にも述べた通り、政府は自国の自衛権の存在を認めています。そうなると、自衛権を持つ独立主権国家が『個別的自衛権』と『集団的自衛権』の両方を持っていると考えるのは、国際法の常識です」

「政府は憲法の立法趣旨に照らして、集団的自衛権を自らの解釈で自制していますが、このままだと日本は、他国に攻められたときに自分たちだけで自衛しなくてはいけません。

しかし、『襲われたら同盟国が報復にゆく』というメッセージを打ち出せる集団的自衛権は、他国の侵略を牽制する意味においてもメリットがあります。だから、改めて『日本は集団的自衛権を持っている』と解釈を変更するべきでしょう」

ここでは明確に「憲法解釈を変更すべきだ」と主張している。インタビューはやや長文だが、確認したい方はぜひ原文を参照してほしい。

これなら素人のほうが健全!

インタビューには後日談もある。14年5月26日の参院憲法審査会で和田政宗参院議員(当時、みんなの党)が「最近では、先生は安倍政権が目指している憲法の解釈改憲は大変、危険だと述べている」と発言の変化を指摘したうえで、あらためて集団的自衛権についてどう考えているのか、真意を質した。(https://www.youtube.com/watch?v=VqtRN8TEu7M&feature=youtu.be&t=9m30s

すると小林教授は、

「いまのネットの記事、私が言ったとは、インタビューを受けたんですが、とうてい信じられない。確認のうえ削除します。もちろん私も人間ですから、議論の中で過去35年、変わってきたので、縦で見れば、私の発言に矛盾はありうると思います。宗教じゃないですからね。日々、議論の中で私は変わってきていると思います」

と述べて、堂々と否定したのだ。

9年前に本人が執筆した記事と合わせて考えれば、小林教授はもともと「集団的自衛権は許容できるし、政府は解釈を変更すべきだ」と考えていたとみて間違いない。それが、いつからか知らないが(2年程度の間に)、180度正反対の論者になったのだ。

ついでに言えば、教授は国会でインタビュー記事を「確認して削除する」と発言しているが、現在も削除されていない。「正論」コラムも国会の録画も同様だ。それはそうだ。本人が意見を変えるのは自由だが、だからといって新聞や雑誌の記事、国会の証言録を後から削除できるわけがない。

そんなことをすれば、自由で独立したジャーナリズムと国会の自殺行為である。明白な間違いでもあるなら別だが、記事は新聞や雑誌のものだ。もしも間違った考えを言ったなら、責任は教授自身にある。教授はそんな言論や報道の自由について、いったいどう考えているのだろうか。まるでお分かりになっていないのではないか。

私は小林教授とテレビの『朝まで生テレビ!』で何度かご一緒したことがある。あるときは教授が私に「もっと勉強してから出てこい」という趣旨のご発言をされたので、私は「『素人』の代表として、このスタジオに座っている。勉強してから出てこいなどと言われたら発言できない」と反論した。

そんな専門家である小林教授はたった2年で考え方を180度変えて、国会やマスコミで平然と発言できる学者だったのだ。これだから、私は「専門家なる人々」を心の底から信用できない。素人のほうがよほど健全である。

「なかったことにする」つもりですか?

かつて賛成していながら反対に意見を変えたのは、小林教授だけではない。実は民主党の岡田克也代表もそうだ。それは国会論議であきらかになった。

自民党の佐藤正久参院議員は9月14日の参院平和安全法制特別委員会で、岡田代表が「いまの憲法はすべての集団的自衛権を認めていないとは言い切っておらず、集団的自衛権の中身を具体的に考えることで十分、整合性を持って説明できる」と03年5月の読売新聞上で発言していたことを指摘した。

さらに、自民党の平沢勝栄衆院議員は、15年6月22日の衆院平和安全法制特別委員会で、参考人の西修駒沢大学名誉教授に対する質疑を通じて、枝野幹事長が13年10月号の文藝春秋誌上で「個別的自衛権か集団的自衛権かという二元論で語ること自体がおかしな話です。そんな議論を行っているのは日本の政治や学者くらいでしょう」と書いていることをあきらかにした。

枝野幹事長はカタログハウスのサイトで「私はこう考える」と題して、こう説明している(https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/140104/index1.html)。

「日本近海の公海上で、日本を守るために展開している米海軍が攻撃された時に助けに行けるのかについて、他国の軍隊が公海上で攻撃されたという面で捉えれば、行使が認められていない集団的自衛権のように見えます。

でも、わが国を防衛するために展開している艦船だという点に着目すれば、日米安保条約に基づいて自衛隊と同じ任務を負っているのだから、個別的自衛権として行使することができます」

これはまさに、小林教授が2年前のインタビューで「集団的自衛権になってしまう」としたケースである。枝野幹事長と小林教授はいま反対の立場で共通しているが、実は小林教授が「枝野解釈」を否定していたのだ。

小林教授と岡田代表に共通しているのは、程度の差こそあれ、集団的自衛権について当初は容認していた姿勢を後になって修正し、否定する。ところが「転向」を外に向けて説明しない点である。

意見を変えてはいけないとは言わないが、少なくとも小林教授や岡田代表はなぜ変えたのか、本人が説明すべきではないか。私はこれほど重要な問題で、小林教授のように正反対に意見を変えておきながら「私が言ったとはとうてい信じられない」と国会で居直る姿勢には、それこそ信じられない思いがする。

発言自体を「なかったことにする」姿勢は政治やジャーナリズムの世界だったら、完全にアウトだ。学者の世界ではそれが通用するのだろうか。そんな学者のいかがわしさを明白な証拠をもって世間に示したのは、間違いなく小林教授の功績である。

この記事の詳細は、こちらから(゚д゚)!

【私の論評】虚実皮膜の間も成り立たない180度時代に逆行した転換(゚д゚)!

小林節氏の安全保障に関する考え方が、180度転換したことは、以前にもネットで読んだことがあります。しかし、あまり前後関係や背景などは、十分に記載されていなかったため、本日までは掲載しませんでした。しかし、上記の記事は、明確にそれらが示されているので、掲載させていただくことにしました。

上の長谷川幸洋氏の記事を読んでいて思ったのは、立場を180度転換する事自体は、悪いこととは全く思わないのですが、それには条件があるということです。

本日は、それについて掲載して行きたいと思います。

会社で、経営に関わったことのある方なら、時によって180度立場を変えるということもあり得ることは、よくご存知のことと思います。

朝令暮改などということばがあります。この言葉の意味は、「朝に命令を出して夕方それを変えること。法令が出てもすぐあとから改められて、あてにならないこと」です。



この言葉は、ネガティブなイメージがありますが、私自身は肯定的にも捉えています。会社経営をしていると、長期経営計画や、年度計画、短い場合は、月次計画、週次計画、日時計画などがあります。

しかし、私たちは、社会に生きていて、日々社会現象を相手にしています。社会現象は、非常に複雑なものですから、計画をたてたにしても、計画通りに事が運ばなかったり、最初計画をたてたときとは、状況が異なってしまう場合もおうおうにしてあります。

だから、そんな場合は、そもそも元の計画のミッションの部分に着目して、そのミッションを達成して、成果をあげるためには、元のままの計画ではうまく行かない場合には、計画を変更します。そうして、その計画の変更の理由は、周りの人にも伝えて、理解しもらい、其の上で変更します。

無論、計画の変更に対して、おうおうにして反対する人もいます。そのような場合は、説明はしますが、それでも従業員は納得しない場合もありますが、原則として、経営者として、変えるものは変えます。

社会に生きている私達、社会に存立している企業にとって、何事も絶対などということはあり得ません。この絶対ということはないということで、私が良く思い出すのは、「虚実皮膜の間」という言葉です。



これは、原典は詳しくは知りませんが、もともとは芸は実と虚の境の微妙なところにあることを指し。事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるとする論です。江戸時代、近松門左衛門が唱えたとされる芸術論だそうです。

そこから発展して、現在では、「虚実」はうそとまこと。虚構と事実。「皮膜」は皮膚と粘膜。転じて、区別できないほどの微妙な違いのたとえとされています。「膜」は「にく」とも読みます。

たとえば、会社の中で職位が何であれ、私たちは、組織の中で一人ひとりが独立していなければなりません。自分の足で立っていなければなりません。自分の考えを持たなければなりません。しかし会社組織には、多数決という考え方がないことも事実です。責任範囲の狭い人と、責任の範囲の広い人の考え方が最終的に異なった場合、どんなに反対者が多くても、責任範囲の広い人である職位の高い人の意見が優先するのは言うまでもありません。

ただし、だからといって組織人として、自分の意見がないということも許されるものではありません。だから、上司を信じることは良いのですが、上司に頼りすぎるのも良くありません。また、部下をみる場合には、性善説でみる場合と、性悪説で見る場合とを臨機応変に変えていかなければなりません。性悪説でのみ部下と接すれば、そこには信頼関係がなくなります。そのような見方だけをする上司には、部下は誰もついていきません。

かといって、性善説だけで見れば、管理上のリスクが常について回ることになります。時と場合によって、臨機応変に変えなければなりません。片方の見方しかできないようであれば、管理者失格です。管理者や経営者の立場においては、いずれの立場からでも見られるようにしておかなければなりません。



だから、組織人は、いつもこれらのバランスを図っていく必要があります。そうして、虚実皮膜の間という言葉どおりに、場合によっては性悪説、性善説の間を揺れ動きつつ、その場、その場で判断をしていく必要があります。どんな場合にも、絶対善、絶対悪もないわけで、このバランスをとるという意味合いもこめて、私は「虚実皮膜の間」という言葉を座右の銘としています。

だから、180度転換というこは、会社の中では当然あり得る話です。会社の中では、多数決原理など成り立ちません。特に危機に瀕したときなどそうです。船が沈みそうなときに、乗客と乗組員が話あいをしていては、犠牲者が増すばかりです。だから、航海法などでは、船が危機に至ったときの船長の権限を明確に定めています。それと同じことです。そうでなけば、会社が成り立ちません。

それにしても、これは、あくまで会社の中の話です。社会人たるもの、立場を180度変えても良いですが、変えた場合には、説明責任は果たすべきです。特に安全保障に関するような重要な事柄については、立場を変えれば、説明責任は十分に果たすべきです。

こうしたことから、小林節氏は、立場を180度変えたというのなら、説明責任を果たすべきでした。民主党もそうです。このブログでは、岡田代表や枝野氏のみとどまらず、民主党自体が集団的自衛権の行使を認めていた時期があることも掲載したことがあります。であれば、民主党も説明責任を十分果たすべきでした。

それにしても、安全保障に関してはまさに、「虚実皮膜の間」という考え方が、良く成り立つと思います。第二次世界大戦直前の、イギリスの首相はチェンバレンは、ミュンヘン会議で、対独宥和政策をとり、ドイツのチェコスロバキアのズデーテン地方の併合を許容しました。

チェンバレン(左)とヒトラー(右)

これで、チェンパレンは戦争を回避できたと考え、会議からイギリスに帰ったところ、空港で大勢の市民から「戦争を回避した偉大な首相」ということで、大歓迎を受けました。

しかし、その後どうなったかといえば、戦争は回避されることなく、ドイツはその後ポーランド、フランス、ソ連などに侵略して、第二次世界大戦を招いてしまいました。

チェンバレンは、ドイツに宥和政策などとるべきではありませんでした。ドイツの、ズデーテン地方の併合に関しては、絶対に認めない、併合を続けるなら、武力の行使も辞さないことをヒトラーに明確に伝えるべきでした。

そうして、他国などとも協力して、ドイツがあくまでも併合を続けるならば、武力も行使して徹底抗戦すべきでした。

このように、「安全保障」は自国だけのことを考えていても成就することはできません。相手の出方によって、柔軟に変えていかなけばなりません。まさに、「虚実皮膜の間」であり、チェンバレンの対応は、ヒトラー登場前には正しかったでしょうが、登場後は完璧に間違えでした。

日本の安全保障の環境も、10年ほど以前とは全く異なります。すでに、オバマはアメリカは「世界の警察官」をやめることを宣言しています。中国は、まだ今の水準では、軍事的にはあまり脅威ではありませんが、それでも、毎年軍備を拡張していますし、核兵器は日本に照準をあてています。

最近では、北朝鮮も核開発に成功し、大陸間弾道弾の開発にも成功したようです。それにし、拉致問題は未だ解決していません。拉致問題は、日本にとって大きな安全保障上の問題です。

安保法制も時代に即して変えていくのが当然のことです。ちなみに、小林節氏の従来の安保観は、まさに現在の日本に即したものだと思います。

以下に、小林節氏の2年前よりも以前の安保観を以下に整理しておきます。
法令解釈というものは、解釈権を有する者(この場合は政府)が、その責任において、条文の文言とその立法趣旨の許容限度内で行う『選択』である以上、時代状況の変化の中で、説得力のある理由が明示される限り、変更されてよいものであるし、これまでもそうであった。
だから世界史の現実と東アジアの情勢の中で、わが国の存続と安全にとって日米同盟の強化が不可欠である、と政府が考えるならば、その責任において、上述の2例のような場合に、仮にわが国に対する直接的な攻撃がなかったとしても、それをわが国が座視すれば日米同盟が損なわれることが明白である以上、仮に形式上は集団的自衛活動になろうとも、わが国の存続に『不可欠』な軍事行動は、それを許容する憲法9条に違反するものではあるまい 
政府が不可欠と考えれば、集団的自衛権に基づく軍事行動も9条に違反しない。
まさしく、小林節氏の以前の安保観は、現在の日本に即したものです。最近の、小林氏は、完璧に時代に逆行しているようにしか思えません。

まさに、「虚実皮膜の間」も成り立たない180度時代に逆行した転換だと思います。

どうして、このようなことになってしまうのでしょうか。民主党の転換は、簡単に理解できます。彼らは、安倍政権に対峙して、少しでも選挙に有利になるため、安倍政権にネガティブイメージをつけることが狙いです。

小林節氏の転換はなかなか理解できませんが、やはり彼が、日本の憲法学の主流派に属しており、過去の小林氏の言舌は、小林氏自身の本心であり、最近の転換は、主流派憲法学界に配慮したものだと思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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佐々木惣一の「憲法第九条と自衛権」―【私の論評】安保法制=戦争法案としてデモをする人々は、まるで抗日70周年記念軍事パレードをする人民解放軍の若者と同じか?



安全保障について、良く考えるための書籍を以下に掲載させていただきました。

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2015年9月24日木曜日

【HBR】なぜ動き回っていると働いている気になるのか―【私の論評】獲得すべきは、成果!民主党のように忙しく動きまわることではない(゚д゚)!


中央にいるキーパーがボールを止める確率は最も高く、33.3%なのだが?

フランチェスカ・ジーノ,ブラッドレイ・スターツ

ハーバード・ビジネス・レビューより

多忙による生産性の低下――つまり活動量と成果が比例していない状況に、どう対処すべきか。誰もが持つアクション・バイアス(とにかく行動しようという姿勢)を抑えることが有効だ。

自分は忙しいと感じている人は、手を挙げてほしい。その忙しさによって、むしろ生産性に支障が出ているという人はいるだろうか。ならばこの先を読み進めてほしい。

人はいとも簡単に、「忙しくしていたい」という誘惑に屈してしまう。たとえそれが生産性を下げることになってもである。私たちの脳がそのようにできているのだ。しかし生来のその性質を、成果へと転換できる方策がある。

諸研究を見ると、私たちがしばしば忙しいと感じる(しかし生産的だとは必ずしも感じられない)理由が2つある。どちらも、みずからが招いているものだ。

●人は何もしていない状態を嫌う
あなたの周囲にも、車の運転で数分間の信号待ちを避けるために、もっと時間がかかると知りつつ回り道を選ぶ人がいるはずだ。研究によれば、同じことが仕事にも当てはまるという。つまり、私たちが選んでいる行動の多くは、自分自身を暇にさせないための手段にすぎないのだ(英語論文)。

●人はアクション・バイアス(行動ありきの姿勢)を持つ
私たちは不確実性の高い状況や問題に直面すると、何か行動を起こそうとする。たとえそれが逆効果であり、何もしないことが最善の策であったとしてもである。

プロサッカーのゴールキーパーの場合を考えてみよう。ペナルティーキックでボールを止めるのに最も効果的な戦略は何だろうか。ほとんどの人は、自分なら右か左にジャンプするだろうと考える。だが最善の策は、中央に留まることなのだ。イスラエルの研究者らの調査によれば、右に飛んだキーパーがボールを止める確率は12.6%で、左に飛んだ場合は少しだけましな14.2%だった。一方、中央にいたキーパーがボールを止める確率は最も高く、33.3%であった(英語論文。世界各地のトップリーグに所属するキーパーを対象に286本のPKを分析)。

ところが、キーパーが中央に留まる頻度はわずか6.3%なのだ。どうしてだろうか。それは、反対の方向にダイブ(という行動)をしてボールを止められなかったほうが、動かずにいてボールが通り過ぎるのを横目で見ている屈辱と比べたら、まだ格好がつくし、気持ちも楽だからだ。アクション・バイアスはたいていの場合、「何をすべきかわかっていなくても、何か行動すべきだ」という感覚に基づく感情面の反応である。しかし行動を控え、観察し、状況を見極めるほうが良い選択となることは多い。

アクション・バイアスを持っていると、問題について十分に理解する前に、一足飛びに解決策を求めようとしてしまう。我々が実施したある実験では、被験者は課題を計画している時よりも、課題を実行している時のほうが生産的だと感じていた。特に時間の制約がある場合には、計画は時間の無駄だと考えられがちだった。課題にいきなり取り掛かるよりも、計画を立てるほうが実際には優れた成果に結びつくにもかかわらずである。

本当の成果よりも、「忙しくしていること」を選ぶのはたやすい。だが実際に生産的になることは、はるかに難しい。ではどうすればよいか。「振り返りの時間を持つ」ことが生産性を高めるのに役立つ、という事実を忘れずにいればよい。

我々はインドのバンガロールに拠点を置くビジネス・プロセス・アウトソーシング会社ウィプロで、技術サポートのコールセンターを対象にある実験を行った。そこでわかったのは、考えるという作業がパフォーマンスを向上させるということだ。研修を受けている従業員たちの中で、1つのグループには毎日講習の最後の15分間を使って、その日に学んだ内容を振り返って文章に記すよう求めた。別のグループは対照群として、振り返りの15分を与えず時間いっぱいまで講習を受けてもらった。すると1カ月後の最終テストで、毎日振り返りをしたグループは、対照群(振り返りをしない分、講習を15分長く受けていたグループ)よりも平均で22.8%良い成績を収めた。

振り返りによって、パフォーマンスがこれほど向上するのだ。なぜなら、そうすることで自分の今の状態をしっかり認識でき、進捗具合を把握でき、課題と目標を達成するうえで必要な自信が持てるからである。

このような思考は、計画の立案という形で実践しても有効だ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのオリアナ・バンディエラの研究チームはあるフィールド実験で、インドの上場製造企業のCEO354人を対象に、仕事に関わる活動を1週間記録した。そして研究チームはCEOを2種類に分けた。タイプ①は、事前に計画を立て、直属の部下たちと多くの時間を過ごし、自社のさまざまな職能にある多くの人々と会議をするCEO。タイプ②は、事前に計画していない行動を多く取り、自社の従業員よりも社外の人と1対1で会う時間が多いCEOだ。すると分析の結果、より計画的なタイプ①のほうが、全社レベルでのより高い生産性と収益性に寄与していた(英語論文)。

優れたゴールキーパーのように中央に留まる姿勢を会得するためには、一歩下がり、考えることだけに時間を取り、その後に初めて行動を起こすことだ。振り返りの時間を持つことで、自分が何をやろうとしているのか、それが生産性を高めるのかを吟味できる。かつて、筆者の1人にとってのメンターである人物がこう言った――「忙しくすることで、考えることを避けようとしてはならない」と。

【私の論評】獲得すべきは、成果!民主党のように忙しく動きまわることではない(゚д゚)!

ハーバード・ビジネス・レビュー(HBR)はアメリカの有名な経営関係の論文を掲載する雑誌です。数年前までは、私も購読していました。最近は、時々気に入ったものが掲載されていると年に数回購入する程度です。

HDRの最新号の表紙

HBRを購読し続けていて、思ったのは、やはり記事のほとんどが、米国のものがほとんどで、扱われる問題が、日本とはまた異なるということでした。日本ほど長い間、デフレに見舞われた国はないので、日本の課題は過去15年くらいはデフレからの脱却や、デフレ経済下における対処法であったのですが、アメリカでは全く異なるということで、日本では大事ことが忘れ去られていることを実感させられました。

たとえば、人材採用についても、米国では様々なことが論じられていたものの、日本での採用の現場では、デフレでものが売れないため、結局採用するにしても、デフレの最中で無難な人材を採用するということで、いわゆる「コミュニケーション能力」の高い人材がもてはやされるという具合でした。

本当は、日本も高度知識社会に突入しているわけですから、コミュニケーション能力とともに、新しい事柄を短時間に自分で学び、それを仕事に適用していける力こそ、重要なのですが、モノの売れない時代には、このような能力があっても仕方ないので、そんなことよりも、共感力を含むコミュニケーション能力が重視されたのです。

そんなわけで、私は、HDRは少し前までの日本の状況とは異なる米国の状況に即した内容の論文を掲載していると感じたので、読んでもすぐに役に立つということもないと考え、定期購読はやめてしまったのです。

しかし、久しぶりで、上の記事を読んだところ、これは、今日の日本の状況を説明するために非常に役立つと考えたので、掲載させていただくこととしました。

さて、前置きが長くなってしまいましたので、そろそろ本題に入ります。

まずは、この論文は、なぜ民主党が安保法制反対の立場であのように動きまわっていたのかの理由を明らかにすると思います。

民主党が安保法案に反対した理由は、以下の三点につきます。これは、民主党のサイトから引用したものです。


政府の集団的自衛権行使を認める「新3要件」は基準があいまいで、自衛隊の海外での活動の歯止めにはなりません。

「新3要件」は立憲主義に反した便宜的・意図的な解釈変更であり、専守防衛の原則から明らかに逸脱しています。

政府が集団的自衛権を行使して対応すべきとする事例は蓋然性や切迫性が認めらません。邦人輸送中の米艦防護の事例は集団的自衛権の行使とは解されませんし、ホルムズ海峡の海上封鎖については日本が武力行使で解決すべき「日本の存立を脅かす事態」とは考えられません。


民主党のこの反対の理由は、あまりにも単純で、これらが間違いというか、見当違いであることはすぐに論破できます。「新3要件」に関しては、演繹法的、帰納法的な考えの区別がつけば、すぐに解消するものです。

以下に、演繹と帰納についてwikipediaから掲載します。
演繹(えんえき、: deduction)は、一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る論理的推論の方法です。帰納の導出関係は蓋然的に正しいのみですが、演繹の導出関係は前提を認めるなら絶対的、必然的に正しいのです。したがって実際上は、前提が間違っていたり適切でない前提が用いられれば、誤った結論が導き出されることがあります。近代的には、演繹法とは記号論理学によって記述できる論法の事を指します。

これだけでは、何のことやら良く理解できないですから、以下に具体例をこれもwikipedia
から掲載します。
例えば、物体が落下するとき、重いものほど速く落ちるというのがかつての常識であった。これに対して詳しい実験からガリレオ・ガリレイは物体の落下時間が質量比例するものではないことを示ししました。これは帰納的な判断です。 
また、ここから彼は物体の落下速度は質量にかかわらず一定だろうと判断した。これはアブダクション(仮説形成)である。その後、様々な実験や研究から物体がそれに従うべき法則として万有引力の法則運動の法則が設定されました。

これが認められた後は、物体を落下させる実験を行わなくても、その落下時間は計算できるし、全く異なる条件下、たとえば金星で同じ実験を行った場合の結果についても値を得られます。これが演繹的な判断です。仮に実験結果が異なった値を取れば、実験の失敗を疑うか、そこに差を与える他の要素を探求することになるでしょう。なぜならば、その実験の範囲では、前提とする法則が正しいものと判断できた上での結果だからです。
法律は、帰納的に個別のものを扱うことにでもなれば、ありとあらゆる事例を対象としなければならないことになります。そんなことは、事実上不可能です。演繹的に考えて、定めるのは当然のことです。

ホルムズ海峡のときはどう、イラクの時はどう、朝鮮の場合はどう、中国の場合はどう、人質が絡んだ複数のパターンはの場合はどうなどと一々法律を定めていては際限がありません。法律は元々演繹的なものになるのが当たり前のことです。

民主党の主張のように、あのときはどう、このときはどうなどと言い出したら際限がなくなり、簡単な法律一つ定めるにしても、とんでもない数の条項が必要とされるようになります。これは、不可能です。

さらに、帰納的に様々な例をあげて論じることは、安全保障の面からも、非常に良くないことです。これは、敵国や、スパイなどに対して、日本の自衛隊や警察は、どのような状況になれば、どのような行動をとるのか、わかりやすく教えるようなものです。

こんなことは、どこの国でも実施してはいません。日本も当然、例外になるべきではありません。演繹的な考えで作成する法律には、場合によっては、法の隙間ができることは避けられません。この隙間は、附則をつけることで補ったり、それでも、対処できなければ、改定すれば良いわけです。

さらに、時の政府が法の隙間を利用して、悪事を働くというのなら、そのときこそ国民は、選挙で時の政府を潰せば良いのです。それが、民主的手続きというものです。だから、新三要件に関する民主党の指摘は全く妥当ではありません。

さて、次に集団的自衛権に関する民主党の反対なのですが、これも、民主党が基本的なことをわかっていないことを露呈しています。

そもそも、集団安全保障と、集団的自衛権は異なります。民主党は、これ自体も良く理解していないようです。

集団安全保障とは、潜在的な敵国も含めた国際的な集団を構築し、不当に平和を破壊した国に対しては、その他の国々が集団で制裁するという国際安全保障体制の一種です。

これに対して、集団的自衛権とは、ある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利です。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにあります

国連が本来、想定しているのは集団安全保障のための国連軍であり、その手続きは国連憲章の第7章にくわしく書かれています。集団的自衛権は、その末尾(第51条)に書かれているだけです。これは各国の「権利」を書いただけで、国連の活動についての規定ではありません。

これは、きわめて重要な相違です。集団安全保障は、憲法が想定している「諸国民の公正と信義に信頼して」行なう国連活動なのです。これを禁止すると、湾岸戦争ときのように世界から馬鹿にされることになるというだけではなく、いざというとき国連に助けてもらえないことになります。

しかし正式の国連軍は、朝鮮戦争や湾岸戦争を除いては、一度も結成されたことはありません。なぜなら、安保理事会で拒否権が発動されるからです。この難点を回避するために利用されるのが集団的自衛権です。国家の自衛権は自然権(国家として当然の権利)であり、国連が認める必要はありません。集団的自衛権は安保条約でも、国連憲章で最初から認められている権利であり、本来今さら閣議決定するような問題ではないのです。

ただし、国連の集団安全保障体制が機能しない現状には問題があります。集団的自衛権が違憲とする民主党は、「何でも反対」を叫ぶのではなく、国連部隊がもっと機動的に活動できる国連改革を提案すべきなのです。

一歩引いて、いろいろ情報を集めて、考えると、民主党の主張は全く的を射ていないことが良くわかります。

どうして、このようなことになるかといえば、このブログ冒頭の記事をご覧いただければ、良くご理解いただけると思います。以下の二点につきるのです。

●人は何もしていない状態を嫌う
●人は行動ありきの姿勢を持つ

民主党は、人ではありませんが、民主党という組織は人で構成されていて、その行動は幹部によって定められます。幹部が、何もしない状態を嫌い、行動ありきの姿勢を持っているから、安保法制に関しても、反対の行動ありきということで、動いたので、非生産的な結果を招いてしまったのです。

実際、政党支持率など見れば、良くわかります。

最近の調査では、民主党の支持率は、下がっています。自民党もさがっていますが、もともと30%台の支持率が、数%下がったという状態で、10%台の民主党も数%下がっていますから、この下がり方は、かなりのものです。実際には、自民党の下がり方よりも、さらに下がっています。

さて、ブログ冒頭の記事には、以下のようにこれらに対する対処法が書かれています。
本当の成果よりも、「忙しくしていること」を選ぶのはたやすい。だが実際に生産的になることは、はるかに難しい。ではどうすればよいか。「振り返りの時間を持つ」ことが生産性を高めるのに役立つ、という事実を忘れずにいればよい。
民主党は、本当の成果をあげることは捨て去り、安保法案に対案を出すこともなく、ただただ反対の行動をとり、国会でも皆さんご存知のように、委員長を監禁してみたり、必要もないくらい長い演説をしてみたりして、本当に生産性の低い行動を繰り返していました。

とにかく、民主党は重要なことには何でも反対です。それも、反対するならするで、それなりに、時間をかけて対案を出すということもせず、何をしているのかはわかりませんが、とにかく何か動いているようではありますし、安保法案審議のときには、下の写真のように、ものすごい動き方をしました。しかし、何も成果をあげていません。


これは、民主党の幹部が、「振り返りの時間」を持たずに、 本当の成果よりも、「忙しくしていること」を選ぶという安易な道を選んでいるからです。

そうして、これは民主党だけとは限りません、他の共産党などの安保に反対する野党も同じことです。そうして、「違憲」とか「戦争法案」などという報道を垂れ流したマスコミも同じことです。

安保反対デモなどをした人々や、SIELDsなどの若者も同じことです。無論、彼らのデモなどは、彼らの仕事ではありませんが、彼らも成果をあげることもなく、忙しく動くことで、意味のあること、意義のあることをしていると錯覚しているだけです。

結局彼らは、振り返る時間、考える時間を持たずに、行動を繰り返し、過去の60年安保、70年安保、PKO法案のときと同じく、何の成果もだせないのです。


いや、それだけに及びません。左翼だけではなく、ヘイトスピーチなどを繰り返す、右翼なども同じことです。実際、ヘイトスピーチだけでは、何の成果もあげることはできません。ただし、最近は安保反対で、マスコミが一斉に左翼の運動の報道をしたので目立っただけです。右、左、上下に関係なく、このような落とし穴にはまっている人は大勢います。

私たちは、このような愚かな行動をすべきではありません。一見何も行動していないように見える時間を持つことを恐れず、行動ありきという誘惑を絶ち、行動する前や、行動した後に「振り返る時間」を持ち、非生産的な行動を繰り返すことは慎み、成果をあげるための行動をすべきです。まさしく、忙しくすることで、考えることを避けようとしては、破滅的な結果を招くだけなのです。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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新聞、テレビなどの報道を鵜呑みしていては、民主党のように、忙しそうにしているだけで、何も成果をあげられなくなります。そうなりたくない人々に贈りたい三冊の書籍を以下に掲載します。岡田さんあたり、この三冊を読めば、随分と民主党も変わると思うのですが・・・・・・。多くの人が目覚めて、成果をあげる行動をできるようになっていただきたいものです。

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2015年9月23日水曜日

「沖縄で人権侵害ない」「知事は尖閣狙う中国の脅威を無視」 国連人権理で辺野古賛成派が反論―【私の論評】完璧に習近平の走狗に成り果てた愚か者翁長(゚д゚)!


22日、スイス・ジュネーブの国連人権理事会で演説する名護市民の我那覇真子さん

 沖縄県の翁長雄志知事(64)は21日、スイス・ジュネーブの国連人権理事会で演説し、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古への移設で「人権侵害が行われている」と訴えた。一方、22日には辺野古移設賛成派が「沖縄で人権侵害はない」「知事は尖閣諸島を狙う中国の脅威を無視している」と反論。人権理事会は、沖縄の基地問題で論争が交わされる異例の事態となった。

 翁長氏は21日午後(日本時間同日深夜)、沖縄に米軍基地が集中する現状を紹介し、「人々は自己決定権や人権をないがしろにされている。あらゆる手段で新基地建設を止める覚悟だ」と主張した。

 翁長氏が人権理事会で基地問題を持ち出したのは、この問題を国際世論に訴えかけ、移設をめぐり対立する日本政府を牽制する狙いがあるとみられる。

 これに対し、駐ジュネーブの日本政府代表が21日、発言を求め、「日本の平和と安全を確保することが何より重要だ」と強調。長い時間をかけて辺野古移設を検討し沖縄県と合意した経緯を明らかにし、今後も県民に説明し、法に則して解決していくと語った。

 22日には、別の非政府組織(NGO)が「日本政府は沖縄の先住民の自己決定権を尊重すべきだ」と述べ、翁長氏に同調する動きをみせた。

 一方で移設賛成派にも発言の機会が設けられ、沖縄県名護市の我那覇真子(がなはまさこ)さん(26)が22日、翁長氏の「人権侵害」発言は「真実ではない。プロパガンダ(政治宣伝)を信じないでください」と呼びかけた。

 沖縄生まれの我那覇さんは、沖縄が日本の他の地域と同様に人権が守られていると明言。「沖縄が先住民の土地だと主張することで沖縄を独立に導こうとする人たち、それを支持する中国こそが地域の平和と安定を脅かし、人権への脅威だ」と報告した。

【私の論評】完璧に習近平の走狗に成り果てた愚か者翁長(゚д゚)!

翁長は、ももとそうだったのですが、今回のこの出来事で完璧に習近平の走狗と成り果ててしまっていることが良く理解できます。

それは、習近平が今何をしているかを考えれば、良くわかります。習近平は22日、彭麗媛夫人らと特別機でワシントン州シアトルに到着し、公式訪米を開始しました。米中関係が視界不良に陥るなか、習氏はまず米経済界など民間へのアピールを通じ、米国内の中国経済に対する失速懸念を押さえ込み、安全保障問題の懸案が山積するオバマ米大統領との首脳会談に臨む構えです。

22日、米シアトルで開かれた夕食会で演説する中国の習近平
習の訪米は2013年のカリフォルニア州訪問以来、2年ぶりです。国家副主席時代から米中の「新型大国関係」という持論を掲げ、米側に対等な地位を認めさせたいという考えは、経済が減速期に入った現在も変わっていません。

翁長の動きは、この習の動きとシンクロしています。翁長は、習近平の「米中による新型大国関係」の成立を少しでも有利にすすめるため、習を援護射撃をしているのです。

中国は、経済が停滞しつつある、ありふれた一党独裁国家に過ぎません。一党独裁国家は、シンガポールのような小さな国では一見成功を収めたかのようにみえまずか、これとて未来永劫にわたって繁栄し続けることなど考えられず、過去においてはすべての一党独裁国家が経済的に発展しないか、いっとき繁栄したかにみえても、その後没落するか、消滅しています。中国もその例外ではありません。

習近平はかつて「太平洋は米中の両国が共生するのを受け入れるだけの広さがある」と言いましたが、その見方の中にこそ、中国側の真意が見えています。これは、胡錦濤時代の末期に解放軍将校が、米国防長官に対し、米中はハワイを起点にして、太平洋の東側を米国が、西側を中国が分割して管理してはどうか、と述べたことと軌を一にしています。

中国が「新型の大国関係」という時、何よりも、それは米国が中国の「勢力範囲」を容認することを狙っていると見るべきです。例えば、まず第一に、東シナ海、南シナ海、さらには自らが規定する「第一列島線」内を自らの内海のように扱うことを意図しているに違いありません。さらに重要なことは、中国が自称する「核心的利益」の対象である台湾、チベット、ウイグルについては米国がそれらを中国の内政問題として干渉しないことを意図しているものと思われます。この三者の中では、実質的に中国の統治下にない台湾の扱いは格段に重要です。

外交能力が極端に低い及び腰のオバマ政権が過去の米中首脳会談で、「新型の大国間関係」論を全面的に拒否しなかったことは、米中関係に中国のスローガンを持ち込む余地を与え、大きな失敗でした。ただ、オバマ政権といえども、中国が既存の国際規範に遵うよう、より強く要求するようにはなって来ています。今年の一般教書演説でも、「世界で最も繁栄しているアジアにおいて、中国にルールを決めさせてよいのか」と述べています。中国が力をもって新しい国際規範を構築しようとすればするほど、現状維持勢力として米国は強い態度で臨むべきであり、特に今回の会談では、そうせざるを得なくなるでしょう。

2年前のオバマ・習近平会談
今年の4月に、中国を訪れていた翁長雄志は4月14日、北京の人民大会堂で李克強首相に対して、中国福建省と沖縄県との間の定期航空便開設など経済的な関係強化を図るよう要請しました。

李首相は「両国の地方政府同士の交流を支持する。沖縄を含むすべての地方との交流を開放していきたい」と述べています。

知事は、河野洋平元衆院議長らに同席して李首相と会談。アジアとの交流で栄えた琉球王国の歴史に触れ「アジアの発展が著しい中、沖縄が注目されてきていることを、ぜひご認識いただきたい」と語っていました。

北京の人民大会堂で中国の李克強首相(右)と握手する沖縄県の翁長雄志知事
このようなことから、情況証拠しかありませんが、それにしても、現実には翁長は習近平に対する援護射撃をするに及んで、完璧に習近平の走狗に成り果てたとみなしても良いと思います。

翁長は上記の訪中の際、65名の『日本国際貿易促進協会』の面々に同行する形を取っていましたが、実は習政権が呼び寄せたともっぱらの評判です。中国の狙いは米軍普天間基地の辺野古への移設阻止で、同氏の懐柔を図った可能性が高いです。

翁長知事は『中国観光客のさらなる誘致』を目的に渡航したと伝えられていますが、裏では中国側から沖縄独立への打診があったともいわれているます。これがすぐさま具体化することはあり得ないですが、中国側の長期的な目論みが沖縄の実効支配にあるのは確実なです。

そのため、習政権下では貿易や観光客の増加とともに、現地の不動産や企業を支配下に置く戦略が練られています。沖縄が中国経済圏に入れば、同県に属する尖閣問題も有利に働くと算段しているようです。

ちなみに、翁長氏は那覇市長に就任後、急速に中国に傾倒していったことでも知られる人物です。'05年には中国・福州市から名誉市民称号を授与され、さらに昨年12月の知事選前には那覇市内に龍柱の建設を決定して、これを中国に発注。一部市民団体の猛反発を食らった経歴をもっています。

出来上がった龍柱のイメージ 高さは15m
「龍柱」とは冊封体制の象徴です。冊封体制とは、中国の歴代王朝が、東アジアの諸国・民族との華夷秩序(主従関係)を維持するために用いた対外政策のことです。周辺諸国の君主に爵位などを与えて統治を認め(冊封)、君臣関係を結ぶものです。

翁長知事が、「龍柱」を建てるということは、沖縄が中国の支配下に入ることの象徴の意味もあります。

習政権を後ろ盾とする翁長知事が独立をチラつかせ、基地の移設だけではなく、尖閣問題に異論を唱えだす可能性も高いです。本年4月5日に普天間移設工事の対立を危惧した菅義偉官房長官が初会談に及びましたが、この裏テーマは沖縄県が中国の傘下とならないよう、翁長知事の腹を探るためでもあったと考えられます。

それにしても、翁長は、沖縄で人権侵害しているなどと訴えるなら、その前にまずは、中国における、酷い人権侵害を訴えるべきです。

沖縄に人権侵害などありません。中国こそ、民主化、政治と経済の分離、法治国家化もなされておらず、酷い人権侵害が横行しています。先日も、人権派弁護士が大量に拘束されたばかりです。

以上のようなことを考えると、翁長は完璧に習近平の走狗に成り果てた大馬鹿者であるということができると思います。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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【関連図書】

沖縄の真実を知るために、必要と思われる書籍を以下にあげました。新聞・テレビでは知ることのできない情報が満載です。





沖縄の不都合な真実 (新潮新書)
大久保 潤 篠原 章
新潮社
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「河村たかし前市長の政策と理念を引き継ぐ」名古屋市長選で広沢一郎が当選 自・立・国・公推薦の大塚耕平さんら破る―【私の論評】名古屋市長選の勝因と敗因:広沢氏の戦略とメディアの責任を問う

「河村たかし前市長の政策と理念を引き継ぐ」名古屋市長選で広沢一郎が当選 自・立・国・公推薦の大塚耕平さんら破る  河村市政15年の評価などが争点となった名古屋市長選挙が11月24日、行われ、新人で元副市長の広沢一郎さんが当選を果たしました。 【動画で見る】「河村たかし前市長の政...