2016年2月13日土曜日

【ニッポンの新常識】小林節・慶大名誉教授の批判にはガッカリした 主張は空論にすぎない ―【私の論評】果たすべき説明責任を果たさない人の言うことは、全く信用できない(゚д゚)!


小林節慶應義塾大学名誉教授
憲法学者で、慶應義塾大学の小林節名誉教授が先月、神奈川県・鎌倉で開かれた講演会の中で、私を名指しで批判したという話を聞いた。「ついに本格的な論客と議論できそうだ」と大いに期待した。

さっそく、動画サイト「ユーチューブ」で講演動画を見つけて、視聴した。結論から先に言えば、がっかりした。ツッコミを入れたい場面は数限りなくあったが、話が散漫にならないよう論点を2つに絞る。

1点目は、私も呼びかけ人となった「放送法遵守を求める視聴者の会」に関する論評だ。小林氏は、われわれの「メディアは放送法4条を守れ」という新聞意見広告を批判した。主な批判内容は3つである。

(1)放送法は訓示(倫理)規定に過ぎない。

これに対し、高市早苗総務相は8日の衆院予算委員会で「政治的に公平であること」を定めた放送法は「単なる倫理規定ではなく法規範性を持つ」もので、放送局が違反を繰り返した場合の電波停止は「将来にわたり可能性が全くないとは言えない」と語った。小林氏はご立腹だろう。

(2)意見広告は戦前のような事後検閲を招く。

小林氏は「大日本帝国やナチスは事前・事後を問わず検閲を行ったが、戦後の日本は憲法第21条2項で検閲を絶対的に禁止した」と主張する。終戦直後、GHQ(連合国軍総司令部)が命じたプレスコード30項目と、それに基づく大々的な検閲の事実を知らないのだろうか。事実を知ったうえで、あえて触れないのであれば「情報弱者のコントロールをもくろむ人物」と思わざるを得ない。

検閲の禁止を第21条2項に規定した日本国憲法の施行後も、占領終了まで続いたGHQの検閲が日本のメディアをゆがめた。プレスコード違反を恐れた自己検閲が、多元的な情報が入らない日本を生み出し、現在に至る。歴史的事実を踏まえないならば、小林氏の主張は空論というしかない。

(3)広告掲載した読売と産経は検閲に加担した。

まったく理解できない。広告掲載に反対する勢力こそが、われわれや新聞社に圧力をかけて、反対意見を封殺する事後検閲を試みている。単純な自己矛盾に気付かないのは、左派論客の常だ。

2点目の論点は、私が「日本は憲法改正を行うべきだ」と主張する件への批判である。米国人が日本の憲法論に口を挟むなと言いたいようだが、日本国憲法の草案は米国人の素人集団が約1週間で書いた。知らぬはずはない。

30年以上前から、憲法第9条改正や集団的自衛権行使を正々堂々と訴えていた小林氏は、ここ数年で安全保障法制を「戦争法」と呼ぶ人に変わった。

日米両国にとっての大損失を喜ぶ国はどこだ。

■ケント・ギルバート 

【私の論評】果たすべき説明責任を果たさない人の言うことは、全く信用できない(゚д゚)!


上の記事で、ケント・ギルバート氏が憲法学者で、慶應義塾大学の小林節名誉教授が先月、神奈川県・鎌倉で開かれた講演会としていたのは以下の動画です。



この動画をで小林節氏の公演全部を視聴しても、上のケント・ギルバート氏の主張はもっともであると思います。

小林節氏というと、記憶にあたらしいのは、昨年の安保法案審議の過程の公聴会で、今回の安保法案は違憲であると述べた憲法学者らの一人です。その時の動画を掲載します。


ケント・ギルバート氏は、ブログ冒頭の記事で "30年以上前から、憲法第9条改正や集団的自衛権行使を正々堂々と訴えていた小林氏は、ここ数年で安全保障法制を「戦争法」と呼ぶ人に変わった。"と述べています。

これは、事実です。これに関しては、このブログでも以前掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
反安保の急先鋒となったあの憲法学者の「いかがわしさ」を明かそう ~わずか2年前は「解釈改憲論者」。だから彼らを信用できない!―【私の論評】虚実皮膜の間も成り立たない180度時代に逆行した転換(゚д゚)!
長谷川幸洋氏
この記事の元記事は、長谷川幸洋氏によるものです。詳細は、この記事をご覧いただくものとして、小林節氏は、確かに2年と少し前までは、解釈改憲論者でした。しかし、なぜかいつの間にか護憲派に変わってしまいました。そうして、変わった理由を一切説明しません。

この記事の結論部分で長谷川幸洋氏は以下のように主張しています。
小林教授と(民主党)岡田代表に共通しているのは、程度の差こそあれ、集団的自衛権について当初は容認していた姿勢を後になって修正し、否定する。ところが「転向」を外に向けて説明しない点である。 
意見を変えてはいけないとは言わないが、少なくとも小林教授や岡田代表はなぜ変えたのか、本人が説明すべきではないか。私はこれほど重要な問題で、小林教授のように正反対に意見を変えておきながら「私が言ったとはとうてい信じられない」と国会で居直る姿勢には、それこそ信じられない思いがする。 
発言自体を「なかったことにする」姿勢は政治やジャーナリズムの世界だったら、完全にアウトだ。学者の世界ではそれが通用するのだろうか。そんな学者のいかがわしさを明白な証拠をもって世間に示したのは、間違いなく小林教授の功績である。
この主張は正しいです。そうして、小林節氏は未だになぜ自分が、意見を変えたのか、説明をしていません。これは、説明責任を果たしていないということです。

説明責任とは何かといえば、政府・企業・団体・政治家・官僚などの、社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使する者が、株主や従業員(従業者)、国民といった直接的関係をもつ者だけでなく、消費者、取引業者、銀行、地域住民など、間接的関わりをもつすべての人・組織(ステークホルダー:stakeholder、利害関係者)にその活動や権限行使の予定、内容、結果等の報告をする必要があるとする考えをいいます。

小林節氏は、すでに名誉教授であり、社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使するものとはいえないです。だから、特に名誉教授となった後に、立場を変えて様々な言論活動をしても、それはそれで良いことだと思います。

しかし、国会の公聴会での陳述人としては、説明責任を果たすべきです。少なくとも、公聴会の中、中でなくても公聴会の前にそれを公の場などでしっかりと説明すべきでした。

特に、小林節氏の話しぶりは、自信たっぷりで、比較的強面の人相ですから、この説明責任を果たしていないことを知らないような人たちに熱心に話をすれば、何の抵抗もなく話を受け入れてしまう人も多いのではないかと思います。

実際、上の小林節氏の講演会を聞いている人々もそうなのではないかと思います。彼らのうち、一体どのくらいの人が、小林節氏が比較的最近憲法解釈の立場を変えたことを知っていることでしょう。

しかし、本来憲法解釈などという重要な内容について、公聴会などで陳述するというのなら、30年間も保持してきた考えを、ここ数年で変えたというのであれば、その説明責任は、絶対に果たさなければなりません。本来政府側も、立場を変更した理由も陳述させるべきでした。

しかし、そうはしなかったので、公聴会における陳述も信ぴょう性が疑われるものになってしまいました。

そうして、今後も小林節氏が説明責任を果たさないというのなら、憲法解釈に関する小林氏の意見は信ぴょう性の低いものと見なさざるを得ません。

最近は、憲法学者に限らず、経済学者が説明責任を果たさない例も多いです。特に、日本の主流の経済学者のほとんどが主張した、8%増税の日本経済に対する影響は軽微とした見解は、これが完璧に間違いだたこと明らかになっても、誰もそのことに対して説明責任を果たしていません。

この事例に限らず、どんな事柄についても、立場を変えたとか、前に述べた意見と異なる結果になつた場合、それに対する説明責任を果たさない学者の意見は、信ぴょう性が低いものとみなし、真に受けるべきではありません。

しかし、この文書を書いていて、何か虚しさを感じてしまいました。考えてみれば、これは当たり前のどまんなかです。

大の大人で、重要な地位についている人でもまともに説明責任わ果たせない人が・・・

学者であろうが、なかろうが、どんな立場の人であろうが、どんな事柄についても、立場を変えたとか、前に述べた意見と異なる結果になった場合、特にそれが重要な事柄であれば、説明責任を果たすのは当然のことです。

そうして、誰だって、間違いをすることはあります。しかし、説明責任を果たすことにより、大抵の間違いは、明らかな犯罪や、余程のことがない限り、それが納得の行く説明なら、間違いは多くの人から許容されるのです。

また、間違いを許容するような組織や社会でなければ、硬直した組織や、社会になるだけで進歩などありません。ただし、何か間違いが起こったときに、責任のある人が説明責任を果たせば、原因も究明され、また同じ間違いが起こることの確率を低くすることができ組織や社会も進歩します。

それが不十分だと、何も変わらず、何度でも同じ間違いをおかしていまうことになります。

学者や、政治家、マスコミ、官僚などがその例外であるということはあり得ません。私たちは、説明責任を果たすべきなのに、果たさないでそれに関することを言い続ける人の意見には耳を傾けるべきではないし、どんな組織であれ、それを組織から排除していくべきです。

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