2016年2月14日日曜日

【緯度経度】日本が発信しない「拉致」英文本 古森義久―【私の論評】政府の機関など、成果をあげず単なる「良き意図」で終わらせないためには何が必要か?

【緯度経度】日本が発信しない「拉致」英文本 古森義久

The Invitation-Only Zone: The True Story of North Korea’s Abduction Project
書籍『招待所・北朝鮮の拉致警告の真実』の表紙

ワシントンにある韓国政府系の研究機関「米国韓国経済研究所」(KEI)で2月3日、「招待所・北朝鮮の拉致計画の真実」と題するセミナーが開かれた。その題名の新刊書の内容を著者の米国人ジャーナリストのロバート・ボイントン氏が紹介し、米側専門家たちが討論する集いだった。

実はこの書は、北朝鮮による日本人拉致事件の内容を英語で詳述した初の単行本だった。事件を英語で紹介した文献は米側の民間調査委員会の報告書などがあるが、商業ベースの英文の単行本はなかったのだ。

だから拉致事件を国際的に知らせる点で意味は大きく、日本側も重視すべき書である。米国とカナダで一般向けのノンフィクション作品として、1月中旬に発売されたのだ。

ニューヨーク大学のジャーナリズムの教授でもあるボイントン氏は日本滞在中に拉致事件を知り「この重大事件の奇怪さと米国ではほとんど知られていない事実に駆られて」取材を始めたという。この本はニューヨークの伝統ある「ファラー・ストラウス・ジロー」社から出版された。

ボイントン氏は数年をかけて日本や韓国で取材を重ね、とくに日本では拉致被害者の蓮池薫さんに何度も会って、拉致自体の状況や北朝鮮での生活ぶりを細かく引き出していた。また同じ被害者の地村保志さん、富貴恵さん夫妻や横田めぐみさんの両親にも接触して、多くの情報を集めていた。その集大成を平明な文章で生き生きと、わかりやすく書いた同書は迫真のノンフィクションと呼んでも誇張はない。ただし、ボイントン氏は拉致事件の背景と称して、日本人と朝鮮民族との歴史的なかかわりあいを解説するなかで、日本人が朝鮮人に激しい優越感を抱くというような断定をも述べていた。文化人類学的な両民族の交流史を奇妙にねじって、いまの日朝関係のあり方の説明としているのだ。

しかし同セミナーでの自著の紹介でボイントン氏はそうした側面には触れず、ビデオを使って、もっぱら日本人被害者とその家族の悲劇に重点をおき、語り進んでいった。

「なんの罪もない若い日本人男女が異様な独裁国家に拘束されて、人生の大半を過ごし、救出を自国に頼ることもできない悲惨な状況はいまも続いている」

ボイントン氏のこうした解説に対して参加者から同調的な意見や質問が提起された。パネリストで朝鮮問題専門家の韓国系米人、キャサリン・ムン氏が「日本での拉致解決運動が一部の特殊な勢力に政治利用されてはいないのか」と述べたのが異端だった。そして、同じパネリストの外交問題評議会(CFR)日本担当研究員のシーラ・スミス氏が「いや拉致解決は日本の国民全体の切望となっている」と否定したのが印象的だった。

だがなお残った疑問は、日本にとってこれほど重要な本の紹介をなぜ日本ではなく韓国の政府機関が実行するのか、だった。KEIは韓国政府の資金で運営される。日本側にもワシントンには大使館以外に日本広報文化センターという立派な機関が存在するのだ。だが同センターの活動はもっぱらアニメや映画の上映など日本文化の紹介だけなのである。安倍政権の重要施策の対外発信はどうなっているのだろう。(ワシントン駐在客員特派員)

【私の論評】政府の機関など、成果をあげず単なる「良き意図」で終わらせないためには何が必要か?

古森義久氏
上の記事にある、この書籍私も、さっそくキンドル本をダウンロードして読み始めていますが、確かに平明な文章で生き生きと、わかりやすく書れた同書は迫真のノンフィクションのようです。これだと、比較的短時間で読めそうです。

さて、ブログ冒頭の記事で、古森氏は、「だがなお残った疑問は、日本にとってこれほど重要な本の紹介をなぜ日本ではなく韓国の政府機関が実行するのか、だった。KEIは韓国政府の資金で運営される。日本側にもワシントンには大使館以外に日本広報文化センターという立派な機関が存在するのだ。だが同センターの活動はもっぱらアニメや映画の上映など日本文化の紹介だけなのである。安倍政権の重要施策の対外発信はどうなっているのだろう」と批判しています。

まさしく、そのとおりだと思います。アニメ映画の上映などの日本文化の紹介だけするというのでは、日本公報文化センターの役割をまともに果たしているとはとても思えません。

すでにアニメなど、国の機関が紹介するまでもなく、世界中にファンが多数存在しており、そんな中で、国の機関が、一切放映するなどなどということは言いませんか、アニメ映画を放映したり、日本文化の紹介のみにとどまっているとしたら問題です。

安倍政権に限らず歴代の政府はこのような活動には、あまり熱心とはいえないようです。最近では、外務省あたりが、竹島や尖閣問題に関するYouTubeに複数言語で視聴できる動画をアツプするなど、多少改善されているようではありますが、まだまだすべきことがあると思います。

このような活動は、政府も直接取り組むべきとは思いますが、それにも限界があります。やはり、こういうことを使命とする、日本広報文化センターのような組織や、NPO、NGOなどの非営利組織が実行すべきものと思います。

非営利企業こそ、使命をはきりするべき。そのためには、
まずビジョンや価値観をはつきりさせなければならない。

そうして、そのような組織においては、使命が第一に重要あり、リーダーがまずなすべきことを、よくよく考え抜いて、自らあずかる機関が果たすべき使命を定めることが重要です。

そして使命があるからこそ、はじめて明確な目標に向かって歩くことができ、目標を成し遂げるために組織の人間を動員することができるのです。

そして使命には、「何が機会であり、何がニーズであるか」「しかるべき成果が上げらそうか」「能力を有しているか」「信念をもってやれるか」つまり、“機会”“能力”“信念”の3つが表現され、組織の一人ひとりが目標を達成するために自分が貢献できることはこれだと思える現実的なものにすべきです。

そうして、特に成果をあげるには、成果を定義するだけではなく、それと実行する時間も加えて、目標として具体的に定めるべきです。定量化できるものは、定量化し、定性的なものであっても、なるべく具体的にして、組織の誰もが理解できるものにしなければなりません。

このような組織の中には、“使命”を掲げていない、あるいは意識すらしていない組織もあります。たとえ“使命”があっても、きれいな言葉が並べられ、形式的ものだったり、職員ひとり一人には理解されていないような状況では、まともな成果などあげられません。おそらく、日本公報文化センターなどもそのような状況なのではないでしょうか。

非営利組織に限らず、すべての組織の最終的な評価は成果であるはずです。営利組織における、利益も成果を測定する尺度の一つに過ぎません。経済的利益だけでは、すべての成果を表すものとはいえません。

良き意図と、大儀があるがゆえに成果や結果を重視しない傾向にある非営利機関も多いようですが、何が成果であるのかをはっきりと定義して、その成果を上げ続ける努力をすることが、非営利組織のあるべき姿であり、高い成果をあげための努力をしない非営利組織こそ、社会にとって罪なのです。

特に、NPOやNGOと異なる、政府の機関ともなれば、特に存続の努力などしなくても、政府から資金を得て活動するわけですから、余程成果の定義と成果を達成するための、目標がはっきりしていないと、その存在がすぐに無意味なものになってしまいます。

そうして、何よりも、そんなことになれば、組織の構成員が堕落してしまいます。

そんなことにならないないように、日本文化広報センターなどもまともな成果をあげるよう努力していただきたいと思います。

やるべきことはいくらでもあります。たとえば、ブログ冒頭の書籍は、英語の書籍ですが、このブログでは、以前慰安婦問題に関わる、ハングル語の書籍で、日本語には翻訳されているものの、英語には翻訳されていない書籍を紹介したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
「帝国の慰安婦」裁判 問われる韓国司法 弁護側は“メディア経由”の曲解報道を問題視 ―【私の論評】韓国で慰安婦ファンタジーが発祥する前の1990年代前に時計の針を戻せ(゚д゚)!
帝国の慰安婦 ハングル語版の表紙
詳細はこの記事をご覧いただくものとして、「帝国の慰安婦」という書籍に関連して、私は以下のような論評をしました。
この書籍は、日本語には翻訳されていますが、残念ながら未だ英語には、翻訳されていません。この書籍が、他の多く国々の言語に翻訳されて、多くの国の人々に読まれることになれば、慰安婦問題に関して、他国でも理解が深まるものと思います。

日本側としては、この書籍はあくまで韓国人の視点によって書かれたものであり、レトリックによって、ファンタジーとはらないギリギリのところまで日本側に慰安婦問題での譲歩を求める方向で書かれていること、当時日本が植民地支配していたのだから、日本に責任があるという方向で貫かれていることを主張すれば良いと思います。

そのほうが、かえって、日本の保守派の人が日本人の立場から、書いたものより、理解を得られ易いと思います。

とにかく、この書籍やその他の歴史的資料などによって、日本でも韓国でも、韓国における慰安婦ファンタジーが発祥する前の1990年代より前に時計の針を戻すことが、この問題の早期解決につながると思います。
この書籍を英語に翻訳し、米国で公開することなども、日本広報文化センターなどのしこ度として、良いと思います。そのようなことをすれば、韓国政府は非難するかもしれませんが、この書籍を読んだ米国人など、学術書であるこの書籍を韓国政府がなぜ問題にするのか、理解に苦しむと思います。そこから、慰安婦問題への理解が深まると思います。

それにしても、ただ紹介するというだけでは、何も成果はあがらないと思います。たとえば、この書籍を紹介するにしても、慰安婦問題に関してあらかじめ多くの米国人にアンケートをとっておき、慰安婦問題に関する理解、それもはっきりと定義をした理解が5%程度であったとすると、5年以内に50%にするなどの目標を定めるべきです。

そうするこによって、はじめて、自らが成果をあげているのか、あげていないのかをはっきりと理解することができます。そうでなければ、このような活動はただの「良き意図」で終わってしまうのです。

これが、手弁当で集まっている有志の「勉強会」などであれば、それでも良いかもしれません。しかし、政府からの資金で動く政府の機関がそうであってはならないのです。まともな、組織はすべからく、成果をあげなければ、存在意義が失われるのです。存在意義が失われれば、その機関に属する人々は早晩堕落してしまうのです。

それは、当然のことです。自分たちの組織が、あってなくても良いどうでも良い組織なら、その構成員がいくらまともであったにしても、その状態が長く続けば、堕落するのは当然です。そうして、堕落した組織は、社会に悪をなすことになります。

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2016年2月13日土曜日

【ニッポンの新常識】小林節・慶大名誉教授の批判にはガッカリした 主張は空論にすぎない ―【私の論評】果たすべき説明責任を果たさない人の言うことは、全く信用できない(゚д゚)!


小林節慶應義塾大学名誉教授
憲法学者で、慶應義塾大学の小林節名誉教授が先月、神奈川県・鎌倉で開かれた講演会の中で、私を名指しで批判したという話を聞いた。「ついに本格的な論客と議論できそうだ」と大いに期待した。

さっそく、動画サイト「ユーチューブ」で講演動画を見つけて、視聴した。結論から先に言えば、がっかりした。ツッコミを入れたい場面は数限りなくあったが、話が散漫にならないよう論点を2つに絞る。

1点目は、私も呼びかけ人となった「放送法遵守を求める視聴者の会」に関する論評だ。小林氏は、われわれの「メディアは放送法4条を守れ」という新聞意見広告を批判した。主な批判内容は3つである。

(1)放送法は訓示(倫理)規定に過ぎない。

これに対し、高市早苗総務相は8日の衆院予算委員会で「政治的に公平であること」を定めた放送法は「単なる倫理規定ではなく法規範性を持つ」もので、放送局が違反を繰り返した場合の電波停止は「将来にわたり可能性が全くないとは言えない」と語った。小林氏はご立腹だろう。

(2)意見広告は戦前のような事後検閲を招く。

小林氏は「大日本帝国やナチスは事前・事後を問わず検閲を行ったが、戦後の日本は憲法第21条2項で検閲を絶対的に禁止した」と主張する。終戦直後、GHQ(連合国軍総司令部)が命じたプレスコード30項目と、それに基づく大々的な検閲の事実を知らないのだろうか。事実を知ったうえで、あえて触れないのであれば「情報弱者のコントロールをもくろむ人物」と思わざるを得ない。

検閲の禁止を第21条2項に規定した日本国憲法の施行後も、占領終了まで続いたGHQの検閲が日本のメディアをゆがめた。プレスコード違反を恐れた自己検閲が、多元的な情報が入らない日本を生み出し、現在に至る。歴史的事実を踏まえないならば、小林氏の主張は空論というしかない。

(3)広告掲載した読売と産経は検閲に加担した。

まったく理解できない。広告掲載に反対する勢力こそが、われわれや新聞社に圧力をかけて、反対意見を封殺する事後検閲を試みている。単純な自己矛盾に気付かないのは、左派論客の常だ。

2点目の論点は、私が「日本は憲法改正を行うべきだ」と主張する件への批判である。米国人が日本の憲法論に口を挟むなと言いたいようだが、日本国憲法の草案は米国人の素人集団が約1週間で書いた。知らぬはずはない。

30年以上前から、憲法第9条改正や集団的自衛権行使を正々堂々と訴えていた小林氏は、ここ数年で安全保障法制を「戦争法」と呼ぶ人に変わった。

日米両国にとっての大損失を喜ぶ国はどこだ。

■ケント・ギルバート 

【私の論評】果たすべき説明責任を果たさない人の言うことは、全く信用できない(゚д゚)!


上の記事で、ケント・ギルバート氏が憲法学者で、慶應義塾大学の小林節名誉教授が先月、神奈川県・鎌倉で開かれた講演会としていたのは以下の動画です。



この動画をで小林節氏の公演全部を視聴しても、上のケント・ギルバート氏の主張はもっともであると思います。

小林節氏というと、記憶にあたらしいのは、昨年の安保法案審議の過程の公聴会で、今回の安保法案は違憲であると述べた憲法学者らの一人です。その時の動画を掲載します。


ケント・ギルバート氏は、ブログ冒頭の記事で "30年以上前から、憲法第9条改正や集団的自衛権行使を正々堂々と訴えていた小林氏は、ここ数年で安全保障法制を「戦争法」と呼ぶ人に変わった。"と述べています。

これは、事実です。これに関しては、このブログでも以前掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
反安保の急先鋒となったあの憲法学者の「いかがわしさ」を明かそう ~わずか2年前は「解釈改憲論者」。だから彼らを信用できない!―【私の論評】虚実皮膜の間も成り立たない180度時代に逆行した転換(゚д゚)!
長谷川幸洋氏
この記事の元記事は、長谷川幸洋氏によるものです。詳細は、この記事をご覧いただくものとして、小林節氏は、確かに2年と少し前までは、解釈改憲論者でした。しかし、なぜかいつの間にか護憲派に変わってしまいました。そうして、変わった理由を一切説明しません。

この記事の結論部分で長谷川幸洋氏は以下のように主張しています。
小林教授と(民主党)岡田代表に共通しているのは、程度の差こそあれ、集団的自衛権について当初は容認していた姿勢を後になって修正し、否定する。ところが「転向」を外に向けて説明しない点である。 
意見を変えてはいけないとは言わないが、少なくとも小林教授や岡田代表はなぜ変えたのか、本人が説明すべきではないか。私はこれほど重要な問題で、小林教授のように正反対に意見を変えておきながら「私が言ったとはとうてい信じられない」と国会で居直る姿勢には、それこそ信じられない思いがする。 
発言自体を「なかったことにする」姿勢は政治やジャーナリズムの世界だったら、完全にアウトだ。学者の世界ではそれが通用するのだろうか。そんな学者のいかがわしさを明白な証拠をもって世間に示したのは、間違いなく小林教授の功績である。
この主張は正しいです。そうして、小林節氏は未だになぜ自分が、意見を変えたのか、説明をしていません。これは、説明責任を果たしていないということです。

説明責任とは何かといえば、政府・企業・団体・政治家・官僚などの、社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使する者が、株主や従業員(従業者)、国民といった直接的関係をもつ者だけでなく、消費者、取引業者、銀行、地域住民など、間接的関わりをもつすべての人・組織(ステークホルダー:stakeholder、利害関係者)にその活動や権限行使の予定、内容、結果等の報告をする必要があるとする考えをいいます。

小林節氏は、すでに名誉教授であり、社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使するものとはいえないです。だから、特に名誉教授となった後に、立場を変えて様々な言論活動をしても、それはそれで良いことだと思います。

しかし、国会の公聴会での陳述人としては、説明責任を果たすべきです。少なくとも、公聴会の中、中でなくても公聴会の前にそれを公の場などでしっかりと説明すべきでした。

特に、小林節氏の話しぶりは、自信たっぷりで、比較的強面の人相ですから、この説明責任を果たしていないことを知らないような人たちに熱心に話をすれば、何の抵抗もなく話を受け入れてしまう人も多いのではないかと思います。

実際、上の小林節氏の講演会を聞いている人々もそうなのではないかと思います。彼らのうち、一体どのくらいの人が、小林節氏が比較的最近憲法解釈の立場を変えたことを知っていることでしょう。

しかし、本来憲法解釈などという重要な内容について、公聴会などで陳述するというのなら、30年間も保持してきた考えを、ここ数年で変えたというのであれば、その説明責任は、絶対に果たさなければなりません。本来政府側も、立場を変更した理由も陳述させるべきでした。

しかし、そうはしなかったので、公聴会における陳述も信ぴょう性が疑われるものになってしまいました。

そうして、今後も小林節氏が説明責任を果たさないというのなら、憲法解釈に関する小林氏の意見は信ぴょう性の低いものと見なさざるを得ません。

最近は、憲法学者に限らず、経済学者が説明責任を果たさない例も多いです。特に、日本の主流の経済学者のほとんどが主張した、8%増税の日本経済に対する影響は軽微とした見解は、これが完璧に間違いだたこと明らかになっても、誰もそのことに対して説明責任を果たしていません。

この事例に限らず、どんな事柄についても、立場を変えたとか、前に述べた意見と異なる結果になつた場合、それに対する説明責任を果たさない学者の意見は、信ぴょう性が低いものとみなし、真に受けるべきではありません。

しかし、この文書を書いていて、何か虚しさを感じてしまいました。考えてみれば、これは当たり前のどまんなかです。

大の大人で、重要な地位についている人でもまともに説明責任わ果たせない人が・・・

学者であろうが、なかろうが、どんな立場の人であろうが、どんな事柄についても、立場を変えたとか、前に述べた意見と異なる結果になった場合、特にそれが重要な事柄であれば、説明責任を果たすのは当然のことです。

そうして、誰だって、間違いをすることはあります。しかし、説明責任を果たすことにより、大抵の間違いは、明らかな犯罪や、余程のことがない限り、それが納得の行く説明なら、間違いは多くの人から許容されるのです。

また、間違いを許容するような組織や社会でなければ、硬直した組織や、社会になるだけで進歩などありません。ただし、何か間違いが起こったときに、責任のある人が説明責任を果たせば、原因も究明され、また同じ間違いが起こることの確率を低くすることができ組織や社会も進歩します。

それが不十分だと、何も変わらず、何度でも同じ間違いをおかしていまうことになります。

学者や、政治家、マスコミ、官僚などがその例外であるということはあり得ません。私たちは、説明責任を果たすべきなのに、果たさないでそれに関することを言い続ける人の意見には耳を傾けるべきではないし、どんな組織であれ、それを組織から排除していくべきです。

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2016年2月12日金曜日

TPP合意にかけた或る外交官の死―【私の論評】日本のエリートの本質である、現代にも存在する武士道精神!



早逝された、外務省前経済連携課長松田誠氏

2月4日、ニュージーランドで署名されたTPP=環太平洋パートナーシップ協定。日本が参加してから2年余りに及んだ交渉には、外務省、経済産業省、農林水産省など霞が関から多くの官僚たちが交渉官として携わりました。
12か国の国益が激突し、時に夜を徹して続いた厳しい協議。そうしたなか、内外の交渉官から信頼を集めながら49歳で急逝した外交官がいました。『彼なくしてTPPは実現しなかった』と首席交渉官が語るその人はどのような官僚だったのか、経済部の伊賀亮人記者が報告します。

首席交渉官が合意を報告した相手は


「難しく長い交渉でしたがようやく合意できました。感謝申し上げます」

去年10月、日本のTPP交渉団の事務方トップ、鶴岡公二首席交渉官が合意の直後、現地アメリカから真っ先に報告した相手がいました。

TPPの関税分野の交渉官で、合意の半年前、49歳で急逝した外務省の前経済連携課長、松田誠さんの妻・智子さんです。

「松田さんなくしてTPPは実現しなかった。できるかぎりの誠意を示したかった」

鶴岡氏は、亡くなった松田前課長が最期に携わった交渉の成果を本人に伝える気持ちで報告をしたかったと振り返ります。

交渉がいよいよ大詰めを迎えた局面での松田さんの突然の訃報は、霞が関に大きな衝撃を与えました。

鶴岡氏が真っ先に報告したかった松田さんとはどんな官僚なのか。

同僚たちに話を聞きたいと持ちかけると、ふだんはマスコミ対応に慎重な人まで「彼のことなら」と口を開き、「『こういう官僚がいた』ということを知らせてほしい」と多くの同僚が心を許して語り始めました。


異色のキャリアと数々の功績

松田さんの経歴は異色です。京都大学工学部で原子核工学を学んだあと、経済学部に転籍し外務省に入りました。英国留学をへて中東地域や安全保障政策、国際法を担当する部署などを歴任。優れた分析力と学生時代、陸上部のキャプテンを務めたリーダーシップで、次々と業績を上げました。

2002年、当時の小泉総理大臣が初めて北朝鮮を訪れキム・ジョンイル(金正日)総書記と首脳会談を行なった際には、担当課で交渉にあたりました。また、ワシントンの日本大使館勤務では、2004年のアメリカ大統領選挙の分析などを担当。共和党・ブッシュ大統領と民主党・ケリー候補の激しい選挙戦をち密で科学的に分析した報告は「理想の情勢分析」と今でも外務省内で語り草になっています。

責任感の強さ

同僚たちは能力の高さだけではなく、外交官としての使命感や責任感の強さを指摘します。

ワシントン勤務のあと松田さんは人事課に配属されました。人事課は、国益を代表する世界各地の大使館に誰を送り込むか、重要な国際交渉の担当に誰をつけるか検討する重要部署です。しかし、危険な紛争地域に同僚を送るつらい仕事でもあります。

人事課のあと、松田さんはみずからアフガニスタン大使館への赴任を志願しました。当時、2010年ごろ、アフガニスタンでは自爆テロなどが後を絶たない不安定な情勢が続き、志願の配属に省内では驚きが広がったといいます。

その理由を多く語らなかったそうですが、「人事課にいた自分が行くからこそ意味がある」と話していたそうです。

親しい同僚は「危険な任地を受け入れた人たちに感謝していたからこそみずからも赴く必要があるという考えだったのではないか」と語ります。

緊張した生活が続くアフガニスタンでは、2012年に日本の呼びかけで開かれたアフガニスタンの復興と開発を支援する会議を担当。参加した約80の国と国際機関の調整役を担い、総額160億ドル規模の支援策を取りまとめ、ここでも大きな功績を残しました。

交渉能力の高さと信頼を集めた誠実さ

その松田さんがTPP交渉の責任者の1人に就いたのは2014年8月。日本が交渉に参加して1年余りがたった頃でした。

その頃、取材で向き合った私自身、「TPPは日本にとってどのような意味、価値があると思うか」と問いかけられたことを思い出します。物事を本質から理解して臨もうとする松田さん特有の問いかけでした。

松田さんは、先に交渉を担当していた同僚や部下が驚くほどのスピードで交渉の経緯や内容、課題を把握していったそうです。

まず取り組んだのが世界の貿易に関するルールづくりの基礎となるWTO(=世界貿易機関)協定を読むことでした。読むといっても1000ページにも及ぶ大部。通常は自分が担当する部分だけ読むという外交官が多いそうです。しかし、松田さんは交渉を統括する立場としてすべて読み込んだだけでなく、わずか1か月ほどの間に専門の担当官よりも内容に精通していたといいます。


また、松田さんの誠実な姿勢が難しい交渉を前進させたと多くの同僚が指摘します。TPP交渉に参加する東南アジアや南米の新興国は保護主義的な制度を多く残しており、先進国との交渉は難航する場面がよく見られました。松田さんは、交渉相手国の交渉官に対して、一方的に要求を押し付けるのではなく、相手の事情を理解したうえで一緒になって解決しようという姿勢を貫き、大きな信頼を獲得していったそうです。

通商交渉のなかでも最も難しい分野の一つとされる関税分野の交渉は、ちょうど松田さんが担当になった頃、厳しさを増していました。

鶴岡首席交渉官は「松田さんは最終的にできあがった合意の基本線をつくった責任者の1人だ」と証言します。

あまりに突然の死

松田さんは、その能力の高さだけではなく、部下からも尊敬されていました。「憧れの存在でした」と語る後輩もいます。

上下の関係なく他人の話をよく聞き、部下を信頼する人だったと周囲が口をそろえます。趣味が料理という意外な一面もあって後輩たちを連れてよく食事に出かけ、家族を大切にするよう日頃から説く家族思いの人でした。

健康にも気を遣い、ランニングをしたり無駄な残業はしないという人だったため、亡くなったことを今でも信じられないと話を聞いた全員が言います。

ただ、私自身、交渉会合の度に連日深夜、時には夜を徹しての交渉や国内との調整が行なわれている様子を見てきました。特に亡くなる直前の3月中旬に行なわれた首席交渉官会合は、毎日数時間の睡眠もとれない状況だったということで、知らず知らずのうちに健康が蝕まれていたのではないかと思います。

松田さんは桜が咲く去年3月下旬、自宅で倒れ、虚血性心不全で亡くなりました。49年の人生を駆け抜けて行ったのです。

松田さんの死は、TPP参加国の交渉官らにも衝撃だったそうで、交渉会合では直接の交渉相手だけでなく、その上司である首席交渉官からも弔意が示されたということです。

TPPの先を見すえて

その松田さんが、最後に取り組んでいたのが、TPP交渉後の日本の通商戦略をどう打ち立てるかということでした。

当時、交渉が最終局面を迎えていたとは言え、まだ合意できるか分からない状態で、すでにその先を見すえていたというのです。

交渉に参加していない国に今後どのように加盟してもらい、TPPのルールを国際的に共通化し、日本にメリットをもたらすのか考えていたというのです。

取材のたび、私は「『国益』のために頑張ってください」と声をかけられました。何が日本のためになるかを常に思い巡らしていたからこそ発せられたことばだったと思います。

TPPは日本企業の海外進出にメリットがある一方で、農業を初めとした国内産業への影響が懸念されているのは事実ですが、志半ばにして亡くなった松田さんが思い描いたTPP後の世界が「国益」にかなうことを願ってやみません。



最近ニュースを見ていると、何やらうんざりすることばかりで、我が国日本や日本人はどうなってしまったのかなどと、鬱々とした気持ちで過ごしていました。

そんな中で、上の記事を読んでいて、亡くなったことはとても残念なのですが、そうではない人も存在するということを思い起こしました。

しかしながら、本日の大きなニュースというと、例の"ゲス不倫"宮崎氏の不倫騒動です。先には、清原の覚せい剤使用のニュースがありました。何やら、最近はこの種の報道が多かったように思います。

このような問題だけではなく、国内ではマスコミの報道ぶりがまた一段と劣悪になっていることをうかがわせるものが多いです。

マスコミは、世界経済の変動による最近の株安・円高をまるでアベノミクスの失敗のように囃し立て、あろうことか、マイナス金利まで、その要因の一つであるかのごとく報道していて、この低劣ぶりは本当にどうしてしまったのかと忸怩たる思いがしました。

それに関しては、長谷川幸洋氏が、最近の株安・円高は断じてアベノミクスの失敗によるものになく、中国の経済低迷なども含む世界経済の変化であることを主張しておられます。以下に、その記事のリンクを掲載します。
円高・株安は断じて「アベノミクスの限界」ではない!~中国の大不況が原因なのに、政権批判に転じるマスコミは破綻している

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、現在の株安・円高は国際情勢の変化によるものであって、どの方向から検討してみても、絶対にアベノミクスの限界などではありません。

ましてや、マスナス金利が関連しているなどとは全くの間違いです。日本の日銀が何か国内で有効な政策を打ったからといって、世界の経済を変えることはできません。日本国内ですら、金融緩和やマイナス金利政策を行ったからといって、すぐに国内の実体経済がすぐさま変わるということはありません。

にもかかわらず、ほとんどの新聞が、あろうことか、産経や夕刊フジまで、マイナス金利が悪影響を及ぼしたかのうよな報道ぶりです。

長谷川氏の主張を簡単にまとめると、円高・株安が進んだ原因は、一言で言えば、世界経済が先行き不透明で「安全資産」とみなされた円に投資マネーが集中したからということです。中国のバブル崩壊やそれを一因とした原油安、欧州の金融不安、米国の利上げなどが重なって世界経済の不透明感が強まったのです。

そんな中で世界の投資マネーが日本円と日本国債に逃げ込んだのです。だから円高、長期金利の低下になって、かつ円高が株安を招いたという構図です。日銀のマイナス金利政策は導入直後のマーケットがそうだったように本来、円安・株高につながるのですが、政策効果を帳消しにするほどグローバルな投資マネーの勢いが強かったのです。

こんなことは、少し考えれば、当たり前のどまんなかで、誰でも容易に理解できるはずでです。

そうして、このあたりをきちんと理解して書いていたのは読売新聞(11日付)やフィナンシャル・タイムズ(10日付)の社説くらいだそうです。

ほんとうに驚くほどの、マスコミの破綻ぶりです。長谷川氏は、このマスコミの破綻ぶりで触発された民主党の細野豪志政調会長が10日の衆院予算委員会で「マイナス金利によって円高・株安になった」と批判したことを糾弾しています。

細野氏も、本当に破綻しています。細野氏は、新聞の下請けをやっているとしか思えません。それどころか、最近の民主党など、まるで週刊文春の下請けをしてるようなありさまです。

それにあの、"ゲス不倫"の宮崎などの話を聴いていると、本当に今のマスコミや政治家など一体どうしてしまったのだと本当に忸怩たる思いがしました。

記者会見で議員辞職する意向を表明し、頭を下げる自民党の宮崎謙介衆院議員
宮崎というと、最近では「不倫」問題ばかりが注目されていますが、その前のいわゆる「育休」に関する奴の発言は、まるでなかったかのような状況になっています。

私自身は、企業や役所などにおいて、男性も「育休」がまともにとれるようにすること自体に関しては、全く賛成です。

しかし、国会議員が率先して取得ということになると、疑問符がつきます。企業でも、「育休」の取得とか、休みの取得などは従業員当然の権利であって、これを妨げるような要件はいずれ取り除いていくべきものと思います。

しかし、同じ企業でも、取締役などの役員は別物だと思います。従業員の場合、何時から何時までと労働することを義務付けられています。しかし、役員は違います。朝定時に出て、夜定時に帰ったり、残業したら残業届けを、出して手当をもらうことなど義務付けられていません。

また、休みだって、定休があるわけでもないし、休みたければ自由に休むこともできます。無論、取締役会などの重要な会議には出席しなければなりませんが、一般の従業員のように就業規則の縛りがあるわけではありません。

役員の縛りは、取締役規程などに定められたもののみでそれには何時から何時まで働くとか、いつ休みをとるとか、細かいことなど定められていません。あくまで、大まかな方向性のみが記されているだけです。

そうして、責任は一般従業員よりははるかに重いです。さらに、雇用保険などもありません。労働基準法なども適用されません。無論、育休など適用除外というかそのような規則はありません。育児のため休みたいというのなら、自分の裁量で経営に差し支えない範囲で休むということになります。

国会議員といえば、公人です。企業の役員ですら、このようなことが当たり前なのですから、国民から選ばれた公人である政治家は、さらに責任が重いわけですから、「育休」などの制度を設ける必要などないはずです。休みたければ、わざわざ「育休」などといわず、自分の裁量で取ればよいだけの話です。

国会議員であれば、国会にだって、毎回必ず何時から何時まで、出席しなければならないという縛りもありません。確かに、選挙運動も忙しくて大変ではあると思います。しかし、その選挙運動だって、何時から何時までと、時間を拘束されるものではありません。

休みたければ、自分の裁量で休めば良いだけです。それで、選挙に落ちてしまえば、どうしようもないですが、そこは自分の判断で、活動をするときは活動して、休みにするときは休みにするということで良いはずです。

では、企業の役員や、政治家など、企業の一般従業とは異なり、なぜ時間を拘束されないかといえば、それは責任の重大さの違いです。役員は、労働者ではありません。一生懸命労働者にいり混じって、労働しても何も評価されません。評価されるべきは、経営に関することです。

政治家も同じことです。官僚などといり混じって、行政事務をしても何も評価されません。評価されるのは、国政に関することです。

責任が重いからこそ、企業の従業員のように勤務時間を拘束されたりすることはないのです。にもかかわらず、「育休」などとは何事かといいたいです。

マスコミや民主党の座右の銘?


この国会議員の「育休」に関しては、なぜか多くの人が、宮崎の主張におもねる人が多かったように思います。特にテレビなどの報道はそのようなものが多かったです。

これにあからさまに反対意見を述べたのは、橋下徹氏くらいなものだったと思います。「自営業者なら、休みたくても休めない、そのことを考えれば、問題外」と吐き捨てるように語っていました。実は、私もこの意見に賛成です。私自身も、中小企業ながら、比較的若い頃から役員だったので、なりたての頃は1年以上もほぼ休みなしで仕事をしていた時期もあります。

しかし、自営業者に限らず、企業の役員ともなれば、多かれ少なかれ従業員を雇用しなければならず、さらに多くの取引先の助けをもって、事業を展開しているわけですから、責任の度合いが全く違います。

国会議員だってそうです。国政が悪ければ、国は大変なことになります。それに、企業の役員などは、個々の企業の取締役会での選出ということになりますが、国会議員は、多くの有権者が選ぶのです。その責任は、本来は企業の取締役などの責任などとは比較の対象ともならないほどの、重いものであると思います。

そもそも、役員や国会議員は本来自分でなりたいと思ってなれるものではありません。役員は、取締役会での選出、国会議員は選挙での選出ということになります。

そういう意味では、役員や、国会議員はエリートということができると思います。エリートというと、倉山満氏が一度「エリートの定義」をツイートしていたのを思い出します。

そのツイートを以下に掲載します。
確かに、国会議員は東大を出ていないとなれないとか、偏差値の高い大学に入っていないとなれないなどということはありません。企業の役員だってそうです。一部上場の大企業であれば、東大卒などはいて捨てるほどいる中から選定されます。そんな中では、東大出身とか、偏差値が高かったなどということは何の意味も持ちません。

切腹の作法
あくまで、もっとも注目されるのは、責任の重大さに耐えられるかどうかの観点になると思います。ただし、国会議員の選挙や、企業の役員の選定にあたって、実際にこれが重視されているかは別問題です。最近の宮崎のような議員をみていたり、東芝の旧社長らなどをみていると、そうとは限らないことが良く理解できます。

しかし、本当のエリートの定義は「当人の命よりも責任が重い人」ということです。

責任のない人は、自分の命が大事なのだと思います。自分の命を太く未来につなげていくことが一大事なのだと思います。

"ゲス不倫"の宮崎は、そのような本能が人一倍強いのだと思います。まあ、そうはいいながら、昔から英雄色を好むともいわれで、女性と不適切な関係を持つエリートもいましたが、それでもエリートととしての矜持はもっていたし、責任は全うしたものと思います。だからこそ、許容されたのです。

そうして、大勢の命を未来につなげるために、本来の意味のエリートが命がけで、守るべきことを守り変えるべきことを変えているからこそ、国や産業が発展していくのだと思います。

宮崎に関しては、非常に悪いタイミングで不倫をして、さらに「育休」を取ることを宣言したことも手伝って、あのような結果を招いたのだと思います。

そもそも、本来エリートは命がけでなるものなのです。偏差値の高い大学に自分の子どもを入れようとしている親の大部分は、そんなことは考えてはいないでしょう。

一昔前ならば、武士の家に生まれれば、自分がどう考えようとも、そういうエリートになるものとして育てられたわけです。いざというときに、責任を取るために、切腹の作法も学ばせたのです。

しかし、今の時代は、エリートになるならないは自分の出自に関わることで決まるのではなく、選択することができます。そのためでしょうが、そのような自覚に乏しいエリートが増えたきたように思います。そのような自覚がない人は本らいエリートになるべきではないです。今の日本では、エリートにならないという道は本当に簡単に選択できます。

日本の武士の写真
しかし、今の日本は、様々なことが乱れているようではありますが、ブログ冒頭の記事の松田誠氏のような方もいらっしやるのです。松田氏は、まさに「自分の命よりも責任が重い」と自覚されていたのではないでしょうか。

無論亡くなったことは非常に残念なことなのですが、それだけとてつもなく大変な交渉だったのでしょう。本来ならば、この交渉の経緯を松田氏自身の言葉で聴きたかったものです。そのために、この記事を書いた記者も、松田氏に接触をしていたのでしょう。

松田氏は、本来の意味でのエリート意識が高い人だったのでしょう。それが悪い結果を招いてしまったのかもしれません。本当に残念です。

しかし、今の日本、本来はエリートであるべき人がエリートらしからぬ行動をとるのが、目立ちますが、それはやはり、目立っているのだと思います。マスコミも、目立つであろうことを想定して、報道するのだと思います。

だから、一見、エリートらしからぬ人が目立ってしまうのですが、一方で松田氏のように「責任感」が人一倍強い人もいるのです。

今回、このような報道がなされたので、松田氏のことを知る機会を得たのですが、おそらく今でも各界にこのように努力されており、責任感の強い人がこの日本には大勢いらっしゃるのだと思います。無論実数は全体から比較すれば、少ないのでしょうが、そもそもエリートなど少ないのが当たり前です。だからこそ、日本は何があっても、びくともせずに存在し続けているのだと思います。

無論、官僚の中にも、政治家の中にも、企業の中にも、マスコミの中にも存在していて、人知れず努力をされているのだと思います。

そのような責任感は、やはり武士道に相通じるところがあるものと思います。このような事実を知ると、現在にも現代風に姿形は変わっても、根底の大事なところでは変わらない、武士道が息づいているのだと思います。

マスコミも"ゲス不倫"のようなことばかり報道していないで、このように「責任感の強い」人を報道して、光をあてるようにしていただきたいものと思います。それが、将来の日本の本当の意味でのエリートを育てることにつながるかもしれません。

私は、そう思います。皆さんは、どう思われますか?

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2016年2月11日木曜日

【主張】建国記念の日 政府自ら祝典を開催せよ―【私の論評】歴史ファンタジーを必要としない日本に日本人として生まれたこの幸せ(゚д゚)!



大きな節目となる50回目の「建国記念の日」を迎えたが、今年もまた、国として祝う式典は開かれない。残念というほかない。

日本の建国は神話的な伝説に基づいている。新しい国づくりを目指して日向国を出た神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は瀬戸内海を東進し、難波、熊野へと至る。やがて大和を平定すると橿原(奈良県)を都と定め天下を統治することになった。

古事記や日本書紀がつづる初代神武天皇即位の物語である。

明治6年、政府は即位の日を現行暦に換算した「2月11日」を紀元節と定めたが、先の敗戦後はGHQ(連合国軍総司令部)によって廃止された。建国記念の日として復活するのは昭和42年で、祝日法には「建国をしのび、国を愛する心を養う」と明記された。

半世紀を経て、法の趣旨が十分に浸透しているかは疑問である。戦後の学校教育では、神話や建国の歴史が皇国史観や軍国主義につながるとして避けられてきた。自国の歴史を否定する自虐まみれの教育で、どうして青少年の健全な愛国心を育てられよう。

日本の建国の日を知っている日本人は2割にも満たないとの調査結果もある。神話はそっくり史実ではないにしろ、先人の国づくりへの思いや日本人としての生き方がうかがい知れる、いわば民族の貴重な遺産なのである。

自国のそのような遺産を誇りに思わない国民が国際社会から評価されようか。学校教育を含めた国の役割は極めて重大だといわざるを得ない。

昨秋、大阪で開催された交声曲「海道東征」のコンサートで、大きなホールが聴衆の感動に満たされたことを改めて想起したい。北原白秋作詩、信時潔作曲によるこの曲は、壮大な建国の歴史を格調高くうたいあげたものだ。

新保祐司・都留文科大教授は、「(聴衆は)自分という人間が、日本の建国の歴史に精神の深みで繋(つな)がっていることに覚醒して、魂の感動を覚えた」と評した(昨年12月1日付本紙「正論」)。

いま国内外で直面している幾多の困難を乗り切るためにも、日本人としての誇りを抱き続けるこれら国民の熱い思いに、政府は真剣に応えるべきではなかろうか。政府が直接関与する祝典の開催が、まず何よりも望まれる。

【私の論評】歴史ファンタジーを必要としない日本に日本人として生まれたこの幸せ(゚д゚)!

今日は、お誕生日おめでとう日本と言いたいです。 今年は紀元2676年なので、本日は日本の2675回目の誕生日ということになります。現存する国としては、世界最古の国家に生まれたことを誇りに思います。

それにしても、本日は建国記念日に関する催しものが各地で開催されていますが、その中でも護憲派の集会も多く開催されています。

その中には仰天するようなものも多くあります。たとえば、水戸市のJR水戸駅南口では、「茨城のシールズ」を標榜する市民団体がバレンタインアピールとして、チョコ付きのティッシュやビラを配りながら「戦争法廃止」の街頭宣伝を行っていました。

産経新聞の取材に応じた共同代表の女性(38)は、「北のミサイル発射は日本には危害がない。北朝鮮と中国、米国がグルになっている」などと仰天の発言を連発したそうです。

それに建国記念の日に関係することで、神武天皇不在論というものもあります。初代の天皇がいらっしゃらなければ、今生天皇である125代は有りようがないわけです。

現在天皇陛下がいらっしゃる以上、誰かが初代だったのであり、その初代を「神武天皇」とお呼びしているのです。「神武天皇はいつの時代の人物か」等という問いは議論可能ですが、神武天皇不在論はまったく馬鹿げた主張です。

そんなことより、米国のように建国のときのいきさつについて、細かなことまで記録に残っているような国でも、当のアメリカ人や、多くの日本人が信じているアメリカの建国の歴史にはかなり疑わしいことが多くあります。

それに関しては、倉山満氏の『嘘だらけの日米近現代史』をご覧いただくか、以下の書評サイト(パピレス・プラズ)を御覧ください。

嘘だらけの日米近現代史[著]倉山満 [発行]扶桑社

さて、米国よりさらに新しい、中国や韓国ですが、これらの国々は、過去と断絶しており、中国も韓国も過去の国とは全く別物であり、文化や伝統を継承してはいません。

中華人民共和国の建国は、1949年10月1日のことです。これが建国の日だとすると、大東亜戦争が終了したのは、1945年ですから、現在の中国は日本とは戦争をしたことはありません。にもかかわらず、昨年には、中国では抗日70周年記念軍事パレードを挙行しました。

これは、全くの歴史ファンタジーです。日本と戦争をしたのは、現在台湾にある中華民国です。日本と毛沢東の共産党軍とは、戦争をしたことはありません。実際、生前毛沢東は、日本軍が中華民国と戦ってくれて、我々は助かったとしています。

1949年、天安門にて中華人民共和国の建国を宣言する毛沢東
大韓民国の建国は、昭和23(1948)年8月13日で、この日、首都・ソウルで、韓国樹立の宣布式が挙行されています。日付は「8月13日」です。ところが、韓国では、未だにこの正しい日付を建国記念日とはせずに、大韓民国は、1919年なのか、1948年8月15日なのかという、歴史ファンタジーのような論争が続けられています。

これについては、このブログにも以前掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【コラム】大韓民国建国は1919年なのか、1948年なのか―【私の論評】大韓民国の建国は、1919年ではないしましてや1945年8月15日でもない!未だに続く歴史ファンタジー!
韓国の独立記念式典 1948年8月13日
詳細はこの記事をご覧いただくものとして、韓国の建国は、1948年8月13日なのに、1948年8月15日を「光復節」として、韓国の建国の日としています。8月15日は、日本の敗戦記念日であり、この日を建国の日としたいというのでしょうが、これは完璧に歴史ファンタジーです。

そうして、歴史ファンタジーといえば、韓国でも、韓国は日本と戦って、独立を勝ち得たというような歴史ファンタシーがはびこっています。しかし、それは全くの虚偽です。韓国は、大東亜戦争中は日本が統治していました。

韓国が独立したのは、日本からではなく、終戦後日本の統治に変わってアメリカが統治をして、そのアメリカから独立したというのが史実です。

歴史の比較的新しい米国であるアメリカですら建国の逸話は疑わしいことがありますが、それよりもさらに建国の新しい中国や、韓国でもこのような歴史ファンタジーというか、はっきりいえば歴史の捏造があります。

なぜこのようなことをするかといえば、政府が国を統治する上での正当性を強調するためです。日本という国は、2000年以上の歴史がある国ですし、明治以降は、民主的な手続きを経て誕生した政府が統治をしているため、歴史ファンタジーを捏造するしなくても、その時々の政府が国民に対して統治の正当性をことさら強調する必要もありませんでした。

こういうことを考えれば、神武天皇の存在の有無など、議論することは間違いであることがはっきりすると思います。他国では、特に建国の歴史の浅い国では、歴史ファンタジーを捏造する必要がありますが、日本においては今生天皇が存在する以上、あまりにも歴史が古いからこそ故にはっきりと記録などに残ってはいないものの、初代天皇が存在したことは明白であり、その初代天皇のことを神武天皇とするということで、これは歴史ファンタジーでも何でもないです。

特に歴史の継続性ということでいえば、現存する国では、日本ほど明確な国は他にはありません。

たとえば、まだ記憶に新しい2013年に挙行された、伊勢神宮式年遷宮は、何も今に始まったことではありません。20年に一回このような遷宮が、1000年以上にわたって、繰り返されてきました。このような国など日本をおいて他には存在しません。

2013年に挙行された伊勢神宮式年遷宮
さて、このような古い歴史を持つ日本、建国されたのが、いつなのかあまりに古くて多くの人々が良くわからない国日本、それに対して、アメリカ、中国、韓国などの新興の国では、かなりのことが詳細に、歴史として残されています。しかし、古くから継続されてきた文化など存在しません。

このような伝統文化が根付いたわが国においては、国民の求心力を高めるたり、政府の統治の正当性を強調するために、わざわざ歴史ファンタジーを捏造する必要もありません。そんなことをしなくても、私達の日々の暮らしの中に深く根付いていて、意識しなくても日々その影響は私達の潜在意識の中に刻み込まれています。

米国や中国、韓国などのような歴史の新しい国々も、建国から500年もすれば、無論その時に国自体が存在していればの話ですが、あまり幼稚な歴史ファンタジーを創作しなくても、国としての統一性や、継続性を保つことができるようになるでしょう。

しかし、これだけは、他の国はいくら日本のようになろうとしても、すぐにはできないということです。私たちにとっては、長い歴史と伝統を持つ日本があまりにも当たり前になっているため、そのような認識で他国を見ると理解しがたい面があります。

他国や他国民には日本や日本人のような、このような長い歴史に培われた、バックボーンがない根無し草であるため、程度の差こそあれ、ことさらそれを強調しないと、国や国民としての求心力が損なわれるという面があるということを忘れてはならないです。

そうでなければ、他国や他国民の考えや、行動を理解できなくなります。ニッポン人の中には、諸外国の人々がことさらそれを強調するのを見て、勘違いして、外国人には立派なバックボーンがあり、日本人にはそれがないと幻惑される人もいます。

建国記念日という日は、歴史ファンタジーを必要としない日本に日本人として生まれたこの幸せを私達に思い起こさせてくれる、大切な日です。

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2016年2月10日水曜日

マイナス金利に文句言うのは 銀行の関係者だけだ―【私の論評】ドイツ銀行の不振まで、マイナス金利のせいにしてしまう浅ましさ(゚д゚)!

マイナス金利に文句言うのは 銀行の関係者だけだ

日銀は(2016年)1月29日、マイナス金利を導入した。その後、株式市場、為替市場は乱高下した。それでマイナス金利悪者論が闊歩している。

それらは世界経済の動きが原因であり、残念ながら日本の金融政策が世界を動かしているわけでない。

にもかかわらず、マイナス金利には否定的な論評が多い。

日銀決定の影響は

■日銀当座預金に金利で「濡れ手に粟」

筆者は、この状況を揶揄して、2月3日に次のようなツイートをしたところ、これまでに1400を超えるリツイートがあった。この種の堅い話題では珍しい。
多少言葉が不正確で乱暴なのはご容赦願いたいが、銀行を通してみると、マイナス金利の意味がよくわかる。テレビなどで、エコノミストらが批判するのは銀行の子会社にいて、親会社の銀行がマイナス金利を嫌っているからだ。

一般人が銀行に当座預金しても金利はつかない。ところが、銀行は日銀に当座預金すると、0.1%の金利が付いていた。銀行は一般人から当座預金ではゼロ金利であったが、それを仕入れとして、日銀に当座預金すると、0.1%の金利が付くので、濡れ手に粟だった。

この制度が導入されたのが、前の白川・日銀総裁時代の2008年である。

今回、マイナス金利を決めた日銀政策決定会合は象徴的だった。

賛成は、黒田委員、岩田委員、中曽委員、原田委員、布野委員。反対は、白井委員、石田委員、佐藤委員、木内委員。白井委員は学者出身であるが、石田委員、佐藤委員、木内委員は民間金融機関出身である。賛成には民間金融機関出身者はいない。賛成委員は安倍政権下で黒田体制になってからの任命、反対委員は民主党政権下で白川体制での任命である。

■「個人の預金金利がマイナスになる可能性はない」

白川前総裁は、日本経済より銀行を優遇する政策を行ったが、この当座預金への0.1%付利はその典型だ。

銀行の日銀当座預金残高は250兆円。その大半に0.1%の金利が付いているので、これだけで銀行は年間2200億円の利益を得ている。そもそも、当座預金に金利をつけることがおかしい。

この付利は、次の金融緩和で見直される可能性がある。今回の騒動は、この2200億円を守りたい銀行が必死になっていると見たほうがいい。

あえていえば、一般人からゼロコストの預金を受け入れ、それを貸出にまわさず、日銀当座預金している銀行は社会的にはいらない。貸出先がないと仕事をしない銀行もいらない。金融再編で消えても一般人は困らない。

なお、日銀のマイナス金利政策の導入を受けても、個人の預金金利がマイナスになる可能性はない。マイナス金利になるなら、預金せずに、家の金庫に置いておいた方がいい。もしみんなが預金しなくなると、銀行は仕入れがなくなるわけだから経営できなくなる。だから、銀行は仕入れをするためにマイナス金利にしないはずだ。

++ 高橋洋一

【私の論評】ドイツ銀行の不振まで、マイナス金利のせいにしてしまう浅ましさ(゚д゚)!

上の、記事さすがに高橋洋一氏の書いたものですから、マイナス金利について余すところなく、掲載されています。

それにしても、このマイナス金利悪者論者に関しては、高橋洋一氏が主張するように、銀行関連の人たちだけではないようです。マスコミもそのような主張をするものが多いです。

その典型的な例をあげておきます。これは、産経新聞の記事ですが、産経に限らず他紙でも似たような論調が多いです。
欧州発金融不安? ドイツ銀の株価が急落 マイナス金利で収益圧迫 銀行株一斉売り
ドイツ銀行
 詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下にはこの記事の出だし部分のみを掲載しておきます。
 欧州の金融最大手のひとつ、ドイツ銀行の株価が急落している。債券の利払い能力に不安が高まったためだ。マイナス金利政策の導入など欧州中央銀行(ECB)が超低金利状態を保ち、利ざやが縮小していることも収益を圧迫。銀行株の売りは欧州全体に広がり、金融システム全体の健全性に対する懸念がくすぶる。 
 ドイツ銀の株価は8日に9・5%急落し、9日も4・3%の大幅安で、年初からの下落率は40%を超えた。2015年12月期に68億ユーロ(約8800億円)の純損失を計上し、4月末に予定されている3億5千万ユーロの利払いができるか疑問視された。
この記事、明らかな錯誤があります。それは、「マイナス金利政策の導入など欧州中央銀行(ECB)が超低金利状態を保ち、(ドイツ銀行の)利ざやが縮小していることも収益を圧迫」という部分です。

これを読むと、多くの読者は、日銀がマイナス金利政策の導入をすると、日本の銀行の利ざやが縮小すると考えると思います。

ECBは、そもそも銀行の銀行です。銀行の銀行であるECBがマイナス金利を導入すれば、ドイツ銀行などのような市中銀行は、ECBに金を預けておけば、預かり料をはらわなれればならないことになるので、ECBにあまりお金を預けなくなります。

ルーチンで決まったような、決済などの必要なお金のみ預け、その他は引き出し自分のところに保管するか、他に貸出をすることになります。それだけのことです。これで、それまでよりも、利ざやが減ることになるという考えそのものが不思議です。

いいですか、お金を置く場所を変えるだけです。ドイツ銀行の利ざやがそれによって減るには減りますが、激減するわけではありません。これをもって、ドイツ銀行の利ざやが減って、業績悪化につながったというのは、あまりにも乱暴な極論です。EUには多くの銀行が、あります。ドイツ銀行が、マイナス金利で不振になったというなら、EUの銀行がことごとく、不振になっているはずてです。ドイツ銀行の不振はもっと他の原因にあるとみるべきです。

そもそも、ドイツ銀行は、ECBと取引をして利ざやを稼ぐのではなく、あくまで市中銀行として、企業などに融資してお金を稼ぐ機関です。

確かに、ドイツ銀行などの市中銀行が、決済などに預けるお金にはマイナス金利がかかることになりますが、微々たるものでしょう。

ECBとしては、マイナス金利にすることにより、市中銀行がなるべくお金をECBに預ける料を減らし、市場に出回るようにしたということです。ただし、これは、以前このブログにも掲載したように、あまり効果は出ていないことを掲載しました。その記事のリンクを以下に掲載します。
日銀のマイナス金利 投資・消費の増加につながるか―【私の論評】マイナス金利政策は当然!10%増税では、優先順位を間違えたECBよりも始末が悪いことに(゚д゚)!
さて、このマイナス金利政策は、ECBではあまり効果が出ていないのですが、日本で実行すれば、それなりの効果はあります。この記事から、その部分を述べた部分を以下にコピペします。
ユーロ圏では欧州中央銀行のドラギ総裁がマイナス金利政策を実施しましたが、これといってマイナス金利の効果は確認されていません。にもかかわらず、今回黒田総裁がマイナス金利政策を導入したのは、どうしてなのでしょぅか。 
その違いは、日本とユーロ圏の量的緩和の「量」にあります。以下の図を見てください。ユーロ圏の中央銀行である欧州中央銀行(ECB)がマイナス金利導入を発表したのは、2014年6月5日。つまり、ECBは本格的な量的緩和を実施して、マネタリーベースが急拡大する前の段階でマイナス金利を導入してしまっていたのです。
ECBのマイナス金利導入は、時期尚早でした。日本の場合は、日銀の金融緩和策によって、「日銀当座預金」に銀行の預金がかなり積み上がった状態になってしまっいるので、EUとは異なり、導入すればそれなりの効果が期待できるというわけです。
また、ドイツ銀行の不振が、リーマン級のショックを世界経済に与えるとの論調もありますが、それもかなり疑問符がつきます。

このあたりについては、私が説明するよりも、その道のブロの人の記事をご覧になったほうが良いと思います。以下に、矢口新氏の記事のリンクを掲載します。
世界恐慌の噂を検証~ドイツ銀行が破綻するとは思えない10の理由=矢口新
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、矢口新氏はドイツ銀行が破綻するとは思えない理由を10あげています。その一つ一つが十分納得のいくものです。

詳細は、この記事をご覧いただくものとして、矢口氏は一番最後の理由で以下のように述べています。
リーマン・ブラザーズは高レバレッジ体質でした。その後、ボルカールールなどで銀行のレバレッジの縮小が続いています。前述の「大き過ぎて潰せない」銀行への新規制でも、換金可能な資金の確保が要求されるということです。
レバレッジ(英語:leverage, gearing)とは、経済活動において、他人資本を使うことで自己資本に対する利益率を高めること、または、その高まる倍率をいいます。特に、リーマン・ブラザーズは異常なほどの高レバレッジ体質だったので、この一社の破綻が、他社にとてつもない影響を及ぼしました。

それから、私自身は、あのリーマンショツクに関しては、一家言があります。それは、日本におけるリーマンショツクは、本当の意味でのリーマンショツクではなく、日銀ショツクであるというものです。

実際、あのリーマショック後に、リーマン・ショックの悪影響を直接被った、米英、EU、中国等では、経済の不振を払拭するために、大規模な金融緩和を実行しました。そうして、比較的短期間のうちにリーマン・ショックから回復しました。

ところが当初はリーマン・ショックの影響は、軽微と見られていた日本においては、他国が金融緩和をしても、日銀はしなかったため、当時のデフレをさらに深化させ、円高も亢進してしまい、まさにひとり負けの状況でした。


だから、私は、日本におけるリーマン・ショックは、日銀ショックと呼称しています。実際、これは正しい見方です。あのとき、日銀が大規模な金融緩和に転換していれば、日本はあそこまで、一人負け状態になるはずはありませんでした。もともと、当時の金融業界は、あまり余裕がなく、サブプライムローンに手を出しているところなどほとんどありませんでした。

以上のようなことを考えれば、マイナス金利悪者論は完璧に間違いであることがわかると思います。最近の株価や、為替の乱高下は、マイナス金利とは全く関係なく、世界経済の動きが原因であり、マイナス金利をやめると、株価や為替が安定するなどということは全くありえません。

それにしても、あろうことか、ドイツ銀行の不振まで、マイナス金利のせいにしてしまうマイナス金利悪者論者の浅ましさは酷いものですし、それを見抜けず、マイナス金利悪者論者の言説に惑わされて、悪者論者の片棒をかつぐマスコミもいかがなものかと、思ってしまいます。

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