2017年12月18日月曜日

病的ともいえる日本の「増税第一主義」の問題点―【私の論評】いずれの経済対策も中途半端をすれば失敗する(゚д゚)!

病的ともいえる日本の「増税第一主義」の問題点
上げりゃいいってもんじゃない

財務省に気を使ったの…?


税制改革が話題になっているが、アメリカでも税制改革が行われており、比較すると、日米での改革が好対照な状況になっている。

アメリカでは、共和党が35%の連邦法人税率を2018年から21%に引き下げる大型減税法案を決定した。個人所得税の最高税率も現在39.6%から37%に下げ、概算控除も2倍に増やすという。その結果、全体の減税規模は10年間で1.5兆ドル、年間円換算で17兆円となる。この減税規模は、過去最大とされた2001年の「ブッシュ減税」を上回るものとなる。

一方、日本では、自民党の税制改正大綱が決定され、法人税では「事業継承税制「賃上げ・設備投資減税」があったが、結果として「増税減税ゼロ」「所得税は900億円増税」、たばこ税は2400億円増税などで、結果的に全体で2800億円の増税である。

アメリカと比べて日本の状況をみると、なんとも寂しい気持ちになってくる。今の自民党税調の主要メンバーは財務省OBなので、ほぼ財務省の意向と同じ方向で行動しているからこうなるのだろう。

今回は予算編成の真っ最中に衆院解散・総選挙があった。その際、2019年の消費増税は予定通りとして、同時に財政再建は棚上げにした。官邸は財務省と交渉して「消費増税は飲むが財政再建は飲まない」としたのだ。

しかし、増税するがそれを財政再建には充てず、支出に使うというのは、経済学者から見れば、あまり賢いやり方とは言えない。本来なら増税なしで歳入をそのままとして、歳出の中身を入れ替えるべきだからだ。

ところが、政治の世界では、歳出の中身の変更は、個別分野の利益代表による反対が生じるので難しい。それよりも増税に反対する方が少ないと判断される場合には、増税で歳出増が選択される傾向にある。今回の場合、経済界が消費増税に賛成なので、「消費増税で財政再建棚上げ」という選択肢が取られることになった。

結局は財政再建路線か…


財務省は経済界に消費増税を賛成してもらったので、その見返りに、法人税、租税特別措置には手をつけられない。特に、経団連企業は、租税特別措置で大きな利益を得ているので、この見直しは政治的には不可能に近かった。

また、いくら企業の内部留保が大きすぎると指摘されても、それへの課税は検討されることはなかった。麻生財務大臣は、何度も内部留保が大きいことを指摘していたが、結局それへの課税(実質的に法人税増税)を言及せず、逆に内部留保の活用をした企業には減税措置をする、と言い出す始末だった。

こうして、消費税も法人税も何も手をつけられないとなれば、消去法として、所得税しか手をつけられない。その結果、今回の税制改正は所得税が中心となったわけだ。

といっても、実は本格的な所得税改正ではない。税率変更となると、所得再分配をどうするかという大きな政治問題にもつながるのだが、控除額の増減という技術論でごまかしたという印象である。これ以降、官邸としては自民党税調・財務省にお任せになる。税制中立であればまだわかるが、結局少ない額とはいえ、不公平な増税になったことには間違いない。

「税率変更はしていないので大改正ではない」「控除額の変更で所得再分配をした」といいながら、細かな増税の積み重ねで、税収の確保はちゃっかり実行するという、いかにも財務省のやりそうな税制改正、というのが感想だ。実際、細かな増税策が積み重なると、結局は財政再建路線が進められるおそれがある。

危険な議論


財務省が進める財政再建路線をサポートするものとして、「将来の日本のために、いまは痛みに耐えるべきだ」という議論がある。これは、いまだに学者やメディアの見解で見受けられる。

「痛みに耐える」論の有名なものとして、「米百俵の精神」というものがある。これは小泉政権発足直後の国会の所信表明演説に引用されたことで有名になったが、長岡藩の藩士小林虎三郎による教育にまつわる故事であり、百俵の米を食べずに売却して、学校設立資金に充てたという話だ。

今の財政で考えると、政府支出をする際、消費支出を削って投資支出に振り替えたことに相当する。当面の消費支出を我慢できるのであれば、将来投資にかけてみるというのは、(それが正しい投資であれば)妥当な判断になる。

いまは、その故事を曲解して使っているのが問題なのである。しばしばいわれるのが、「いま消費増税をして、日本の債務を返済して、将来の不安を解消しよう」という類いである。

いま消費増税するのは、いま政府支出を削減することと、マクロ経済から見れば同じである。そこでとりあえず(その是非は別として)、消費増税と歳出削減は実質的に同じとして話を進めよう。

その上で、その次にくるのが「債務削減」である。ここがポイントであるが、「債務削減」と「投資支出」は似て非なるものだ。

こういうと、「痛みに耐える」論者からの反論がある。債務はマイナスの投資であり、それを削減することは実質的に投資を行うことと同じ、というものだ。そのうえで、いま消費増税(歳出削減)して債務を返済するのは、米百俵の精神に合致するという。

しかし、正しい投資であれば、投資による将来の収益は、債務による将来の利払いを上回るものだ。たしかに、債務はマイナスの投資の側面はあるものの、その収益率を考えると、債務のマイナスの収益率は、投資の収益率を下回る。つまり、消費増税(歳出削減)したら、債務の返済に回すのではなく、適切な分野を選んで将来投資するのが正しい政策となる。

次に、消費増税(歳出削減)という前提が正しいのかどうか。米百俵の場合、米が他藩から送られてきたという他力的なところから事実がスタートしている。しかし、消費増税(歳出削減)は他力ではなく主体的に行うものだ。

さて、マクロ経済からみれば、失業をなくすのが人的資源の最高活用になる。そうでないと物的資源も活用できない。つまり投資不足にもなる。投資不足になると社会的な人的・物的投資が最適水準より低くなって、将来の富をも減少させる。

そのため、失業率が最低水準で完全雇用の状態でなければ、消費増税(歳出削減)は、将来のマクロ経済状況を悪化させ、ひいては将来の財政事情も危うくするので、不適切な選択となる。「痛みに耐える」論は、本来の趣旨から逸脱しているのみならず、現在の人をも痛め、さらに将来の人をも痛める可能性がある危険な議論なのだ。

安倍政権になってから…


マクロ経済からみると、経済運営の良しあしが見やすくなる。マクロ経済政策としては、金融政策と財政政策があるが、それらは下図のように運営されるべきである。


マクロ経済状況で着目すべきは、インフレ率と失業率である。周知のようにインフレ率と失業率は逆相関関係(フィリップス関係)にある。ただし、失業率はある一定からは下がらない(経済学でいうインフレ率を加速させない失業率NAIRUとほぼ同じ)。それを達成する最低のインフレ率を「インフレ目標」とする。

失業率がNAIRU、インフレ率がインフレ目標であれば、雇用状況は完璧であり、賃金上昇もあり、その結果として適度なインフレ率になるので、これが理想的な経済状況「最適点」となる(図の中の黒丸)。この場合、名目成長もベストになるので、財政問題も自ずと改善する。
マクロ経済運営としては、「最適点」の左側では金融緩和・積極財政、右側になったら金融引締・緊縮財政を採る、というのが基本である。

日本の場合、インフレ目標2%、NAIRU2%台半ば、というのが現状だ。5年前の民主党政権時代では、遙か左であったが、安倍政権になってから、徐々に右にシフトしてきた。2014年の消費増税は失敗であったが、それでも何とか「最適点」に近づいてきた。とはいえ、まだ左である(10月のインフレ率(消費者物価総合)0.2%、失業率2.8%)。

なお、8月21日の本コラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52640)において、2%台半ばの失業率と2%インフレを達成するために、GDPの4.5%程度の有効需要が必要であると書いたが、2%程度のミスタイプであったので、訂正しておきたい。

「緊縮病」に陥ってやいないか


さて、日銀は昨年9月から長期金利をゼロ%程度にするように調整しており、その意味では、マネタリーベースの増加額は金利維持のために必要な額となるので、長期金利がゼロ%になっていれば、それが低下すること自体はさほど意味があるわけでない。

12月4日、新発10年国債の利回りは0.035%であり、ほぼゼロ%金利水準は達成されていると言えよう。今年初めからの動きをみても、概ね0~0.1%の範囲になっているので、日銀の意図した金利になったとも言える。問題は、それでインフレ目標2%が達成できるかどうかである。

過去10年間の10年国債利回りの推移をみると、昨年9月以前はマイナスレンジであったが、日銀がゼロ金利を打ち出してから、若干のプラスレンジになっている。それとほぼ同時期に、日銀のマネタリーベースの増加額が減少し始めるが、それは日銀の国債購入額の減少によるものだ。つまり、国債購入額の減少が長期金利の若干の金利高をもたらしている。

こういう日銀のオペレーションは、はたしてインフレ目標達成のための近道になっているのだろうか。

データを見る限り、失業率の低下は足踏み状態だし、インフレ率についても、11月の全品目消費者物価異数対前年同月比は0.2%。生鮮食品を除いてみると0.8%、食料とエネルギーを除くと0.3%であり、インフレ目標2%にはほど遠い状況だ。こうしたデータから、筆者は、日銀のオペレーションは短期的には正しい方向に進んでいるとは見ていない。

さらに、今回の税制改正である。これでは、財政面でも日銀の目標達成を後押ししているとはいいがたい。要するに、まだ日本経済は最適点の左なのに、(最適点を目指すために)金融緩和・積極財政を進めようとしているとは言いがたいのだ。

一方、アメリカの場合、インフレ目標2%、NAIRU4%程度である。今は、ほぼ「最適点」であるが、少しだけ左側だ(10月のインフレ率(PCE)1.6%、失業率4.1%。)。

アメリカの金融政策はやや引き締め基調になっている。また、財政面では、今回の減税政策から積極財政に入っている。やや金融引き締め・積極財政なので、アメリカ経済を最適点にさらに近づけるかややインフレ気味の過熱経済を目指しているかのようだ。

先進国では、「痛みに耐える」論のような緊縮財政への訴えがしばしば聞かれる。しかし、今回の税制改正を見る限り、やはり「痛みに耐えるべき」と訴えるのは、ある種「緊縮病」というべき異様さを感じざるをえない。

【私の論評】経済対策は中途半端をすれば失敗する(゚д゚)!

ブログ冒頭の高橋洋一氏の記事にもあるように、日経新聞などメディアや学界の多数派は財務官僚に同調し、まるで念仏を唱えるかのように緊縮財政に固執していますが、米国ではデフレ圧力のもとでは財政赤字が有効という財政論「シムズ理論」が主流になりつつあります。日本の“主流派”もいい加減、目覚めたらどうなのでしょうか。

安倍総理の経済アドバイザーを務める浜田宏一内閣官房参与(米エール大学名誉教授)、彼をして「目から鱗」と言わしめたのが、いわゆる「シムズ理論」です。これは2011年にノーベル経済学賞を受賞した米プリンストン大学のクリストファー・シムズ教授の「物価水準の財政理論 (FTPL)」を言います。

米プリンストン大学のクリストファー・シムズ教
これはざっくり言えば、物価目標を達成するには金融政策では限界があるとして、財政支出を拡大し、増税は先送りして、国民に「政府は債務を返済できない」と不安がらせ、返済しきれない分を物価上昇で穴埋めする、という考え方です。つまり、政府の無責任によって国の信用を低下させ、通貨価値を下落させることで物価を押し上げようというものです。

シムズ教授は、日本の消費税増税後のデフレ圧力を念頭に、金融緩和を生かすためには財政支出拡大が必要と論じています。日銀はマイナス金利政策を続けていますが、マイナス金利は政府の金利負担を減らす代わりに、家計など民間の金利所得を減らすことになります。収益の減少を恐れる銀行は融資を渋るので、デフレ不況になります。それを回避するためには、政府が財政赤字にこだわらず財政支出を拡大すべきで、消費税率引き上げは脱デフレを達成した後に繰り延べるべきだという理論です。

先進国の間ではすでに財政による成長支援、インフレ率引き上げが採用されつつあり、その流れの中にあって、日本も積極財政に転換しました。そこへこの「シムズ理論」が入ってきたために、政府は公然と「2020年度もプライマリーバランスは均衡せず、8兆円以上の赤字が残る」と言ってはばかりません。

この「シムズ理論」の核心は、政府の「いい加減さ」にあり、国債も全部は償還できない、財政赤字を増税などで穴埋めもしない、と言って国民を不安に陥れることにあります。そして2017年度予算が通りました。歳出が97兆4500億円、税収は57兆7100億円で、前年に比べて税収が1000億円増加する一方、歳出は7000億円増加し、「いい加減さ」は見せました。

ところが、この2017年度予算に対して、財務省幹部は「管理された財政拡張」つまり、歳出増大によって借金は増えるが、まだ財政当局のコントロール下にある、と言っています。これは、ある意味では「シムズ理論」の「邪魔」になります。国民に不安にさせるのが「シムズ理論」のミソですが、当局の管理下にあると説明しては、いずれ赤字削減策がとられると期待させてしまいます。

そうなると、将来の増税、歳出削減などを国民が予想するので、結果的にデフレになる、とシムズ教授自ら指摘しています。日本はこれまでさんざん財政赤字を拡大し、世界の主要国の間でも最もGDP比で債務残高が大きな国となりました。

とは、いいながら、これはこのブログで何度か説明してきたことですが、実は日本政府には世界一の資産、それも金融資産を所有しているので、これを相殺すれば、さほどの金額ではなく、むしろ米英よりもGDP比では政府債務は少ないです。

ただし、財務省は日本のメディアや識者を利用して、日本の財政赤字を大問題として煽ってきました。そのため、実体はどうなのかは別にして、大多数の国民は、日本政府の借金はとんでもないことになっていると思い込んでいるのです。

それでもインフレにならない理由として、シムズ教授は「いずれ増税で穴埋めされる」との国民の期待がデフレをもたらしていると説明しているのです。


今の日本は、このシムズ理論を中途半端に利用しようとしているように見えます。財政赤字拡大を正当化する裏付け理論としてシムズ理論を使いながら、その処方箋に従わず、財政赤字は当局の管理下にある、としています。これでは不安からくる通貨価値の下落にはつながりません。

もっとも、当局が言うほど、今の日本では財政赤字が当局のコントロール下にあるとも思えません。そうなると、都合の良い所だけシムズ理論を使って財政赤字を正当化し、それでも将来の赤字補てんをイメージさせるために、かえって赤字がデフレ要因となり、従ってインフレ目標はいつになっても達成されず、ずるずると財政赤字だけが拡大する形になります。

ガスに火をつければお湯も沸き、料理もできますが、ガスを全開にしながら火をつけなければ、ガス中毒になって倒れてしまいます。抗生物質も菌が死ぬまで飲み切らずに、中途半端に止めてしまうと、抗生物質の利かない菌が発生して手に負えなくなります。

シムズ理論に絶対的な評価をするのであれば、とことんその処方箋に従って使う必要があり、インフレの実現が見えれば早急に引き締め転換する必要があります。逆に、シムズ理論が望ましい成果をもたらさないとの疑問があれば、中途半端にこれを使わず、つまり安易に財政赤字を拡大しないことです。

財政赤字の縮小に目途が立ち、年金など将来の不安もなくなれば、消費者も安心して消費を拡大し、需要の拡大、成長促進となり、デフレも心配なくなるかもしれません。そもそも、国民は物価が上がらない状況に不満はなく、逆に賃金が上がらないままインフレになることこそ、国民の敵です。国民生活を犠牲にして政府の債務負担だけ軽減されるインフレは誰も望んでいません。

ただし、日本の財政赤字は上でも示したように、財務省が創造した幻想に過ぎません。であれば、理屈から言って財政赤字が多少増えたにしても、何の問題もないわけですから、ここはやはりシムズ理論に処方箋も含めて素直に従うべきでしょう。

日本ではシムズ理論は、政府債務の削減を目標とするのではなく、あくまでも物価目標を達成するために実行すべきです。そうして、ブログ冒頭の高橋洋一氏の経済対策も、結局NAIRUなどの指標を用いているものの、結局シムズ理論の適用に近いものになると思います。

経済を良くするのは、結局アプローチが違っても似たようなものになるのでしょう。金融緩和をしながら一方では、増税などの緊縮策をするというのは、全くおかしいです。甚だしい中途半端です。車でいえば、一方でアクセルを踏みながら、他方でブレーキをかけているようなものです。

いずれにしても、中途半端はいけません。中途半端をすれば、どんな経済政策でもいずれ必ず失敗します。

【私の論評】

「アラフォー世代は一生貧困を宿命づけられている」クロ現のアラフォークライシス特集にネット阿鼻叫喚 「泣けた」「救いが無くてテレビ消した」 ―【私の論評】対症療法、精神論は無意味!真の打開策はこれだ(゚д゚)!

2017年12月17日日曜日

有本香「憲法9条で日本の平和が守られるというのは勘違い。だって9条は他の国には何の関係もないから」―【私の論評】安全保証には幼稚な議論ではなく成熟した議論が必要(゚д゚)!

有本香「憲法9条で日本の平和が守られるというのは勘違い。だって9条は他の国には何の関係もないから」
ジャーナリストの有本香が憲法9条について「あくまで自国内のルールなので他国には有効に機能しない」と重要な指摘を行った。

北朝鮮が挑発を繰り返す中、憲法9条は何の役にも立っていない。

有本香「国防というものを考えなくていい時間が長すぎちゃったわけですよ。だけど本来は国にとっては国防はなくてはならないことでしょ」

小藪千豊「ある一定の人たちは『うちは9条あるから日本の安全が守られてきた』と。『国防なんて考えなくていい』という人たちがたくさんいますもんね」

有本香「でもそれは論理としては完全に破綻している話で、国内で憲法9条をもっていても他の国には何の関係もない話ですからね」

小藪千豊「うん」

本来、日本の平和を守るための憲法9条が無意味になっているという今の状態は極めて深刻に捉えないといけない。金正恩にとって日本は絶対に反撃してこない腰抜けでミサイルで威嚇して交渉の材料として利用するにはもってこい。

netgeekでは以前「憲法9条を変えたほうが戦争は防げる」という漫画を紹介していた。

参考:漫画「憲法9条を改正したほうが戦争を防げる」が大反響


今の日本の状態は相当危ないのではないだろうか。他国が武力を使わないで国を乗っ取っていく経緯にぴったり当てはまる。


あとは移民が大量に日本に来るようになったらもうおしまい。そうなる前に憲法9条を改正して日本が強い国に生まれ変わらないといけない。平和ボケしている日本人は国防について真剣に考える必要がある。

【私の論評】安全保証には幼稚な議論ではなく成熟した議論が必要(゚д゚)!

有本香さんに指摘されるまでもなく、憲法9条で日本の平和が守られるなどという考えは最初から成り立たないことは明らかです。

日本国憲法は、日本国に適用されるものであって、他国には適用などできません。国連憲章では、独立国の自衛戦争が認められています。これは、逆の方向からみれば、自衛戦争もしない国は国際的に独立国とはみなされないということです。


そうなると、現在自衛戦争すらおぼつかない日本は、独立国ではないということになります。まずは日本を独立国にしなければなりません。そのためには、憲法解釈の変更するか、改憲をして日本を自衛戦争ができる国にする必要があります。

このようなことを考えれば、国内で憲法9条をもっていても他の国には何の関係のないことは明らかです。

護憲派といわれる人々は、このような常識も働かないようです。そうして、こういう人たちは、安全保証に関して幼稚な考えしか持っていません。そうして、改憲派といわれる人たちにもそのような傾向があります。

今年の8月11日の朝まで生テレビで、司会の田原総一朗氏が「国民には国を守る義務がある」との発言に対して、村本氏が「それをね絶対に戦争に行くことのない年寄りに言われても何もピントも来ないんですよ」と反論したことが話題になっていました。



そうして、終戦記念日の15日、ツイッターで村本氏は「僕は国よりも自分のことが好きなので絶対に戦争が起きても行きません よろしく」と宣言し、賛否を呼んでいました。
この番組を見ていると、田原さんも村本さんも、どうも前提にしているのは「日本が本土決戦に追い込まれて敵が目の前にいるときに自分がゲリラとしてその辺にある物を持って対抗するかどうか」という前提で安全保障や国防を考えているようです。

そもそも、「戦争に行く」って言い方ですから、歩兵としてどこかで戦うこと想定しているようです。戦争というと、汗塗れになって塹壕を掘って、その塹壕から目に見える敵に向けて、小銃を撃ちまくるのが戦争だと思っているようです。

第一次世界大戦の塹壕戦
このように多くの日本人は、安全保障というと、このような全近代的な前提でものを考えているのではないかと思い一抹の不安を覚えます。こんなことでは、日本人は日清日露戦争では勝利できても、現代戦では勝つことはできないのではと思ってしまいます。

日本は海洋国家ですから、敵が侵略してくるなら海を越えてこないといけません。自衛隊は敵を目にすることができない水平線の向こうにいる敵を撃破します。敵の潜水艦も対潜哨戒機で上空から攻撃します。

現代の戦争は相手の姿を見る前にほぼ決着がついてしまいます。村本さんに召集令状が届く前に、スイッチを「ポチッと」押してそれで戦争の大勢は決まってしまいます。

というか、そのように終わるような備えをしてないと現代戦では絶対に戦争に負けます。

現在フィリピンが中国の海洋侵略に苦労してますが、これは現代戦への備えが足りないのでそのようなことになっているのです。フイリピンはアメリカが現代戦を一緒に戦うように備えてくれていたにもかかわらず、ずいぶん前に追い出してしまいました。


現在の日本の自衛隊は敵が日本に上陸してくるような事態にならないように、また仮に上陸したとしても数日、または数週間で奪還できるような戦略を立てています。そもそも、最初から国民のゲリラ戦は想定してません。

仮にそういう状況が発生したとしたら、全力で戦闘地域から逃げて足手まといにならないようにすることが「戦う」ことです。そもそも、現代戦はかなり高度な知識を駆使して戦いますから、そのような高度な知識を持たない民間人は、現代戦には役にたちません。だからこそ、現代戦を戦うことを想定している多くの国々では、徴兵制が廃止されているのです。

朝ナマでの田原氏の言い方からは、日本が完全に敵に占領されてる状態で抵抗することを想定しているとしか思えません。

それこそ、ポツダム宣言受諾後にやってきた進駐軍にテロ攻撃する究極の選択を第一問目に持ってきているという有様で、最初から想定が狂っています。村本さんの安全保障に対する認識に問題があるのを割り引いたとしても、さすがにこの質問の仕方は異様です。

まさに、卵が先か、鶏が先かを論ずるような机上の空論に過ぎませんでした。そうして、この番組は「実際にその2つを持ってこい!」で終了してしまいました。

そもそも、先程述べたように、現代戦において村本さんが戦場で活躍する機会はありません。現代戦は資本集約型の戦争です。高度なハイテク兵器で戦いますから素人が戦場に行っても足手まといにしかならないのです。部外者ができることは、しっかり働いて税金を払うことです。そうして、田原さんの想定している戦争も現代戦ではなく、一昔前の戦争です。

上のように考えると、田原氏の「あなたは戦いますか?」という質問がいかにほとんど無意味なことが良く理解できます。こういう質問を誰かに受けたら即座に「はい、納税することでいますでに私は戦ってます」と言い返すべきです。

本屋でおかしげな本、例えば日本が国家破産するとか、金融緩和するとハイパーインフレになるなどという内容の書籍を見つけたら抗議するとか、偏向報道を見つけたら抗議するとか、これも戦いです。

今の戦争は目に見えないサイバー戦、心理戦、宇宙戦戦場ですでに始まっているのです。こんな時代にいきなり本土決戦を想定した、と逆質問してもいいと思います。

ゲリラ戦のために、ベトコンが掘った全長250kmにわたる地下道
本土決戦でゲリラ戦みたいな状況に追い込まれないためには、必要以上に自衛隊の手足を縛っているいまの状況を変えるべきです。その方法は、憲法を改正するのでも、解釈の変更でも良い思います。

つい最近まで、護憲派は同盟国の艦船が攻撃を受けていてもそれを援護したら「侵略行為だ!」とか愚かなこと言ってました。安保法制のバカ騒ぎはまさにこれです。

日本に味方してくれる国の部隊が敵に攻撃されてたら、一緒に守るのは当然のことです。そんなのはスターウォーズなどの映画でも見れば理解できます。異星人だって地球に味方してくれるなら同盟軍として一緒に戦うのは、当たり前です。

日本の安全保障に関する議論にはこういう「いきなり本土決戦」のような雑な議論が多いです。このような議論は時間の無駄です。

安全保証に関しては、このような幼稚な議論ではなく、成熟した議論が必要です。

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2017年12月16日土曜日

「アラフォー世代は一生貧困を宿命づけられている」クロ現のアラフォークライシス特集にネット阿鼻叫喚 「泣けた」「救いが無くてテレビ消した」 ―【私の論評】対症療法、精神論は無意味!真の打開策はこれだ(゚д゚)!



NHKが12月14日の「クローズアップ現代+」で取り上げた「アラフォークライシス」特集に、悲鳴が上がっている。番組では、5年前との給与を比較したデータを紹介。他の世代は額の大小はあれいずれも増額しているのに、35歳~39歳、40歳~44歳のアラフォー世代だけがマイナスになっている。40代前半に至っては、2万3300円もの減額だった。


給与が上がらないのには複数原因があるが、大量採用されたバブル期世代が上につかえ、昇格・昇進のスピードが遅いこと、アラフォー世代が20代の頃、企業が能力開発にかける費用を減らしたために、今、充分なスキルが身に付いていないことなど、どれも社会のせいとしか言いようがないものばかりだ。

■70代の親の年金収入が頼みの綱になっている40代も 


勤続年数の短さも要因の1つだ。就職氷河期に就活を強いられたアラフォーは、新卒時に運よく正社員になれても、希望の会社への就職を目指して転職する人が多かったという。同じ企業に15年以上務めたアラフォー世代の割合は、バブル期に就職した上の世代より9ポイントほど低い。勤続年数は給与額に影響するため、結果的に増額幅も小さくなる。

正社員より深刻なのは、就職氷河期から非正規として働き、その後リーマンショックで派遣切りされるなど散々な目に遭ってきた非正規労働者たちだ。 

番組では、有名私立大学の理工学部を卒業し派遣やアルバイトを転々とした後、現在は市の臨時職員として働く40代男性が紹介されていた。これから転職しようにも、30代・40代に求められるマネジメント経験を積んでいないため面接に呼ばれることすらなく、人手不足に湧く求人市場の盛り上がりに取り残されていると話していた。

 
また、70代に入った親の年金収入に養われる無職の40代の存在、「7040問題」も紹介されていた。親が亡くなれば収入が途絶え、生活が立ち行かなくなる。番組に出ていた社会福祉士は

「アラフォー世代は一生涯貧困になるのを宿命づけられている状況。このままだと、下流老人、高齢期の貧困を想定せざるを得ない」

と警笛を鳴らす。

「これが自己責任なら政府はいつの時代も何もしなくていいて話だからな」

ネットではこの放送に、大きな反響が上がった。多いのはやはり、当事者であるアラサー世代たちからの声だ。「身につまされすぎて言葉もない」「特集がきつくて泣けた」「救いが無くてテレビ消した」など、現実を突きつけられたアラサー世代の悲嘆が数多く見られる。また、「取り上げるの10年遅い」「どこかで考えていたらなんとかなっていたんじゃない?」と、もっともな意見もあった。

非正規雇用者の雇用の不安定さは言うまでもなく、40代無職と70代親の同居が起こる可能性は、パラサイトシングルという言葉が出始めた時から予想できたはずだ。それでも救済策が取られてこなかった現状に、「これが自己責任なら政府はいつの時代も何もしなくていいて話だからな」と、国の対応の不十分さを指摘する声も多かった。

【私の論評】対症療法、精神論は無意味!真の打開策はこれだ(゚д゚)!

NHKのクローズアップ現代『アラフォークライシス』をご覧になっていない方は、以下のリンクをご覧担って下さい。番組の概要が掲載されています。
アラフォー・クライシス
NHKのクロ現はじめとして、マスコミは中途半端な報道しかしません。この『アラフォークライシス』も現象面しか報道しておらず、真の原因すらも明らかにしていませんし、対処法についても、対症療法的なものしか提供していません。

これでは、社会不安を増すばかりで、この番組の意味が全くありません。

結論からいうと、『アラフォー・クライシス』の真の原因は、過去の金融・財政政策のまずさです。この問題の解決をするのは、まずは、現状の過去よりははるかにましながら、未だ物価目標2%を達成できていない中途半端金融緩和政策をやめて、さらなる量的金融緩和を実施することです。

それとともに、アラフォー世代というか、高校・大学・大学院をすでに卒業した人たちのための新たな教育・訓練システムの開発です。

過去の金融・財政政策のまずさについては、以下のグラフをみていただけると良くご理解いただけるものと思います。


雇用と金融緩和とは密接に結びついています。これは昔からフリップス曲線として経験的に知られていることです。日本では、金融緩和により物価が2〜3%上昇すると、他には何もしなくても一夜にして雇用が数百万人創造されます。逆にいえば、物価が数%下がると、一夜にして雇用が数百万人失われます。

この事実に関しては、日本ではなぜか完璧に無視されているようです。特にマスコミはこのことを理解していません。NHKもそうです。だから、クロ現でも金融政策については、完璧にスルーです。

この雇用に重要な政策である金融政策に日銀は大失敗しています。

まず第一回目の大きな失敗は、過去の金融政策の失敗について説明します。「バブル期はどんどん物価が上がった。すごいインフレ状態だった」というイメージを持っている人も多いようです。たしかに、バブル世代の人々が、なぜか自慢げに語る当時の武勇伝(「こんなに金を使えた」「接待に次ぐ接待で大変だった」「予算は青天井」などなど)を聞くと、その話は、あたかも真実であるかのように響きます。

しかし、バブル期とされる1987~90年の一般物価の上昇率は、実は0・1~3・1%。ごく健全な物価上昇率であって、「ものすごいインフレ状態」とは、とてもいえないものでした。

バル期に異様に高騰していたのは、株式と土地などの資産価格だけでした。「一般物価」と「資産価格」を切り離して考える必要があり、バブル期の実態は「資産価格のバブル」だったのです。

ところが、当時の日銀はバブルの状況分析と原因分析を正しくできず、政策金利(当時は公定歩合)を引き上げて金融引き締めをしました。資産バブルを生んだ原因は、金融面ではなく、法の不備を突いた「営業特金(売買を証券会社に一任勘定する仕組み)」や「土地転がし」などによる資産売買の回転率の高さだったのですが、日銀は原因分析を間違えて、利上げという策を実施しました。

第二回目の失敗は、2006年3月に量的緩和政策を、7月にはゼロ金利政策をそれぞれ解除したことです。その後も引き続き超低金利政策を維持、景気は内需中心の回復軌道に入ったとされていました。しかし、景気は2007年に減速し、実質GDP成長率も低下しました。量的緩和の解除を短期集中的に行ったことが金融市場と景気にショックを与えた影響は甚大なものでした。

しかし、日銀はこれらの失敗に懲りることなく、また三回目の失敗をしています。


この図は、2007年1月時点での各国のマネタリーベースの量を100として、その後の各国のマネタリーベースの量の変化を表したものです。

さて、上の図を見るとFRB、イングランド銀行、欧州中央銀行(ECB)は2008年の9月にマネタリーベースを急激に増加させています。2007年1月に比べてFRBは2.5倍、イングランド銀行は3倍、ECBは1.5倍、マネタリーベースを増やしています。08年9月にアメリカ第4位の投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻したことにより、金融危機のダメージを防ぐために、各国の中央銀行はマネタリーベースをかなり増やして金融緩和を行いました。

ところが、日銀はほとんどマネタリーベースを増やしませんでした。上の図を見ると、明らかなように同じ時期の日本のマネタリーベースの量は2007年1月と同じくほぼ100のままです。

他国が金融緩和をしているにもかかわらず、日本だけが金融緩和をしないということになれば、日本の円だけが高くなってしまいます。そのため、この時期には未曾有の円高になってしまいました。

このためいわゆるリーマンショックは、米国発祥であり、イギリスなどもサブプライムローンの悪影響をもろにかぶりましたが、本来サブプライムローンとはほぼ無縁であったはずの日本は、日銀が金融緩和をしなかったために、震源地の米国や英国が金融緩和ですばやく危機から脱出したにもかかわらず、一人負けの状態になりました。

当然、このような金融政策の失敗をすると、雇用にもかなり悪影響を及ぼします。アラフォーがリーマンショックで派遣切りされたのもこの時期です。

このような大失敗の他に、日銀は小泉政権のときに一時量的緩和をしたのですが、それ以外はほとんど引き締めをしており、これも当然のことながら、雇用に悪影響を与えました。

金融引締めにより、金融政策に失敗すると、まずは雇用弱者である若者が悪影響をこうむり、若者の失業率が増えます。それでも金融引締めを続けていると、今度は実質賃金が下がりはじめます。「アラフォー」はその時々で、最も悪い局面に当たっていたのです。それは下の図と先のグラフなどを見比べるとより鮮明になります。


そうして、日本は消費税を3%から5%に上げた直後に、完璧にデフレに突入しました。デフレに突入した場合に、通常とられる政策は、金融緩和と積極財政です。これにより、デフレから脱却することができます。

しかし、政府は消費税増税という緊縮財政を繰り返しました。そのため、GDPの60%以上を占める、個人消費が減退して、上のグラフにも示したように名目GDPは頭打ちとなりました。

GDPが伸びなければ、企業は雇用を控え、設備投資も控えるようになりました。これも、雇用に打撃を与えました。そうして、『アラフォー世代』はその悪影響に直撃されたのです。

この状況を打開するためには、まずはさらになる金融緩和が必要です。これについては、最近このブログにも掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
【日本の解き方】日銀の資金供給量鈍化でインフレ目標達成できるのか 国民経済のための金融政策を―【私の論評】年長者こそ、正しい金融政策に目覚めよ(゚д゚)!
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、以下に一部を引用します。
日本で具体的に言えば、NAIRU(インフレを加速しない失業率)は2%台半ばであり、そのために必要なインフレ率は2%であるので、それをインフレ目標としているわけだ。 
現時点では、失業率3%弱、インフレ率0%強という程度で、最適点には民主党時代よりかなり近づいたが、いま一歩のところで足踏みをしている。
まずは、失業率を2%台半ば、物価目標を2%を達成するまで、追加の量的金融緩和を続けること、達成したからといって、すぐにやめるのではなく、これが安定するまで継続することが必要です。

まずは、これを実行しない限り、他の対症療法をしても『アラフォークライシス』は打開できません。まずは、これが絶対条件です。

その他、この金融緩和の良い影響を迅速に波及させるために、積極財政を打つことです。その手法としては、消費税減税などが考えられますが、それが無理というのなら、ここでは詳細は掲載しませんが、デフレ・ギャップを解消するために20兆円の経済対策を打つべきです。

それが無理というのなら、最低10兆円の経済対策を打つべきです。ただし、この場合は単年度に終わらせることなく、最低2年は継続し、できれば完璧にデフレギャプがなくなるまで継続することです。

これらを達成して、物価目標やNAIRUを達成すれば、『アラフォークライシス』はある程度は、解消できます。これだけで、自力で脱却できる人も存在すると思います。それでも過去の金融・財政政策のまずさを起因とする『アラフォー』特有の問題が残っています。

それは、『アラフォークライシス』に悩まされる人たちは、30代・40代に求められるマネジメント経験等を積んでいないという現実があるからです。そうして、自力では学ぶ機会も得られないという現実があるからです。

私は、アラフォー世代の人たちと話をしていると、確かにマネジメントの経験がないことを痛感することがよくあります。

たとえば、この世代の人たちにマネジメント原則がわかりやすく掲載されているドラッカーの書籍などを読ませて、感想などを聞くことがあるのですが、特にこの年代の人たちが、書籍を読んでも字面を追いかけているだけで、わかったつもりになっているだけで、実際には理解していないと感じることが多いです。

規模の大小を問わずある程度、まともな会社であれば、たとえばドラッカー流のマネジメントの原則を知っていれば、職場で発生する様々な問題や課題のほとんどは解決できるはすです。しかし、これを学んでいないため、悩んだり、いたずらに時間を費やしたり、努力の方向を間違えたりしている「アラフォー」の人が多いように感じています。

これは、学び直す以外に方法はないと思います。これを実行するためには、たとえ学校を卒業したにしても、何らかの方法で、継続学習が可能なシステムを構築すべきだと思います。成人が学校へ戻って継続学習・研究ができることが常識になる社会を構築すべきです。そうして、まずは『アラフォー・クライシス』に悩まされている人々を優先的に継続学習ができるようにすべきでしょう。

マネジメントに限らず、学校を卒業した後でも、企業を運営するために必要な新たな知識を得たり、研究することができる社会を構築すべきなのです。これについては、述べていると長くなりますので、別の機会にまた述べたいと思います。ただし、知識社会に突入した現在、富の源泉は知識に移っており、こうした社会ではいずれ、働く者に継続学習の機会を提供することは当たり前のことになります。実際、欧米ではそのような方向に動きつつある国々もあります。

ただし、いくら継続学習ができるシステムを社会に取り入れたとしても、他の対症療法や、精神論を語ってみたとしても、今の日本ではまずは正しい金融政策を実行して、NAIRU(インフレを加速しない失業率)2%台半を達成するべきであることを忘れるべきではありません。

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2017年12月15日金曜日

富岡八幡宮事件に見る、組織に「怨念」を抱く者の恐ろしさ―【私の論評】組織の精神を健全に保たなければ怨霊が輩出することになる(゚д゚)!


富岡八幡宮の殺人事件で、容疑者による、関係者やマスコミに宛てた長文の遺書が話題となっている。「怨霊」「祟り」など、真に受け難い文言が書かれているが、事件の舞台が神社である以上、これを「頭のおかしな容疑者の独り言」として片付けることは許されない。(ノンフィクションライター 窪田順生)

神道的に見れば大きな
意味を持つ遺言書の中身

 既にネットで公開されているのでご覧になった方も多いと思うが、「約30年に亘り続きました、富岡家の内紛」なるものを赤裸々にぶちまけるとともに、姉を「永久追放」して、自身の息子(最初の妻との子ども)を宮司に迎えることを要求し、最後に★印とともに、以下のような脅しともとれる「宣言」を行ったのだ。 

 年の瀬の日本に激震が走った富岡八幡宮の殺人事件。姉を弟夫婦が待ち伏せして日本刀でメッタ斬りにするという凄まじい手口もさることながら、衝撃的だったのは、犯人である富岡茂永氏が関係者やマスコミに宛てた「遺書」の内容だろう。
自殺した茂永氏の遺書を読むと、極めてよくできた内容であることが分かる。そして、このような
「組織に怨念を持つ人」は、なにも富永八幡宮に限らず、そこら中の企業にもいるものだ。 
 「もし、私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます」
 ああ、もうこの人は完全に頭のネジがぶっとんじゃっているんだな。そんな風に感じる方も多いかもしれないが、実は神道的に見ると、茂永容疑者のロジックはそれほどおかしくはない。むしろ、神職を追われた者が仕掛ける「復讐」のシナリオとしては、驚くほどよくできている。

この国では古代から権力争いに敗れ、憤怒の念を抱きながら死を遂げた者が「怨霊」となり、権力者のみならず、国全体に疫病や自然災害などの「祟り」をなしてきたという伝説がたくさんある。崇徳天皇、早良親王、長屋王、伊予親王、藤原夫人、観察使橘逸勢、文室宮田麻呂など例をあげればきりがない。

いやいや、そういう「御霊信仰」みたいな話ではなく、今回のは完全におかしな人の逆恨みじゃないか、という意見もあろうが、「怨霊」というものには、そのような恨みを抱くのも仕方ないというような情状酌量の余地だとか、主張の正当性なんて要素はまったく必要ではない。

大事なのは「祟りかも」という恐怖であって、それがあれば、「怨霊」なのだ。

茂永氏は祭りを人質に取って
息子を宮司にするよう迫った

 わかりやすいのが、全国の八幡宮の総本社である宇佐神宮(大分県)の「放生会」という神事だ。昨年亡くなった著名な古代史家である上田正昭・京都大学名誉教授は、この神事を研究して、その目的が古代の鹿児島・宮崎地域で暮らしていた民族「隼人」が大和朝廷に対して反乱を起こして征討されたことへの鎮魂だと「AERA」(1994年5月30日)の記事で主張した。
 大和朝廷からすれば、隼人は辺境から反乱を企てる「悪」以外の何物でもないので、当初は鎮魂など行わなかった。が、なぜそれが行われるようになったのかというと「祟り」のせいだ。

伝承では隼人に対して、1400人という夥しい数の大量虐殺が行われた数年後、宇佐神宮一帯で、蜷貝(にながい)が異常発生し、征討軍に関わった宇佐神宮の神官らが隼人の祟りでは、と恐れはじめたという。その後、海に蜷貝を放ち、殺生をたしなめる「放生会」が始まったという。

そのような「怨霊」というものの基本的性格を踏まえると、茂永氏の「怨霊宣言」というものが、富岡八幡宮や「(殺された姉の)長子派」の方たちにとって、行くも地獄、引くも地獄という非常に巧妙な「トラップ」となっている。

実は、この「遺書」の中で茂永氏は、息子が宮司になれなかった場合は「私が作らせた一の宮と二の宮神輿を出す事を今後一切禁止します」とも述べ、これが破られたら、神輿総代会の幹事総代やその子孫にまで「永遠に祟り続けます」と言っている。

一の宮神輿は1991年に佐川急便の故・佐川清会長が奉納したもの。ダイヤモンドやルビーがちりばめられ「日本最大の金ピカ神輿」として話題になったものだが、重すぎて担がれる機会もないので、このまま出せなくても特に問題はない。が、問題は97年に奉納された二の宮神輿の方である。こちらは毎年行われる「深川八幡祭り」で使われているものだからだ。

つまり、茂永氏は、江戸三大祭りの1つとして30万人もの人出があるとされ、地域活性化にも貢献する祭りを、いわば「人質」にとって、息子を宮司にするよう迫っているのだ。

茂永氏の遺言を富永八幡宮が
無視できない理由

 祭りはみんなものなんだから、そんなバカな要求はシカトすりゃいいんだよ、という言葉があちこちから聞こえてきそうだが、それは天にツバするような行為である。
 祭りとは、ただ神輿を担いで「粋だね」「いなせだね」と参加者が自己満足にひたる地域交流イベントではなく、宮司が執り行う、れっきとした「神事」である。その「神事」を取り仕切る者が、以前その神職についていた者から殺されたうえに、容疑者は自ら命を絶って「怨霊になる」と宣言しているのだ。
 この神職者間のトラブルを、「家族内トラブル」で片付けるというのは、「深川八幡祭り」の宗教的意味も否定することにつながってしまう。もし富岡家が「怨霊なんて非科学的なものはないから安心してください」と二の宮神輿を引っ張り出すことがあれば、それは宗教家としての「死」を意味することと同じであり、「富岡八幡宮」という宗教施設の意義を自ら否定する行為なのだ。
 伝えられている確執が事実なら、富岡家が茂永氏の息子を宮司にするという選択肢は難しそうだ。かといって、富岡八幡宮に潤沢な「カネ」を呼び込むための一大イベントである「深川八幡祭り」を中止にするなんてことは、できるわけがない。
 そうなると、祭りが行われる来年の夏までに新たな神輿をつくるしかないわけだが、それは世の中に対して、「富岡八幡宮は茂永氏を怨霊として恐れている」と公言しているに等しい。先ほどの「隼人」のケースを思い出してほしいが、「怨霊」というのは、非業の死を遂げた者が正しいとか間違っているとかは関係なく、「祟りかも」という恐怖心がつくるものだ。
 つまり、新たな神輿をつくるという選択は、富岡八幡宮がオフィシャルに茂永氏を「怨霊」と認定したことになってしまうのである。こうなると今後、富岡八幡宮や祭りで、何か不吉な出来事が起こるたびに「祟り」と結びつけられる。

茂永氏の遺書は
企業の怪文書に似ている

 もしそのようなことが続くようならば、富岡八幡宮の境内に茂永氏の怒りを鎮めるような碑、あるいは社も設けられるかもしれない。

それは裏を返せば、茂永氏が、菅原道真公や全国の御霊神社のように、「神」になるということである。富岡家や長子氏についている方からすれば、まさに「悪夢」と呼ぶにふさわしい展開だろう。

先ほど、行くも地獄、引くも地獄という非常に巧妙な「トラップ」だと評した理由がお分かりいただけただろうか。

この極めて完成度の高い「復讐シナリオ」が織り込められた「遺書」を見ているうちに、企業内でバラまかれる「怪文書」とよく似ていることに気づいた。仕事柄、いろいろな怪文書を目にするのだが、「敵」に向けられる激しい誹謗中傷、そして自分の主張こそが正しく、これが通らなければ死んでも死にきれないという強い思いは、茂永氏の筆致とそれほど変わらない。

確かに、内部告発などをして企業に「災い」をなす人の多くは、社内の権力闘争に敗れるなど、何かしらの恨みを抱いている人が圧倒的に多い。みなさんも、そのような「復讐劇」をよく耳にすることだろう。

たとえば、インサイダーによる調査報道に定評のある会員制情報誌「FACTA」が、日産の検査不正問題は、社内の品質保証関連部署の人員などが「西川降ろし」を画策してリークを行ったと報じている。

無論、日産側はリークを否定しているが、話としては妙な説得力がある。

同関連部署は、カルロス・ゴーン前社長が2000年頃に「血の流れる改革」を行った際、もっとも人員を減らされたということで、不満の声が多く上がっていたという。そのような部署の一部の人が「怨霊」となって、数十年前から現場で続いていた「社内ルール」を「不正」として発掘し、ゴーン前会長の懐刀である西川社長に「祟り」をなす、というのは極めて日本的な復讐劇で、いかにも「ありそう」である。

権力闘争の激しい企業には
「プチ茂永氏」が大勢いる

 では、このような権力闘争の「敗者」が「怨霊」にならないためにはどうすればいいか。哲学者の梅原猛氏は、敗者を排除するのではなく、「何らかの意味で鎮魂し、それによってかつての敗者の部下であった人たちが安んじて新しい権力に仕える道を用意すること」(日本経済新聞1991年8月31日)と述べている。

これはまったく同感だ。よく企業から「どういうわけかメディアに、うちの社長の悪い話ばかりが出る。しかも、メディアが知らないような内部事情ばかりだ」と相談を受けるが、たいがいその社長にかつて冷遇されたとか、政敵だったとかいうグループがリーク元であることが多い。

つまり、このグループは組織内でしっかりと「鎮魂」をされていないので、新しい権力に災いをなす「怨霊」となってしまうのだ。

マスコミ業界にいると、社内の権力争いが激しい大企業に勤めている方から、内部事情を話したいとの申し出がよく来る。実際に会って話を聞いてみると、「あいつだけは許せねえ」「会社を辞めることになってもいい。刺し違えてでも、あいつは引きずり下ろす」などと、「政敵」への怒りをぶちまける方も多い。

レベルは違えど、「プチ茂永氏」のような方は、世の中に山ほどいるのだ。

みなさんがいま働いている会社の同僚の中にも、「怨霊」になりかけている人がいるかもしれない。

【私の論評】組織の精神を健全に保たなければ怨霊が輩出することになる(゚д゚)!



ブログ冒頭の記事では以下のようなくだりがあります。
 この国では古代から権力争いに敗れ、憤怒の念を抱きながら死を遂げた者が「怨霊」となり、権力者のみならず、国全体に疫病や自然災害などの「祟り」をなしてきたという伝説がたくさんある。崇徳天皇、早良親王、長屋王、伊予親王、藤原夫人、観察使橘逸勢、文室宮田麻呂など例をあげればきりがない。
これは、確かにそうです。というより、日本の過去の歴史は怨霊の歴史だったといっても過言ではないのです。それについては、このブログでも随分前に掲載したことがあります。その記事のリンクを以下に掲載します。
日本の歴史は「怨霊」の歴史だった-自然や自らよりはるかに大きなものへの畏れをなくしたかのように見える日本人よどこへ行く!?
さて、以下にこの記事より「教科書に掲載されない歴史(怨霊の歴史)」について掲載されている部分を引用します。
■教科書に掲載されない歴史 
現代の教科書に掲載されない、歴史というものがあります。明治時代などに、非科学的とされて、あまり掲載されなくなり、第二次世界大戦後は、事実と確認されるもの以外は完全に排除されてしまったものです。しかし、教科書に正式には掲載はされなかったもののいわゆる「教科書に掲載されなくなった歴史」は、戦前から戦中にかけて親から子へとか、教師から教え子とか、いろいろな形で伝承されてきました。しかし、現代ではあまり伝承されなくなり、今では、知らない人も多くなりました。しかし、現代日本人は、もう一度こうした歴史にも、目を振り向けるべきだと思います。

その歴史の中に、「怨霊」の歴史があります。平安時代は、まさにその「悪霊や怨霊」の時代で、平安京は怨霊に対するシェルターだったとさえ言われています。なんと奈良の大仏様も実は怨霊封じのために建立されたのですが、結局役に立たちませんでした。平城京を捨て、長岡京も捨てて逃げる天皇たちの様は尋常ではありませんでした。優雅な貴族文化といわれる平安時代も、その実態はおどろおどろしい世界でもありました。
時の為政者の仕事は、悪霊や怨霊から国を守ることがその勤めでした。夜中眠っている間に悪霊や怨霊に魂を盗まれると信じた彼らは、夜ごと火を焚いて悪霊たちを近づけないようにしました。そこでは歌が詠まれ、雅楽などが奏でられる祭事がもようされていたのです。現在も政治のことを「政(まつりごと)」と呼ぶのはそのせいです。 
東海道四谷怪談 「神谷伊右エ門 於岩のばうこん」(歌川国芳)
この記事には、怨霊となった例をいくつかあげましたが、以下に崇徳上皇に関するものを引用します。
■日本一の大魔王崇徳上皇 
ところで「日本一の大魔王」になった怨霊もいます。それは「崇徳上皇」です。5歳の若さで天皇の位についた、崇徳天皇は、父鳥羽上皇から疎まれ、憎まれました。そうして、鳥羽上皇から22歳の若さで天皇の位を奪われた崇徳はクーデターを起こしました。これが「保元の乱」です。ところが、企ては失敗しました。その結果崇徳は四国讃岐に流罪となりました。

許しを乞うが願いは叶わず、しかも、自らの血染めでしたためた、写経を京都に「せめて自分の写経を京にかえしてくれ」との願いもむなしく、それをつき返され、願いもかなわず、激怒した崇徳は誓いを立てました。「日本国の大魔王となり、天皇家を没落させる。天皇家以外の者を王にする」と。そうして、その直後に憤死されたそうです。

恨みを抱いて死んだ者には、菅原道真や後醍醐天皇が思い浮かびます。しかし、正面切って天皇家を呪ったのは崇徳上皇だけです。果たしてその呪いは実現しました。崇徳の没後すぐに平家が政権を操るようになりました。そして次に本格的な武家政権、鎌倉幕府が成立しました。これ以降何かことが起こる度に、民衆には崇徳上皇の怨霊の仕業と広く信じられました。

日本の「明治維新」は、こうした崇徳の祟りを恐れ、崇徳を守り神にするという考えのもとで実行されたとう側面もあります。実は崇徳上皇の承認を得るという形式のもとに行われたのです。孝明天皇の崩御で、明治天皇が践祚したのは1867年1月。だが即位はしていませんでした。崇徳上皇の命日である同年8月26日、明治天皇は勅使を讃岐に派遣しました。勅使は上皇の「白峰御陵」の前で、次のような内容の宣命を読み上げています。「新しい宮を建立したので、長年の怨念を捨てて京にお帰りください」。明治天皇の即位の礼は、なんとその翌日8月27日に行われました。

そして9月6日崇徳上皇の霊は移され、700年ぶりに京へ帰って来ました。「明治」と改元されたのはその翌々日、1867年9月8日だったのです。今の世で怨霊を信じる信じないは勝手です。ただ、当時の人たちが信じたことだけは確かです。そうして、日本は「明治維新」という歴史上稀に見る、「明治維新」を大成功させ、その後の日本の発展は目覚しく大躍進しました。そうして、日清・日露の両戦役にも大勝利して、近代化の道を歩むことになったのです。
恨みを抱いて亡くなった崇徳上皇
さて、組織的にみると、今回の事件のようにかなり拗れてしまった場合は、何らかの方法で組織や組織内の有力者に恨みを持つものを組織内でしっかりと「鎮魂」をして、新しい権力に災いをなすような「怨霊」にしてしまわない措置が必要だということです。これは、かなり難しいことだと思います。だからこそ、今回のような事件が起こってしまったのでしょう。

昨年5月頃の富岡茂永氏 宮司だった頃の面影はない
しかし、普段から組織を健全に保つ方法はあるはずです。そうして、富岡八幡宮という神社もあれだけ大掛かりなものであれば、宮司だけではなく、組織で運営されているはずであり、その組織が普段から健全であれば、今回のような事件はなかったかもしれません。

今回の事件に関しては、マスコミはあいかわらず表面だけ説明しています。そのため、この事件の本質が多くの人々に理解し難いものになっています。多くの人々は、完全に頭のネジがぶっとんじゃた人の話ということで、あまり自分たちには関係のない話と思っていることでしょう。

しかし、ブログ冒頭の記事でも「組織」について述べているように、マネジメン的側面からみると様々なことが見えてきます。そうして、この事件を自ら属している組織とも付けて考えることができるかもしれません。

そもそも、組織の機能とは何なのでしょうか。それは、天才ではなく凡人に非凡な成果をあげさせることにあります。それは人の弱みを中和して、強みを最大限に発揮させることです。これが、組織の機能というものです。

つまり、組織の良否は成果中心の精神があるか否かによって決まります。神社の組織が、過去をただ継承するだけではなく、現代における神社のあり方を模索して地域社会に貢献することを成果であると考えていれば、組織を健全に保つことが可能だったかもしれません。

そして組織は以下の4点を満たさなければ健全な精神を持っているとは言えません。
①組織の焦点は成果に合わせなければならない 
②組織の焦点は機会に合わせなければならない
③人事に関わる意思決定は組織の信条と価値観に沿って行わなければならない 
④真摯さこそが唯一絶対の条件である
①組織の焦点は成果に合わせなければならない
成果とは長期的なものであり常にあがり続けるものではありません。野球で言えば打率のことです。バッターは十回中三回ヒットを打てば優秀だと評価されます。しかし七回は失敗しているのです。失敗だけはしない人を信用してはいけません。 
このような人はただ単に無難な仕事だけをこなしているだけであり、挑戦することから逃げているだけです。人は何かに挑戦していれば、必ず失敗するものです。
弱みのないことを評価してはならないのです。優れた人程多くの失敗を犯しますし、新しいことに挑戦をするものです。
この事件に関していえば、 富岡八幡宮においては成果を当然のこととして、ほとんど定義もされていなかったのではないでしょうか。 
②組織の焦点は機会に合わせなければならない
問題に焦点を合わせている組織は守りに入っていてそれ以上成長することができません。
成果は組織の中ではなく外の世界にしか存在しません。神社という組織も成果は神社の中ではなく外の世界に存在するのです。地域社会の人々を何らかの形で良い方向に変えることこそが成果なのです。神社の中に成果はありません。 
組織は機会に資源とエネルギーと時間を使うことによって成長していけるのです。
成果が定義されていない組織においては、何が機会かもわからなくなってしまいます。 
 ③人事に関わる意思決定は組織の信条と価値観に沿って行わなければならない
成果中心の精神を高く維持するには、配置、昇進、昇給、降格、解雇などの人事に関わる意思決定が管理手段として大きな役目を果たします。 
そして組織には固有の信条とや価値観があり、人事の意思決定はそれに対して矛盾したものとなってはなりません。
矛盾していれば働くものが勘違いをしますし、また信頼を失うことになります。茂永氏も勘違いをしていたのではないでしょうか。
④真摯さこそが唯一絶対の条件である
真摯さを絶対視することが健全な組織の条件です。人事に関する意思決定においては真摯さという基準は絶対無視してはなりません。
特に真摯さに欠ける者をマネージャー(神社では宮司やその他の神職、管理者など)にしては絶対にいけません。
真摯さの定義は難しいです。これについては、このブログで詳細に述べたことがあります。これについて、詳細を知りたい方は、その記事を参照して下さい。 
真摯さを定義するのは難しいですが、真摯さに欠ける人はどのような人なのかは、示すことができます。以下の5つに該当する者をマネージャーにしてはなりません。
第一に、強みよりも弱みに目を向ける者。 
これは組織の基本的機能であり使命にも反します。強みよりも弱みに目を向ける者をマネージャーにおけば組織は弱体化していきます。
第二に、何が正しいかよりも誰が正しいかに関心を持つ者。
マネージャーの仕事は何が正しいかを分析することでもあります。
人の意見に左右されて本当の正しさを見失うような、もしくは人によって態度を変えるような人間はマネージャーとして不適合です。
マネージャーは人よりも仕事を重視しなければなりません。
第三に、誠実さよりも賢さを重視する者。
そういう者は人として未熟で、その未熟さは後天的に改善されることは難しいです。また、こういった人間を変えることもとても困難なことです。
第四に、部下に脅威を感じる者。
マネージャーは部下の失敗の最終責任を負う覚悟があってはじめてマネージャーたりえるのです。これは逆に言うと部下の成功を自らの成功と捉えることができるということです。 
部下の成功に脅威を感じる者は責任を理解していませんし弱い人間です。
第五に、自らの仕事に高い基準を設定しない者。
優れたマネージャーというものは自らに一流の仕事を要求しますまた、自らの仕事に高い基準を設定できなければ、他の者にも優れた仕事を要求することはできません。 
そういった者にマネジメントされる人間は基準の低い狭い範囲の仕事をやらされることになります。
また他人に高い基準の仕事を要求しておいて自らは低い基準の仕事を行う者に信頼をよせる人間がいるでしょうか。自分に甘く他人に厳しいという人間に人はついてきません。
いかに豊富な知識があり、いかに効率よく仕事をこなす者であっても真摯さが欠けていればそこで働く人間を破壊します。そうして、組織の精神を損ない業績は低下するでしょう。
真摯さこそが唯一絶対の条件なのです。茂永氏は真摯な人だったのでしょうか。もしそうでなければ、そもそも宮司にしたこと自体が間違いです。
 組織の精神を健全に保つには以上の4項目を満たす必要があります。これら4項目をだいたい満たしているような組織は、間違っても「怨霊」を出すような組織にはならないでしょう。逆にこれをほとんど満たしていないような組織は「怨霊」輩出する組織になり伏魔殿のようになることでしょう。

私は、富岡八幡宮の組織を分析したり、宮司や元宮司の方と直接話しをしたことはありません。しかし、現代の「怨霊」を生み出してしまったこの組織には、まともな組織の精神が宿っていたとは思えません。最近では、企業組織もそうですが、日本相撲協会にも組織的に何か問題があるのではないかと思えるようなことが、起こっています。

組織の精神に注目すれば、組織の様々な問題がみえてくると思います。

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貴乃花親方、八角理事長に“宣戦布告”文書送付 渦中の貴ノ岩に兄証言「都内の病院に入院」

頑なに八角理事長率いる協会の聴取を拒否する貴乃花親方
 大相撲の元横綱日馬富士(33)が平幕貴ノ岩(27)=貴乃花部屋=を暴行し、書類送検された事件で、貴乃花親方が初めてアクションを起こした。鳥取地検の処分が確定するまで、日本相撲協会(八角理事長)が要請する調査に協力しない意向を文書で同協会に伝えたという。一方、所在不明の貴ノ岩が「約1週間前から都内の病院に入院している」と実兄、アディア・ルブサン氏(45)が証言したことが判明。殴打された頭部の裂傷は癒えたが、耳の後ろの骨を骨折しており、頭痛、耳の痛みに悩まされているという。

元日馬富士の暴行事件をめぐって膠着状態が続いていた貴乃花親方vs.日本相撲協会に動きが出た。

関係者によると、相撲協会の危機管理委員会が貴乃花親方に対して要請する貴ノ岩の聴取について、貴乃花親方が12日までに、鳥取地検の処分が確定するまで協力しないなどとする文書を相撲協会にファクスで送付したという。まさに“宣戦布告”といえる。

危機管理委は鳥取県警の捜査が終了した段階で聴取に応じると認識していたが、両者の見解の相違が改めて鮮明となった格好だ。

相撲協会は20日に臨時の理事会を開き、危機管理委の最終報告を受ける予定。協会としては、貴ノ岩らの聞き取り調査を受けて関係者の処分を行いたい考えだが、状況に変化がなければ、11月30日の前回同様、理事会は空転する恐れがある。

その渦中の人物、貴ノ岩は一体どこにいるのか。フジテレビ系「直撃LIVEグッディ!」は12日、衝撃的な内容を伝えた。

実兄のルブサン氏が同番組の取材に「(貴ノ岩は都内の病院に)入院しています」と証言したのだ。

ルブサン氏
 「耳とか頭も痛かった(ようだ)。(頭の傷は)とっくに治ったよ。ただ、頭は1カ月ぐらいたつと痛くなるとモンゴルで言われている。耳の裏の細い骨が折れている。ビンタで折れるらしい。復帰してもう一度土俵に上がるために、貴乃花親方は良い病院で治療してくれている。私はよく分からないが私の妻が耳鼻科の先生だから。1週間ぐらい入院していて、12日か13日に退院すると思う」(ルブサン氏)

貴ノ岩は九州場所中は福岡県田川市にある貴乃花部屋内にいたことが確認されていたが、貴乃花がかくまっている状態で、どこにいるのかが分からなかった。

冬巡業が九州、沖縄で行われているなか、貴ノ岩は無断休場している状態でいる。

ルブサン氏の証言通りなら、貴ノ岩のけが、体調不良は長引いており、後遺症に悩まされていることになる。これまで医師の診断を受けた際には指摘されていない「耳の後ろの骨折」という新しい症状があったとすれば驚きだ。

同氏は次のようにも答えている。

「貴ノ岩は九州場所が終わる前に東京に移動していた。警察の捜査が終わったらちゃんと説明すると思う」

報道陣が取り巻く田川市の貴乃花部屋を何らかの方法で脱出し、東京に移動していたことになるが、四六時中目を光らせていた報道陣に気づかれずに、巨漢の貴ノ岩が抜け出すのは容易なことではなかったはずだ。

さらに同氏は「日馬富士(が引退、書類送検されたこと)については、喜んでいない。同じモンゴル人である。貴ノ岩には早く復帰して、よい相撲を取るように。日馬富士は1回失敗したが、(処分は)軽く済めばいいと思っている。まだ33歳と若く、モンゴルに戻っても活躍してもらいたい。最終的に被害を受けているのはわれわれ家族だと思う」とも語った。

貴ノ岩の体調を心配する声は日増しに強くなっている。貴乃花親方の対応もかたくなで予測できない。貴ノ岩が再び土俵に上がることができるのか。ここが一番、気がかりだ。

【私の論評】日本の伝統文化を破壊したい勢力と国粋派の確執が今回の事件の深層(゚д゚)!

大相撲の元横綱日馬富士(33)が平幕貴ノ岩(27)=貴乃花部屋=を暴行し、書類送検された事件に関しては、テレビなどで日々様々な憶測が報道されていますが、どれも本質的なものではないようです。

これについては、ジャーナリストの山村明義氏が驚くべき見解を表明しています。その動画を以下に掲載します。


この動画で、9分30秒あたりから山村氏は大相撲について語っています。詳細は、この動画をご覧いただくものとして、簡単にまとめると以下のような内容になります。

現在の大相撲界は厳然たる差別が行われていて、特に行事の世界ではそれが顕著になっています。特に結びの一番の行事をほとんど式守伊之助が行い、木村庄之助は、ほとんどさせてもらえない状況にあります。


ちなみに現在の大相撲では、大体17時30分過ぎ、その日の最後に行われる取組を「結びの一番」といいます。言い換えると、その日の興行の締めという意味になるでしょうか。

日本人の傾向である「終わり良ければ全て良し」という考えから、この結びの一番は特に重要な意味に位置づけられており、横綱の取り組みがほぼ必ず見られるようになっています。

ただ、時間については進行が遅れれば18時近くなることもあるようですが、これはテレビ中継しているNHKとの兼ね合いもあって決まったそうです。

結びの一番では、呼出しが「とざい、とーざい(東西)」といった言葉を述べ、観客の注意を引きます。続いて行司が対戦する力士を紹介するのですが、普通の取組では三役以上の力士の場合は四股名を「かなた」「こなた」を付けて二声(力士の四股名を2回繰り返すこと/十両最後の取組も二声)を発するところ、結びの一番では、その前に「番数も取り進みましたるところ」とつけるのが慣例になっています。

また、呼上げが呼び上げを終了した後には「この相撲一番にて、本日の打ち止め」(「この相撲一番にて千秋楽」の場合もあります)と独特のふし廻しで呼上げ、最後の取組であることを観客に告げることになっています。

ちなみに千秋楽では、この台詞が「この相撲一番にて千秋楽にござります」もしくは「この相撲一番にて千秋楽」に、天覧相撲や台覧相撲では「この相撲一番にて、本国の結び」にそれぞれ変わります。

このような重要な結びの一番に、木村庄之助はほとんど行事をしていないのです。これは、あからさま差別という以外にありません。

そうして、単純にわかりやすく分類すると、木村庄之助は国粋派であり、対する式守伊之助はグローバル派です。この分類でいくと、貴乃花親方は、純然たる国粋派です。八角親方は、グローバル派です。

式守伊之助
相撲をグローバル化して日本の伝統文化を破壊したい勢力との確執が今回の事件の深層であるとしています。

この本質をマスコミが報道せずに、目の前のことだけ報道するため、今回の事件の本質は多くの人々にとって理解しがたいものになっています。

日馬富士の引退について、30日付のモンゴル各紙も大きく取り上げました。最大手オドリーン・ソニン紙は日馬富士の写真を1面に掲載。鳥取県警の捜査や日本相撲協会の調査、マスコミの追及で「精神的に大きな圧力」を受けていたなどと報じました。

モンゴル相撲関係者の間でも戸惑いの声が広がりました。モンゴル相撲の横綱に相当する「アバラガ」には、日本の横綱ほど品位が重視されることはありません。伝統文化というよりは純粋なスポーツとして楽しまれています。

モンゴル相撲の関脇に相当するブマンバヤルさん(49)は「モンゴルでも力士同士でけんかすることはあるが、翌日に握手して酒を飲めば解決する。進退に関わる事態になるのは理解できない」と疑問視。両国の文化に詳しいモンゴル日本関係促進協会のデムベレル理事長は「日本の相撲は神道の思想も反映されているが、モンゴル相撲には宗教的背景がなく、力士の素行が日本ほど問題視されることはない」と指摘しました。

一方日本では、相撲は神代から存在します。 そうして相撲は神事です。 日本では神道を知らずに相撲を語るなという雰囲気が根強く残っています。

神代においては 大和のタケミカヅチ命(鹿島神宮祭神)が 出雲のタケミナカタ命(諏訪大社祭神)の 腕をひねりつぶして勝った話は有名です。 

タケミカヅチとタケミナカタ
ここに国譲りが完成し、 現在の日本の原型ができたとされています。 相撲から大和朝廷の支配は始まったとされているのです。

古墳時代には野見宿禰(土師氏・菅原氏祖先)が 当時最強だった当麻蹴速を倒したこと戦いが 最大の試合だったされています。

蹴速の得意技のキックで逆に勝利しました。 蹴速はアバラ骨と腰骨を骨折。 数日後、絶命しました。

もともと相撲は 「撲りあう」と書くくらいで K-1や柔術に似た武道でした。 平安時代は天皇の前で行う 神事として定着しました。 かつて 皇太子の地位を 相撲で決めたこともあります。 

惟喬親王と惟仁親王の時にそれぞれ 紀名虎と伴善男が戦い 善男が勝利して、 惟仁親王は清和天皇となりました。

かつて、天皇位をも左右したのが、 国技「相撲」なのです。 土俵は神聖なる場であり、 塩で清め、女子は上がれません。

横綱は体に注連縄(しめなわ)を巻いて締めている間は <生きた御神体>なのです。 

横綱は体に注連縄(しめなわ)を巻いて締めている間は <生きた御神体>
これは、モンゴル出身の力士にはその本質をなかなか理解できないでしょうし、いまでは日本の力士でも本質を理解するものは少ないのかもしれません。スポーツと「神事」ではそもそも、同じようなことをしていても、成り立ちも考え方も全く異なるのです。

横綱が勝ちにこだわり、勝つためならどのような相撲をしても良いなどという考えは、相撲の伝統を重視する人々には到底理解しがたいものなのです。そのような勝ち方をするくらいなら、品格を保つために引退したほうが良いという考え方なのです。

歴史的一番<昭和63年>33歳千代の富士 全勝で24度目V 大乃国は3度の下手投げを耐えたが、
千代の富士の奇襲・内掛けにあえなく寄り切られた。数場所前に「限界か」と言われていたのがウソの
ような33歳の復活だった
このような本来の相撲の精神を守ろうとしているのが、貴乃花親方なのです。そうして、貴乃花親方のことを上ではわかりやすくするために、国粋派と分類しましたが、現代相撲を完璧に昔の神事に戻すわけにもいきませんし、モンゴル人力士などの外国人力士をいまさら否定するわけにはいきません。貴乃花親方もそこまでは考えていないでしょう。

実際、貴乃花親方は、モンゴル人力士である貴ノ岩を守ることに注力しています。ただし、相撲の成り立ちなどをないがしろにするようなことはしたくないというのが、貴乃花親方の考え方なのだと思ます。

そうして、このようないわば相撲界の内紛を日本のマスコミは、反日活動に利用しようとしています。特に、象徴的なのが朝日新聞です。

上でのべたように、元横綱・日馬富士(33)の29日の引退表明によって、日本中を騒がせた一連のモンゴル力士暴行事件は次の段階へ進もうとしています。そんな中で、朝日新聞デジタルが「『モンゴル人疎まれた』日馬富士の母国に日本不信」という記事を30日付けで配信して、SNS上では「またいつもの”日本悪い論”にスリ替えてる」と物議をかもしています。
朝日の記事によると、日馬富士の引退は故郷モンゴルでも大きく報じられ、”英雄”の突然の引退に地元でもやりきれないムードが広がっているとか。しかし、ここからが朝日節全開で、心臓に重大な疾患があるという8歳のモンゴル人少年が登場します。そして少年が支援を受ける医療系NPOに日馬富士が深く関わっていることを明かし、少年の父の『日本人医師と日馬富士は息子の命の恩人。日馬富士を許してあげて』との言葉を、家族の写真入りで引用しています。(社会部記者)
子供や女性、動物などを代弁者に仕立て上げるのは朝日新聞のお得意の手法です。誰にも文句を言わせない、弱者という名の権力を盾に自論を誘導していくリベラルメディアの十八番です。
そして記事では『モンゴルはアジア屈指の親日国』で『大相撲は注目を集めてきた』にもかかわらず、今回の事件で『モンゴル人を締め出す』日本人に不信感がめばえ、『中継するチャンネルが激減』し、『モンゴルの大相撲熱は下降』していると説明。『モンゴル人力士が疎まれた』という見方が広まっているとの論説には、朝日新聞がいつも使う日本悪い論、日本人の差別意識がこんなに外国では嫌われてますという誘導が見て取れます。(同記者)
同記事に対してSNS上では「日本ヘイトきたーw」「ていうか被害者もモンゴル人じゃないの?」「今度はモンゴルと日本仲悪くしようとしてる。 前科者の朝日は何書いてもそう取られる」「朝日っていつも弱者の味方のフリして対立煽るよな」と非難が集まっています。

朝日新聞は何でもかんでも「日本悪い」にしたいのか。別の週刊誌記者は次のように説明する。

今回の日馬富士の事件では、11月24日に『暴行問題でモンゴル大統領動く 安倍首相と面会希望』と報じて、国際問題化しようと煽ったのも朝日新聞系の日刊スポーツでした。『相撲界だけでなく、日本でモンゴル人が敬遠されることを懸念し、大統領に忠告した』と書いてますが、実際は単に朝青龍の話を聞いたという関係者の話をまとめただけのフェイクニュースでした。それゆえ後追いも続報もまったくありません。

「隣国が怒ってる」とか「外交問題になる」と言われると、つい腰が引けてしまうのが日本人の性質です。そこにつけ込むのがこれまで通りの朝日新聞です。

そもそも今回の事件は加害者も被害者もモンゴル人。外国人が日本国内で刑事事件を起こせば、当地・日本の法律で裁かれるのはむしろ国際常識のはずです。リンチの加害者が日本人であったとしても、法治国家ニッポンとして当然同じ結果となり、同様の社会的制裁を受けていたのは想像に難くないです。

そもそもモンゴル人に対して差別があったというなら、四横綱中の三人がモンゴル人などという状況はありえないでしょう。国技、スポーツの世界にまで影を落としはじめた朝日新聞等の偏向報道に、我々は騙されてはいけないです。

そうして、相撲界ではあからさまに国粋派差別という問題がありますが、これも正していくべきです。そうして、今回の出来事をきっかけとしてモンゴル力士をはじめとする外国人力士たちにも日本の神事であり国技である「相撲」の成り立ちや、考え方を理解してもらい、本来のあるべき「相撲」にたち戻るきっかけにしていただきたいものです。

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2017年12月13日水曜日

税制改正、「官邸vs自民税調・財務省連合」の政治力学 細かな増税重ね緊縮路線へ―【私の論評】警戒せよ、緊縮で日本経済はまた停滞する(゚д゚)!


内部留保の活用をした企業への減税措置を言い出した麻生太郎財務相
 2018年度の税制改正は、年収850万円超の会社員や高収入の年金受給者の控除見直しなどが柱となっている。今回の税制改正で官邸と自民党、財務省の間でどのような力関係がうかがえるのか。

 今の自民党税調は、その主要メンバーは財務省OBなので、ほぼ財務省の意向と同じ方向で行動しているとみていい。ということは、「官邸」対「自民党税調・財務省連合」の政治力学である。


 今回は予算編成の真っ最中に衆院解散・総選挙があった。最大の争点は、トランプ米大統領の訪日・アジア歴訪を控えて、北朝鮮問題への対応で、安倍晋三政権に日本を託すかどうかであった。

 その際、19年の消費増税は予定通りとした。同時に財政再建は棚上げにした。官邸は財務省と交渉して、消費増税はのむが財政再建はのまなかったのだ。

 「増税するがそれを使う」というのは、経済学の立場から見れば、あまり賢いやり方とはいえない。本来は増税なしで歳入をそのままとし、歳出の中身を入れ替えるべきだからだ。

 ところが、政治の世界では、歳出の中身の変更は、カットされる個別分野の利益代表が反対するので難しい。それよりも、増税への反対の方が少ないと判断される場合には、「増税で歳出増」が選択される。今回の場合、経済界が消費増税に賛成なので、「消費増税で財政再建棚上げ」となったのだ。

 財務省は経済界に消費増税を賛成してもらったので、その見返りもあって法人税、租税特別措置には手をつけられない。特に、経団連企業は、租税特別措置で大きな利益を得ているので、この見直しは政治的には不可能に近かった。

 いくら企業の内部留保が大きすぎると指摘されても、それへの課税(実質的には法人税増税)は検討されることはなかった。麻生太郎財務相は、逆に内部留保の活用をした企業への減税措置を言い出す始末だった。

 こうして、消費税も法人税も何も手をつけられないとなれば、消去法として、所得税しか残らない。その結果として、今回の税制改正で所得税に手が付けられたのだ。

 といっても、本格的な所得税改正ではない。税率変更の場合、所得再分配をどうするかという大きな政治問題にもなるが、控除額の増減という「技術論」にとどまっているという印象だ。この段階で、官邸としては自民党税調と財務省におまかせとなる。

 税制中立であればまだ理解できる。だが、最終的な税制改正案が明らかにならないと分からないものの、現段階での筆者の直感では、ネットで結局増税になるのではないかとみている。

 税率変更がないので大改正でないといい、控除額の変更で所得再分配をしたといって、細かな増税の積み重ねで、税収の確保はちゃっかり実行するというのは、いかにも財務省のやりそうな税制改正だ。

 実際、細かな増税策が積み重なると、結局は、財政再建という名の緊縮路線となる恐れもある。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)

【私の論評】警戒せよ、緊縮で日本経済はまた停滞する(゚д゚)!
国の借金は1000兆円超え、国民一人当たりに換算すると830万円もの借金を持っている計算になる。子や孫につけ回してはいけない。このままでは財政破綻するので、消費増税やむなし。
このような財務省による理論は、大新聞やテレビのニュースなどでさんざん流されたので、それを鵜呑みにして「増税やむなし」と受け入れている人も多いのではないでしょうか。このブログでは、以前からこの理論がデタラメであることを主張してきました。

これは、すべて財務省の大嘘です。デタラメなレトリックに騙されるべきではありません。本日はブログ冒頭の記事のような動きもあることから、再度この理論が全くのデタラメであることを掲載します。

日本は財政破綻などしてないことは、中央銀行(日本銀行)保有の国債について政府が返済や利払いをする必要がないことを理解すれば、誰にも理解できるはずです。

国の借金を煽る愚かなグラフ
日銀は政府が55%の株式を握る子会社だからです。現在、日本政府のバランスシートを見てみると、確かに負債の部には1100兆円を超える負債はあります。ところが資産の部には672兆円もあります。しかし、そのことを絶対に財務省は公表しようとはしません。負債の部にある「公債」「政府短期証券」のうち、500兆円は日銀保有です。これは、政府と日銀を連結決算すれば、相殺されてしまうのです。

それでも、政府の負債残高が気になるならば、償還期限が来た日銀保有国債について、新たに発行する「無期限無利子国債」と交換してしまえば良いのです。無期限・無利子国債は、事実上の貨幣です。

政府は日銀が保有する国債と貨幣を交換したことになり、返済負債が名目的にも消えてしまいます。ギリシャの場合はEUに加盟し、ユーロを自国で発行する権限を持っていません。だから破綻しました。

しかし、日本の場合はまったく違います。日本政府の自国通貨建て国債など、その程度の話です。おかしいのは現在、日銀の黒田東彦総裁が財務省の財務官時代に日本の格付けを途上国以下にした外国の格付け会社に対し、「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」と抗議している、その一方で、日本国民にたいしては財政破綻をの可能性を匂わすのですから、全く矛盾しているのです。

日銀黒田総裁
それに、政府が「プライマリーバランス(以下PB)黒字化目標」という無意味な目標を掲げていることも大問題です。

とにかく、PB黒字化目標が『骨太の方針』において閣議決定されている以上、すべての政策がPB黒字化前提になってしまいます。すなわち、「支出は前年比で削減する。増える場合は他の支出を削るか、若しくは増税する」という前提で予算が組まざるを得ない状況になっているのです。

しかし、デフレから完璧に脱却できていない現状で、増税やら緊縮財政をすることは常識的に考えて全く以上です。本来ならば、減税、積極財政を実施すべきです。

一番良いのは、金融緩和を続けながら政府が財政支出、あるいは減税をすることです。そうすれば、需要が増えて金利が上がります。通常は、公共投資増による公債発行増大に伴う利子率上昇が民間投資を阻害する「クラウディング・アウト」効果が出てしまうのですが、同時に金融緩和も継続すれば、金利上昇を抑えられます。金融緩和で財政政策の効果を強化できるのです。

現在のようにデフレから完璧に脱却していない時期には、本来は日銀が金融緩和を実施し、政府は、「政府最終消費支出(医療費、介護費、教育費、防衛費など)、及び「公的固定資本形」(公共投資から用地費等を除いたもの)を拡大し、デフレキャップを埋める積極財政を実施すべきなのです。

これが過去に効果が確認された唯一の政府のデフレ対策です。ところが、2014年4月に5%から8%に消費増税してしまったばかりに、民間最終消費支出は2013年度から2014年度にかけて、8兆円も減りました。

物価上昇に給料の伸びが追いつかず、実質賃金も下落し、結果的にデフレへと逆戻りしてしまいました。それどころか2015年には介護報酬を2.27%、診療報酬を1.03%カットしてしまいました。現状では、衆院選挙が終わったと共にさらなるカットをほのめかしている状況です。

財務省は、どこまでも緊縮財政路線です。この路線になかなか抗えないのか現在の安倍政権です。かといって、野党もこの路線に抗うことはできないようです。

それどころか、立憲民主党の枝野代表は、財務省を喜ばせるようなことをロイターのインタビューで、語っています。その記事のリンクを以下に掲載します。
インタビュー:政権交代目指す責任、法人増税が必要=枝野・立民代表
立憲民主党代表の枝野氏
詳細は、この記事をご覧いただくものとして、このンタビューで、枝野代表は立憲民主党には政権交代目指す責任があることと、法人増税が必要であることを述べています。

枝野氏によれば、法人税増税で企業を叩けば再分配で経済が成長するそうです。これでは、これでは、従来も枝野氏が、利上げをすると経済成長すると述べていたのと同じように、経済に関しては完璧に見当外れと言わざるを得ません。

これでは、国民経済のためには全くなりません。上のブログにるように、増税・緊縮路線をめぐる「官邸」対「自民党税調・財務省連合」という争いには、反官邸という立場に立っているのと同じことです。

国民のことを考えるならば、あるいは野党という立場上、労働者のことを考えるならば、本来は「官邸」側に立つか、あるいはそれができないというのならば、独自の減税・積極財政路線、金融緩和路線をとなえ、「自民党税調・財務省連合」と対峙し、さらには経済政策に関しては官邸や政府よりも良いものを打ち出し、政権交代につないでいくべきです。

しかし、枝野氏にはそれはできそうもありません。そうして、これは他の野党もにたりよったりです。目の前に、大きなチャンスが転がっているのに、それを活用したのは、安倍総理だけです。それも、不十分な金融緩和策を実行したに過ぎません。今はまだまだ、日本経済を回復できる政策は十分に実行されていないという状況です。まだまだ金融政策は、出口政策など程遠い状況です。財政政策は出口すら見えない状況です。そのことに野党は気づくべきです。

今の状況では、確かにブログ冒頭の記事で高橋洋一氏が指摘しているように、「細かな増税策が積み重なると、結局は、財政再建という名の緊縮路線となる恐れ」 が濃厚です。そうして、緊縮財政により日本経済はまた停滞するおそれが濃厚です。

この状況を変えるためには、全国の各地域で、地元選出の議員の先生に、経済を本当に理解してもらうようにすることが必要不可欠だと思います。私はそうするつもりです。皆さんもそのように努力していただきたいです。

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